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エルニーニョ再来、豪雨に身構える東アフリカの都市貧困層

【タンザニア・ダルエスサラームIPS=キジト・マコエ】 あれから30年近くが過ぎた。しかし、ジャフェット・ギンビ氏は今も、あの雨を鮮明に覚えている。|英語版| 1997年、タンザニア西部のタボラで中等学校2年生だったギンビ氏は、エルニーニョ現象による洪水で町が水浸しになるのを目の当たりにした。雨が降り続くにつれ、学校に来る生徒の数は減っていった。 このとき発生したのは、観測史上でも有数の強さを記録した「スーパー・エルニーニョ」だった。その後も、2014年から2016年にかけてのスーパー・エルニーニョを含め、5回のエルニーニョ現象が発生している。 「とにかく雨が降り続きました。毎日、毎日、いつまでたってもやまなかったのです。」現在はダルエスサラームに暮らすギンビ氏は、そう振り返る。しかし、最も強く記憶に残っているのは、家の食料が乏しくなっていったことだ。 「野菜のおかずもなく、ウガリ(トウモロコシなどの粉を練って作る東アフリカの主食)だけを食べていました。」一方、クウィハラ村のハティブ・ハルファン氏は、同じ雨季を違った形で記憶している。 当時27歳の農民だったハルファン氏にとって、降り始めた雨は恵みのように思えた。栽培していた稲が順調に育ったからだ。ところが、やがて土地は過剰な水分を含み、キャッサバやサツマイモが腐り始めた。低地に建つ家々は浸水した。 それから29年。東アフリカは再び、非常に強いエルニーニョ現象への備えを進めている。 世界気象機関(WMO)は、エルニーニョ現象が2026年末にかけて強まり、2027年2月まで継続する可能性がほぼ100%に達するとの予測を示している。 ただしWMOは、強いエルニーニョが発生したからといって、すべての国で必ず深刻な被害が生じるわけではないと注意を促している。 東アフリカで特に懸念されているのは、豪雨だ。 10月から12月にかけての雨季は、地域の広い範囲で極めて重要な季節となる。今回の予測では、平年を上回る降水量が見込まれており、洪水や地滑り、インフラの損壊、感染症の流行などを引き起こすおそれがある。 タンザニア、ウガンダ、ルワンダ、ブルンジの一部地域では、この3カ月間に年間降水量の最大40%が集中する。 こうした状況のなか、東アフリカ共同体(EAC)の加盟国は、気候変動対策のための資金を、より予測可能で利用しやすく、返済義務のない無償資金協力を中心としたものにするよう求めている。 EAC加盟国は、来月トルコのアンタルヤで開催される国連気候変動枠組条約第31回締約国会議(COP31)に向け、地域として共通の立場をまとめようとしている。 その中で、先進国に対し、公的な気候資金の拠出義務を果たすこと、2035年までに気候変動への適応資金を3倍に増やすこと、各国が資金に直接アクセスできる仕組みを改善することなどを要求する方針だ。 また、気候変動への適応や「損失と損害」への対応に対する支援を強化する一方、脆弱な国々の債務負担を増やさないよう求めている。 EACの共通方針には、気候変動による損失と損害に対応するための基金に必要な資金を十分に確保することや、各国の国内機関が基金の資金を直接利用できるようにすることも盛り込まれている。 さらに、経済的な損失だけでなく、文化や生活様式などに関わる非経済的な損失への支援も求めている。 EACは、気候変動による損失と損害に脆弱な国々へ技術支援を提供する「サンティアゴ・ネットワーク」に対する十分な資金供給と、災害リスクの軽減や早期警戒システムに関する国際協力の強化も訴えている。 しかし、ダルエスサラームをはじめ急速に拡大する都市では、危険を左右するのは単に雨量だけではない。 雨がどこに降り、その雨水が押し寄せる場所に誰が暮らしているかが、決定的に重要なのだ。 一方、南部アフリカでは干ばつが懸念されている。食料安全保障への影響、森林・原野火災の危険性、水不足などが問題となっており、南アフリカはCOP31で適応資金の拡充を求める方針だ。 