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トランプ氏の中国訪問―成果を持ち帰れるか
この記事は、戸田記念国際平和研究所が配信したもので、同研究所の許可を得て転載しています。
【Global Outlook=ズー・ジーチュン】
米国がイランに対する「オペレーション・エピック・フューリー(壮絶な怒り)」を継続し、さらにそれ以前にはベネズエラの指導者ニコラス・マドゥロ氏を拉致するなど、国際秩序を深く傷つけてきた一方で、トランプ大統領による2026年3月31日から4月2日にかけての中国訪問に向けた準備が進められている。
トランプ氏が前回中国を訪れたのは、第1次政権下の2017年11月であった。この訪問は成功と評価され、ホワイトハウスによれば、中国との「生産的な関与」の土台を築いたとされる。トランプ氏は、これまでどの米大統領も受けたことのない特別な厚遇を受けた。中国の習近平国家主席が、紫禁城内で自ら茶会を催したのである。これに先立ち、トランプ氏は2017年4月、フロリダ州のマール・ア・ラーゴ私邸に習主席を迎えていた。だが、この蜜月は長くは続かなかった。トランプ政権は2018年7月6日、中国からの輸入品に25%の関税を課し、貿易戦争を開始した。その後、関係悪化はトランプ第1次政権の残りの期間、そしてバイデン政権を通じて、米中関係の支配的特徴となった。
もっとも、2024年11月の大統領選でトランプ氏が勝利した直後、米中関係は順調な滑り出しを見せた。トランプ氏はたびたび習主席との良好な関係を誇示し、就任式にも招待した。これに対し、習主席は韓正国家副主席をワシントンに派遣した。これはその種の機会としては、中国側の出席者として最高位に当たる。
第2次トランプ政権では、トランプ氏自身が事実上の「対中交渉責任者」であるかのように振る舞い、中国に対しても前政権期より柔軟な姿勢を見せている。最新の国家安全保障戦略と国家防衛戦略はいずれも、中国への言及は比較的抑制されており、中国を米国の「ペーシング・スレット(最重要の戦略的脅威)」とは位置づけていない。現政権の閣僚もまた、対中強硬一辺倒ではない。とりわけマルコ・ルビオ国務長官は、上院議員時代の強硬姿勢とは対照的に、中国との関与と対話の必要性を唱えるなど、現実的な対応を際立たせている。
第2次トランプ政権では、トランプ氏自身が事実上の対中政策の司令塔となり、中国に対してもより柔軟な姿勢を見せている。最新の国家安全保障戦略と国家防衛戦略はいずれも中国への言及を抑え、中国を米国の「ペーシング・スレット」とは位置づけていない。閣僚も対中強硬一色ではなく、とりわけマルコ・ルビオ国務長官は、上院議員時代とは異なり、中国との関与と対話の必要性を唱えるなど、現実路線を鮮明にしている。
しかし、2025年4月2日、トランプ氏は「解放の日(Liberation Day)」関税として、事実上すべての貿易相手国を対象に大規模な関税措置を発動し、中国は累積関税率が最大145%に達する最大の標的となった。これに対し中国も、米国製品に最大125%の関税を課して強硬に応じた。さらに中国は、レアアース(希土類)の輸出規制を迅速に導入し、米国産大豆の輸入停止にも踏み切った。これは、トランプ氏の支持基盤である農家を含め、米国経済に打撃を与えた。
数度にわたる交渉を経て、両国は、いわゆる関税の「休戦」に達した。2025年10月30日、韓国・釜山で習主席と会談した際、トランプ氏は中国を「米国最大のパートナー」と呼び、両国は常に「素晴らしい関係」にあったと主張した。その場でトランプ氏は、2026年春に中国を訪問する方針を改めて確認した。
