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二度と繰り返さないために

2026年は、毛沢東派(マオイスト)紛争開始から30年、2006年の停戦から20年 【カトマンズNepali Times=クンダ・ディキシット】 2026年は、マオイスト紛争を終結させた「包括的和平協定(Comprehensive Peace Accord)」から20年であり、マオイスト(毛沢東派)が武装闘争を開始してから30年に当たる。 しかし終結から20年を経たいまも、ネパールでは、この紛争を国家として記憶し共有するための追悼や記念の取り組みが、ほとんど見られない。紛争ではネパール人約17,000人が命を落とし、1,330人以上がいまなお「行方不明者」として登録されたままだ。凄惨な戦争犯罪の加害者たちは白昼堂々と自由に歩き回り、なかには政府の閣僚を務めた者さえいる。 2006年の和平協定に盛り込まれた、戦争犯罪の責任追及や被害者救済を進める移行期正義(トランジショナル・ジャスティス)のプロセスは、宙に浮いたままである。歴史教科書には戦争がほとんど記されず、暴力の記憶も知識も持たない世代がすでに育っている。 多くの命が失われた「目的」は、いまや歴史の埃に覆われている。守られなかった約束、果たされなかった誓い、忘れられた犠牲―その一覧は長い。2015年の連邦共和制憲法が、戦争の終着点とされた。王制は廃止され、カトマンズから7つの州への権限移譲、包摂的で公正な社会の実現が約束された。 だが、その後に起きたのは、まるでジョージ・オーウェルの小説『動物農場』の再来である。ナポレオン、スノーボール、スクイーラーといった登場人物が次第にジョーンズ氏に似ていき、しまいには誰にも区別がつかなくなる(=革命の指導者たちが、時間とともに、打倒したはずの旧支配者と同じ存在になってしまった。)いまも革命を信じる元ゲリラがいる一方、多くは湾岸諸国やマレーシアへ出稼ぎに出た。子ども兵だった者は、すでに自分の子どもを持つ親になった。生存者や犠牲者遺族は喪失を抱えたまま苦しみ、記憶は薄れていく。人権団体が正義を追求するための国際支援も、先細りになっている。 それでも、革命を招きやすい「客観的条件」の多くは、いまもネパール社会に残っている。政治と政党の構造は、かつてないほど中央集権化した。連邦制は封建制に取って代わらなかった。憲法は女性や周縁化された集団のためのクオータ(割当)を定めたが、政党は抜け道を見つけ、親族や縁故者を優遇した。社会経済格差は30年前より広がり、汚職は「当たり前」になった。 この号(9ページ)に掲載したスディクシャ・トゥラダルの分析が結論づけるように、1950年以降に掲げられてきた「革命」は、いずれも最終目標を達成していない。シャハ王家はラナ家より大差なく、民衆の変革要求を受け入れながら、結局は民主主義を解体した。1980年、1990年、2006年には若者が民主化運動で街頭に立ったが、支配者たちは後戻りし、現状維持を温存した。 革命の土壌 1996年から2006年にかけて、ネパールの人々は「自分たちの名の下に」戦われた戦争に巻き込まれた。マオイストは「人民戦争」や「人民解放軍」といった、借用した概念を掲げたが、それはネパールの現実に必ずしも合うものではなかった。だが皮肉にも、その呼称は別の意味で的を射ていた。死に、苦しんだのは結局「人民」だったからである。 ネパールが自国領内で武力紛争を経験したのは、1814~1816年の英・ネパール戦争以来であった。それ以降、ネパール人は主として「他国の戦争」で戦ってきた。だが1990年代までに、ネパール社会には革命が起こり得る土壌が形成されていた。封建的な支配構造に加え、選挙で選ばれた政党の無関心と怠慢が、何百万人もの若者から仕事と機会を奪った。社会には苛立ちが蓄積していた。 ネパールは絶対王政から立憲君主制へ、議会制民主主義へと移行し、2005年には国王による軍主導のクーデターも経験した。しかし、支配者が説明責任を果たすようになったわけではない。政治の関心はしばしば、個人的、あるいは党派的な利害と野心に向けられていた。 同じパターンは2017年選挙後にも繰り返された。ネパールは6年間で5つの連立政権を経験し、首相は次々と交代した。