洪水の危険にさらされる都市 「洪水によって予想される主な被害としては、人命の喪失、避難を余儀なくされる人々の増加、住宅の損壊、水系感染症の発生、雇用の喪失、そして生活基盤の混乱などが挙げられます」 ストックホルム環境研究所(SEI)で持続可能な都市化に関する政策・連携責任者を務めるロマヌス・オピヨ氏は、IPSの取材にそう語った。 ダルエスサラームでは、河川沿いや谷間、低地に住宅地が広がってきた。 これらの地域では住宅費が比較的安い一方、排水設備をはじめとする基本的な公共サービスの整備が、人口増加に追いついていないことが多い。 オピヨ氏が特に洪水の危険性が高い地域として挙げるのは、シンザ川水系沿いのタンダレ地区と、ムシンバジ渓谷に位置するジャングワニ地区だ。 「最も脆弱なのは都市部の貧困層です。特に、標高の低い土地や河川沿いの居住地区に暮らす人々が、大きな危険にさらされています」 洪水は、都市に暮らすすべての人々に同じような影響を及ぼすわけではない。 日々の収入に頼って生活する低所得世帯には、貯蓄がほとんどなく、保険に加入していない人々も多い。 危険な場所から、より安全な地域へ移り住むという選択肢も限られている。 排水路が汚水の通り道になるとき 人口が密集する居住地区では、ごみなどで詰まった排水路のすぐそばに、くみ取り式の便所や廃棄物、ふたのない下水路が存在する。 洪水が起きると、それらに含まれる汚物や病原体が水に混じり、住宅や道路へと流れ込むことがある。 WMOの地域気象見通しは、過剰な降雨によって、水を介して広がる感染症や、蚊などの媒介生物が運ぶ感染症が増加する可能性を警告している。 また、道路が損壊すれば、医療サービスや栄養支援を受けることも難しくなるおそれがある。 1997年の教訓 1997年のエルニーニョ現象は、東アフリカ全域に豪雨と大規模な洪水をもたらした。 国連食糧農業機関(FAO)によれば、1998年2月までに、地域全体で約1000万人が緊急支援を必要とする状況に陥った。 タンザニアでは道路や鉄道が広範囲にわたって損壊した。 各地の共同体が孤立し、農作物や食料備蓄が失われ、被害を受けた交通インフラが救援活動の妨げとなった。 ただし、影響は地域によって異なっていた。 降雨によって水資源が補充され、牧草地の状態が改善した地域もあった。1998年には、国内の食料生産も回復した。 しかし、その一方で数百の村が孤立し、数千人が住まいを失った。 FAOと世界食糧計画(WFP)は、タンザニアでは依然として約30万人が、対象を絞った食料援助を必要とすると推計していた。 1997年以降、東アフリカの都市は急速に拡大し、湿地や河川の谷間など、洪水が起きやすい土地にまで住宅地が広がってきた。 河岸には人々が住み着き、かつての空き地は道路や建物、コンクリートに覆われるようになった。 オピヨ氏は、土地利用や開発に対する規制・管理の弱さが、洪水リスクをさらに高めていると指摘する。 「最大の問題は、こうした課題に対処するために十分な資源を配分できていないことです。資金、人材、インフラのいずれも不足しています」 タンザニア政府、豪雨への備えを強化 タンザニア政府は、10月から12月の雨季に備えた対策を開始した。 気象当局は、非常に強いエルニーニョ現象が発生した場合、北部沿岸地域、北東部高地、ビクトリア湖流域、キゴマ北部などの広い範囲で、平年を上回る降雨が生じる可能性があると警告している。 政府は国家緊急対応計画を発動し、13項目の指示を出した。 その内容には、危険性の高い地域の特定、緊急避難施設の指定、排水路の清掃、救助用機材の準備、感染症対策の強化、インフラ被害を軽減するための措置などが含まれている。 政府の試算では、大規模なエルニーニョ災害が発生した場合、事前の備えから災害発生中、復旧段階までの対策に、総額7300億タンザニア・シリングが必要になる可能性がある。 ただし、これは必要となる資金の推計額であり、すでに確保された予算ではない。 2026/27年度予算では、関係部門が同計画に基づいて実施する活動に、100億シリングが計上されている。 地域住民による洪水危険区域の地図作成、避難時に支援を必要とする世帯の把握、排水路の清掃、安全な避難経路の確保なども、被害の軽減につながる。 エルニーニョが去っても残る問題 季節予報が示すのは、あくまで気象現象が起きる確率であり、個々の暴風雨や豪雨の発生を確定的に予測するものではない。 