多くの人々は、トランプ氏が中国との間でどのような取引を目指しているのか疑問を抱いている。中国による米国製品の購入拡大と引き換えに、台湾を犠牲にするのではないかとの憶測もある。トランプ政権は最近、総額130億ドル規模の対台湾武器売却を見送ったが、これはトランプ氏の訪中を頓挫させないための戦術的調整にすぎない。この売却は、トランプ氏の帰国後には間違いなく進められるだろう。台湾は戦略的にも経済的にも重要であるため、米国が台北を切り捨てて北京を喜ばせる可能性は低い。
台湾問題や国際秩序、さらには世界的なパワー移行に伴う構造的対立など、難題が山積するなか、米中両国はトランプ氏の訪中に過度な期待を抱くべきではない。むしろ現実的な姿勢を取り、いくつかの具体的な成果を目標とすべきである。
第一に、現在の関税休戦を延長することである。今回の訪問は貿易が主題となる見通しであり、両首脳は、より良い解決策が見つかるまで、新たな関税を課さないことで一致すべきだ。中国が引き続き米国からの輸入を拡大するのであれば、ワシントンは対中関税を引き下げ、輸出規制を緩和すべきであり、中国もそれに応じて相応の措置を取るべきである。ワシントンにとって明るい材料は、2025年の対中モノの貿易赤字が2020億ドルまで縮小し、20年以上ぶりの低水準となったことである。中国は、政治的雰囲気さえ整えば、石油やボーイング機を含め、米国からの輸入をさらに増やす意思も能力もあるようだ。
第二に、ヒューストンと成都の総領事館を同時に再開すべきである。米国が2020年7月、中国の在ヒューストン総領事館に対し、わずか72時間での退去を命じて閉鎖した判断は拙速であった。中国は報復として米国の在成都総領事館を閉鎖し、両国関係はさらに悪化した。ヒューストンと成都は、それぞれの国の内陸・中核地域を象徴する都市である。この2つの外交拠点を再開することは、両国の中核地域間における貿易その他の交流を大きく拡大させるだけでなく、相違を抱えつつも両国が理性的かつ平和的に関与する意思を有していることを、世界に示すシグナルにもなる。
第三に、観光と教育交流を促進することである。観光や人的往来は、政治・外交上の緊張を和らげる緩衝材となり得る。中国はすでに、カナダや英国を含む数十カ国の国民に対し、30日間の査証免除措置を認めているのだから、米国人にも同様の措置を検討できるはずである。より多くの米国人を中国に呼び込み、訪中を容易にするうえでも、北京がトランプ氏の訪中中に、米国人向けの30日間のビザ免除措置を打ち出すのは理にかなっている。他方、米国も、より多くの米国人が中国を訪れ、学ぶことを後押しすべきである。こうした措置は、米中両国民の間に好意的な空気を育む一助となるだろう。
米中関係は、きわめて厳しい課題に直面している。それでもトランプ氏も習主席も、首脳会談が二国間関係の悪化に歯止めをかけるうえで極めて重要だとみており、ともに今回の訪中を成功させたい考えである。
双方は、台湾や国際秩序のような極めて対立の大きい問題については、「意見の相違を残したまま折り合えないことを認める」ほかないだろう。その代わり、強固な通商関係の維持や人的交流の促進といった、利害が一致する分野に焦点を当てるべきである。緊密な貿易関係と幅広い社会的交流に支えられた関係は、戦争に至りにくい。一度の訪問で、競い合う二つの大国の間に横たわるすべての問題が解決するわけではない。だが、関係の安定化に資する現実的なアプローチは、両国の利益にかなう。
ズー・ジーチュン氏は、米バックネル大学の政治学・国際関係学教授で、中国研究所所長。全米米中関係委員会のメンバーでもある。中国外交と米中関係を中心に幅広く執筆しており、2005年の著書『US–China Relations in the 21st Century: Power...