離合集散の政局が続き、同じ顔ぶれが交代で政権の座に就く状況が常態化した。 そして再び、情勢を動かすには「引き金」だけが必要になった。その引き金となったのが、2025年9月8日である。Z世代の抗議者が掲げたスローガンや要求、怒りと焦燥は、1980年、1990年、2006年に王宮の門へ向かって行進した若い学生たちと驚くほど似ていた。その学生の一部は、当時関わっていた政党に加わり、いまでは50代、60代になっている。 彼らもかつては、怒りを抱えた若者だった。もう若くはないが、いまも怒りを失っていない者がいる。1990年以降、投資を呼び込み雇用を生み出すという政治の役割が十分に果たされないまま、若者の海外流出は半ば政策的に促されてきた。不満や圧力は国外へと押し出され、国内では支配層が椅子取りゲームを続け、国の行方への責任は曖昧になった。 中途半端な政変(「半革命」)が起きるたびに、新しい体制は、自らが追い落とした権力の振る舞いをなぞるか、あるいは必要な制度や基盤まで一緒に捨て去ってきた。3月の選挙、そしてその先で最も危険なのは、同じ過ちを再び繰り返すことである。古いものがすべて悪いわけではなく、新しいものがすべて良いわけでもない。 古いものと新しいものがせめぎ合ういまこそ、マオイスト紛争から学ばなければならない。そうでなければ、2026年、再び「新しいもの」が「古いもの」に似ていくことになる。 INPS Japan/Neali Times Original URL: https://nepalitimes.com/editorial/not-ever-again 関連記事: ネパール内戦を「人びと」の目線で描く ネパールの宗教指導者たちが調和を促す |1923-2023|ネパール・イギリス友好条約100周年は、かつてネパールの指導者が戦略的思考を持っていた時代を想起させる。

なぜ米国の外交政策は大統領が変わっても生き続けるのか

【ニューヨークATN=アハメド・ファティ】 私の人生の大半において、私は「権力とはこういうものだ」と考えてきた。指導者が語れば制度は従い、大統領が発表すれば国家機構は動く。権威は手続きに先立って、まず個人に宿る――そう理解していた。 エジプトで育ち、中東・北アフリカ(MENA)地域のただ中で暮らしてきた私にとって、その前提は自然だった。この地域には、権威主義体制や独裁者、専制的な君主が少なくない。政府の動きには常に警戒心が伴う。公式説明をうのみにせず行間を読み、権力が一つの地位に集中すれば、組織はどれほど容易くねじ曲げられるかを学ぶ。多くの政治体制では、指導者は単なる「権力の顔」ではない。彼こそが、体制そのものなのである。 そうした世界観は、私がエジプトから欧州、そして米国へと移り、さらに85カ国以上を旅する中でも付きまとった。政治的権威をどう理解し、リスクや信頼性、意図をどう評価するか―その基準を形づくっていた。 しかし、機能する民主主義の内側に身を置かなければ、直感的には理解しにくい事実がある。それを理解するには、時間をかけ、現場に近い距離で経験することが必要だった。米国では、指導者は強大な権力を持つが、主権者ではない。制度が必ず押し返すのである。 この違いは重要である。今日の米国では、外交政策が、まるでホワイトハウスを占める人物の性格や気質の延長にすぎないかのように語られがちだからだ。 確かに、米国大統領は莫大な権限を持つ。軍を指揮し、外交を主導し、優先課題を定め、高官を任命し、世界に対する米国の姿勢の「トーン」を決める。大統領が発言すれば市場は反応し、各国政府は対応し、同盟関係は再調整を迫られる。その影響力は現実のものである。 米国の外交政策に関わるあらゆる重要な決定は、統治機構という巨大な仕組みに必ず直面する。議会は議論し、阻止する。裁判所は介入し、実行を遅らせる。官庁は政策を解釈し、ときに抵抗する。キャリア官僚(政権交代後も職にとどまる専門職の公務員)が、実施の在り方を形づくる。同盟国は、ワシントンのスローガンではなく、自国の利益に基づいて反応する。その結果、政策は往々にして、事前のレトリックよりも遅く、錯綜し、強く制約されたものとなる。 これは機能不全ではない。欠陥ではなく、制度が意図してそう設計されている。 権力が一つの地位に集中する政治体制を取材してきた私にとって、ワシントンを取材することは、権力の捉え方を根本から見直す作業だった。