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武装解除なき「戦後」:シリアのクルド勢力と、戦後政治の破綻
【ロンドンLondon Post=シャブナム・デルファニ】
クルド勢力ダマスカスの新たな統治当局と周辺諸国の関係をめぐっても、調整や接近の動きがみられる。こうした変化は、シリアの最も暴力的な局面が終わったかのような印象を強めている。
しかし、その見方は重要な現実を覆い隠す。シリアの内戦は一部地域では軍事的に区切りがついたとしても、政治的には決着していない。
この政治的な行き詰まりが最もはっきり表れているのが、シリア北部と北東部である。そこではクルド人主導の部隊が今も武装を維持し、戦闘態勢を解いていない。地域の政治的な位置づけも、依然として決まっていないままだ。
クルド人勢力が武装を続けているのは、特別な例外でも、理念の問題でもない。外国勢力の思惑がぶつかり合い、難しい政治的妥協が先送りされてきた結果として生まれた「戦後の不安定な状況」の当然の帰結である。
クルド人問題は、将来のシリアが話し合いによって多様な勢力を取り込む国になるのか、それとも力によって再び中央政府の支配下にまとめられるのかを占う重要な試金石となっている。同時にそれは、中東で外部勢力が進めてきた「安定化」がどこまで機能するのかという限界を示す事例でもある。
シリア戦争におけるクルド人の役割:周縁から中心へ
2011年以前、シリアのクルド人は政治の中心から外されていた。文化的な権利は十分に認められず、人によっては市民権すら与えられないなど、国の制度に実質的に参加できない状況に置かれていた。ところが、反政府蜂起と内戦によって各地で政府の支配が弱まると、この状況は一変する。クルド人地域には自ら統治を担う余地が生まれたが、それは同時に大きな危険も伴うものだった。
2012年、政府の統治がクルド人多数地域で後退すると、クルド側は空白を埋めるため素早く動いた。地域評議会や治安部隊がつくられ、やがて行政の仕組みも整えられていった。これは独立を目指す動きというより、地域社会が混乱の中で生き残るための統治体制づくりだった。さらに2013年以降、いわゆる「イスラム国(IS)」が急速に勢力を広げると、クルド側の支配はより強固になった。クルド民兵が、過激派勢力の進撃を地上で食い止められる数少ない勢力となったためである。
米国が主導した対IS作戦によって、クルド勢力(主にシリア民主軍=SDF)は、単なる地域の武装勢力から、作戦に欠かせない協力相手へと位置づけが変わった。クルドの戦闘員は地上戦の中心を担い、多くの犠牲を払いながら、シリア東部の広い地域で治安維持と支配の確保を担った。
しかし、この協力関係はあくまで軍事的な目的に限られていた。米国政府は当初から、クルド側の政治的な要求を支持することは避け、協力はIS掃討という対テロ作戦に限定されると強調していた。この線引きが、のちに大きな意味を持つことになる。
「ポストIS」シリア:政治移行の欠落
2019年、いわゆる「イスラム国(IS)」の領土支配は軍事的に崩壊した。これは戦争の大きな節目となったが、その一方で、戦後の政治体制をどう築くのかという計画がほとんど存在しないことも明らかになった。クルド側には、自分たちが戦いで果たした役割が、将来の政治的な発言力につながるとの期待があった。正式な約束があったわけではないが、多くの関係者がそう受け止めていた。
しかし、IS掃討作戦の終結とともに、国際社会の関与は急速に縮小した。クルド主導の行政は国際的な承認を得られないまま地域統治を続け、安全の保証がないまま国境の防衛も担うことになった。その結果、次第に不利な立場でダマスカスの中央政府との交渉に臨まざるを得なくなった。自治は実際には存在していても、法律上の裏付けはない。制度ではなく、武力によって維持されている「武装した自治」の状態である。
こうした状況は本質的に不安定である。短期的には武力が外部からの排除を抑えるが、長い目で見れば、かえってさらなる圧力を招きやすい。クルド側は分権的な枠組みの中でシリア国家の一部にとどまると繰り返し主張しているが、それでも分離独立を目指しているとの疑いを向けられやすい状況が続いている。
米国:戦術的協力と戦略的後退
