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|カメルーン|腐敗した政権に立ち向かう精力的なカトリック教会(ヴィクトル・ガエタン ナショナル・カトリック・レジスター紙シニア国際特派員)
分析:中央アフリカの教会指導者たちは、国の生活水準を損なってきた深刻な汚職体質を公然と批判している。
【National Catholic Register/INPS Japanドゥアラ(カメルーン)=ヴィクトル・ガエタン】
豊かな資源を持ちながら、数十年にわたる政治の腐敗と不正管理によって貧困に陥ったカメルーンは、10月12日に大統領選挙を控えている。この国では、カトリック教会の指導者たちが、現体制に対する強力な批判者として台頭している。
92歳の現職大統領ポール・ビヤ氏は、中央アフリカの人口3,000万人の国で再選を目指している。国民の中央値年齢は19歳。ビヤ氏自身もカトリック信徒で、カテキスタ(教理教師)だった父を持つ。1975年に首相に就任して以来、すでに半世紀。1982年に大統領となってから今日まで、その座を保っている。もし国が良く統治されていれば問題はないだろう。だが、現実はそうではない。
カメルーン司教協議会(NECC)は1月、36人全司教の連名で公開書簡を発表し、「蔓延する汚職と公金横領が国家全体の生活水準を破壊している」と強く非難した。
しかし筆者が最大都市ドゥアラ(中央アフリカ最大の港湾都市)で目にしたのは、驚くほど活気に満ちた信仰共同体であった。預言者的リーダーシップ、活気ある小教区、そして多様なカトリックの霊性が息づいていた。
真実を語る教会
国際統計によれば、この20年間でカメルーンの経済成長は停滞しており、2022年時点で国民の4割が極度の貧困状態にあった。
「ヨハネ・パウロ2世(1985年、1995年)も、ベネディクト16世(2009年)も、安定した国としてカメルーンを訪問した。中央アフリカの中で、カメルーン教会は特に信仰が活発な国として重要な位置を占めています。」と、ドゥアラ大司教サミュエル・クレダ氏は語る。大統領ビヤ氏がカトリック信徒であることも、この関係性に影響を与えてきた。
だが、同国は本来持つ豊富な天然資源や人的資源を国民の幸福に結びつけることができていない。
クレダ大司教はフランス語でこう説明する。「我々は政府の統計―失業率、道路の荒廃、電力や飲料水の不足―をもとに現実を語っています。政府自身も国の悲惨な状況を理解しているはずです。それでも彼らは変わろうとしません。権力を失うのを恐れているのです。それこそが問題なのです。」
12人の候補者がビヤ大統領に挑む構図だが、全国的な知名度や組織力を持つ対抗馬は見当たらない。そこで教会が「空白」を埋める形となっている。
NECCは特定候補を支持することは避けたが、異例の試みとして「理想的な大統領像」を公表した―国民と向き合い、国を回り、正義と公益に献身する人物像である。クレダ大司教自身も8月に牧会書簡を出し、現体制への批判を表明した。
「私たちは権力に警鐘を鳴らし、良心に立ち返るよう呼びかけています。キリスト教的な意味で“回心”し、民のために奉仕してほしいのです。」と大司教は語る。
政権にこれほど公然と挑戦することは危険ではないのか?という問いに対し、66歳のクレダ大司教は静かに答えた。「叙階の日、私は殉教の覚悟を受け入れました。だから真実を語らなければなりません。イエスが当時の不正にどう向き合ったか―それが、私が今この国の不正に対して行動する理由です。私はイエス・キリストに従う者だからです。」
生きた信仰共同体
クレダ大司教は毎週日曜日、管轄する88の小教区のうちいずれかを訪問している。9月28日の目的地は「サン・マルク教会」2009年に彼が大司教に就任して以来、信徒数は倍増した。これまでに46の新しい教会とカトリック・セントジェローム大学を設立している。
到着すると、身長2メートル近い大司教を迎えたのは、踊り、香、赤ん坊、神学生、祝福と歌の渦だった。円形の礼拝堂とバルコニーには1,000人を超える信徒が集まり、ミサとともに90人の若者と成人が初聖体・堅信の秘跡を受けた。
説教では、ルカ福音書の「金持ちとラザロのたとえ」を取り上げ、こう語った。「富める者は心を閉ざしてしまう―富が現実を見えなくしてしまうのです。これが、今日のカメルーンの姿なのです。」
