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共生社会を育てる「Hand in Hand」―イスラエルで広がるユダヤ系・アラブ系統合教育
【エルサレムINPS Japan=ロマン・ヤヌシェフスキー】
ユダヤ系市民とアラブ系市民の分断が深まるイスラエルで、教育を通じて共生社会の土台を築こうとする試みが続いている。ヘブライ語で「Yad be-Yad」、アラビア語で「Yadn be-Yadn」と呼ばれる教育ネットワーク「Hand in Hand」は、ユダヤ系とアラブ系の子どもたちが対等な立場で共に学ぶ、バイリンガルかつ統合型の教育を実践している。|英語版|ロシア語|
Hand in Hand(イスラエル・ユダヤ・アラブ教育センター)は、ユダヤ系市民とアラブ系市民が共に生きる社会の実現を目指して設立された、イスラエルでも特異な教育ネットワークである。
同組織は1997年から1998年にかけて、イスラエル系アラブ人教師アミン・ハラフ氏と、イスラエル系米国人教師リー・ゴードン氏の2人の教育者によって創設された。当初はエルサレムとガリラヤの2校で、約50人の子どもたちが学ぶ小規模な出発だった。
現在では、同ネットワークはイスラエル国内6地域―エルサレム、ガリラヤ、ワディ・アラ、テルアビブ・ヤッファ、ハイファ、クファル・サバ―で教育活動を展開している。6つの小学校、5つの就学前施設、2つの中学校、1つの高校を擁し、3歳から18歳までの2000人超の子どもたちが学んでいる。
各校は単なる教育機関にとどまらない。対話を促し、共に生きる市民社会の基盤を育む地域の拠点としても機能している。
創設者たちは、「Hand in...
「雨が降ると、心臓の鼓動が速くなる」
最近の報告書によれば、アジアでは毎年およそ100件の自然災害が発生し、8000万人が影響を受けている。統計の背後には、暮らしの寸断、損壊した家屋、そして地域社会の力を奪う復旧の繰り返しがある。
【スリナガル/ニューデリー発 IPS=ウマル・マンゾール・シャー】
カシミールの州都スリナガルで雨が降り始めるとき、グラーム・ナビ・バットは、もはや雲を安堵の気持ちで見上げない。代わりに、見積もるように空を見つめる。側溝はどこまで耐えられるのか。川の水位はどれほどの速さで上がるのか。家のどの隅から雨漏りが始まるのか。床が湿ってきたら、子どもたちはどこで寝かせればいいのか。
「以前は雨が降ると、ほっとした。」と、バットは語る。水路沿いの低地に暮らす住民だ。「いまは、警告のように感じる。」
多くの日に、雨は洪水にならなくても生活を変える。数時間で道路は冠水し、店は早じまいし、スクールバスは引き返す。やがて親族同士で電話をかけ合い、同じ問いが繰り返される。「そっちは大丈夫か?」
インド、そして「新興アジア」(中国、インド、インドネシア、マレーシア、フィリピン、タイ、ベトナムなど、急速に発展する国々)に暮らす何百万人もの人々にとって、これが「新しい日常」になった。災害はもはや、世代に一度の稀な破局として訪れるのではない。繰り返し襲い、そのたびに修繕費や失われた賃金を生み、「回復が恒常的な営みになった」という感覚を残していく。
OECD開発センターの最近の分析によれば、新興アジアはこの10年間、年平均で約100件の災害に直面し、毎年およそ8000万人が影響を受けてきた。増加の主因は洪水、暴風雨、干ばつだ。同報告は、自然災害が1990年から2024年にかけて、インドに毎年平均でGDPの0・4%に相当する損失をもたらしたと推計している。
しかし、国の数字の背後には、より静かで切実な現実がある。繰り返される気候や天候の衝撃が、統計ではなく家計に吸収されていく過程だ。娘の教育のために積み立てた貯蓄。掛けで仕入れた商品の在庫。前の収穫から残しておいた農家の種銭。そうしたものが少しずつ削られていく。