沈黙か抵抗か―タリバン下で闘う若きアフガン女性テコンドー指導者
筆者はアフガニスタン在住の女性ジャーナリスト。タリバン復権前、フィンランドの支援を受けて研修を受けた。安全上の理由から身元は明らかにされていない。
【アフガニスタン・ヘラートIPS=匿名ジャーナリスト】
アアフガニスタン西部ヘラート州で今年1月、ハディジャ・アフマドザダ氏が拘束されたことを受け、国内外で抗議の声が広がった。女性の権利活動家やSNS上の利用者らは、「スポーツは犯罪ではない」「教育は女性の権利だ」「女性を消し去るな」などのスローガンを掲げ、#BeHerVoice のハッシュタグとともに連帯を表明した。
拘束当時、国連人権特別報告者のリチャード・ベネット氏は、タリバンによる彼女の拘束に深い懸念を表明し、テコンドー指導者ハディジャ・アフマドザダ氏の即時釈放を求めていた。彼女はその後釈放されたが、この一件は、アフガニスタンの女性アスリートに対する支援の必要性を改めて示した。世界各地の活動家たちは、そうした支援は国際社会全体の責務であり、抑圧の前で沈黙することは危険な結果を招くと訴えた。
22歳のアフマドザダ氏は、共和国時代に数々の賞を受けたテコンドー選手であり、アフガニスタンのナショナル・ユースチームの指導者でもあった。タリバンが実権を握った後も、彼女は女性や少女たちのために競技の場を守ろうと努めた。練習し、学び、前へ進む機会が急速に失われていくなかで、そうした場を何とかつなぎ留めようとしていた。
かつてヘラートは、女性向けスポーツクラブが活況を呈した都市だった。女性たちは高い意欲を持ち、多くの成果を上げていた。これらの施設は単なる運動の場ではなく、教育、交流、そして女性や少女たちのエンパワーメントの拠点でもあった。
しかし、タリバン復権後、女性向けスポーツ施設はすべて閉鎖され、女性アスリートは活動継続を一律に禁じられた。女性がスポーツクラブを利用できなくなったのは、タリバンが2021年に政権へ復帰して間もない時期で、これは彼らがイスラム法を厳格に解釈して導入した一連の措置の一部である。当時は「安全な環境」が整えば再開されると説明されていたが、2026年1月時点でも再開されたクラブはなく、女性はいまなお競技参加を禁じられている。
優れた選手であると同時に、強い意志と献身を備えた指導者としても知られていたアフマドザダ氏は、タリバンの厳しい統制下でも密かに活動を続け、練習を望む女性たちにトレーニングの機会をつなぎとめていた。だが、その努力はやがて発覚した。2026年1月、彼女は拘束された。
この拘束は、アフガニスタンで社会の中で活動し続けようとする女性たちが、いかに強い圧力にさらされているかを示している。同時に、基本的な権利を守り、社会とのつながりを保つために、禁じられた道を選ばざるを得ない現実も浮き彫りにした。
アフマドザダ氏は、ヘラートのジュモン・テコンドー・アカデミーで韓国人専門家の指導を受け、本格的にテコンドーを学んだ。短期間のうちにアフガニスタンのナショナル・ユースチーム入りを果たし、国内外の大会でメダルを獲得した。現役引退後は、少女たちへの指導に当たっていた。
安全上の理由から匿名を希望した教え子の一人は、「彼女は卓越した、献身的な指導者です。その勇気と無私の姿勢を誇りに思います。」と語った。
タリバンの風紀警察が彼女を拘束しに来た際、アフマドザダ氏は生徒たちを静かにクラブの外へ逃がしたうえで、自らはその場にとどまり、タリバンの規則に抗して拘束された。
2021年8月にヘラートがタリバンの支配下に入った直後から、彼らは女性や少女のスポーツ施設を段階的に閉鎖していった。最初は風紀警察が施設運営者に口頭で命令を出したが、その後は器具の没収、クラブの封鎖、所有者や指導者の拘束へと締め付けを強めていった。
彼女が13日間拘束されたことは、家族にも大きな重圧となった。家族は彼女の釈放を求め、地元代表や地域の長老、当局者に繰り返し働きかけた。アフマドザダ氏は最終的に、同じ行為を繰り返さないとする誓約書を書かされたうえで釈放された。だがその自由は、苦しみの終わりというより、タリバン支配下のアフガニスタンで生きる現実を改めて突きつけるものだった。
