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オリエンタリズム、自民族中心主義、女性蔑視、テロリズムによる非・神聖同盟-パートI : タリバン擁護論を解明する
この記事は、戸田記念国際平和研究所が配信したもので、同研究所の許可を得て転載しています。
【Global Outlook=バシール・モバシェル 】
近頃、アミーナ・J・モハメッド国連副事務総長をはじめとする国連内のタリバン擁護論者らが、「(タリバン政権の)承認、確固たる承認への道筋に戻る小さな歩み」を踏み出すため、さまざまな地域および世界の利害関係者とドーハで会合した。その後国連は、アフガニスタンの国連機関で働く女性職員の解雇を求めるタリバンに屈しておきながら、「タリバンと国際社会の相互理解」を促すための国際会合にタリバン当局者を正式に招待する意向を明らかにした。これは、タリバン擁護論者による世界的キャンペーンの一例である。(日・英)
タリバン擁護論とは、彼らの過酷な秩序を正当化し、このテロリスト集団がアフガニスタンの真の支配者として国際的に承認される道を開こうとする、進行中かつ拡大中のPRキャンペーンである。タリバン擁護論者とは、アフガニスタンの正当な支配者としてタリバンの国際的地位を正常化するナラティブを推進するアフガニスタン人および非アフガニスタン人活動家の集合体である。これには、タリバン復帰をパシュトゥン人の覇権回復として歓迎するパシュトゥン人民族主義者、タリバンのアフガニスタン奪取をイスラムの勝利として喜ぶ国内外のイスラム原理主義者、そしてタリバンを承認することによって多様な利害や偽りの大義名分に寄与するオリエンタリストなどがいる。2部構成の本稿では、これらのタリバン擁護論者のナラティブ、考え方、利害、そして、これら多様な活動家グループが過激派集団の地位を合法的政権として正常化すること――つまり非・神聖同盟の出現――をどのように是認しているかについて、手短に検討する。
タリバン擁護論者の存在は、2006~2007年にさかのぼる。当時、アフガニスタン共和国の政権指導者は、いわゆる「良いタリバン」と「悪いタリバン」という考え方を宣伝していた。そうすることによって、ハミド・カルザイ大統領、アシュラフ・ガーニ大統領、ファルーク・ワルダックのような指導者やその取り巻きは、国内各地で政府軍がタリバンを標的にするのを防ぎ、タリバンの拡大とさらなる兵士のリクルートを許した。このような、良いタリバンと悪いタリバン、穏健なタリバンと過激なタリバン、ハッカーニ・タリバンとカンダハリ・タリバンという、見せかけのタリバンの多様性によって、共和国のエリート層や世界の為政者らは判断力が鈍り続け、テロリスト集団の一部とは協力して他のテロリスト集団と対抗できると思うようになってしまった。このようなナラティブは、完全な過激主義集団の内部対立が穏健な動きを生み出すに違いないと甘く思い込んでいる。しかしこの希望的観測とは裏腹に、タリバンに生じた内部対立は穏健派の形成にも全面分裂にも発展しなかった。2015年に、タリバン最高指導者ムッラー・オマールが実は2年前に死亡していたことを下級メンバーが知った時でさえ、そうはならなかった。
2022年12月に米国のカレン・デッカー臨時大使が投稿したツイートは、この甘さをよく表した例である。「私たち(カンダハル政府と私)は、人権が重要であることに言葉の上では合意しているようです。カンダハルの指導者たちがこれを実際の行動でどのように実現していくつもりか、知りたいと思います」。彼女のツイートの直後、カンダハリ・タリバンは、人権どころか何についても彼女の言う合意など全面否定するような声明を発表した。その後間もなく、女性教育の禁止を強く訴えたのはまさにカンダハリ・タリバンだったということが判明した。
