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ウズベキスタン―日本:戦略的パートナーシップの境界を広げる

【タシケントLondon Post】 両国が1992年1月26日に外交関係を樹立して以来、ウズベキスタンと日本の協力関係の発展は、ウズベキスタンの対アジア太平洋外交の重要な柱であり続けてきた。相互尊重と信頼を基盤に、タシケントと東京は現在、政治、安全保障、経済、投資、イノベーション、教育、文化、観光に加え、地域協力の枠組みでの連携まで、幅広く活発な協力関係を築いている。 日本はこれまで、産業・エネルギーインフラの近代化、デジタル変革の推進、持続可能な開発の促進において、ウズベキスタンにとって主要な戦略的パートナーとなってきた。教育、科学、文化、人的交流の分野でも、前進を後押ししてきた。 二国間協力は多岐にわたり、近年は一段と弾みがついた。転機となったのは、2019年12月のシャフカト・ミルジヨエフ大統領の公式訪日である。この訪問は、主要な共同の経済・投資・人道(人的)プロジェクトの実施を強く後押しし、二国間関与の長期的な方向性を示した。 国際舞台でも、ウズベキスタンと日本は国際機関で緊密に連携し、互いの立場を支え合っている。ウズベキスタンはこれまで、日本の国連機関などのポストへの立候補を40回以上支持してきた。他方、日本は、中央アジア非核兵器地帯、教育と宗教的寛容、若者支援、持続可能な開発目標(SDGs)達成における議会の役割など、ウズベキスタンが主導した国連総会決議の共同提案国となってきた。 関係の戦略性は、議会間協力にも表れている。両国議会には友好議員連盟が設置され、ウズベキスタン―日本議員フォーラムも定期的に開かれている。相互訪問に加え、オンラインでの協議や折衝も進む。 外務省間の連携も緊密だ。2002年以降、両国外務省は19回にわたり政治協議を実施してきた。 大きな節目となったのが、2025年8月25日にタシケントで開催された、両国外相による初の「戦略対話」である。この新たな枠組みは、二国間関係の長期性と、あらゆる分野で互恵的協力を広げる双方の意思を明確にした。 外相間の定期的な接触—電話会談や国際会議の場での会談、相互訪問—は、二国間・多国間の課題で立場をすり合わせ、協力を他分野にも波及させる役割を果たしている。 また、日本におけるウズベキスタン名誉領事も、両国協力の推進で重要な役割を担い、経済・文化面の取り組みを後押ししている。 経済面では、産業、エネルギー、通信、インフラ、イノベーション、輸送、「グリーン経済」まで幅広い分野で協力が進む。貿易は最恵国待遇の下で行われており、二国間貿易額の着実な伸びにつながってきた。 2024年には「ウズベク・日本トレードハウス」が名古屋に開設され、日本側で対ウズベキスタン貿易拡大への関心が高まっていることを示した。 二国間経済プロジェクトの調整の要となっているのが、ウズベキスタン―日本、ならびに日本―ウズベキスタンの経済協力委員会による合同会合である。 現在、ウズベキスタンでは日本資本の合弁企業が84社活動し、日本の主要企業13社が現地代表部を置く。石油・ガス、化学、機械、物流、教育、観光などの分野で事業を展開している。 日本の政府系協力機関を含む金融分野の支援も、ウズベキスタン経済の近代化で重要な役割を果たしている。2025年1月には、国際協力機構(JICA)との間で、神経内科・脳卒中共和国センターの建設・設備整備に向けた1億5000万ドルの円借款契約がタシケントで署名された。医療体制の高度化に向けた重要な一歩となるプロジェクトだ。 文化・人道面の交流は層が厚く、人的な結びつきも強い。20年以上にわたり、ウズベキスタン―日本友好協会をはじめ、福島―ウズベキスタン協会、日本―ウズベキスタン協会などの友好団体が活動を続けてきた。