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古代カザフスタンの秘密が明らかに:東西を結ぶ新たな発見

【アスタナThe Astana Times=ナジマ・アブオワ】 カザフスタン各地で進められている考古学調査により、古代から中世にかけての文明の痕跡が次々と明らかになり、同地域が東西を結ぶ文化と交易の要衝であったことが改めて浮き彫りとなった。セルジューク朝時代の陶器や、サカ族・ウスン(烏孫)族の時代にさかのぼる金の装飾品など、発見された遺物は広範な時代と地理にまたがっている。 サライシュク:中世交易の交差点 カザフスタン西部のアティラウ州に位置する古代都市サライシュクでは、セルジューク様式の貴重な陶器や中国産青磁の破片が発掘されたと、カザフスタンの報道機関24.kzが伝えた。 1950年代後半、トルコの学者たちは、1243年のモンゴル侵攻以前、アナトリア地方にクバダバードという主要な交易都市が存在したことを証明している。そこには中国、ペルシャ、キプチャク草原からキャラバン(隊商)が到来していた。 トルコの研究者ムハレム・チェケン氏によれば、サライシュクはジョチ・ウルス(黄金の大オルド)時代、中国、アナトリア、ビザンティウム、ホラズムなどと交易関係を維持していたという。発見された陶製のパイプや複雑な給水システムは、この都市に高度な都市インフラが存在していたことを示している。 「シルクロード沿いの都市の建築には多くの共通点があります。中世のセルジューク宮殿では飲料水や排水のために陶製のパイプが使用されていたことがすでに証明されており、今回サライシュクでも同様のシステムの破片が発見されました」とチェケン氏は語った。 また、ロシアの考古学者ヴィャチェスラフ・プラホフ氏は、「中国の陶磁器からクリミア沿岸由来の品々に至るまで、多様な遺物が発見されていることから、サライシュクが広範な交易と文化ネットワークに組み込まれていたことがうかがえる」と付け加えた。 現在、専門家たちはサライシュクを単なる交易所ではなく、東西を結ぶ「黄金の架け橋」と表現している。今年後半には、トルコの研究者チームも発掘の次段階に参加する予定だ。 カラガンダ州:手つかずの鉄器時代の墓が発見 カザフスタン中部カラガンダ州シェット地区の「タルディ歴史・考古公園」では、ブケトフ・カラガンダ大学の考古学者たちによって、初期鉄器時代の極めて保存状態の良い埋葬遺構が発見されたと、Kazinform通信が報じた。 この遺構は「コルガンタス型」と呼ばれる石積みの墳墓で、初期鉄器時代の遊牧文化と関連している。仰向けに埋葬された人骨、酸化した鉄製工具、小型家畜の頭骨3つが確認された。 「この種の埋葬は当地域では非常に珍しく、重要な点は遺構が手つかずで残っていることです」と研究者は述べている。 この墓は青銅器時代の石造墳墓の上に後から築かれたもので、紀元前4世紀から1世紀頃と暫定的に推定されている。 タルディ渓谷には約200の考古学的遺跡が存在し、中でも有名な「ステップ・ピラミッド」がある。この地域の発掘調査は州文化局の支援を受け、来年まで継続される予定だ。 アルマトイ州:サカ族とウスン族の金装飾が出土 カザフスタン南東部アルマトイ州ウイグル郡では、アル・ファラビ・カザフ国立大学の考古学者たちが、初期鉄器時代にさかのぼる数々の金の装飾品を発掘した。中でも注目されているのが、ライオンの顔、女性の顔、あるいは牡牛や雄羊の顔を象ったと解釈される複合的な意匠が刻まれた8グラムの金の指輪である。これらのシンボルは、古代部族にとって重要な意味を持っていたとされる。 発掘は「トギズブラク1号・2号墓地」で行われ、そこには50基以上の墳墓が存在する。第3・第4号墳墓からは、陶器、鉄製工具、金製の小板、金の鎖の一部、人骨などが発見された。 