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ウィーンからニューヨークへ―初のTPNW再検討会議を前に揺れる核秩序

国際原子力機関(IAEA)第70回総会が示した保障措置と核セキュリティーの課題―焦点は初の核兵器禁止条約再検討会議へ 【ウィーンINPS Japan=浅霧勝浩】 国際的な核秩序が、新たな試練に直面している。ニューヨークで開かれた核兵器不拡散条約(NPT)再検討会議が実質的な成果について合意できないまま閉幕してから4カ月足らず。各国政府はウィーンで保障措置や核セキュリティーをめぐる問題に向き合った。そして11月末には、核兵器禁止条約(TPNW)初の再検討会議がニューヨークで開かれる。 9月14日から18日まで開催されたIAEA第70回総会は、核をめぐる地政学的対立が、核不拡散を支える実務にも及んでいる現状を映し出した。 NPT再検討会議が実質的な結論や勧告について合意できなかったのは、2015年、2022年に続いて3回連続となる。アントニオ・グテーレス国連事務総長は結果に失望を表明する一方、NPTが世界の核軍縮・不拡散体制の礎であることを改めて強調した。 IAEAは核軍縮を交渉する機関ではない。原子力の平和利用を促進するとともに、核物質が核兵器などに転用されていないことを確認する保障措置を担う。 しかし今回、イラン、北朝鮮、ウクライナ、原子力潜水艦の推進をめぐる問題は、保障措置や核セキュリティーが、武力紛争やより広範な核秩序と切り離せなくなっている現実を示した。 検証を揺さぶるイラン問題 イランをめぐる焦点は、核計画をめぐる政治的対立だけではない。IAEAが独立した検証を継続し、その信頼性を維持できるかどうかである。 施設へのアクセスが制約され、高濃縮ウランを含む核物質をめぐる不確実性が続くなか、保障措置の実効性への懸念が強まっている。 さらに、イランの核施設への攻撃は別の問題を突きつけた。武力紛争下で、核施設とそれを取り巻く検証体制をどう守るのかという問題である。 戦時下の原子力安全を問うウクライナ ウクライナでは、戦争によって主要な原子力施設が軍事作戦地域やその周辺に置かれ、とりわけザポリージャ原子力発電所が国際社会の懸念の中心となっている。 IAEAは原子力安全と核セキュリティー上のリスクを抑えるため、同原発に専門家を常駐させている。 ロシアとウクライナは、原子力施設を危険にさらす行為をめぐって互いを非難してきた。双方の主張には争いがあるが、より根本的なのは、大規模な原子力施設が長期の武力紛争にさらされた場合、既存の国際的な核管理体制をどう機能させるかという問題だ。 北朝鮮が示す検証の限界 IAEAは国外から朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の核関連動向を監視し、政治状況が許せば検証活動を再開できるよう準備態勢を維持している。 北朝鮮のケースは、国際的な検証制度の限界を端的に示す。高度な監視能力を備えていても、最終的には現地へのアクセスと当事国の協力が不可欠だからだ。 今回の総会では、より広範なコンセンサス形成の難しさも表面化した。保障措置、原子力安全、核セキュリティー、原子力の平和利用など高度に技術的な分野を扱うIAEAも、地政学的対立の影響を免れていない。 一方、他の保障措置案件での進展は、アクセス、透明性、継続的な協力が確保されれば、多国間の検証制度が成果を生み出せることも示している。 NPTとTPNWをつなぐ市民社会 核軍縮をめぐる議論には、市民社会も深く関与している。 2026年のNPT再検討会議では、創価学会インタナショナル(SGI)が、核軍縮教育、核リスク低減、核兵器がもたらす人道上・環境上の影響を訴えた。4月30日にはSGIと核時代平和財団(Nuclear Age Peace Foundation)が、核兵器の人道的影響という視点から拡大核抑止を検討するサイドイベントを共催した。 