Breaking
5年を経て、核兵器禁止条約は世界に何をもたらしたのか
この記事は、戸田記念国際平和研究所が配信したもので、同研究所の許可を得て転載しています。
【Global Outlook=スージー・スナイダー】
2021年1月22日、核兵器禁止条約(TPNW)が発効した。同条約には、加入可能な国の過半数が署名・批准または加入しており、核兵器を最も包括的に禁じる条約を支持する「世界多数派」の存在を示している。
重要なのは、TPNWが国際法となって以降、核兵器政策をめぐる国際的な議論に具体的な影響を与えてきた点である。本稿では、この5年間にTPNWが核軍縮に与えた影響を5点に分けて検討する。
第1に、核兵器をめぐる長年の法的空白を明確化し、埋めた。
TPNWは、生物兵器や化学兵器など、すでに禁止されている他の大量破壊兵器と同様に、核兵器を包括的に禁止した。国連総会がTPNW交渉を付託する以前、核兵器の保有、開発、生産、使用といった活動を、世界全体を対象に単一の条約で違法化する枠組みは存在しなかった。
国際人道法と国際人権法に根差すTPNWは、核兵器の開発、実験、生産、製造、備蓄、保有、配備受け入れ(ホスティング)、取得を包括的に禁じている。また、核兵器国が条約に参加する場合についても、二つの道を示している。すなわち、締約国間で合意された計画の下で核兵器を廃棄してから参加する方法と、先に廃棄した上で参加し、国際原子力機関(IAEA)の保障措置協定によって兵器関連活動が残っていないことを担保する方法である。
1968年の核不拡散条約(NPT)は、新たな国による核兵器の製造を禁じる一方で、すべての締約国に対して核兵器の使用や保有を一般的に禁じているわけではない。また、1967年以降に採択されてきた非核兵器地帯条約も、核兵器の禁止を特定の地域内に限っている。TPNWは、こうした法的空白を埋めた。
第2に、核兵器がもたらす破局的な人道・環境被害への認識を広げた。
TPNWは、核兵器が人類の生存、環境、社会経済の発展、世界経済、食料安全保障、そして現在および将来世代の健康と福祉に深刻な脅威をもたらし得るという懸念を、多くの国が強めたことを背景に生まれた。
同条約は、広島・長崎の経験と、核兵器が人びとにもたらす破局的で長期にわたる世代間被害の知見を踏まえ、形成されてきた「核のタブー」を強化した。従来、国際的な議論では前面に出にくかった人道的観点を、核軍縮を前進させる取り組みの中心に据えた点が大きい。さらに、核兵器の使用や実験で被害を受けた人びとと地域に対する被害者支援と環境修復を、締約国の義務として盛り込んだ。TPNWは、「人を守る」ための条約である。
第3に、核による威嚇は容認できないという国際的合意を固めた。
TPNWは、核の威嚇を明示的に禁じた初めての多国間条約である。TPNWが国際法となって以降、核兵器国が核使用を公然と示唆する局面が相次いだが、条約は共同対応を促し、未加盟国にも共有される形で影響が波及した。
たとえばTPNW支持国は、国連総会の「ロシアの侵略」に関する第11回特別緊急会合での共同声明などを通じ、ロシアによる核戦力の即応態勢引き上げの示唆を断固として退けた。こうした取り組みは、核兵器の人道的帰結と、核行動を抑制する国際的枠組みの重要性を浮き彫りにした。とりわけTPNWは、「核兵器の使用または使用の威嚇を明示的に禁じる唯一の条約」である。
また、2022年の第1回TPNW締約国会議の終結に際して採択された「ウィーン宣言」も、「核の威嚇はいかなる形であれ―明示的であれ暗示的であれ、また状況のいかんを問わず―明確に非難する」と断じた。
こうした動きは、その後の核の威嚇に対する国際的な非難にも反映された。バリで開かれたG20首脳会議では、核兵器国を含む首脳が「核兵器の使用の威嚇または使用は容認できない」と確認した。北大西洋条約機構(NATO)のイェンス・ストルテンベルグ事務総長(当時)も「核兵器のいかなる使用も絶対に容認できない」と述べた。習近平国家主席やオラフ・ショルツ首相も、TPNW締約国が先に用いた表現に近い言い回しで、核の威嚇を非難している。
第4に、「核の正義」が複数のフォーラムで議題になった。
TPNWの発効以前、核実験が行われた地域における被害者支援や環境修復を、多国間で集中的に議論する機会は限られていた。
