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カラトヤ

【ボグラ(バングラデシュ)IPS】 かつて北ベンガルの命綱であったバングラデシュのカラトヤ川は、いまやボグラの街を、分断され汚染された水路として静かに流れている。気候変動と人為的な放置が、地域の生計や記憶、日常生活を静かに書き換えつつある。 ボグラの中心部を流れるカラトヤ川には、長年にわたる衰退の痕跡がはっきりと刻まれている。かつて北ベンガル有数の水運路だった川は、いまでは川幅が狭まり、水がよどみ、ごみが目立つ。水面は穏やかに見えても、危機は根深い。本短編ドキュメンタリーは、気候変動による負荷、市街地の拡大、汚染、そして流れの分断によって姿を変えたカラトヤ川を、風景であると同時に、人々の暮らしに根差した存在として見つめる。 https://www.youtube.com/watch?v=wz8boWYlTgU 乾季が長期化し、降雨が不規則になるなかで、川が本来備えていた回復力(自浄作用)は失われつつある。農民は灌漑に苦しみ、かつて漁で生計を立てていた人々は職を失い、都市住民は排水路と化した川のそばで健康被害のリスクと隣り合わせに暮らしている。本作は統計ではなく、静かな映像と個人の記憶を通して、川が日常からゆっくりと姿を消していくときに生じる喪失を見つめる。 近年の浚渫事業は一時的な改善をもたらしているが、本作はより根源的な問いを投げかける。共同体としての継続的な手入れと責任がなければ、川は存続できるのか―。 【監督プロフィール】モハンマド・ロウフェル・アハメド(1997年生まれ)とモハンマド・サディク・サロワール・スナム(2007年生まれ)は、バングラデシュ・ボグラ出身の新進の映像作家である。ロウフェルはアジズル・ハク政府カレッジ(Government Azizul Haque College)社会学修士課程(MSS)の学生で、映画、芸術、写真に強い関心を持つ。サディクはTMSS School and Collegeの高校最終学年に在籍し、創造的な学びや新しい経験に意欲を示している。両名は、ドキュメンタリー映画監督・写真家モハンマド・ラキブル・ハサンの指導のもと、ボグラ国際映画祭が主催したドキュメンタリー制作ワークショップに参加・修了。同ワークショップを通じて、環境変化と地域の物語をテーマにした初めてのドキュメンタリー作品『Karatoya』(2026年)を制作した。 INPS Japan/IPS UN...

ガンビア最高裁、女性器切除禁止法の合憲性を判断へ

【バンジュル、ガンビア=ジュリアナ・ンノコ】 ガンビアの最高裁判所は、女性と少女を女性器切除(FGM)から守る法律が、同国憲法に適合するかどうかを審理している。FGMはガンビアで広く行われてきた慣行で、少女が押さえつけられた状態で性器の一部が切除され、場合によっては傷口が縫い合わされることもある。 FGMは国際人権法上、拷問および残虐で非人道的または品位を傷つける取り扱いに当たる。死に至る危険があるほか、感染症、出産時の合併症、胎児死亡、心理的影響など、生涯にわたる健康被害を引き起こし得る。最高裁の判断は、女性と少女がこうした有害な慣行から引き続き守られるのかどうかを左右する。 宗教指導者らと国会議員の一部は2024年、議会で2015年制定のFGM禁止法の撤廃を試みたが、実現しなかった。彼らは次に争点を最高裁へ持ち込み、禁止法は文化や宗教の自由など憲法上の権利を侵害すると主張している。これは西アフリカの一国に限った問題ではない。女性の権利をめぐる国際的な揺り戻しの一環であり、女性と少女をジェンダーに基づく暴力から守ってきた長年の進展を後退させかねない。 世界保健機関(WHO)は、FGMに医学的な必要性はないとしている。医療従事者が行う、いわゆる「医療化(メディカライゼーション)」であっても、人権侵害であることに変わりはない。