彼女はその後、ヘラートのジェブライル地区で秘密裏にテコンドー訓練プログラムを立ち上げた。それは、タリバンの厳しい統制に抗する女性たちの静かな抵抗の象徴となっている。
彼女によれば、タリバンが復権する前、この分野では多くの女性が活動し、それによって生計を立てていた。だがタリバンが政権を握ると、スポーツ施設は閉鎖され、女子チームは解散させられ、女性選手や指導者たちは自宅にとどまるか、国外へ去るかを余儀なくされた。
それでも国内に残った女性たちは、完全な沈黙か、静かな抵抗かの選択を迫られた。ハディジャ・アフマドザダ氏は、後者を選んだ。(原文へ)
INPS Japan/IPS UN Bureau Report
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|国際女性デー 2025|「ルール・ブレイカーズ」— 学ぶために全てを懸けたアフガニスタンの少女たちの衝撃の実話
タリバンの悲惨なアフガニスタン統治が1年を迎える
アフガンメディアフォーラムを取材
メキシコの土地紛争のさなか、姪が殺された。世界は企業に責任を問わねばならない
【メキシコ・ミチョアカン州IPS=クラウディア・イグナシオ・アルバレス】
私の姪、ロクサナ・バレンティン・カルデナスは、殺されたとき21歳だった。彼女は、メキシコ西部ミチョアカン州のパツクアロ湖畔にあるサン・アンドレス・ツィロンダロ出身のプルペチャ(Purépecha)先住民女性である。
ロクサナは、別の先住民共同体が、土地を取り戻した出来事を記念して企画した平和的な行進の最中に命を奪われた。その土地闘争では46年前にも3人が殺されている。今回も、追悼と記念の場は再び銃撃にさらされた。
ロクサナは武器を持っておらず、行進にも参加していなかった。彼女はたまたまデモ行進に遭遇し、銃弾を受けたのだ。彼女の死は私にとって深く個人的な出来事だが、それは土地と領域をめぐる長年の暴力という、より大きな文脈の中で起きた。
その暴力は近年ミチョアカン州で激化している。今年11月に市長が暗殺されたことは、不安が公的生活の深部にまで浸透し、民間人、地域リーダー、地方当局者のいずれに対しても十分な保護が存在しない現実を浮き彫りにした。
メキシコ全土で、先住民は土地、水、森林を守ろうとして殺されている。政府や企業が「開発」と呼ぶものは、私たちの共同体にとって、暴力によって強いられる収奪である。土地の奪取、水の盗奪、抵抗する者を黙らせること——それらを通じて進められる。
脅かされる暮らし
私はサン・アンドレス・ツィロンダロの出身だ。そこは農業、漁業、音楽の共同体であり、私たちは世代を超えて、湖と周囲の森林を、生命に不可欠な共同の責任として守ってきた。その暮らし方が、いま脅かされている。
ミチョアカン州では、収奪の圧力は地域により姿を変える。先住民領域の一部では鉱山開発であり、私たちの地域では、農産物の輸出を目的とするアグロインダストリー——とりわけアボカドやベリー類の生産である。自給のための共同土地が商業農業のために貸し出され、パツクアロ湖の水は、無許可で設置された配管によって引き抜かれ、農地の灌漑に回される。その結果、地元の農民は水へのアクセスを奪われる。
農薬や化学肥料が土壌と水を汚染し、土地利用転換を可能にするために森林が意図的に焼かれ、生態系は大量の水を消費する単一栽培へと変えられていく。これは開発ではない。収奪である。
強制の手段としての暴力
先住民共同体がこうした過程に抵抗すれば、暴力が続く。
現実を示す2つの事例がある。いずれも未解決のままだ。
私たちの組織の一員で人権擁護者であるホセ・ガブリエル・ペラヨは、1年以上にわたり強制失踪させられている。国連の強制失踪委員会が緊急措置を出したにもかかわらず、進展は阻まれてきた。当局は捜査資料へのアクセスを引き延ばし、本格的な捜索はなお始まっていない。家族はいまも答えを待ち続けている。
