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太平洋平和度指数は必要か?

この記事は、戸田記念国際平和研究所が配信したもので、同研究所の許可を得て転載しています。 【Global Outlook=アンナ・ナウパ】 世界的に見て、平和度の平均レベルは0.36%の悪化を示している。地政学的緊張、紛争の増加、経済の不確実性の増大を背景に軍事化を強化する国が増えているためだ。 しかし、この統計には太平洋島嶼国の大部分が含まれていない。2025年の世界平和度指数(GPI)のランキングに含まれているのは、わずか3カ国である。163カ国のうちニュージーランドが3位、オーストラリアが18位、そしてパプアニューギニアが116位である。(日・英)  「平和の海(Ocean of Peace)」構想をめぐる地域対話が進むにつれ、2025年7月の太平洋地域・国家安全保障会議でソロモン諸島のトランスフォーム・アコラウ教授が提案したように、太平洋地域に特化した太平洋平和度指数があれば、太平洋諸島フォーラム加盟国の間で発展的な政治的対話を行うもう一つの道ができるだろう。 では、太平洋における平和とはどのように定義されるだろうか? 太平洋独自の平和度の尺度は、地域の平和と安全保障を守る既存の取り組みをどのように補完し得るだろうか? 太平洋の平和とは何か? 平和とは、単に紛争や暴力がないことではなく、人々が恐怖を抱くことなく充実した健康的で豊かな生活を送ることを可能にする地球規模の公共財である。 「平和は人々に奉仕しなければならない。地域のエリートではなく、地政学ではなく、遠く離れた利害のためではない」と、アコラウ教授は述べ、太平洋の平和というビジョンを明確に示した。またフィジーのシャミマ・アリ氏は、平和は太平洋地域全体、特に女性と脆弱な人々の安全とウェルビーイングに影響を及ぼすより広範な要因にも取り組まなければならないと指摘する。 平和と開発は、同じコインの裏と表である。「ブルーパシフィック大陸のための太平洋2050年戦略」は、太平洋の人々にとって自由で健康的で生産的な生活を実現するための重要な要素として、調和、安全保障、社会的包摂、繁栄とともに平和を挙げている。従って、太平洋の平和を実現するためには、ウェルビーイングを確保し、人々と地域・環境を保護し、現在および将来世代のために未来を担保する必要がある。そして、未来を担保するには、気候変動に立ち向かうための行動と主権の保護が必要である。 世界的指数は、太平洋諸島のデータの欠落、一方的な開発方針、指標のバイアスについてさまざまに批判されており、状況が十分に反映されていない手法であったり、あるいは太平洋のデータセット、指数を作成するために多大なリソースが必要であったとしても、こうした指標は、有益な情報を政策決定者に提供すると考えられる。 太平洋平和度指数は何を測定するか? 太平洋地域における平和度を測定し観測する出発点として、国連持続可能な開発目標16(「平和目標」)に対する各国の既存の取り組みが挙げられる。 「持続可能な開発のための太平洋ロードマップ」では、暴力の経験、司法アクセス、市民登録と法的アイデンティティー、公共支出の透明性、情報へのアクセスと意思決定過程への参加に関する見解などを、地域レベルの報告用に、八つのSDG16指標に反映させている。 2022年、太平洋諸島フォーラム事務局長が主導した地域モニタリング報告書において、SDG16に関する利用可能なデータが乏しいために太平洋地域の進捗状況を測定することが困難になっていることが明らかになった。これはおおむね世界的傾向を反映しており、さらなるデータ作成努力とSDG16に関する測定を行う統計能力のために投資を行う必要がある。 この報告書では、実効性のある制度、透明性、説明責任の推進という点で太平洋は後退していることも明らかになった。 