Breaking
平和の祈りを水面の波紋のように―広島・長崎から80年
【メキシコシティーINPS Japan=ギレルモ・アラヤ・アラニス】
80年前、世界は人類史上最も破壊的な兵器の力を目の当たりにした。広島と長崎は核兵器の標的とされ、人類史の中でも最も暗い章の舞台となった。死者は20万人を超え、その惨禍は世代を超えて響き続けている。だが今なお、80歳を超える被爆者たちが声を上げ続け、核兵器廃絶と平和を訴えている。
メキシコシティ西部にあるメトロポリタン自治大学クアヒマルパ校(UAMクアヒマルパ)では、1945年8月9日の長崎原爆を生き延びた山下泰昭氏が、自らの体験を語るために登壇した。その言葉には歴史を生き抜いた重みがこもっていた。
「皆さん一人ひとりの小さな声を、世界中に広げることができます。その声は水面の波紋のように広がり、やがて核兵器の脅威のない世界で生きられるようになるでしょう。それこそが私たちの願いであり、平和なのです」と山下氏は強調した。
炎に包まれた幼少期の記憶
山下氏の証言は、私たちをあの日の長崎へと引き戻す。わずか6歳のとき、彼は「一度に千本の稲妻が落ちたような閃光」を目にした。それは人間には理解し難い恐怖の始まりだった。爆心地から約2.5キロの自宅は熱線と爆風で倒壊し、家の別の部屋にいた姉はガラス片で頭に大怪我を負った。(化学兵器による攻撃と思い込んでいた)姉はその傷から流れる血は「米軍が日本人に使った危険な油」だと勘違いし、恐怖に震えたという。
街は一瞬にして廃墟と化し、病院も壊滅した。医師や看護師も犠牲となり、助けを求める人々には手立てがなかった。やがて飢えが襲い、家族はわずかな食料を求めて何キロも歩き、農村で残りの財産を物々交換に差し出した。山下氏は、破壊し尽くされた街を歩きながら「現実とも思えぬ惨状」を目に焼き付けたと振り返る。
沈黙から証言へ
長い間、彼は被爆体験を語らなかった。日本では被爆者に対する差別や偏見が根強く、「放射能がうつる」という無理解にさらされたからだ。1960年、山下氏は日本赤十字社の原爆病院で働き、多くの放射線障害患者の看護に携わった。年齢の近い白血病患者のために度々献血したが、その患者は亡くなった。「自分もいつ発病するかわからない」という恐怖が常につきまとったという。
やがて彼は日本を離れ、新しい人生を求めてメキシコに渡る。メキシコ文化に強い憧れを抱いていた山下氏は、1968年のメキシコ五輪で日本選手団の通訳を務め、そのまま移住を決意した。ナワトル語を学び、通訳や翻訳者として働き、市民権も取得した。
1995年、ケレタロで初めて被爆体験を公の場で語ったのをきっかけに、彼は長い沈黙を破り、証言活動を始めた。それは癒やしの道であると同時に、核兵器廃絶を訴える使命でもあった。
学生の応答――漫画と写真で伝える
メキシコシティでも、山下氏の証言は若者に深い影響を与えた。UAMクアヒマルパの人文学部の学生、ジェシカ・エスカンドンさんは、被爆の現実を伝えるために、漫画と写真を組み合わせた展示を企画した。
「広島と長崎について調べるうちに、このプロジェクトを始めました。自分の好きな表現を通して、今私たちが直面している現実とつなげなければならないと感じたのです。完成までに2年かかりました」と彼女は語る。
展示「広島と長崎―生存と抵抗の証言」は、写真や漫画のコマ34点で構成され、原爆による人々の苦しみを生々しく描いた。キャンパス内のミゲル・レオン・ポルティーリャ図書館で開かれ、被爆者の傷や、反核運動の始まりを示す肖像も展示された。その中心に置かれたのが、活動家としての山下氏の姿だった。
「被爆者は今や80歳を超えています。これからは若者の責任です。学校教育で表面的に扱うのではなく、決して忘れてはならないこととして意識を高めていく必要があります」とジェシカさんは訴えた。
書籍で残す証言