多くのタリバン擁護派の一つがパシュトゥン人の自民族中心主義者であり、その一部は恐らく、同じ民族集団であるという以外はタリバンと何ら共通点がない。その中には共和国政権の高官もおり、彼らは共和国時代の20年間に国際社会からの資金援助で個人的に利益を得ていた一方で、タリバンの政権奪還を祝い、中にはそれ以前から彼らを支援していた者もいる。その好例がファルーク・ワルダックで、彼は、共和国時代の20年間に四つの政権にわたってさまざまな大臣職に就いた。しかし、タリバンが復帰すると彼はカブールに戻り、彼らが「国を解放し」て「純粋かつ原理主義的なイスラム政権」を樹立したことを祝福した。自民族中心主義者にとって、民族の政治的優位は、他のあらゆる政治的価値や思想的価値、さらにはコミュニティーの福利や願いよりも重要なのだ。人権擁護のプラカードを掲げたネクタイ姿の男性やメークアップをした洋装の女性がタリバンの代弁者になってしまうのはこのためである。
自民族中心主義者や他のタリバン擁護論者のナラティブは、二つの論点に大きく依存している。第1に、彼らはタリバン政権下で治安が良くなったと主張する。しかし、この仮定は、共和国時代の20年間にタリバンは治安を脅かす最大の要因であり、自爆攻撃を企て、地雷や自動車爆弾を仕込み、その他の形で恐怖を広めたという明白な事実に目を向けていない。また、タリバンが依然として、アフガニスタンの人々の生活、権利、自由にとって最大の脅威であるという事実にも目を向けていない。違法な拘束、拷問、レイプ、迫害、集団強制立ち退きや移転、超法規的殺人が、アフガニスタンではかつてないほど多く起こっている。女性たちは家の外を歩いているだけでも罰せられることを恐れ、メディアはニュースを公平に報道することによる重大な影響を恐れ、教師や学生はタリバンによる絶え間ない監視を恐れている。恐怖とサバイバルモードの中で生きることは、平和と安心の中で生きることではない。タリバンによる「人道に対する犯罪」、「ジェンダー・アパルトヘイト」、「フェミサイド」について、いくつかの国際組織が詳細かつ断固とした報告を行っており、そこではアフガニスタンの治安が良くなった様子が描かれていないことは確かである。
また、タリバン擁護論者は、タリバン政権下で汚職が減少したと主張する。タリバン政権下でパスポートを取得し、国外に逃れることができた人はこれに異議を唱えるかもしれない。タリバン政権下での汚職を報道する自由なメディアがないのだからアフガニスタンで汚職が減少したとは必ずしもいえない。この過激主義集団の支配下で最も明白かつ否定できない汚職の形態には、縁故主義、部族主義、非パシュトゥン人公務員の排除、彼らと非専門家やタリバンの家族や部族メンバーとの交代などがある。
タリバン擁護論者のもう一つのカテゴリーはイスラム原理主義者で、彼らはタリバンの政権復帰に歓喜している。こういったイスラム教徒たちは、タリバンの復帰をイスラムの勝利の象徴として祝っている。英国イスラム法評議会のメンバーであるコーラ・ハサンは、その例である。BBCのパネルディスカッションで、タリバン首長による残虐行為を列挙するアフガニスタン人パネリストの話に耳を貸すどころか、彼女は、「私が知っているムスリムの人は一人残らず・・・(タリバン復帰を)祝って」おり、タリバンにはチャンスを与えるべきだと強く主張した。コーラにとって、イスラム過激主義集団が国際包囲網をやっつけることのほうが、この過激主義集団の支配下にあるアフガニスタンの女性たちに共感を示すことよりも重要なのだ。彼女の発言は、イスラム神学者やアフガニスタン人コミュニティーの間で大きな反発を引き起こした。