タシケントに設置された「広島平和の石」や、首都中心部の日本庭園は、両国の友好を象徴する存在となっている。 ウズベキスタンでは日本文化フェスティバルや映画上映、舞台公演、展覧会が定期的に開かれている。一方、日本でもウズベキスタンの食文化や民族衣装、音楽、舞踊などが幅広く紹介されている。こうした相互交流が、尊重と信頼に基づく長期協力の土台を形づくっている。 近年は現代的な文化プロジェクトも、人道交流の象徴となってきた。2022年4月、東京で「シルクロードの精神―友情の架け橋」が開催され、2024年には日本のアンサンブル「Japanese Pearl」が伝統的なボイスン・バホリ祭で3位に入賞した。 教育は、人道協力の中でも特に伸びが大きい分野である。ウズベキスタンでは7大学で2500人以上が日本語を学び、ウズベキスタン―日本人材開発センターが運営されている。日本開発奨学金(JDS)プログラムも実施され、東京、名古屋、筑波、慶應、豊橋などの大学との共同プロジェクトが進む。JDSでは400人以上のウズベキスタン人学生が奨学金を得ており、日本で研修を受けた人材は約2500人に上る。交換留学や教員交流も活発で、大学学長フォーラムも開催されている。 共同研究は、古代史、考古学、東洋学、農業、気候過程など多分野に及ぶ。 日本はウズベキスタンの医療分野の発展にも資金・技術支援を提供してきた。医療施設の機器整備、専門人材の育成、ワクチン供給などに6000万ドル以上が拠出されている。日本人ボランティアは100人以上がウズベキスタンで活動し、ウズベキスタンの医療従事者200人以上が日本で研修を受けた。 地方自治体レベルの交流(地域間交流)も、二国間関係で比重を増している。姉妹都市・姉妹地域関係は、リシタンと舞鶴、タシケントと名古屋、サマルカンド州と奈良県の間で結ばれた。この枠組みの下、日本では「サマルカンド・デー」が定期的に開催され、名古屋でも文化行事が行われている。 日本人旅行者の間でウズベキスタンの文化・歴史への関心が高まり、観光分野の協力も促されている。航空便の拡充、文化観光の発信強化、インフラ改善を追い風に、日本人訪問者数は増加傾向にある。 とりわけ関心を集めているのが、ウズベキスタンの仏教遺産である。カラ・テペ、ファヤズ・テペ、ダルヴェルジン・テペ、テルメズおよび周辺の寺院遺跡群が注目されている。日本人研究者の調査を背景に、これらの遺跡は国際的な認知を高め、世界各地から観光客や研究者を呼び込んでいる。 日本国内の関心の高さを示す例として、2025年の大阪・関西万博でのウズベキスタン館「知の庭:未来社会の実験室」の成功が挙げられる。ウズベキスタン館は印象的な展示の一つとして評価され、金賞を受賞した。両国友好に捧げたウズベキスタン国立交響楽団の公演「Celestial Dance(天空の舞)」の世界初演も、日本の観客を魅了した。 ミルジヨエフ大統領が今回の訪日で参加する「『中央アジア+日本』対話」(Central Asia–Japan Dialogue)の首脳会合は、ウズベキスタンの地域優先課題と合致し、中央アジア諸国の政治的結束の高まりを映し出す枠組みでもある。 この枠組みは、2004年8月24日に川口順子外相(当時)がタシケントを訪問した際に提起された。当時の優先目標には、地域の平和と安定の確保、改革と社会発展の支援、域内連携の強化、周辺地域および国際社会とのパートナーシップ拡大、地域・地球規模課題への協力が含まれていた。 現在、この対話は、持続可能な開発をめぐる議論と信頼に基づく協力を進める、安定した枠組みへと発展している。 実務面を充実させるため、局長級など高官実務者による定期会合や分野別の専門家協議、「東京知的対話」などが開かれている。近年では、2023年から2025年にかけて東京で閣僚級として行われた経済・エネルギー対話が、特に重要な柱となった。 インフラ支援は、対話枠組みにおける日本の優先分野の一つであり続けてきた。