WMOも、非常に強いエルニーニョ現象が発生したからといって、すべての地域で必ず壊滅的な被害が起きるわけではないと強調している。 しかし、問題はエルニーニョが終息した後も続く。 雨季が訪れるたびに、同じような地区が繰り返し洪水の危険にさらされているからだ。 川は氾濫し、排水路は詰まる。 住民は家財道具をベッドの上に移し、家具の下にれんがを置いて床から持ち上げ、水が引くのを待つ。 オピヨ氏は、非正規居住地区で繰り返される洪水は、都市計画の問題でもあると指摘する。 「非正規居住地区の人々が抱える脆弱性に対処するには、データの活用、創意工夫を凝らした包摂的な手法、そして率直な対話を通じた協力が必要です。そうした取り組みがなければ、繰り返される問題を解決することはできません」 自然の働きを活用した対策としては、湿地や河川沿いの環境を保護すること、植生を回復させること、洪水時に住宅地へ水が流れ込まないよう、雨水を一時的に受け止められる土地を確保することなどが挙げられる。 しかし、安全な土地ほど高額な都市では、住民に「川のそばに住むべきではない」と告げるだけでは、ほとんど意味がない。 ほかに住める場所を確保する経済的な余裕がない家族にとって、それは現実的な選択肢ではないからだ。 排水路のごみを取り除けば、今季の洪水被害を減らすことはできるかもしれない。 しかし、それだけでは、不安定な住環境、不十分な衛生設備、そして基本的な公共サービスが整った低価格の住宅用地が不足しているという根本的な問題は解決しない。 1997年、ギンビ氏は、雨が降り続き、家の食料が乏しくなるなかで、同級生たちが一人、また一人と学校に来なくなるのを見ていた。 一方、ハルファン氏は、順調に育つ稲を喜んだ後、水を含みすぎた畑で別の作物が次々と枯れていくのを目の当たりにした。 あれから29年。 今日の政府は、当時よりも精度の高い気象予報、衛星観測、洪水危険区域の地図、早期警戒システムを利用できるようになっている。 雨が近づいていることは、もはや事前に分かる。 問われているのは、その雨が降り始めたとき、最も洪水の危険にさらされている人々の命と暮らしを、本当に守れるのかということだ。 INPS Japan/ IPS UN Bureau Report 関連記事: ダッカはなぜモンスーンのたびに浸水するのか コミュニティーラジオが支えるタンザニアの気候レジリエンス 干ばつが奪う子ども時代―北部ケニアの気候ショックがSDGsを試す

武力が再び台頭する世界で、対話はなお平和を築けるのか―アッシジで問われた現実

和平交渉が行き詰まるコンゴ民主共和国から、宗教的共存の維持に苦闘するレバノンまで。宗教指導者や国際情勢の専門家らは、外交上の約束と戦争の現実との間に広がる隔たりを問い直した。 【アッシジ(イタリア)INPS Japan=浅霧勝浩】 コンゴ民主共和国東部では、遠く離れた各国の首都で和平協定が結ばれる一方、戦闘が続き、家族は住み慣れた土地を追われ、武装勢力は豊富な鉱物資源を有する地域の支配を争っている。|英語版| 首都キンシャサのフリドラン・アンボンゴ・ベスング枢機卿にとって、この矛盾は現代外交の根本的な欠陥を物語っている。政府間で合意が成立しても、平和を実現するために必要な政治的条件が整えられるとは限らないのである。 「戦っている相手を排除する対話は、対話ではありません。それは独白にすぎないのです」 アンボンゴ枢機卿は、アッシジで開かれた国際会議に向けて準備した演説で、こう訴えた。 この問題は、聖エディジオ共同体が主催した3日間の国際平和会議の一環として、10月26日に開催された「武力の時代に、いかなる平和を目指すのか」と題するフォーラムの中心的な議題となった。 教皇ヨハネ・パウロ2世がアッシジで歴史的な宗教間平和集会を開催してから40年。参加者たちが直面したのは、政治的な判断において軍事力の影響が再び強まる一方、それを抑制するための国際制度が十分に機能していない世界の現実だった。 和平協定でも終わらない戦争 コンゴ民主共和国東部では、30年にわたり、相次ぐ戦争や武装反乱、豊富な天然資源をめぐる争いが続いてきた。 アンボンゴ枢機卿は、国連の統計として、国内避難民が600万人を超え、2600万人以上が深刻な食料不安に直面していると述べた。 