言うまでもないことだが、こういったナラティブだけでなく、それを宣伝してタリバンを正当化しようとする人々にも警戒を怠らないようにしなければならない。自民族中心主義者やイスラム原理主義者のナラティブを受け入れることは、ひいては、宗教的過激主義、テロリズム、ジェンダー・アパルトヘイト、宗教的・民族的マイノリティーの迫害、人権の侵害、そして同じ人間の痛みや苦しみに対する完全な無視を容認することであると心に留めて欲しい。人権や社会正義を踏みにじる者の正当化を支持することは、論理的に人権擁護、包摂、平和醸成を訴えることの対極にある。しかし、オリエンタリストたちは対極性を気にしないどころか、それを糧としている。これについてはパートIIで論じる。
バシール・モバシェル博士は、アメリカン大学(ワシントンDC)の博士号取得後研究者。アフガニスタン・アメリカン大学非常勤講師のほか、EBS Universitätでも教鞭を執る。アフガニスタン法律・政治学協会の暫定会長を務め、アフガニスタンの女子学生に向けたオンライン教育プログラムを進めている。憲法設計と分断した社会におけるアイデンティティー・ポリティクスの専門家。カブール大学法律・政治学部を卒業(2007年)後、ワシントン大学より法学修士号(2010年)、博士号(2017年)を取得。
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最大の課題に取り組むカギを握る市民の関与
【カトマンズ(ネパール)IDN=シモネ・ガリンベルティ】
人類が直面する最も困難な課題に立ち向かうための最良の手段のひとつが、過小評価されたままであることに、どれほど驚かされることか。
私が言っているのは、対処を迫られている最も困難で緊急な問題に取り組む上で、市民参加が果たすべき役割についてである。 気候変動から社会の二極化まで、私たちはまさに岐路に立たされている。
地域社会の行動を通じて人々をひとつにすることは、私たちの地球、私たちの文明が、この先何十年、何百年と存続し、繁栄していくための最良の対策となりうる。
あまりに悲観的に聞こえるかもしれないが、これは私の本意ではない。その代わりに私が意図しているのは、世界の政治指導者たちと市民社会のメンバーが、「南」の開発途上国でも「北」の先進国でも、市民活動への投資がいかに不可欠であるかを理解するための警告としてこれを発しているのである。
しかし残念なことに、その重要性が理解されているとは言いがたい。
今年9月にニューヨークで開かれたSDGサミットはそのことを無視した。これはきわめて残念なことだ。なぜなら、市民の関与、それに関連して、活動の最も目に付く形態である市民のボランティア活動が、SDGを実行し、さらに重要なことには、それを地域に根付かせるうえで、最強のツールとなるからだ。
こうした無視はなぜ起こってしまったのだろう。おそらく、ボランティア活動があまりに当たり前のものと受け取られ、(あやまって)コストのかからないものとみなされ、その理念が実際には促進されていないからなのだろう。
おそらく、これはブランディングとマーケティングの問題でもあるのだろう。
ボランティア活動
ボランティア活動という言葉自体、発音しにくいし、人々、特に若者の間で「売り込む」のはさらに難しい。要するに、市民参加やボランティア活動が認知され、重要視されるのを妨げている要因が重なっているのだ。
このような 「衰退」 の最も深刻な帰結は、ボランティア活動が政策立案者にとっての優先事項とは程遠いことである。なんということか!
おそらく、この問題に世界的な注目を集めるための世界的に著名な人物が必要なのだろう。
この大義を受け入れる準備ができている現職の政府首脳はいるのだろうか?現役や引退したスポーツ界のスターはどうだろう?市民参加を再び活性化させる世界的なキャンペーンに、社会のあらゆる階層の元リーダーたちが参加したらどうだろう?