JICAや国際協力銀行(JBIC)など日本の機関は、輸送回廊、物流拠点、道路、関連施設、空港、鉄道インフラの近代化に体系的に関与している。これらの事業は地域の接続性を高め、中央アジアが東アジア・中東・欧州を結ぶ要衝として果たす役割を強めている。 デジタル化と自動化で先行する日本は、地域諸国と知見を積極的に共有している。ウズベキスタンにとってこの協力はとりわけ重要である。同国はIT産業を急速に育成し、ITパークやテクノパークを整備し、デジタル経済の取り組みを進める中で、日本の専門家を招いて人材育成を進めている。 日本が環境配慮型開発や省エネ技術で長年の実績を持つことから、環境協力もパートナーシップの中核要素となっている。 地域最大の人口を抱え、主要な輸送・物流ハブでもあるウズベキスタンは、対話枠組みの議題形成で中心的役割を担う。近年は多分野で新規プロジェクトを提起し、協力の実務面の強化に大きく寄与してきた。 この20年余りで、中央アジア+日本対話は、地域諸国と日本が幅広い分野で体系的に協力を進めるための、安定した実効的な枠組みとして定着してきた。 したがって、ミルジヨエフ大統領の今回の訪日と中央アジア+日本首脳会合への参加は、二国間および多国間の政治対話を深化させ、経済・投資協力を拡大し、教育・科学分野の結びつきを一段と強めることになるだろう。相互利益に資するパートナーシップ拡大に向けた大統領の取り組みは、地域統合と開かれた建設的な国際対話へのウズベキスタンのコミットメントを改めて示すものとなる。(原文へ) INPS Japan Original URL:...

広島からテヘランへ?―「輸入された自由」という戦争タカ派の幻想

【ロンドンLondon Post= シャブナム・デルファニ】 ここ数日、戦争タカ派の声が再び強まっている。臆することなく「トランプによる対イラン攻撃」を語り、それを解放と自由、発展の万能薬であるかのように持ち上げる人々だ。理屈は一見単純である。米国は第二次世界大戦で日本を打ち負かし、爆撃し、無条件降伏を迫った。その後、日本は短期間で経済大国になった。ならば同じ筋書きを、イランでも繰り返せるはずだ―というのだ。 この比較は、単にナイーブなだけではない。歴史の歪曲である。しかも、現実の人命を代償にする政治的ファンタジーでもある。 戦後日本は歴史的な例外であり、輸出できるモデルではない。米国が1945年に占領した日本は、その時点で既に約80年にわたる近代化の道筋を歩んでいた。1868年の明治維新以降、日本は近代的で中央集権的な国家、普遍的な教育制度、効率的な官僚制、職業軍、先進的な産業基盤を築いてきた。敗戦前の日本はアジア随一の工業国だった。戦争には敗れたが、制度が空洞化していたわけではない。壊滅的な打撃は受けた。だが、制度的な土台を失っていたわけではなかった。 米国が「再建」したのは、制度が欠落した空白の上に一から立てた国家ではない。機能する近代国家という基盤の上で、再出発の形を整えたにすぎない。 イランを「日本化」できるという発想の支持者は、しばしば決定的な歴史的文脈を見落としている。日本は1945年当時、白紙の国家ではなかった。結束した国民国家として制度が確立し、産業力を備え、固有の政治文化もあった。米国が日本をゼロから作ったのではない。むしろ米国は、台頭しつつあった冷戦秩序の戦略枠組みの中で、日本の戦後の進路を方向づけたに過ぎない。 日本の復興は利他主義の産物ではない。周到に計算された地政学戦略だった。ワシントンは日本を、アジアにおける資本主義的回復の「見本」として位置づけ、共産主義拡大への対抗軸に据えようとした。巨額の資金援助、長期の安全保障の保証、米市場への優先的アクセスは、民主主義的善意の表現ではなく、イデオロギー競争の道具だった。 ここで根本的な問いが浮上する。今日の地政学的構図の中で、イランは同程度の投資を正当化する位置にあるのか。