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宗教間対話を続けて23年―カザフスタンの取り組みは新たな段階へ
宗教や文化の違いを超えて対話の架け橋を築いてきたカザフスタン。アスタナに集まった宗教リーダーや国際機関の関係者たちは今、その対話を具体的な行動と成果につなげる必要性を強調している。
【アスタナINPS Japan=浅霧勝浩】
戦争や政治的不信、価値観の対立によって世界の分断が深まるなか、カザフスタンは20年以上にわたり、独自の外交的取り組みを続けてきた。異なる宗教の代表者たちが対話を継続できる場を維持することである。今週アスタナで開かれた会合で、エルラン・カリン副大統領は、そうした対話を続けるだけでは、もはや十分ではないことを明確にした。
「スピリチュアル外交は、特別な役割を果たすことができます。政治的な交渉に取って代わるものではありませんが、それを補完し、外交対話が困難な状況でも意思疎通の経路を維持することができるのです。」とカリン副大統領は参加者に語った。
この発言があったのは、10月7日に「平和と和解の宮殿」で開催された第24回「世界伝統宗教リーダー会議」事務局会合でのことだった。
公式参加者名簿には、宗教共同体、国際機関、カザフスタン政府機関などから計38人が記載されており、会議の宗教的・地理的な多様性を示していた。
この会議は、2003年にカザフスタンの初代大統領ヌルスルタン・ナザルバエフ氏の提唱によって創設された。第1回会議には、13か国から17の代表団が集まった。
以来、3年ごとに主要な大会を開催するとともに、事務局を通じて継続的な交流を維持する国際的な枠組みへと発展してきた。
2022年の第7回会議には、ローマ教皇フランシスコとイスラム教スンニ派の最高学府アズハルのアフマド・アルタイーブ総長が参加した。2025年9月の第8回会議では、宗教界や国際機関の代表者らが集い、「アスタナ平和宣言」を採択した。
ロシアと中国に挟まれ、複数の大国との関係を重視する外交政策を進めるカザフスタンにとって、この会議は、政治的な利害が必ずしも一致しない政府、宗教、文明が出会う場を提供するという、同国の幅広い外交姿勢を体現する取り組みの一つとなっている。
しかし、参加者たちは今、こうした交流が会議場の外の現実にどのような影響を及ぼし得るのか、という問いを強く意識するようになっている。
会議が終わっても続く対話
ローマ教皇庁宗教間対話省を代表して出席したロラン・バサネーゼ神父は、バチカンが2003年の創設以来、この取り組みを支援してきたことを振り返った。
同神父は、2022年の教皇フランシスコの参加に言及するとともに、宣言を採択した後も取り組みを続けることの重要性を強調した。
宣言が信頼に値するものとなるかどうかは、最終的には、それに賛同した人々が採択後も協力を続ける意思を持っているかにかかっているという。
同様の問題意識は、イスラム長老評議会のムハンマド・アブデルサラム事務総長からも示された。実行に移されない原則は、結局、紙の上の言葉にとどまってしまう危険があると警告したのである。
「実行されない宣言は、その機能を失ってしまいます」と同事務総長は述べた。これは会議の議事録に記録されている発言である。
対話の継続と具体的な協力の重要性は、国連側からも強調された。
国連文明の同盟(UNAOC)のニハル・サード・ディレクターは、文化や宗教の違いを超えた協力を促進するため、カザフスタンが長年にわたり取り組んできたことに謝意を表明した。
サード氏は、気候変動への対応や人工知能(AI)がもたらす倫理的課題に宗教指導者が果たし得る役割を指摘した。政府や技術専門家による取り組みに加え、地域社会に働きかける宗教共同体の影響力を生かすことができるという。
AIについてサード氏は、倫理を「後から付け加えるのではなく、AIシステムの設計段階から組み込む」ことが必要だと強調した。
この発言は、急速に進む技術革新をいかに人間の価値観に基づく責任あるものにするかという国際的な議論の中に、世界伝統宗教リーダー会議の取り組みを位置づけるものだった。
理念を具体的な取り組みへ