日本被団協を代表して参加した被爆者の松浦秀人氏は、原爆投下から80年以上を経ても、放射線に起因する疾病が被爆者を苦しめている現実を訴えた。 そこで提起されたのは、核抑止をめぐる根源的な問題でもある。安全保障を国家の視点だけから捉えるのか、それとも「人間の安全保障」の視点を組み込むのか。 こうした市民社会の取り組みは、NPTプロセスと、TPNW成立を後押しした人道的アプローチを結ぶ接点となっている。 ウィーンからニューヨークへ 次の舞台はニューヨークである。11月30日から12月4日まで、TPNW締約国は国連本部で条約発効後初となる再検討会議を開催する。 NPT、IAEA、TPNWは競合する枠組みではない。NPTは核不拡散、核軍縮、原子力の平和利用という三本柱を掲げ、IAEAはその核不拡散を支える保障措置と検証の中核を担う。一方、TPNWは核兵器の開発、実験、生産、保有、使用、使用の威嚇などを禁止し、その廃絶を目指す法的枠組みである。 2026年のNPT再検討会議が示したのは、核軍縮と核不拡散をめぐる政治的合意形成の難しさだった。ウィーンでは、武力紛争や地域的な核拡散問題、地政学的対立のなかで、検証と核セキュリティーが直面する現実的な問題が前面に出た。 初のTPNW再検討会議では、こうした状況のもとで核兵器禁止条約が核軍縮に何をもたらし得るのかが問われる。 核兵器国はいずれもTPNWに参加しておらず、条約だけで実現できることには明確な限界がある。その一方で、締約国と市民社会は、核兵器の人道上の影響とその廃絶を国際的な議論の中心に据えてきた。 11月30日に各国代表がニューヨークに集うとき、焦点は一つの条約の履行状況だけではない。 NPT再検討会議が再び実質的なコンセンサスを形成できなかった今、既存の枠組みと新たな枠組みがどう補完し合い、核リスクを低減し、検証を強化し、核軍縮を前進させられるのか。 ウィーンからニューヨークへ―それが2026年の核外交に残された重要な問いである。 This article is brought to...

国連とパートナー諸機関、大地震後のベネズエラで保健・水・衛生システムの再建に尽力

【国連IPS=オリトロ・カリム】 ベネズエラ北部・中部を襲った6月24日の一連の地震から2カ月余り。人道支援機関は今なお最前線で救援活動を続ける一方、持続可能な復興に向けた取り組みを本格化させている。保健医療や水・衛生(WASH)システムが深刻な打撃を受けるなか、国連とパートナー諸機関は復旧の進捗を見極めながら、生活必需品の配布や基礎的サービスの再開に取り組んでいる。|英語版| 国連人道問題調整事務所(OCHA)の8月末時点の報告によると、地震による被災者は約130万人に上り、今後6カ月にわたって人道支援を必要とするとみられている。地震による直接の死者は6,509人に達した。当局は60,785戸の住宅の被害状況を調査し、このうち11,001戸を高リスクと判定した。 生活を支えるインフラへの被害も甚大かつ広範囲に及んでいる。国連によると、住宅だけでなく、学校や医療施設、さらに食料生産、安全な水の供給、子どもたちが安心して過ごせる環境を支える施設や設備にも大きな被害が生じた。 被害額については、それぞれ異なる評価手法に基づく推計に大きな幅がある。国連防災機関(UNDRR)の予備評価では、建物とインフラへの直接的な物的被害を約370億ドルと推計している。一方、国連開発計画(UNDP)が衛星データなどを用いて実施した迅速評価では、直接的な物的被害は約67億ドルで、同国の国内総生産(GDP)の約6%に相当すると推計された。 地震発生直後、UNDPは衛星画像、AIによる被害検出、被災リスクにさらされた人口や建物などのデータ、地震動の強度データ、工学モデルなどを組み合わせた迅速被害評価システム「RAPIDA」を稼働させた。