賛美歌はフランス語、英語、現地語、ラテン語で歌われ、太鼓、木琴、ひょうたんのシェーカーが加わり、喜びに満ちた礼拝となった。
ミサ後、信徒たちは感謝の意を込めて食料を奉納した。米袋、油缶、パイナップルの皿、青々としたバナナの房、鶏、4頭のヤギ、そして巨大な豚までが、祭壇前に捧げられた。
これらの物資は後に大司教区を通じて神学生や高齢者、貧困家庭に分配されるという。信頼できる指導者のもとで、共同体が富を分かち合う仕組みが実に見事に機能している。
さらにクレダ大司教は「薬草園」プロジェクトを推進し、そこではダチョウ、アヒル、ニワトリ、クジャクなどが薬効植物とともに育てられている。COVID-19が蔓延した際には、彼が開発した天然薬が注目を集めた。
多様なカリスマ
ドゥアラ滞在中、筆者は多くの修道者、宣教師、そして献身的な信徒たち、若者グループに出会った。
アウグスチノ修道女のオノリーヌ修道女(36歳)は、子どもたちのカテキズム(教理教育)を担当していた。「教皇がアウグスチノ会出身であることを、心から喜んでいます!」と微笑む。彼女の共同体にはコンゴ民主共和国出身の修道女もおり、カトリック初等学校の教育にあたっている。
少女たちは青いベール姿で「マリアの少年団(Cadets of Mary)」として活動し、「週末ごとにロザリオを祈っています。マリア様の足跡をたどりたいのです」と15歳のパトリシアさんは話す。
街の反対側では、聖霊修道会(スピリタン会)の修道士たちが礼拝堂とゲストハウスを運営している。彼らは1930年代からこの地で布教を始め、1932~1955年にかけて初代・二代の使徒代理を務めた。
アフリカのキリスト教
カメルーンは、かつてドイツ・フランス・英国の植民地支配を受けた。その遺産は現在も「英語圏危機」として、英語圏北西・南西州とフランス語圏中央政府の武力衝突に影を落としている。
ドゥアラ大司教区の事務局長セルジュ・エボア神父は、「信仰は植民地主義とは異なる」と語る。「アフリカの人々は、布教以前からすでに“信仰の民”でした。司祭や司教は、すでに信仰を持つ人々にカトリックの次元を加えただけなのです。だからこそ、福音の重要性をすぐに理解できた。アフリカの伝統宗教とカトリックは調和するのです。」
「カトリックの教育と価値観は、社会を健全に変革する力を持っています。平日の昼のミサでも大聖堂は満席です。人々は教会の意義を理解しているのです。」
しかし、彼は警鐘を鳴らす。「伝統宗教は少しずつ姿を消しています。一方、西欧からは“脱キリスト教化”の波がやって来ています。」米国などから来た知識人の中には、「キリスト教が先住の信仰を奪った」として排除を主張する者もいるという。「だが、それは誤った考えです。イエス・キリストは私たちの人生に不可欠な存在です。もし教会が失われれば、世界は永遠の闇に沈むでしょう。」とエボア神父は断言した。
選挙を前に
10月7日、ビヤ大統領は選挙運動の初の公開集会を北部で行った。同地域は有権者の2割が住み、イスラム教徒が多数を占める。現在支持を伸ばしている主要2候補も、この地域出身のムスリムで、いずれも元政府閣僚だ。
クレダ大司教はこう語る。「教会としての願いは、不正のない、透明な選挙が行われることです。私たちの祈りは平和のためにあります。」
そして静かに付け加えた。「私たちは、もっと良い未来を願っています――本当に、もっと良い未来を。」(原文へ)
ビクトル・ガエタンは、国際問題を専門とするナショナル・カトリック・レジスターの上級特派員であり、バチカン通信、フォーリン・アフェアーズ誌、アメリカン・スペクテーター誌、ワシントン・エグザミナー誌にも執筆している。北米カトリック・プレス協会は、過去5年間で彼の記事に個人優秀賞を含む4つの最優秀賞を授与している。ガエタン氏はパリのソルボンヌ大学でオスマントルコ帝国とビザンチン帝国研究の学士号を取得し、フレッチャー・スクール・オブ・ロー・アンド・ディプロマシーで修士号を取得、タフツ大学で文学におけるイデオロギーの博士号を取得している。彼の著書『神の外交官:教皇フランシスコ、バチカン外交、そしてアメリカのハルマゲドン』は2021年7月にロウマン&リトルフィールド社から出版された。2024年4月、本記事の研究のためガエタン氏が初来日した際にINPS Japanの浅霧理事長が東京、長崎、京都に同行。INPS Japanではナショナル・カトリック・レジスター紙の許可を得て日本語版の配信を担当した(With permission...