政策面で、この帰結を形づくった最大の要因の一つが米国である。米国のシリア関与は、作戦効率の追求と戦略的ミニマリズムによって特徴づけられた。主要目的―ISの領土支配の破壊―は比較的低コストで達成した。しかし、避けたのは、シリアの「戦後政治の設計」というより複雑な課題だった。
とりわけ2019年以降、米国がシリアへの関与を段階的に縮小したことは、味方にも敵対勢力にもはっきりしたメッセージとなった。クルド勢力は、米軍の駐留が無条件のものではなく、状況次第でいつでも撤退し得ると理解した。
一方、トルコは、米国が強く反対しない姿勢を、自国の安全保障上の優先事項を事実上認めたものと受け止めた。またダマスカス政府とそれを支える国々は、譲歩しなくても、時間をかけて圧力を強めればクルド自治を弱体化させられると判断した。
こうした動きは、米国の中東政策が、紛争そのものを解決するよりも、危機を管理し拡大を防ぐことを優先してきた傾向を示している。シリアでも、ISの再興を防ぐための最小限の軍事的関与は続けながら、トルコとの対立や複雑な政治交渉への深い関与は避けるという姿勢が取られてきた。
その戦略コストは大きい。地域の協力相手に対する信頼性を損ない、シリアの長期的な帰結に対する米国の影響力も弱めた。
トルコと「クルド問題の地域化」
クルドの将来を最も大きく左右してきたのはトルコである。アンカラの対シリア・クルド政策は、国内のクルド問題と切り離せない。トルコ政府は、国境の南側にどのような形であれクルドの自治が成立すれば、たとえ穏健で調整的な政治路線であっても、自国の安全保障への直接の脅威とみなしてきた。
こうした認識が、北部シリアへの繰り返しの軍事介入につながった。その結果、支配地域は細かく分断され、住民の移動や住民構成の変化が起き、クルド側の行政運営も継続しにくくなった。これらの作戦は「対テロ」として正当化されてきたが、実際にはクルドの政治的な選択肢を狭め、自治の拡大に歯止めをかける効果を持った。
こうしてクルド問題は、シリア国内の統治課題にとどまらず、国境をまたぐ安全保障問題へと広がった。トルコの強い反対が外交的な解決の余地を狭め、クルド側にとって武装を維持することが、生き残るための現実的な選択肢になっている。
イスラエル、イラン、そしてシリア分断の構図
イスラエルは、クルド勢力とシリア中央政府との対立に直接関わっているわけではない。しかし、イスラエルが続けてきたイラン関連勢力への攻撃は、シリア政府が国内の統治を再びまとめ直す力を弱め、国内の分断状態を長引かせる結果をもたらしてきた。イスラエルにとって、シリアが分裂した状態にあることは、イランの地域での影響力を抑え、国境周辺での脅威を減らすことにもつながる。
イランの影響が及びにくいクルド支配地域は、この状況と結果的にかみ合う面がある。ただし、これはあくまで状況によるもので、シリア全体の長期的な安定には結びつきにくい。
一方、イランはクルド自治の広がりに強い警戒感を抱いている。自治が定着すれば、自らの影響力が制限されるだけでなく、シリア国内での物資や人員の移動にも支障が出る恐れがあるためだ。その結果、イスラエルがイランの影響力を抑えようとする動きと、イランがシリアでの立場を維持しようとする動きがぶつかり合い、包括的な政治解決は進まず、対立が続く状況が生まれている。
クルド統治:成果と限界
厳しい状況に置かれながらも、シリア北東部のクルド主導の行政は、国内の他の地域と比べて一定の成果を上げてきた。比較的安定した治安を保ち、多くの避難民を受け入れて管理し、宗派対立による暴力も抑えてきた。国家の制度が崩れた地域が多い戦後のシリアにおいて、こうした成果は決して小さくない。
しかし一方で、外部の支援への依存、経済的な孤立、そして法的な地位がはっきりしないことが、この統治体制の将来を不安定なものにしている。国際的な正式承認もなく、シリア国家の制度の中に組み込まれてもいないため、行政の基盤は脆いままだ。武力による抑止は制度の弱さを一時的に補うことはできても、政治的な正当性の代わりにはならない。
崩壊のリスク
クルド側の統治が崩れても、そこにシリア中央政府の実効支配がすぐ戻るとは限らない。むしろ、地域ごとに支配勢力が入り乱れ、武装勢力同士の争いが起き、治安の空白が生まれる可能性が高い。こうした状況は過去にも、過激派が勢力を立て直し、混乱が国境を越えて広がる土壌になってきた。
地域の安全を考えると、力ずくで再統合しても得られる利益より、統治の崩壊による混乱の方が大きくなる恐れがある。それでも現実的な解決策がないまま、このリスクは放置されたままである。