これにより、被害規模を把握するための重要なデータを政府に提供し、復旧・復興計画の策定を後押しした。 RAPIDAは当初、地震で発生したがれきの量を約120万トンと推計していたが、その後、高解像度の衛星画像や現地調査の結果を踏まえ、7月中旬までに約210万トンへと上方修正した。この推計は現在、国のがれき処理計画の基礎となっている。政府当局によると、8月下旬までに全体の約28.61%が撤去された。 こうした進展にもかかわらず、多くの被災者の生活は依然として極めて不安定な状況にある。数万人が80カ所の仮設避難所で生活を続けており、深刻な過密状態や不衛生な環境、基礎的サービスの不足によって、感染症が拡大するリスクが高まっている。 汎米保健機構(PAHO)のジャルバス・バルボサ事務局長は、「今後数週間で最大の健康上のリスクとなり得るのは、地震そのものによる負傷だけではない。保健医療サービスの中断、過密な避難環境、不十分な水・衛生環境に加え、予防接種や日常的な医療を受ける機会の減少も大きな脅威となる」と警告した。また、ベネズエラでは地震発生以前から予防接種率が著しく低かったと指摘した。 国連とパートナー諸機関は、水・衛生(WASH)システムの復旧を最優先課題の一つに位置づけ、感染症の発生を防ぐうえで、安全で清潔な水を確保することが不可欠だと強調している。 国連児童基金(UNICEF)によると、過去2カ月で安全な水の確保には大きな進展がみられたものの、豪雨や給水車の不足、運用コストの上昇が、必要な支援を継続するうえで依然として大きな障害となっている。 UNICEFベネズエラ代表のマヌエル・ロドリゲス・プマロル氏は、「地震による壊滅的な被害の後、最優先事項は、子どもたちが安全で清潔な水を利用できるようにすることだった。しかし復興とは、家庭が今だけでなく、将来にわたって安全な水を確保できるようにすることでもある」と語った。 さらに、「復興とは、現在機能しているサービスを維持し、家庭が長期的に必要とするサービスを強化していくことにほかならない。UNICEFは、すべての子どもが健康で安全な環境のなかで成長できるよう、技術支援や物資の提供、運営面での支援を継続していく」と述べた。 現在、UNICEFとベネズエラの水資源省(Ministry of People's Power for Water Services)は、最も大きな被害を受けた地域の一つであるラ・グアイラ州で、主要な給水施設の復旧に取り組んでいる。最大25万人への安全な水の供給を目指し、10月に始まる事業では、マモ揚水場とナイグアタ浄水場の補強が予定されている。 9月8日時点で、UNICEFの支援は子ども5,079人を含む少なくとも16,661人に届いている。複数の地域で安全な水へのアクセスが回復しており、保健、栄養、子どもの保護を安定させるうえで重要な前進となっている。 ここ数週間、PAHOの対応は緊急救援から早期復興へと移行しつつある。重点分野には、メンタルヘルス、妊産婦・周産期医療、中断した保健医療サービスの再開、仮設避難所への継続的な支援などが含まれる。 PAHOは9月4日、ベネズエラでの活動状況をまとめた報告書を発表し、これまでに41.3トンの医療物資と医薬品を同国に搬入し、約70,697人に支援を届けたと明らかにした。PAHOとパートナー諸機関はまた、仮設避難所の衛生・環境上のリスクを監視するとともに、感染症などを早期に発見し、迅速に対応するための体制強化を支援している。 PAHOは、カラカス、ラ・グアイラ、ミランダ、アラグアを特に支援の必要性が高い地域として挙げている。これらの地域では、妊産婦医療や家族計画、ジェンダーに基づく暴力の予防、リハビリテーションなどの分野で緊急の支援が必要だという。 こうしたニーズに対応するため、PAHOは今後6カ月間に必要となる緊急保健医療支援の資金として、2,300万ドルの拠出を国際社会に呼びかけている。 INPS Japan/IPS UN...