洪水常襲地帯として知られる北インド・ビハール州で、3人の子どもを育てるスニタ・デヴィは、床に大切なものを置くのをやめたという。衣類は高い棚へ。穀物の入れ物は安全な隅へ。家族の書類はビニールに包んで保管する。
「水が来たら、子どもを連れて走るだけ」と彼女は言う。「あとは運に任せるしかない。壁は建て直せても、失った日々は戻らない」
彼女の村は何十年も洪水と共に生きてきた。だが変わったのは、発生頻度と不確実性、そして負担の大きさだという。見出しになる大河川の洪水だけではない。突然の冠水、損傷した道路、決壊した堤防、水が引いた後に広がる感染症―そうした小さな衝撃の積み重ねが、暮らしを揺さぶる。
「以前は予測できた。いまはできない。水が急に来るときもあれば、長引くときもある。一度引いたと思ったら、また来ることもある」とデヴィはIPSに語った。
国連大学の「水・環境・保健研究所(UNU-INWEH)」所長、カヴェ・マダニ教授はIPSに対し、アジアの「水の破綻(water bankruptcy)」は部門別の課題ではなく、国家安全保障の問題として扱うべきだと述べた。
「優先順位は、危機対応から“破綻管理”へ移りつつある。実態に即した把握、実効性のある上限設定、自然資本の保護、そして農家や脆弱なコミュニティを守る公正な移行が必要だ。」とマダニは言う。
OECD開発センターの報告は、新興アジアで2000年代初頭以降、洪水が最も顕著な増加傾向の一つになっていると指摘する。要因は地域によって異なるが、結果はどこも似通う。暮らしの混乱、損壊した家屋、そして地域社会を疲弊させる復旧の繰り返しである。
スリナガルで小さな店を営むバシール・アフマドは、入口近くに古い木製の棚を置いている。陳列用ではない。緊急時のためだ。雨脚が強まると、箱詰めの商品を床から素早く移す。
「店は小さい。利幅はもっと小さい。たった1日水が入るだけで、多くが台無しになる。客は来ない。配送も止まる。成り行きを見るしかない。」とアフマドは言う。
彼にとって最大の損失は、傷んだ商品だけではない。働けない日々そのものだ。日々や週ごとに家計をやりくりする家庭では、短い休業が長い危機に変わる。家賃は止まらない。学費も止まらない。ローンも止まらない。
OECDの分析は、コミュニティがすでに知っている厳しい現実を裏づける。災害の経済的な余波は、テレビカメラが去った後も続く。毎年のように損失が繰り返されれば、成長は削られ、家計の選択も変わる。家族はより頑丈な家づくりを先延ばしにし、小商いへの投資を避け、前に進むより立て直しに時間を奪われる。
「災害は、例外的な出来事ではなくなった。繰り返し襲う経済ショックになっている。問題は目先の被害だけではない。“反復”だ。反復は家計の回復力を削っていく」と、デリーを拠点とする気候リスク研究者リトゥ・シャルマ博士は言う。
シャルマは、インドの災害損失を見出しに出る割合だけで捉えるべきではないと強調する。日常生活に蓄積する圧力として見るべきだという。
「洪水は橋を壊すだけではない。受診を遅らせ、予防接種を中断させ、食料や医薬品の供給網を断ち、脆弱な家庭を債務の罠に追い込みかねない。気候の出来事が、社会の出来事になり、健康の出来事になり、教育の出来事になる。」
報告の地域比較では、負担は一様ではない。サイクロンや洪水にさらされる国ほど、GDPに対する平均年間損失が大きい傾向がある。インドは国の規模が大きいため、統計上は衝撃を吸収できるように見える。だがその規模は同時に、より多くの人々がリスクにさらされ続けることも意味する。地すべりの危険があるヒマラヤの斜面、サイクロンに備える沿岸部、洪水と熱波に悩む平野部―リスクは地理にも生業にも広く分散している。
気候影響を研究する経済学者ナサル・アリ教授は、実際の被害は非公式(インフォーマル)経済の領域に埋もれがちだと指摘する。