政策の含意:米国と欧州に突きつけられた課題
米国にとってクルド問題は、今の状況をそのまま管理し続けるのか、それとも将来を見据えて関与の仕方を見直すのかという選択を迫る課題である。安定につなげるには、シリアの主権を前提に、地方の自治をどこまで認めるのかという方針をはっきりさせ、クルド側とシリア中央政府双方と外交的な対話を進めることが欠かせない。
また米国は、トルコに対して今も一定の影響力を持っている。安全保障面での協力を通じて、シリアでの軍事行動を抑えるよう働きかけることができれば、停滞している交渉を再び動かすきっかけになる可能性がある。
欧州連合(EU)も、人道支援にとどまらず、政治面での関与を強める必要がある。EUは復興支援や関係正常化をめぐる議論で資金面の影響力を持っており、その支援を、多様な勢力が共存できる統治の仕組みづくりと結びつけることができる。欧州外交には、地域の安全保障対立から比較的距離を置きやすい立場を生かし、仲介役として動ける余地もある。
結論:武装による安定は、平和ではない
シリアでクルドの武装勢力が残っているのは、反抗心の表れではない。政治の場から十分に受け入れられてこなかったことの結果である。それは、戦場での勝ち負けを優先し、政治的な決着を先送りしてきた「戦後」のあり方を映している。
クルドの自治が正式に認められず、いつでも覆され得る不安定な状態のままである限り、武力はクルド側にとって最も重要なよりどころであり続ける。シリアの長期的な安定は、力で領土を取り戻すことではなく、地域ごとの統治の形を交渉によって国家の仕組みに組み込み、共存できる形に整えることにかかっている。
クルド問題は、シリアの将来を左右する重要な課題である。話し合いによる共存の道を選ぶのか、それとも力による統制に戻るのかが問われている。この問いに答えが出ない限り、武装は解かれず、シリアの平和は未完成のまま続く。(原文へ)
INPS Japan
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核意思決定における人工知能の影響
【国連IPS=タリフ・ディーン】
人工知能(AI)が、政治、経済、社会、文化を含む人間生活のほぼあらゆる側面に影響を及ぼしかねない勢いで拡大するなか、AIの軍事化が進む危険も高まっている。ある報告書によれば、核指揮・統制・通信(NC3)システムへのAIの統合に加え、軍事意思決定への活用は、世界の安全保障に深刻で前例のないリスクをもたらす。主な負の影響としては、意思決定が「機械の速度」にまで加速し、人間の判断の余地がほとんど失われること、サイバー攻撃への脆弱性が高まること、そして戦略的安定性が損なわれることが挙げられている。
『原子力科学者会報』(Bulletin of the Atomic Scientists)によれば、核兵器の指揮統制は、誤りを防ぎつつ、極度の緊張下でも信頼性を確保できるよう設計された、繊細で複雑な仕組みである。
膨大なデータが重大な結果を左右する環境では、人工知能の導入はごく自然な検討対象となってきた。
同誌はこう問いかける。「急速に進化する技術の統合は、責任、データの質、システムの信頼性をめぐる根本的な問題を提起する。たった一つの誤りが取り返しのつかない結果を招きかねないとすれば、これまで人間の判断と監督に依拠してきたシステムに機械学習を組み込むにあたり、どうすれば信頼性を確保できるのか。」
「どのような安全策を維持すべきなのか。国際協力と合意形成の余地はどこにあるのか。」
ウィーンに本部を置く国際原子力機関(IAEA)で保障措置・安全保障政策部門の責任者を務めたタリク・ラウフ氏はIPSの取材に対し、人工汎用知能(AGI)の役割とその統合は、現代における最も重大な問いの一つを突きつけていると語った。
AGIを核指揮・統制・通信(NC3)システムに組み込むことは、単なる工学上の課題ではない。文明のあり方そのものに関わる問題である。
「機械の速度」がもたらす問題
ラウフ氏によれば、AGIをNC3システムに統合するうえで最も憂慮すべきなのは、意思決定の時間が「機械の速度」にまで圧縮されることである。核戦略はこれまで、熟慮に基づく人間の判断に依拠してきた。つまり、意思決定者が立ち止まり、不確かなデータを見極め、助言を求め、圧力や攻撃の下にあっても自制を選ぶ力である。