宗教間対話により実践的な役割を持たせようとするカザフスタンの最新の取り組みは、今回の会合で採択された2つの文書に結実した。一つは、気候変動への対応における宗教の役割を示した文書。もう一つは、宗教的な場面でのAI利用に関する11の倫理原則を定めた文書である。
いずれも、2025年の世界伝統宗教リーダー会議でカシムジョマルト・トカエフ大統領が提唱した構想を具体化したものだ。
国際宗教間・宗派間対話センターのグルサナ・コジャバイ理事長は、気候変動に関する文書が、宗教関係者、外交官、専門家ら26人の協力を得て策定されたことを説明した。
この文書には、カザフスタンの文化的遺産に根ざす「アマナト(Amanat)」という考え方が取り入れられている。それは、ある世代が託されたものを守り、次の世代へ責任を持って引き継ぐという倫理観である。
一方、宗教関係者、研究者、技術専門家ら24人による宗教間委員会で内容が練り上げられたAI倫理規範は、人間の尊厳、信教・良心の自由、宗教に関する個人情報の保護、アルゴリズムによる心理的操作の危険などを扱っている。
策定作業には、日本の神道関係者や中国の道教指導者をはじめ、中央アジアをはるかに超える地域のさまざまな宗教的伝統の代表者が参加した。
今回の会合では、これとは異なる形の協力も取り上げられた。
カザフスタンのイェルジャン・アシクバエフ外務第一次官は、ローマ教皇庁との共同イニシアティブとして、治癒困難な病気を抱える子どもの権利と尊厳を守るための憲章を紹介した。
カザフスタンと教皇庁は、10月2日から3日にかけてアスタナで開かれた別の会合で、この憲章の文案について合意していた。今回の事務局会合では、その国際的な推進に向けた今後の取り組みが支持された。
「医学の力が限界に達しても、私たち人間の責任がそこで終わるわけではありません」とアシクバエフ外務第一次官は発表原稿の中で述べている。
憲章は、緩和ケア、苦痛の軽減、保護者の意思決定への参加、子どもと家族への支援を重視している。
医療や生命倫理の専門的な知見も取り入れた憲章の策定は、宗教間で築かれた関係が、人道分野での協力へと発展し得ることを示している。
スピリチュアル外交の次なる課題
もっとも、こうした取り組みによって、国際協力を阻む政治的な困難が解消されるわけではない。
採択された2つの倫理文書はいずれも勧告的な性格を持ち、法的拘束力はない。その影響力は、宗教団体、政府、技術企業などが提言を実際の行動に移すかどうかにかかっている。|英語版|
こうした取り組みの背景には、中央アジアが直面する安全保障上の課題もある。アフガニスタン情勢が周辺地域の安定に影響を及ぼすなか、カザフスタンは国連との協力を通じて、テロ対策や暴力的過激主義の防止に取り組んできた。
安全保障と宗教的多様性の尊重という課題に向き合いながら、異なる宗教の指導者たちが対話を続けられる国際的な枠組みを20年以上にわたって維持してきたことは、カザフスタン外交の重要な特徴の一つである。
会合の閉幕に際し、カリン副大統領は、宗教指導者間の協力を強化し、スピリチュアル外交により実践的な国際的役割を持たせることを目指す「平和のためのグローバル運動」構想について、作業を進めるよう呼びかけた。
構想案と段階的な実施計画は、2028年の第9回世界伝統宗教リーダー会議に先立ち、2027年に検討される予定である。
ただし、これはまだ提案段階にあり、確立された平和構築の仕組みではない。それでも、この構想はカザフスタンの取り組みが重要な転換点を迎えていることを示している。
異なる宗教の指導者たちが、立場の違いを超えて一堂に会することができると示す段階から、共に何を成し遂げられるのかを問う段階へと移ろうとしているのである。
23年にわたり、カザフスタンは対話を継続する力を示してきた。これから問われるのは、その対話がアスタナの外の世界を変える力となり得るかどうかである。
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宗教間対話の舞台裏―信仰と黄金、「生命の木」が語るカザフスタンの物語
世界各地の宗教指導者が集う会合を翌日に控え、国際記者団がアスタナの宗教施設、古代の文化遺産、近代的な都市景観を巡った。そこには、カザフスタンが進める対話外交の歴史的・文化的背景が浮かび上がっていた。
【アスタナINPS Japan=浅霧勝浩】
