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中国の対日輸出規制――「サラミ・スライシング戦術」か、それとも戦略的な牽制か?

この記事は、戸田記念国際平和研究所が配信したもので、同研究所の許可を得て転載しています 【Global Outlook=和田 大樹】 今日の国際政治経済においては、国家間の対立や外交的摩擦と、経済的な相互依存関係がますます複雑に絡み合うようになっている。特に、サプライチェーンが少数の国々に大きく依存している場合、貿易制限や輸出管理は、政府が戦略的な影響力を行使するための強力な手段となり得る。中国による日本向け輸出規制の強化は、こうした国際環境の変化を象徴する事例といえる。|英語版| その一つの解釈として、中国政府が、全面的な禁輸措置を直ちに発動するのではなく、規制を段階的に拡大する「サラミ・スライシング戦術」を用いている可能性が考えられる。この手法を取れば、さらなる規制強化の余地を残しながら、相手国に継続的な圧力をかけることができる。ただし、政治的な報復や戦略的なシグナルの発信など、別の解釈についても検討する必要がある。 中国が日本に対する輸出規制を強化している背景には、日中関係の悪化、とりわけ台湾問題と日本の安全保障政策の変化が密接に関わっている。 2025年11月、高市早苗首相は台湾有事の可能性に関する発言を行い、中国政府はこれを強く批判した。その後、中国は貿易・輸出規制の強化を、日本による台湾問題への干渉と結びつけて説明するようになった。 2026年1月6日、中国は日本向けの軍民両用(デュアルユース)品目に対する輸出管理の強化を発表した。その理由の一つとして、台湾海峡における武力介入の可能性に言及した日本の指導者の発言を明示的に挙げた。 このことから、一連の措置は政治的なシグナルの発信、あるいは報復として理解することもできる。中国政府は、単に日本に経済的損害を与えようとしているのではなく、自国が安全保障上の重大な一線を越えたとみなす行動には、具体的な経済的代償が伴うことを示そうとしている可能性がある。 したがって、輸出規制には二つの目的が同時に存在すると考えられる。一つは日本の政策に対する対抗措置であり、もう一つは、台湾有事への日本の関与がさらに深まれば、追加的な経済的負担が生じ得るという警告を発することである。 もう一つの解釈として、中国のことわざである「殺鶏儆猴(鶏を殺して猿を脅す)」に通じる戦略が考えられる。これは、特定の相手に不利益を与えることで、より広い範囲に警告を発するという考え方である。 中国は、日本との貿易全体を直ちに制限するのではなく、特定の日本企業や団体を規制対象とすることで、全面的な禁輸措置に伴う混乱を避けながら、経済的な圧力を行使する能力を示すことができる。この解釈は、最近の規制対象に日本の防衛・安全保障分野に関係する企業や団体が複数含まれていることからも、特に重要である。 中国は、こうした措置を段階的に拡大してきた。 2026年2月24日、中国政府は日本の企業・団体20件を輸出管理リストに、さらに20件を監視対象リストに追加した。対象には、航空宇宙、防衛、海洋システム、先端技術などの分野に関わる企業や団体が含まれていた。 続く6月29日には、日本の企業・団体20件を輸出管理リストに、さらに20件を監視対象リストに追加した。中国政府は、これらの措置について、国家安全保障を守り、日本の軍事能力の強化につながり得る活動を防止するために必要だと説明している。 こうした規制強化の進め方には、「サラミ・スライシング戦術」に共通する特徴が見られる。 中国は、一度に全面的な禁輸措置を発動するのではなく、規制を段階的に導入し、その対象を拡大してきた。この手法によって、中国政府は日中関係の動向に応じて圧力の強さを調整しながら、将来さらに規制を強化する選択肢を確保できる。 ただし、規制が段階的に強化されているという事実だけで、その背後にサラミ・スライシング戦術が存在すると断定することはできない。こうした動きは、日中関係で相次いで生じた出来事に対する、中国政府の個別の対応を反映しているにすぎない可能性もある。 この違いを見極めることは重要である。経済的な規制措置は、直接の対象となる製品や企業の範囲を超えて、広範な影響を及ぼし得るからだ。 