「フォーマル部門の企業は保険請求ができ、有利な条件で借り入れ、早く立ち直れる。だが野菜の露天商にはそれができない。小さな食料品店にもできない。日雇いの稼ぎ手が1人しかいない家庭にはなおさらだ。損失は即座に個々の家庭にのしかかり、回復にも最も時間がかかる。」とアリは語った。
彼は、災害の影響は不平等も深めると考える。貧しい世帯ほど、取り戻せないものを失うからである。
「裕福な家庭にとって屋根の損傷は改修の問題だ。だが貧しい家庭にとっては、湿った部屋で何週間も眠ることになり、感染症や欠勤、子どもの一時的な中退につながりかねない。」
報告は、アジア各地で切迫している政策課題にも目を向ける。災害に備える財源をどう確保し、開発資金を毎回、災害対応に振り向けざるを得ない状況をどう避けるのか、である。
分析が強調するのは「災害リスク・ファイナンス」だ。事後の救援に頼るのではなく、政府が事前に資金を準備しておく仕組みである。専用の災害基金や保険メカニズム、災害後に迅速に発動できる緊急融資などが含まれる。
コミュニティにとって、この議論は遠い話に聞こえるかもしれない。だが、その結果は回復の速さや支援のあり方に表れる。
「災害が起きたら、支援は早く届くべきだ。」と語るのは、ジャンムーのRSプラ地区で小さな食料品店を営み、豪雨時の冠水を繰り返し経験してきたミーナ・デヴィである。「店を閉めれば牛乳は傷む。客も買い物ができない。それから再開のために借金をする。支援が遅ければ、私たちはさらに苦しくなる。」
彼女の最大の恐怖は、単発の災害ではない。「次がいつも近い」と感じ続けることだという。「一度なら耐えられる。でも何度も何度も起きると、心の奥から疲れていく。」
シャルマにとって、備えは防災訓練以上のものだ。そもそもリスクへのさらされやすさを減らす計画が必要だという。
「避けられないリスクもあるが、多くは“どこに、どう建てるか”で増幅される。排水能力のないまま都市が拡大し、建設が氾濫原に広がれば、災害は予測可能になる。それは自然だけの問題ではない。政策の問題だ。」
スリナガルのバットは、住民が毎年同じ闘いを繰り返していると感じると言う。排水溝を掃除し、土のうを積み、家財を高い場所へ移し、親族に電話し、川の水位更新を見守る。一つ一つは小さな作業でも、終わりがないため消耗していく。
彼は壁に残る水位の跡を指さした。「いつも思うんだ。今年こそは少しは良くなるかもしれないって。でも雨が降ってくると、心臓の鼓動が速くなる。」
何があれば安全だと感じるか、と尋ねると、彼は大きな約束を語らなかった。語ったのは、ごく基本的なことだった。機能する排水路。崩れない道路。早い警報。間に合う支援。
ビハールのスニタ・デヴィにとって、望みはさらに単純だ。恐れずに計画できる季節である。「普通の人みたいに暮らしたい。水が壊したものを直すためにお金を使うんじゃなく、貯めたい。」(原文へ)
INPS Japan/IPS UN Bureau Report
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ホルムズ海峡―世界経済のボトルネック
【メルボルンLondon Post=マジット・カーン】
最も狭い地点でも、ホルムズ海峡の幅は英仏海峡をわずかに上回るにすぎない。北にはイランの岩がちな海岸線、南にはオマーンの乾いた海岸が延びる。有史以来の大半の時代、この海峡は単なる通過点にすぎなかった。船舶が別の目的地へ向かう途中で通り過ぎる場所だったのである。だが今日、ここは地球上で最も重要な水路となり、その封鎖は、アナリストらがすでに「1970年代の石油危機以来最大の世界的エネルギー供給混乱」と呼ぶ事態を引き起こしている。
ホルムズ海峡の封鎖は、1970年代以来で最大の原油供給ショックを招き、WTI原油価格は1バレル=100ドルを突破、ブレント原油も112ドルに達した。2026年2月下旬に米国がイランに対する軍事作戦を開始して以降、その影響は驚くべき速さで広がり、湾岸からマニラのガソリンスタンドへ、カタールのLNGターミナルからブリュッセルの企業経営陣にまで及んでいる。