多くの国では、指導者が実行を望めば、それは即座に実現する。だが米国では、政策は交渉され、修正され、作り替えられ、時には実行に至る前に葬られる。 しばしば「政治ショー」と軽視されがちな議会は、実は外交政策において最も影響力のある主体の一つである。議会は予算を握り、制裁法を制定し、武器輸出を認可し、高官人事を承認し、行政を監視する。大統領の野心は、協力を拒む議員によってたびたび封じ込められる。これは政党間対立の問題ではなく、制度が内包する制約である。 もう一つ見落とされがちなのが、国家安全保障官僚機構だ。外交官、情報機関職員、国防関係者、行政官といったキャリア職員は、新大統領の就任とともに消えるわけではない。彼らは残り、説明資料を書き、選択肢を提示し、情報を解釈し、選挙のスローガンが消えた後も仕事を続ける。大統領が彼らに異を唱え、時に覆すことはできる。だが、何十年にもわたる制度的な思考を一夜にして消し去ることはできない。これが、選挙戦では急進的に見える外交方針が、実務では驚くほど一貫して見える理由の一つである。 司法もまた現実的な制約を加える。移民制限、非常権限、監視プログラム、制裁、大統領令(行政命令)―こうした措置は頻繁に裁判所に持ち込まれ、範囲を狭められ、実施を遅らされ、あるいは差し止められる。これはどちらの政党の大統領の下でも起きてきた。教科書上の理論ではない。現実にそう機能している。 加えて、同盟関係も制約として働く。NATO、G7、欧州連合、日本、韓国、情報共有の枠組み、地域的な連携枠組み――これらは米国の決定をただ受け取るだけの存在ではない。何が政治的・戦略的に持続可能かを形づくり、無謀な方針転換にはコストを課す。大統領が公然と同盟国を批判し、離脱をちらつかせることはできる。しかし、こうした関係の基盤は、その時々の政治よりもはるかに強靭であることが繰り返し示されてきた。 だからこそ、「米国の外交政策は特定の個人の偏見や世界観の反映にすぎない」という主張が出てきたとき、焦点は別にある。問題は、大統領が集会やインタビューで何を語ったかではない。制度が最終的に何を生み出したかだ。同盟は構造的に弱体化したのか、それとも言葉の揺れを超えて持続したのか。制裁は崩れたのか、維持されたのか。軍事的関与は消えたのか、それとも制度的惰性の中で続いたのか。敵対国は、言葉ではなく、具体的な政策によって戦略的利益を得たのか。 異なる政治文化の間で生きてきた私は、自然と比較する。私がよく知る多くの体制では、レトリックはすぐに現実になる。米国では、レトリックは制度と衝突する。この衝突は、大統領を苛立たせ、有権者を混乱させ、陰謀論を生むこともある。しかし同時に、それは権力集中に対する最も重要な安全装置の一つでもある。 ただし、居心地の悪い真実もある。制度は、外国勢力に乗っ取られなくても、その利益に奉仕してしまうことがある。**機能不全だけで十分なのだ。**分極化は結束を弱め、不信は制度を腐食させ、ちぐはぐな発信は同盟国を不安にさせる。政治的混乱は、敵対勢力にとっての機会を生む。ロシアや中国は、混乱の「作者」を支配する必要はない。その混乱が生む環境を利用すればよいのだ。 米国の外交政策は不完全で、ときに一貫性を欠き、強く政治化されている。だが、それは一人の人物の私的な記録ではない。制度、個性、法律、同盟、世論のせめぎ合いが生み出す結果である。 米国と国連を長年取材し、政府を間近で見つめ、異なる政治文化の間を行き来してきた経験を通じて、私は学んだ。この摩擦は弱さではない。権力集中に対する最後の防波堤の一つなのだ。 米国の外交政策を一人の人格に還元して語れると主張する人は、権力が実際にどう機能しているかを説明していない。彼らは、指導者が制度を支配する体制のモデルを、まさにそれを防ぐために設計された米国の制度に投影しているにすぎない。 そして皮肉なことに、その誤解こそが、権威主義体制が世界に信じ込ませたいことなのである。(原文へ) INPS Japan 関連記事: 米国大統領は「抗弁しすぎ」、とでも言うべきか 欧州議会議員ら核軍縮促進を呼びかけ |米国|「核兵器予算をコロナ対策へ」と呼びかけ

がんと闘うために自転車で走る