故郷にとどまる―変わりゆく気候の中で「文化的安全保障」を築く

この記事は、戸田記念国際平和研究所が配信したもので、同研究所の許可を得て転載しています 【Global Outlook=クラウディア・フライ、セライ・マラマニソソ】 太平洋地域がCOP31に向けたプレ会合の開催準備を進めるなか、この地域には、太平洋地域が主導する「気候・平和ネクサス」を通じて、平和と安全保障をめぐる対話を前進させるまたとない機会が訪れている。|英語版| そうしたなかで、近年注目を集めているのが「文化的安全保障(cultural security)」という概念である。これは、環境や社会が大きく変化するなかで、文化的アイデンティティ、社会的結束、人と場所との関係性といった相互に結びついた要素を維持し、再生していくことを意味する。 この考え方は、太平洋地域の研究者、活動家、地域社会のリーダーたちが長年にわたり、先住民や地域社会に根差した「関係性の知」、思想、文化的慣行を気候政策の中心に据えるよう訴えてきたことを踏まえたものである。 しかし、制度化された植民地主義や、先住民・地域社会固有の仕組みが持つ価値への理解不足などにより、気候政策における文化や先住民の知への言及は、しばしば象徴的・形式的なものにとどまっている。その結果、複雑な知識体系や統治システムが、太平洋地域の外で形成された、西洋の援助国中心の世界観に基づく枠組みへと単純化されてしまっている。 こうしたなか、気候変動に伴う計画移転ではなく、祖先から受け継いだ土地にとどまることを選ぶ地域社会の存在は、文化的安全保障を気候安全保障の根幹に改めて据える重要な視点を提示している。 文化的安全保障とは、単に気候変動の影響から文化を守ることではない。長年にわたり受け継がれてきた文化的な仕組みそのものが、変わりゆく気候のなかで地域社会が平和と安全を築いていくプロセスの中核を担っていることに目を向けるものである。 私たちは、フィジーで研究者および実務家として活動してきた経験をもとに、文化を生かしながら現在の土地にとどまり、気候変動に適応している二つのiTaukei(フィジー先住民)コミュニティーの知識と経験を紹介する。 こうした取り組みの基盤となっているのが「Vanua(ヴァヌア)」である。iTaukei社会におけるVanuaとは、人々、土地、海、精神性、倫理、統治、親族関係、祖先を包括する概念である。 したがって、文化的安全保障というアプローチは、地域社会の脆弱性や依存に焦点を当てるのではなく、人々が共有する強みや力、そして暮らしのなかで培われてきた知へと視点を転換するものである。 以下では、Vanuaに根差した文化的安全保障の三つの重要な要素――伝統的な癒やしと精神性、伝統的な統治構造、親族関係と物語の継承――に着目し、それらが相互に作用しながら、変わりゆく気候のなかでいかにレジリエンスを築いているかを考察する。 伝統的な癒やしと和解の実践が平和と安全を育む 気候適応政策、とりわけ計画移転をめぐる政策では、移転の実務や意思決定に重点が置かれがちで、人々、土地、海のウェルビーイングにとって重要な、心の癒やしのプロセスが見過ごされる傾向にある。 フィジー先住民iTaukeiの宇宙観では、あらゆる生命は関係性のなかにあり、相互につながっていると考えられている。そのため、自らを癒やすことと環境を癒やすことは切り離すことができない。 フィジー社会福祉協議会(FCOSS)は「Vakabula Vanua」プロジェクトを通じて、ナイタシリ州セレアのワイカロウの住民と協力し、その土地にとどまりながら気候変動に適応する幅広い取り組みの一環として、「Tolo(トロ)」と呼ばれる心の癒やしと浄化の祖先伝来の慣行を復活させてきた。 プロジェクト開始当初、住民たちは、浸食が進む川岸のパンノキが実をつけなくなり、地域の食料安全保障が脅かされていると語っていた。 これを受け、地域住民はiTaukeiの関係性を重んじる思想に基づき、親族の絆を強めるためにToloを実践した。 プロジェクトが終わりを迎える現在、住民たちはパンノキが再び実をつけるようになったと語っている。そして、親族関係の修復は人間同士にとどまらず、土地との関係にも及び、それが豊かさをもたらし、食料安全保障を強化することにつながると捉えている。 同様の考え方は、タイレブ州のコマ島(Qoma Island)でもみられる。気候リスクが高まっているにもかかわらず、住民たちは移転せず、祖先から受け継いだ土地にとどまることを選択している。 