イベントでは、セルヒオ・エルナンデス博士による著書『ヒバクシャ―山下泰昭の証言』も紹介された。長年にわたり山下氏と交流を続けてきた博士がまとめたもので、長崎での体験、差別との闘い、メキシコ移住、そして被爆証言活動が描かれている。
「短いけれどとても心を打つ本です。特に、彼が受けた差別が衝撃的でした。人々がそれを隠そうとした事実に強い印象を受けました」とジェシカさんは話す。
会場には千羽鶴が色鮮やかに飾られた。平和の象徴であり、反核運動のシンボルでもある。「千羽鶴を折ることは、核兵器を二度と生み出さないという誓いを表す、日本の平和運動の伝統です」とエルナンデス博士は説明した。
世界への警鐘
山下氏は講演で、国際社会に対して強い警告を発した。
「私たちは何年も軍縮のために活動してきましたが、世界は逆方向に進んでいます。核兵器はますます増えています。人類は本当に広島と長崎の悲劇から学んだのでしょうか」と問いかけた。
そして、メキシコのような非核国も安全ではないと指摘する。「私たちは核兵器を持つ国々に囲まれています。平和と核兵器廃絶の運動は、平和国家だけでなく、ロシア、アメリカ、中国、北朝鮮といった核保有国にも強く響かせなければなりません。」
記憶から行動へ
長崎の廃墟からメキシコシティの講義室へ。山下泰昭氏の歩みは、一人の声が世界に波紋を広げ、平和の連鎖を生み出すことを示している。被爆体験、差別との闘い、異国での新しい人生、そして証言者としての使命――そのすべてが、平和は記憶だけでなく行動によって築かれることを物語っている。
彼の「小さな声」が世界を巡り、いつの日か核兵器の脅威なき世界を実現することを願ってやまない。(原文へ)
This article is published by INPS Japan in...
フェミニスト電化―アフリカに不可欠な『力』」
【ワシントンDC IPS=スディクシャ・バッティネニ】
チャドはエネルギー貧困の最も深刻な例の一つである。人口のわずか10%しか電力に接続されておらず、農村部の電化率は2%未満、そして一人当たりの電力消費量は世界平均のわずか18%にとどまる。このことが経済発展を阻んでいる。
加えて、急速な人口増加も大きな課題だ。チャドは世界で最も人口増加が速い国の一つであり、現在2100万人の人口は今世紀末までに3倍以上に達すると予測されている。女子の初等教育修了率は38%にとどまり、児童婚と高い出生率が開発の障害となっている。
世界銀行はこうした課題の一部に取り組んでおり、教育制度を強化する新たな協定を発表したほか、アフリカ開発銀行と提携して「ミッション300」を立ち上げ、2030年までにアフリカで3億人を新たに電力に接続することを目指している。
しかし、これらの課題は相互に関連しており、縦割りでは解決できない。誰もが利用できる安価でクリーンなエネルギーを目指す持続可能な開発目標(SDG7)は、ジェンダー平等と女性のエンパワーメント(SDG5)とも密接に結びついている。女性の権利拡大は出生率低下と人口増加抑制の前提条件だからだ。さらにエネルギーアクセスは教育(SDG4)、貧困撲滅(SDG1)、保健(SDG3)、気候変動対策(SDG13)など、SDGs全体に関わっている。
例えば、エネルギー貧困は病院がワクチンを保存できない、起業が難しい、日没後に子どもが勉強できないといった事態を招き、教育が是正しようとする格差、とりわけジェンダー格差を悪化させる。
こうした問題への包括的な解決策として、エネルギー不足の国々の女性活動家たちは「フェミニスト電化」を提唱している。これは女性を経済的主体かつ消費者として力づけることを目的に、エネルギー投資を設計するものだ。家族計画を電力導入に組み込み、女性の教育、研修、リーダーシップ開発に投資し、エネルギー計画に女性を参画させるといった取り組みが考えられる。
