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ベネディクト16世の死去から3年。いま改めて、ほとんど語られてこなかった外交手腕を検証する。(ヴィクトル・ガエタン ナショナル・カトリック・レジスター紙シニア国際特派員)

【National Catholic Register/INPS JapanワシントンDC=ヴィクトル・ガエタン】 教皇ベネディクト16世の偉大さは疑いようがない。学識、謙虚さ、そして伝統的な典礼形式を高く位置づけて新しい世代の信徒にも語りかけたことなど、司牧上の的確な判断によって、彼は広く称賛されてきた。教皇在位中には、イエス・キリストの生涯と宣教を扱ったベストセラー三部作『ナザレのイエス』を刊行し、「知の巨人」としての評価を世界的に確立した。 だが、外交面での功績が語られることは多くない。 ベネディクト16世の「世俗的」な成果を正当に位置づけ直すことは、バチカンが長年にわたって続けてきた、目立たない国際活動の連続性を示すうえでも重要である。とりわけ価値が大きい領域は三つある。①キリスト教の諸教派の和解と協力を進める取り組み(エキュメニズム)の推進、②イランのシーア派指導者との関係強化、③ベトナムおよび中国との二国間関係の改善である。 キリスト教の諸教派の和解と協力を進める取り組み ベネディクト教皇の下で、キリスト教の教派を超えた対話と協力(教派間対話)は着実に前進した。とくにギリシャ正教会、ロシア正教会(ROC)との関係改善は顕著である。在位8年の間に、他のキリスト教諸派との歴史的な溝を埋めようとする取り組みは、これまでになく進んだ。 こうした関係がいっそう重要になった背景には、三つの世界的潮流があった。第一に、とりわけ西側で進むキリスト教の周縁化。第二に、とりわけ中東で深刻化する教会と信徒への暴力。第三に、旧共産圏のロシアにおけるカトリックと正教会の緊張である。 2006年、ベネディクトはトルコのイスタンブールで全地総主教バルトロマイ1世と会談した。イスタンブールは、かつてコンスタンティノープル総主教座が置かれた正教会の歴史的中心地だが、現在では信徒数は数千人規模にまで減っている。教皇(正教会世界では「同輩中の第一」と位置づけられる)と全地総主教は、両教会がともに崇敬する元主教、聖ヨハネス・クリュソストモスと聖グレゴリオス・ナジアンゼンの聖遺物の前で祈りを捧げた。 滞在中、ベネディクトとバルトロメオ1世は共同声明に署名し、ヨハネ・パウロ2世の時代に中断していた「カトリック—正教会神学委員会」(双方の専門家による協議体)を再始動させた。両者はその後も、教派を超えた対話を継続した。 さらに大きな転機となったのは、ロシア正教会で新たな指導者が選出されたことである。スモレンスク・カリーニングラード府主教キリル(のちの総主教)の登場が、関係改善の流れを強めた。 ローマとモスクワ ロシア正教会は、世界最大の正教会共同体である。カトリック教会とロシア正教会(ROC)—後者はクレムリンに近いとされる—の関係は、2002年に深刻な低迷を迎えた。ロシア当局が、シベリアで世界最大級の教区を率いていたポーランド人カトリック司教の再入国を拒否したためである。 この冷え込んだ関係を立て直す転機となったのが、ベネディクト16世の即位と、2009年のキリル総主教の選出だった。キリルは20年間、ROCで「外相」に当たる対外部門を率いており、ベネディクトは以前から面識があった。両者は、西側社会の不安定化をめぐる危機感を共有していた。全体主義や権威主義の抑圧を身をもって経験した彼らにとって、行き過ぎた世俗化は社会の揺らぎの兆しであり、新たな抑圧を招きかねないものに映った。さらに、急進的なイスラム主義が少数派キリスト教徒に及ぼす脅威にも警戒感を抱いていた。 両者の下で協力は拡大した。バチカンは「ロシア文化・霊性の日」を後援し、ROC側はベネディクトに献呈するローマでのコンサートを企画した。