日本は、レアアース(希土類)、重要鉱物、機械、電子機器、その他の産業用資材をめぐる製造・供給網を通じて、中国と密接に結びついている。 中国によるレアアースの輸出規制は、すでに日本の産業界に不確実性をもたらしている。ロイター通信は2026年6月、日中間の外交的対立が続くなか、複数の重希土類について、日本向けの輸出が引き続き厳しく制限されていると報じた。 こうした規制は、中国からの供給に大きく依存する産業に対して、経済的な措置がいかに影響を及ぼし得るかを示している。 したがって、戦略的に重要なのは、個々の規制が直ちにもたらす経済的影響だけではない。規制によって生じる不確実性そのものも重要なのである。 企業が、今後の輸出許可の判断は外交関係の動向によって左右される可能性があると考えれば、中国の供給業者への依存に一層慎重慎重になるだろう。 たとえ輸出が正式に禁止されていなくても、審査の厳格化、許可の遅延、さらなる規制強化の可能性が存在するだけで、企業はサプライチェーンの多角化を進める動機を持つことになる。 つまり、経済的圧力は、正式な規制措置を通じてだけでなく、重要な資材を将来にわたって安定的に調達できるかどうかという企業の見通しが変化することによっても生じ得るのである。 このため、日本が直面する課題は、中国の個々の規制措置に対応することだけにとどまらない。 日本政府は、それぞれの規制が一時的な外交的対抗措置なのか、日本の安全保障政策に影響を与えようとする試みなのか、あるいは経済的依存関係を利用した長期的な戦略の一環なのかを見極める必要がある。 しかも、これらの解釈は必ずしも相互に排他的ではない。 政治的な報復は、戦略的なシグナルの発信と同時に行われ得る。また、規制を段階的に実施することは、それ自体がサラミ・スライシング戦術に共通する特徴を生み出すことにもなる。 したがって、中国による対日輸出規制を、単一の戦略概念だけで説明するべきではない。 「サラミ・スライシング戦術」は、経済的圧力が段階的に強化される過程を理解するうえで有用な分析の枠組みの一つである。しかし、台湾問題に関する日本側の発言への報復、戦略的なシグナルの発信、そして国家安全保障を重視する中国の輸出管理政策全体の方向性も、別の説明として、あるいは相互に補完し合う要因として考慮する必要がある。 一連の措置は、単一の固定された戦略に基づくものではなく、複数の目的が重なり合って生じている可能性がある。 日本にとって中心的な課題は、外交、国家安全保障、そして経済的相互依存が交差する状況に、いかに対応するかということである。 そのためには、サプライチェーンの強靱性を高め、重要資材の調達先を多角化し、リスクを早期に察知する能力を強化するとともに、中国との対話の経路を維持することが、ますます重要になるだろう。 経済的相互依存が国家間の戦略的競争と一層深く結びつくなか、日本の経済安全保障を確保するためには、目に見える輸出規制の内容だけでなく、その背後に込められた政治的なシグナルを正確に読み解くことが不可欠である。 Original URL:China’s Export Controls on Japan: Salami-Slicing...

|視点|本か、爆弾か?―教育予算を求めるフランスの高校生たちとNATOの軍事費増額圧力(メディア・ベンジャミンCODEPINK共同創設者)

【ニューヨークINPS Japan/The Other News=メディア・ベンジャミン】 フランス全土で、高校生たちが教育への投資拡大を求め、3週連続で街頭に繰り出している。彼らが求めているのは、教員の増員、少人数学級の実現、適切な校舎設備の整備、そして貧困層や労働者階級の子どもたちにも十分な教育機会を保障する公教育制度だ。 しかし、この抗議運動は、フランス政府が公共支出の削減を迫られる一方、軍事予算の大幅な増額を求められている時期に起きている。 この運動が突きつけている問いは、教育問題にとどまらない。フランスは若者の未来に投資するのか。それとも、ミサイルや兵器、戦争に資金を注ぎ込むのか。 本か、それとも爆弾か。 9月中旬にパリ郊外で始まった抗議運動は全国に拡大し、これまでに累計1000校以上の高校で授業の中断や封鎖が発生した。 10月6日には、高校生たちを支持する全国規模のデモが行われ、内務省によれば25万6000人が参加した。主催者側は参加者数を45万人と発表している。 政府の対応は、学生たちの怒りをさらに増幅させている。