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海外で働く夢が奪った健康

腎不全で帰国した元出稼ぎ労働者、それでも移植後の未来に希望を抱いて 【カトマンズNepali Times=アヴァ・フランシス=ホール】 サガル・タマンがラクシュミ・タマンと初めて出会ったのは、マレーシアとネパールのポカラをつなぐビデオ通話だった。サガルはマレーシアで警備員として働いており、フェイスブックを通じてラクシュミに友達申請を送ったのがきっかけだった。やがて、メッセージや通話を重ねるうちに2人は恋に落ち、将来を語り合うようになった。 ラクシュミには、その未来がはっきりと見えていた。6年後にサガルが帰国し、2人は結婚して子どもを持ち、サガルが海外で貯めた資金で建てた家で暮らし、ラクシュミは仕立て屋を開く——そんな暮らしを夢見ていた。 しかし、サガルはある日、息切れや脚のむくみといった体調不良を訴えた。ラクシュミは帰国を懇願したが、サガルは故郷の土地に家を建て終えるまでは帰れないと強く言い張った。すでに両親はサガルの稼ぎで家を一軒建てており、さらにもう一軒を建てる計画を進めていた。 https://www.youtube.com/watch?v=TS1gc_oLKPY やがて症状は悪化し、ついにサガルは医師の診察を受けた。診断結果は衝撃的だった。両方の腎臓が完全に機能を失っていたのだ。元気だった28歳の若者は、突然透析患者となった。 海外就労の現実 サガルはサンクワサバで両親、5人の姉妹、4人の兄弟と暮らしていた。家族は農地1枚に頼った暮らしをしており、生活は決して楽ではなかった。兄の1人が働きに出たものの十分な収入にはならず、サガルは10年生を終えたばかりで海外就労を決意した。借金を背負い、家族の暮らしを良くしようという思いを胸に、20歳でマレーシアに渡った。 ところが、到着してみると、契約とは違い農作業員として働かされることになった。毎日11時間、炎天下での重労働に疲弊し、海外生活の夢は早々に打ち砕かれた。宿舎も狭く管理が厳しい環境だった。そんな中、携帯電話越しに母の声を聞くことだけが心の支えだった。 2年ほど経つと、同じネパール人労働者たちと親しくなり、海外生活が長期にわたることを覚悟した。最低でも10年は働くつもりだった。会社に申し入れた結果、ようやく警備員の仕事に転職することができた。労働時間は長かったものの、農作業よりははるかに楽だった。 こうして日々の生活は一定のリズムを持つようになった。朝出勤し、帰宅後にはラクシュミに電話し眠りにつく——そんな日々をあと8年は続けるつもりだった。 しかし、2年前、体調が限界に達し、ついにネパールへ帰国。到着後すぐにビル病院へ搬送され、緊急透析治療が始まった。これまでに建てた家には一度も足を踏み入れられていない。 透析という現実 ネパールの腎臓病患者のうち、約4人に1人は海外からの帰国者だと推定されている。過酷な暑さ、脱水、不健康な食生活が慢性腎疾患や腎不全の原因となっている。帰国後、実家に戻る前にカトマンズの透析センターに直行する患者も多い。 国内の透析病棟には、40歳未満の若者たちが数多くベッドに横たわっている。多くは家族を支えることができなくなり、治療費の借金を抱えている。収入が途絶えた彼らにとって、首都での部屋探しさえ困難だ。 サガルは幸いにも、同じく海外勤務が原因で腎疾患を発症し、カトマンズに移り住んでいたいとこに助けられた。 2カ月後、ラクシュミはついにサガルと初めて直接会うことができた。彼のやつれた顔を見て、涙をこらえるのが精一杯だった。しばらく兄の家に身を寄せていたが、2人は結婚を決意した。ラクシュミの家族は腎移植が終わるまで結婚を控えるよう勧めたが、2人は駆け落ちして結婚した。 結婚から2日後、ラクシュミの家族からナガルコットの実家で祝うよう呼ばれた。現在2人は国立腎センター近くの賃貸住宅で、他の透析患者やその家族とともに暮らしている。サガルは週3回歩いて透析に通っている。 この共同生活には患者同士の強い連帯感がある。ラクシュミも、同じ立場の妻たちと助け合えることで心の支えになっている。住人同士で食事を作り合い、病院への送迎を助け合い、時には資金も融通し合う。 限られる支援、膨らむ負担 サガルはかつて家族を支える大黒柱だった。マレーシアで稼いだ資金で家族に仕送りをし、家の建築費用もまかなってきた。しかし今は腎不全のため仕事ができず、収入も途絶えている。 一方、サガルの両親はサンクワサバでヤギや鶏を飼い、わずかな収入で細々と生活しているが、借金を抱えており、息子の治療費を送る余裕はない。 ラクシュミは最近まで仕立て屋と家事代行の仕事を掛け持ちし、1日12時間働いていた。サガルの母親とともに、腎移植の準備のため、シャヒード・ダルマバクタ国立移植センター(SDNTC)に足繁く通っている。 ネパールでは腎移植のドナーは家族または配偶者に限られている。しかし、既往症(高血圧や糖尿病など)のため提供が難しい家族も多く、妻や母親がドナーになるケースが目立つ。サガルの場合、帰国後に結婚を正式に届け出ていなかったため、現状ではラクシュミはドナーとして認められていない。 父親は血液型が適合せず、妹の申し出は断った。そこで、最終的に母親がドナーとなる方向で手続きを進めている。 腎移植は長く費用もかさむ道のりだが、サガルにとっては唯一の希望だ。ネパールのK・P・オリ首相も二度の腎移植を受けた経験があるが、家族内にドナーがいない患者は、週3回、透析装置の規則的な音とともに生きる日々が続く。 未来への希望 サガルの願いはまず、移植手術が成功したら故郷に戻り、家族や友人たちと再会することだ。帰国して以来、父親とは一度会えたものの、兄弟たちにはまだ会えていない。手術前にぜひ会いに来てほしいと願っている。 その先にはさらに大きな夢がある。結婚を正式に届け出て、ラクシュミの夢だった仕立て屋を開き、子どもを持ち、サンクワサバで家庭を築くことだ。 ラクシュミは夫を二度と海外に送り出したくないと強く願っているが、サガル自身は今のところ、その可能性を完全には否定していない——それほどに、2人の未来はまだ不確かだが、希望だけは失われていない。(原文へ) INPS Japan 関連記事: |スリランカ|出稼ぎ問題|体に打ち込まれた釘は「幸運にも」24本で済んだ 奴隷のように扱われたネパール人移民労働者、人生を立て直す ネパール産の日本紙幣