ナワ(Nahua)共同体サン・フアン・ウイツォントラの擁護者エウスタシオ・アルカラ・ディアスは、事前の説明と同意のないまま領域に押しつけられた鉱山事業に反対した後、殺害された。彼の死後、共同体は恐怖で動けなくなり、安全に人権活動を続けることが不可能になった。
この2つの事件は、暴力と不処罰が、共同体の抵抗を抑え込むために用いられていることを示している。
軍事化は保護ではない
暴力と不処罰が拡大するなかで、メキシコ政府は再び軍事化に頼っている。数千人規模の兵士がミチョアカン州に投入され、当局は逮捕や治安作戦を「安定の根拠」として掲げる。
しかし実際には、軍事化はしばしば収奪的な開発利害が集中する地域と重なる。鉱山開発、アグロインダストリーの拡大、大規模インフラ計画の対象地域に治安部隊が配置され、共同体の抵抗が封じ込められる一方で、そうした事業が推進されやすい条件が整えられる。
先住民がそれを「保護」と感じることは少ない。むしろ監視、威嚇、犯罪化として経験される。企業は中立を装うかもしれないが、こうした治安体制から利益を得ており、暴力や立ち退きに異議を唱えることも稀である。そこには、企業の共謀という深刻な問題が浮かび上がる。
破綻するグローバル・ガバナンス
先住民の領域は、国境を越えて展開する収奪産業にさらされている一方で、説明責任を問う枠組みは断片化したままである。企業は事業を複数の法域にまたがらせ、環境破壊や人権侵害の責任が特定されにくい構造をつくり出している。
企業の自主的な誓約では、暴力も環境悪化も止められなかった。国内規制は国によってばらつきが大きく、腐敗や組織犯罪の影響を受ける地域では執行も脆弱である。これは国内だけの失敗ではない。グローバル・ガバナンスの失敗である。
いま求められる国際的責任
私は最近、ピース・ブリゲーズ・インターナショナル(Peace Brigades International=PBI)の支援を得て、英国を10日間訪問し、議員や外務・英連邦・開発省(FCDO)の当局者、市民社会組織と面会した。
こうした対話は、企業活動、金融システム、外交関係を通じて収奪的な事業と結びつく国の政府に対し、被害の防止と危険にさらされる人々の保護に責任を果たすよう求める、より広範な国際的努力の一環である。
英国は一つのアクターにすぎない。だが、企業責任や人権擁護者支援をめぐる英国の政策は、国境を越えて大きな影響を及ぼす。
なぜ拘束力ある国際規則が必要なのか
先住民と市民社会は長年にわたり、ビジネスと人権に関する拘束力ある国連条約を求めてきた。その切迫性は、土地と水を守ろうとして失われた命、そしていまも行方不明のままの人権擁護者の存在によって、痛切に示されている。
拘束力ある条約は、グローバル・サプライチェーン全体にわたる人権・環境デューデリジェンス(相当の注意義務)の義務化、国境を越えた司法救済へのアクセスの保障、人権擁護者の保護を法的義務として位置づけることを可能にする。さらに、自由意思による事前の十分な情報に基づく同意(Free, Prior and Informed Consent=FPIC)を、「任意」ではなく、法的に実効性のあるものにできる。
そうした条約は開発を妨げない。開発が暴力、収奪、不処罰に依存しないようにするための土台となる。
すべての人のために生命を守る
先住民は進歩の障害ではない。私たちは、自らの領域を超えて生命を支える生態系を守っている。先住民の女性はしばしばその最前線に立つ一方、同時に並外れた危険にもさらされている。
人権擁護者が失踪させられ、他の人々が殺され、私の姪のような若い女性が命を落とすとき、苦しむのは私たちの共同体だけではない。生態系が深刻な危機にあるいま、土地と水、そして生物多様性を守る人々を、世界は失うことになる。
生命と土地を守ることが、人命の犠牲を代償としてはならない。(原文へ)
クラウディア・イグナシオ・アルバレスは、ミチョアカン州サン・アンドレス・ツィロンダロ出身のプルペチャ先住民フェミニストで、レズビアンの環境人権擁護者。人権連帯ネットワーク「レッド・ソリダリア・デ・デレチョス・ウマノス(Red Solidaria de...