当局は彼らの要求に耳を傾ける代わりに、機動隊を投入し、催涙ガスやグレネード弾を使用して、多数の若者の身柄を拘束してきた。 法務省が10月9日に公表した集計によれば、8日時点で6877人が警察での留置措置を受け、そのうち5890人が未成年者だった。ただし、留置された全員が訴追されたわけではない。 一部の若者は深刻な負傷を負っている。10月5日には、フランス北部ランス(Lens)の高校付近で、警察が使用したグレネード弾の爆発により15歳の少年が片手を失った。 少年がグレネード弾を拾ったかどうかなど、爆発に至る詳しい経緯については証言が食い違っており、警察監察総監室(IGPN)が調査を進めている。この事件を受け、内相は高校生の抗議活動における閃光音響弾の使用を停止した。 アムネスティ・インターナショナルは、教育を受ける権利を訴える若者たちに対して警察が「不均衡な」武力を行使していると非難し、平和的な集会の権利を保障するよう当局に求めている。 その対照は鮮明だ。 生徒たちが求めているのは、教員の増員とまともな学校教育である。ところが政府は、彼らに機動隊を差し向ける一方で、軍事費にはさらに数十億ユーロを上積みしようとしている。 こうした学生運動が広がっているのは、北大西洋条約機構(NATO)が欧州各国に対し、防衛・安全保障関連支出の大幅な増額を求めているさなかのことだ。 2025年、ワシントンからの強い圧力を受け、NATO加盟国の首脳たちは、2035年までに各国の国内総生産(GDP)の5%を防衛・安全保障関連支出に充てるという、驚くべき新たな目標に合意した。 そのうち少なくとも3.5%を直接的な軍事支出に、残り最大1.5%を防衛関連インフラ、サイバーセキュリティー、危機への対応力を意味する「レジリエンス」などに充てるというものだ。 これは、従来のGDP比2%という目標からの大幅な引き上げを意味する。しかも、従来の目標ですら、達成に苦労してきた加盟国は少なくなかった。 財政赤字の拡大、多額の政府債務、公共サービスの劣化に直面する国々にとって、これほどの軍事費増額は極めて大きな代償を伴う。 フランスは、その典型的な事例である。 同国の公的債務は約4兆ドルに達し、2026年末にはGDP比119.3%、2027年には121.7%に上昇すると予測されている。これは欧州でも特に高い水準だ。 財政赤字を削減するため、政府は2027年度に総額540億ユーロ規模の財政改善を目指しており、歳出抑制や税制措置を通じて、すでに厳しい状況に置かれている公共サービスにもさらなる負担を求めようとしている。 ところが、国民に緊縮財政への協力を求める一方、政府が提案する2027年度予算では、国防費を前年比約64億ユーロ増額する計画だ。これに対し、教育予算の増額は12億ユーロにとどまる。 教育予算自体は増額されるものの、教員の定数は常勤換算で差し引き1588人分削減される見通しだ。ただし政府は、研修中の教員や生徒の支援に携わる職員などを含めれば、教育省全体の雇用枠は3257人分増加すると説明している。 想像してみてほしい。 雨漏りする教室で、大勢の同級生と肩を寄せ合いながら授業を受ける16歳の生徒がいる。常勤の教員すら確保されていない。 その生徒は、政府から「学校を改善するための予算はない」と聞かされる一方で、兵器の購入には何十億ユーロもの追加予算が確保されるという現実を目の当たりにしているのだ。 フランスの独立した財政監視機関である高等財政評議会(HCFP)も、2027年度の中央政府支出の増加が、主として国債の利払い、欧州連合(EU)への拠出金、軍事費の増加によって生じていると指摘している。 NATO当局者は、こうした大規模な軍備増強は、ロシアをはじめとする脅威から欧州を守るために必要だと主張する。 しかし、ロシアが今にもフランスへ侵攻しようとしているかのような見方は、ばかげている。 そして、軍事費の際限ない増額を求める動きは、根本的な疑問を投げかける。 学校や病院をはじめとする公共サービスが荒廃するまま放置されているとすれば、フランス政府はいったい何を守ろうとしているのだろうか。 こうした状況は、フランスだけの問題ではない。 ベルギー、スペイン、ポルトガルでも、教育予算や労働条件の改善を求めて、学生や教員が街頭で抗議活動を展開している。 その背景には、基本的な公共サービスを維持する予算がないと繰り返す欧州各国政府に対する、不満の高まりがある。 