一方、AGIは人間には到底及ばない速度で情報を処理し、応答するよう設計されている。危機のさなかには、ここに危険な逆説が生じる。AGIを魅力的にしているその速度こそが、実質的な人間の監督をほとんど不可能にしてしまうのである。
「もしAGIシステムがセンサーの異常を飛来するミサイルと誤認すれば―それは1983年のソ連の誤警報事件が示すように、人間が運用するシステムでも実際に起きたことだが―訂正に残された時間は、数分から数秒へと縮むかもしれない。」
核意思決定における誤りの余地は、もともと不穏なほど狭かった。AGIはそれを完全に消し去る危険がある、とラウフ氏は警告した。
データの質とシステムの信頼性
AGIをめぐっては、データの質と完全性が根本的な懸念事項である。機械学習システムの信頼性は、訓練に用いられたデータの信頼性を超えることはできないからだ。
ラウフ氏はこう語る。「核をめぐる環境は、特有のきわめて複雑な課題を抱えている。そこでは、発生頻度は低いものの結果は極めて重大な事象を扱わなければならず、利用できる過去データも限られている。さらに、敵対的な主体が意図的に誤情報をセンサーネットワークに流し込む可能性があり、地政学的状況も、訓練データが捉えられる速度を上回って変化していく。」
核をめぐる状況で、AGIシステムが改竄されたデータを正しいものと受け取り、それに基づいて行動すれば、誤った前提に基づくエスカレーションを招きかねない。さらに深刻なのは、多くの機械学習モデルが抱える、いわゆる「ブラックボックス問題」である。なぜその出力が生成されたのかを、システム設計者でさえ説明できない場合があり、ましてそれをリアルタイムで修正することは容易ではない。
ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)で大量破壊兵器計画の研究員を務めるウラジスラフ・チェルナフスキフ氏はIPSの取材に対し、AIと核の接点をめぐる各国の既存の対応は、核意思決定において人間の統制を維持するという原則ではおおむね一致しているものの、それをどう定義し、実際にどう運用するかについては合意がないと語った。
そのうえでチェルナフスキフ氏は、核保有国がこの原則を正式に認め、この文脈における「人間の統制」の定義と、それが核兵器分野でどのように具体化されるのかを明確にすることが、リスク最小化に向けた第一歩の一つになり得ると指摘した。
国連が目指すAIガバナンス
先月ニューデリーで開かれた「AIインパクト・サミット」で、アントニオ・グテーレス国連事務総長は、AIの未来は一握りの国や一部の億万長者の気まぐれによって決められるべきではないと述べた。
グテーレス事務総長によれば、国連総会は昨年、二つの重要な一歩を踏み出した。第一に、人工知能に関する独立した国際科学パネルを設置したこと。第二に、すべての国が民間部門、学術界、市民社会とともに参加できる、国連の枠組みの下でのAIガバナンスに関するグローバル対話を立ち上げたことである。
同氏はサミット参加者に対し、真のインパクトとは、人々の暮らしを向上させ、地球を守る技術であると語った。そして、人間の尊厳を基礎に据えた、すべての人のためのAIを築くよう呼びかけた。
ステファン・デュジャリック国連事務総長報道官は先月、記者団に対し、事務総長は国連がAIを統括すべきだと主張しているのではない、と説明した。そうではなく、すべての国が議論の場に参加できるよう、加盟国の協力を得て、そのための枠組みを構築してきたのだという。
そのうえでデュジャリック報道官は、次のように述べた。「AIはこれからも、そしてすでに、私たちすべてに影響を及ぼしている。技術を持たない国々にも発言権が確保され、科学と公正がAIの中心に据えられることが極めて重要である。」
責任と説明責任
さらにラウフ氏は、AGIによる勧告や自律的行動が破滅的な結果につながった場合、説明責任の所在が極めて曖昧になると分析する。
従来の指揮命令系統では、あらゆる意思決定の段階で、人間の責任の所在は明確だった。だが、AGIの導入はその明確さを曖昧にしかねない。誤算の責任を負うのは、ソフトウェア開発者なのか、軍の指揮官なのか、そのシステムを配備した政府なのか、それともアルゴリズムそのものなのか―と同氏は問いかける。