しかし、「地域安全保障に係るボエ宣言」や「太平洋2050年戦略」の平和と安全保障の柱が求める期待を満たすために、太平洋地域の状況に即したSGD16指標があれば十分だろうか? この種の報告は、「太平洋平和度指数」として代用し得るものだろうか? これらの問いに答えることは、本来技術的であるとともに政治的でもあるため、二つのことを念頭に置くべきである。 1) 平和は太平洋の社会構造と文化構造に根差している 現行の状況に即したSDG16指標は、地域戦略に整合してはいるものの、太平洋の平和観の深みを反映していない。 太平洋島嶼国の平和に対する政策には、十分な裏付けがある。毎年、伝統的な安全保障協力からジェンダーに基づく暴力への取り組み、気候緩和、人道支援または民主的プロセスへの投資まで多岐にわたる安全保障の拡大構想に対応した新たなイニシアチブが発表されている。 しかし、地元主導の平和イニシアチブが国や地域レベルの努力にどのように貢献し、太平洋全体のウェルビーイングにどのように貢献するかについては、依然として知見のギャップがある。これらのギャップを埋めることで、太平洋地域の平和のナラティブをより包括的に語ることができるようになり、それを太平洋平和度指数に組み入れることができるだろう。例えば、ブーゲンビル危機、ソロモン諸島の民族間緊張、そして一連のフィジーにおけるクーデターの後に行われた平和構築対話は、伝統的な紛争解決手法を活用するなど、地元主導のアプローチの重要な貢献を浮き彫りにした。 2) 目的を持った平和のストーリーを語る しかし、太平洋の平和は、個々のデータポイントや期間限定の安全保障関連プロジェクトを寄せ集めただけのものではない。平和とは進化するプロセスであり、未来志向であり、先見的な目的を持った取り組みである。 太平洋諸島フォーラムのバロン・ワカ事務局長は、平和が「主権、レジリエンス、包摂、地域連帯に連結されたもの」でなければならないと強調している。多くの太平洋の研究者らも同じ意見であり、多くの太平洋島嶼民を今なお圧迫し続けている植民地主義、軍事化、制約された主権と正義という長年にわたる問題に取り組まない限り真の平和はないと主張している。 地域のストーリーを語るということは、例えばツバルに対する国際的な独立国家としての承認、国際司法裁判所が近頃出した気候変動に関する画期的な勧告的意見、地域に残る核実験の爪痕、政治的不安定や選挙、ウェルビーイングの評価などを地域の平和観と結び付けることを意味する。これらを総合することによって、地域の平和を築くために寄与する全ての要素を把握し始めることができるのである。 ここからどこへ向かうのか? もう一つ別のツールに、「平和な社会を維持し創出する態度、制度、構造」を測定する積極的平和度指数がある。これは、社会経済的発展、公正、良好な統治、実効性のある制度、包摂、レジリエンス、外交を評価する。太平洋平和度指数もこれを採用することによって、既存の世界的指数には欠けている、太平洋先住民の平和に対する哲学や社会的結束、ウェルビーイング、和解などの価値観を組み込み、地域の状況を国ごとに追跡することできるだろう。 多国家にまたがる指数は多大な能力を必要とする。そこで、太平洋の平和状況評価では、代わりによりシンプルな選択肢を提供してもよい。これには、地域機構が作成した既存の太平洋地域安全保障見通し報告書に専用セクションを設けることが考えられる。あるいは、地域の学術機関に支援を仰ぐことも考えられる(例えばトラック2外交を通して)。また、平和サミットに投資することも、継続的な地域の平和対話に機会を提供する。 ただし、既存の地域メカニズムを複製させるのではなく、補強することに重点を置かなければならない。 太平洋平和度指数の意義は、a) 安全保障と開発を橋渡しする、b)...