東京で沈黙を破る―ドキュメンタリー『ジャラ』を通して核の傷と向き合うカザフ人映画監督
【東京INPS Japan=浅霧勝浩】
東京・戸田記念国際平和会館の上映室が静まり返る中、カザフスタンの映画監督で人権擁護活動家のエイゲリム・シチェノヴァ氏が黒いTシャツと緑のスカート姿で壇上に立ち、31分のドキュメンタリー作品『ジャラ ― 放射能の下の家父長制:カザフスタンの女性たち』を紹介した。この上映会は、「カザフ核フロントライン連合(ASQAQQNFC)」、創価学会平和委員会、ピースポートが共催、核兵器をなくす日本キャンペーンが後援して開催された。
この会館自体が、日本の平和運動の象徴的な存在である。ここは仏教団体・創価学会の戸田城聖第2代会長の名を冠している。1957年、戸田会長は5万人の青年の前で「原水爆禁止宣言」を発表し、以後、創価学会の平和・軍縮運動の道徳的支柱となった。|ENGLISH|ARABIC|HINDI|
女性たちの声を取り戻すために
「この映画は、長く沈黙を強いられてきた女性たちの声を可視化するために作りました。彼女たちは被害者ではなく、語り手であり、変革者です。」とシチェノヴァ氏は、外交官、記者、学生、平和活動家らが集う会場で語った。
『ジャラ(カザフ語で傷という意味)』というタイトルの通り、この映画は、ソ連時代の1949年から1989年の間に456回の核実験が行われたセミパラチンスク(現セメイ)の女性たちの物語を描く。
従来の作品が核実験の肉体的被害を映し出してきたのに対し、映画『ジャラ』は、見えない世代間の傷―烙印、心の痛み、そして母になることへの恐怖―を静かに問いかけている。
「多くの映画がセメイを“地球上で最も被爆した場所”として描いてきました。私は恐怖ではなく、レジリエンス(困難を乗り越える力)を描きたかった。自分たちの声で、自分たちの物語を取り戻すために。」と彼女は言う。
https://www.youtube.com/watch?v=dGY5aHjiyTc
沈黙を破るということ
シチェノヴァ氏にとって、この問題は屈辱的な経験から始まった。
カザフスタン最大の都市アルマトイの大学に入学した際、自己紹介で「セメイ出身」と言うと、同級生に「尻尾があるのか」とからかわれたという。
「その瞬間が今でも忘れられません。核兵器の被害は肉体的なものにとどまらず、偏見や沈黙という形でも今も生き続けているのだと痛感しました。」
この体験が、沈黙を破る映画を制作する原動力となった。
家父長制と核権力構造
映画『ジャラ』に登場する女性たちは、無力な被害者ではなく、地域社会で、差別や沈黙の文化に立ち向かう主体的な存在として描かれている。
「軍事化した社会では、核兵器は他を支配する力の象徴とされます。一方、平和や協調は“弱さ”、つまり“女性的”と見なされます。そうした思考こそ、私たちが変えていかなければならないのです。」とシチェノヴァ氏は語る。
彼女のフェミニズム的視点は、核兵器と家父長制の共通構造―支配と他者への力の行使―を結びつけて分析している。
カザフのステップから世界へ――連帯の旅路
放射線被曝の影響を受けた家系の三世代目として生まれたシチェノヴァ氏は、沈黙の中で耐え続けてきた人々の姿こそ、自らの活動の原点だという。
https://www.youtube.com/watch?v=yU_BqiynALs