明確な責任の枠組みが欠けていることは、法的・倫理的な問題にとどまらない。誰が統制し、どのような判断原理が適用されているのかを、敵対国も同盟国も理解する必要がある以上、それは戦略上の問題でもある。
サイバー攻撃への脆弱性
AGIで強化された、あるいはAGIに依存するNC3システムは、敵対勢力にとって新たな攻撃の余地を広げる。AGIの出力を操作することを狙った敵対的入力を含む高度なサイバー攻撃によって、こうしたシステムが欺かれたり、機能を麻痺させられたりする可能性がある。そして、その異常に気づいたときには、すでに手遅れになっているおそれもある。
ラウフ氏によれば、AGIの統合は、従来の核システムには存在しなかった新たな不安定要因を生み出すのである。
国際協力の必要性
こうした深刻な課題がある一方で、リスクを管理する有力な手段として国際協力が考えられる。信頼醸成措置や共通の技術基準、さらに核システムにおけるAGIの自律性の限界を定める二国間または多国間の「拘束力のある」合意は、戦略的安定性の維持に資する可能性がある。
軍備管理の歴史が示しているのは、生存という共通の利益にかなうルールであれば、敵対国同士でも合意できるということである。ラウフ氏は、その伝統をAGI対応型NC3システムにも拡張することが急務だと訴える。技術が外交を追い越してしまう前に、である。
ラウフ氏はこう述べた。「AGIの核システムへの統合は、技術的には避けられないのかもしれない。だが、それを賢明に管理できるかどうかは政治的かつ道義的な選択の問題であり、依然として開かれている。しかし、それは今日の文民・軍事の『指導者』たちの知的・道徳的・倫理的な判断能力を超えているようにも見える。」(原文へ)
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ウズベキスタン―日本:戦略的パートナーシップの境界を広げる
【タシケントLondon Post】
両国が1992年1月26日に外交関係を樹立して以来、ウズベキスタンと日本の協力関係の発展は、ウズベキスタンの対アジア太平洋外交の重要な柱であり続けてきた。相互尊重と信頼を基盤に、タシケントと東京は現在、政治、安全保障、経済、投資、イノベーション、教育、文化、観光に加え、地域協力の枠組みでの連携まで、幅広く活発な協力関係を築いている。
日本はこれまで、産業・エネルギーインフラの近代化、デジタル変革の推進、持続可能な開発の促進において、ウズベキスタンにとって主要な戦略的パートナーとなってきた。教育、科学、文化、人的交流の分野でも、前進を後押ししてきた。
二国間協力は多岐にわたり、近年は一段と弾みがついた。転機となったのは、2019年12月のシャフカト・ミルジヨエフ大統領の公式訪日である。この訪問は、主要な共同の経済・投資・人道(人的)プロジェクトの実施を強く後押しし、二国間関与の長期的な方向性を示した。
国際舞台でも、ウズベキスタンと日本は国際機関で緊密に連携し、互いの立場を支え合っている。ウズベキスタンはこれまで、日本の国連機関などのポストへの立候補を40回以上支持してきた。他方、日本は、中央アジア非核兵器地帯、教育と宗教的寛容、若者支援、持続可能な開発目標(SDGs)達成における議会の役割など、ウズベキスタンが主導した国連総会決議の共同提案国となってきた。
関係の戦略性は、議会間協力にも表れている。両国議会には友好議員連盟が設置され、ウズベキスタン―日本議員フォーラムも定期的に開かれている。相互訪問に加え、オンラインでの協議や折衝も進む。
外務省間の連携も緊密だ。2002年以降、両国外務省は19回にわたり政治協議を実施してきた。
大きな節目となったのが、2025年8月25日にタシケントで開催された、両国外相による初の「戦略対話」である。この新たな枠組みは、二国間関係の長期性と、あらゆる分野で互恵的協力を広げる双方の意思を明確にした。
外相間の定期的な接触—電話会談や国際会議の場での会談、相互訪問—は、二国間・多国間の課題で立場をすり合わせ、協力を他分野にも波及させる役割を果たしている。
また、日本におけるウズベキスタン名誉領事も、両国協力の推進で重要な役割を担い、経済・文化面の取り組みを後押ししている。
経済面では、産業、エネルギー、通信、インフラ、イノベーション、輸送、「グリーン経済」まで幅広い分野で協力が進む。貿易は最恵国待遇の下で行われており、二国間貿易額の着実な伸びにつながってきた。