米国がイランを自らの望む秩序の「ショーケース」に仕立てることを正当化するほどの、圧倒的な地政学的脅威は存在するのか。答えは明確ではない。現代の国際システムは、もはや硬直した二極対立で定義されていない。イランが地域的に重要であるとしても、冷戦期の日本が占めたような超大国対決の最前線という地位にあるわけではない。 米国がイランを「第二の日本」に変えられるという発想は、真剣な政策提案というより、ハリウッド大作の続編の企画書のようなものだ。 さらに、日本は戦後、安全保障を実質的に米国に外注した。軍事支出を抑え、安全保障の保証を受け、その間に生産と輸出に集中した。これに対しイランは、世界で最も不安定な地域の一つに位置し、地域覇権争い、宗派の断層、根深い歴史的不信、国家・非国家アクターの複雑なネットワークが交錯している。比較的制御された安全保障環境にある東アジアの島国と、中東の中心にある国家を比べることは、実験室と地雷原を比べるようなものだ。 そして何より危険なのは、「輸入された自由」という約束である。 米国がイランに自由をもたらせるという主張は、歴史的記憶を意図的に切り落としている。1953年、米英の関与の下で民主的に選出された首相 モハンマド・モサッデク が失脚させられたクーデターは、イランの政治意識に深く刻まれている。石油国有化を断行した政権は「安定」の名の下に排除され、その後、シャー体制が強化された。この出来事は、理念よりも利害が優先されるという国際政治の現実を象徴している。やがて蓄積した不満は イラン革命へと噴出した。 この歴史を踏まえれば、「外部からの介入が自由をもたらす」という物語がいかに脆弱であるかは明らかだ。大国は秩序を設計するが、その設計図は自国の利益に沿って描かれる。自由が生まれるとしても、それは副産物にすぎない。 「日本化」シナリオの支持者は、現代の反例を都合よく無視している。イラク、アフガニスタン、リビア。爆撃と占領だけで先進経済になれるのなら、なぜこれらは失敗したのか。軍の駐留、巨額の資金、体制転換を経たにもかかわらず、なぜ結果は慢性的な不安定、社会の分断、正統性の危機しか生まなかったのか。 答えは明白である。国家建設や国民統合は、爆弾で輸入できない。独立した制度、政治文化、社会契約、国民的結束は、内側からの漸進的なプロセスの産物だ。持続可能な発展は、占領や外部の命令、衝撃からではなく、制度的な秩序から生まれる。 発展は輸入できない。自由は内発的なプロジェクトであり、ミサイルや制裁、侵攻に乗って到来するものではない。社会の力学が動き、エリートが合意に達し、中間層が自立し、経済が依存とレント(利権)追求から解放されるとき、自由は形を取る。外部の「救世主」を前提とするモデルは、結局、依存と正統性の危機を深め、新たな不安定の循環を招くだけだ。 この比較の問題は、楽観か悲観かではない。歪曲だ。日本の歴史を歪め、世界の権力構造を単純化し、発展という複雑な過程を、都合よく包装した幻想へと還元している。ここまで単純化された分析なら、問うべきことは一つである。意図的に何が省かれているのか。 「米国に攻撃させれば、イランは日本になれる」という主張は、政治的勇気でも現実主義でもない。歴史的責任の回避である。発展に既製の公式はない。固有の歴史、アイデンティティ、矛盾を抱えた複雑な社会を、外部の大国が東アジアのコピーへ作り替えることなどできない。大国は自らの利益を追う。仮に安定が生じたとしても、それは副次的な結果にすぎず、目的ではない。 歴史、制度、地政学の文脈を抜きにイランを日本と比べることは、もはや分析ではない。プロパガンダだ。「建設的破壊」という幻想を利用しながら、人間的・社会的コストを脇に追いやるプロパガンダである。 本当の問いは、「イランは日本になれるのか」ではない。なぜ一部の人々が、8000万人規模の社会の複雑さを、幼稚な筋書き――爆撃、降伏、奇跡の発展―へと単純化しようとするのか、である。 歴史はそんなに単純ではない。誰かがそう語るとき、強く問い返さなければならない。この単純化と欺瞞によって利益を得るのは誰なのか。(原文へ) INPS Japan 関連記事: 米国がベネズエラを攻撃、国連が警鐘 世界は賛否分かれる 勝利なき戦争―イラン・イスラエル対立が世界の利害を支える構造 神権政治家と治安主義者―イラン・イスラエル間エスカレーションの危険な構造的論理