場所や施術者が誰であれ、FGMが安全になることはない。 それでも、FGMを受けた女性と少女は世界で2億3000万人を超える。生存者の約63%(1億4400万人)はアフリカに集中している。ガンビアでは2020年、15〜49歳の女性の約4分の3がFGMを受けたと回答し、そのうち約3分の2は5歳未満で施術を受けていた。これは抽象的な人権問題ではなく、何百万人もの女性と少女に生涯にわたり影響を及ぼす公衆衛生上の危機である。 FGMは、女性と少女が最高水準の健康を享受する権利や身体の安全、さらには生命の権利を侵害する行為である。FGMを受けた女性は、出産時の合併症や慢性的な感染症、心理的外傷などに苦しみ、場合によっては命を落とすこともある。2025年8月には、生後1か月の女児がFGM後の出血により死亡したと報じられた。 2015年の禁止法は大きな前進だった。ガンビアは、FGMが健康、身体の安全、拷問からの自由といった基本的人権を侵害する行為だと認め、禁止に踏み切った数十の国々に加わった。政府はさらに、持続可能な開発目標(SDGs)とも整合する形で、2030年までに慣行を根絶する国家戦略も採択した。だが、禁止法の運用や戦略の実施は遅れがちで、いまその枠組み自体が揺らいでいる。 最高裁では、人権の観点から見過ごせない主張が提出されている。報道によれば、証人として出廷した著名なイスラム指導者は、「女性の割礼」はイスラムの一部で害はないと述べた。手続き後に乳児が2人死亡した事例について問われると、「私たちはムスリムであり、人が亡くなるのは神の御心だ」と答えたという。さらに、FGMの「利益」は女性の性的欲求を抑えることにあり、「それは男性にとって問題になり得る」とまで述べた。 しかし、原告側の主張は検証に耐えない。シャリーア(イスラム法)にFGMを義務づける規定はなく、スンナ(預言者の言行)に基づくものでも、宗教上の「徳」とされる行為でもない。FGMはイスラム以前から存在し、ムスリム社会で普遍的に行われているわけでもない。信仰と結びつけられてきたのは、一部の共同体が文化的慣行を誤って宗教と関連づけてきたためである。 また、FGMを宗教の自由に基づく憲法上の権利とみなす主張も、誤解を招きかねない。ガンビア憲法は、宗教や文化の自由を含む権利であっても、他者の生命や、拷問・非人道的扱いからの自由、差別を受けない権利などの基本的人権を侵害する場合には制限され得るとしている。 ガンビア国内では、「ジェンダーに基づく暴力反対ネットワーク」や「女性の解放とリーダーシップ(WILL)」などの団体が、この訴訟に反対している。市民社会組織は2024年、禁止法の撤廃を目指した議会での動きを阻止するため、生存者や地域指導者、女性団体を全国で動員した。いま反対運動の中心にいるのは、自らの命と尊厳を守るため声を上げる女性と少女たちである。 「この訴訟に反対する声を上げた人々は、特にソーシャルメディア上で嫌がらせを受けています。その結果、多くの生存者や女性の権利擁護者が沈黙せざるを得ない状況になっています」と、反FGM活動家で生存者でもあり、WILL創設者のファトゥ・バレ氏は語った。 ガンビアは、「アフリカ人権憲章」と、その議定書である「アフリカにおける女性の権利に関する議定書(マプト議定書)」、さらに「アフリカ児童の権利及び福祉憲章」を批准している。マプト議定書第5条(b)は、FGMのあらゆる形態と、その医療化を明確に禁止している。 さらに2025年7月、ガンビア政府は同年採択された「女性に対する暴力終結のためのアフリカ連合条約」に署名し、有害な慣行の防止と生存者保護のための法的措置を採択・実施する姿勢を改めて示した。これは、FGM禁止を支える憲法上の義務を改めて確認する動きでもある。 いま、ガンビアの少女と女性の健康と尊厳は最高裁の判断に委ねられている。