太平洋諸島海洋会議:伝統知と科学を結ぶ声

【ホニアラ(ソロモン諸島)IPS=セラ・セフェティ】 ヘリテージ・ホテルの大会議場には、太平洋地域の人々の声が満ちていた―それはスピーチだけでなく、歌、リズム、詩を通して響きわたった。ドリームキャスト・シアター・パフォーミング・アーツのメンバーが第2回太平洋諸島海洋会議の幕を開け、参加者に思い出させた。なぜ自分たちはここに集ったのか―それは「耳を傾けるため」である。科学の声に。地域社会の声に。そして海そのものの声に。 この5日間の会議を通して響いたメッセージは明確だった。―太平洋の海を守るためには、伝統的知識と現代科学を結びつけ、太平洋地域の人々の生活経験に根ざした政策を築くための、統一的アプローチが不可欠であるということだ。 「われわれは皆、ひとつになって、各分野が連携しながら活動できる包括的で強固な枠組みを考えなければならない。海を、そして国家建設の礎である資源を守るために何をすべきか、その方向性を共に見出す必要がある。」と、太平洋海洋コミッショナー事務局(OPOC)のフィリモン・マノニ事務局長は語った。 地域社会の声 多くの国際会議が専門用語や政策文言に支配される中で、この会議の中心にいたのは太平洋の地域社会だった。首長、漁師、若者のリーダー、環境保全の実践者らが、魚資源の減少や海岸浸食などの課題を率直に語り、政府や科学者に「聞くだけでなく行動を」と訴えた。 サモアのコンサベーション・インターナショナル所属のレウサリロ・レイラニ・ダフィ氏は、地域主導による生物多様性保全に取り組んでいる。「伝統知を科学に織り込むという話をしますが、私たちはすでにその“織り”を続けてきました。ただ、それをさらに広げ、太平洋諸国がいかに一体となって取り組んできたかを世界に示す必要があるのです。」と語った。 ダフィ氏は、政治的対立が議会では指導者たちを分断しても、環境は地域を結びつける力であり続けると強調した。 「私たち太平洋の島々は、大国のような“余裕”を持ちません。小さな陸地を抱く大きな海の国家なのです。もし私たちが、これまでのように持続可能な形で海を管理しなければ、海が私たちを呑み込んでしまうでしょう。」 海は血脈である 太平洋の人々にとって、海は単なる地理的存在ではない。それは血脈であり、歴史であり、生計であり、アイデンティティであり、信仰である。衛星もスーパーコンピューターもなかった何世紀も前から、太平洋の航海者たちは星や波、風を読み取り、何千マイルもの海を渡ってきた。この遺産はいまも地域社会の根底に息づいている。 気候変動の加速により、海面上昇や激甚化する嵐が島々を脅かす中、太平洋の指導者たちはこの海洋的知恵を単なる民話ではなく、レジリエンス(回復力)を支える重要な資源と見なしている。 「同じことを語っているのです。ただ、使う言語が違うだけ」と語るのは、先住知と海洋生物の関係性を研究するサラニエタ・キトレレイ博士だ。 彼女は、フィジーで科学者と村人が協力し、温暖な海域から冷涼な海域へサンゴを移植して死滅した礁を再生させる取り組みを紹介した。 伝統知を“データ”として 会議に参加した科学者たちは、伝統知のかけがえのない価値を認めた。太平洋共同体(SPC)海洋科学センターのジェローム・オーカン所長は、伝統知がしばしば「データの空白を埋める」と説明する。 「高潮やサイクロン時の高波を予測する早期警戒システムを考えるとき、われわれは過去の経験に学びます」とオーカン氏は述べた。 だが多くの地域では観測装置のデータが存在しない。その代わりに、地域の記憶が頼りとなる。 「唯一の“データ”は、あの日何が起きたかという長老たちの記憶です。水がどこまで来たか、波の高さ、被害の程度――それらを鮮明に覚えている。こうした記憶は30年、40年、60年前にまでさかのぼることもあります。私たちはそれをもとに過去の嵐を再構築し、将来の予測精度を高めているのです。」 オーカン氏は強調した。「これは逸話ではありません。立派な証拠です。そして欠かすことのできないものです。」 太平洋自身の科学 SPCのケイティ・ソアピ博士はこう述べた。「太平洋には、もともと独自の科学が息づいています。