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日本とウズベキスタンが労働力交流を拡大へ―今後5年間で1万人受け入れオンライン就職支援

「WiseBridge」始動、日本語・技能講座も国内3州に開設 【タシケント/東京London Post/INPS Japan】 ウズベキスタン移民庁と 一般財団法人 日中亜細亜教育医療文化交流機構(Japan-China-Asia Medical Educational Cultural Exchange...

カシミール: 楽園の喪失

2025年4月22日、カシミール地方のインド支配地域で観光客26人が惨殺された。その後数日のうちに、インド軍とパキスタン軍の間で銃撃戦が勃発した。カシミールに今再び戦争が迫っているのだろうか? この記事は、戸田記念国際平和研究所が配信したもので、同研究所の許可を得て転載しています。 【Global Outlook=ハルバート・ウルフ】 「抵抗戦線(TRF)」が攻撃を実行したと主張した。インド治安当局は、TRFをパキスタンが支援する武装組織と分類している。襲撃犯らは非ムスリムの男性を選んで襲った。犠牲者は1人を除く全員が非ムスリムで、インド国内からの観光客である。彼らは、インドで人気の行楽地、カシミール地方のパハルガムを訪れていた。パキスタン政府は犠牲者遺族に哀悼の意を表明したが、襲撃を非難することはなかった。(日・英) インドとパキスタンは両国とも、この係争地域を自国領土と主張している。カシミールは、1947年に亜大陸がインドとパキスタンに分離したとき以来の係争地である。一部の地域はパキスタンが支配し、別の地域はインドが支配しており、カシミールの分離主義者らは長年にわたって独立を求めている。1971年に両国間で合意された一種の停戦ラインである「管理ライン」が、事実上の国境となっている。しかし、軍事衝突が頻繁に起こっている。 1947年から1949年まで、インドとパキスタンはカシミールをめぐって戦争を行った。その後は1965年に第2次印パ戦争が、1971年には東パキスタン(現バングラデシュ)をめぐる第3次印パ戦争が起こった。最後は1999年に、敵対する二つの隣国はカシミール地方の係争地カルギル地域で4度目の戦争を行った。これらの戦争のほとんどにおいてインドが軍事的に優位であったが、カシミール紛争に対する永続的解決はいまだ図られていない。政治的にも外交的にも、山あり谷ありである。国境の開放や越境貿易による和解の試みの後には繰り返し、パキスタンやカシミールの武装グループによる野蛮なテロ攻撃が行われ政治的に疎遠な時期が続いた。例えば2008年には、最も大規模なテロ攻撃の一つとしてムンバイのホテルで武装ムスリム集団による攻撃が発生した。 近年ニューデリーの政府は、強硬な政策によってカシミールの事態を鎮静化させた。2019年、インドのナレンドラ・モディ首相は、ムスリムが多数派を占める地域が持つ憲法上の特別な地位を署名一つで廃止し、インドのジャンムー・カシミール州を連邦直轄領として中央政府の支配下に置いた。ニューデリーは約4万人の部隊を追加配備し抗議者らを容赦なく弾圧した。なぜなら政府が抗議者をテロリストと見なしたからである。何千人もの野党政治家やジャーナリストが投獄された。カシミール渓谷のインド支配地域は、長期にわたって外部からの通信が遮断されている。カシミールの数百万人の人々は、その圧倒的多数がインド国籍を拒絶し、数十年にわたり自決権を求めて闘ってきたが、軍により包囲され、占領された。 支配的な軍と警察の存在は、テロ攻撃の減少をもたらした。2025年4月初め、インドのアミット・シャー内相はジャンムー・カシミールを訪問した際に地域の「テロリストの生態系全体」が「機能不全に陥った」と宣言した。このような判断は、インド政府がいかに情報不足だったか、そして、先般のテロ攻撃がいかに寝耳に水だったかを示すものだ。  ニューデリーは、今回の攻撃の背後にパキスタンの関与があると見ている。武装グループは、パキスタンの治安部隊の支援を受けているといわれている。モディ首相は、インドは「全てのテロリストとその支援者を特定し、追跡し、罰する。地の果てまで追い詰める。テロの温床に残っているものを徹底的に壊滅するべき時が来た」と述べた。当然ながら、パキスタンの見方は大きく異なる。つい最近、アシム・ムニール陸軍参謀長は、カシミールをイスラマバードの「頸動脈」と呼び、いわゆる「二国家論」を提唱した。