そして2009年、ベネディクトはロシア(国家)との外交関係を樹立した。 こうした意思疎通の改善は、ポーランドのカトリック教会とロシア正教会の関係にも影響を及ぼした。2012年、ベネディクトの勧めを受けて、ポーランドのローマ・カトリック司教団とロシア正教会総主教(4日間ポーランドを訪問)は共同声明に署名し、第二次世界大戦の惨禍を踏まえつつ、両国民に「相互の偏見」を乗り越えた和解を呼びかけた。この声明は、1965年の「ポーランド—ドイツ和解」の象徴的交換に着想を得たとされる。 ベネディクトがこの合意を重視したのは、教会が和解のモデルを示し得ることを示す事例になると考えたからだった。もっとも、2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻は、バチカンとモスクワの関係を冷却させた。それでも教皇フランシスコは、ヨハネ・パウロ2世以来積み上げてきた相互尊重の進展を守るため、ROCを一方的に悪者扱いすることは避けようとした。 ベネディクトとイランのシーア派指導部 聖座(教皇庁)とイランの外交関係は、1954年から続いている。 2006年12月27日、ベネディクト16世はマヌーチェル・モッタキ外相を含むイラン高官代表団と非公開で会談した。モッタキはアフマディネジャド大統領の書簡を教皇に手渡した。バチカンは内容を明らかにしなかったが、当時は国連が「ウラン濃縮停止に応じない」として対イラン制裁を科しており、核問題と結びついたやり取りだった可能性がある。ウィキリークスで公開されたバチカン市国発の米国務省公電は、この問題をめぐるバチカンの動きを米政府が注意深く追っていたことをうかがわせる。 神学者でもあったベネディクト16世は、シーア派イスラムが(教義は別として)実践面ではスンニ派よりキリスト教に近い、という見方があることも念頭に置いていた。モッタキとの会談から5か月を待たずに、教皇は元イラン大統領ともバチカンで会談する。名目は「文明間対話」だったが、教皇は原子力にも触れ、平和目的での原子力利用には権利があるとの趣旨を述べた。また、イランにおける宗教の自由にも言及した。 こうした「対話を重ねる姿勢」は、カトリック教会にとっては新しいものではない。源流は、第2バチカン公会議(教会が現代社会との関係を見直した世界会議)にある。のちにベネディクト16世となるラッツィンガー神父は当時、神学顧問として議論に関わった。公会議では、キリスト教徒とイスラム教徒が、ともにアブラハムの信仰に連なり、唯一で慈しみ深い神を礼拝し、終末の日の審判を信じるという共通点が確認された。さらに1965年の宣言『ノストラ・エターテ』(他宗教との関係を示した文書)は、過去の偏見を離れ、相互理解を進めるよう信徒に促した。こうした流れの延長線上で、2012年にはカトリックの聖職者とシーア派学者が、イランの聖地コムやナジャフで会談するなど、対話は具体的な形でも続いている。 西側諸国がイラン指導部を強く批判していた時期にも、ベネディクト16世がシーア派を含む他宗教共同体との関係を重視したことは、後にフランシスコ教皇が、とりわけイスラム世界の宗教指導者との対話に力点を置く外交を進めるうえでの土台にもなった。 ベトナムと中国 2008年、各国の聖座(教皇庁)駐在大使らとの年次会合で、ベネディクト16世は外交を「希望の技芸」と呼んだ。成果がすぐに見えなくても、何十年単位で粘り強く関係を築く。教会外交の特徴は、この言葉に象徴されている。 ベネディクト16世はアジアを歴訪しなかった(例外は大陸間国家のトルコ)。それでも、ベトナムや中国との関係では、重要な前進の糸口をつくった。 2005年7月、ベトナムの公式代表団がバチカンを訪問した。同じ週、サンピエトロ大聖堂でのミサでは、ハノイ大司教を含む32人の大司教が教会の手続きにより任命される場面もあった。さらに4か月後には、教皇庁で宣教を担当する部門の責任者級の枢機卿がハノイを訪れ、新たに57人の司祭を任命した。 ベトナムには約700万人のカトリック信徒がいる。