日本とウズベキスタンが労働力交流を拡大へ―今後5年間で1万人受け入れオンライン就職支援

「WiseBridge」始動、日本語・技能講座も国内3州に開設 【タシケント/東京London Post/INPS Japan】 ウズベキスタン移民庁と 一般財団法人 日中亜細亜教育医療文化交流機構(Japan-China-Asia Medical Educational Cultural Exchange...

|カザフスタン|悲劇から寛容へ─宗教間対話と平和、核軍縮への歩み

【東京/アスタナ INPS Japan=浅霧勝浩】 カザフスタンの首都アスタナから西方約40キロの草原で5月31日、カシム=ジョマルト・トカエフ大統領が「政治弾圧・飢饉犠牲者追悼の日」の式典を主宰した。毎年恒例のこの追悼の日は、同国の最も暗い歴史のひとつに思いを馳せる機会となっている。 式典の会場は ALZHIR(アルジル)記念複合施設。ヨシフ・スターリン時代、「国家の敵」とされた人々の妻たち約8,000人が収容されていた強制収容所の跡地だ。 「歴史の教訓は決して忘れてはなりません。」トカエフ大統領はこう述べ、スターリン時代の政策がカザフスタンの文化と知性に残した深い傷跡について語った。 こうした経験はスターリン主義的抑圧がソ連全域に及んだ歴史の一部でもある。1945年の日本降伏後、推定56万~76万人の日本人捕虜や民間人がソ連領内に強制移送され、そのうち約5万人がカザフ・ソビエト社会主義共和国(現カザフスタン)の収容所に送られた。カラガンダ近郊のスパスキー収容所などでは、過酷な強制労働と劣悪な環境のもと、多くが命を落とした。 自国民も深刻な被害を受けた。1930年代初頭、スターリンの農業集団化政策と遊牧生活の強制的な破壊により引き起こされた大飢饉で最大230万人のカザフ人が犠牲となり、その後の粛清で知識人や地主が処刑・追放された。 1991年の独立以降、カザフスタンはこの痛ましい過去と向き合い、多民族・多宗教の寛容な社会の構築を目指してきた。憲法はすべての民族的・宗教的グループの平等を保障し、30万人以上の犠牲者が近年、公式に名誉回復されている。250万件を超える公文書が機密解除され、大統領公文書館付設の新たな研究センターにより、この困難な歴史の解明が進められている。 こうした歩みは単なる過去との和解にとどまらない。寛容と対話を国家の柱の一つとし、国際的な宗教間対話を外交の中心に据えている。2003年創設の「世界伝統宗教指導者会議」は、イスラム教、キリスト教、ユダヤ教、仏教、ヒンドゥー教などの指導者たちが継続的な対話を行う象徴的なプラットフォームだ。 次回の第8回会議は2025年9月17日~18日にアスタナで開催予定。世界中から宗教指導者、学者、政策担当者が集う見込みである。会場の「平和と和解の宮殿」は、東西の架け橋としてのカザフスタンの役割を象徴している。 こうした取り組みは、宗派間対立や地政学的緊張が深まる現代において、貴重な教訓を提供している。ローマ教皇フランシスコは、2022年の第7回会議で「宗教は戦争や憎悪、敵対や過激主義を煽るのではなく、平和の希望の灯火となるべきだ。」と述べ、宗教間対話と共存の重要性を強調した。 さらにカザフスタンは、ソ連時代の核実験という深刻な不正義にも向き合っている。1949年~1989年にかけてセミパラチンスク核実験場で実施された456回の核実験により、100万人以上が被ばくした。これは今なお続く悲劇である。独立後、同国は世界第4位の核戦力を自発的に放棄し、核軍縮を外交政策の柱に据えてきた。 この核軍縮へのコミットメントは、宗教間外交にも及んでいる。2018年の第6回世界伝統宗教指導者会議以降、カザフスタンは日本の創価学会インタナショナル(SGI)やノーベル平和賞受賞団体・核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)と緊密に連携し、核兵器使用がもたらす人道的帰結とヒバクシャの証言に根ざした平和、対話、核兵器廃絶という共通のビジョンのもと、核兵器禁止条約(TPNW)の推進と国際協力の深化を図っている。 ALZHIR 記念施設の保存されたバラックや「悲しみの門」は、訪問者に過去の不正義の記憶を伝えている。だが今回の追悼式典と宗教間対話の継続的な取り組みが示すように、カザフスタンはより寛容で公正な未来の構築をめざして歩み続けている。 「このような不正義を二度と繰り返してはならない」――トカエフ大統領の言葉は、同国の内政と国際的な対話と調和を促進するマルチベクトル外交の双方に息づいている。(原文へ) Katsuhiro Asagiri is the President of...