同氏は、ワシントンやドーハを舞台とする外交努力にもかかわらず戦闘が続いている現状を指摘し、政治的な分断や暴力を支える経済的な利害を克服しない限り、協定だけで平和は実現できないと訴えた。 コルタンや金、錫石などの豊富な鉱物資源は、武装勢力や外部勢力の間の争いを助長してきたという。 しかし、枢機卿は、その責任がすべて国外にあるという見方も退けた。 カトリック教会と、プロテスタント諸教会の主要な連合体であるコンゴ・キリスト教会は、包括的な対話を通じて国民の結束を再建することを目的とした「平和と共生のための社会協定」を提唱している。 だが、この取り組みは、誰を対話に参加させるのか、交渉開始前にどのような条件を課すのかをめぐって抵抗に直面している。 アンボンゴ枢機卿は、被害者が正義と責任の追及を求めることの重要性を認めた。その一方で、武装した敵対勢力を交渉から排除すれば、戦争を終わらせること自体が不可能になりかねないと警告した。 その後の質疑応答では、教会が政治当局や武装・非武装の反対勢力との接触を続けていることを説明し、深く分断された社会で宗教組織が仲介役を果たす可能性を示した。 戦争の最中から平和を準備する フォーラムの司会を務めたイタリアの元外務副大臣で、聖エディジオ共同体の活動に長年携わってきたマリオ・ジーロ氏は、戦争が国際政治の手段として再び正当化されるようになったと指摘した。 ジーロ氏は、軍事的な対立を現実的な選択肢とみなし、平和構築を非現実的な理想と決めつける考え方に異議を唱えた。 戦争はいったん始まると、それを引き起こした指導者ですら制御できない勢いを持ち、さらなる怨恨を生み、当初の目的をはるかに超えて紛争を長期化させることがあるという。 そこで同氏が示したのが、「平和のリアリズム」という考え方だった。戦闘が続いている最中から、和解に向けた準備を始めるという発想である。 その出発点となるのは、政治文化と言葉の使い方だとジーロ氏は論じた。反対する相手を、もはや理解や承認の対象となり得ない敵として描く言葉に社会が慣れてしまえば、暴力を正当化することも容易になる。 同氏はまた、政治的な立場によって犠牲者の苦しみに序列をつけることにも警鐘を鳴らした。 対話には、世界を自分たちと敵対する側に分け、前者の苦しみにだけ共感し、後者の苦しみを無視する誘惑に抗う姿勢が欠かせないというのである。 レバノンが抱える共存の難しさ レバノンのジョゼフ・アウン大統領の政治顧問を務めるジャン・アジズ氏は、個人、宗教共同体、国家という三つの関係から平和構築の問題を論じた。 持続的な平和のためには、この三者の間に均衡が保たれなければならないという。 個人には尊厳と自由、そして生活を営む手段が必要だ。共同体には独自のアイデンティティーを守る権利がある一方、暴力や排除を拒む責任もある。国家は主権を行使するに当たって、その権力が無制限ではないことを認識しなければならない。 中東についてアジズ氏は、パレスチナ問題の永続的な解決と、レバノンの多元的な政治体制の維持が、地域の安定に不可欠だと述べた。 同氏によれば、レバノンにおけるキリスト教徒とイスラム教徒の共存は、脆弱さを抱えながらも、守るべき重要な政治的試みである。 しかし同氏は、宗教的なアイデンティティーが今も緊張を生み出している現実を認めた。 対話の目的は、あらゆる違いをなくすことではない。違いが暴力を正当化する口実にならないようにすることだという。 国際法を実行するのは誰か アルジェリア出身で、衛星テレビ局アルジャジーラのジャーナリストとして知られるハディージャ・ベンゲンナ氏は、国際法の選択的な適用を問題視した。 中東をはじめとする各地の紛争を例に挙げ、制裁や外交的圧力、法的措置が、一貫した原則よりも大国の利害によって左右されることが多いと批判した。 特に、国連安全保障理事会の常任理事国が、国際社会の多数が支持する措置であっても拒否権によって阻止できる制度を問題視した。 一方で同氏は、国際司法裁判所(ICJ)や国際刑事裁判所(ICC)を含む国際司法制度の重要性も強調した。 これらの裁判所には判決や決定を直接執行するための独自の強制力がないものの、人権侵害などの政治的代償を高め、力の弱い側が責任を追及する道を開くことができるという。 これに対しジーロ氏は、安保理の制度について、より現実主義的な見方を示した。 