市民の関与の重要性が理解されれば、変革の主体について語ることができるようになる。
例えば、世界の相当数の若者たちが私たちの生活や消費のやり方を大きく変えようとしているが、あまりに多くの人々がそれを座視している。
積極行動主義(アクティビズム)
ボランティア活動を実践する方法であるアクティビズムは、あまりにも「急進的」であり、一般の人々が一歩踏み込んで役割を果たすことを要求していると見なされがちだ。
これは、ボランティア活動がどのようにして具体的な形を成すのかについて広範な誤解があるためだろう。実際は、それを実践し経験する唯一の方法などないのだが。
人間には多くの可能性と選択肢があり、その中の一部には自分に向いたものもある。しかし、このトピックに関しては、多くの混乱と無視があり、あるいは単にそこから目を背けようとする態度もある。
市民の関与とボランティア活動に関する誤解を解く努力が極めて重要なのはそのためだ。この数か月間、国際ボランティア協会(IAVE)はこの点で有益な貢献を成してきた。
「若者のボランティア活動と社会変革:課題と可能性」と題し、最近終了した連続ウェビナーは、若者の間でボランティア活動を強化する実践的な方法について議論する貴重な場となった。
このワークショップで得られた大きな成果の一つは、若者の人格的・職業的成長を促すリーダーシップのツールの一つとして、ボランティア活動の力を借りる重要性が示されたことだ。
このプロセスを促進する方法は、模範を示すことである。しかし、ボランティア活動を推進する世界的な組織は、若者を参加させてはいるが、形だけであることが少なくない。
市民の関与
ボランティア活動的な政策を背景とした意思決定における意味ある経験を若者たちに与えることが優先されるべきだ。そうすべき理由はきわめて単純明快だ。
広範な包括的概念としての市民参加と、先に述べたように、奉仕のさまざまな様式を展開する緩やかな概念としてのボランティア活動は、実際、行動を起こし、選択する力と関連づけられるべきである。
ボランティア活動は、ホームレスの世話をしたり、科学的根拠に基づく植樹を通じて地域の生物多様性を保全したりと、満たされない緊急事態に対応する現場での直接的な行動となり得る。
しかし、地方自治体に時間やエネルギー、ノウハウを与えて、社会的包摂や貧困撲滅、持続可能性の促進を図らせる手段でもある。
私たちは、SDGsを含むアジェンダ2030が、地域から始まる市民行動によって支援され、後押しされることを知っている。ある意味、社会レベルでの市民の関与は、その多様性において、意思決定のあり方に革命をもたらす直接的な道筋となりうる。
とりわけ、地方議会での予算決定において市民に力を与えることが念頭にある。
2020年、国連ボランティア計画(UNV)は、ボランティア活動を世界的な議論の中心に据えることで、ボランティア活動を再構築し、再始動させるための大規模な世界的活動を行った。いわゆるグローバル・テクニカル・ミーティング(GTM)は、ボランティア活動の力を活用するためにどうすればもっとうまくいくかを考え、考察するユニークな場を提供した。
この事業から生まれた「行動への呼びかけ」は、ボランティア活動を次のレベルに引き上げるための新しいアイデアや解決策を真に「加速」させる希望と約束を提供した。
残念なことに、GTMで沸き起こった盛り上がりから3年経った今も、大したことは起こっていない。ボランティア活動は、グローバル・アジェンダの形成という点で、あるべき姿にはまだほど遠い。
私たちの共通の課題
グローバルな多国間制度を再び強化しようとする国連のアントニオ・グテーレス事務総長の取り組みは希望をもたらすかもしれない。事務総長が世界ビジョン実現に向けた議論に道を開くために作成した『私たち共通の課題(Our Common Agenda)』は、意思決定における若者の意味ある参加に焦点を当てている。
そこには、政府に対して「地方、国、地域、そして世界レベルで、意思決定への有意義な若者の参画に強くコミットし、基本原則に基づく有意義な若者の参画のための世界基準を承認する」ことも求めている。