がん経験者と医療者がネパールを横断し、治療費支援の募金を呼びかけ 【カトマンズNepali Times=スディクシャ・トゥラダル】 ハルカ・ラマは2020年、膀胱がんと診断されたとき、「人生が終わってしまう。」と感じたという。治療は辛いもので、手術を2度受け、化学療法は計27回に及んだ。寛解したのは2022年である。一方でラマ自身は、治療費の工面に大きく苦しまずに済んだ。海外にいる人々を含む友人や支援者が、資金面で支えてくれたからだ。|英語版|インドネシア語|タイ語| しかし治療の過程で、経済的理由から入院や治療そのものを受けられない患者が少なくない現実も目の当たりにした。「私は友人に助けてもらえました。だが、入院して治療を受ける費用すら工面できない患者を大勢見ました。」とラマは言う。「何か行動しなければならないと思いました。」 熱心なサイクリストでもあるラマは2017年、高所マウンテンバイクレース「ヤク・アタック(Yak Attack)」に参加した際、救護担当として会場にいたドゥリケル病院(Dhulikhel Hospital)の整形外科医、ビカシュ・パラジュリと出会った。ラマががんと診断されたとき、パラジュリはドゥリケル病院で治療を受けるよう勧めたという。 治療を必要とする患者のために資金を集める方法を考える中で、ラマは「ヤク・アタック」に着想を得た。ネパールを自転車で横断しながら寄付を募るというアイデアである。ラマはドゥリケル病院と、サイクリストのグループ「サイクル・カルチャー・コミュニティ(Cycle Culture Community=CCC)」と協力し、ネパールの丘陵地帯を東から西へ走って募金を集める計画を立てた。 それから5年後の今月、東部パンチタル郡のチワバンジャン(Chiwabanjyang)から西部バイタディ郡のジュラガート(Jhulaghat)まで、サイクリストたちが募金ツアーを開始した。1月1日から27日まで、ネパールを横断する約1,800kmの行程である。 ラマとパラジュリに加え、カビタ・チトラカル、バイラジャ・マハルジャン、ケシャヴ・KCの5人が全行程を走破した。途中区間のみ参加した人も50人以上いたという。 先頭を走ったカビタ・チトラカルは、乳がんの治療中である。診断は4年前で、彼女はすでに母と姉(妹)を同じ病で亡くしていた。 自転車が救いに 「ふたりを失った直後に、今度は自分が病と闘うことになりました。ひとりで抱えるには二重の苦しさでした。」とチトラカルは語った。放射線治療を受けている最中、がんが肺に転移していることが分かり、医師から余命6か月と告げられたという。「抑うつ状態に陥りました。食事も取れず、眠れませんでした。」 そんな彼女を支えたのが、自転車だった。友人や家族が気持ちを保つためにサイクリングを勧め、甥が座りやすいよう座面を改造した自転車を用意してくれた。やがて、趣味として始めたサイクリングは、彼女の情熱へと変わっていった。 「山や森の中を走るうちにサイクリングが楽しくなり、心が軽くなっていきました。もう悲しみに沈まなくなりました。自転車は人生の見方を変えてくれた。」と、彼女はカトマンズで取材に語った。これまでに化学療法を8回受け、彼女の姿に励まされたという女性たちの声も届いているという。 「治療中、家族は私の支えでした。病に立ち向かい、人生を精一杯生きるよう背中を押してくれました。」とチトラカルは言う。「同じ状況にいる女性たちにも、勇気を届けたいのです。」 今回の旅で、チームは募金だけでなく啓発活動も行った。山道を上り下りしながら、11郡の14校を訪問し、がんに関する啓発プログラムを実施。地域の母親グループとも連携した。 同行した産婦人科医スーマン・ラージ・タムラカルは、「若い女性や少女に、乳がんと子宮頸がんのリスクを知ってもらい、検診やマンモグラフィー検査を受けるよう呼びかけました。旅の間に1,700人以上の少女や女性と対話しました。」と語った。 このツアーで集まった寄付は230万ルピーに達した。寄付金はドゥリケル病院に引き渡され、同病院は同額を上乗せして、治療費の支援を必要とする患者の費用に充てると約束している。 ラマは、「この旅を走り切れたこと自体が本当にうれしい。だが、それ以上に、目的のためにこれだけの資金を集められたことをうれしく思います。」と語った。 This article is brought...