「太陽はどこにあるでしょうか。」
アスタナのヌル・スルタン・モスク(旧称:グランドモスク)。その巨大なドームの下で、外国人記者の一行に案内者が問いかけた。|英語版|
答えは頭上にあった。青く彩られた広大な天井を、巨大なシャンデリアが照らしていたのである。
濃い青は宇宙を、淡い青は昼間の空を表しているという。その二つの色が描き出すのは、カザフの伝統的な移動式住居「ユルタ」の屋根の頂部にある円形の枠組み「シャヌラク」を通して見上げる空だ。遊牧民たちは幾世代にもわたり、そこから天を仰いできた。
それは、カザフスタンの宗教文化を知るための、意外で印象的な導入だった。
この国の首都アスタナでは、古くから受け継がれてきた文化、異なる宗教的伝統、そして近代国家としての大きな構想が、都市の建築の中で重なり合っている。
10月6日の訪問は、翌日に開催される第24回「世界伝統宗教リーダー会議」事務局会合に先立ち、国際記者団を対象に企画されたプレスツアーの一環だった。
時間の制約で日程は短縮されたものの、一行は5か所を訪れた。ヌル・スルタン・モスク、ロシア正教会の聖母就寝大聖堂、カトリックの「絶えざる御助けの聖母」大聖堂、国立博物館、そしてバイテレクである。
これらの訪問先は、それぞれ異なる角度からカザフスタンの歴史と文化を映し出していた。そこには、国際会議の宣言文だけでは見えてこない、この国の姿があった。
異なる形で息づく信仰
2022年に開堂し、2026年7月に現在の正式名称が付けられたヌル・スルタン・モスクは、中央アジア有数の壮大なイスラム建築である。
主任イマームの顧問だと自己紹介した案内者のイェルマル氏は、カザフ文化に由来する装飾について繰り返し説明した。
建物の各所には、羊の角をかたどった文様が見られる。中央の巨大なシャンデリアは太陽を象徴する。モスクの意匠には、遊牧生活に由来するさまざまなイメージが取り入れられていた。
イェルマル氏は、クルアーンやイスラムの教え、信仰生活について学ぶ無料講座など、モスクで行われている教育活動についても紹介した。
その説明から伝わってきたのは、この建物が単なる壮大な建築物ではなく、イスラムの信仰とカザフ民族の文化的アイデンティティーが互いに支え合う場だということだった。
次に訪れた聖母就寝大聖堂では、まったく異なる宗教芸術の世界が広がっていた。
2010年1月にモスクワおよび全ルーシ総主教キリルによって成聖されたこのロシア正教会の大聖堂は、高さ68メートルに達する。内部には、異なる宗教的伝統と歴史を伝える聖画やイコンが並んでいた。
案内者は、聖ニコライのイコンと、その生涯の場面を描いた絵を紹介した。また、大聖堂の各祭壇が聖母マリア、大天使ミカエル、聖キリルと聖メトディウスらにささげられていることを説明した。
教会側の記録によると、この大聖堂には、2010年に教皇ベネディクト16世からカザフスタンの正教会共同体に贈られた使徒聖アンデレの聖遺物も安置されている。
それは、歴史的に分かれてきたキリスト教の教派の間にも、宗教的な結びつきが存在することを物語っている。
一行は続いて、アスタナのカトリック共同体の中心である「絶えざる御助けの聖母」大聖堂を訪れた。
イスラム教、ロシア正教会、カトリック教会の施設が同じ首都に存在することは、カザフスタンの宗教的多様性を示している。
しかし、異なる宗教施設が建っているという事実だけで、それぞれの信徒が日常生活の中でどれほど円滑に共存しているかを判断することはできない。
その実態を知るには、建築物の向こう側にも目を向ける必要がある。
「黄金人間」が伝える遊牧文明の記憶
カザフスタン国立博物館では、一行の歴史をたどる旅は一気に2,000年以上さかのぼった。中心的な展示の一つは、古代サカ人の若者が身にまとっていた儀礼用衣装を復元した、通称「黄金人間(Golden Man)」である。
1969年から1970年にかけて、アルマトイ近郊のイシク古墳で発見された遺骨の周囲からは、紀元前5世紀から4世紀ごろのものとされる数千点の金製装飾品が出土した。その数は4,000点を超える。復元された黄金の衣装は、今では独立カザフスタンを象徴する最もよく知られた文化遺産の一つとなっている。