2024年には「ウズベク・日本トレードハウス」が名古屋に開設され、日本側で対ウズベキスタン貿易拡大への関心が高まっていることを示した。
二国間経済プロジェクトの調整の要となっているのが、ウズベキスタン―日本、ならびに日本―ウズベキスタンの経済協力委員会による合同会合である。
現在、ウズベキスタンでは日本資本の合弁企業が84社活動し、日本の主要企業13社が現地代表部を置く。石油・ガス、化学、機械、物流、教育、観光などの分野で事業を展開している。
日本の政府系協力機関を含む金融分野の支援も、ウズベキスタン経済の近代化で重要な役割を果たしている。2025年1月には、国際協力機構(JICA)との間で、神経内科・脳卒中共和国センターの建設・設備整備に向けた1億5000万ドルの円借款契約がタシケントで署名された。医療体制の高度化に向けた重要な一歩となるプロジェクトだ。
文化・人道面の交流は層が厚く、人的な結びつきも強い。20年以上にわたり、ウズベキスタン―日本友好協会をはじめ、福島―ウズベキスタン協会、日本―ウズベキスタン協会などの友好団体が活動を続けてきた。タシケントに設置された「広島平和の石」や、首都中心部の日本庭園は、両国の友好を象徴する存在となっている。
ウズベキスタンでは日本文化フェスティバルや映画上映、舞台公演、展覧会が定期的に開かれている。一方、日本でもウズベキスタンの食文化や民族衣装、音楽、舞踊などが幅広く紹介されている。こうした相互交流が、尊重と信頼に基づく長期協力の土台を形づくっている。
近年は現代的な文化プロジェクトも、人道交流の象徴となってきた。2022年4月、東京で「シルクロードの精神―友情の架け橋」が開催され、2024年には日本のアンサンブル「Japanese Pearl」が伝統的なボイスン・バホリ祭で3位に入賞した。
教育は、人道協力の中でも特に伸びが大きい分野である。ウズベキスタンでは7大学で2500人以上が日本語を学び、ウズベキスタン―日本人材開発センターが運営されている。日本開発奨学金(JDS)プログラムも実施され、東京、名古屋、筑波、慶應、豊橋などの大学との共同プロジェクトが進む。JDSでは400人以上のウズベキスタン人学生が奨学金を得ており、日本で研修を受けた人材は約2500人に上る。交換留学や教員交流も活発で、大学学長フォーラムも開催されている。
共同研究は、古代史、考古学、東洋学、農業、気候過程など多分野に及ぶ。
日本はウズベキスタンの医療分野の発展にも資金・技術支援を提供してきた。医療施設の機器整備、専門人材の育成、ワクチン供給などに6000万ドル以上が拠出されている。日本人ボランティアは100人以上がウズベキスタンで活動し、ウズベキスタンの医療従事者200人以上が日本で研修を受けた。
地方自治体レベルの交流(地域間交流)も、二国間関係で比重を増している。姉妹都市・姉妹地域関係は、リシタンと舞鶴、タシケントと名古屋、サマルカンド州と奈良県の間で結ばれた。この枠組みの下、日本では「サマルカンド・デー」が定期的に開催され、名古屋でも文化行事が行われている。
日本人旅行者の間でウズベキスタンの文化・歴史への関心が高まり、観光分野の協力も促されている。航空便の拡充、文化観光の発信強化、インフラ改善を追い風に、日本人訪問者数は増加傾向にある。
とりわけ関心を集めているのが、ウズベキスタンの仏教遺産である。カラ・テペ、ファヤズ・テペ、ダルヴェルジン・テペ、テルメズおよび周辺の寺院遺跡群が注目されている。日本人研究者の調査を背景に、これらの遺跡は国際的な認知を高め、世界各地から観光客や研究者を呼び込んでいる。
日本国内の関心の高さを示す例として、2025年の大阪・関西万博でのウズベキスタン館「知の庭:未来社会の実験室」の成功が挙げられる。ウズベキスタン館は印象的な展示の一つとして評価され、金賞を受賞した。両国友好に捧げたウズベキスタン国立交響楽団の公演「Celestial Dance(天空の舞)」の世界初演も、日本の観客を魅了した。
ミルジヨエフ大統領が今回の訪日で参加する「『中央アジア+日本』対話」(Central Asia–Japan Dialogue)の首脳会合は、ウズベキスタンの地域優先課題と合致し、中央アジア諸国の政治的結束の高まりを映し出す枠組みでもある。
この枠組みは、2004年8月24日に川口順子外相(当時)がタシケントを訪問した際に提起された。当時の優先目標には、地域の平和と安定の確保、改革と社会発展の支援、域内連携の強化、周辺地域および国際社会とのパートナーシップ拡大、地域・地球規模課題への協力が含まれていた。