少数の漁師が示す、銛漁の持続可能性
【インド・ティルヴァナンタプラムIPS=バラト・タンピ】
インド南部ケララ州の海辺の町コヴァラムで、わずかな漁師たちが実践する「銛漁」が、海洋資源の持続可能な利用のあり方として注目されている。対象を見極めて仕留めるこの漁法は、乱獲や混獲、放置網による海洋汚染を避けやすく、専門家からも環境負荷の低い漁法の一つと評価されている。|英語版|スワヒリ語|
スディ・クマールは、銛の使い方を説明しながら、まるで舞を演じるように両手を動かしてみせた。最近は海が荒れているため銛漁をしばらく休んでおり、この日は道具を手元に持っていなかった。それでも、30年以上にわたって銛を扱ってきた経験は、その身ぶりからも十分に伝わってくる。
51歳のスディは、インド最南部ケララ州ティルヴァナンタプラム県にある観光地コヴァラムの漁師である。沿岸部の人口が多いこの地域でも、彼は特異な存在だ。地元で初めて銛漁を学び、実践した人物であり、州内でもごく少数しかいないこの珍しい漁法の担い手の一人だからである。
「銛漁とヤス漁は、部外者には似て見えるかもしれないが、実際には大きく異なる」とスディは語る。「祖先たちは丈夫な木などで作ったヤスを使っていたといわれているが、銛はこの地域の漁師にとってまったく未知の道具だった。」
1990年代、コヴァラムは人気のビーチ観光地としてにぎわっていた。当時、10代を出たばかりだったスディは、すでに泳ぎと潜水に長けており、父親の漁を手伝う一方で、外国人観光客のシュノーケリングガイドも務めていた。
「ある時、フランス人の観光客が銛を持ってきて、海での漁を手伝ってほしいと言った。あの道具を見たのは、生まれて初めてだった。」スディは、35年ほど前の出来事をそう振り返る。
その観光客が漁を終えた後、スディは一度その銛を使わせてほしいと頼んだ。相手は、初めて銛を手にしたとは思えないほどのスディの潜水技術と道具さばきに驚いたという。その日、スディは大きなヴェラ・パーラ(シルバー・ムーニー)まで仕留めた。
「彼がコヴァラムを離れる前、その銛を私に贈ってくれた。本当に驚いたし、うれしかった。ここで銛を持っているのは私だけだったからだ。」
それ以来、スディは銛漁を頻繁に行うようになった。その姿は、当初、コヴァラムのほかの漁師たちにとって物珍しいものだったという。「父の船に乗って漁を手伝うより、銛漁のほうがはるかに稼げることにも気づいた。」
もっとも当時、銛はケララ州内はもちろん、インド全体でも入手が難しい道具だった。高価で、多くの漁師には手が届かなかったからである。スディ自身も、銛を壊したり失ったりすることを恐れ、大型魚を狙うことは控えていた。
インド農業研究評議会・中央海洋漁業研究所(ICAR-CMFRI)の硬骨魚類漁業部門責任者、ショーバ・ジョー・キジャクダン博士も、銛漁は科学的に見ても最も持続可能な漁法の一つと評価されていると話す。ただし、かつてはその漁法に「残酷」という印象がつきまとっていたという。
「たとえば、銛はかつてジンベエザメやほかのサメ類を捕獲する主要な手法の一つだった。禁止される以前は、銛が刺さった魚が命がけで抵抗するなか、生きたまま岸まで引きずられることもあった」とキジャクダン博士は説明する。