拒否権制度の不平等を認めながらも、それが大国を国連の枠組みの中にとどめる役割を果たしてきたと論じた。こうした妥協がなければ、国連そのものの存続が困難になっていた可能性があるという。 両者の見解の違いは、国際制度の改革に伴う根本的な緊張関係を浮き彫りにした。 強大な国家が持つ特権に挑むべきなのか。それとも、不完全であっても対話を可能にしている仕組みを維持すべきなのか、という問題である。 和解に先立つ相互承認 イタリアの地政学専門誌『Limes』編集長のルーチョ・カラッチョーロ氏は、現代の戦争では、相手の人間性そのものを否定する傾向が強まっていると警告した。 同氏はまた、AIの軍事利用の拡大と、従来は政府が担ってきた戦争と平和に関する決定に、民間の巨大テクノロジー企業が影響力を及ぼしている現状を問題視した。 しかし、その議論の中心にあったのは、政治の正統性という問題だった。 カラッチョーロ氏によれば、対話そのものが目的になってはならない。対話が成立するには、相互承認が必要である。 それは、対立する双方の軍事力が対等であることを意味しない。互いに、人間として平和に生きる同じ権利を持つ存在だと認めることである。 交渉を行い、合意を実行する能力を備えた正統な政治制度がなければ、持続可能な平和を築くことはできない。 同氏は、その責任を担う政治制度の再建を訴えた。 これに対し、インドの作家で「新しい南アジアのためのフォーラム」創設者のスディーンドラ・クルカルニ氏は、異なる側面を強調した。 マハトマ・ガンジー、アッシジの聖フランチェスコ、教皇フランシスコの思想を踏まえ、非暴力とは不正義を受動的に受け入れることではなく、それに積極的に立ち向かう行動だと論じた。 同氏は、宗教共同体が内面的な変革と、組織的な非暴力の社会運動を結び付けていく必要があると訴えた。 若者が未来に希望を持てる社会へ 議論はやがて、失業や政治的排除、自らが引き起こしたわけではない紛争に直面する若者たちの問題へと広がった。 アンボンゴ枢機卿は、コンゴの若者が武装集団に参加する背景には、将来への希望を失っている現実があると指摘した。 クルカルニ氏は、若者には不正義に抗議する権利があると擁護する一方、非暴力の運動こそ幅広い社会的支持を獲得し、持続的な変革を実現しやすいと論じた。 こうした発言によって、平和の意味は停戦や外交協定を超えて広がった。 若者が尊厳を持って生き、社会に参加し、経済的に自立できる現実的な道筋を見いだせない社会では、真の安定を実現することは難しい。 10月27日に発表された閉会式の平和アピールは、軍事支出から人々の基本的な生活の必要へと政策の優先順位を転換するよう訴え、宗教共同体に対しても、信仰を暴力の正当化に利用することを拒むよう求めた。 対話の成果を何で測るのか しかし、このフォーラムで、戦争を終結させるための簡単な処方箋が示されたわけではない。 むしろ、議論から浮かび上がった最も重要な結論は、対話と平和は同義ではないということだった。対話とは、敵対する相手をも排除せず、人間の尊厳を守り、紛争を長引かせている利害関係にも向き合わなければならない、政治的にも人間的にも困難を伴う取り組みなのである。 コンゴ民主共和国をはじめとする紛争地域で、その成否を測る尺度となるのは、締結された和平協定の数ではない。合意が実際に履行され、暴力が減り、避難を余儀なくされた人々が安全に故郷へ戻り、若者たちが武器を取る以外の未来を選べるようになるかどうかである。 それには、政治指導者が約束を実行する責任を負い、国際社会が和平への関与を継続し、宗教共同体や市民社会が対立する人々の間に信頼を築くことが欠かせない。何より、和平交渉の当事者たちが、戦争によって苦しんできた人々の生活を、外交上の駆け引きより優先させる必要がある。 アッシジの会議が示したのは、対話が戦争を終わらせる保証にはならない一方、それを放棄すれば、敵対する人々の間で合意を築く可能性そのものが失われかねないという現実だった。 平和の実現を最終的に証明するのは、会議の閉幕時に発表される宣言でも、外交文書に記された約束でもない。紛争の影響を受ける人々が、恐怖に支配されることなく、尊厳と希望を持って暮らせる日常を取り戻せるかどうかなのである。 INPS Japan 関連記事: ローマのコロッセオで宗教指導者が平和を訴える―戦争に引き裂かれた世界に向けた連帯の祈り |第8回世界伝統宗教リーダー会議|危機を超えて対話を(長岡良幸創価学会国際渉外局長インタビュー) バチカン会議、「持続可能な開発」と「核兵器禁止」のネクサス(関連性)を強調