科学・高等教育省によれば、これらの埋葬遺物は初期鉄器時代に属し、現在のウイグル地区がサカ文化の中心地の一つであったことを裏付けている。 ウイグル郡の副アキム(副首長)であるエラシル・トリムベクウリ氏は、アルマトイ州の歴史的・地理的に重要な集落チュンジャから10〜12キロの地点に位置するこの遺跡には、紀元前2世紀にさかのぼるウスン文化の痕跡も含まれている可能性があると指摘した。 「鋳造された金の延べ棒から作られた人の顔を描いた指輪や、“黄金人間”の衣装を思わせる金の装飾品、古代の金の鎖の破片なども見つかりました」と彼は語った。 トリムベクウリ氏はまた、周辺地域、すなわちチュンジャ、チャリン国立公園、周辺の墳墓地でも発掘が継続されていると述べた。研究者たちは、ウスン(烏孫)族の首都と推定される「チグチェン」がチャリン渓谷のサリトガイ周辺に存在していたという仮説についても検討を進めているという。(原文へ) INPS Japan/The Astana Times Original URL: https://astanatimes.com/2025/06/ancient-kazakhstan-revealed-new-finds-link-east-and-west/ 関連記事: アクタウ、2025年にテュルク世界の文化首都に 日本の旅行ガイドブック「地球の歩き方」最新号、カザフスタンを特集 カザフスタン、民族の多様性に宿る団結を祝う

|視点|広島からガザへ──大量死を正当化する論理の連鎖(サクライン・イマーム元BCC記者)

【ロンドンLondon Post=サクライン・イマーム】 1945年8月6日、第2次世界大戦が終結に近づき、日本の敗北がほぼ確実となっていた時、米国は戦争史上最も恐るべき決断を下した。民間人を標的に、人類史上最悪の破壊兵器を投下するという選択である。パイロットの母の名にちなんで「エノラ・ゲイ」と名付けられたB29爆撃機が、初の原子爆弾「リトルボーイ」を広島に投下したのは午前8時15分だった。爆弾は志摩病院上空600メートルで爆発し、15,000トンのTNT火薬に相当する威力で都市を火と灰の海に変えた。即死者は7万人にのぼり、ほとんどが罪なき民間人だった。その後数か月で、放射線障害や熱傷、負傷により死者は14万人に達した。爆心地から半径1.5マイル以内は完全に破壊され、活気ある都市は数秒で巨大な墓場と化した。3日後の8月9日には長崎に2発目の原爆が投下され、傷口はさらに深まった。日本はまもなく降伏したが、真の勝者は放射能の灰に刻まれた新たな世界支配の時代だった。 これは軍事的必然ではなく、技術力と帝国的威光を誇示するための冷徹な演出であった。人類を絶滅させる力を誰が握っているかを示すための「地政学的メッセージ」として行われた虐殺である。死を政治の道具とする「死の政治学(ネクロポリティクス)」──国家が生と死の選別権を握り、誰が生き、誰が死ぬのかを決める行為──の最も鮮烈な実演であった。広島と長崎は単なる悲劇ではなく、国家権力が死を政策に変える冷酷な宣言であった。 同じ論理が今日、ガザで繰り返されている。イスラエルの現政権は「自衛」の名の下に、230万人のパレスチナ人に対して体系的な破壊作戦を展開している。住宅地は破壊され、病院、学校、難民キャンプまでも爆撃されている。国連のデータによれば、死者は3万8千人を超え、その70%が女性と子どもである。国際司法裁判所ではジェノサイド(集団虐殺)の訴えが審理されているが、主要な大国は沈黙、あるいはこの残虐行為への共犯関係にある。1945年、原爆投下が道徳的正当化の衣をまとっていたように、ガザの破壊も「テロとの戦い」として合理化され、その背後にあるネクロポリティクスの現実──命を取捨選択する傲慢な意志──が覆い隠されている。 1998年、筆者がラホール記者クラブ会長を務めていた時、1人の若い日本人女性と出会った。