この厚い信仰共同体が、共産主義体制の下でも信仰が途絶えなかった背景にある、とされる。 2007年1月には、グエン・タン・ズン首相が代表団を率いてローマを訪れ、教皇と会談した。社会主義共和国ベトナムの成立後、政府首脳が教皇と会うのは初めてだった。バチカンはこの会談を「新たで重要な一歩」と表現した。さらに10か月後には、ベトナム国家主席も初めてバチカンを訪問した。 1989年から2011年にかけて、聖座は17回にわたり代表団を派遣し、ベトナム国内の教区を訪れるなど、対話と現地交流を積み重ねた。その結果、ベトナムにおける教会活動の環境も徐々に広がった。節目となったのが、2011年1月の「非駐在の教皇代表」の任命である。常駐ではないが、教皇側の公式窓口を置くことで、政府との連絡を継続的に保てる。ベネディクト16世が築いた土台は、その後、フランシスコ教皇がハノイに常駐の教皇使節を置く流れへとつながった。 中国での和解 中国に関して、ベネディクト16世はバチカンの対中外交を大きく方向転換することはなかった。ただ一方で、中国政府や、いわゆる「愛国教会」に対して、対話を促す配慮ある働きかけを認め、関係者をローマに招くなどの対応も進めた。 2006年6月には、バチカン代表団が北京を訪れ、実務レベルの協議を行った。国際メディアが注目したのは、バチカンと北京の交渉の動きが、約5年ぶりに「表に見える形」で確認できたためである。協議はまず、連絡ルートを開くための慎重な試みだった。同じ頃、中国政府は国内最大の神学校を開設するなど、神学校整備を含む教会の基盤づくりも進めていた。 2007年1月、バチカンは内部会合を開き、中国の教会関係者を枢機卿から宣教師までローマに集めた。参加者には、ベネディクト16世が中国のカトリック信徒に宛てる書簡の草案をまとめた資料が配布された。 この書簡は、聖霊降臨祭(ペンテコステ)に「中華人民共和国のカトリック教会の司教、司祭、修道者など奉献生活者、ならびに信徒各位への 教皇ベネディクト16世の書簡」として公表された。そこでは、信者が一致に向けて歩むことが大きな目標として示された。 これは、ベネディクト16世の対中姿勢の中でも、外交的にも霊的にも最も重い「意思表示」だったと言える。書簡は緻密で明晰であり、寛大な精神に貫かれている。一方で脚注では、「愛国教会」は「カトリック教義と両立しない」と率直に退けてもいる。 書簡の公表から数か月後、関係改善をうかがわせる動きが見られた。北京の大司教が党幹部向けの病院で死去した後、中国政府はその要職に当局寄りの人物を据えるのではなく、ローマの事前承認を得ていた教区司祭ヨセフ・リー・シャン神父を任命した。北京出身で代々カトリックの家系に連なるリー神父は、海外経験はなく、国家管理下の愛国教会に対して時に異議を唱えることもあったため、信徒の間で支持を集めていた。 ベネディクト16世の書簡は、中国のカトリック信徒の一致という大目標に向けた重要な節目となった。そこでは、政府との協議を前提としつつも、最終的には教皇が司教を選び、その司教が教会を導くべきだという考え方が示されていた。 フランシスコ教皇は就任後まもなく、この流れを受けて取り組みを前に進めた。 十分に評価されてこなかったベネディクト16世の外交は、次の教皇職において、その成果が形となって表れていった。(原文へ) INPS Japan 関連記事: |バーレーン対話フォーラム|宗教指導者らが平和共存のための内省と行動を訴える 宗教指導者、アスタナ会議で対話と連帯を呼びかけ ローマのコロッセオで宗教指導者が平和を訴える―戦争に引き裂かれた世界に向けた連帯の祈り

人々がいてこそ(クンダ・ディキシット ネパーリタイムズ社主)

