Breaking
|視点|9・11と「アメリカン・ドリーム」の終焉(ロベルト・サビオIPS創設者)
【ローマINPS Japan/IPS=ロベルト・サビオ】
2001年9月11日、私はニューヨークにいた。コンサルタント契約を結んでいた国際連語を訪れるため、当時、私は頻繁にニューヨークを訪れていた。その朝、イタリアからのフライトによる時差ぼけもあって寝過ごし、目を覚ましたのは午前11時ごろだった。宿泊していたのは、国連本部からほど近いホテルだった。|英語版|
ロビーに下りると、スタッフから宿泊客まで、誰もが異常なほど取り乱していることに驚いた。顔見知りのベルボーイに声をかけようとしたが、彼は返事もせず走り去った。そこでフロントへ向かったが、全員が電話にかかりきりで、誰も私に注意を払わない。
ようやく顔見知りの一人が言った。「ツインタワーが攻撃された!」そう言うと、彼女も慌ただしく走り去った。
その瞬間、ジャーナリストの職業的本能に駆られた私は、タクシーを拾って現場へ向かおうと外に出た。しかし、通りはほとんど無人だった。車は一台も見当たらず、わずかにいた通行人も走っていた。おそらく皆、自宅へ戻ろうとしていたのだろう。
そこで私は、残された唯一の賢明な選択をした。テレビを見ることである。
映像は明白で、そして凄惨だった。しかし、キャスターたちは何が起きているのか全く分からず、私がそれまで見たこともないほど混乱していた。
事故ではなく攻撃であることは明らかだった。しかし、誰が? なぜ?
私の記憶では、CBSやNBCの報道から伝わってきたのは、米国は世界の多くの国々を支援してきたはずなのに、なぜこれほどの憎しみを向けられるのか、そして冷戦が終わった今、この憎しみはいったいどこから来るのか、という深い困惑だった。
攻撃当日、そして翌日、ニューヨークは都市としての機能をほとんど失った。通りから人影が消え、商店もレストランもスーパーマーケットも閉まった。公共交通機関も大きく混乱していた。
私のホテルではスタッフの多くが出勤できなかったため、管理職の人々が即席のサンドイッチを作った。それが宿泊客に提供できる数少ない食事だった。誰もが自宅にこもり、衝撃を受け止めようとし、予測不能な危険を避けながら、テレビを見続けていた。
空から落下していく人々、灰に覆われたオフィスワーカーや消防士たち―そうした凄惨な映像に加え、事件の全体像を示す数字やデータが次第に伝えられるようになった。
そして、あの数日間に「アメリカン・ドリーム」は消え去った。
米国は第二次世界大戦後、世界の圧倒的な大国となった。冷戦期にはソ連という対抗勢力が存在したものの、多くの米国人にとって、自国は自由、民主主義、繁栄を体現する国だった。
戦後ヨーロッパの復興を支えたのも米国だった。歴史的には西洋世界の中心だったヨーロッパも、戦後の国際秩序の中では米国との同盟関係を軸に再建された。米国による開発援助もまた、世界各地で重要な役割を果たした。
しかし、こうした自国像は米国民の集合的な想像の中で大きく膨らみ、現実との隔たりも生じていた。9・11の少し前に報じられた世論調査でも、一般の米国人は、政府が実際よりはるかに多くの資金を海外援助に使っていると考えていた。
当時、人々を支配していた感情は「信じられない」というものだった。
米国人は戦争や虐殺、さまざまな暴力について、新聞で読み、テレビで見てきた。自国の兵士が戦争に参加している時でさえ、その多くは遠く離れた場所で起きている出来事だった。
もちろん、米国がそれまで攻撃を経験していなかったわけではない。しかし、多くの米国人にとって、自国の大都市の中心部がこれほど大規模な攻撃の舞台になることは、ほとんど想像の外にあった。
それが現実に起きたという事実は、国家が国民の安全を必ず守ってくれるという信頼を揺さぶった。その後の戦争や政治的・経済的混乱と相まって、こうした不信は次第に深まり、今日の米国政治を形づくる重要な要素の一つになっていく。
アメリカン・ドリームがどのように徐々に色あせていったのかを本格的に分析するには、ここで与えられた紙幅では到底足りない。
それでも、私たちが知っていた米国を徐々に覆い隠し、ドナルド・トランプとイーロン・マスクに象徴される今日の米国へと変えていった一本一本の糸を、ここでたどってみたい。