欧州が冷戦終結以来、最大規模ともいえる軍備増強に乗り出す一方で、若い世代全体が緊縮財政を受け入れるよう求められているのだ。 政治指導者たちは、教育予算と軍事費は別々の問題だと主張するかもしれない。 しかし、両者が限られた公的資源を奪い合っていることに変わりはない。 そして、フランスの高校生たちの中には、すでにこの問題のつながりを明確に認識している者もいる。 抗議デモでは、「戦争ではなく学校に予算を」「ジェノサイドではなく高校教育に資金を」と書かれたプラカードが掲げられている。 彼らは、教育環境の改善という身近な要求を、政府が何に、そして誰のために公的資金を使うのかという、より大きな問題と結びつけているのである。 こうした若者たちは、「安全保障」とは何かという、その定義そのものに異議を唱えている。 NATOは、安全保障を戦車、ミサイル、ドローン、弾薬などの軍事力によって測ろうとする。 これに対し、学生たちが求めているのは、まったく別の安全保障だ。 それは、十分な教育を受けられる学校、平等な機会、そして終わりの見えない軍備増強のために若者の未来を犠牲にするのではなく、その未来に投資する社会である。 彼らの訴えは、米国を含むNATO加盟国全体に響き渡るべきものだ。 米国でも、公共サービスが削減の圧力にさられる一方、トランプ政権は2027会計年度の国防関連予算を前年度比44%増の総額1兆5000億ドルに引き上げるよう求めている。 だからこそ、私たちCODEPINKと連携団体は、11月10日から12日にかけて、ワシントンD.C.で「納税者の決起行動(Taxpayer Uprising)」を組織している。 市民が連邦議会に足を運び、国家の優先課題を根本から見直すよう議員たちに求める取り組みだ。 戦争や兵器製造企業に、際限なく税金を注ぎ込むのではなく、医療、教育、手頃な価格の住宅、再生可能エネルギー、そして持続可能な未来にこそ投資すべきである。 フランスの教室から米国連邦議会の議場まで、問われていることは同じだ。 私たちの政府は、人々の命と暮らしに投資するのか。それとも戦争に投資するのか。 本か、それとも爆弾か。 メディア・ベンジャミン(Medea Benjamin)は、米国の平和運動団体CODEPINKおよび人権団体グローバル・エクスチェンジ(Global Exchange)の共同創設者。 INPS Japan 関連記事: ヨーロッパを徘徊する妖怪 ―...

アスタナ―マスカット―カサブランカ:新たな国際金融軸の胎動

【カサブランカINPS Japan/Atlantica Africa=ナスララ・ベルカヤテ博士】 世界経済の大きな変革は、必ずしも金融市場が伝統的に注目してきた主要都市から始まるとは限らない。ニューヨーク、ロンドン、シンガポール、ドバイが常にその起点となるわけではない。時には、長らく世界経済の周縁とみなされてきた地域が、貿易ルートや資本の流れ、大国の利害関係の変化によって、戦略的に重要な拠点へと姿を変えることがある。アスタナ、マスカット、カサブランカの間で進みつつある関係強化も、こうした視点から検討する必要がある。|英語版| その根底にある構想は、真剣に検討する価値がある。カザフスタン、オマーン、モロッコの3カ国が、中央アジア、湾岸地域、アフリカを結ぶ新たな金融秩序の形成に寄与する可能性があるというものだ。もっとも、これは資本の流れが統合され、共通の制度的基盤に支えられた国際金融軸が、すでに確立されたことを意味するわけではない。むしろ、具体的な進展を通じて、その基盤が徐々に形づくられつつある戦略的な可能性と捉えるべきだ。その影響は、3カ国の二国間関係をはるかに超えて広がる可能性を秘めている。 最も重要な進展は、ごく最近起きた。2026年10月5日から6日にかけて、オマーンのハイサム・ビン・ターリク国王が、同国の君主として初めてカザフスタンを国賓訪問した。この訪問では、投資、エネルギー、運輸、金融協力などの分野で5件の協定と約10件の覚書が交わされた。なかでも特筆すべきは、マスカット証券取引所とアスタナ国際取引所を電子的に接続する仕組みが稼働し、投資家が認可を受けた証券会社を通じて、両市場の証券にアクセスできるようになったことだ。 この進展は、とりわけ重要な意味を持つ。外交宣言が協力の意思を表明するものであるのに対し、証券市場同士の接続は、実際の取引につながる機会を生み出すからだ。