チトワン国立公園の緩衝地帯の地域社会が、保全の要を担う 【チトワンNepali Times=クンダ・ディキシット】 チトワン国立公園を流れるナラヤニ川は標高わずか180メートルにある。だが先週、珍しく空気が澄んだ日には、来園者がネパールを横断して150キロ先にそびえる標高7,893メートルのヒマルチュリの頂を望むことができた。 上流ではトリスリ川、セティ川、カリ・ガンダキ川が合流し、ナラヤニ川となる。集水域はダウラギリからランタンに至る46,300平方キロに及び、ネパール国土の3分の1を覆う。山々の氷河に加え、チベット高原の一部からの水もナラヤニ川を支えている。雪と川を同時に望むとき、ヒマラヤは単なる山脈ではなく、複合的な「流域(ウォーターシェッド)」として捉えるべきだという事実が浮かび上がる。だが、山と平野の微妙な均衡は、気候危機によって揺らぎつつある。 「気候危機は水の問題である。問題はこの川だけではない。私たちが見ている山々と氷河の問題でもある。」先週チトワンを訪れた世界自然保護基金(WWF)インターナショナルのアディル・ナジャム総裁は、こう語った。「水はネパールだけでなく世界にとって、気候をめぐる最前線の争点になっていく。この危機は長期の話ではない。いま目の前の危機である。」 ナラヤニ川やラプティ川などの水系は、チトワン国立公園の保全の成功を支えてきた。だがネパール最古の自然保護区はいま、気候危機に伴う極端気象により、雨季の洪水と乾季の渇水という両極端に揺さぶられている。地下水が十分に涵養されないうえ、過剰な揚水も重なり、公園内の三日月湖(オックスボウ湖)や野生動物の水場が干上がる例も出ている。このため一部では、太陽光発電のポンプを設置して水場を補っている。 ネパールはこの14年間でトラの個体数を約400頭へと3倍近くに増やした。サイも752頭に回復し、過去10年にわたり密猟はほぼ確認されていない。ハゲワシ類も絶滅の瀬戸際から救い出された。こうした成果の大部分は、チトワンのような国立公園の緩衝地帯(バッファーゾーン)に暮らす地域社会の努力によるものだ。 公園に隣接するラトナナガル地区の選挙で選ばれた議員、ビレンドラ・マハトは、「緩衝地帯に暮らす人々、私たち先住コミュニティも含めた参画が、密猟の抑止や人と野生動物の衝突の軽減に役立ってきた。ここで生物多様性が守られてきたのは、保全が協働で進められてきたからである。」と語った。 かつて国立公園となる前、この地にはタルー、ボーテ、ムサハルなどの先住コミュニティが暮らしていた。彼らはトラやサイ、野生ゾウの行動を踏まえた暮らしの知恵を受け継ぎ、野生動物による死亡事故は少なかったとされる。 「人と野生動物が対立ではなく共存できるよう、先人から受け継いできた暮らしの知恵を取り戻さなければならない。」とマハトは付け加えた。 緩衝地帯の住民が野生動物を守るには、保護の利益が地域に見える形で還元されることが欠かせない。共存を確かなものにする方法として効果が示されてきたのが、地域の生活水準を引き上げる、適切に管理された持続可能な観光である。 ナラヤニ川沿いのアマルタリ村には高級リゾートが複数あり、自然ガイドやホテルスタッフ、観光客向けの文化公演などで地域住民を雇用している。さらに、先住コミュニティの文化や食、暮らしを体験できる女性主導のホームステイが35軒ある。 「生活水準の向上こそが、自然保全を確かなものにする最も有効な方法である。そのためには、観光収入につながる本物の地域文化遺産を守る必要がある。」と、ナジャムはそう述べた(インタビューは後述)。 観光客はチトワン国立公園西端の緩衝地帯にあるアマルタリを訪れ、トラやサイの観察を目的としたサファリや、ハゲワシ保全サイトの見学、川下りでガビアル(細長い口を持つ希少なワニ)やワニ、渡り鳥を観察する。チトワン国立公園の来園者は昨年約30万人に達し、現在は外国人観光客をネパール人観光客が上回っている。 アマルタリでホームステイを営むギータ・マハトは、当初はサービス水準を整えるのが容易ではなく、パンデミック期とその後に事業も打撃を受けたと認める。それでも「いまは経験と自信がつき、収入も増えた。文化への誇りが戻り、自然を守ることにもつながっている。」「まるで夢のようだ。」と語った。 ジャターユ(ハゲワシ保全拠点)での給餌は、絶滅の危機にあった猛禽類の保全・回復を支える取り組みの一つである。 