まず、1980年代を振り返る必要がある。この時期に起きた一連の変化は、世界全体に大きな意味を持っただけでなく、米国内にも重大な影響を及ぼした。
その象徴的な出来事の一つが、1981年にメキシコのカンクンで開催された南北サミットだった。
私はこの首脳会議で広報を担当し、会議を内側から見ていた。当時を代表する国家首脳が集まり、インディラ・ガンジーからフランソワ・ミッテラン、ジュリウス・ニエレレ、ピエール・トルドーに至るまで、多くの指導者が国際協力を強化する必要性を訴えた。
一方、就任間もないロナルド・レーガン大統領が打ち出したのは、それまでとは明らかに異なるアプローチだった。私が会議の内側から受け止めた彼のメッセージは、国連を中心とした包括的な政治交渉に政策を委ねるよりも、各国自身の責任と選択を重視し、市場の自由と個人の活力を開発の原動力とする、というものだった。
1980年代を通じて、世界経済の考え方そのものにも大きな転換が起きた。
市場自由化、民営化、規制緩和、財政規律を重視する政策潮流が強まり、1989年には経済学者ジョン・ウィリアムソンが、ワシントンの政策機関の間でラテンアメリカ向けに広く共有されていると考えた一連の政策を「ワシントン・コンセンサス」と名づけた。
その後、この言葉は本来の定義を超え、市場原理を重視する新自由主義的な政策全般を象徴する言葉として広く使われるようになった。
グローバル化と国際競争が加速する中、多くの製造業が人件費の安い国々へ生産拠点を移した。米国内では、それまで中産階級を支えてきた多くの製造業の雇用が失われた。特に地方や旧工業地帯では、経済的に取り残されたという感覚が蓄積していった。
そして9・11が起きた。
米国はアフガニスタンで20年にわたる戦争を続け、2021年に撤退した。その間、2003年にはイラクに侵攻し、米軍は2011年に同国から主要部隊を撤収した。イラクでは国家機構の崩壊、宗派対立、アルカイダ系組織の活動、さらにシリア内戦など複数の要因が重なり、その後ISISが台頭する環境が形成された。中東全域の不安定化はさらに深まった。
この時期、米国人は自国が無敵ではないことを改めて思い知らされた。
ベトナム戦争のトラウマを克服したはずの世界最強の軍事大国が、圧倒的な軍事力を投入しても、政治的安定や持続可能な秩序を容易には築けない現実が明らかになったのである。
ブラウン大学の「Costs of War」プロジェクトによれば、アフガニスタンやイラクなどを含む9・11後の一連の戦争と対テロ政策に伴う米国の費用は、累計で約8兆ドルに達した。
しかし私の考えでは、アメリカン・ドリームに決定的な打撃を与えたのは、その数年後に起きた2008年の金融危機だった。そしてこの時もまた、私は偶然、その出来事を間近で目撃することになった。
金融市場では長年にわたって規制緩和と金融工学の高度化が進み、ますます複雑でリスクの高い取引が拡大していた。
1999年、ビル・クリントン政権下で成立したグラム=リーチ=ブライリー法によって、1933年銀行法、いわゆるグラス=スティーガル法が設けていた商業銀行と投資銀行の分離を支える主要な規制が撤廃された。
もちろん、これだけが2008年の金融危機を引き起こしたわけではない。金融サービスの統合や規制緩和は1999年以前から進んでおり、同法はそうした長期的な変化を象徴する出来事の一つだった。
2008年、住宅市場と複雑な金融商品を背景に膨張していたバブルが崩壊した。ウォール街の象徴だったリーマン・ブラザーズが破綻し、危機は米国から世界へと波及した。
多くの米国人が住宅、貯蓄、雇用に深刻な打撃を受けた。年金資産も危機にさらされた。その一方で、1980年代以降、労働組合の交渉力は低下し、実質賃金の伸び悩みや雇用の不安定化が続いていた。
多くの人々が不安定な雇用やパートタイム労働に追い込まれ、生活を維持するために複数の仕事を掛け持ちする人も珍しくなくなった。こうして、「政治や経済のエリートは、自分たちの現実の暮らしを理解していない。」という不信が広がっていった。
そして移民が、その不満を向ける対象にされるようになる。「移民が自分の仕事を奪う」「学校や病院の負担を増やす」「犯罪を増やす」―そうした主張が政治の中で力を持つようになった。