|視点|次期国連事務総長の選出―拒否権の脅しにも、拒否権そのものにも、世界が沈黙させられてはならない(アンワルル・K・チョウドリー元国連事務次長・高等代表)

【ニューヨークIPS=アンワルル・K・チョウドリー】 次期国連事務総長の選出は、重大な局面を迎えている。そこには、世界で最も普遍的な機関である国連の公正性、透明性、地域間のバランス、そして民主的正統性をめぐる根本的な問いが突きつけられている。|英語版| アラブ首長国連邦(UAE)は10月21日、同国のラナ・ヌセイベ国務相(大使)を候補に指名すると発表した。これにより、すでに長期化している選出プロセスに新たな局面が加わった。 ヌセイベ大使は経験豊かな外交官であり、国連への貢献でも確かな実績を持つ。しかし、この立候補のタイミングは、選出プロセスの健全性と信頼性について、正当な疑問を投げかけるものだ。 歴史的な選出をリードする2人の女性 安全保障理事会ではすでに6回の予備投票(ストロー・ポール)が行われた。その結果、国連のラテンアメリカ・カリブ地域グループに属する卓越した能力を持つ2人の女性、コスタリカのレベッカ・グリンスパン氏とガイアナのキャロリン・ロドリゲス=バーケット氏が上位2候補として浮上した。グリンスパン氏は直近の予備投票で、国連憲章が定める最低ラインである安保理15カ国中9票を獲得している。 これは史上初の出来事であるだけでなく、初の女性国連事務総長の選出に向けた画期的な道を開くものだ。それは国連憲章上の義務(第8条)を果たすことであり、国連のトップを男性だけが占めてきたという異常な状態を正そうとする、少なくとも10年来の世界の願いに応えることでもある。 上位2候補は精力的に選挙運動を展開し、自らのビジョンを示し、加盟国や市民社会と対話を重ね、度重なる予備投票の厳しさと不確実さに耐えてきた。その粘り強さには、心からの敬意と評価が払われるべきである。 ところが、両候補の立候補には、安保理常任理事国のうち2カ国が反対している。 拒否権が191の加盟国の意思に優先してはならない ここで根本的な問いが生じる。なぜ拒否権を持つ2カ国の意向が、残る191の国連加盟国の総意よりも重んじられなければならないのか。 国連はすべての加盟国のものである。その指導者は、そうした普遍的な帰属を反映したものであるべきだ。 1945年の地政学的状況から受け継がれた拒否権は、いまなお国連に長い影を落としている。少数の国の意向が多数の国の選択肢を左右するようになれば、主権平等の原則と組織の実際の運営とを両立させることは、ますます難しくなる。 圧倒的多数の加盟国が、2つの強大な常任理事国の拒否権をめぐる思惑の人質にされてはならない。グリンスパン氏とロドリゲス=バーケット氏は、拒否権を持つ常任理事国5カ国のうち過半数にあたる3カ国から「奨励」票まで得ているのである。 総会は憲章上の権限を行使すべきだ 憲章上の側面についても、改めて注目すべきである。 国連憲章第97条は、事務総長は安全保障理事会の勧告に基づいて総会が任命すると明確に定めている。 総会の任命権限は明文で規定されている。密室で調整された安保理の決定を、形式的に追認するだけの儀礼的な役割に矮小化されてはならない。 総会は、勧告を受け入れられないと判断すれば、それを拒否する権限を持っている。この憲章上の責任は、独立性と確信をもって、恐れることなく、また何者にも偏ることなく行使されるべきである。 総会はすべての加盟国を代表している。その声と権限は重んじられなければならない。 地域間のバランスとラテンアメリカ・カリブ地域の正当性 地域代表のバランスも、欠かせない考慮事項である。 事務総長職の地域持ち回りについては、非公式ながら確立された了解が存在する。現職のアントニオ・グテーレス事務総長は西欧出身の4人目の国連トップであり、その直前は韓国の潘基文(パン・ギムン)氏がアジアを代表していた。 