もちろん、これだけで大規模な取引や投資が直ちに実現するわけではない。しかし、資本移動を妨げる障壁の一部を取り除き、二つの金融市場の距離を縮めることにはつながる。 さらに重要なのは、この動きが具体的な金融手段の創設を伴っている点である。カザフスタンの政府系ファンド「サムルク・カズナ」とオマーン投資庁は、双方が同額を拠出し、総額1億5000万ドルの共同投資ファンドを設立することで合意した。このファンドは2026年末までにアスタナ国際金融センター(AIFC)内で設立され、両国の優先事業への投資に充てられる予定だ。ただし、現段階で確認されているのは、ファンド設立の合意と予定出資額であり、全額がすでに拠出・投資されたことを意味するものではない。 これらの進展を個別に見れば、世界の金融市場全体の規模に照らして、それほど大きなものには映らないかもしれない。しかし、全体として捉えれば、明確な方向性が浮かび上がる。市場を接続し、政府系ファンドの資金を動員し、金融機関同士の関係を深め、経済的な相互補完性が十分に活用されてこなかった地域の間に新たな橋を架けようという動きである。 この構想の第一の強みは、カザフスタンがユーラシアの金融拠点へと段階的に変貌を遂げつつあることにある。 アスタナ国際金融センター(AIFC)は、設立以来、カザフスタンに誘致した投資額が280億ドルを超え、90カ国から6600社以上がその経済圏に登録されていると発表している。これらの数字は金融プラットフォームとしての規模を示しているが、全額が実際の生産事業に投資された資金であるとか、運用資産残高を表していると解釈すべきではない。 アスタナ国際取引所(AIX)の実績も、もう一つの指標となる。2026年第3四半期の取引高は19億ドルを超え、前年同期比で70%以上増加した。また、設立以来、債券と株式を通じて調達された資金は累計174億ドルに達している。同取引所では、米ドル、カザフスタン・テンゲ、アラブ首長国連邦(UAE)ディルハム、中国人民元など、複数の通貨建て証券も導入されている。 これらの数字が物語るのは、単なる証券市場の成長以上のものだ。アスタナは、異なる通貨圏と投資家層を結びつける金融インフラの構築を目指している。中国、ロシア、欧州、中央アジアの間に位置するという地理的優位性を、経済・金融取引を仲介する能力へと転換することが、その狙いなのである。 この課題には政治的な側面もある。制裁措置や地政学的緊張、貿易摩擦によって資金調達の経路が変わり得る世界では、協力相手の多様化そのものが、国家の自律性を高める手段となる。カザフスタンが主要隣国への依存から完全に脱却することはできないとしても、インフラ整備、企業活動、産業プロジェクトの資金調達において、協力できる相手の選択肢を広げることは可能だ。 まさにこの点に、オマーンとの関係強化が持つ戦略的重要性がある。 オマーンが提供できるのは資本だけではない。アラビア海、インド洋、そして湾岸地域の商業ネットワークへのアクセスという強みも持っている。その地理的位置は、ユーラシア市場と国際海上輸送ルートを結ぶ潜在的な中継拠点としての役割を可能にする。したがって、マスカットとアスタナのエネルギー、物流、金融分野での協力は、企業や投資家がこうした機会を具体的な事業へと発展させることができれば、二国間関係を超えた経済取引の基盤となり得る。 もう一つ注目すべき動きがある。オマーンは、ユーラシア開発銀行(EDB)の8番目の出資国となり、湾岸地域から初めて参加する国になる見通しだ。今回の国賓訪問では、その参加条件について合意が成立した。 これにより、ユーラシアの金融機関が持つ資金供給能力と、湾岸地域の経済ネットワークが結びつく可能性が生まれる。もちろん、これによって同銀行が直ちに世界的な金融機関へと変貌するわけではない。しかし、その地理的な活動範囲と協力の可能性が広がることは確かだ。 時期も好都合といえる。10月6日、マスカット証券取引所は、FTSEラッセルによって、オマーン市場を「フロンティア市場」から「セカンダリー・エマージング市場」へ格上げする可能性を検討するウォッチリストに加えられた。 格上げが決定したわけではなく、次回の審査は2027年4月に予定されている。仮に実現すれば、オマーン市場の国際的な認知度が高まり、一部の海外投資家にとってアクセスしやすい市場となる可能性がある。 