この挫折感と怒りは、後のトランプ現象を理解するうえで欠かすことのできない背景となる。
政治だけではない。宗教もまた、米国社会の変化に重要な役割を果たしてきた。
米国の福音派、とりわけ保守的な福音派は大きな政治勢力を形成している。その一部では、個人の成功、自己責任、小さな政府を重視する政治思想と宗教的価値観が強く結びついている。また、保守的福音派の一部には、聖書の終末論的解釈を背景に、イスラエルへの強固な支持を示す人々もいる。
こうした環境の中で、スティーブ・バノンらが唱えたナショナリズムや主権国家主義も広がった。近年では、イーロン・マスクをはじめとするテクノロジー界の有力者が政治に直接的な影響力を行使するようになり、従来の左右の政治対立だけでは捉えきれない反体制的な潮流も強まっている。
カトリック保守派の政治的存在感も高まり、J・D・ヴァンス副大統領はその象徴的な人物の一人となった。
経済的・社会的な不安を抱える人々が少なくない一方で、途方もない富がごく少数の人々に集中している。この対照そのものが、既存の政治・経済システムに対する不信をさらに深めている。
そこに通信技術の革命が重なった。
2004年にフェイスブック、2005年にレディット、2006年にツイッターが登場した。突然、何百万人もの米国人が、大手メディアを介さずに互いに直接つながることが可能になった。
私自身、かつてはインターネットの熱烈な支持者の一人だった。
しかし、「これから重要なのは、知っていることではない。どこを探せばよいかを知っていることだ」という趣旨の言葉を耳にした時、私は強い不安を覚えた。
何かを見つけても、それを自分自身の知識として身につけていなければ、ガチョウの羽を流れ落ちる水のように、何も残らないのではないか。より大きな問題は、インターネットの主要なサービスが、公共財としてではなく、利益を生み出すビジネスとして発展したことだった。
膨大な情報があふれる中で、いかに利用者の注意を引き、画面の前につなぎ止めるかが重要になった。その結果、センセーショナルで、感情を刺激し、驚きを与える情報ほど拡散されやすい環境が生まれた。
そこを虚偽情報や偏向した情報、陰謀論が利用した。かつてなら限られた場所で語られていただけの荒唐無稽な考えが、インターネットという巨大な拡声器を通じて、一瞬のうちに社会全体へ広がるようになった。その影響を最も効果的に利用したのが、政治的・思想的な過激派だった。
さらに近年では、若者の孤立やオンライン空間への依存をめぐる懸念が高まっている。
人と直接交流する代わりに、インターネットの仮想世界に長時間とどまり、今では人工知能(AI)を友人や助言者のように利用する人々も現れている。
これは、社会より個人を重視する伝統が強い米国に、新たな問いを突きつけている。
国家の縮小を「自由」と考え、税金を個人の労働の成果に対する過度な介入と捉え、医療などの社会保障政策を「社会主義」と結びつけて警戒する政治思想も、依然として強い影響力を持っている。
もちろん、米国社会ではこうした流れに対する反動も起きている。ニューヨークでは、自らを民主社会主義者と位置づけるゾーラン・マムダニが市長となり、ほかにも公然と進歩主義的な政策を掲げる政治家が登場している。
しかし、それは同時に激しい政治的分極化を伴っている。
互いを政治的な競争相手ではなく、国家や社会に対する脅威として語る言説が広がり、国民的合意へ向かう道筋は容易には見えてこない。
トランプは民主党やその政策をしばしば「共産主義的」と非難する。
政治は、社会の異なる意見を調整する仕組みであると同時に、今や社会を分断する強力な装置にもなっている。
未来は、かつての「夢のアメリカ」への単純な回帰には見えない。
オサマ・ビンラディンは、ツインタワーを破壊した時、自らの攻撃がその後これほど長く、複雑な連鎖を生み出すことになるとは想像もしなかっただろう。
しかし、9・11の遺産は戦争や政治だけで測られるものではない。私たちがもはや特別なことだとさえ認識しなくなった、日常の何気ない行動にも刻み込まれている。
9・11を契機として、航空保安は段階的に強化された。その後のテロ未遂事件などを受け、靴やベルトを外す検査、液体物の制限、スキャナーによる検査などが次々と加わった。