2018年には、カザフ政府主催の「Youth for CTBTO/GEM国際青年会議」に参加。核保有国・非保有国・核依存国の若者たちとともに、専門家らと夜行列車でカザフスタンの首都アスタナからクルチャトフへ向かい、旧核実験場を視察した。(左のドキュメンタリー参照)
「初めて、(悲劇や試練を含む)自分たち民族の歴史を形作ってきた不毛の大地を目の当たりにしました。」と振り返る。
数年後、映画『ジャラ』の撮影で再びセミパラチンスク旧核実験場の爆心地に立ったとき、それは彼女にとって、沈黙を抱えた記憶への静かな抵抗でもあった。
彼女は、トグジャン・カッセノワの『Atomic Steppe』や、レイ・アチソンの『Banning the Bomb,...
太平洋平和度指数は必要か?
この記事は、戸田記念国際平和研究所が配信したもので、同研究所の許可を得て転載しています。
【Global Outlook=アンナ・ナウパ】
世界的に見て、平和度の平均レベルは0.36%の悪化を示している。地政学的緊張、紛争の増加、経済の不確実性の増大を背景に軍事化を強化する国が増えているためだ。
しかし、この統計には太平洋島嶼国の大部分が含まれていない。2025年の世界平和度指数(GPI)のランキングに含まれているのは、わずか3カ国である。163カ国のうちニュージーランドが3位、オーストラリアが18位、そしてパプアニューギニアが116位である。(日・英)
「平和の海(Ocean of Peace)」構想をめぐる地域対話が進むにつれ、2025年7月の太平洋地域・国家安全保障会議でソロモン諸島のトランスフォーム・アコラウ教授が提案したように、太平洋地域に特化した太平洋平和度指数があれば、太平洋諸島フォーラム加盟国の間で発展的な政治的対話を行うもう一つの道ができるだろう。
では、太平洋における平和とはどのように定義されるだろうか? 太平洋独自の平和度の尺度は、地域の平和と安全保障を守る既存の取り組みをどのように補完し得るだろうか?
太平洋の平和とは何か?
平和とは、単に紛争や暴力がないことではなく、人々が恐怖を抱くことなく充実した健康的で豊かな生活を送ることを可能にする地球規模の公共財である。
「平和は人々に奉仕しなければならない。地域のエリートではなく、地政学ではなく、遠く離れた利害のためではない」と、アコラウ教授は述べ、太平洋の平和というビジョンを明確に示した。またフィジーのシャミマ・アリ氏は、平和は太平洋地域全体、特に女性と脆弱な人々の安全とウェルビーイングに影響を及ぼすより広範な要因にも取り組まなければならないと指摘する。
平和と開発は、同じコインの裏と表である。「ブルーパシフィック大陸のための太平洋2050年戦略」は、太平洋の人々にとって自由で健康的で生産的な生活を実現するための重要な要素として、調和、安全保障、社会的包摂、繁栄とともに平和を挙げている。従って、太平洋の平和を実現するためには、ウェルビーイングを確保し、人々と地域・環境を保護し、現在および将来世代のために未来を担保する必要がある。そして、未来を担保するには、気候変動に立ち向かうための行動と主権の保護が必要である。
世界的指数は、太平洋諸島のデータの欠落、一方的な開発方針、指標のバイアスについてさまざまに批判されており、状況が十分に反映されていない手法であったり、あるいは太平洋のデータセット、指数を作成するために多大なリソースが必要であったとしても、こうした指標は、有益な情報を政策決定者に提供すると考えられる。
太平洋平和度指数は何を測定するか?