ただし、判決がどうであれ、政府には、包括的な教育プログラムや地域主導の取り組みの推進、既存法の厳格な執行、生存者への医療・心理支援への投資を通じて、FGM根絶を進める責任がある。これは、何十万もの女性と少女の命を守るために不可欠である。(原文へ) ジュリアナ・ンノコはヒューマン・ライツ・ウォッチの上級女性権利研究員。 INPS Japan/IPS UN Bureau Report 関連記事: シエラレオネにおける女性性器切除に対する沈黙は、私たちを守らない アジアにおける女性器切除は、依然として無視されている問題である |視点|全ての少女に学籍を認めることが児童婚に歯止めをかける一つの方法(アグネス・オジャンボ『人権擁護団体ヒューマン・ライツ・ウォッチ』研究員)

破壊が政策となるとき―ミュンヘン安全保障報告書が示すグローバル・ガバナンスの未来

この記事は、戸田記念国際平和研究所が配信したもので、同研究所の許可を得て転載しています。 【Global Outlook=ジョルダン・ライアン】 今年の会議に先立って公表された「ミュンヘン安全保障報告書2026」は、ルールに基づく国際秩序の現状に対し、深刻な分析を提示する。題名の「Under Destruction(破壊の途上)」は文字通りである。報告書は、段階的改革より制度の解体を優先する政治勢力が西側民主主義諸国で広がる現象を、「wrecking-ball politics(解体政治)」として位置づけている。 このパターンで最も目立つ行為主体は、現在の米政権である。トランプ大統領は2026年1月、気候変動枠組条約(UNFCCC)、世界保健機関(WHO)、パリ協定を含む66の国際機関・枠組みからの離脱を表明した。これは通常の政策調整ではない。撤退と資金拠出停止を通じて、機関の機能不全や崩壊を招くか、急進的な再編を強いる戦略である。累積的な効果として、1945年以降に築かれてきた多国間アーキテクチャの中核が危機にさらされる。 この潮流を最も顕著に体現しているのは、現政権である。トランプ大統領は2026年1月、気候変動枠組条約(UNFCCC)、世界保健機関(WHO)、パリ協定を含む66の国際機関や国際枠組みからの離脱を表明した。これは通常の政策調整ではない。離脱と資金拠出の打ち切りを通じて、機関の機能不全や崩壊を招くか、急進的な再編を迫る戦略である。その帰結として、1945年以降に構築されてきた多国間アーキテクチャの中核が危機にさらされる。 侵食は資金面にとどまらない。報告書は、戦後の基本規範―領土保全、国際法の遵守、多国間ルールは国家を力づけると同時に拘束するという前提―が、土台としてではなく取引の対象として扱われつつあると警告する。原則に基づく協調が、取引型の合意へ。公共利益が私益へ。普遍規範が地域覇権へ―そうした世界が、すでに現実に近づいているという。これは憶測ではない。特使を軸にした個人主導のディール、WTO規律を迂回する二国間の関税交渉、対外援助を政策への同調と明示的に結び付ける動きなどに、兆候はすでに表れている。 この報告書に説得力があるのは、事態を一時的な逸脱として片付けない点にある。報告書は、生活費危機、格差の拡大、実質生活水準の停滞、上向きの社会移動の衰退といった構造的要因を挙げる。多くの西側社会で進むこうした変化のなかで、停滞の象徴と見なされた制度は―それが妥当であれ不当であれ―組織化された不満の標的になりやすい。報告書によれば、「着実な進歩」というグランド・ナラティブは説得力を失い、代わって破壊が「再生」として語られるようになった。 報告書が投げかける戦略的問いはきわめて厳しい。ルールに基づく秩序を支えようとする主体は、「ブルドーザー政治の傍観者」となり、瓦礫と化した規則と制度の前で大国政治に翻弄されるのか。あるいは、不可欠な構造を強化し、単一国家の影響力に左右されにくい枠組みを設計し、報告書の言葉でいえば自ら「より大胆な建設者(bolder builders)」となるのか。 