彼女は広島の被爆者を祖母に持つ3世で、放射線被害による苦しみを受け継いでいた。彼女は日本のNGO「ピースボート」の一員として、同年にパキスタンが核実験を行った後、核廃絶を訴えるためにラホールを訪れていた。1945年に日本が経験した原子戦争の惨禍を世界に伝えるのが彼女の使命だった。しかし、パキスタンの主要な公的機関のいずれも、彼女らを歓迎しようとはしなかった。筆者は自ら彼女らを受け入れ、広島・長崎の破壊を記録したオリジナル写真展を一般公開した。それは単なる被害記録ではなく、世界の良心に突き付ける挑戦であった。 広島、長崎、そしてガザ──これらは、未解決の惨禍が世紀の両端を刻む暗い碑である。瓦礫と化したこれらの地は、文明も道徳も人間性も、死が政策として武器化される時にいかに灰燼に帰するかを証言している。原爆投下は戦争の終焉ではなく、帝国的権力が殲滅によって支配を刻み込む世界秩序の始まりだった。ガザでの民間人の標的化、インフラの破壊、共同体の消滅は、同じネクロポリティクスの論理を反響させている──大量死を常態化させて支配を強化するという発想である。広島の被爆者とガザの生存者は、命を使い捨てにされた者同士として、悲劇的な連帯を分かち合っている。 これらの出来事は、人類がいつまで「死によって統治する」支配者を許容するのかという切迫した問いを突き付ける。広島の灰とガザの瓦礫は、一部の命が軽んじられてよいという虚構を拒否し、次なる惨禍を生み出し続けるネクロポリティクスに対する断固たる裁きを求めている。(原文へ) INPS Japan *INPS Japanでは、ガザ紛争のように複雑な背景を持つ現在進行中の戦争を分析するにあたって、当事国を含む様々な国の記者や国際機関の専門家らによる視点を紹介しています。 Original URL: https://londonpost.news/from-hiroshima-to-gaza-the-reign-of-death/ 関連記事: 核の瀬戸際にある世界:拡散する現代戦とその代償 世界の軍事紛争で「真の勝者」とは誰か? 国連保健機関、ガザの飢饉を警告

欧州には戦略的距離が必要だ──米国への盲目的同調ではなく

【ロンドンLondon Post=シャブナム・デルファニ博士】 スペインのペドロ・サンチェス首相は、「欧州の意思決定に対する米国の覇権を断ち切らなければ、我々は共に燃え尽きることになる」と警告した。これは誇張ではなく、ヨーロッパが自らの独立性を確保しなければ、ワシントンの無謀な外交政策に巻き込まれ、破滅的な結果を招くことになりかねないとの危機感に基づく発言である。現在進行中のイラン・イスラエル間の緊張は、地域戦争に発展する可能性をはらみ、ヨーロッパが米国の中東政策に過度に依存していることの危うさを示している。ヨーロッパがワシントンに過度に歩調を合わせれば、制御も利益も及ばない危機に巻き込まれるおそれがある。これは政治的脆弱性を露呈させ、大陸全体を火の海にしかねない。 イランとイスラエルの対立は、ヨーロッパが米国の政策に従属してきたことの危険性を浮き彫りにする典型的な事例である。ワシントンがイスラエルへの支持を一貫して強める一方で、外交よりも軍事的な手段が優先され、イランはヒズボラやフーシ派といった地域の代理勢力を動員して応じている。これにより、より広範な戦争へと発展する危険が高まっている。ヨーロッパは地理的にも経済的にもこの危機の影響を強く受ける立場にありながら、米国の方針に縛られ、独自の対応が難しい状況にある。 この構図は過去にも見られた。2015年のイラン核合意(JCPOA)を、トランプ政権が一方的に離脱した際、EUはこれを維持しようとしたが成果を上げられなかった。米国の制裁を回避してイランとの貿易を継続するために設立されたINSTEXも、アメリカの圧力に屈し、機能しなかった。