想像力が拓く持続可能な素材革命―竹とノパルが変えるデザインと産業

竹とノパル(ウチワサボテン)の繊維が、工業デザインやファッションなどの分野で、研究者や起業家にとっての持続可能な代替素材になりつつある。 【メキシコシティーINPS Japan=ギエルモ・アヤラ・アラニス】 「千の用途を持つ植物」とも呼ばれる竹は、食から建築まで幅広い用途を持つ。その多用途性は、世界各地の大学で研究者の関心を集めている。|英語版|スペイン語| 「無人島に取り残され、手元に竹しかなくても、私は幸せだろう」──こう語るのは、メトロポリタン自治大学(UAM)ソチミルコ校舎(UAM-X)で15年以上にわたり竹を研究してきた、デザイン分野の博士(科学・芸術)ホセ・ルイス・グティエレス・センティエス氏である。「竹はきわめて多用途な植物だ。限界を決めるのは、私たちの想像力だけである」 センティエス氏は竹の活用を、持続可能な開発目標(SDGs)の目標4(質の高い教育)や目標12(つくる責任 つかう責任)などに結び付けて位置付けている。UAM-Xで行われる学際的研究やワークショップを通じ、学生がこの古くからある植物を日用品へと作り変える力を養うことを促している。 「学生は竹を知り、身近な素材として認識し、活用に適した特徴や性質があることを学ぶ必要があります。環境負荷が低いという点も含めてです」と同氏は強調する。「環境の問題は、すでに私たち全員が避けて通れない横断的テーマになっているのです」 講座に参加するのは工業デザインの学生だけではない。他分野の学生も加わり、学際的なつながりを生む場となっている。これまでに、自転車やテーブル、台所用品など実に多様な製品が生み出されてきた。こうした体験は技術力を高めるだけでなく、素材に対する視野を広げ、革新的な可能性を実践の中で具体化していく。 竹はしばしば東アジア文化の象徴として語られるが、植物分類学上はオーツ麦やトウモロコシ、小麦、芝草などと同じイネ科に属する。数センチ程度のものから、約40メートル―12階建ての建物に相当する高さに達する種まで存在し、足場や住宅の建材としても利用されている。 木材の代替となり得る竹の活用は、無秩序な森林伐採の抑制にもつながり、目標15(陸の豊かさも守ろう)の達成にも資する可能性を持つ。 「製品を作るために、これほど多くの樹木を切り倒す必要がなくなる。土壌侵食や森林破壊といった問題を避けられる」とグティエレス氏は語る。「樹木は生態系の一部であり、木を失えば、多様な植物や動物が暮らす生息環境全体を壊してしまいかねない」。 竹の種は世界に約1200ある。アメリカ大陸では米国からチリまで分布し、メキシコには木質の竹が36種、草本の竹が4種存在する。主にコリマ、オアハカ、チアパス、プエブラ、ベラクルスなどの熱帯気候の州に分布し、建設産業向けに竹製品を提供する企業が拠点を置く地域もある。 メキシコでは伝統的に、竹は自生する農村地域で広く利用されてきた。住居の建設をはじめ、工芸品やかご編み、家具、生活用具などに活用されてきたのである。 メキシコ政府によれば、竹―「グリーン・スチール」とも呼ばれる―を用いた低コスト住宅の建設費は、従来の建材を用いた住宅に比べ、最大40%削減できる可能性があるという。 また、自然との調和を重視するホテル開発においても、竹の活用が広がっている。 代替素材への関心は竹にとどまらない。