適応の動きも見られる。欧州の防衛協力は加速している。気候、デジタル・ガバナンス、貿易をめぐる中堅国の連合は、大国が離脱しても機能する枠組みを模索している。ウクライナを支える「有志連合」は、可変的な参加形態による統治の一例である。参加意思のある主体の協力を維持しつつ、不可欠な機能を一方的離脱の影響から守ろうとする試みだ。普遍的合意がもはや得られない可能性を前提に、それでも機能的協力を継続しなければならない――そうした認識の広がりを示している。 ただし報告書は、厳しい制約も指摘する。問われるのは実質的な能力である。中堅国は、レトリックだけで多国間機能を支え続けることはできない。米国の支援が保証されない状況でも侵略を抑止し得る防衛支出、強制的な関税措置に耐え得る経済的強靭性、敵対的勢力が支配するシステムへの依存を減らす技術的能力が必要となる。資源をより緊密な協力のもとでプールすることは、もはや選択ではない。相互依存が武器化される世界で主体性を維持するための不可避のコストである。 平和構築や予防に携わる主体にとって、その示唆は重大である。多国間の仕組みはもはや、大国間の合意を当然の前提とはできない。分断と戦略的競争の下でも機能するよう設計し直す必要があり、そのためには政治的意思だけでなく、制度設計そのものの見直しが求められる。 求められるのは二重の課題である。中堅国は能力を強化すると同時に、改革された制度が安全と繁栄を実際にもたらし得ることを示さなければならない。多国間枠組みが目に見える成果を出せなければ、世論は「破壊の擁護者が正しかった」と結論づけるだろう。ミュンヘン安全保障指数のデータは、信頼回復の猶予が縮小していることを示唆する。宣言では信頼は戻らない。成果―実績―によってのみ戻る。 重要な示唆は三点ある。 第一に、危機は循環的ではなく構造的である。それは一時的な政策の相違ではなく、経済・政治・制度の各領域にまたがる正統性の摩耗である。たとえ経済が改善しても、遠く反応が鈍いと受け止められてきた制度への信頼が自動的に回復するわけではない。 第二に、中堅国は「能力」か「周縁化」かの選択を迫られている。大国が離脱しても多国間機能を維持できるだけの防衛、経済、技術能力に投資し、その負担を引き受けるのか。あるいは傍観者となり、勢力圏と取引型の二国間主義に支配される世界を受け入れるのか。物的投資を伴わずに既存制度が設計通りに機能し続けると期待する第三の道はない。 第三に、既存制度を守るだけでは足りない。報告書は明言する。ルールに基づく秩序を支えようとする主体は、より大胆な建設者にならなければならない。すなわち、破壊要求を生む正統性の欠如に対処できる統治枠組みを設計することだ。可変幾何学的な連合、資金メカニズムの改革、加盟国だけでなく影響を受ける人々への説明責任――これらは付加的な改善ではない。制度が生き残る条件である。 ミュンヘン安全保障報告書2026は、世界が制度を打ち壊す「解体政治(鉄球政治)」の時代に入りつつある現実を描き出した。戦後秩序の構築が始まってから80年以上を経たいま、米主導の戦後秩序は継続的な揺さぶりにさらされている。報告書は、破壊がより公正な枠組みを築き直す契機となるのか、それとも既に強い者の優位を固定化するのかを予断しない。しかし、受動は中立ではないことを明確にする。 問われているのは、戦後秩序が現在の形で生き残るかどうかではない。置き換わるものが、改革と刷新が可能な共同統治によって形作られるのか、それとも制約のない大国競争と取引型支配に席巻されるのかである。結末を左右するのは修辞ではない。投資し、改革し、築く意思を、国家と制度がどれだけ持つかである。選択のために残された時間は、確実に狭まっている。