しかし、この視点は「ミッション300」の「エネルギー・コンパクト」には欠けている。これは各国や企業、組織が「誰もが利用できる安価でクリーンなエネルギー」に向けた自主的な誓約をまとめたものだ。チャドの国家エネルギー・コンパクトは、2030年までに1400万人以上に新規接続を提供し、電力アクセスを11%から90%へ引き上げ、クリーン調理手段の普及率を46%に拡大し、再生可能エネルギーを発電量全体の30%に高め、866メガワットの新規発電容量を追加し、総額6億5030万ドルの投資を動員する(約3分の1は民間から)。
コンパクトはインフラ整備、民間セクターの関与、規制改革に重点を置いているが、ジェンダー平等や人口増加との交差といった「人間的次元」を見落としている。
例えば、チャドの高い出生率は大規模な家族を生み出し、調理・照明などの家庭エネルギー需要を増大させる。女性は家庭のエネルギー需要の大半を担っているが、意思決定には関与できていない。
ほぼすべての農村家庭は薪を調理に使い、森林を破壊するだけでなく、室内空気汚染による呼吸器疾患を引き起こしている。LPG調理器や電気調理器などのクリーン調理手段はこれらのリスクを一変させうるが、それは女性が利用でき、購入でき、信頼できる場合に限られる。
家族計画への需要が満たされないまま、チャドの急速な人口増加が続き、エネルギーアクセス拡大の成果を押し流しかねない。教育や経済的選択肢が乏しいため、18歳までに結婚する少女は61%にのぼり、女性一人当たりの合計特殊出生率は5.14と極めて高い。
急速な人口増加は都市のスプロール化を加速させ、木炭生産のための森林破壊を進め、送電網の拡大をより困難にする。
このように、家族計画とエネルギー計画は密接に結びついている。チャドは家族計画や女性のエンパワーメントを進めなければ、エネルギー・コンパクトの目標を達成できない。
フェミニスト電化では、女性に太陽光発電設備の設置、電気調理器の販売や保守の職業訓練を提供し、家庭にクリーンエネルギーを届けると同時に、女性の雇用と自己決定の機会を生み出す。これは普遍的に出生率低下につながる傾向がある。さらに、分散型再エネ拡大や民間投資促進といったコンパクトの目標を女性にも広げることになる。
チャドは国家エネルギー・コンパクトを改訂し、ジェンダーと人口動態の統合計画を盛り込むべきだ。すべての新規エネルギー事業にジェンダー影響評価を義務づけ、性別や所得別のエネルギーアクセス成果を追跡し、電化事業を家族計画、保健、女性の経済的エンパワーメント施策と直接連携させるべきである。
エネルギーアクセスとは、どれだけのキロワットが発電されるかだけではなく、その数字の背後にある人間の現実と、誰が恩恵を共有するのかという問題である。真のアクセスとは、チャド農村部の女性がスイッチを押し、クリーンに調理し、安全に呼吸し、自らの家族の大きさを選べることを意味する。
それこそが、アフリカに必要な「力」なのである。(原文へ)
スディクシャ・バッティネニはデューク大学の2年生で、Population Instituteのスタンバック・フェロー。
INPS Japan/IPS UN Bureau Report
関連記事:
「スタートアップ・ネーション・フォー・グッド」:イスラエルのテクノロジー革新がSDGsに沿って世界的課題に挑む
女性の太陽光エンジニアがザンジバルのへき地の村々を照らす
成功を調理する:アンゴラでクリーンエネルギーの利用拡大を目指すソーラーキッチン・イニシアチブ
国連総会、米国ビザ拒否でジュネーブ一時移転論再燃
【国連IPS=タリフ・ディーン】
1988年、パレスチナ解放機構(PLO)議長ヤーセル・アラファトが米国からニューヨーク訪問のビザを拒否された際、国連総会は米国に抗して、史上初めて会場をジュネーブに移し、PLO議長にとってより敵対的でない政治環境を提供した。