ノパル(ウチワサボテン)など他の植物も、研究者とメキシコ産業界の双方から注目を集めている。 たとえばグアダラハラでは、ある企業がノパル繊維に再生PETと綿を組み合わせ、Tシャツやスウェットシャツを製造している。こうした試みは、目標9(産業と技術革新の基盤をつくろう)にも合致する。 Mayokの営業・マーケティング責任者アルバロ・ルイス・スニガ氏によれば、この計画は環境負荷の低減に貢献したいという思いから4年前に始まり、2年前に製品化した。現在、Tシャツとスウェットシャツは順調に販売されているという。 「私たちは地球に暮らしている。地球に優しくあるべきだ」と同氏は語る。「メーカーにも消費者にも追加コストはかかる。だが最終的には双方に利益をもたらす。こうした特性を持つ製品は、今後少しずつ増えていくだろう。」 メキシコでは、再生素材を用いた衣料品は従来品より25~30%高いことが多い。だが同社は、その価格差は地球環境に資する投資として正当化されると考えている。Mayokは現在、グアダラハラやシナロア、プエルトバジャルタ、メリダに店舗を構え、国内の広い範囲に供給できる配送センターも備えている。 ルイス・スニガ氏は、さまざまなデザインや色での仕上がりや耐久性を検証するため、品質試験を重ねたと説明する。着心地を高めるため、生地の質感も調整した。 その取り組みが評価され、メキシコが2026年6月に開催する国際スポーツイベント向けに、スウェットシャツの大口注文を受けることにつながったという。 「私たちは自社製品に自信があります。たとえば大量のスウェットシャツ注文があったが、ワールドカップ向けだと聞いています。デザインを気に入る顧客は出てくるはずです。」と同氏は語った。 国連は、繊維産業が世界の排水の約20%を占め、温室効果ガス排出量の約10%を生み出していると警告している。こうした文脈で、天然繊維や再生PETの活用は、水質汚染の抑制と環境負荷の低減に資する。 メキシコでは、繊維産業が年間に巨額の経済活動を生み出す一方で、大量の廃棄物も排出している。ノパルのような天然繊維や再生PET由来の繊維の利用拡大は、目標12(つくる責任 つかう責任)の理念を社会に根付かせることにもつながる。 大学のワークショップであれ、再生素材に取り組む企業であれ、より持続可能な暮らしへの転換は、個々人の気づきから始まる。 竹とノパルが示しているのは、限界を決めるのは素材ではなく、私たちの想像力だということである。(原文へ) This artice is brought to you by INPS...

暫定政権がバングラデシュにもたらしたもの

BNPは、2024年のGenZ主導の蜂起で長期政権のシェイク・ハシナ首相が退陣してから18か月後の金曜日、議会選挙で地滑り的勝利を収めた。 【ダッカ/カトマンズ=ファルハナ・スルタナ】 バングラデシュは驚くべき成果を成し遂げた。2月12日、観測筋が「この10年以上で初めて真に競争的な国政選挙」と呼ぶ選挙で、数百万人の有権者が各選挙区の数千に及ぶ投票所に列をつくった。多くの人々にとって、2008年以来初めて「意味のある一票」を投じる機会となったのである。 選挙が実施され、観察者と市民の双方が「概ね平和で整然としていた」と評するだけの手続き上の信頼性を伴い、予定通り行われたのは偶然ではない。 それは、危機に陥った国家を引き継ぎ、民主的再生へ導く責務を負った暫定政権が、18か月にわたり積み重ねてきた努力の成果である。 バングラデシュが新たなページをめくるこの局面で、ユヌス博士の政権が18か月で何を成し遂げ、どこに課題を残したのかを率直に点検する価値がある。 文脈は極めて重要である。2024年8月5日、学生主導の革命を経て(その過程で1,000人以上が命を落とした)、シェイク・ハシナは国外へ逃れた。国は単に「政権の空白期」にあったのではない。急速な崩落の只中にあった。 