住民たちは、その土地にとどまることで、qoliqoli(伝統的な漁場)との関係を維持し、再生することができると語っている。 ある長老はこう説明している。 「すべては、私たちが陸でどのように暮らすかにかかっています。すべてを尊重し、しきたりに従っていれば、海に出たときにそれを感じることができます。私たちの漁場は豊かになるのです。」 ここでは、Vanuaを構成するさまざまな関係性を癒やすことが、相互につながった陸と海の世界において気候安全保障を築くうえで不可欠な一部となっている。 こうした経験は、気候安全保障政策が、癒やしと和解という文化的プロセスに重点を置く可能性を示している。そうしたプロセスは、相互につながった社会、環境、精神世界の関係性を強化し、関係性の調和だけでなく、食料安全保障や社会的結束を育む可能性を持っている。 伝統的な統治の役割が気候安全保障を支える 伝統的な統治構造は、数百年、さらには数千年にわたり島嶼社会を導いてきたが、国家中心の政策では、しばしば周縁に追いやられている。 これは、気候ガバナンスに今なお残る植民地主義的な構造に起因する不公正であるだけでなく、重要な機会を逸することでもある。 FCOSSは「Vakabula Vanua」プロジェクトを通じて、地域住民と協力し、伝統的な役割と責任を気候レジリエンスに再び結びつける取り組みを進めた。 それぞれの伝統的な役割には、気候レジリエンスに関わる固有の責任がある。gonedau(漁民)は海洋生態系を守り、bati(戦士)は土地を守る。sauturaga(王を選定する者)は紛争を解決し、大工は災害後や移転時の住宅再建に必要な技術を提供する。Turaga(首長)は地域社会の意思決定を導き、bete(食を司る祭司)は食料安全保障を担う。 こうした役割を改めて確認することで、人々の自己認識が強まり、地域社会が自ら組織し、気候変動がもたらす課題に主体的に対応することが可能になった。 コマ島の住民もまた、自分たちのレジリエンスは、Tui Nabulebulewaの指導のもとで維持されてきた社会構造に根差していると語っている。 例えば、外部からの支援を待つのではなく、地域社会はsolesolevaki(共同作業)という強固な伝統を生かして、その土地にとどまりながら適応策を実践している。また、soli ni vanua(地域社会による資金調達)を活用して、サイクロンに耐えられる村の集会所を建設した。現在の土地にとどまることを選択した地域社会に対する公的な資金支援がないなか、こうした伝統的な仕組みが重要な役割を果たしている。 これは、太平洋地域の研究者、活動家、指導者たちが長年訴えてきたことを改めて裏付けている。すなわち、解決策や戦略はすでに地域社会のなかに存在し、長年受け継がれてきた統治システムに組み込まれているということである。 気候安全保障政策は、地域社会の伝統的な役割や責任、そしてそれらに結びついた知識を土台とすることができる。それによって、文化的アイデンティティを強化するとともに、先住民の知を担う人々の権威をより確かなものにすることもできる。 親族関係と物語の継承が食料安全保障、土地へのアクセス、気候移動を支える フィジーでは伝統的に、土地へのアクセスは、世代を超えて受け継がれてきた口承の歴史によって維持される親族制度を通じて管理されてきた。 コマ島の住民は移転するのではなく、別の土地へ定期的に出向いて作物を育てることで、気候変動の影響に対応している。 そうした土地を利用できるのは、祖先が築いた取り決めがあり、それが物語として語り継がれることによって、現在も生きたものとして受け継がれているからである。 海では、gonedau(漁民)としての役割によって、「Kana...

国連総会のもう一つの顔―国際政治の舞台にのぞくユーモア

【国連IPS=タリフ・ディーン】 今月下旬の国連総会の首脳級会合に向け、130人を超える各国首脳がニューヨークに集まる見通しだ。しかし、演壇から歯に衣着せぬ政治的発言が飛び出し、ニュースの見出しを飾ることは、そう多くない。193の加盟国で構成される国連総会の演説も、その後に開かれることのある記者会見も、大半は長々と続き、単調で退屈だ。とはいえ、数は少ないながらも例外はある。|英語版|| 2009年9月、リビアの指導者ムアンマル・カダフィが国連を訪れた際、英紙ガーディアンは、彼がニューヨークの国連ビルでつかんだ「15分間の名声」を、1時間40分にまで引き延ばしたと皮肉った。15分の持ち時間の6倍を超える長広舌に、運営側は頭を抱えたという。