このように、アスタナとマスカットの接近は、単なる政治的な宣言にとどまらない。具体的な金融手段、制度的枠組み、政府系ファンド、市場統合への展望を伴っている。ただし、その真の潜在力が明らかになるのは、こうした基盤が両国の枠を超えて企業やインフラ、生産活動への資金供給に結びついたときである。 ここで重要な役割を担う可能性があるのが、カサブランカだ。 それは、ユーラシアの協力関係に第三の都市を形式的に加えるという意味ではない。形成されつつある金融秩序とアフリカを結ぶ玄関口としての役割である。モロッコには、アフリカの複数の市場に展開する銀行ネットワーク、重要な港湾インフラ、そしてアフリカで事業を展開する企業や投資家を支援するための金融拠点「カサブランカ・ファイナンス・シティ(CFC)」がある。 モロッコとカザフスタンの経済関係には、すでに数値で確認できる基盤が存在する。2025年の二国間貿易額は4億6150万ドルに達し、2024年から68%増加した。 しかし、この数字は同時に、関係の弱点も浮き彫りにしている。カザフスタンからモロッコへの輸出額が約4億3400万ドルに達した一方、モロッコからカザフスタンへの輸出額は2750万ドルにとどまった。しかも、カザフスタンの対モロッコ輸出の90.5%を硫黄だけで占めていた。 この不均衡は、両国の関係強化における見落とされがちな問題の一つである。経済関係は拡大しているものの、まだ均衡の取れた産業パートナーシップが成立しているとはいえない。 カサブランカがアスタナとマスカットにとって真のアフリカへの玄関口となるには、協力関係を一次産品の貿易にとどめず、農業関連産業、肥料、物流、再生可能エネルギー、金融サービス、産業加工などの分野で、双方向の投資を発展させる必要がある。 モロッコは、現在の関係に不足している要素を提供できる可能性がある。それは、制度的な協力を具体的な事業へと結びつける能力だ。 アフリカ各地の事業機会を見いだし、現地のリスクを理解し、企業を動員して、その事業展開を支援することができる。アフリカで活動するモロッコの銀行は、資金供給や金融サービスの普及に貢献できるだろう。また、カサブランカ・ファイナンス・シティは、国際投資家、コンサルティング会社、地域企業の間の調整役を果たすことができる。 もっとも、こうした役割は、アスタナやマスカットの関係者との協力によって具体的に構築される必要がある。カサブランカが地理的に有利な位置にあるというだけで、自動的に実現するものではない。 想定されるのは、3つの段階からなる資金調達の仕組みだ。 アスタナが中央アジアやユーラシア経済圏に関わる金融取引を組成し、マスカットが湾岸地域の投資家の資金を動員するとともに海上輸送の接続を促進する。そしてカサブランカがアフリカでの投資機会を見いだし、大陸各地の事業を支援する。 この仕組みであれば、直ちに共同金融機関を設立しなくても、各地域の需要と機会に応じて資本を循環させることができる。 例えば、カザフスタンの穀物生産、モロッコの港湾インフラ、アフリカ市場を結ぶ農業のバリューチェーンに資金を供給することが考えられる。 また、湾岸地域の資本、産業企業、地域銀行を組み合わせることで、肥料生産、再生可能エネルギー、鉱物加工などの事業を支援することも可能だろう。 ただし、いずれの事業も、商業的な採算性、投資資金の回収を担保する仕組み、地域社会にもたらす利益を具体的に示さなければならない。 貿易ルートが存在することと、金融回廊が機能することは同じではない。金融回廊が開発の手段となるのは、持続可能な経済活動への資金供給を実現して初めてのことだ。 この構想に対する最も重大な疑問は、その規模にある。 1億5000万ドルの共同投資ファンドは、二国間協力の出発点としては重要だが、アフリカのインフラ整備に必要な資金や、世界の主要金融センターが取り扱う資金規模と比較すれば限定的である。 また、AIFCが設立以来誘致したと発表している280億ドルも、その全額がアフリカの事業に投入できる資金というわけではない。二つの証券取引所が接続されたからといって、両市場がすでに統合されたとみなすこともできない。 したがって、新たな世界金融秩序の誕生を性急に宣言したくなる誘惑には、慎重でなければならない。 ロンドン、ニューヨーク、シンガポール、ドバイには、はるかに厚みのある市場、長年にわたって築かれてきた国際的なネットワーク、そして桁違いの資金供給能力がある。