TPNWは、国連総会での行動も促した。2023年にはキリバスとカザフスタンが、被害者支援と環境修復のために、すべての国が協力するよう求める決議を主導した。決議は、能力や資源のある国に対し技術・財政支援の提供を奨励するとともに、核兵器を使用または実験した国に、影響に関する技術的・科学的情報を影響を受けた国と共有するよう求め、被害の是正における特別の責任を認めた。反対はフランス、北朝鮮、ロシア、英国の4か国のみで、賛成は171か国、棄権は6か国だった。
「核の正義」は、従来の核軍縮フォーラム以外でも議論されている。国連人権理事会は2024年、マーシャル諸島の「核の遺産」が人権に与える影響に関する報告書を公表した。同報告書は、米国によるマーシャル諸島での核実験がもたらした人権上の含意を扱う一方で、他地域も含め、核実験が残す長期的な影響と人権侵害にも注意を喚起している。
最後に、核兵器産業からの投資撤退を促した。
核兵器に対する社会的な忌避感が強まるにつれ、企業が核兵器産業に関与することは、商業面でも「評判リスク」を伴う行為になっている。銀行や年金基金など、総資産で少なくとも4兆7000億ドル規模にのぼる金融機関が、核兵器産業に関与する企業への投融資や、そこから利益を得ることを拒んでいる。
TPNWは、核兵器のない世界が遠のいたように見えた時期にあっても、核軍縮が現実の政策課題として前進し得ることを示した。条約は、政府と市民に対し、核兵器のない世界へ向けた前進は可能だという見通しを与えてきた。(原文へ)
スージー・スナイダーは、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)のプログラム担当ディレクターで、投資撤退(ダイベストメント)キャンペーンや金融セクターとの連携を含む戦略目標の設計・実行を統括している。ICANが2017年にノーベル平和賞を受賞した当時を含め、同団体の代表も務めた。10年以上にわたり、核兵器製造に関与する企業への資金の流れを断つ取り組み「Don’t Bank on the Bomb」を統括してきた。Foreign Policy Interrupted/バード大学フェロー(2020年)。Nuclear Free...
1989年からの教訓(ヴィクトル・ガエタン ナショナル・カトリック・レジスター紙シニア国際特派員)
米国の侵攻に立ちはだかった教皇大使
【Agenzia Fides/INPS Japanカラカス/パナマ=ヴィクトル・ガエタン】
先週、米軍がベネズエラでニコラス・マドゥロ・モロス大統領を標的に軍事作戦を行ったことは、36年前に米国が行ったよく似た作戦を想起させる。1989年の一件は、バチカン外交に注目を集めると同時に、聖座(教皇庁)の意思決定が世俗国家の計算とは異なることを浮き彫りにした。|イタリア語版|スペイン語|フランス語|ドイツ語|中国語|英語|
標的は「一人の男」
1989年12月20日、米国のジョージ・H・W・ブッシュ大統領は、2万7500人の兵員をパナマに投入して侵攻し、政権を転覆させ、軍事独裁者マヌエル・ノリエガの逮捕を命じた。ノリエガは元CIA協力者ともされ、コカイン密輸、マネーロンダリング、反民主的行為で告発されていた。こうした罪状は、現在マドゥロ大統領と妻のシリア・フローレス氏が直面している告発と重なる。
1989年当時の公式推計では、死者はパナマ側500~560人、米軍側23人とされた。一方、地元の情報源は、死者が最大4000人に上り、被害額も20億米ドルを超えたと見積もっている。
ノリエガは間一髪で拘束を免れたが、懸賞金100万ドルが懸けられていた。米軍が首都で行方を追い、家族も潜伏する中、ノリエガが頼ったのは教皇大使館だった。クリスマスイブ、彼は教皇大使ホセ・セバスティアン・ラボア・ガジェゴ大司教(1923~2013)
2023に電話をかけ、教皇大使館での即時庇護を求めた。
ノリエガは教会の友ではなかった。実際、ラボア本人に嫌がらせをしたこともある。それでも教皇大使は、暴力の拡大を避けるため迅速に動き、独裁者と数人の側近に庇護を与えた。
まもなく米軍が教皇大使館を包囲し、ヘリコプターが上空を旋回した。しかし外交特権により、館内は守られ、逃亡者を含む全員の安全が確保された。
聖座は、米国の示威的な武力行使を評価しなかった。パナマ侵攻は国際法違反だと考えたのである。
主権
領土主権は国際秩序の中核をなす概念である。聖座は、ノリエガ本人の同意なしに、聖座の外交トップが「占領権力」と呼んだ米国へ彼を引き渡すことはなかった。
教皇大使は、ノリエガが教皇大使館にとどまれると保証したという。「最後の瞬間まで私は言い続けた。『ここにいなさい。われわれは決してあなたを追い出さない』と」