奇矯な振る舞い、強情さ、度を越した饒舌さ――カダフィは評判にたがわぬ姿を見せた。 驚く各国代表団を前に、国連の目的や活動原則を定めた国連憲章の写しを引き裂き、国連安全保障理事会(安保理)を、国際テロ組織アルカイダのようだと非難した。さらに、イラク戦争の責任を問い、ジョージ・W・ブッシュ前米大統領とトニー・ブレア元英首相を裁判にかけるよう求めた。 アフリカに植民地主義がもたらした惨禍への賠償として、7兆7000億ドルも要求した。さらには、豚インフルエンザは軍事研究所でつくられた生物兵器ではないかという疑いまで口にした。 余談だが、ある報道によれば、カダフィの名前には112通りもの表記があったという。Muammar el-Qaddafi、Muammar Gaddafi、Muammar al-Gathafi、Moammar el Kazzafi、Moamar Gaddafiなど、枚挙にいとまがない。 米紙ウォール・ストリート・ジャーナルは、この表記の乱立をからかう風刺漫画を掲載した。リビアの首都トリポリで単独インタビューに臨む記者が、カダフィにこう尋ねる。「編集長に言われて来たんです。あなたはQaddafiなのか、Khaddafiなのか、Gadafiなのか、Qathafiなのか、それともKadhafiなのか、確かめてこいと。」 米国とソビエト連邦(ソ連)が対立した冷戦のさなか、1960年10月の国連総会でも、忘れがたい応酬が繰り広げられた。ただし、ソ連と直接やり合ったのは米国ではなく、当時その緊密な同盟国とみなされていたフィリピンだった。 フィリピン代表のロレンソ・スムロンは、ソ連を厳しく非難した。「東欧などの人々は、市民的・政治的権利を自由に行使することを奪われ、いわばソ連にのみ込まれている。」これに激怒したのが、ソ連代表団を率いていたニキータ・フルシチョフ首相だった。スムロンを「まぬけ」「操り人形」「下僕」、さらには「アメリカ帝国主義のごますり」と罵倒したのである。今日の国連総会や安保理では、めったに聞かれない言葉だ。北朝鮮のおなじみの決まり文句、「帝国主義の走狗」さえ、かすんでしまう。 フルシチョフといえば、議事進行について発言する機会を求め、脱いだ靴で机をたたき続けたという逸話も、長く語り継がれている。ただし、実際の動作や経緯については証言が食い違い、流布した写真の真偽も含めて議論が続いてきた。 これとは別の日、同年9月29日には、英国のハロルド・マクミラン首相が演説中、フルシチョフの怒声にさえぎられた。マクミランは議長に向かい、こう切り返した。「差し支えなければ、今の発言を通訳していただきたいのですが。」と。議場は大きな笑いに包まれた。 現在、国連の演説は、アラビア語、中国語、英語、フランス語、ロシア語、スペイン語の6つの公用語に同時通訳される。もっとも、靴で机をたたく音までは通訳してもらえない。 ウガンダの指導者イディ・アミンには、こんな言い間違いの逸話もある。国連総会で英国のエドワード・ヒース首相を褒めようとして、「まるでアドルフ・ヒトラーのような人物だ」と述べ、慌てて、言いたかったのはウィンストン・チャーチルだと訂正したというのである。ナチス・ドイツの独裁者と、第二次世界大戦中に英国を率いた首相を取り違えてしまったわけだ。 2006年9月19日には、タイのタクシン・シナワット首相が国連総会で演説するためニューヨークに滞在している間に、本国で軍事クーデターが起き、政権を追われた。帰国すれば汚職容疑で訴追されるおそれがあったタクシンは、タイには戻らずロンドンへ向かい、事実上の亡命生活に入った。 民主的に選ばれたタイ政府を倒したこの無血クーデターにより、米国は、東南アジアの長年の同盟国との軍事関係の見直しと、援助の一部停止を迫られた。当時、隣国ミャンマーの軍事政権に対する国連制裁を求めていたブッシュ政権は、タイのクーデターを、この地域における民主主義の「後退」と位置づけた。 だとすれば、国連総会に出席する首脳にとって、自らの政権を守る最も確実な方法は、陸海空軍の司令官をはじめ、軍幹部を全員、国連代表団に加えてしまうことだ。そうすれば、彼らは総会議場で自分の目の届くところにいる。本国でクーデターを起こし、政権を奪う心配もない、というわけである。 国連総会の会期中、国連本部4階にあるIPSの事務所には、国連で活動する解放運動の代表者たちが、折に触れて集まっていた。パレスチナの民族解放運動を担うパレスチナ解放機構(PLO)や、東ティモールの独立運動を主導した東ティモール独立革命戦線(フレティリン)の関係者たちだ。 