ラテンアメリカ・カリブ地域からは、これまでに1人の事務総長しか輩出されていない。1982年から1991年まで務めたペルーのハビエル・ペレス・デクエヤル氏であり、それは今から35年前のことだ。 したがって、同地域が「今度こそ自分たちの番だ」と期待するのには、説得力のある歴史的根拠がある。 同地域の候補者たちは、選出プロセスに多大な労力を注いできた。厳しい審査、不確実性、そして政治的抵抗に直面しながらも、彼女たちは威厳をもってその嵐を乗り越えてきた。 いま両候補を素通りすることになれば、それも主として2つの常任理事国が不満を抱いているという理由によってであれば、選出プロセス全体の価値に深刻な疑問が生じるだろう。 遅れて参入する候補とプロセスの信頼性 遅れての立候補は、現行の慣行の下では認められている。しかし、常任理事国の反対を明らかにする決定的な色分け投票を含め、6回の予備投票を経た後に参戦することは、手続きの公正さについての懸念を避けられない。 それはまるで、木を植えることも育てることもせずに、収穫の時期になって現れ、果実だけを手にしようとするようなものだ。 事務総長の任命をめぐっては、時にかなり恣意的なものも含め、さまざまな政治的思惑がたびたび表面化してきた。そうした思惑が、透明で信頼できる選出プロセスに取って代わってはならない。 次期事務総長には、高潔さ、独立性、そして勇気が求められる。ジェンダー平等と地域代表のバランスは、こうした資質を備えた人物の探求を弱めるものではなく、むしろ後押しするものであるべきだ。 いま加盟国の前にある選出は、国連が創設の理念に忠実であり続けていることを示す好機なのである。 81年間で9人の男性、女性はゼロ 何よりも、正されるべき歴史的不正義と容認しがたい現実について、改めて強調したい。 創設から81年、国連はいまだに女性の事務総長を一度も選んでいない。80年余りの間に、男性が9人、女性はただの1人もいないのである。何という恥ずべきことか。何という不名誉か。あらゆる演壇で平等を語る機関が、どうしてその頂点では不平等を体現し続けられるのか。 国連が掲げる主張の信頼性は、自らを鏡に映したときの姿にかかっている。ジェンダー平等と女性のエンパワーメントを掲げる組織にとって、これは途方もない矛盾である。 10人目の事務総長に女性を任命することは、あまりにも遅すぎたと言わねばならない。現在上位に立つ2人の女性候補は、拒否権の脅しや、この2つの常任理事国からの圧力によって撤退すべきではない。 総会が最終決定を下すまで、彼女たちの立候補は有効であり、総会の前に生き続けている。拒否権が国連の声になってはならない。 総会は、憲章第97条によって付与された正当な権限を行使しなければならない。 アンワルル・K・チョウドリー大使は、元国連事務次長・高等代表。2000年3月、国連安全保障理事会議長として、女性の平等な参画を明記した「女性・平和・安全保障」に関する安保理決議1325号を発議した。ユニセフ執行理事会の議長を2度務めたほか、「平和の文化グローバル運動(GMCoP)」の創設者であり、国連システムの活動に関する著名な論者でもある。 INPS Japan/IPS UN Bureau 関連記事: キャロリン・ロドリゲス=バーケット氏、国連事務総長選で「現実的改革」を提唱―小国の視点から実務重視の国連像を提示 米国に異を唱え、その代償を払った国連事務総長 ― ブトロス・ブトロス=ガリの軌跡 初の女性国連事務総長をどう選出するか:国連が直面する困難な課題

自ら人生の終わりを選ぶ人々

本人の意思に基づいて医療的介助による死を選ぶ人々の多くは、末期疾患や不治の病、あるいは心身の機能を著しく損なう疾患を抱え、深刻な身体的・精神的苦痛に直面している。 【米国ポートランドIPS=ジョセフ・チャミー】 本医療的介助による死や安楽死を望む人々の多くは、末期疾患や治癒の見込めない病気、あるいは心身の機能を著しく損なう疾患を抱え、深刻な身体的・精神的苦痛に直面している。 研究によれば、こうした人々の多くは、病状が進行して回復が困難な状態にあり、病気によって本人の自律性や尊厳が損なわれたり、自分にとって意義のある活動を続けられなくなったりしている。 本人の意思に基づく医療的介助による死や安楽死を法的に認める国や地域は増えているものの、その是非をめぐる議論は今なお続いている。 