「午前零時まで残り85秒」―新START条約の失効危機にどう向き合うか

【米国INPS Japan/ Pressenza=ジョセフ・ガーソン】 「『ゲシュタポ・グレッグ』と呼ばれるグレゴリー・ボヴィーノ(=米国の移民・税関執行局(ICE)および国境警備分野で活動してきた高官級の治安当局者)をミネアポリスから外したのは、トランプ政権による看板の掛け替えにすぎない。憲法に基づく民主主義と移民に対する攻撃は、いまも各地のコミュニティで続いている。その一方で、気候危機から核兵器、貧困の拡大に至るまで、複数の危機は放置されたままだ。 ミネアポリス発の、恐ろしくも人を鼓舞する見出しや、ドナルド・トランプがイランとキューバに向けて再び放った脅しにかき消されがちだが、原子力科学者会報は、人類の存亡に関わる警告を改めて発した。終末時計は「真夜中まで残り85秒」―破滅までの距離としては史上最短である。 政府と私たちの断絶は、ICE(移民・関税執行局)や国境警備隊による殺害、残虐な強制送還だけに限られない。より危険なのは、軍備管理と核戦争回避をめぐっても、トランプとワシントンの多くの勢力の間に大きな隔たりがあることだ。 最近のYouGov世論調査によれば、・米国の成人の72%が、米露の核兵器配備上限を維持すべきだと答えた。・有権者の87%が、米国は配備上限の制限を尊重すべきだと答えた。・81%が、新たな軍備管理交渉を支持すると答えた。 核軍備管理の起点は、ケネディ政権期、冷戦の最中に交渉されたマックロイ=ゾーリン合意にさかのぼる。同合意は、その後の軍備管理交渉——部分的核実験禁止条約、SALTⅠ・Ⅱ、NPT(核不拡散条約)、START諸条約—の基礎となった。もっとも、これは手放しで称えられる伝統ではない。交渉がしばしば、「次の軍拡競争がどの領域で進むか」をめぐる暗黙の了解を伴ったこともある。それでも今日まで、交渉を重ねる意義は小さくなかった。 いま、無制限の軍拡—ひいては人類の生存—に歯止めをかけてきた3つの柱が、危機にさらされている。1)新START条約(New START)2)包括的核実験禁止条約(CTBT)3)そしてその結果として揺らぎかねない、軍備管理外交の「礎」とされる核不拡散条約(NPT)である。 私たちは、2月5日に新START条約が期限を迎える現実に直面している。同条約はオバマ政権期に交渉され、米国とロシアの戦略核弾頭の配備数を、それぞれ1550発に制限してきた。 条文上、条約をそのまま「更新」すること(再締結)はできない。加えて新技術の進展もあり、この1年で後継条約を交渉する時間もなかった。だが、期限直前のいまでも、条約の核心的な上限制約を延長(extension)すること自体は禁じられているわけではない。 ロシアによるウクライナ侵攻が苛烈であることは否定しがたい。だが同時に、昨年9月、ウラジーミル・プーチンが条約の核心部分を延長する提案を行い、ドナルド・トランプも当時それを「良い考えだ」と述べていた点は見落とせない。その後、トランプ政権から目立った対応は示されていない。 障害はトランプだけではない。下院外交委員会の委員長であるブライアン・マストや、同委員会の欧州小委員会委員長のキース・セルら共和党議員は、「新START条約はもはやロシアとの有意義な核軍備管理を前進させず、国際的核軍縮という、より広い目標にも寄与しない」と主張している。 核政策コミュニティの一部には、中国が戦略核を約600発規模へ増やし、核戦力の均衡(parity)に向かっているとの見立てがある。米国国内では、中国とロシアを同時に抑止・対処するには核戦力を拡大すべきだという圧力が強まっている。