2024年に開かれる「未来サミット」はこの改革の帰結とみなされるか、また、市民の関与とボランティア活動の役割と貢献を認知する大胆な方策を取れるだろうか、とグテーレス事務総長は疑問を呈している。
今週、市民セクターの主要な組織を代表する政策主唱団体であるIAVEとフォーラムIDSが新たな政策報告書を発表した。
報告書は、今月後半にクアラルンプールで開催予定の「国際ボランティア協力機構(IVCO)フォーラム」での議論に供するために、挑戦的な枠組みを提示している。
『変革主体としてのボランティア新世代』と適切にも題されたこの報告書は、ボランティア活動のもつ変革の力をめぐって議論を展開することの価値を高めている。
この本の著者が答えようとしている重要な問いの一つは、「若者のボランティア活動を促進するためには、どのような環境を整えればよいのだろうか?」というものだ。
この答えは、クアラルンプールでのわずか数日の議論で見つかるものでもないし、市民活動に関与し情熱を傾けている私のような「いつもの連中」の議論だけで見つかるものでもない。
そしてこれこそが真の難題なのだ。いかにして「パイ」を拡大し、市民の関与が社会で果たす役割について関心を持たない人びとをどうやって巻き込むのか、ということだ。
市民の関与をグローバルな論議の中心にまで持っていこうとするならば、ひとつの絶対的に重要な問題がある。すなわち、力を行使することのできる人々に接近するということだ。政策決定者と政治家は、あらたな市民ルネッサンスのエンジンとしての市民参画を促進する真にグローバルな取り組みの焦点とならねばならない。(原文へ)
※著者は「エンゲージ」「よいリーダーシップ、あなたと社会にいいこと」の共同創設者。
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毎年数百万人もの人々が飢える一方で、数億トンの食品が捨てられている。
核外交の歴史における画期、アイゼンハワー大統領の「平和のための原子力」演説から70年
【リオデジャネイロIDN=レオナム・ドスサントス・ギマラエス】
1953年12月8日、米国のドワイト・D・アイゼンハワー大統領が、後世に語り継がれることになる演説を国連総会で行った。この「平和のための原子力」演説は、原子力とその応用に対する世界の見方を決定的に変えた。アイゼンハワーは演説で原子力の平和利用へのビジョンと、原子力国際協力の促進について述べたのである。2023年、核科学の力を人類の利益のために利用する必要性を強調したこの象徴的な演説から70年を迎える。
この演説の歴史的な文脈は決定的だ。米国は第二次世界大戦末期に広島・長崎に原爆を投下し、核時代の始まりを画した。世界は原子力に伴う危険を明確に意識し、冷戦は激しくなっていた。核兵器は力の象徴となり、人類生存への脅威となっていた。欧州をナチスドイツから解放する作戦で連合国軍を指揮した第二次世界大戦期の著名な将軍であったアイゼンハワーは、原子力の破壊力について理解していたが、それが民生にもたらしうる潜在的力を見据えてもいた。彼の演説は、原子力の平和利用へのコミットメントを強調することで歴史の道筋を変えようとする試みであった。
「平和のための原子力」演説の中心的な考え方は、核に関する知識と技術を、それが非軍事的な目的である限りにおいて、他国と共有するというものだ。アイゼンハワーは、単に脅威としてだけではなく、世界を利する機会を与えるものとして、原子力の潜在能力を捉えていた。
アイゼンハワーはこの演説で、原子力が善への力となるような世界のビジョンを示した。原子力技術の平和利用を管理し、国際協力を推進する機関の創設を提案した。そして、諸国の経済的な発展と福祉を促進し、人類にあまねく進歩をもたらすために、核をめぐる知識が共有されねばならないことを強調した。
アイゼンハワーの演説はまた、核軍縮の重要性と核兵器拡散を制御する必要についても述べていた。核エネルギーが平和目的にのみ使用されるようにする取り組みに加わるように諸国に求め、これは10年少し経ってから核不拡散条約(NPT)の成立につながった。