生活水準の改善は、社会の別の側面にも波及した。学校の整備が進み、子どもの栄養状態が改善し、児童婚も減少した。違法な引き込みによる電力盗用も見られなくなり、アマルタリでは美容院が3軒開業したという。 WWFネパールは、地域の「ハマル協同組合」の立ち上げ資金を支援した。同組合は観光収入を貯蓄制度に回し、組合員に融資している。返済の延滞は出ておらず、ムサハル、ボーテ、タルーの各世帯はいまや貯蓄を持つようになった。 自治体は野生動物から稲やマスタード畑を守るため電気柵を設置し、この地域ではトラによる死亡事故がなくなった。9月に野生動物密輸で知られる容疑者が脱獄したことを受け、地域の「密猟対策青年グループ」と公園を警備する軍が警戒を強化している。 チトワンを含むネパール各地の国立公園と緩衝地帯では今週、大規模なトラのセンサス(個体数調査)を実施している。 WWFネパールのガーナ・グルンは、「食物連鎖の頂点に立つ象徴種(フラッグシップ種)を守ることは、生物多様性と生態系全体を守ることにつながる。その最良の例がここにある。」と語った。 「水は気候の最前線の課題」 WWFインターナショナルのアディル・ナジャム総裁は先週チトワンを訪れ、WWFネパールのガーナ・グルンのインタビューに応じた。 グルン: チトワン国立公園を訪れて、どのような印象を持ちましたか。 ナジャム: ネパールが特別な国であり、WWFネパールの取り組みが特別であることは以前から知っていました。しかし、ここまでとは想像していませんでした。チトワンで、種の保全、密猟ゼロ、そして何より地域社会、とりわけ先住コミュニティと協働する実践を目の当たりにし、「自然か人か」という対立構図を、自然と人をつなぐ橋へと変えられることを確信しました。先住コミュニティの人々や保全当局者に会い、達成してきたことへの誇りに触れたことは、大きな励みになりました。 ネパールで皆さんが行っていることの多くは、国連のSDGsやWWF自身の「2030年ロードマップ」と深く結びついています。とりわけ私たちの中核である「種」の取り組みと直結しています。課題は大きい一方で、成果を十分に評価する時間が私たちには足りていません。目標地点にはまだ達していませんが、道のりは大きく前進しています。 トラはほぼ3倍、サイは3倍以上に増え、密猟は長年ほぼゼロに抑えられてきました。しかも、草の根で地域社会と協働するアプローチでこれを実現している。常に容易ではありませんし、住民の懸念は現実のものです。それでも、パートナーとして共に取り組むことで、保全と人々は矛盾しないことが示されています。 グルン: 課題にも触れられました。今後、どのような困難が待ち受けていますか。 ナジャム: 大きな成果を上げた後に最も難しいのは、その水準を維持することです。残念ながら、気候変動や生物多様性の損失といった地球規模の課題は、いま極めて深刻で、取り組みの規模を何倍にも拡大しなければなりません。 同時に、ネパールがここで積み上げてきた経験を、世界と共有する必要もあります。互いに学び合わなければ、地球規模の危機は乗り越えられません。私は、若者がネパールの保全に深く関わっていることを見て、とても心強く感じました。ただ今後の課題は、若者が保全に関心を持ち続け、さらに踏み込んで行動したいという志を育めるよう、どう後押しするかです。 グルン: 私たちも若者との取り組みを強めています。今回の訪問で、ほかに印象に残った点はありますか。 ナジャム: 何より印象的だったのは、先住コミュニティが運営するホームステイの取り組みです。とりわけ女性が中心となり、起業家として新しい働き方を学び、自然と共に生きる新しい生計を設計している。自然を楽しむ旅行者を迎えることで、それを実現している点が素晴らしい。ネパールのホームステイ事業には当事者の所有感があり、自然と人を結びつけています。 グルン: ネパールは世界でも気候脆弱性が高い国の一つです。現地で気づいた影響はありましたか。 ナジャム:...