争点の核心にあるのは、個人の自己決定権を尊重し、苦痛を和らげることと、人間の生命を守ることの間にある根本的な緊張関係だ。 こうした選択に影響するのは、身体的な痛みだけではない。心理的な苦悩や生きる意味、人生の終わりに対する不安、生活の質が低下することへの懸念も、重要な要因となっている。 例えば、自立した生活や身体機能を失うこと、排泄などの身体機能を自分で制御できなくなること、基本的な身の回りの世話を他人に頼らざるを得なくなることなどが挙げられる。 また、病気の最終段階で、将来さらに激しい痛みや苦しみ、不安に直面することへの恐れも、こうした決断に影響を与える。医療的介助による死が認められる条件は、国や地域の法律によって異なる。対象を終末期の患者に限定している地域では、一般的に余命6カ月以内と診断されていることが要件となる。 一方、余命6カ月以内という制限を設けず、回復不能な疾患や耐え難い苦痛などを基準としている国や地域もある。通常、申請者には、自ら判断する能力があることに加え、十分な説明を受けたうえで、本人の自由意思によって申請していることが求められる。 また、独立した医療専門家による評価が必要とされるのが一般的で、多くの国や地域では、一定の待機期間やその他の安全確保措置が設けられている。筋萎縮性側索硬化症(ALS)、がん、その他の重篤な疾患は、医療的介助による死を求める申請と密接に関連している。 そのほか、進行した心血管疾患や肺疾患、アルツハイマー病をはじめとする認知症などの神経変性疾患を抱える人々からの申請もある。特に進行がんで、治療による効果が得られなくなった場合には、激しい痛み、衰弱、身体機能の低下など、生活を著しく制約するさまざまな症状が現れることがある。通常の医療や緩和ケアでは十分に和らげることのできない激しい身体的苦痛や精神的苦悩が、人々に人生を終えるという選択を考えさせることもある。 しかし、その理由は、一般的に身体的な痛みだけにとどまらない。自分にとって意味のある活動ができなくなること、身の回りのことを自分で行えなくなること、そして個人としての尊厳を保てなくなることなど、自律性の喪失が大きな影響を及ぼす場合がある。 また、家族や介護者への依存が増していくこと、日常生活の基本的な部分を自分で管理できなくなること、生活の質がさらに低下していくことを恐れる人もいる。人生の終わりを選ぶという決断は、医療、心理、社会環境、個人的な事情など、さまざまな要素が絡み合う複雑なものである。 人によっては、病気そのものの症状と同じくらい、身体機能が長期間にわたって衰えていくことや、他人への依存度が増していくことへの不安が、重要な意味を持つ。そのため、医療的介助による死の申請に際しては、本人の病状、判断能力、意思や希望、そして緩和ケアやホスピスケアを含む他の選択肢について、慎重に評価する必要がある。 人生の終わりを選ぶ3つの方法 人々が自ら死の時期や方法を選ぶ場合、その選択肢は大きく3つに分類できる。それぞれに異なる法制度、医療上の手順、実施方法が適用される。主な違いは、生命を終わらせるための薬剤を誰が投与するのか、本人が自ら服用するのか、それとも薬剤を用いずに、本人の意思で飲食をやめるのかという点にある(表1)。 表1:本人の意思に基づく終末期の選択――医療的介助による死(MAID)、自発的安楽死、自発的な飲食の中止(VSED) 第一の類型は、「医療的介助による死(Medical Aid in Dying:MAID)」である。米国では「医師の介助による死(Physician-Assisted Dying)」とも呼ばれ、一部の地域では「尊厳ある死(Death with Dignity)」という名称も用いられている。 米国の多くの州で採用されているMAID制度では、法律で定められた要件を満たし、判断能力がある終末期の成人が、自らの生命を終わらせることを目的とする処方薬を求め、本人自身が服用することが認められている。 一般的に、余命6カ月以内と診断された末期疾患が要件となるが、具体的な条件は州によって異なる。ただし、MAIDという用語の定義は、国によって必ずしも同じではない。 例えばカナダでは、医療的介助による死(Medical Assistance in...