今日、空港に出発のかなり前に到着し、長い列に並んで保安検査を受けることに驚く人はいない。若い世代にとって、それはまるで自然法則のようなものだ。彼らは「それ以前」の世界を知らないからである。
かつては、今よりはるかに短い時間でチェックインを済ませ、そのまま搭乗口へ向かうことができた。その世界は、9月のある朝を境に変わり、二度と元には戻らなかった。
これこそが、テロリズムの最も静かな勝利なのかもしれない。テロは私たちの思想を変えただけではない。私たちの習慣を変えた。そして、かつて別の習慣があったことさえ思い出せなくなるほど、その変化を日常の一部にしてしまったのである。
さらに、このメカニズムが米国内だけにとどまらなかったことも考える必要がある。
異なる歴史と社会的背景の中ではあるものの、欧州でもグローバル化、市場原理、移民、国家主権、そして既存の政治制度への不信をめぐる対立が深まってきた。
1992年に締結されたマーストリヒト条約は、現在の欧州連合(EU)を形づくる重要な基礎となった。その後EUは経済統合だけでなく、社会政策、人権、環境など幅広い領域に政策を発展させてきた。しかし、加盟国とEU機関の間で、どこまで権限を共有すべきかという問いは消えていない。
むしろ近年、各国で国家主権や国境管理を重視する政治勢力が台頭し、EU統合のあり方そのものが改めて問われている。今後、欧州の主要国で行われる選挙の結果は、EUの方向性にも大きな影響を与えるだろう。
もしこうした国々で主権国家主義勢力がさらに伸長するなら、トランプを「異常な存在」と見てきたヨーロッパ人自身が、皮肉にも彼が望んできた方向―EUの結束を内側から弱める方向―へ進むことになりかねない。
INPS Japan
関連記事:
なぜ今、「世界市民」がこれまで以上に重要なのか
アルカイダ、タリバン、そしてアフガニスタンの悲劇
|視点|ローマ宣言の先へ―AIと核兵器の時代に築く「ローマ・プロセス」(浅霧勝浩INPS Japan理事長)
国連人権高等弁務官の再任、投票が映した国際社会の亀裂
【ブリュッセルIPS=サミュエル・キング】
2026年7月24日、国連総会はフォルカー・テュルク国連人権高等弁務官をさらに4年間の任期で再任した。反対票を投じたのは、イスラエル、ロシア、米国など、わずか10カ国だった。|英語版|
テュルク氏はオーストリア出身の法律家で、コソボでの現地勤務から国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)、そして現在のジュネーブでの職務に至るまで、キャリアのほぼすべてを国連機関で積んできた。
そのため、2022年10月に人権高等弁務官に就任した当初は、歴代の高等弁務官に比べて慎重な姿勢を取るのではないかとの懸念もあった。しかし実際には、強大な国々による人権侵害についても声を上げてきた。
ロシアによるウクライナへの全面侵攻を批判し、米国の移民収容施設で相次いだ死亡事案について調査を求め、イスラエルによるガザでの残虐行為も非難してきた。一方で、イスラエルのガザでの行為を「ジェノサイド」と明言していないことや、中国、とりわけ新疆ウイグル自治区のウイグル人をめぐる状況について十分に声を上げていないとの批判も受けている。
今回の再任により、テュルク氏は1993年に同職が創設されて以来、初めて2期8年の任期を完全に務める人物となる見通しだ。
初期の人権高等弁務官の1人であるメアリー・ロビンソン氏も続投を望んでいた。しかし、9・11同時多発テロ後の米国による軍事介入や、2001年の国連「反人種主義世界会議」(ダーバン会議)をめぐる同氏の立場に米国が強く反発したため、任期延長は1年間にとどまった。
ダーバン会議ではイスラエル・パレスチナ問題が大きく取り上げられ、これに抗議したイスラエルと米国が会議から退席している。
現在、国連の人権制度全体が深刻な資金危機に直面しており、組織の継続性を確保することの重要性は増している。
国際秩序全般、とりわけ人権機関に対する米国の攻勢の一環として、国連機関への資金拠出が削減・停止されたことで、国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)は深刻な財政難に陥っている。職員削減を余儀なくされ、人権侵害が起きている国々で活動する能力も低下している。