アスタナ、マスカット、カサブランカが、これらの都市に一夜にして取って代わることはないだろう。 3都市にとっての機会は、むしろ別のところにある。 それは、地理的・商業的には相互補完の可能性を持ちながら、金融面での結びつきが十分に発展してこなかった経済圏の間で、仲介役を担うことである。 この構想の真価を判断するには、測定可能な成果が必要だ。 2028年までに注目すべき指標は、実際に投資された資金の総額、資金供給を受けた国境を越える事業の件数、動員された民間資本の割合、貿易構造の多様化、そして新たに形成される金融ネットワークを通じて組成された取引に、アフリカ企業がどの程度参加したかという点である。 こうした指標が伴わなければ、新たな金融軸は外交上の構想にとどまるだろう。逆に、具体的な成果が確認されれば、測定可能な経済的現実へと発展する可能性がある。 経済史が教えているのは、新たな金融センターは、その国が保有する富の大きさだけによって誕生するわけではないということだ。 信頼を構築し、取引コストを削減し、投資家を保護し、それまで十分につながっていなかった市場同士を結びつける能力を備えたとき、金融センターは発展していく。 アスタナは、こうした機能の構築に着手している。マスカットは、湾岸地域の資本とインド洋の交易ルートへの新たな玄関口を提供できる。そしてカサブランカは、アフリカ市場にアクセスするための制度的基盤、銀行ネットワーク、企業活動の蓄積を生かすことができる。 したがって、この金融軸が持つ歴史的な意義は、新たな世界的金融大国が直ちに誕生することにあるのではない。 むしろ、ユーラシア、湾岸地域、アフリカの間に、資本の流れを支える新たな経路が生まれることにある。各国が経済的な協力相手の多様化を模索するなか、こうした金融仲介機能は、地政学的にもますます重要性を増していく可能性がある。 モロッコにとって重要なのは、この変革を傍観する立場にとどまらないことだ。 アスタナとマスカットに対して具体的な協力の仕組みを提案し、自国の銀行、企業、金融機関を動員しなければならない。そして、カサブランカを単なる商業上の中継地ではなく、資本が事業を生み、事業が企業を育て、企業がアフリカの経済統合に貢献する拠点へと発展させる必要がある。 世界の金融秩序を再編するのは、必ずしも最大の資本を保有する者だけではない。 資本と資本を結びつけ、その可能性を引き出すことのできる者もまた、世界の金融秩序を動かしていくのである。 アスタナ、マスカット、カサブランカを結ぶ新たな金融軸の真の可能性は、まさにこの能力にある。 その実力は、これから具体的な成果によって証明されなければならない。しかし、その実現可能性は、いまや以前にも増して現実味を帯び始めている。 INPS Japan Original URL: Astana-Muscat- Casablanca : Tha...

|コンゴ民主共和国|戦争の30年、不処罰の30年

【ワシントンIPS=アイダ・ソーヤー】 ルワンダの支援を受けた反政府武装勢力が、当時ザイールと呼ばれていたコンゴ東部のレメラ病院を襲撃し、患者や医療従事者37人を殺害してから30年が経過した。 この事件は、後に「第一次コンゴ戦争」と呼ばれる紛争の初期に起きた重大な残虐行為の一つだった。それを契機に、外国の支援を受けた反乱や武力紛争が数十年にわたって繰り返され、あらゆる紛争当事者によって民間人に対する深刻な人権侵害が引き起こされてきた。民族を標的とした大量虐殺、広範な強姦や性暴力、子どもの強制徴兵、拉致、拷問、身体の切断などの残虐行為、そして住民の強制移動が続いてきたのである。|英語版| コンゴ民主共和国出身のノーベル平和賞受賞者、デニ・ムクウェゲ医師は、レメラ病院で医師としてのキャリアをスタートさせた。1996年10月6日、国際人道法によって守られているはずの安全な場所が惨劇の現場と化したとき、ムクウェゲ医師もその病院にいた。 以来、ムクウェゲ医師は、コンゴ民主共和国で性暴力の被害に遭った人々の支援と、被害者のための正義の実現を訴える活動に生涯を捧げてきた。 レメラ病院襲撃事件は、国連の「マッピング報告書」に記録された617件の事件の一つである。同報告書は、1993年から2003年にかけてコンゴで発生した、国際人道法および国際人権法の重大な違反が疑われる事件を記録している。 