周囲の展示では、古代テュルク語の碑文、埋葬儀礼、装飾された馬、石像、ユーラシアの草原地帯に暮らした人々の卓越した工芸技術などが紹介されていた。
しかし、案内者の説明で特に印象に残ったのは、現代の生活にも受け継がれている伝統についての話だった。
ユルタや衣装、生活用品の展示を前に、案内者は家族で囲む食卓、馬肉料理、結婚式、そして年長者が食事を始めるまで家族が待つ習慣について語った。
食事は、単に料理を分かち合う時間ではないという。親族が集まり、つながりを保ち、互いの近況を伝え合う大切な機会でもある。
案内者にとって、こうした伝統は、すでに消滅した文明の名残ではなかった。
形を変えながらも、現代のカザフ人の暮らしの中に確かに息づいている文化だった。
過去から未来へ向かう都市
最後の訪問先は、近代的な行政地区を見渡す高さ105メートルの記念塔、バイテレクだった。
そのデザインには、古代の「生命の木」の伝説が取り入れられている。
聖なる鳥サムルクが、太陽を象徴する黄金の卵を産む。一方、木の根元に潜む竜がその卵をのみ込もうとする。
光と闇、再生と破壊のせめぎ合いを表す物語である。
展望フロアからは、案内者がアスタナの変貌を説明した。
かつてのソ連時代の都市アクモラから、独立したカザフスタンの首都へ。イシム川を挟んだ対岸には、近代的な行政地区が広がっていた。
この都市構想には、1998年に首都のマスタープランの国際コンペで最優秀案に選ばれた日本人建築家、黒川紀章の思想が大きな影響を与えている。
黒川が提唱した「メタボリズム(新陳代謝)」と「共生」は、歴史と未来を結びつけながら、成長と変化を続ける都市を目指す考え方だった。
案内者は、アスタナの発展を「過去から未来へ」という言葉で表現した。
近代的な都市景観の中には、2003年に始まった国際的な宗教間対話の恒久的な拠点として建設された、ピラミッド形の「平和と和解の宮殿」もあった。
バイテレクにも、世界伝統宗教リーダー会議との歴史的な接点が残されている。
運営団体によると、塔内には「バタ(祝福)」と呼ばれる作品があり、2003年の第1回会議に参加した17の宗教・宗派の代表者の署名が刻まれている。
建築が象徴するもの、その先にある課題
翌10月7日、宗教指導者たちは平和と和解の宮殿に集まり、人工知能、気候変動、治癒困難な病気を抱える子どもの尊厳について議論した。そこには、宗教間の対話を、人類全体に関わる課題についての実践的な協力へと発展させようとする、より大きな構想があった。
カザフスタン憲法は世俗国家と政教分離を定め、宗教を理由とする差別を禁じるとともに、良心の自由を制限できない権利として保障している。
今回のプレスツアーが明らかにしたのは、具体的なことだった。カザフスタンが、自国の歴史的・文化的遺産を、現代の国際社会における自らの役割を形づくる基盤として、どのように位置づけているかということである。
モスクのドームに表現されたシャヌラク、正教会のイコン、古代サカ人の黄金、そして神話の「生命の木」。それぞれ異なる信仰と記憶の世界に属するものが、アスタナでは、対話を国家の重要な目標として掲げる一つの物語の中に組み込まれている。
建築物は、その理想に目に見える形を与えている。しかし、その理想が持つ本当の意味は、そこに託された価値観が、首都の象徴的な空間を離れ、人々の暮らしの中でどのように実践されていくかによって問われることになる。
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中東は核をめぐる膠着状態を打開できるか
中東条約機構(METO)が提示する、イスラエル人とイラン人による既成概念にとらわれない「大量破壊兵器のない中東」構想
【パリ/エルサレムINPS Japan=ロマン・ヤヌシェフスキー】
核兵器、化学兵器、生物兵器のない中東を実現するという構想は、何十年にもわたり、この地域で最も困難な外交課題の一つであり続けてきた。|英語版|アラビア語|ロシア語|トルコ語|
市民社会のイニシアチブとして始まり、正式に登録された組織へと発展した中東条約機構(Middle East Treaty Organization=METO)は、いま、この構想を実際に機能し得る交渉の枠組みへと具体化しようとしている。