現在の情勢下でヨーロッパが同様の受け身の姿勢を続ければ、過去の失敗を、さらに深刻な代償を払って繰り返すことになる。 すでに、米国に追随することによる代償は顕在化している。紅海での攻撃により、重要なエネルギー輸送路が脅かされており、イランを巻き込む広範な戦争が起きれば、ホルムズ海峡を通る石油輸送が遮断され、原油価格は急騰する可能性がある。これによりヨーロッパ経済の不安定化が進むおそれがある。南欧諸国では、ガザやレバノンからの難民流入への備えが求められ、各国の治安機関は、欧州がイスラエルの軍事行動に関与しているとの印象によって、国内の過激化が進む可能性を警告している。 一方で、EU内の分裂が対応を困難にしている。スペイン、アイルランド、ベルギーなどはイスラエルの軍事行動を非難し停戦を求めているが、ドイツなど一部の国は依然としてワシントンの立場を支持している。このような分裂により、ヨーロッパは統一的な外交力を発揮できず、地政学的な傍観者にとどまっている。 フランスのエマニュエル・マクロン大統領はかねてから「戦略的自律性」の必要性を訴えてきたが、具体的な行動が伴わなければ、その主張は空疎なスローガンに過ぎない。ヨーロッパが真に地政学的な主体を目指すのであれば、ワシントンの軌道から脱却し、自らの利益を基準とした政策を構築する必要がある。 そのためには、米国が対決姿勢を強める場合であってもイランとの外交的対話を継続し、中東地域の安定とエネルギー安全保障の確保を図ることが求められる。また、イスラエルを含むすべての当事者に対して国際人道法の遵守を求めることで、原則に立脚した姿勢を内外に示すべきである。さらに、いくつかの欧州諸国が提案しているように、パレスチナ国家の承認を進めることで、中東における信頼と均衡を回復し、偏向しているとの見方を払拭する必要がある。 これらの措置は、NATOからの離脱や反米姿勢を意味するものではなく、ヨーロッパの経済安定、エネルギー安全保障、そして平和の維持といった基本的利益が、常に米国の政策と一致するとは限らないという現実を踏まえた冷静な判断である。 ヨーロッパはこれまで、イラクやリビアへの米国主導の軍事介入に加わってきたが、こうした関与は地域の不安定化、難民流入、テロの拡大を招く結果となった。そこから得られた教訓は重い。現在の中東情勢では、さらに深刻な危機へと発展する懸念がある。戦火は地域にとどまらず、エネルギー市場の混乱、ヨーロッパ経済の不安定化、社会の分断、さらには域内での暴力の発生につながる恐れもある。 スペインの首相による警告は、今まさに決断の時であることを突きつけている。ヨーロッパは、ワシントン主導の危険な路線に受動的に従い続けるのか、それとも独自の声と価値観、そして平和に向けたビジョンを持つ主権的な主体として歩み出すのか、重大な岐路に立たされている。時間は限られており、燃え広がる危機の炎は、すでにヨーロッパの足元に迫っている。(原文へ) INPS Japan/London Post 関連記事: 第2期トランプ政権:多国間主義と国連への試練(アハメドファティATN国連特派員・編集長) 米国の「核の傘」が崩壊すれば、欧州は「独自の核兵器(ユーロ・ボム)」を選ぶのか? 安全保障理事会に亀裂、地域は緊張状態:イスラエルとイランの衝突で外交力が試される

長崎原爆から80年──唯一の道徳的選択肢は廃絶である(アハメド・ファティATN国連特派員・編集長)