常連の一人が、フレティリンが樹立した亡命政府の外相に任じられたジョゼ・ラモス=ホルタだった。後に1996年のノーベル平和賞を受賞し、2007年から2012年まで東ティモールの大統領を務めた。 彼について、広く知られた逸話がある。 ある晩、ラモス=ホルタが、国連近くにある各国代表団なじみのレストランで食事をしていると、ウェイターが丁寧に出身国を尋ねた。彼は誇らしげに、イースト・ティモール(東ティモール)出身だと答えた。旧ポルトガル領で、1975年から1999年までインドネシアの支配下に置かれていた国だ。 ところが、地理に疎いウェイターは、こう聞き返した。「では、エスキモーの方ですか?」「いやいや、違います」とラモス=ホルタは答えた。「私はエスキモーではありません。イースト・ティモールという国の出身です」 ラモス=ホルタは、2012年に1期目の大統領任期を終えた後、2013年1月、西アフリカのギニアビサウを担当する国連事務総長特別代表に任命され、国連ギニアビサウ平和構築統合事務所の代表も務めた。 その後、国連本部近くのファースト・アベニューで彼に会った際、私はこの逸話が本当なのか、本人に確かめてみた。実際にあったことだという。私たちは二人で大いに笑った。 ある警備担当官は、こんな出来事を振り返っている。アフリカのある国の首相が国連総会で演説していたとき、アフリカ出身の学生たちが傍聴席からヤジを飛ばした。いつもの手順に従い、学生たちは議場の外へ連れ出され、事情を聴かれ、写真を撮られたうえで、国連施設への立ち入りを禁じられた。ところが約5年後、その学生の一人が国連に戻ってきた。今度は自国の外相として、総会の演壇に立ったのである。 カダフィ以外にも、革命やクーデターを経て国を率いた指導者たちが、国連総会で演説している。キューバのフィデル・カストロ、マリのアマドゥ・トゥーレ、ガーナのジェリー・ローリングスらだ。 トゥーレは1991年のクーデターで権力を握った後、民主的な選挙で選ばれた大統領となった。ローリングスも1979年に権力を掌握し、その政権下では過去の国家元首らが処刑されたが、後には民主的な選挙で選ばれた文民大統領を務めた。 PLO議長ヤーセル・アラファトが国連総会の演壇に立った一方で、世界で大きな物議を醸してきた指導者の中には、そこで演説したことのない人物もいる。イラクのサダム・フセイン、シリアのハーフィズ・アル=アサドと息子のバッシャール・アル=アサド、北朝鮮の金日成と孫の金正恩らだ。 1964年、キューバの指導者カストロの右腕として知られ、強烈なカリスマ性を備えたエルネスト・チェ・ゲバラが国連総会で演説した際には、国連本部が文字どおり攻撃された。アルゼンチン生まれのマルクス主義革命家が演壇に立っている最中に、爆発音が響き、その声に重なった。だが、ゲバラは演説を中断しなかった。 米国内の反カストロ勢力は、ゲバラの国連訪問に激しく反発していた。ニューヨークのファースト・アベニューと42丁目付近の国連本部前では、カストロとゲバラに抗議するデモが行われていた。 そのさなか、国連本部に面するイースト・リバーの対岸から、国連事務局ビルに向けて口径3.5インチのバズーカ砲が発射された。携帯式のロケット砲である。しかし、ロケット弾は標的を外れ、国連本部側の岸から約200ヤード(約180メートル)離れた川面に落ちて爆発した。爆風で本部の窓ガラスが震えたものの、建物への直撃は免れた。 ある新聞は、この一件を「国連が1952年にイースト・リバー沿いの本部に移転して以来、最も常軌を逸した出来事の一つ。」と評した。 国連の古参職員たちが語り継いできたこの襲撃事件は、ゲバラが米国の外交政策を痛烈に批判し、西半球(南北アメリカ地域)の非核化をめぐる条約案にも異議を唱えていた最中に起きた。国連本部を標的とする、政治的動機に基づいたテロ攻撃の初期の事例の一つだった。 総会演説の後、自分を狙った攻撃について尋ねられたゲバラは、キューバ産の葉巻を手に、こう冗談を飛ばした。「この爆発で、話にひと味加わったね。」この日、ナイフを持った女性が国連本部への侵入を図り、ニューヨーク市警に逮捕される事件も起きていた。反カストロ派のキューバ人亡命者とされるこの女性は、狩猟用ナイフでゲバラを殺害しようとしていたという。 襲撃を企てたのが女性だったと知ると、ゲバラはこう言った。「銃を持った男に殺されるより、ナイフを持った女に殺される方がまだましだ。」 本稿には、インター・プレス・サービス(IPS)通信社のシニア・エディター、タリフ・ディーンの著書『No Comment—and Don’t...