それによれば、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒は二つの別個の国家に帰属する。従って、ムスリムが多数派を占めるカシミールはパキスタンに帰属することになる。 今回の襲撃と非難の応酬を受けて、両国のソーシャルメディアには報復措置を求める声が広がっている。政府は、安全保障の強化に対する国民の要求に応えるため、軍を動員しようという誘惑に駆られるかもしれない。 計算されたエスカレーション ニューデリーの政府は当初、計算されたエスカレーションによって対応しており、パキスタンから外交官の半分を召還し、インドに駐在するパキスタン外交官を追放し、アタリ・ワガ国境検問所を閉鎖し、インダス川水利条約を停止した。同条約は世界銀行の仲介により両国間で締結されたもので、強力な武器になり得る。過去の紛争においても、インド政府は水の堰き止めをちらつかせてきた。もしニューデリーがこの措置を実行に移せば、パキスタンの農業と国民への水供給に深刻な影響を及ぼすことになるだろう。すでに惨状にあるパキスタン経済は、その収入の4分の1を農業に依存している。危機はさらに悪化するだろう。それに対し、インドが失うものはほとんどない。パキスタン政府は、水の堰き止めが行われた場合それは「戦争行為」であると述べた。 国内では、インド政府は水利条約を断固停止することによってポイントを稼げるかもしれないが、国際的には拘束力のある条約を破ることに対して批判を受ける可能性が高い。第5次戦争まではいかなかったものの、カシミールをめぐる前回の危険な衝突は2019年2月に発生した。自爆テロによってインド人兵士40人が死亡した。インド空軍は越境攻撃を行い、これに対してパキスタンは戦闘機をインド領空に飛行させた。インド空軍が狼狽したのは、インドの戦闘機がパキスタン領内で墜落したことだった。紛争は最終的に、ワシントンからの外交圧力によって終結した。しかし、今日、敵対する隣国間の外交関係は凍結したままである。両国とも、互いの首都から大使を撤退させて久しい。2014年にモディ首相が就任したとき、彼はパキスタンに歩み寄って関係改善を図った。しかし、これまでの多くの場合と同様、かつての姉妹国の間に培われた敵意が妨げとなった。 インドは今回、武力で対応するのだろうか? 世論の圧力は強烈である。これまでのところ、限定的な軍事的小競り合いが起こるにとどまっている。もしパキスタンが攻撃されれば、「わが国の軍はそれに対する準備ができている。(中略)適切かつ即時の対応が取られるだろう」とイスラマバードの政府は表明した。その裏では、軍事衝突がエスカレートして核兵器が使用される、あるいは少なくともその威嚇がなされるのではないかという懸念が常に存在する。 何が、この問題の持続可能な解決策となり得るだろうか? 75年以上にわたり、平和的解決を見いだそうとする過去の試みは全て失敗してきた。ニューデリーが強力な警察や軍の存在によって法と秩序を維持しようとした過去5年間の試みは、今回の攻撃によって失敗に終わったようだ。インド政府は長年にわたり、外交的駆け引きによってパキスタンを国際的にのけ者にしようとしてきた。これは、一方ではインドの経済力と政治的影響力、他方ではパキスタンの脆弱性のおかげで大いに成功を収めている。しかし、インドの国際的優位は、不穏なカシミール地方に平穏をもたらしてはいない。妥協するつもりは、どちらの側にもない。 インドの中央政府は、世論が強く求めるパキスタンに対する報復措置ばかりに目を向けるのではなく、カシミールの地元住民の不安や抗議を真剣に受け止めるべきだ。ただし、それは、モディと彼の政府が何年にもわたって追求している、社会のあらゆるレベルでヒンドゥー教を重視するという政策とは全く相容れないものである。(原文へ) ハルバート・ウルフは、国際関係学の教授であり、ボン国際紛争研究センター(BICC)元所長である。現在は、BICCのシニアフェロー、ドイツのデュースブルグ・エッセン大学・開発平和研究所の非常勤上級研究員、ニュージーランドのオタゴ大学・国立平和紛争研究所の研究員を兼務している。SIPRI(ストックホルム国際平和研究所)の科学評議会の一員でもある。 関連記事: |視点|近隣の核兵器(クンダ・ディキシットNepali Times社主) 核保有国が対峙する南アジアの緊張:拒絶された仲介と国際秩序の試練