METOが掲げる目標は、あらゆる大量破壊兵器のない中東を実現し、その先に地域の安全保障と平和を築くことである。同組織は、核・化学・生物兵器を包括的に対象とする条約草案を策定し、改訂を重ねてきた。それは完成された協定として各国政府に採択を求めるものではなく、政府間交渉の青写真となり得るものとして提示されている。
METOの設立に携わった中心人物の中には、イスラエルの平和・軍縮活動家シャロン・ドレフと、イラン出身の紛争解決専門家エマド・キヤエイがいる。ドレフは2007年以来、イスラエルで核軍縮に取り組み、METOの創設者兼事務局長を務めている。キヤエイは同組織の理事の一人で、長年にわたり外交、紛争解決、イラン核問題に携わってきた。
二人の歩みは、より根本的な問いへの答えを探る試みでもある。
中東で最も危険な対立をめぐって敵対する立場に置かれてきたイスラエル人とイラン人が、まさに両国を対立させてきたその問題について協力することは可能なのだろうか。
「私たちは時限爆弾の上に座っている」
ドレフにとって、核問題は彼女が活動を始めるはるか以前から身近な存在だった。
彼女が育ったのは、ディモナからそれほど遠くないイスラエル南部の都市アラドだった。そこでは、イスラエルが核兵器を保有しているとの認識が広く共有されながら、それについて公然と語られることはほとんどなかった。
「私はその秘密とともに育ちました。」と彼女は振り返る。
「考えない。語らない。それが当たり前でした。」
2007年、ドレフはグリーンピース・インターナショナルで核軍縮に取り組み始めた。その後、同団体が世界規模の核軍縮キャンペーンを終了すると、彼女は独自に活動を続けることを決意した。
活動を重ねるにつれ、核軍縮は地域の安全保障と切り離して考えることはできないとの確信を深めていった。
「たとえ多くのイスラエル人に、核兵器のない世界を望んでもらうことができたとしても、地域全体の解決策がないまま核兵器を手放しても安全だとイスラエル人に信じてもらうことはできません。」
ドレフにとって、問題は宣言が不足していることではなかった。アラブ諸国、イラン、イスラエルはいずれも、それぞれ異なる形で「大量破壊兵器のない中東」という構想に言及してきた。
欠けていたのは、各国が実際に参加できるようにする具体的なモデルだったと、彼女は考えた。
そして彼女は単純な結論にたどり着いた。
「なぜそのような地帯は実現不可能なのか。」を延々と論じ続けるのではなく、誰かが実際にその仕組みを設計してみなければならない、と。
イランからの視点
キヤエイがこの問題に取り組むようになった経緯は、ドレフとは大きく異なっていた。
イラン出身で、紛争解決、国際関係、外交に携わってきた彼は、長年にわたりイランと欧米諸国との核をめぐる対立を追ってきた。
彼にとって核問題は、イランと米国の間のより大きな意思疎通の失敗、さらには中東地域全体の外交的枠組みの欠如という問題の一部だった。
「選択肢の一つは戦争です。もう一つは外交です。」とキヤエイは語る。
「では、外交的なアプローチを取りながら、それを技術的に確かで、なおかつ政治的にも実行可能な解決策によって支えるには、どうすればよいのか。」
彼は仕事を通じて、核物理学者、技術者、政策立案者、外交官らと接するようになった。そして、包括的な国際監視の下で、イランの核計画が平和目的にとどまっていることを立証できる仕組みの構築に関わった。
その経験から、同じ論理はイラン一国を超えて応用できるのではないかと考えるようになった。
国際的な仕組みによって一国の核活動が平和目的に限定されていることを検証できるのであれば、なぜすべての国を対象とする地域的な制度を構築できないのか。
やがて、その問いはさらに大きなものへと発展した。
中東全域を、核不拡散、検証、軍縮に関する共通の制度の下に置いたら、何が起こるのか。
イスラエル人とイラン人
ドレフとキヤエイが初めて出会ったのは国連だった。
キヤエイは、核兵器について公然と語っているイスラエル人がいると耳にした。最初の反応は信じ難いというものだった。
「イスラエル人が核兵器について語るとは、なんという大胆さだと思いました。」
彼は反論するつもりで、ドレフの話を聞きに行った。
ところが実際に耳を傾けてみると、二人が主張していることの多くは驚くほど共通していた。