アラファトは1974年に初めて国連で演説したが、ジュネーブでの発言をこう切り出した。「この名誉ある総会での2度目の会合が、ジュネーブという温かく迎えてくれる都市で行われることになろうとは、夢にも思わなかった」。
そして今、37年を経て、再び総会を一時的にジュネーブへ移すべきだとの運動が起きている。理由は、パレスチナ代表団が米国への入国ビザを拒否されているためだ。
中東における米国政策の改革を目指す非営利団体DAWNのサラ・リア・ウィットソン事務局長はIPSの取材に対して、「米国はガザにおけるジェノサイドやパレスチナ国家承認に関する議論を阻止しようと、パレスチナ当局者のビザを取り消しているのは明らかです。」「世界は毎日目撃しているイスラエルの残虐行為にうんざりしており、米国がこのような茶番を繰り返した前回と同じく、総会をジュネーブに移すべきだと強く望んでいます。」と語った。
彼女は、会場を移すことは国際社会が長年の国際法違反を容認しないという明確なメッセージになると主張した。
DAWNは先週発表した声明で、1947年の米国・国連本部協定は、二国間の対立にかかわらず、すべての代表が国連に参加できる「無制限の権利」を保障していると指摘した。
米国がこの協定を破ったのは今回が初めてではない。1988年、米国はアラファトのニューヨーク総会出席を拒否し、国連は米国の違反を認定する決議を採択、総会をジュネーブに移すという異例の対応を取った。
セント・ピーター大学外交・国際関係学部のマーティン・S・エドワーズ副学部長はIPSの取材に対して、「会場移転の呼びかけは想定の範囲内だ。」と指摘したうえで、「トランプ政権は他国の意見を顧みずに政策を進めることを好みます。『アメリカ・ファースト』は『アメリカ・アローン』へと変わりつつあるのです。」と語った。
パレスチナ承認を進める国々が実際に行動すれば、米国は安保理常任理事国5カ国の中で唯一、承認しない国となる。
「会場をジュネーブへ移すという威嚇は極めて合理的であり、世界が圧力に対抗して押し返すことができるという教訓を、ホワイトハウスはまだ学んでいない」と同氏は述べた。
国連のステファン・ドゥジャリック報道官は8月29日、ビザ拒否に関して「国務省と協議する。特に協定の第11条と第12条は読む価値がある。」「すべての加盟国、オブザーバーが代表を派遣できることは重要であり、とりわけ今回、フランスとサウジアラビアが主催する二国家解決会合を控えているためです。」と語った。
一方、米国務省は8月29日発表の声明で、「米国法に従い、マルコ・ルビオ国務長官は国連総会を前にPLOおよびパレスチナ自治政府(PA)の関係者のビザを取り消す」と表明した。
声明はさらに「PLOとPAがテロを否認し、扇動をやめない限り、平和のパートナーとは認められない。ICCやICJへの提訴や一方的な国家承認の追求は、ガザ停戦協議の崩壊を招いた要因でもある。」とした。
ただしPAの国連代表部は協定に基づき渡航を認めるとしたうえで、「PA/PLOが義務を果たし、妥協と平和共存への具体的な道を歩むなら、再関与は可能だ」と付け加えた。
現在、パレスチナは193加盟国のうち147カ国(約76%)から国家として承認されている。2012年11月以降、国連では「非加盟オブザーバー国家」とされている。
さらに、米国の抗議を押し切り、2018年にはパレスチナが国連最大の経済ブロックである134カ国の「77カ国グループ(G77)」の議長に選出された。
元国連事務次長補は匿名を条件にIPSの取材に対して、「米国は総会で拒否権を持たないため、OIC(イスラム協力機構、57カ国)主導で決議を採択することは容易だろう。」と語った。(原文へ)
INPS Japan/IPS UN Bureau Report
関連記事:
米国は“ブラックリスト”で国連創設80周年サミットから政治指導者や代表を排除するのか?