太平洋地域における平和度を測定し観測する出発点として、国連持続可能な開発目標16(「平和目標」)に対する各国の既存の取り組みが挙げられる。
「持続可能な開発のための太平洋ロードマップ」では、暴力の経験、司法アクセス、市民登録と法的アイデンティティー、公共支出の透明性、情報へのアクセスと意思決定過程への参加に関する見解などを、地域レベルの報告用に、八つのSDG16指標に反映させている。
2022年、太平洋諸島フォーラム事務局長が主導した地域モニタリング報告書において、SDG16に関する利用可能なデータが乏しいために太平洋地域の進捗状況を測定することが困難になっていることが明らかになった。これはおおむね世界的傾向を反映しており、さらなるデータ作成努力とSDG16に関する測定を行う統計能力のために投資を行う必要がある。
この報告書では、実効性のある制度、透明性、説明責任の推進という点で太平洋は後退していることも明らかになった。
しかし、「地域安全保障に係るボエ宣言」や「太平洋2050年戦略」の平和と安全保障の柱が求める期待を満たすために、太平洋地域の状況に即したSGD16指標があれば十分だろうか? この種の報告は、「太平洋平和度指数」として代用し得るものだろうか?
これらの問いに答えることは、本来技術的であるとともに政治的でもあるため、二つのことを念頭に置くべきである。
1) 平和は太平洋の社会構造と文化構造に根差している
現行の状況に即したSDG16指標は、地域戦略に整合してはいるものの、太平洋の平和観の深みを反映していない。
太平洋島嶼国の平和に対する政策には、十分な裏付けがある。毎年、伝統的な安全保障協力からジェンダーに基づく暴力への取り組み、気候緩和、人道支援または民主的プロセスへの投資まで多岐にわたる安全保障の拡大構想に対応した新たなイニシアチブが発表されている。
しかし、地元主導の平和イニシアチブが国や地域レベルの努力にどのように貢献し、太平洋全体のウェルビーイングにどのように貢献するかについては、依然として知見のギャップがある。これらのギャップを埋めることで、太平洋地域の平和のナラティブをより包括的に語ることができるようになり、それを太平洋平和度指数に組み入れることができるだろう。例えば、ブーゲンビル危機、ソロモン諸島の民族間緊張、そして一連のフィジーにおけるクーデターの後に行われた平和構築対話は、伝統的な紛争解決手法を活用するなど、地元主導のアプローチの重要な貢献を浮き彫りにした。
2) 目的を持った平和のストーリーを語る
しかし、太平洋の平和は、個々のデータポイントや期間限定の安全保障関連プロジェクトを寄せ集めただけのものではない。平和とは進化するプロセスであり、未来志向であり、先見的な目的を持った取り組みである。
太平洋諸島フォーラムのバロン・ワカ事務局長は、平和が「主権、レジリエンス、包摂、地域連帯に連結されたもの」でなければならないと強調している。多くの太平洋の研究者らも同じ意見であり、多くの太平洋島嶼民を今なお圧迫し続けている植民地主義、軍事化、制約された主権と正義という長年にわたる問題に取り組まない限り真の平和はないと主張している。
地域のストーリーを語るということは、例えばツバルに対する国際的な独立国家としての承認、国際司法裁判所が近頃出した気候変動に関する画期的な勧告的意見、地域に残る核実験の爪痕、政治的不安定や選挙、ウェルビーイングの評価などを地域の平和観と結び付けることを意味する。これらを総合することによって、地域の平和を築くために寄与する全ての要素を把握し始めることができるのである。
ここからどこへ向かうのか?