(原文へ) ジョルダン・ライアンは、戸田平和研究所の戸田国際研究諮問評議会(TIRAC)メンバーであり、フォルケ・ベルナドッテ・アカデミーのシニア・コンサルタントを務める。国連では事務次長補を歴任し、国際的な平和構築、人権、開発政策の分野で豊富な実務経験を持つ。民主的制度の強化と、平和・安全保障に向けた国際協力の推進を主たる関心領域とし、アフリカ、アジア、中東で市民社会組織を支援し、持続可能な開発を促進する数多くの取り組みを主導してきた。危機予防と民主的ガバナンスをめぐって、国際機関や各国政府への助言も継続的に行っている。 INPS Japan 関連記事: アメリカ・ファーストと多国間主義の狭間で揺れる国家安全保障戦略 続発する世界の紛争が浮き彫りにする核保有国と非核保有国の対立構図 ホワイトハウス首脳会談:欧州は団結、ウクライナは屈服を拒否

「人類の友愛」は平和を動かせるか

信仰と外交が交差する新たな国際空間 【アブダビINPS Japan=浅霧勝浩】 戦争が続き、国際秩序がいっそう不安定さを増すなか、アブダビの舞台は別の物語を提示した。和解の試みを早期に評価し、宗教リーダーを同じ空間に招き、かつての対立当事者を同じ照明の下に立たせる。2月4日に開かれた「人類の友愛ザイード賞」2026年授賞式の核心は、こうした“対立をほどく方向の選択肢を、公の場で目に見える形にする”試みにある。|中国語版|韓国語|英語| 国連が定める「国際人類友愛デー」に合わせて開催された式典には、各国首脳や宗教リーダー、市民社会の代表が集まった。この賞は、2019年にアブダビでローマ教皇フランシスコとアル=アズハルのグランドイマーム、アフマド・アル=タイーブ師が署名した「人類の友愛に関する文書」に起源を持つ。同文書は、宗教間対話と平和的共存を国際社会に向けて打ち出した歴史的宣言と位置づけられている。 あれから7年、国際情勢はむしろ断片化を深めている。それでも主催者は、授賞式を単なる表彰の場ではなく、“政治が荒れても最低限の自制を促すための、象徴の場”として構想してきた。 脆弱な和平への後押し 今年の式典で最も注目を集めたのは、アルメニアのニコル・パシニャン首相とアゼルバイジャンのイルハム・アリエフ大統領が、和平合意を理由に顕彰された場面である。数十年に及ぶ対立を経てなお脆弱な南コーカサスの和平プロセスに対し、この授賞は国際的な後押しを与えるものとなった。 和平合意は、成立直後が最も不安定だ。国内政治の反発や根深い不信が、容易にその履行を揺るがす。両首脳を同じ舞台に立たせた今回の授賞は、終着点の確認ではなく、外交的前進を「補強」する行為だったといえる。対話を選択した指導者を早期に評価することで、合意を支える“妥協しやすい空気”や“反対派が覆しにくい状況”を広げようとする意図が読み取れる。 授賞は首脳外交にとどまらない。2026年の受賞者には、アフガニスタンで女子教育を支える活動家ザルカ・ヤフタリ氏と、パレスチナの非営利団体タアウォン(Taawon)も含まれた。紛争や政治的不安定の下で、人道支援や開発を継続する取り組みを評価した形である。この選定は、和平合意のような「上からの政治」と、現場を支える「下からの平和構築」を橋渡しするという同賞の狙いを強調した。条約や合意があっても、社会の維持に必要な学校、医療、地域の支援体制が脆弱であれば、平和は定着しないという問題意識がにじむ。 ローマとアスタナへ連なる対話の回路 アブダビの式典は単独の出来事ではない。2025年10月、ローマでは聖エジディオ共同体が主催する年次フォーラム「平和のための宗教と文化の対話」が開かれた。1986年のアッシジ会合の精神を受け継ぐこのフォーラムは、宗教リーダー、政治関係者、市民社会の代表を継続的に結びつける対話の場である。聖座(バチカン)はその中心的な参加主体であり、道徳的訴えを国際政治の議論へとつなぐ道徳的権威を発揮してきた。 