|カザフスタン|悲劇から寛容へ─宗教間対話と平和、核軍縮への歩み

【東京/アスタナ INPS Japan=浅霧勝浩】 カザフスタンの首都アスタナから西方約40キロの草原で5月31日、カシム=ジョマルト・トカエフ大統領が「政治弾圧・飢饉犠牲者追悼の日」の式典を主宰した。毎年恒例のこの追悼の日は、同国の最も暗い歴史のひとつに思いを馳せる機会となっている。 式典の会場は ALZHIR(アルジル)記念複合施設。ヨシフ・スターリン時代、「国家の敵」とされた人々の妻たち約8,000人が収容されていた強制収容所の跡地だ。 「歴史の教訓は決して忘れてはなりません。」トカエフ大統領はこう述べ、スターリン時代の政策がカザフスタンの文化と知性に残した深い傷跡について語った。 こうした経験はスターリン主義的抑圧がソ連全域に及んだ歴史の一部でもある。1945年の日本降伏後、推定56万~76万人の日本人捕虜や民間人がソ連領内に強制移送され、そのうち約5万人がカザフ・ソビエト社会主義共和国(現カザフスタン)の収容所に送られた。カラガンダ近郊のスパスキー収容所などでは、過酷な強制労働と劣悪な環境のもと、多くが命を落とした。 自国民も深刻な被害を受けた。1930年代初頭、スターリンの農業集団化政策と遊牧生活の強制的な破壊により引き起こされた大飢饉で最大230万人のカザフ人が犠牲となり、その後の粛清で知識人や地主が処刑・追放された。 1991年の独立以降、カザフスタンはこの痛ましい過去と向き合い、多民族・多宗教の寛容な社会の構築を目指してきた。憲法はすべての民族的・宗教的グループの平等を保障し、30万人以上の犠牲者が近年、公式に名誉回復されている。250万件を超える公文書が機密解除され、大統領公文書館付設の新たな研究センターにより、この困難な歴史の解明が進められている。 こうした歩みは単なる過去との和解にとどまらない。寛容と対話を国家の柱の一つとし、国際的な宗教間対話を外交の中心に据えている。2003年創設の「世界伝統宗教指導者会議」は、イスラム教、キリスト教、ユダヤ教、仏教、ヒンドゥー教などの指導者たちが継続的な対話を行う象徴的なプラットフォームだ。 次回の第8回会議は2025年9月17日~18日にアスタナで開催予定。世界中から宗教指導者、学者、政策担当者が集う見込みである。会場の「平和と和解の宮殿」は、東西の架け橋としてのカザフスタンの役割を象徴している。 こうした取り組みは、宗派間対立や地政学的緊張が深まる現代において、貴重な教訓を提供している。ローマ教皇フランシスコは、2022年の第7回会議で「宗教は戦争や憎悪、敵対や過激主義を煽るのではなく、平和の希望の灯火となるべきだ。」と述べ、宗教間対話と共存の重要性を強調した。 さらにカザフスタンは、ソ連時代の核実験という深刻な不正義にも向き合っている。1949年~1989年にかけてセミパラチンスク核実験場で実施された456回の核実験により、100万人以上が被ばくした。これは今なお続く悲劇である。独立後、同国は世界第4位の核戦力を自発的に放棄し、核軍縮を外交政策の柱に据えてきた。 この核軍縮へのコミットメントは、宗教間外交にも及んでいる。2018年の第6回世界伝統宗教指導者会議以降、カザフスタンは日本の創価学会インタナショナル(SGI)やノーベル平和賞受賞団体・核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)と緊密に連携し、核兵器使用がもたらす人道的帰結とヒバクシャの証言に根ざした平和、対話、核兵器廃絶という共通のビジョンのもと、核兵器禁止条約(TPNW)の推進と国際協力の深化を図っている。 ALZHIR 記念施設の保存されたバラックや「悲しみの門」は、訪問者に過去の不正義の記憶を伝えている。だが今回の追悼式典と宗教間対話の継続的な取り組みが示すように、カザフスタンはより寛容で公正な未来の構築をめざして歩み続けている。 「このような不正義を二度と繰り返してはならない」――トカエフ大統領の言葉は、同国の内政と国際的な対話と調和を促進するマルチベクトル外交の双方に息づいている。(原文へ) Katsuhiro Asagiri is the President of...