もう一つ別のツールに、「平和な社会を維持し創出する態度、制度、構造」を測定する積極的平和度指数がある。これは、社会経済的発展、公正、良好な統治、実効性のある制度、包摂、レジリエンス、外交を評価する。太平洋平和度指数もこれを採用することによって、既存の世界的指数には欠けている、太平洋先住民の平和に対する哲学や社会的結束、ウェルビーイング、和解などの価値観を組み込み、地域の状況を国ごとに追跡することできるだろう。
多国家にまたがる指数は多大な能力を必要とする。そこで、太平洋の平和状況評価では、代わりによりシンプルな選択肢を提供してもよい。これには、地域機構が作成した既存の太平洋地域安全保障見通し報告書に専用セクションを設けることが考えられる。あるいは、地域の学術機関に支援を仰ぐことも考えられる(例えばトラック2外交を通して)。また、平和サミットに投資することも、継続的な地域の平和対話に機会を提供する。
ただし、既存の地域メカニズムを複製させるのではなく、補強することに重点を置かなければならない。
太平洋平和度指数の意義は、a) 安全保障と開発を橋渡しする、b)...
太平洋諸島海洋会議:伝統知と科学を結ぶ声
【ホニアラ(ソロモン諸島)IPS=セラ・セフェティ】
ヘリテージ・ホテルの大会議場には、太平洋地域の人々の声が満ちていた―それはスピーチだけでなく、歌、リズム、詩を通して響きわたった。ドリームキャスト・シアター・パフォーミング・アーツのメンバーが第2回太平洋諸島海洋会議の幕を開け、参加者に思い出させた。なぜ自分たちはここに集ったのか―それは「耳を傾けるため」である。科学の声に。地域社会の声に。そして海そのものの声に。
この5日間の会議を通して響いたメッセージは明確だった。―太平洋の海を守るためには、伝統的知識と現代科学を結びつけ、太平洋地域の人々の生活経験に根ざした政策を築くための、統一的アプローチが不可欠であるということだ。
「われわれは皆、ひとつになって、各分野が連携しながら活動できる包括的で強固な枠組みを考えなければならない。海を、そして国家建設の礎である資源を守るために何をすべきか、その方向性を共に見出す必要がある。」と、太平洋海洋コミッショナー事務局(OPOC)のフィリモン・マノニ事務局長は語った。
地域社会の声
多くの国際会議が専門用語や政策文言に支配される中で、この会議の中心にいたのは太平洋の地域社会だった。首長、漁師、若者のリーダー、環境保全の実践者らが、魚資源の減少や海岸浸食などの課題を率直に語り、政府や科学者に「聞くだけでなく行動を」と訴えた。
サモアのコンサベーション・インターナショナル所属のレウサリロ・レイラニ・ダフィ氏は、地域主導による生物多様性保全に取り組んでいる。「伝統知を科学に織り込むという話をしますが、私たちはすでにその“織り”を続けてきました。ただ、それをさらに広げ、太平洋諸国がいかに一体となって取り組んできたかを世界に示す必要があるのです。」と語った。
ダフィ氏は、政治的対立が議会では指導者たちを分断しても、環境は地域を結びつける力であり続けると強調した。
「私たち太平洋の島々は、大国のような“余裕”を持ちません。小さな陸地を抱く大きな海の国家なのです。もし私たちが、これまでのように持続可能な形で海を管理しなければ、海が私たちを呑み込んでしまうでしょう。」
海は血脈である
太平洋の人々にとって、海は単なる地理的存在ではない。それは血脈であり、歴史であり、生計であり、アイデンティティであり、信仰である。衛星もスーパーコンピューターもなかった何世紀も前から、太平洋の航海者たちは星や波、風を読み取り、何千マイルもの海を渡ってきた。この遺産はいまも地域社会の根底に息づいている。
気候変動の加速により、海面上昇や激甚化する嵐が島々を脅かす中、太平洋の指導者たちはこの海洋的知恵を単なる民話ではなく、レジリエンス(回復力)を支える重要な資源と見なしている。
「同じことを語っているのです。ただ、使う言語が違うだけ」と語るのは、先住知と海洋生物の関係性を研究するサラニエタ・キトレレイ博士だ。
彼女は、フィジーで科学者と村人が協力し、温暖な海域から冷涼な海域へサンゴを移植して死滅した礁を再生させる取り組みを紹介した。
伝統知を“データ”として