当初、米国務長官は「犯罪者に庇護の権利はない」として聖座に圧力をかけ、引き渡しを迫った。しかし聖座は、米国のパナマ侵攻は国際法違反だとして、ノリエガを本人の意思に反して米国に引き渡すことはできないとした。
同様に、教皇レオ14世が1月4日のアンジェルスでベネズエラに言及した際も、「国家主権の擁護」を明確に打ち出した。主権主体である聖座は、主権国家から成る国際秩序の一員として、この世界秩序を守る立場にある。米国は、それを1989年のパナマ、2003年のイラク、そして2026年のベネズエラで侵害してきた、との認識に立っている。
聖座の主権は、1929年のラテラノ条約によって明確化された。これは聖座の独立を守る盾であり、このため教皇とその外交官たちは、国際法秩序という考え方の強い擁護者となっている。
中立性と司牧的配慮
パナマでの対峙で聖座が守ったもう一つの価値は、中立性である。聖座は政治的、あるいは軍事的対立のいずれにも与せず、中立を保つことを重視する。
教皇大使は、ノリエガ一行、新たなパナマ当局、米国政府という当事者に対し、等距離を保った。
ノリエガは教皇大使館で約1週間半、何をして過ごしたのか。米軍が建物に向けて大音量のロック音楽を流し、投光器で窓を照らし続ける中、彼は眠り、本を読み、ミサに参列した。
教皇大使が予期せぬ客に対して用いた主な手段は、言葉による説得だった。ラボアはノリエガと長く話し合い、考え得る展開を一つひとつ検討しながら、最善の道を選ぶよう促した。さらに司牧者としても向き合い、説教を行い、キリスト教の徳を思い起こさせた。
つまりラボアは、ローマと常に連絡を取りながら、司牧者として逃亡者に寄り添い、導く役割を果たしていた。ここにこそ、カトリック教会が外国の指導者と関わる際の特徴が表れている。
指導者はまず一人の人間として扱われる。私たちと同じく罪を抱える存在である一方、立ち直り(救い)の可能性を持つ存在でもある。状況を分析する際の中心には、常に個人とその尊厳が置かれる。人間は決して「使い捨て」にされる存在ではない。
終局
最終的にノリエガ将軍は折れた。きっかけとなったのは、数千人規模の反ノリエガ派市民が教皇大使館の門の外で抗議した日のことだった。教皇大使は、群衆が敷地に押し寄せれば、米軍に攻撃の口実を与えかねないとノリエガに説明した。
朝のミサで、将軍は最後列に座っていた。洗礼は受けていたが、霊的な助言をブラジル人の呪術師に求めていたとも報じられている。ラボアは説教で「忠誠は移ろうが、神は変わらない」と語り、ノリエガは聖体を受けた。
数時間後、独裁者は軍服を着て「行く準備ができた」と告げた。聖書は手元に置きたいと頼んだという。ノリエガは3人の司祭とともに教皇大使館の前庭を横切って正門へ向かい、そこで投降した。流血のない投降によって、目先の危機は収束した。米国は聖座の要請を受け、ノリエガに死刑を科さないと約束し、その約束は守られた。
ラボアは、個人に仕えながら、暴力を忌み嫌う教会の立場に沿って、緊張が極限に達した局面を非暴力で収拾した。
暴力にノーを
こうした姿勢は、レオ14世のアンジェルスの言葉にも表れている。教皇は祈りの中で、こう語った。「愛するベネズエラの人々の善が、あらゆる他の考慮に優先され、暴力を乗り越える道を開きますように」
さらに、ベネズエラ司教協議会は、米軍の作戦で命を落とした約80人(治安部隊32人を含む)を悼んだ。こうした犠牲に同様に言及する声は、ほかに多くはなかった。司教団は「負傷者と遺族に連帯する。国民の一致のため、祈り続けよう」と記した。
聖座はベネズエラについて、現地に情報源を持つ。国務長官ピエトロ・パロリン枢機卿は2009~13年に教皇大使として同国に赴任していた。現教皇大使のアルベルト・オルテガ・マルティン大司教も1年以上滞在し、ヨルダン、イラク、チリでの勤務経験を持つ。昨年7月には、拘束されていた米国人司祭の解放に関与したとも報じられた。
教皇の指導の下、聖座の外交官は目立たない形で動く。36年前のラボア大司教と同様、ベネズエラにおいても、複雑な国際的対立の中で解決の道を粘り強く探っているとみられる。
ヴィクトル・ガエタンは、米誌『ナショナル・カトリック・レジスター』の上級特派員(国際問題担当)。『フォーリン・アフェアーズ』にも寄稿し、カトリック・ニュース・サービスにも寄与してきた。著書に『God’s Diplomats: Pope Francis, Vatican Diplomacy, and...