こうした困難な時期に高等弁務官ポストが空席となったり、後任選びをめぐって対立が長期化したりすれば、さらなる混乱を招くことになっただろう。
急ぎ進められ、異論を呼んだ再任手続き
今回の投票は突然持ち上がり、手続きも急ピッチで進められた。
アントニオ・グテーレス国連事務総長は、公募や公開の選考手続きを行わず、加盟国にも十分な検討時間を与えないまま、テュルク氏を再任する意向を各国に伝えた。グテーレス氏の2期目の任期が今年で終了することを考えれば、この措置には、次期事務総長に判断を委ねることを避けるとともに、再任への反対が広がる前に決着をつけたいとの意図があったとみられる。
大半の加盟国はこれを受け入れたが、米国は反発した。
米国は協議が不十分だったとして、直ちに投票の延期を求めた。欧州連合(EU)を代表して発言したアイルランドは米国の動議に反対し、延期案は63票対27票で否決された。米国代表は、この手続きを「典型的な国連の身内びいき」と非難。グテーレス事務総長が密室で取引を行ったと主張し、「相応の結果を招くことになる」と警告した。
一方、ロシアは別の手段に出た。テュルク氏の任期を2026年末までのわずか81日間だけ延長し、最終的な判断を次期事務総長に委ねる案を提出したのである。しかし、この提案も71票対19票で否決された。
テュルク氏の再任に反対票を投じたのは、アルゼンチン、ブルキナファソ、イスラエル、マリ、ニカラグア、ニジェール、北朝鮮、ロシア、トリニダード・トバゴ、米国の10カ国だった。その顔ぶれには、アルゼンチンやイスラエルのように米国と緊密な関係にある国々に加え、北朝鮮や、近年一つの勢力として連携を強めているサヘル地域の軍政3カ国など、ロシアと歩調を合わせる国々が含まれている。
トランプ政権下では、米国とロシアが同じ投票行動を取ることも、もはや驚くべきことではない。反対した国々の多くは、ニカラグアを含め、組織的な人権侵害を指摘されている。ロシアと北朝鮮はいずれも人権侵害に対する責任追及に強く抵抗している。米国はとりわけ、対イラン戦争や移民収容施設での死亡事案をめぐるテュルク氏の批判に反発していた。イスラエルはOHCHRについて、「10月7日の残虐行為を消し去り、国連の中立性を裏切った」と非難した。
一方、テュルク氏に反対するとみられていた国々の中にも、再任を支持した国があった。
再任に賛成した144カ国には、コンゴ民主共和国、スーダン、シリアも含まれている。いずれも現在、国連による厳しい人権監視の対象となっている国々だ。これは、特定の人権監視の仕組みに反発しているからといって、必ずしも国連の人権制度全体に敵対しているわけではないことを示している。また、国連から厳しい監視を受けている国であっても、OHCHRとの実務的な関係を維持することに一定の価値を見いだしている場合があることを示唆している。
脆弱さを増す国連の人権制度
13カ国が棄権し、26カ国が投票に参加しなかったことにも注目する必要がある。
その一部は手続き上の理由によるものだった。エクアドルとパラグアイは後に、検討するための時間がもっと必要だったと説明している。ペルーは、次期事務総長の裁量を狭めることへの懸念を棄権の理由として挙げた。ただし、その判断には、1980年から2000年まで続いた武力紛争の際に重大な人権侵害に関与したとされる治安部隊関係者に恩赦を与える法律など、ペルーの人権状況をテュルク氏が最近批判したことも影響していた可能性がある。
イラク、ニュージーランド、韓国、スリランカ、ウガンダも棄権した。
ニュージーランド政府は、その判断について「政策上ではなく、手続き上の理由によるもの」と説明した。しかし国内では強い批判を招いた。とりわけ、同国が最近、パレスチナ国家の承認を見送ったこともあり、反発は大きかった。
投票で明確な態度を示さなかった小国の中には、強大な国々から経済的あるいは政治的な圧力を受け、沈黙を選んだ国もあった可能性がある。また、明確な立場を示した場合に生じ得る不利益から自国を守るだけの力がないと判断した国もあっただろう。