海峡には一方通行の2つの航路が設けられており、1日あたり約2000万バレルの石油が通過する。これは、サウジアラビア、アラブ首長国連邦、イラク、カタールなどから輸送される、世界の海上石油取引量のおよそ20%に当たる。世界の1日の石油供給の5分の1が、超大型タンカー2列がようやく通れるほどの狭い水路を流れている。この事実は、長年にわたり戦略家たちを不安にさせてきた。かつては理論上の脆弱性にとどまっていたものが、いまや現実の危機となっている。
今回の危機は、何の前触れもなく訪れたわけではない。ワシントン、テルアビブ、テヘランの緊張は長年にわたって高まり続け、2025年6月には12日間に及ぶ空爆の応酬も起きた。ジュネーブでの新たな核交渉が決裂すると、全面戦争への流れを食い止めることは難しくなった。
2026年2月28日、米国はイランを攻撃した。テヘランの対応は即座に示された。3月2日、イスラム革命防衛隊(IRGC)の司令官は国営メディアを通じてホルムズ海峡の封鎖を表明し、通航を試みるあらゆる船舶を攻撃すると警告した。
この宣言は、海運各社の一斉撤退を招いた。マースク、CMA CGM、ハパックロイドなどの大手コンテナ海運会社は、ホルムズ海峡および関連航路の通航停止を決めた。同時に、フーシ派が支配するイエメンは、イスラエルおよび紅海を航行する商船への攻撃再開を表明し、スエズ運河を通る船舶はアフリカ南端の喜望峰経由への迂回を余儀なくされた。その結果、輸送日数は数週間延び、海運コストも上昇している。
3月中旬以降、イランは商船に対して少なくとも21件の攻撃を行ったことが確認されており、タンカーの通航量は当初約70%減少し、最終的にはほぼゼロに近づいた。150隻を超える船舶が湾内の沖合で停泊したまま、乗組員は待機を続け、積み荷は行き場を失っている。3月27日には、IRGCがさらに事態をエスカレートさせ、米国、イスラエル、およびその同盟国の港に「向かう、またはそこから出る」すべての船舶に対し、海峡を閉鎖すると発表した。
その後の価格上昇の速さは驚異的だった。ブレント原油価格は2026年3月8日、4年ぶりに1バレル=100ドルを突破し、ピーク時には126ドルまで上昇した。その上昇ペースは、近年のどの紛争時をも上回った。米政府当局者やウォール街のアナリストたちは、原油価格が前例のない1バレル=200ドルに達する可能性まで検討し始めている。ゴールドマン・サックスは4月のWTI価格を105ドルと予測しており、オプション市場でも、数カ月前なら現実味がないと見られていたシナリオが織り込まれつつある。
しかし、この危機は単なる石油危機ではない。現代世界がこれまで経験したことのない規模の、より広範な商品市場の混乱である。ホルムズ海峡は事実上閉鎖されたままであり、石油やガスだけでなく、アルミニウム、肥料、硫黄、ナフサなどの世界供給にも影響を及ぼしている。
湾岸地域は世界の尿素のほぼ半分、アンモニアの30%を生産しており、世界の肥料輸送の約3分の1がホルムズ海峡を通過している。尿素価格は戦争開始以降50%上昇した。LNG供給の混乱は肥料生産にも打撃を与え、北半球の春の作付け期を脅かすとともに、2026年後半にかけて世界の食料価格を押し上げる可能性がある。
経済モデルが示す影響も深刻だ。2026年第2四半期にホルムズ海峡の閉鎖によって世界の石油供給の約20%が市場から失われた場合、WTI原油の平均価格は1バレル=98ドルまで上昇し、世界の実質GDP成長率は、その四半期だけで年率換算2.9ポイント押し下げられると見込まれている。封鎖が第3四半期まで続けば、影響はさらに深刻化する。