現在、この対話は、持続可能な開発をめぐる議論と信頼に基づく協力を進める、安定した枠組みへと発展している。
実務面を充実させるため、局長級など高官実務者による定期会合や分野別の専門家協議、「東京知的対話」などが開かれている。近年では、2023年から2025年にかけて東京で閣僚級として行われた経済・エネルギー対話が、特に重要な柱となった。
インフラ支援は、対話枠組みにおける日本の優先分野の一つであり続けてきた。JICAや国際協力銀行(JBIC)など日本の機関は、輸送回廊、物流拠点、道路、関連施設、空港、鉄道インフラの近代化に体系的に関与している。これらの事業は地域の接続性を高め、中央アジアが東アジア・中東・欧州を結ぶ要衝として果たす役割を強めている。
デジタル化と自動化で先行する日本は、地域諸国と知見を積極的に共有している。ウズベキスタンにとってこの協力はとりわけ重要である。同国はIT産業を急速に育成し、ITパークやテクノパークを整備し、デジタル経済の取り組みを進める中で、日本の専門家を招いて人材育成を進めている。
日本が環境配慮型開発や省エネ技術で長年の実績を持つことから、環境協力もパートナーシップの中核要素となっている。
地域最大の人口を抱え、主要な輸送・物流ハブでもあるウズベキスタンは、対話枠組みの議題形成で中心的役割を担う。近年は多分野で新規プロジェクトを提起し、協力の実務面の強化に大きく寄与してきた。
この20年余りで、中央アジア+日本対話は、地域諸国と日本が幅広い分野で体系的に協力を進めるための、安定した実効的な枠組みとして定着してきた。
したがって、ミルジヨエフ大統領の今回の訪日と中央アジア+日本首脳会合への参加は、二国間および多国間の政治対話を深化させ、経済・投資協力を拡大し、教育・科学分野の結びつきを一段と強めることになるだろう。相互利益に資するパートナーシップ拡大に向けた大統領の取り組みは、地域統合と開かれた建設的な国際対話へのウズベキスタンのコミットメントを改めて示すものとなる。(原文へ)
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広島からテヘランへ?―「輸入された自由」という戦争タカ派の幻想
【ロンドンLondon Post= シャブナム・デルファニ】
ここ数日、戦争タカ派の声が再び強まっている。臆することなく「トランプによる対イラン攻撃」を語り、それを解放と自由、発展の万能薬であるかのように持ち上げる人々だ。理屈は一見単純である。米国は第二次世界大戦で日本を打ち負かし、爆撃し、無条件降伏を迫った。その後、日本は短期間で経済大国になった。ならば同じ筋書きを、イランでも繰り返せるはずだ―というのだ。
この比較は、単にナイーブなだけではない。歴史の歪曲である。しかも、現実の人命を代償にする政治的ファンタジーでもある。
戦後日本は歴史的な例外であり、輸出できるモデルではない。米国が1945年に占領した日本は、その時点で既に約80年にわたる近代化の道筋を歩んでいた。1868年の明治維新以降、日本は近代的で中央集権的な国家、普遍的な教育制度、効率的な官僚制、職業軍、先進的な産業基盤を築いてきた。敗戦前の日本はアジア随一の工業国だった。戦争には敗れたが、制度が空洞化していたわけではない。壊滅的な打撃は受けた。だが、制度的な土台を失っていたわけではなかった。
米国が「再建」したのは、制度が欠落した空白の上に一から立てた国家ではない。機能する近代国家という基盤の上で、再出発の形を整えたにすぎない。
イランを「日本化」できるという発想の支持者は、しばしば決定的な歴史的文脈を見落としている。日本は1945年当時、白紙の国家ではなかった。結束した国民国家として制度が確立し、産業力を備え、固有の政治文化もあった。米国が日本をゼロから作ったのではない。むしろ米国は、台頭しつつあった冷戦秩序の戦略枠組みの中で、日本の戦後の進路を方向づけたに過ぎない。
日本の復興は利他主義の産物ではない。周到に計算された地政学戦略だった。ワシントンは日本を、アジアにおける資本主義的回復の「見本」として位置づけ、共産主義拡大への対抗軸に据えようとした。巨額の資金援助、長期の安全保障の保証、米市場への優先的アクセスは、民主主義的善意の表現ではなく、イデオロギー競争の道具だった。