やがて二人の関係は、正式な会合で顔を合わせるだけのものではなくなった。
ある時期、ドレフは深刻な個人的危機に直面していた。長い闘病の末に父親を亡くし、その直後にはパートナーも彼女のもとを去った。それでも彼女は国連に赴き、条約草案について説明を続けていた。
様子がおかしいことに気付いたキヤエイは、二人だけで話そうと持ちかけた。
結局、その時二人が語り合ったのは、イランでもイスラエルでも核兵器でもなかった。家族やそれぞれの人生についてだった。
ドレフは後に、その出会いを、二人が「きょうだいのような関係になった」瞬間だったと表現している。
キヤエイにとって、この人間的なつながりはMETOの理念の中心となった。
「イスラエル人、イラン人、アラブ人、パレスチナ人、その他どんな人たちであっても、一緒にこの未来をつくることなど本当に可能なのか、とよく聞かれます。私たちは、もちろん可能だと答えます。」
彼によれば、出発点は、国籍や政治的アイデンティティー、歴史的対立を見る前に、まず相手を一人の人間として見ることである。
「不可能」から条約草案へ
ドレフが最初の草案づくりに取り掛かった時、外交官や専門家から何度も「そのような条約は実現できない」と言われたという。
核・化学・生物兵器のすべてを対象とする既存の地域的なモデルはなかった。しかも対象となる国々は深刻に対立しており、その多くは正常な外交関係すら持っていなかった。
「ですから、最初の草案を書いた時でさえ、うまくいくとは思っていませんでした。」とドレフは振り返る。
当初の目的は、どこに技術的な障害があるのかを洗い出し、それを相互不信という政治的問題から切り分けることだった。
しかし、その草案は次第に中東各国の外務省の間を回るようになった。
ドレフによれば、その反応は活動家たちを驚かせた。草案は単なる非現実的な理想論として退けられるのではなく、外交官たちが批判し、修正し、交渉することのできる文書として扱われるようになったのである。
それこそが、まさに狙いだった。
草案はその後、複数回の改訂を重ねた。METO自身、この文書を、各国政府がそのまま採択することを期待する完成済みの条約ではなく、専門家や外交官との協議を通じて変化し続ける「生きた文書」と位置付けている。
「私たちがしなければならなかったのは、各国が『実現したい』と言っていることを、本当に実現したいのだと仮定することだけでした」とドレフは語る。
問いが「そんなことは可能なのか」から「どうすれば実現できるのか」へと変わった時、議論そのものも変わり始めた。
本当の目的は軍縮よりも大きい
METOにとって、大量破壊兵器のない地域を実現すること自体が、プロセスの最終目的ではない。
核・化学・生物兵器をめぐる交渉は、利害が大きく異なる国々を同じテーブルにつかせることのできる数少ないテーマの一つだと同組織は考えている。
そして、その交渉のプロセスそのものが、意思疎通を生み、信頼を育て、協力の習慣を築くことにつながる。
「何より重要なのは、そのプロセスです。そこから信頼が生まれ、橋が架けられるからです。」とキヤエイは語る。
だからこそ、METOの活動は条約草案の作成だけにとどまらない。
外交、教育、市民への啓発、研究、他の市民社会組織との協力など、多岐にわたっている。
その先にある構想は極めて野心的だ。
地域協力が例外ではなく、ごく当たり前のものとなる中東である。
「徹底して『愛』の側に立たなければならない」
近年続く戦争によっても、ドレフとキヤエイがこのアプローチを諦めることはなかった。
むしろ逆だった。
二人は、暴力によって軍事的解決には限界があることが明らかになった一方、社会同士の信頼を築くことはこれまで以上に困難になったと指摘する。
そこには一つの逆説がある。
地域協力が最も困難になったまさにその時、地域協力の必要性は一層高まっているのである。
「私たちは反対側の極端にまで行かなければなりません」とキヤエイは語る。
「暴力や破壊、戦争を唱える過激派がいるのなら、私たちはもう一方の極端にまで行く必要があります。」
彼が意味するのは、思いやり、対話、そして一国の政府の行動を、その国のすべての人々と同一視することを意識的に拒む姿勢である。
「敵を憎む方が、私にとってはずっと簡単です。」と彼は言う。