アイゼンハワーの演説は1957年の国際原子力機関(IAEA)創設につながった。原子力の平和利用を促進し、それが軍事目的に使われないように監視する役割を与えられた機関である。IAEAはそれ以来、世界各地での核活動を監視・規制する上で重要な役割を果たし、NPT締約国の公約を検証することで核兵器の拡散を予防することに貢献してきた。
「平和のための原子力」演説から70年を迎える中、この70年における原子力の平和的応用の長足の進歩に着目することが重要だ。「原子力の平和利用」概念は、大気中に有害なガスを発生することなく、医療や産業、農業、クリーン発電、さらには、淡水化や現在「ブルー」を呼ばれる水素などのさまざまな生産プロセスにおける熱利用のための原子力利用に光を当てた。これは、現在のエネルギー移行や気候変動の緩和に決定的な意味を持つ。
原子力の応用は、例えば癌の放射線治療のような先進的な医療技術の発展につながったり、様々な疾病の診断や治療のための放射性同位体の生産を可能にしたりしてきた。食物への放射線照射技術は、食品物流網における損失を大幅に減らしてきた。これらの技術は、医療・手術用機材の殺菌や、美術品の保存にすら応用されてきた。
さらに、核エネルギーは多くの国で主要な電源となり、フランスやスロバキア、ウクライナのような国々では50%以上の電力を生産し、エネルギー源の多様化とエネルギー安全保障に寄与している。
小型モジュール炉(SMR)は、鉄鋼やアルミニウム、セメントなどの産業のための直接的な熱利用や、合成燃料の生産など、発電以外の利用と組み合わせたコジェネレーションへの道を開いた。さらに、海洋(海底への固定式、あるいは浮遊式)や宇宙空間(ロケット推進燃料や発電)といった遠隔地での発電ユニットとしても利用可能だ。
また、宇宙船に搭載したり、月や火星のような地球に近い天体に固定することもできる。加えて、非炭素型発電を伴ったデータセンターを必要とするデジタル化や人工知能の発展を加速させ、途中で阻害されることなくきわめて高い信頼性と継続性をもった電力使用が可能となっている。
アイゼンハワー演説70年を迎えたいま、彼の遺産と、それ以降にみられた進歩を振り返ることが重要だ。IAEAは、世界各地で核活動を監視する重要な役割を果たし続け、原子力安全と国際協力を促進している。核エネルギーの平和的応用は、生活の質を向上させ、科学の発展を促進することで、人類に利益を与え続けている。
しかし、核エネルギーの利用に伴う難題を忘れてはならない。原子力安全や放射性廃棄物管理の問題、核兵器の拡散は、依然として世界の重要問題だ。国際協力の必要性と核技術の責任ある応用を頭に置いておかねばならない。
アイゼンハワー大統領の1953年の演説は、我々の未来を形作る科学技術の力について強力な警告を与えたものだ。彼は我々に対して、核エネルギーを責任をもって利用し、核兵器の脅威をもって特徴づけられる世界において平和を求めることを促している。今日、我々はこのビジョンを尊重し、人類全体の利益のために核エネルギーの平和利用を促進するとの約束を再確認する。
70周年にあたって、我々は「平和のための原子力」演説の遺産をあらためて振り返り、核エネルギー平和利用へのコミットメントを再確認しなくてはならない。アイゼンハワー大統領の演説は、核エネルギーがエネルギー移行における役割を拡大しつづける中で、平和や安全、協力を促進するインスピレーションを与え続けている。
究極的には、アイゼンハワーの「平和のための原子力」は、責任と国際協力という原則にコミットして初めて、科学技術を人類の福祉のために利用しうることを思い起こさせる。この演説は、核外交の歴史における重要な画期でありつづけ、核をめぐる知識を平和と開発のために利用して、国連の持続可能な開発目標(SDGs)を達成することの重要性を指し示していると言えよう。(原文へ)
※著者は、ブラジル工学学士院の会員(原子力・海軍工学)であり、ブラジル海軍の原子力推進プログラムで「エレトロニュークリアSA」社の社長を務める。