海の健康を見極める伝統的な観察体系は高度なものです。衛星地図やサンゴの遺伝子解析といった新しい手法と組み合わせれば、私たちの海を守るための強力で全体的なアプローチが生まれます。」 その統合は、いま地域の海洋ガバナンスにも反映されている。太平洋海洋コミッショナー事務局(OPOC)は、伝統知と現代科学の双方を意思決定の枠組みに組み込む取り組みを進めている。 「先住知を“逸話”として扱う余裕はありません」とマノニ事務局長は述べる。「それは何世代にもわたって試され、生き抜いてきた証拠なのです。科学と伝統を結び合わせることで、最も完全な海洋管理の姿が見えてくるのです。」 漁業が示す教訓 この両者の融合を最も鮮やかに示す例の一つが、漁業管理である。太平洋諸島フォーラム漁業機関(FFA)のノアン・パコップ事務局長は、地域の慣習がいかに現代政策に影響を与えてきたかを説明した。 「地域社会では昔から“タブ(禁漁)エリア”を設け、魚が再生する期間を守ってきました」と彼は語る。「こうした慣行は、現代の保全手法と軌を一にしています。地域の観察と科学的な資源データを組み合わせることで、太平洋全域に利益をもたらす、より強固で持続可能なマグロ管理システムを築くことができました。」 しかし課題も残る。気候変動、生物多様性、海洋ガバナンスに関する国際交渉の場では、依然として西洋の科学が優位を占めている。会議の参加者たちは、知識体系の公平な評価を求めた。 世界に示す共有モデル 会議が共有したビジョンは明確だ。――太平洋の海を100%保護し、そのうち少なくとも30%を持続可能な形で管理するという、世界的な生物多様性目標に沿った未来である。 だがその道筋は、あくまで「太平洋流」でなければならない。地域社会、文化、つながりに根ざしたものであることが強調された。 これは単なる保全ではない。生存の問題である。海面上昇はすでに海岸線を飲み込み、温暖化した海は漁業と食料安全保障を脅かし、サイクロンは勢力を増している。小島嶼国にとって、危機は目前に迫っている。 しかしホニアラでのこの会議が示したのは、被害者の物語ではない。リーダーシップの物語である。フィジーの村でのサンゴ移植、長老の記憶を活かした気象予測モデル、タブと衛星・地理空間データを組み合わせたマグロ管理――太平洋は、古代の知恵と現代科学が共に帆を上げる新たな航路を描いている。 世界はその航海を見つめている。そしてダフィ氏が代表団に思い出させたように、太平洋の最大の贈り物とは、「海への敬意」は新しい理念ではなく、太平洋の人々の生き方そのものだということである。 「保全は輸入された概念ではありません。それはずっと私たちの生活の一部でした。いま必要なのは、世界がすでに私たちの知っていることに耳を傾けることです。」 ホニアラの会場に静けさが戻るころ、その“耳を傾ける”という呼びかけは残響のように漂っていた。海を守るということは、政策や制度の問題だけではない。それは、物語であり、記憶であり、そして波に刻まれた人々の知恵そのものなのだ。(原文へ) INPS Japan/IPS UN Bureau Office 関連記事: |ソロモン諸島|地政学的な対立が太平洋島嶼諸国を飲み込む中、豪軍がホニアラに軍と警察を派遣 なぜ海洋を中心に据えたグローバル開発が必要なのか 国連海洋会議(UNOC)に向けて、海洋保護の国際的機運が加速

インドネシア民主主義の岐路

―なぜネパールのZ世代はインドネシアの抗議行動に触発されたのかー【カトマンズNepali Times=リリ・ヤン・イン】 インドネシアのプラボウォ・スビアント大統領は就任から11か月も経たないうちに厳しい選択に直面している。国民の怒りと不満に規定された大統領として記憶されるのか、それとも自国が直面する課題を認識し、国益のために行動した指導者として記憶されるのか。 過去1か月にわたりインドネシアを席巻している反政府デモは一時的な突発的反応ではなく、権力乱用や憲法規範の形骸化、基本的人権の侵害に対する長年の鬱積した不満の頂点である。 抗議者たちが求めているのは謝罪や同情ではなく、自らの尊厳と人権が尊重され保障される「まともな生活」への権利である。