【ニューヨークATN=アハメド・ファティ】 2025年8月9日、世界は長崎への原子爆弾投下から80年を迎え、人類史上最も暗い日々の一つ、そしていまだに無視され続けている警鐘に思いを致している。1945年のこの日午前11時02分、広島に3日前に投下されたものよりも強力な爆弾が、一瞬にして町の一角を消し去り、およそ7万4千人を殺害した。生き延びた被爆者たちは、白血病やがんなど放射線による病に長年苦しみ、目に見えない傷を抱えて生き続けた。 今朝、国連のアントニオ・グテーレス事務総長は長崎平和祈念式典に寄せたメッセージで、被爆者の証言を「世界の永遠の道徳的羅針盤」と呼んだ。その声が時とともに減っていくほどに、その真実はより鮮明になる──核兵器は安全をもたらすのではなく、破滅しかもたらさない。 私自身、彼らが警告するものを目にした。2019年、私はカザフスタンのセミパラチンスクとクルチャトフ──旧ソ連の核実験の中心地──を訪れた。(ドキュメンタリー映像はこちらへ) 研究機関や老人ホーム、孤児院の静かな廊下で、放射能汚染の代償を目の当たりにした。重い障害を抱えて生まれる乳児、がんで壊滅した村々、何十年経っても汚染されたままの大地──それは過去の話ではなく、今まさに起きている現実だった。 私はまだ広島や長崎を訪れたことはないが、長崎はいつも心の中にある。ニューヨークの国連本部で、軍縮パビリオンにある「聖アグネス像」の前を通るたびに思い起こす。長崎市民から贈られたその像の静かで悲しげな姿は、あの日の影が歴史書の中だけにとどまらず、今も私たちの現在に伸びており、行動を促していることを思い出させる。 長崎では今日、爆心地の記憶を共有するため、原爆投下以来初めて鐘の音が一斉に響いた。犠牲者の「水を…」という叫びをなぞるように、献水の儀が厳かに行われた。被爆当時3キロの地点で体験した93歳の西岡宏さんは、外傷がないように見えた人々でさえ、やがて歯ぐきから血を流し、髪が抜け、次々と命を落としていったと語った。 1946年に国連が最初に採択した決議が核兵器廃絶を求めたのは偶然ではない。それから80年経った今も、核の影は消えていない。核兵器は再び各国の安全保障ドクトリンの中心に据えられ、威嚇や強制の道具として振りかざされている。世界の軍事支出は過去最高を更新し、平和と開発のための資金は後退している。 それでも希望の火はある。昨年、広島・長崎の被爆者を代表する日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が、数十年にわたる活動の功績でノーベル平和賞を受賞した。2024年には、国連加盟国が「未来のための協約」を採択し、核兵器のない世界の実現への再コミットメントを誓った。 しかし、行動なき再コミットメントは裏切りである。核不拡散体制の枠組み──核兵器不拡散条約(NPT)を基礎とし、核兵器禁止条約(TPNW)によって強化された制度──は守り、拡充し、履行させねばならない。そのためには、・ 信頼と透明性を回復するための軍縮外交の復活・ 核実験モラトリアムの再確立と包括的核実験禁止条約(CTBT)の全加盟国による批准・ 検証可能な合意による核兵器備蓄の削減・ 抑止ドクトリンを廃絶への誓約に置き換えることが必要だ。 被爆者、セミパラチンスクの犠牲者、そして長崎の人々は、同じ悲劇と警告を共有している。追悼だけで行動を伴わないのは偽善である。 長崎を焼き尽くした火炎から80年、私たちは1945年と同じ選択に直面している──核の影の下にとどまるのか、それともその影を抜け出し、核のない世界という光の中へ進むのか。 選ぶべき時は今である。そして唯一の道徳的選択肢は、廃絶である。(原文へ) Original URL: https://www.amerinews.tv/posts/80-years-after-nagasaki-the-only-moral-choice-is-abolition INPS Japan/ATN 関連記事: 核のない世界への道は険しいが、あきらめるという選択肢はない。(寺崎広嗣創価学会インタナショナル平和運動総局長インタビユー) ソ連の「人道に対する罪」から生まれた、核実験・核兵器廃絶の世界的な運動 セメイから広島へ―ジャーナリズムで世界の連帯を築く(アスタナ・タイムズ編集長 ザナ・シャヤフメトワ氏インタビュー)