この危機の影響が最も深刻に表れているのはアジアである。2024年には、ホルムズ海峡を通過した原油・コンデンセート輸送量の推計84%がアジア市場向けだった。中国も、自国の石油の3分の1をこの海峡経由で受け取っていた。その依存の代償が、いまアジア全域で現実のものとなっている。
影響は世界中に及んでいるが、とりわけ中東産石油への依存度が極めて高いアジアでは、この戦争が深刻なエネルギー不安を招いている。各国政府は対応に追われているものの、短期的な打開策をほとんど持ち合わせていない。バングラデシュでは、新たに発足した政権が大学を閉鎖し、石油備蓄施設の管理を軍に委ねた。インドでは、燃料価格をめぐる全国的な抗議行動が再燃し始めている。
フィリピンでは、ディーゼル価格がほぼ倍増した。紛争前は1リットルあたり52~53フィリピン・ペソ程度だったが、一部地域ではほぼ100ペソにまで跳ね上がり、物流網と公共交通部門に深刻な打撃を与えている。
台湾は、とりわけ深刻な脆弱性に直面している。世界的な半導体生産拠点である台湾は、ガス供給があと11日分しかないと報告した。世界のテクノロジー供給網を支える半導体工場を抱えるこの島にとって、これは単なるエネルギー危機ではない。現代世界のデジタル基盤そのものを揺るがす脅威である。
LNGへの影響はとりわけ深刻だ。石油には限られてはいるがパイプラインによる代替ルートがある一方、カタールのLNG輸出の約93%、UAEのLNG輸出の96%はホルムズ海峡を通過しており、これは世界のLNG取引量の19%を占める。世界のLNG供給は1日あたり3億立方メートル以上減少する見通しで、これは2021年にノルド・ストリームを通じて輸送された平均ガス量の2倍に相当する。
サウジアラビアとUAEはいずれもホルムズ海峡を迂回するパイプライン網を保有しているが、両国を合わせた迂回能力は日量350万~550万バレルにとどまる。一定の代替にはなるものの、ホルムズ海峡全体の輸送量を埋め合わせるには到底足りない。サウジ当局は原油輸出の一部を紅海沿岸のヤンブー港経由に切り替え、OPECプラスも追加増産を約束したが、規模からみて十分な解決策とは言えない。
イランは独自の代替航路も設けた。ララク島南側の主航路ではなく、同島北側に新たな輸送ルートを設定したのである。ある船舶はこのイラン航路の通航に200万ドルを支払ったと報じられ、その料金は中国元で革命防衛隊に支払われたという。これは異例の展開である。かつて世界が国際公共財の一部とみなしていた水路に、事実上、通行料を強制徴収する新ルートが出現したことになる。
各国は戦略石油備蓄の放出に踏み切り、サウジアラビアとUAEは海峡を迂回するパイプライン経由での原油輸送拡大を急いでいる。米国を含む各国政府も、価格抑制のため、過去最大規模の備蓄原油放出を打ち出した。だが、備蓄は本質的に有限である。石油業界幹部やアナリストたちは、4月中旬までにホルムズ海峡が再開されなければ、供給混乱はさらに深刻化すると警告している。
湾内に足止めされている一隻一隻のタンカーの背後には、極めて複雑な地政学的計算がある。イランは衝動的にホルムズ海峡を封鎖したのではない。イラン指導部が長年、自らの「切り札」と位置づけてきた手段――すなわち、ワシントンやテルアビブに1発のミサイルも撃ち込むことなく、世界のエネルギー市場を麻痺させる能力――を行使しているのである。
ホルムズ海峡の封鎖が過去の石油供給混乱と異なるのは、その影響範囲の広さにある。湾岸地域からの石油輸出が完全に止まれば、世界の石油供給のおよそ20%が市場から消えることになり、その約80%はアジア向けである。
一方、ロシアは思いがけず有利な立場に立っている。この紛争は、原油市場におけるロシアの競争力を実質的に高めている。中東産原油が物流面で混乱に直面するなか、インドと中国はいずれも、ロシア産原油への依存を深める強い誘因を持つことになった。