国連は「更新なし・任期7年」の事務総長制に備えがあるのか?

【国連IPS=タリフ・ディーン】 国連事務総長の任期を「更新なしの単一期・7年」とする案(1996年にさかのぼる長年の提案)が、潘基文(パン・ギムン)元国連事務総長によって再び持ち上がった。この原案は、ダグ・ハマーショルド財団とフォード財団が支援した研究の一部であった。同提案によれば、7年任期は「望ましくない圧力から自由な形で、事務総長が踏み込んだ計画に取り組む機会を与える。」 潘氏は、更新を認めない単一期の7年任期は、事務総長職の独立性を強化すると述べている。現行の「5年×2期」という慣行は、潘氏によれば、事務総長を「延長(再任)を得るために安保理常任理事国への依存を過度に強める」結果になりかねない。 エジプト出身のブトロス・ブトロス=ガリ元事務総長は、安保理で15票中14票の支持を得ていたにもかかわらず、米国が唯一の拒否権行使国となり、2期目(2度目の5年任期)を阻まれた。 研究は、「国連の最高の政策決定機関であり、最終的な任命機関でもある総会は、事務総長の任期を単一期7年とすること、および事務総長任命手続の改善に関わる主要要素を包括的に定める決議を採択すべきである」と提言した。 さらに同研究は、更新なしの7年任期という考え方を事務総長だけに限らず、UNDPやUNICEFなど国連の基金・計画、さらにはWHOをはじめとする専門機関を含む、国連システム各組織のトップにも広げるべきだと提言した。研究の題名は『指導力を必要とする世界:明日の国連――新たな評価(A World in Need of Leadership: Tomorrow’s United Nations....

|視点|炎から救われて―2025年の世界(ファルハナ・ハク・ラーマンIPS副総裁兼北米エグゼクティブ・ディレクター)

【トロントIPS=ファルハナ・ハク・ラーマン】 例年の「年末総括」記事は、この1年に起きた世界的災害や危機を重たい調子で振り返り、IPSのパートナーや寄稿者の取り組みを紹介したうえで、最後はやや明るい結びで締めくくられるのが通例である。だが今回は、比喩にもなる個人的な出来事から始めたい。|英語版|アラビア語|ドイツ語| 11月20日、ブラジル・ベレンで開かれていた国連気候会議COP30では、化石燃料ロビーに翻弄されながら各国代表が最終文書をめぐって駆け引きを続け、会期延長も避けられない様相を呈していた。そのさなか、会場のコンベンションセンターで火災が発生した。場内は炎と混乱に包まれ、緊張が走った。 数千人が出口を求めて動くなか、若いバングラデシュ人外交官が私に気づいた。彼は我先にと人波に加わるのではなく、混み合う群衆の間を縫って私を安全な場所へと導いてくれた。危機の瞬間、人は思いがけない形で助け合える。そのことを示してくれたアミヌル・イスラム・ジサンに感謝したい。 幸い死者は出なかった。協議は再開され、締約国会議(COP)のプロセスも、気候危機の抑制に向けた小さな前進と解釈し得る最終文書の採択という形で、ひとまず持ちこたえた。もっとも、危機の主因である化石燃料についての言及は、なお婉曲な表現にとどまった。 COPの存続は盤石ではなかった。ドナルド・トランプ大統領が米国の不参加を指示し、9月の国連総会演説で気候変動を「史上最大のペテン」と切り捨てたためである。 だがベレンへの不参加は、国際的地位という点で、むしろ米国自身により大きな損失をもたらした。トランプがヨハネスブルグで並行開催されていたG20協議も回避したことで、米国の評判はさらに傷ついた。その「傷口に塩を塗る」形となったのが、G20議長国のシリル・ラマポーザ大統領の落ち着いたリーダーシップである。米国の反対をよそに、気候危機を含む世界的課題に取り組む宣言の採択へと議論を導いた。 振り返れば、この1週間が「米国の時代」に静かに終止符を打ったのかもしれない。