SDGsの目標14「海の豊かさを守ろう」は、海洋の保全と海洋資源の持続可能な利用を掲げ、過剰漁獲や違法・破壊的な漁業慣行の是正を重要な課題としている。その観点から見れば、スディの実践する銛漁は、この理念にかなう漁法の一つといえる。
もっともスディ自身も、一度の銛打ちで仕留めきれないような大型魚は狙わないという。それは残酷で、道義的にも許されない行為だと考えるからだ。ただ、若い頃からそうした考えを持っていたわけではない。
「若かった頃、ポールという観光客と海に出たことがある。彼は水中の生息環境や、私の銛漁の様子を撮影していた。ポールは、明らかに求愛行動をしているように見えるブルーフィン・トレバリーのつがいに見入っていた。私は待ちきれず、そのうちの一匹を銛で仕留めてしまった。すると彼は、悲しそうな表情で振り返り、静かに首を振った。私は強い後悔を覚えた。その気持ちは今も残っている。」
スディによれば、銛漁は決して容易な技術ではない。それが実践者の少ない大きな理由でもある。魚が十分近づき、その動きを見極めて狙えるようになるまで、水中で何分も息を止めて待たなければならないからだ。
ティルヴァナンタプラムを拠点とする沿岸先住民の市民団体「フレンズ・オブ・マリンライフ(FML)」は、地域の海洋生物多様性、とりわけ自然の岩礁生態系の映像記録を長年続けてきた。FML創設者で認定スキューバダイバーでもあるロバート・パニッピラ氏は、スディによる銛漁の記録にも取り組んできた。
「銛漁は岩場のある海域でしか成り立たない。その意味で、コヴァラムは理想的な場所だ」とパニッピラ氏は話す。さまざまな漁法を記録してきた経験から、銛漁は最も独特で、しかも難度の高い技能の一つだとみている。
「優れた水中での持久力と機動力だけでなく、海底地形や魚の行動に対する十分な理解も欠かせない。単に銛を持っているだけでは、効果的に使いこなすことはできない。」
パニッピラ氏によれば、コヴァラムの銛漁師と、近隣のビジンジャムに点在する少数の実践者を除けば、ケララ州で銛漁が行われている場所はほとんどないという。彼は、銛漁が非常に持続可能な漁法である理由として、その高い選択性を挙げる。
「乱獲の危険が少なく、ほかの魚に交じって稚魚が捕れることもない。網漁のように、海底に放置されたゴーストネットが生態系に悪影響を及ぼす問題も起きにくい。」
かつてはスディだけが銛を持っていたが、いまでは地域内にもこの漁法に携わる漁師が増えてきた。その多くは、中東から帰国した人々を通じて海外製の銛を入手したという。独立して漁を始める前に、スディから手ほどきを受けた者も少なくない。
現在、コヴァラムとその周辺では、およそ25人の漁師が銛漁に従事しているとスディはみている。ただ、彼の知る限り、銛漁はいまなおインド全体で見ても珍しく、実践されているとしても島しょ部などに限られる可能性が高い。
スディによれば、ケララ州では南西モンスーンの時期、とりわけ8月が銛漁に最も適している。ティルヴァナンタプラム沿岸ではハタ類が豊富で、豊漁の季節には数十万ルピー相当の水揚げを得たこともある。エイやバラクーダも、よく狙う魚種だという。スディは銛漁のほか、ムール貝の潜水採取やロブスターのかご漁にも従事している。
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