3月29日には、パキスタンがエジプト、サウジアラビア、トルコとの外交会合を開き、海峡の再開について協議した。これは、この戦争を始めた当事国ではない国々までもが、その経済的打撃の拡大を抑えようと動いていることを示すものだ。米軍は3月19日に海峡再開に向けた作戦を開始したが、3月30日時点でも通航の混乱はなお深刻なままである。
30人を超える石油・ガストレーダー、企業幹部、ブローカー、海運関係者、顧問らとの対話で、繰り返し聞かれたのは、ひとつの認識だった。すなわち、世界はいまだこの事態の深刻さを十分に理解していない、ということである。多くが1970年代の石油危機との類似を指摘し、ホルムズ海峡の封鎖が長引けば、さらに大きな危機を招くと警告した。
ホルムズ海峡は、単なる航路以上の意味を持つ存在であり続けてきた。それは、集中と依存、そして途切れることのない輸送を前提に築かれてきた世界のエネルギー体制を象徴する場所である。その体制はいま、自然災害ではなく、人間の意図的な選択によって壊れつつある。いま世界に問われているのは、単にこの水路をどう再開するかではない。わずか21マイルの係争水域に世界経済の命運を委ねるような仕組みから、何かを学んできたのかどうかである。
イランが海峡で海運を脅かす意思と能力を保ち続ける日々は、世界をより深刻な経済的損害へと近づけていく。時間は刻々と過ぎている。マニラのガソリンスタンドの行列、カシミールの空になったガスボンベ、シカゴの商品先物市場の画面――世界はいま、依存の代償が現実のものとなっていく光景を見つめている。(原文へ)
INPS Japan
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日本とカザフスタンが接近―イラン危機がエネルギーと安全保障の優先課題を再編
イラン情勢の不安定化によって、日本の中東産原油への依存が改めて浮き彫りになるなか、日本はより強靱な供給網、代替的なエネルギールート、そして核軍縮をめぐる協力の強化を求めて、カザフスタンとの関係を深めている。
【東京INPS Japan=浅霧勝浩】
イランを巡る緊張が深まり、世界のエネルギー市場に不透明感が広がるなか、日本は改めて、自国が抱える構造的な弱点に直面している。中東産原油への高い依存である。|英語版|
日本は長年にわたり、戦争や対立、混乱に繰り返し揺さぶられてきた地域から原油を輸入してきた。ホルムズ海峡とその周辺海域の安定が再び脅かされるなか、東京は供給源と輸送ルートの双方を多角化する動きを加速させている。そのなかで、カザフスタンはますます重要な協力相手として浮上している。
もっとも、日本とカザフスタンの関係強化は、石油、ウラン、物流だけにとどまらない。そこには、より深い歴史的・倫理的な次元がある。両国はいずれも核による被害の記憶を抱え、その記憶を対話、協力、そして平和を訴える基盤へと転化しようとしてきた。
日本が中央アジアへの関心を強めたのは、今回のイラン危機が直接のきっかけではない。2025年12月、日本は東京で「中央アジア+日本」首脳会合を開催し、「東京宣言」を採択した。そこでは、重要鉱物の供給網強化と輸送ルートの多角化が戦略的優先課題として打ち出された。
その枠組みは、その後さらに切迫した意味を帯びるようになった。
その重要な要素の一つが、トランス・カスピ海国際輸送回廊、いわゆるミドル・コリドーである。ロシアを経由せずに中央アジアと欧州を結ぶこのルートは、エネルギーや戦略物資の新たな輸送路として注目を集めている。戦争、制裁、海上輸送の混乱、大国間競争の激化といった時代にあって、日本にとってこのような回廊の重要性は一段と高まっている。
その中核に位置するのがカザフスタンである。
日本のエネルギー権益はすでにカスピ海地域に及んでいる。日本企業INPEXは、カザフスタンのカシャガン油田やアゼルバイジャンのACG油田など、主要な地域油田に権益を保有している。これらの油田から産出される原油は、日本にとって中東産原油の代替供給源となり得る。また、カスピ海や地中海を経由するルートを利用すれば、ホルムズ海峡を回避することも可能だが、その分、輸送日数は延び、輸送コストも上昇する。