ここで根本的な問いが浮上する。今日の地政学的構図の中で、イランは同程度の投資を正当化する位置にあるのか。米国がイランを自らの望む秩序の「ショーケース」に仕立てることを正当化するほどの、圧倒的な地政学的脅威は存在するのか。答えは明確ではない。現代の国際システムは、もはや硬直した二極対立で定義されていない。イランが地域的に重要であるとしても、冷戦期の日本が占めたような超大国対決の最前線という地位にあるわけではない。
米国がイランを「第二の日本」に変えられるという発想は、真剣な政策提案というより、ハリウッド大作の続編の企画書のようなものだ。
さらに、日本は戦後、安全保障を実質的に米国に外注した。軍事支出を抑え、安全保障の保証を受け、その間に生産と輸出に集中した。これに対しイランは、世界で最も不安定な地域の一つに位置し、地域覇権争い、宗派の断層、根深い歴史的不信、国家・非国家アクターの複雑なネットワークが交錯している。比較的制御された安全保障環境にある東アジアの島国と、中東の中心にある国家を比べることは、実験室と地雷原を比べるようなものだ。
そして何より危険なのは、「輸入された自由」という約束である。
米国がイランに自由をもたらせるという主張は、歴史的記憶を意図的に切り落としている。1953年、米英の関与の下で民主的に選出された首相 モハンマド・モサッデク が失脚させられたクーデターは、イランの政治意識に深く刻まれている。石油国有化を断行した政権は「安定」の名の下に排除され、その後、シャー体制が強化された。この出来事は、理念よりも利害が優先されるという国際政治の現実を象徴している。やがて蓄積した不満は イラン革命へと噴出した。
この歴史を踏まえれば、「外部からの介入が自由をもたらす」という物語がいかに脆弱であるかは明らかだ。大国は秩序を設計するが、その設計図は自国の利益に沿って描かれる。自由が生まれるとしても、それは副産物にすぎない。
「日本化」シナリオの支持者は、現代の反例を都合よく無視している。イラク、アフガニスタン、リビア。爆撃と占領だけで先進経済になれるのなら、なぜこれらは失敗したのか。軍の駐留、巨額の資金、体制転換を経たにもかかわらず、なぜ結果は慢性的な不安定、社会の分断、正統性の危機しか生まなかったのか。
答えは明白である。国家建設や国民統合は、爆弾で輸入できない。独立した制度、政治文化、社会契約、国民的結束は、内側からの漸進的なプロセスの産物だ。持続可能な発展は、占領や外部の命令、衝撃からではなく、制度的な秩序から生まれる。
発展は輸入できない。自由は内発的なプロジェクトであり、ミサイルや制裁、侵攻に乗って到来するものではない。社会の力学が動き、エリートが合意に達し、中間層が自立し、経済が依存とレント(利権)追求から解放されるとき、自由は形を取る。外部の「救世主」を前提とするモデルは、結局、依存と正統性の危機を深め、新たな不安定の循環を招くだけだ。
この比較の問題は、楽観か悲観かではない。歪曲だ。日本の歴史を歪め、世界の権力構造を単純化し、発展という複雑な過程を、都合よく包装した幻想へと還元している。ここまで単純化された分析なら、問うべきことは一つである。意図的に何が省かれているのか。
「米国に攻撃させれば、イランは日本になれる」という主張は、政治的勇気でも現実主義でもない。歴史的責任の回避である。発展に既製の公式はない。固有の歴史、アイデンティティ、矛盾を抱えた複雑な社会を、外部の大国が東アジアのコピーへ作り替えることなどできない。大国は自らの利益を追う。仮に安定が生じたとしても、それは副次的な結果にすぎず、目的ではない。
歴史、制度、地政学の文脈を抜きにイランを日本と比べることは、もはや分析ではない。プロパガンダだ。「建設的破壊」という幻想を利用しながら、人間的・社会的コストを脇に追いやるプロパガンダである。
本当の問いは、「イランは日本になれるのか」ではない。なぜ一部の人々が、8000万人規模の社会の複雑さを、幼稚な筋書き――爆撃、降伏、奇跡の発展―へと単純化しようとするのか、である。
歴史はそんなに単純ではない。誰かがそう語るとき、強く問い返さなければならない。この単純化と欺瞞によって利益を得るのは誰なのか。(原文へ)
INPS Japan
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