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核兵器よりも平和を選ぶバングラデシュ
|視点|壊滅的な軍拡競争が依然猛威を振るう(ソマール・ウィジャヤダサ国際弁護士)
戦争と核兵器: 本末転倒の論理
意図的であれ、事故であれ、核攻撃は絶対にあってはならない(寺崎広嗣創価学会インタナショナル平和運動総局長インタビユー)
【国連INPS Japan/IDN=タリフ・ディーン】
世界の核保有国のうちの2つ、ロシアとイスラエルが2つの壊滅的な紛争に巻き込まれている今、両国を覆う軍事的緊張が、意図的あるいは偶然的に核攻撃を引き起こすのではないかという懸念が残る。
「それこそ、あってはならないシナリオです。」と警告するのは、創価学会インタナショナル(SGI)の寺崎広嗣平和運動総局長だ。SGIは、平和・文化・教育を促進する1200万人の仏教徒の多様なコミュニティーであり、国際連合の諮問資格を有するNGOである。
IDNとのインタビューの中で、寺崎総局長は、国連、国際機関、市民社会といったすべての関係者が、このようなことが決して現実にならないよう、多くの努力を払ってきたし、これからもそうしていかなければならない、と語った。
「いうまでもなく、それぞれの危機の背景や状況は異なり、一概に論ずることはできませんし、核兵器をめぐる言説は慎重かつ自制的であるべきでしょう。」と指摘した。
インタビューの全文は以下のとおり。
IDN:世界の核保有国の2つ、ロシアとイスラエルが、ウクライナとハマスという隣国と戦争状態にある。両国を覆う軍事的緊張が、ある段階で核攻撃を引き起こす可能性はあるのだろうか?
寺崎:それこそ、あってはならないシナリオです。絶対にそうならないために、関係者も、国連も、諸々の国際機関も、市民社会も、多くの努力を尽くしてきたし、今後もそれを続けなければなりません。
いうまでもなく、それぞれの危機の背景や状況は異なり、一概に論ずることはできませんし、核兵器をめぐる言説は慎重かつ自制的であるべきでしょう。
イスラエルは事実上の核兵器保有国といわれますが、その保有を宣言してはいません。先日も、同国の閣僚が核兵器について発言し、それに対してネタニヤフ首相が、現実からかけ離れていると述べ、その閣僚を当面、閣議に出席させないこととしたと報じられています。
ガザ地区をめぐる軍事衝突においては、すでにあまりにも多くの一般市民の命が犠牲になり、街は破壊され、日常生活は蹂躙されてしまいました。憎悪が憎悪を呼び、分断が深まっており、日々、深く憂慮しています。これ以上の悲劇を生まないよう、まず戦闘の人道的一時停止、人道・救命支援を強く求めます。
また、ウクライナ危機においては度重なる核兵器使用の威嚇がなされ、今年のG7広島サミットに先立ち池田大作SGI会長は、リスク低減のために、核兵器国が核兵器の先制不使用を誓約することで、各国が安全保障を巡る“厳しい現実”から同時に脱するための土台にすることができると訴えました。SGIは、これをテーマにしたサイドイベントを、NPT再検討会議第1回準備委員会においても他団体と共同で行いました。しかし、残念なことに、その後も、核軍縮のための国際規範がさらに崩される事態に直面しています。
人類は、破滅に向かう深淵を、まざまざと見ている。だからこそ、選択すべき未来へ、正しい一歩を踏み出し、持続可能な世界を築いていかねばなりません。
私たちは常に被爆の実相を想起し、グローバル・ヒバクシャの声を心に留め、核兵器がいかに非人道的で壊滅的な結末をもたらすかを直視しながら、危機に対処すべきでしょう。
私たちは、ラッセル・アインシュタイン宣言を今一度、心に刻みたい。「私たちは人類の一員として、同じ人類に対して訴えます。あなたが人間であること、それだけを心に留めて、他のことは忘れてください。それができれば、新たな楽園へと向かう道が開かれます。もしそれができなければ、あなたがたの前途にあるのは、全世界的な死の危険です」
国連は平和の担い手か?