この「清廉で有能な政府」への切望は、いまや東ティモール、ネパール、フィリピンなど各地の抗議運動にも共鳴している。 プラボウォ政権は2045年までにインドネシアを世界第4位の経済大国に押し上げることを目標に掲げている。そのためには年8%の持続的な成長が必要とされる。しかし、人口の68%が「中所得国」の貧困ライン以下で暮らしている現状では、そうした野心は多くの市民にとって無意味である。 インドネシアは過去にも急速な経済成長を経験した。特にスハルト(1967~98年)の長期独裁政権下においてである。プラボウォの元義父でもあるスハルトの時代を知る国民は、持続的かつ包摂的な発展は「強権政治」ではなく、政治・社会改革によってこそ可能であることを理解している。 前政権を非難したり、与党や有力政党の権力を集中させて短期的安定を得ても、民主主義の強靭性を弱めるだけであり、現政権が下す決定の責任を免れることはできない。いま必要とされるのは、貧困削減、雇用創出、政府への信頼回復に直結する具体的措置である。 四つの優先課題 社会の深まる分断を癒すために、政策立案者は以下の四つの課題に緊急に取り組むべきだ。 第一に、権力分立を徹底し利益相反を排除すること。 民主主義は行政・立法・司法の三権が独立してこそ機能する。しかしインドネシアでは権力が過度に集中しており、多くの政党が家族経営的に運営され、指導者が政府や議会、企業で兼職的に影響力を行使している。この構造は不処罰文化を助長し、国民の信頼を失わせる。 大統領や閣僚、国会指導者を含む公職者が政党役職や国営企業(SOE)、民間企業のポストを同時に兼務することを禁じる明確な倫理規定が必要である。こうした兼職を廃止すれば腐敗は減少し、政策は市民のために機能し、民主主義制度の信頼性も高まるだろう。 第二に、財政の透明性を高めること。 20年間、インドネシアの税収はGDP比10~12%で停滞している。2026年度予算では12%を見込むが、2025年初頭の実績は目標を下回っており、資源収入の減少が追い打ちをかけている。 同時に歳出圧力は高まり続けている。代表的な例が「栄養給食プログラム」である。善意に基づく施策だが予算は171兆ルピア(約30億ドル)と莫大で、2026年には3倍に膨らむ見通しだ。これを全国一律で実施するのではなく、5地域で試験的に導入し予算を5兆ルピア以下に抑える方が効果的である。残りの資金は教師や医療従事者、廃棄物処理労働者の支援、あるいは低・中所得世帯に直接利益をもたらす事業に振り向けるべきだ。 さらに、300兆ルピア規模の「ダナンタラ国富ファンド」創設も不要である。公的債務がGDP比41%に達する中、新規借入は官僚機構拡大ではなく生産的投資に使うべきだ。既存のSOE改革の方が安価で迅速かつ効果的である。2018年に118あったSOEは2024年には64に減少したものの、依然として銀行から観光業まで広範な分野で市場を独占し、中小企業の成長を阻んでいる。 第三に、軍の介入を抑制し、文民統制を強化すること。 軍や警察の政治介入は民主制度を損なう。軍が依然として強大な影響力を持つインドネシアでは、文民による監督や人権規範の厳格な遵守が不可欠である。そうでなければ、ミャンマーやラテンアメリカ、アフリカの一部で見られるような不安定化に陥る危険がある。 第四に、長年棚ざらしにされてきた「資産没収法案(RUU Perampasan Aset)」を成立させること。 この法案は犯罪確定を待たずに不釣り合いな資産を国家が回収できる仕組みを導入するものだ。恣意的な没収ではなく、国民の資産を取り戻すことが目的である。2008年に初めて起草され、2012年に国会に提出されたものの、20年近く放置されてきた。 「不明確な資産」を対象とする民事手続型の資産回収制度を導入すれば、国連「腐敗防止条約」の義務を果たすことになり、政府が権力乱用に抗う市民の側に立つ意思を示すことになる。もしプラボウォが回収した資産を教育・医療・社会保障に充てれば、真に変革的な遺産を残すことができるだろう。 結論 インドネシアの指導部は、弾圧を強める道を選ぶこともできるし、民主主義を強化する道を選ぶこともできる。