しかし、その後も深刻な犯罪は繰り返されてきた。 国際刑事裁判所(ICC)やコンゴの軍事裁判所は重要な役割を果たしてきたものの、重大犯罪への関与が疑われる者の圧倒的多数は、いまだに処罰されていない。その中には、コンゴ民主共和国、ルワンダ、ウガンダの政府や軍の高官も含まれている。 レメラ病院で起きたような凄惨な襲撃は、現在も続いている。 ルワンダの支援を受け、人権侵害を繰り返してきた武装勢力「3月23日運動(M23)」は、北キブ州と南キブ州の広大な地域を支配している。一方、ほかの多数の武装勢力に加え、コンゴ政府軍とその同盟勢力も、民間人を攻撃し続けている。 ヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)などの人権団体がここ数カ月に記録してきた人権侵害に関与する指揮官の多くは、私たちが何十年にもわたって犯罪行為を記録してきた人物と同じである。 彼らは、ある武装勢力から別の武装勢力へと所属を変え、ときにはコンゴ政府軍に編入されながら、新たな不満や要求を抱えると再び離脱するという行動を繰り返してきた。 過去の犯罪が処罰されずに放置されてきたことこそが、私たちが今日目撃している人権侵害を助長しているのである。 現在、最も欠けているのは、コンゴの人々のために正義の実現を優先するという政治的意思である。 戦闘そのもの、あるいは紛争に関連するさまざまな要因によって、これまでに数百万人が命を落としてきた。コンゴの紛争は、第二次世界大戦以降、民間人に最も多くの犠牲を強いた紛争として広く認識されている。 それにもかかわらず、あるいは、その残虐さと解決の見通しが立たない長期化した状況ゆえに、この紛争が国際ニュースの主要な見出しを飾ったり、各国の高官レベルの外交課題で優先的に取り上げられたりすることは、ほとんどない。 コンゴが世界の注目を集めるとしても、それは国民の窮状よりも、むしろ豊富な天然資源をめぐる問題であることが多い。 強大な外国政府や企業は、自らの利益を優先する国内の指導者たちに助けられ、コンゴの富を搾取し、略奪している。 コンゴの鉱物資源は、世界経済の成長を力強く牽引する技術革新を支える重要な役割を果たしている。しかし、その一方で、深刻な人権侵害の数々は処罰も抑止もされないまま、繰り返されている。 こうした暴力と不処罰の文化を断ち切るためには、世界の指導者たちが、コンゴ民主共和国とルワンダの両政府に対し、コンゴ国内で活動する人権侵害を繰り返す武装勢力へのあらゆる支援を停止するよう、実効性のある圧力をかけなければならない。 また、コンゴ政府に対しては、国際社会の支援を受けながら、重大な人権侵害に関与した人物を治安部隊、情報機関、政府の要職から排除するための適格性審査制度を導入するよう求めるべきである。 さらに、コンゴにおける不処罰の問題の規模と深刻さに対応するため、複数の司法制度を組み合わせた包括的な取り組みを支援する必要がある。 具体的には、国際刑事裁判所(ICC)と同裁判所が進めているコンゴでの捜査への支援、可能な場合には外国の裁判所で普遍的管轄権に基づく訴追を進めること、そしてコンゴ国内の軍事司法制度の改善に向けた継続的な支援が含まれる。 これに加え、ICCや国内裁判所の取り組みを補完する、国際的な関与を組み込んだ司法メカニズムの設立と、重大な国際犯罪の被害者に対する包括的な賠償制度の整備も不可欠である。 私は先日、ムクウェゲ医師とともにブリュッセルとストラスブールを訪れ、「戦争の30年、不処罰の30年(30 Years of War, 30 Years of Impunity)」と題するキャンペーンの立ち上げに参加する機会を得た。 このキャンペーンは、パンジ財団、ルネ・カサン財団、ブリュッセル市、ストラスブール広域都市圏が主催した一連の行事を通じて開始されたものである。コンゴの紛争に対する国際社会の認識を高め、暴力、人権侵害、不処罰の悪循環を終わらせるための強力な国際的行動を促すことを目的としている。 ムクウェゲ医師はストラスブールで、次のように訴えた。 「戦争が30年も続いたというのは、あまりにも長すぎます。不処罰が30年も続いたというのも、あまりにも長すぎます。……今こそ、数百万人の被害者が持つ正義を求める権利を、平和の確立と法の支配の強化に向けた取り組みの中心に据えるべきです。」 アイダ・ソーヤー(Ida Sawyer)...