イスラエルの「核の曖昧性」の歴史―それが地域に与える影響
【テルアビブ/東京=ロマン・ヤヌシェフスキー】
イスラエルは60年以上にわたり、世界でも独特の核姿勢を維持してきた。多くの専門家や情報機関の分析では、同国が核兵器を保有していると広くみられている。しかしイスラエルは、核兵器の保有を公式に肯定も否定もしていない。
この意図的な沈黙は「核の曖昧性」と呼ばれ、ヘブライ語では「アミムート(amimut)」とされる。これはイスラエルの国家安全保障の中核を成す考え方であり、中東の戦略環境を形づくる重要な要素となっている。|ロシア語版|英語|
「沈黙」こそが戦略
イスラエルが核の曖昧性を保つ理由はいくつかある。第一は、挑発せずに抑止するためだ。潜在的な敵対勢力が「攻撃すれば壊滅的な結果を招きかねない」と認識していれば、イスラエルは公然と脅したり、核能力を誇示したりしなくても、戦争を思いとどまらせることができる。
曖昧性には、核保有を明確に宣言した場合に伴うリスクを避ける効果もある。中東は緊張が高く、軍備管理の仕組みは脆弱で、対立も根深い。核の地位を不明確にしておくことで、イスラエルは核をめぐる瀬戸際外交(チキンゲーム)を避けようとしてきた。加えて、イスラエルが核を持つと断定できない状況であれば、アラブ諸国などが「対抗措置」を迫られる政治的圧力も相対的に弱まる。不確実性そのものが戦略的な道具になるというわけだ。
第二の理由は、法的・外交的な負担を避けるためである。イスラエルは核不拡散条約(NPT)に加盟していない。核保有を公式に認めなければ、査察要求や制裁、法的拘束をめぐる圧力を受けにくい。
核の曖昧性は、ワシントンとの関係管理にも役立ってきた。イスラエルは核実験を公然と行わず、保有宣言もせず、核技術を他国に移転もしない―。そうした姿勢のもとでは、米政権にとっても正面から問題化しにくく、黙認しやすい環境が生まれる。
さらに、イスラエルの安全保障思想には歴史的背景が強く影を落としている。ホロコーストの記憶と、建国後に繰り返された生存をかけた戦争の体験である。そのため、仮に核能力が存在するとしても、イスラエル国内では一般に、日常的な軍事手段ではなく、国家的破局を防ぐための「最後の備え」として理解されている。
イスラエルとイラン―際立つ対比
現在、イスラエルにとって最大の地域的な対立相手は、イラン・イスラム共和国である。イスラエル側は、イランがイスラエルの存立を脅かす言動を繰り返し、国際的な制約がある中でも核関連能力の追求を続けてきたとみている。
こうした構図が、イスラエルが強調する「違い」を際立たせる。イスラエルは、自国の核姿勢(非公表で、防衛目的とされる)を「抑止のための必要悪」と説明する一方、イランの動きは地域を不安定化させるものだとして強く反対している。
イスラエル核開発の起源
イスラエルが核開発に乗り出したのは、1948年の建国後まもなくである。敵対的な周辺環境とホロコーストの記憶の下で、初期の指導者たちは国家の生存には「自前の抑止力」が不可欠だと考えた。とりわけ初代首相デビッド・ベングリオンは、先端的な科学技術と軍事力が、国家存立を脅かす危機を防ぐうえで重要だと信じていた。
1950年代後半、イスラエルはネゲブ砂漠のディモナ近郊で核施設の建設に着手した。フランスの大きな支援を受け、表向きは民生用の研究炉として説明されたが、実際には核兵器に必要なプルトニウムを生産できる能力を備える設計だった。
1960年代初頭までに、西側の情報機関は、この施設が軍事目的の核計画を支え得ると見ていた。もっともイスラエルは、核開発をめぐって米国と正面衝突することは避けた。ワシントンが査察の受け入れと説明を求める一方で、イスラエル側は情報開示を慎重に管理し、限定的な訪問を認めながらも、施設の核心部分については厳格な秘密主義を貫いた。
「核の曖昧性」という選択