プラボウォの遺産は選挙での得票率ではなく、人権を尊重し、医療や教育を改善し、良質な雇用を創出したかどうかで評価される。 彼は「スハルト以来最大の抗議行動を招いた大統領」として記憶されるのか、それとも「政治的・社会的・経済的正義を実現した指導者」として讃えられるのか。選択は彼自身に委ねられている。(原文へ) リリ・ヤン・イン:国際経済学会(IEA)事務総長、東アジア・アセアン経済研究所(ERIA)東南アジア地域主任顧問。 INPS Japan 関連記事: 正義が死んだ日 バングラデシュは「アラブの春」と同じ運命をたどるのか? │インドネシア│国民に敬愛されたワヒド元大統領の死を悼む

戦争省: ジョージ・オーウェルは自分の正しさが裏付けられたと感じるだろう

この記事は、戸田記念国際平和研究所が配信したもので、同研究所の許可を得て転載しています。 【Global Outlook=ハルバート・ウルフ】 ドナルド・トランプ大統領が米国の国防総省を「戦争省」に改称する決定を下したのは、ノーベル平和賞を受賞しようとする彼自身のキャンペーンのさなかであった。ホワイトハウスが呼ぶところの「平和の大統領」は、またしても多くの大統領令の一つに署名した。この最新の大統領令により、彼は正式に戦争省という呼称を定めたのである。(日・英)  このニュースを読み、相反する二つの考えが浮かぶ。1949年に発表されたディストピア小説「1984年」の中で、ジョージ・オーウェルは、意図的に現実を反転させ、それぞれが「真実の逆転」を体現する四つの省庁を描いた。そして今、トランプがペンタゴンを「戦争省」と改称しようとしている。これはオーウェルが描いた世界の鏡写しなのだろうか? しかし、トランプは「戦争省」という言葉を用いて本当に真実を歪曲しようとしているのだろうか? もう一つは、「ついに、多少の正直さが現れたか!」という考えである。米軍の第一義の任務は米国の防衛ではなく、彼らは常に世界のどこかで軍事作戦に関与している。直近では、米軍はイランの核施設を攻撃した。2000年以降、米軍は少なくとも十数回の軍事作戦を実行した。アフガニスタンとソマリア、イラクとイラン、リビアとシリア、イエメンとハイチにおいて。そして、誰もがぞっとするような警告として、大統領は、先週米軍がカリブ海でベネズエラ船を麻薬密輸の疑いで攻撃したと述べた。トランプ氏によれば、その船は麻薬カルテルによって運営されていたという。11名が死亡したと伝えられている。 米軍は、米国内を含め世界中に配備されている。大統領は国内の政敵を中傷し、「シカゴはまもなく、それがなぜ戦争省と呼ばれるのか知ることになるだろう」と述べた。覆面武装した当局者が、街頭や工場で移民を一斉に拘束している。反対勢力は敵なのだ。 「二重思考」 ワシントンで現在画策されていることは、結局のところそれほど矛盾していないのだろう。オーウェルは書いている。「われわれを支配する四つの省の名称でさえ、事実を意図的に逆転させるという、ある種の厚かましさを示している。平和省は戦争を、真理省は虚偽を、愛情省は拷問を、豊饒省は飢餓を扱っている。これらの矛盾は偶発的なものではなく、また単なる偽善の産物でもない。それらは、二重思考を意図的に実践したものなのだ」と。オーウェルによれば、「二重思考」とは相反する二つの信念を同時に受け入れ、両方を真実と捉えることができる能力といえる。それこそまさにトランプ政権が常に行っていることではないか? 彼らのナラティブに合わないニュースは「フェイクニュース」とレッテルを貼られる。公式な雇用統計が大統領の意に添わなければ、統計局長が解任される。トランプ政権1期目に、ワシントン・ポストは、トランプによる22,000回以上の誤解を招く、あるいは虚偽の発言を記録した。 オーウェルはまさに四半世紀前に、今日トランプが実践していることを正確に描いていたのではないか? 知りながら、知らないふりをすること、念入りに作られた嘘を信じながら同時に真実も信じること、互いに打ち消し合う矛盾した意見を持ちながら、どちらも信じること。