IDN:ご存知のように、国連は主に、一方では中国とロシア、他方ではアメリカ、イギリス、フランスなどの西側諸国が新たな冷戦を繰り広げているため、この2つの紛争に決着をつけることに失敗している。その結果、国連も安全保障理事会も麻痺したままになっている。平和の担い手としての国連にまだ期待していますか?
寺崎:おっしゃる現状認識や懸念は、よくわかります。ただ私は、かつての東西冷戦のような二項対立というよりも、現在の世界は多極化しており、それぞれの国の思惑や立場が違うことも感じています。
2年前にグテーレス国連事務総長が発表した『私たちの共通の課題(Our Common Agenda)』においても、マルチラテラリズム(多国間主義)の再活性化が取り上げられ、グローバルな連帯の再構築、政府と市民社会の協働が強調されています。ことしの国連総会に際して事務総長は「深い分断は存在していますが、私たちは前進を遂げています」と語り、来年の未来サミットに向け取り組みを強化していくと述べました。
主要国間の対立は深刻ですが、グローバルサウスや新興国の存在感も重みを増す中、多国間の対話の回路を確保することが、いやまして求められます。一方で、先住民や脆弱な立場の人々、周縁化された人や難民・避難民にも、もっと光を当てなければなりません。
要するに、多国間の合意形成の場として、国連は、より強化され、より活性化されなければなりません。そのためには、女性や青年、また市民社会による意思決定の過程への関与を高め、市民社会の声が届く国連、市民社会が支える国連になっていくことが、変革への推進力になるのではないでしょうか。
もとより、国連には安全保障理事会の機能不全など積年の課題があり、不断の改革が必要であることは事実です。そのうえで、世界の各地でさまざまな脅威に苦しむ人々がいる限り、国連が掲げた”言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救う”(国連憲章前文)との崇高な使命は変わらないでしょう。
193カ国が加盟する最も普遍的な機関である国連を除いて、国際協力の礎となり、その活動に正当性を与えられる存在を他に求めることは、事実上、困難ではないでしょうか。
冷戦の影響
IDN:新たな冷戦は、遅かれ早かれ、国連の主要な役割である長年の核軍縮運動にも悪影響を及ぼすのでしょうか?
寺崎:現在の世界における対立を、新冷戦という言葉で定義すべきか否かは別として、混迷の度を増すそうした対立が、国連が進めるべき核軍縮に大きな悪影響をもたらしていることは、明らかです。
昨年の核兵器不拡散条約(NPT)再検討会議では最終文書が採択できず、次の2026年の再検討会議に向けた、ことし7−8月の第1回準備委員会では、議長総括が公式記録として残らない異例の事態となりました。加えて、この11月頭にロシアが包括的核実験禁止条約(CTBT)の批准撤回を決定したことは、まさに核軍縮に逆行するものです。それだけに、11月末から12月にかけて行われる核兵器禁止条約(TPNW)の第2回締約国会議は核軍縮への流れを強める、極めて重要な機会といえましょう。
逆説的にいえば、核兵器の威嚇と核使用の恐れが一向に消えることのない危機が、かつてないほど長期化しているからこそ、核軍拡の流れを核軍縮へともどし、核廃絶へ向かうための、歴史の転換点にしていかなければなりません。
https://www.youtube.com/watch?v=GNh1ceijtig
核兵器禁止条約の前文には、「核兵器の使用の被害者(ヒバクシャ)及び核兵器の実験により影響を受ける者にもたらされる容認し難い苦しみと害に留意し」と明確に刻まれています。
私たちSGIは、ことし、G7広島サミットで首脳たちに直接、被爆の実相を語った小倉桂子さんの英語による被爆証言を収録・公開し、青年世代をはじめ世界に伝えました。
「原爆のキノコ雲の下では、誰一人、生き延びることはできない」(Under the mushroom cloud, nobody could...