「だからこそ、私たちはそれと闘わなければならないのです。」
地域が憎悪に深く沈めば沈むほど、人々はそれに抗う努力を、より意識的に続けなければならないと彼は考えている。
戦争によって、この構想の必要性は高まったのか
ドレフの答えは単純ではない。
イエスでもあり、ノーでもある。
地域的な安全保障メカニズムの必要性は以前より明白になった。しかし同時に、相互不信の深刻さも一段と明らかになっている。
軍事衝突は外交の必要性をより強く認識させる一方で、外交そのものを一層困難にする可能性がある。
一方、ドレフは、繰り返される攻撃が軍事力の根本的な限界も示したと考えている。
「イランの核計画は軍事力では止められないことが明らかになったのです。」
それによって、従来は政治的に非現実的だと思われていた別の選択肢を検討する余地が生まれていると、彼女は見る。
キヤエイはさらに踏み込む。
10月7日以降の出来事から得られる教訓の一つは、一国の安全保障を、近隣諸国が恒久的に不安定な状態に置かれることの上に築くことは、最終的にはできないということだと語る。
「軍事力では平和を実現できないということです。……私たちには別の道が必要です。暴力を超えた道です。」
中東の紛争は、もはや単純な二国間対立ではない。
イラン、イスラエル、米国、あるいはその他の国々が関わる戦争は、たちまち中東全域に影響を及ぼす。
だからこそ、地域的な安全保障の枠組みは、これまで以上に重要になっているとキヤエイは考えている。
イスラエルを交渉のテーブルへ
METOにとって最大の難題は、依然としてイスラエルの参加である。
しかしドレフによれば、「大量破壊兵器のない中東」をめぐる外交の言葉遣いは変わりつつある。
単にイスラエルに一方的な措置を要求するのではなく、その安全保障上の懸念にも対応しながら、将来的にイスラエル自身が参加できる制度をどのように設計するかという方向へ、議論を進めることができる。
「最大の変化は、まだ私たちの政府から生まれたものではありません。」と彼女は語る。
「最大の変化をもたらしたのは外交官たちです」
いま重要なのは、イスラエルに単に「参加すべきだ」と迫ることではない。
イスラエルが現実的に参加することのできる枠組みをつくることである。
ドレフにとって、それは、この地域的なプロセスがイスラエルの安全保障に対する脅威なのではなく、長期的な安全保障体制の一部となり得ることを、イスラエルの政策決定者に理解してもらうことを意味する。
エルサレムからテヘランへ続く道
METOが最終的に描く未来は、核兵器の問題をはるかに超えている。
キヤエイが思い描くのは、現在の国境や政治的対立が、人々の移動や貿易、協力を妨げることのない地域である。
ドレフにも似たイメージがある。
中東を横断する列車に乗り、エルサレムで朝食をとり、ダマスカスかベイルートで昼食をとり、テヘランで夕食をとる。
そんな未来である。
ユートピアのように聞こえる。
しかし二人は、そうではないと言う。
かつてヨーロッパも、同じように終わりのない戦争の連鎖に閉じ込められているように見えたと、二人は指摘する。
欧州連合(EU)が誕生したのは、何世紀にもわたる対立が突然消え去ったからではない。
政治指導者たちが、戦争の連鎖を再び繰り返しにくくするための制度を構築したからである。
「私たちも、それほど違うわけではありません」とキヤエイは語る。
「私たちにもできるのです。」
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カザフスタン、AIの学びを仕事と創作につなぐ
【アスタナINPS Japan=浅霧勝浩】
カザフスタンの首都アスタナで開かれた非公開上映会では、人工知能(AI)を使って制作された映画が、研究室やデータセンターの外にも広がる技術革新の可能性を映し出していた。制作者にとってAIは、かつては映像化が難しかった物語を形にし、観客に届ける手段になりつつある。
10月3日、初開催のアスタナAI映画祭は、ラトビアの映画監督ニコラ・シェスタク氏による『The First Honest Day』にグランプリを授与した。カザフスタンのミルザハン・ジュマハン氏は、『It Was Just a Joke』で最優秀キャラクター賞を受賞した。
「AI...