「二重思考」は、不都合な真実を無視することを可能にし、政策の急転換も、敵に対する認識を変えるのと同じぐらいに可能なことなのである。オーウェルは1930年代に執筆したさまざまなエッセーの中で、これらについて構想し、小説「1984年」の中で、世論を操作し権力を維持するための完璧な手段として描いた。米国のトランプ大統領の「二重思考」は今や、肩をすくめる以外になすすべもなく容認されている。多くの者は、その問題に取り組むことから逃げている。国際的にも国内的にも、一部の人々は、彼にお世辞を使うことで恩恵にあずかれることを信じている。 大統領は、国防総省の看板を「戦争省」に掛け代える一方で、彼自身の主張によれば、仲介や介入によって七つの戦争を終わらせたことから、自らをピースメーカーとして描くことが同時にできるわけである。ハリー・S・トルーマン大統領は、1949年に戦争省を国防総省に改組する法律に署名した。冷戦の影が忍び寄る当時の難しい地政学的情勢にもかかわらず、米国政府は改称によって、戦争をしかけるのではなく、国を守るのだという意思を示したのである。しかし、今日われわれが知る通り、事態は全く異なる展開を見せた。朝鮮戦争、ベトナム戦争、アフガ二スタン戦争、これらは、米国にとって特に多大な犠牲が伴った軍事介入の一例に過ぎない。権力を維持し、米国による世界的覇権を確保することは、トランプの前任者の誰にとっても無縁ではなかった。しかし、少なくとも彼らは何とか冷戦を冷たいままに保ち、武力による熱い戦争へとエスカレートすることを防いだ。 「殺傷力」と「戦士の精神」 では、なぜ今になって戦争省に戻すのか? 大統領令に署名する際、トランプは、戦争省のほうが「はるかに適切な名称であり、現在のような世界情勢を考えるとなおさらだ」といとも簡単に述べた。今後は戦争長官と呼ばれることになるピート・ヘグセス国防長官は、こう述べた。「われわれは第1次世界大戦に勝利し、第2次世界大戦に勝利した。しかし、それは国防総省の時ではない、戦争省の時だ」。彼はまた、「われわれは防衛ばかりではない。攻撃もするのだ」という大統領の言葉を引用した。つまり、これはドアの表札を取り替えるというだけの話ではなく、単なる名称変更以上のことなのである。ヘグセスは、国防長官に任命される前からすでに、軍に「殺傷力」と「戦士の精神」を取り戻すことについて語っていた。 今回の改称によって、米国政府は友好国や同盟国の間に動揺を引き起こすだけでなく、ロシアと中国のナラティブを助長することになる。両国は、ドナルド・トランプの大統領就任よりずっと前から、平和を愛し国際法を守る米国というイメージは、実際の外交・安全保障政策を見れば全くのお笑いぐさであるというナラティブを喧伝してきた。価値観、アメリカの開発援助、そして報道の自由の擁護と人権の尊重に基づき、数十年にわたり米国の政策の決定的特徴であった「ソフトパワー」は、もはや時代遅れのものとなっている。トランプ政権は、「ハードパワー」、すなわち軍事力にものをいわせて、関税を課す、グリーンランドやカナダの併合をちらつかせる、パナマ運河の支配権を主張するといった強引な戦術をとり「アメリカ・ファースト」政策を容赦なく押し通しているのだ。 その意味において、国防総省の改称は、モンロー主義や世界中に米国が介入していた時期の記憶を想起させる、後ろ向きではあるが一貫した政策といえる。しかし、それは、世界の危機や戦争に米軍を介入させないとMAGA支持層に約束したトランプの信条とはどう折り合いがつくのだろうか? 「二重思考」の世界であれば、そのような矛盾も可能になるのである! ハルバート・ウルフは、国際関係学の教授であり、ボン国際紛争研究センター(BICC)元所長である。現在は、BICCのシニアフェロー、ドイツのデュースブルグ・エッセン大学・開発平和研究所の非常勤上級研究員、ニュージーランドのオタゴ大学・国立平和紛争研究所の研究員を兼務している。SIPRI(ストックホルム国際平和研究所)の科学評議会の一員でもある。 関連記事: 残酷さの外注化:トランプの大量送還マシン トランプ、民主主義、そして米国合衆国憲法 トランプの第二期政権:アメリカン・エクセプショナリズムの再定義と国連への挑戦