気候正義:島嶼のレジリエンス

【Inter Press Service】 海面上昇、サンゴ礁の死滅、種の絶滅——。そんな見出しが世界を覆う中、多くの人は「失われていく物語」ばかりに目を向けがちです。しかし、気候変動の最前線は、希望の最前線でもあるとしたらどうでしょうか。 ガラパゴス諸島からセーシェル、ニュージーランドからパラオまで、島々は異なる物語を紡いでいます。それはレジリエンス(回復力)、再生、抵抗の物語です。 世界のシステムが停滞し分断が進む中、島嶼コミュニティは一歩先を行き、緻密かつ緊急性をもって生態系の再生に取り組んでいます。被害者ではなく、革新者として。 山から海まで、本来の生態系を回復することで、これらのコミュニティは「実践としての気候正義」の姿を世界に示しています。 https://www.youtube.com/watch?v=thp210UV4bU その成果は明確です。 パルミラ環礁では、ネズミの駆除によって在来樹木が50倍(5,000%)に増加。その樹冠は今、マンタが泳ぐサンゴ礁を守っています。 カマカ島では、100年もの間姿を消していた鳥が帰還しました。 これらは孤立した奇跡ではありません。再現可能なモデルなのです。 だからこそ、この6月、フランス・ニースで開催される第3回国連海洋会議(UNOC3)には、世界中のリーダー、科学者、コミュニティの声が集まります。 それは単なるイベントではなく、チャンスです。—— 島嶼主導のソリューションを広げるチャンス—— 回復のための資金を源流に届けるチャンス—— 先住民の知恵を世界の政策に反映させるチャンス 耳を傾け、学び、行動する場となります。 その一例が「アイランド・オーシャン・コネクション・チャレンジ」。50のパートナー、20の生態系、1つのビジョン。2030年までに40の島―海洋システムを包括的に再生**する取り組みです。 これは単なる環境保護運動ではありません。気候正義であり、生物多様性の正義でもあり、食料安全保障、文化の継承、経済革新なのです。しかもそれは、昔から土地と海のリズムを知るコミュニティ自身が主導しています。 地域の行動が世界の未来を形作る力があります。解決策を実践している人々の声を届けることにも。そして、権利を守り、生態系を回復し、希望を再生する活動を支援することにも力があります。 「島々の海」は再び立ち上がれるのです。潮ではなく、決意によって。 ぜひ、ニースでのUNOC3に参加するか、この運動をフォローしてください。科学を支援し、コミュニティを応援し、ソリューションを広めましょう。 今日、島に投資することは、明日の海を守ることなのです。(原文へ) INPS Japan/IPS UN Bureau...