G7が動く―パレスチナ国家承認に向けた西側の外交転換
地球のための報道
核実験に反対する国際デーに 若者がグローバル・ヒバクシャ支援を世界に訴え
【東京INPS Japan=浅霧勝浩】
国連が制定した「核実験に反対する国際デー(8月29日)」に合わせ、若者や専門家が東京の国連大学に集まり、「グローバル・ヒバクシャ支援のためのユースの役割」と題するフォーラムが開催された。このイベントでは、広島からマーシャル諸島に至るまで、核兵器の生産、使用、実験等によって被害を受けた人々を総称する「グローバル・ヒバクシャ」の声を若者の連帯がどう増幅し、核兵器廃絶に向けた世界的な機運を強めることができるかが強調された。|HINDI|CHINESE|ENGLISH|
このイベントは会議であると同時に、行動への呼びかけでもあった。そのメッセージは明確だ。核の時代は過去の歴史ではなく、いまも世界中の人々の身体、記憶、そして闘いの中に生き続ける危機である。そして若者こそが、その声を未来へと継承していく責任を担わなければならない、と主催者たちは強調した。
青年平和意識調査
このフォーラムは、核戦争防止国際医師会議(IPPNW)、Qazaq Nuclear Frontline Coalition(カザフスタン核フロントライン連合)、創価学会インタナショナル(SGI)、フリードリヒ・エーベルト財団(FES)カザフスタン、マーシャル諸島教育イニシアチブ(MEI)が共催した。
5団体は、1月6日から8月9日の間に米国、オーストラリア、カザフスタン、日本、マーシャル諸島の5カ国で「青年平和意識調査」を実施し、その最終結果を発表した。対象は18歳から35歳の若者で、青年世代が核兵器について、どの程度の知識・認識を持ち、どのような行動を取っているのか、あるいは取ろうと考えているのかを問う調査で、1580人が回答した。
「どの国においても、被爆者の証言を聞いたことのある人は、核廃絶のために行動している割合が高いことが分かりました。」と、SGIユースの中沢大樹氏は語った。「各被害者の証言に耳を傾けることは、単なる記憶の継承ではなく、行動を生み出す触媒なのです。」
同じくSGIユースの阿部百花氏は、彼らの世代にとって被爆者の証言は「核兵器の人間的な代償と、その使用を防ぐ必要性を理解する最も力強い手段の一つ。」であると語った。
カザフスタンの核の遺産を想起
東京とカザフスタン・アルマトイを結んだオンライン対話では、FESカザフスタンのメデット・スレイメン氏が同国の悲劇的な歴史を振り返った。ソ連時代、北東部のセミパラチンスク実験場で456回の核実験が行われ直接影響を受けた人々とその子孫は約150万人にのぼること、そして、被ばくに関するデータはソ連崩壊時にモスクワに持ち去られたため、未だに核実験と被爆の影響に関する検証が困難になっていることを指摘した。「影響はいまだ十分に解明されていません。しかし人々の苦しみは明らかです」と語った。
カザフスタン政府は独立した1991年に実験場を閉鎖し、当時世界第4位の核戦力を自ら放棄した。国連はこの歴史的な決断をたたえ、2009年に8月29日を「核実験に反対する国際反対デー」に制定した。
日本の視点
日本の若者にとって、核の記憶は身近であると同時に遠い存在でもある。広島と長崎は国民的記憶の中心にあるが、オーストラリア先住民や太平洋の島しょ国の人々、カザフ人など他の核被害者の経験はしばしば見落とされてきた。