気候正義:島嶼のレジリエンス

【Inter Press Service】 海面上昇、サンゴ礁の死滅、種の絶滅——。そんな見出しが世界を覆う中、多くの人は「失われていく物語」ばかりに目を向けがちです。しかし、気候変動の最前線は、希望の最前線でもあるとしたらどうでしょうか。 ガラパゴス諸島からセーシェル、ニュージーランドからパラオまで、島々は異なる物語を紡いでいます。それはレジリエンス(回復力)、再生、抵抗の物語です。 世界のシステムが停滞し分断が進む中、島嶼コミュニティは一歩先を行き、緻密かつ緊急性をもって生態系の再生に取り組んでいます。被害者ではなく、革新者として。 山から海まで、本来の生態系を回復することで、これらのコミュニティは「実践としての気候正義」の姿を世界に示しています。 https://www.youtube.com/watch?v=thp210UV4bU その成果は明確です。 パルミラ環礁では、ネズミの駆除によって在来樹木が50倍(5,000%)に増加。その樹冠は今、マンタが泳ぐサンゴ礁を守っています。 カマカ島では、100年もの間姿を消していた鳥が帰還しました。 これらは孤立した奇跡ではありません。再現可能なモデルなのです。 だからこそ、この6月、フランス・ニースで開催される第3回国連海洋会議(UNOC3)には、世界中のリーダー、科学者、コミュニティの声が集まります。 それは単なるイベントではなく、チャンスです。—— 島嶼主導のソリューションを広げるチャンス—— 回復のための資金を源流に届けるチャンス—— 先住民の知恵を世界の政策に反映させるチャンス 耳を傾け、学び、行動する場となります。 その一例が「アイランド・オーシャン・コネクション・チャレンジ」。50のパートナー、20の生態系、1つのビジョン。2030年までに40の島―海洋システムを包括的に再生**する取り組みです。 これは単なる環境保護運動ではありません。気候正義であり、生物多様性の正義でもあり、食料安全保障、文化の継承、経済革新なのです。しかもそれは、昔から土地と海のリズムを知るコミュニティ自身が主導しています。 地域の行動が世界の未来を形作る力があります。解決策を実践している人々の声を届けることにも。そして、権利を守り、生態系を回復し、希望を再生する活動を支援することにも力があります。 「島々の海」は再び立ち上がれるのです。潮ではなく、決意によって。 ぜひ、ニースでのUNOC3に参加するか、この運動をフォローしてください。科学を支援し、コミュニティを応援し、ソリューションを広めましょう。 今日、島に投資することは、明日の海を守ることなのです。(原文へ) INPS Japan/IPS UN Bureau...