トランプ政権の行動指針のように扱われてきたヘリテージ財団の「プロジェクト2025」は、米国の核戦力を大幅に増強し、ロシアと中国の規模に「匹敵し、圧倒」するよう求めた。こうした増強は、歯止めのない危険な核軍拡競争を加速させかねない。 また、Arms Control Associationによれば、議会の有力筋の一部には、ドナルド・トランプが掲げる「ゴールデン・ドーム」ミサイル防衛構想が、軍備管理に代わる手段になり得るとの見方があるという。同構想は実効性に乏しい一方で、軍産複合体を潤す巨額の大型事業となり、米国の財政を危機に追い込みかねない。 比較的近い将来、米国が、続いてロシアが、既存ミサイルに搭載する弾頭数を増やす「弾頭の上積み(uploading)」によって、配備弾頭数を増やす可能性がある。ただし、いずれも直ちに実行できるわけではない。 新START条約の上限制約を延長しない危険に匹敵するのが、核実験再開を示唆するトランプの脅しである。包括的核実験禁止条約は、あらゆる核爆発実験を禁止する条約で、ビル・クリントン政権期に交渉された。だが米国では、批准に必要な上院67票を確保できず、批准国には含まれていない。中国も同様に批准していない。 しかし、北朝鮮を例外として、米国を含む世界の国々は、実際には核実験の停止を守ってきた。ところが11月、ロシアが核弾頭ではなく「原子力推進ミサイル」を試験したという報道と混同した可能性が指摘されるなか、ドナルド・トランプは「他国のように核兵器を実験する」と表明し、問われるとその発言をさらに強めた。 現実には、ネバダ核実験場には、核実験再開に必要な設備や体制が整っていない。準備には最大で3年を要し得る。それでも、威嚇を狙って、トランプが核弾頭の爆発を命じる可能性も否定できない。 こうした発言が、4月のNPT再検討会議までに撤回されるか、少なくとも趣旨が明確にされなければ、3つ目の極めて重要な条約—NPT—はいっそう損なわれる。そうなれば、スウェーデンやポーランドから韓国、日本に至るまで、米国の「拡大抑止(extended deterrence)」の核の傘が揺らぐことを懸念する国々で、核武装を検討する圧力が強まりかねない。 核実験に実際に踏み込むのかどうかは、トランプが国防予算案で何を提案するかを見極める必要がある。 新STARTの制限放棄と核実験再開の可能性は、NPTのほころびを加速させる。NPTは、最大で50か国が核兵器を開発し得ると恐れられていた時代に、1972年に発効した。同条約は3本の柱に支えられている。1)非核兵器国が核兵器国になることを放棄すること2)しかし同時に、平和目的の原子力利用の権利を持つこと(条約の欠陥でもある)3)そして、当初の核兵器国が、第6条で核兵器の完全廃絶に向けた誠実交渉を行うと誓約すること だがP5(米国、英国、ロシア、フランス、中国)は、約束の履行や、過去のNPT再検討会議での合意(特に2010年に合意された13項目)の実施に消極的だった。その姿勢が非核兵器国多数派の反発を招き、対抗する枠組みとして核兵器禁止条約(TPNW)の交渉へとつながった。 NPTへの尊重と信頼は、深刻な水準まで低下している。直近2回の再検討会議はいずれも「失敗」と受け止められてきた。俗に言う「三振でアウト」の論理になぞらえれば、4月から5月にかけて開かれる次回NPT再検討会議も失敗に終わる可能性が高く、その場合、一部の国が条約から徐々に離脱し、独自の核戦力の開発に踏み出す事態が現実味を帯びる。トランプが同盟国への関与姿勢を不透明にしていることも、そうした動きを後押ししかねない。 こうした状況を受けて、原子力科学者会報(Bulletin of the...