会議に参加した科学者たちは、伝統知のかけがえのない価値を認めた。太平洋共同体(SPC)海洋科学センターのジェローム・オーカン所長は、伝統知がしばしば「データの空白を埋める」と説明する。
「高潮やサイクロン時の高波を予測する早期警戒システムを考えるとき、われわれは過去の経験に学びます」とオーカン氏は述べた。
だが多くの地域では観測装置のデータが存在しない。その代わりに、地域の記憶が頼りとなる。
「唯一の“データ”は、あの日何が起きたかという長老たちの記憶です。水がどこまで来たか、波の高さ、被害の程度――それらを鮮明に覚えている。こうした記憶は30年、40年、60年前にまでさかのぼることもあります。私たちはそれをもとに過去の嵐を再構築し、将来の予測精度を高めているのです。」
オーカン氏は強調した。「これは逸話ではありません。立派な証拠です。そして欠かすことのできないものです。」
太平洋自身の科学
SPCのケイティ・ソアピ博士はこう述べた。「太平洋には、もともと独自の科学が息づいています。海の健康を見極める伝統的な観察体系は高度なものです。衛星地図やサンゴの遺伝子解析といった新しい手法と組み合わせれば、私たちの海を守るための強力で全体的なアプローチが生まれます。」
その統合は、いま地域の海洋ガバナンスにも反映されている。太平洋海洋コミッショナー事務局(OPOC)は、伝統知と現代科学の双方を意思決定の枠組みに組み込む取り組みを進めている。
「先住知を“逸話”として扱う余裕はありません」とマノニ事務局長は述べる。「それは何世代にもわたって試され、生き抜いてきた証拠なのです。科学と伝統を結び合わせることで、最も完全な海洋管理の姿が見えてくるのです。」
漁業が示す教訓
この両者の融合を最も鮮やかに示す例の一つが、漁業管理である。太平洋諸島フォーラム漁業機関(FFA)のノアン・パコップ事務局長は、地域の慣習がいかに現代政策に影響を与えてきたかを説明した。
「地域社会では昔から“タブ(禁漁)エリア”を設け、魚が再生する期間を守ってきました」と彼は語る。「こうした慣行は、現代の保全手法と軌を一にしています。地域の観察と科学的な資源データを組み合わせることで、太平洋全域に利益をもたらす、より強固で持続可能なマグロ管理システムを築くことができました。」
しかし課題も残る。気候変動、生物多様性、海洋ガバナンスに関する国際交渉の場では、依然として西洋の科学が優位を占めている。会議の参加者たちは、知識体系の公平な評価を求めた。
世界に示す共有モデル
会議が共有したビジョンは明確だ。――太平洋の海を100%保護し、そのうち少なくとも30%を持続可能な形で管理するという、世界的な生物多様性目標に沿った未来である。
だがその道筋は、あくまで「太平洋流」でなければならない。地域社会、文化、つながりに根ざしたものであることが強調された。
これは単なる保全ではない。生存の問題である。海面上昇はすでに海岸線を飲み込み、温暖化した海は漁業と食料安全保障を脅かし、サイクロンは勢力を増している。小島嶼国にとって、危機は目前に迫っている。
しかしホニアラでのこの会議が示したのは、被害者の物語ではない。リーダーシップの物語である。フィジーの村でのサンゴ移植、長老の記憶を活かした気象予測モデル、タブと衛星・地理空間データを組み合わせたマグロ管理――太平洋は、古代の知恵と現代科学が共に帆を上げる新たな航路を描いている。
世界はその航海を見つめている。そしてダフィ氏が代表団に思い出させたように、太平洋の最大の贈り物とは、「海への敬意」は新しい理念ではなく、太平洋の人々の生き方そのものだということである。
「保全は輸入された概念ではありません。それはずっと私たちの生活の一部でした。いま必要なのは、世界がすでに私たちの知っていることに耳を傾けることです。」
ホニアラの会場に静けさが戻るころ、その“耳を傾ける”という呼びかけは残響のように漂っていた。海を守るということは、政策や制度の問題だけではない。それは、物語であり、記憶であり、そして波に刻まれた人々の知恵そのものなのだ。(原文へ)
INPS Japan/IPS UN Bureau Office
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