さらに東方では、カザフスタンがアスタナで開催する「世界伝統宗教リーダー会議」を通じて、宗教間対話を制度的に定着させてきた。聖座とアル=アズハルのグランドイマームはいずれも継続的に参加し、同会議を組織的な宗教間対話の場として維持することに貢献してきた。 こうして見ると、ローマ、アスタナ、アブダビは個別の行事ではなく、宗教と外交を結ぶ対話空間の節点であることが浮かび上がる。言い換えれば、“会って話せる回線を切らさないための定期便”のように機能している。 国境越える宗教アクター 聖座や世界各地の宗教リーダーと同様に、世界に約1300万人のメンバーを擁する創価学会インタナショナル(SGI)の寺崎広嗣平和運動総局長も、アブダビ、ローマ、アスタナの対話の場に参加してきた。寺崎総局長は授賞式に先立ち、同賞事務総長のモハメド・アブデルサラーム判事と面会。原田稔創価学会会長からアル=タイーブ師宛ての書簡を手渡し、宗教の違いを超えた「心と心の対話」を一層強めていく必要性について意見を交わした。 スピリチュアル外交を重視するUAEやカザフスタン政府が設ける舞台は、単なるイベントにとどまらない。そこに道義的な権威を与え、平和構築へと向かう倫理的な重みを持たせているのは、宗教や市民社会のリーダーらが長年にわたり築いてきた関係性に支えられる、持続的な対話のアーキテクチャである。言い換えれば、“定期的に会い、連絡が途切れないようにする仕組み”である。国家間関係が緊張する局面でも、宗教・市民社会ネットワークは対話の回路を維持し、関係断絶を避ける“緩衝帯”となり得る。 今年の授賞式にカザフスタンのカシム=ジョマルト・トカエフ大統領がビデオ演説で関与し、寺崎総局長がアブダビ、ローマ、アスタナといった対話の舞台を横断してきた事実は、宗教と外交が交差するこうしたネットワークの存在を静かに示唆している。同様に、聖座もまたこれら三つの場に継続的に関与してきた主体の一つである。 同じ言葉、異なる現実 これらの場が繰り返し用いる語彙は共通している。友愛、共生、対話、人間の尊厳。多国間主義が揺らぎ、従来の調停回路が脆弱化するなかで、国家が、力ではなく対話を優先する姿勢を内外に示し、「自国は対立をあおる側ではなく、場を整える側である」と印象づけるための言語でもある。 しかし、式典と現実のあいだの距離は消えない。和平合意を称えることは必ずしも履行を保証しない。女子教育を評価しても必ずしも教室が再開するわけではない。共生を掲げても暴力は即座には止まらない。賞は妥協を奨励し、対話を祝福できるが、成果を強制する装置ではない。 それでも各国や宗教・市民社会のネットワークが、出席や発言、継続的な関与というかたちでこれらの場に関わり続けるのは、そこが敵対する当事者が同席できる数少ない公的な場だからである。緊張関係にある当事者が同じ空間に立ち、抑制が公然と評価され、宗教間のつながりが非公式の外交回路として機能し得る―そうした空間は決して多くない。 平和を「予行演習」する場所 人類の友愛ザイード賞、ローマの平和祈念行事、アスタナの宗教会議。これらを重ねると、武力や圧力ではなく、会合と関係維持を通じて進める外交の形が広がっていることが見えてくる。時に象徴的でありながら、時に静かな影響力を持つ構造である。 同時にそれは、宗教、市民社会、国家の利害が交差する、新たな外交領域の立ち上がりを示唆している。 いまの国際環境では、こうした小さな接点こそ意味を持ち得る。平和が政策として制度化される前に、その形を公の場で「予行演習」できる空間は限られているからだ。 アブダビの式典は、その数少ない舞台の一つである。紛争を解決したわけではない。疑念を消したわけでもない。それでも、対話を選び、それを公然と可視化し続けること自体が、分断の時代において「敵対よりも抑制を選ぶ」という立場を明確に示す行動なのである。(原文へ) This article is brought to you by INPS...