これは、日本の発想が変わりつつあることを示している。多角化とは、もはや単に新たな供給国を探すことではない。貿易の地理的構造そのものに潜む脆弱性を減らすことでもある。
それでもなお、エネルギーだけでは日本とカザフスタンの関係の特質は説明しきれない。
この関係に独特の深みを与えているのは、核被害という共通の歴史的経験である。カザフスタンは旧ソ連時代、セミパラチンスク核実験場で行われた456回の核実験による深刻な影響を受けた。日本は、戦時下で原子爆弾投下を受けた唯一の国であり、広島と長崎は、核兵器がもたらす壊滅的な人的被害の象徴であり続けている。
両者の歴史は異なる。だが、そこから生まれた倫理的な語彙には通じ合うものがある。
核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)、創価学会インタナショナル(SGI)、広島・長崎の被爆者であるヒバクシャを含む市民社会の担い手たちと協力し、核兵器と核実験がもたらす人道的帰結への関心を喚起してきた。会議、展示会、証言活動を通じて、こうした経験は国際的な議論のなかで可視化され続けている。とりわけ、核をめぐる議論が抑止理論や地政学的対立へと矮小化されがちな時代にあって、その意義は大きい。
ここで重要になるのが、カザフスタン外交における「対話」の側面である。
カザフスタンは、2003年からアスタナで開催してきた世界伝統宗教リーダー会議を通じて、単なる資源供給国や通過国ではなく、政治、宗教、文明の分断を越える対話の結節点として自らを位置づけてきた。この取り組みは、非核化、仲介、共生を柱とする同国の外交的アイデンティティの一部となっている。
日本にとって、これはカザフスタンの重要性にもう一つの層を加えるものである。カザフスタンは石油、ウラン、輸送ルートを持つ国であるだけでなく、自らの苦難の歴史を、平和、信頼、人間の安全保障をめぐる外交へと転化してきた国家でもある。
こうしたアプローチは、複数の危機が重なり合う現代世界の現実と響き合っている。
カザフスタンのカシムジョマルト・トカエフ大統領が警告しているように、核リスクは再び高まっている。同時に、エネルギー不安、供給網の脆弱性、地政学的分断も深刻化している。これらはもはや別個の政策課題ではない。相互に絡み合う問題となっている。
この文脈のなかで、日本とカザフスタンの関係は、より広い示唆を持つ。
国家間の協力は、経済的・戦略的利益だけによって形づくられる必要はない。そこには、共有された記憶、道義的目的、そして対話への意志も織り込まれ得る。実務面では、それはエネルギーと輸送をめぐる協力である。政治面では、より安定し、多角的な地域秩序への貢献である。人道面では、安全保障を人間的帰結から切り離してはならないという主張をつなぎとめる営みである。
もちろん、この関係が限界や矛盾を免れているわけではない。代替ルートはコストが高い。国家行動はいまなお戦略計算に大きく左右される。対話だけで戦争の圧力を打ち消すこともできない。
それでも、分断、威圧、核不安が広がる国際環境のなかで、日本とカザフスタンの接近は、単なる戦術的な調整以上の意味を持っている。それは、現実主義と責任を結びつけようとする試みでもある。
だからこそ、この関係は注目に値する。
多くの国が、より狭く、より内向きな国益の定義へと後退しつつある時代にあって、日本とカザフスタンは、資源安全保障と外交、記憶と戦略、国家の強靱性と平和への模索を結びつけるパートナーシップを築こうとしている。
INPS Japan
Inter Press Service (IPS), American Television Network(ATN),...