今年3月、ニューヨークで開かれた第3回核兵器禁止条約(TPNW)締約国会議に参加したSGIユースの二瓶優妃氏は、そのギャップを鮮明に感じたと語った。サイドイベントで、英国の核実験で被曝したオーストラリア先住民の証言を聞いたのだ。
「何の通告もなく一方的に核実験が実施され、先住民という弱い立場から未だに十分な補償をうけることができず、認知度も低いままです。」「日本では広島と長崎が歴史的悲劇として語られる一方で、グローバル・ヒバクシャの証言を聞くと、被害は現に今起こっており、苦しんでいる人が今なおたくさんいることが理解できました。」と二瓶氏は語った。
その気づきは、連帯のあり方を考え直す契機となった。「日本人として、グローバル・ヒバクシャの人々と連携して、本当の意味での核廃絶を目指していきたい。」と二瓶氏は語った。
条約と課題
Youth Community for Global Hibakusha高垣慶太氏は、TPNWの画期的な意義を強調した。同条約はそれまでの核管理条約とは異なり、初めて被害者支援と環境回復を締約国の義務として明記している(第6条・第7条)。同時に高垣氏は同条約に関する課題についても言及した。例えば、核保有国の不参加、政府とNGOの対立、そしてグローバルサウス諸国の多くが資金的に制約を抱えている点だ。「こうした諸課題は現実のものです。しかし、ビジョンもまた現実です。それを実現するために、私たちは努力を続けなければなりません。」と語った。
また高垣氏は、若者の活動を単なる「継承」に矮小化すべきではないと指摘した。「若者は『被爆者の思いを継ぐべきだ』とよく言われます。確かにそれは重要ですが十分ではありません。その前提として、私たち一人ひとりがどのような社会を築きたいのかを決め、その実現に責任を持つことが必要なのです。」と強調した。
カザフスタンからの呼びかけ
在日カザフスタン大使館のアンヴァル・ミルザティラエフ参事官は、カザフスタンは独立以来核兵器のない平和を国の基本的な選択として歩んできたことを指摘したうえで、本日のイベントは核の悲劇を記憶にとどめるだけでなく、未来に向けて行動を促す点で極めて重要だ。」と評価した。
青年平和意識調査で多くの若者が「核廃絶のために行動したいが、どうすればよいか分からない」と答えたことについては、「だからこそ核廃絶のキャンペーンはもっと分かりやすく、気軽に参加できる形にしていくことが重要です。」と指摘した。
「被爆者の証言を伝え続けていくことが、若者の思いを行動につなげる大きな力になります。」とミルザティラエフ参事官は強調した。さらに「青年には3つの力があります。『被害の事実を広める力』、『国境を越えて対話を繋ぐ力』、そして『社会を動かす行動力です』。」と述べ、「カザフスタンと日本、そして世界の若者と共に歩み、グローバル・ヒバクシャを支えながら、核兵器のない未来を築いていく、その実現を私は心から信じています。」と力強く訴えた。
国連大学学長の呼びかけ
国際連合大学学長のツシリッツィ・マルワラ博士もまた、核兵器の被害を受けたすべての人々の声を未来へ引き継ぐ責務があると強調した。国連創設時の誓い「戦争の惨禍から将来の世代を救う」を新たにし、未来を担う世代に対し、先見性と勇気をもって平和のために行動を起こそうと呼びかけた。(原文へ)
INPS Japan
関連記事:
「グローバル・ヒバクシャ:核実験被害者の声を世界に届ける」(寺崎広嗣創価学会インタナショナル平和運動総局長インタビユー)
国連の未来サミット:核兵器廃絶と気候危機に取り組むために必要な若者主導の行動
|視点|人生ががらりと変わる経験だった(イリヤ・クルシェンコCTBTO青年グループメンバー)