予測不能、混乱、暴力、そして制度化された残酷さ―それらは、2025年に一段と進んだ単独主義と保護主義への劇的な転回を告げる兆候である。 10月11日に米国仲介のイスラエルとハマスの「停戦」が始まって以降、子どもを含む数百人のパレスチナ人が殺害された。ロシアによるウクライナの民間人を標的とした空爆も続き、就任初日に戦争を終わらせられると豪語したトランプの、場当たり的な終戦工作をあざ笑うかのように、被害を積み重ねている。 トランプが1月に命じた米国援助の大幅削減は、「世界的な人道的大惨事を助長した」と、国連人権理事会が7月31日の声明で指摘した。貧困、食料、人権に関する2人の独立専門家の見解を引用し、理事会はこう述べた。「援助削減に起因する死者は、すでに35万人以上と推計され、そのうち20万人以上が子どもである。」 西スーダンの紛争で飢饉は拡大し、資金不足は南スーダン向けの重要な国連支援の削減にもつながった。ミャンマーでは「忘れられた内戦」が続くなか、国連世界食糧計画(WFP)は資金不足を理由に、100万人以上への救命支援を打ち切った。 市民社会の国際ネットワークCIVICUSは、紛争、気候危機、民主主義の後退といった複合危機が、国家が解決できない、あるいは解決しようとしない問題に対応するための国際機関の能力を超えつつあると警告する。米国が国際機関から距離を置く動きは、国際協力の危機をさらに深刻化させかねない。 しかし、CIVICUSの「2025年版 市民社会の現状報告書」が示すように、市民社会は国連を「人々を中心に据える」ことで立て直すための構想を持っている。COP30では、オープン・ソサエティ財団のビナイフェル・ノウロジー総裁がこの方向性に賛同し、先住民やアフロ系コミュニティの声を可視化し、人権を気候行動の中核に据え直したとして、ブラジルの民主的リーダーシップを評価した。 急速に揺れ動く世界秩序のなかで、ノウロジーは、尊厳と公正、そして地球の保護に根ざした新たな発想とビジョンを携え、グローバル・サウスが前面に出つつあるとみる。 COP30でまとまった合意のなかで、最も重要なのは「公正な移行メカニズム(Just Transition Mechanism)」だろう。世界のグリーン経済への移行を公平に進め、労働者、女性、先住民を含むすべての人々の権利を守ることを目的とする。 太平洋共同体(SPC)の気候変動・持続可能性ディレクター、コーラル・パシシはCOP30で、気候変動の影響が急速に深まる島嶼国にとって事態がいかに危機的であるか、そしてベレンで実質的な前進がいかに切実に求められていたかを強調した。損失と損害(Loss and Damage)への先進国の資金支援を強化する必要性も訴えた。 南アジアやアフリカで政権を揺さぶったZ世代のデモも、より公正な将来像を掲げて存在感を強めている。抗議の矛先は、既得権化したエリート層における縁故主義と腐敗である。昨年バングラデシュでは、デモ隊が銃弾にさらされた。9月に政権が退陣に追い込まれたネパールでも、タンザニアでも、同様の暴力が報告され、タンザニアでは数百人が殺害されたとも伝えられた。今年はインドネシア、フィリピン、モロッコでも、Z世代の抗議が政治情勢を揺らした。 スウェーデンの研究者ヤン・ルンディウスはIPSにこう記した。「これらの抗議行動は、個別の出来事が引き金となったとしても、根底には深刻な富の格差、蔓延する縁故主義、際限のない腐敗という、長年にわたり共有されてきた不満があった。とりわけ若者は、富裕で信用を失った政治エリートを支える権力世襲の有力者に抗議したのである。」 紛争と気候災害が重なれば、子どもの教育には長期的に深刻な影響が及び得る。IPSが支援する「Education Cannot Wait(ECW)」や「学校の安全に関する宣言(Safe Schools...