イスラエルは、自らを核保有国として公然と宣言する代わりに、意図的な曖昧性という戦略を採った。これを象徴するのが、「イスラエルは中東に核兵器を最初に“持ち込まない”」という、よく知られた表現である。
この文言は意図的に曖昧で、「持ち込む」とは保有なのか、実験なのか、配備なのか、それとも公表なのか―解釈の余地を残している。つまり、抑止のシグナルを発しつつ、公式な認知は避けられる。
この政策は複数の目的を同時に満たす。イスラエルが核能力を持つと想定する相手を抑止しながら、明確な宣言に伴う外交的反発を避けることができる。さらに、NPT加盟などの国際的な法的枠組みへの参加を免れ、査察や制裁、国際的孤立のリスクを抑える効果もある。とりわけ、西側の政治・軍事支援に依存していた時期には、こうした利点は大きかった。
秘密主義と「統制された情報開示」
イスラエルの核計画は長年、世界でも最も厳重に秘匿されてきた。最大の情報流出は1986年、ディモナ施設の元技術者モルデハイ・バヌヌが英紙に対し、核能力の詳細を明かした出来事だった。報道は、イスラエルが相当数の核兵器を生産し、高度な技術力を有している可能性を示唆した。
バヌヌはその後、拉致され、イスラエルで裁かれて投獄された。核の秘密を守る国家の強い意思を示す出来事でもあった。ただし、この暴露後もイスラエルは公式方針を変えなかった。
その後、イスラエルは高度なミサイル戦力を整備し、潜水艦に基づく「第二撃能力(反撃能力)」も確立したと広く見られている。それでも指導者たちは、核兵器について公の場で語ることを避け、曖昧性を一貫した政策として維持してきた。
地域安全保障への影響
イスラエルの核の曖昧性は、中東の安全保障環境に広範な影響を及ぼしてきた。
抑止と安定
核能力の存在が広く信じられていること自体が抑止として働き、1970年代以降、イスラエルに対する大規模な通常戦争を思いとどまらせたとする見方がある。能力や「越えてはならない線(レッドライン)」をあえて明確にしないことで、相手の計算を難しくし、国家存立を脅かす攻撃の代償を引き上げる狙いがある。
不拡散体制への影響
イスラエルが核不拡散条約(NPT)の枠外にあることは、長年にわたり論争の的となってきた。批判側は、核保有を宣言しないまま核を持つことが、不拡散の規範を弱めると主張する。とりわけ、他国が厳しい監視と査察にさらされる地域では、その不均衡が問題視されやすい。一方、擁護側は、イスラエルの特殊な安全保障環境が例外的な措置を正当化し得ると反論する。さらに、長年にわたる抑制的な運用は、他の拡散事例とは異なるという立場である。
地域の軍拡の構図
イスラエルの核姿勢は、周辺国の戦略計算にも影響を与えてきた。過去には、イスラエルの推定核戦力を理由に、自国の核開発を正当化した国もある。多くの計画は頓挫したものの、「戦略バランスが不均衡だ」という認識は、いまなお不信と緊張の火種となっている。
イランをめぐる現在の圧力
近年は、イランの核をめぐる懸念が高まる中で、イスラエルの核の曖昧性は改めて重要性を帯びている。イスラエルは自国の未申告の抑止力を「防衛上の必要」と位置づける一方、イランが核兵器に近づく動きには強く反対する。抑止力が公式の国際枠組みの外にあることで、外交は一層複雑化し、地域の分断も深まりかねない。
This article is brought to you by INPS Japan in collaboration...
核時代80年:ラテンアメリカの軍縮路線が示す「対抗モデル」
【メキシコシティーINPS Japan=ギレルモ・アヤラ・アラニス】
核抑止が再び世界の権力構造の柱として前面に出つつある中で、ラテンアメリカ・カリブ海地域は、核兵器に依存しない安全保障という立場を粘り強く掲げている。安全は核によってではなく、核兵器を持たないことによってこそ確かなものになる―という考え方である。
|英語版|スペイン語|
その確信を中心に据えるのが、新刊『A 80 años de la era nuclear: ¿Dónde...