警察は大半が持ち場を放棄し、複数の地区で暴力が噴出した。銀行部門は、政治主導の融資が長年積み上げた不良債権に蝕まれていた。司法、官僚機構、選挙管理委員会、主要な規制当局は、いずれも15年にわたり、特定政党の利害に体系的に従属させられてきた。 ユヌス博士と助言チームが引き受けたのは、「機能する国家が暫定的な管理者を待っている」状況ではない。再建を要する制度の荒廃であった。 その後に続いたのは、制度を立て直す期間である。不完全さはあったとしても、この取り組みは評価に値する。 改革プロセスは、暫定政権にとって最も重要な取り組みであった。憲法設計、司法、警察、メディア、労働、女性の権利などを対象に、11の委員会が設置された。提言は整理・統合され、政党を交えた7か月にわたる全国放送の協議を経て、「7月憲章」としてまとめられた。これは84項目の改革提案パッケージであり、約24の政党が支持した。 二大勢力のゼロサム対立に特徴づけられてきた同国の政治文化を踏まえれば、これほど長期にわたる多党協議は近年ほとんど前例がない。憲章が不完全であっても、制度再設計をめぐって幅広い合意形成を試みた努力は、形式にとどまらず実質を伴うものだった。 選挙の制度と運営にも、制度整備の成果が表れた。選挙管理委員会は再編され、有権者名簿は刷新された。さらに在外バングラデシュ人の参加を可能にするため、郵便投票が初めて導入された。 欧州連合(EU)やコモンウェルス、国際選挙監視団体などからの代表団を含む約500人の国際監視員・記者が登録された。選挙管理委員会は全国投票率が60%を超えたと報告している。ハシナ政権下の直近3回の総選挙が自由・公正を欠くとして広く疑問視されてきたことを踏まえれば、これは質的転換である。 経済と外交の面でも、暫定政権は厳しい環境を切り抜けた。 バングラデシュ統計局によれば、2025年末にかけてインフレ率は低下した。ただし政府目標をなお上回り、家計を圧迫し続けた。為替制度改革は外貨準備高の安定化に寄与した。 外交面の実績はむしろ際立った。トランプ政権が2025年4月、バングラデシュ製品に37%の相互関税を課した際、暫定政権は8月までに税率を20%へ引き下げる交渉をまとめた。さらに選挙のわずか3日前、ワシントンと正式な相互貿易協定に署名し、税率を19%へ一段と引き下げた。特定の繊維・アパレル輸出については無関税でのアクセスも盛り込み、バングラデシュは南アジアで初めてこの種の協定を最終合意した国となった。 日本との経済連携協定(EPA)では、バングラデシュ製品の数千品目について無関税待遇を確保した。 ユヌス博士の2025年3月の北京訪問では、投資・融資・助成として20億ドル超を引き出し、河川・水管理の長期マスタープラン策定に関する中国側の関与も取り付けた。 国際社会の注視から自らを遠ざけてきた時期を経て、再び世界に門戸を開いたこと自体が、実質的な外交成果であった。 制度面では、政府発表によれば、暫定期間中に約130の法律が制定または改正された。国税庁(National Board of Revenue)はいったん解体されたうえで再編された。バングラデシュは「強制失踪からのすべての者の保護に関する国際条約」に署名した。前政権が拒んできた一歩である。 調査委員会は、ハシナ政権下の強制失踪について1,600件を超える申し立てを記録した。国家予算は2008年以来初めて生中継で公表された。 ただし、この期間を失敗のないものと捉えることはできない。治安は終始脆弱であった。記者への対応は国際的な報道の自由団体から批判を受けた。女性は経済的損失を不均衡に負担した。少数者の権利も課題として残った。若年失業は高止まりした。マクロの安定化は、何百万人もの家計にとって実感できる救済にはつながらなかった。 これらは現実の失敗であり、軽視できない。 それでも強調すべきは、暫定政権の基本姿勢である。この政権は、自らの使命を移行期の「修復」と位置づけ、権力の固定化を図らなかった。 ユヌス博士は就任時84歳で、革命を主導した学生リーダーの要請を受け、この役割を引き受けた。政治的野心からではない。相当の個人的犠牲を払いながらも、自由で公正な選挙の実施を約束し、それを果たした。日程は事前に示され、選挙は実施され、政権は退く準備を整えた。 民主的移行がしばしば頓挫し、指導者が「非常事態」を口実に任期延長や憲法操作に踏み込む例も少なくない地域において、自らの後継を生む仕組みを整え、実際に一歩身を引く政府は稀である。その点で、この移行が持つ意味は小さくない。 選挙が終わったいま、バングラデシュは政治の一章を閉じ、次の章を開いた。暫定政権の時代は終わり、選挙で選ばれた統治の時代が始まろうとしている。 今後は、次期議会でいかなる連立が形成されるか、その能力と意思、そして市民と市民社会が政府に説明責任を求め続ける力に左右される。 改革の枠組み、再編された選挙制度、7月憲章、回復した外交関係は、完成された成果ではない。次の政府が積み上げ、強化することも、放置することもできる「開かれた可能性」である。 多くのバングラデシュ人にとって、この選挙は、異例の章の終わりでもある。ノーベル賞受賞者が市民社会から招かれ、国家の再出発を監督するという展開が現実になったからである。 移行期の指導者が感謝されて去ることは稀だが、ユヌス博士はそうした別れを受けている。期間が完璧だったからではない。約束した形で移行を終えたからである。 博士と助言チームは、機能不全に陥った国家を引き受け、重要だが未完の修復作業を進めた。信頼できる選挙を実現し、多党間の改革合意を築き、国内の強い政治圧力の下で外交・経済の不安定局面を乗り切った。国が、多くの人々が恐れた破局的な混乱へ転落する事態を回避した点も見逃せない。 ユヌス博士は無謬ではない。しかし、その姿勢は一貫して説明責任と合意形成、そして「7月革命を起こした人々の民主的権利」に向いていた。 博士とチームは次へつなぐ土台を残した。支配ではなく対話を、布告ではなく協議を優先した。便宜よりも倫理的責任を重んじる公共奉仕のあり方を示したのである。 私は、グローバル・サウスの各地で、統治、権力、日常生活を形づくる構造要因を研究してきた。民主的移行がいかに脆いかを知っている。民主的移行は、成功よりも失敗が多い。 次の政府が引き継ぐ課題は巨大である。回復がようやく始まったばかりの経済、部分的にしか実装されていない制度改革、権威主義支配と革命的激動のトラウマを抱え続ける社会、そして継続する環境課題――。経済・政治・社会・生態の難題は相互に絡み合っている。 多元性と説明責任の空間が拡大するのか、縮小するのかは、改革がどう運用されるか、そして市民社会が透明性をどれだけ粘り強く求め続けるかにかかっている。 2024年7月と8月に街頭を満たした勇気は、いま、投票という形で表出した。その民主的エネルギーを持続する制度へ転化する作業は、数か月ではなく数年を要する。 担うのは新政府、市民社会、そして一人ひとりの市民である。選挙と国民投票は一定の手続き上の正統性を回復した。しかし、より難しい課題は、その正統性を日々の統治に埋め込むことである。 私たち全員に責任がある。建て直し、新たな指導者に説明責任を求め、7月の殉教者たちの犠牲が無駄にならぬようにする責任である。 バングラデシュは転機を越えた。ここからどこへ向かうかは、私たち次第である。(原文へ) ファルハナ・スルタナ(シラキュース大学マクスウェル公共政策大学院/地理学・環境学教授) ※COUNTERPOINTに掲載された原文を許可を得て転載。 INPS Japan 関連記事: バングラデシュは「アラブの春」と同じ運命をたどるのか? |バングラデシュ|コミュニティーラジオが切り開くジェンダー平等 パキスタンのムスリムコミュニティー開発のパイオニアに「もうひとつのノーベル賞」