つまり今回の投票は、人権高等弁務官への支持の度合いを示すだけでなく、各国、とりわけ小国が国際社会で置かれている脆弱な立場を映し出したものともいえる。強大な国々が国際秩序の中でますます力を振りかざすようになるなか、小国は、いつ明確な立場を取ることができ、いつ沈黙せざるを得ないのかを慎重に見極めなければならなくなっている。
再任がもたらした「継続性」
今回の再任によって、少なくとも当面、制度的な継続性は確保された。そしてテュルク氏自身も、その継続性を何のために生かすのかを明確にしている。
6月の演説でテュルク氏は、現在世界で起きていることを「国際法に対する前例のない、恥知らずな攻撃」と表現し、それが甚大な人的被害を引き起こしていると警告した。そのうえで、国際社会は基本原則を見失ってはならないと強調し、世界人権宣言と主要な人権条約は「これまで以上に重要になっている」と訴えた。
近隣で首脳会議を開いていたG7に向けたメッセージも明快だった。人権を単なる付け足しとして扱うのではなく、安定をもたらす力として議論の中心に据えるべきだ、というものだ。
しかし、正統性や道義的権威だけでは、OHCHRの活動資金を賄うことはできない。今後4年間、テュルク氏は、国連の人権保護機関を弱体化させようとする中国、ロシア、米国からの圧力に立ち向かわなければならない。
そして今回、テュルク氏の再任を支持した144カ国には、その一票を具体的な行動へとつなげる責任がある。
各国はOHCHRに十分な資金を確保するとともに、棄権した国々、とりわけ圧力や報復への懸念から棄権した国々を、人権制度を支える側に取り込んでいく必要がある。
人権を守るための国際社会の集団的な意思が、今なお力を持っていることを示さなければならない。
サミュエル・キングは、市民社会組織の国際ネットワーク「CIVICUS:市民参加のための世界同盟」で、欧州連合(EU)の研究・イノベーション枠組み「ホライズン・ヨーロッパ」の助成を受ける研究プロジェクト「ENSURED:移行期の世界における協力の形成」に携わる研究員。
INPS Japan/IPS UN Bureau Report
関連記事:
国連報告書、詐欺拠点に人身取引された人々への重大虐待を詳述
アルビニズムの人たちに対する恐ろしい攻撃が報じられる
2030年以降に向けた人権を中心に据えた変革的アジェンダを目指して
スポンジ・ボブの海底都市に集まった180万人―ミームが映すエジプトのデジタル政治
【ニューヨークINPS Japan/ATN=アハメド・ファティ】
指導者はいない。組織もない。あるのはミームと風刺、そして圧倒的な拡散のスピードだけだ。|英語版|
約180万人のエジプト人が、アニメ『スポンジ・ボブ』に登場する架空の海底都市を舞台にしたFacebookグループへと集まった。
単なるデジタル上のジョークとして始まったこの現象は、現代のエジプト社会における集団表現のあり方、そして政治権力がそうした新しいつながりをどう受け止めているのかについて、思いがけない問いを投げかけている。
約200万人のエジプト人が、架空の海底都市へ足を踏み入れた。ところが、その物語は思いがけず、海の上にある「権力」について、極めて現実的なことを教えてくれる結果となった。
私は昨年、Z世代が抗議運動の「基本ソフト」をどのように書き換えているのかについて分析記事を書いた。そこで指摘したのは、従来の抗議運動の「振り付け」が変わったということだ。
カリスマ的な指導者はいない。本部もない。誰も読まないような分厚いマニフェストもない。内部に潜入されたり、幹部を逮捕されたり、あるいは政府との交渉に引き出されたりするような、従来型の政党組織も存在しない。
代わって登場した新しい公式は、「分散化」「ミーム」「スピード」である。
デジタル空間に小さな火花が散る。ひとつの冗談。ひとつのハッシュタグ。ひとつの共有された不満。
そして政府が「いったい誰がこの集まりを組織したのか」と問い始めるころには、すでに何十万人もの人々がそこに集まっている。
当時、私は実際の抗議運動について書いていた。まさか、その「エジプト編」をスポンジ・ボブが提供することになるとは思わなかった。
しかし、実際にそうなったのである。
海底に出現した「エジプトの町」
8月、エジプトで「カーア・アル=ハムール住民の苦情」と名付けられたFacebookグループが登場した。「カーア・アル=ハムール」は、アニメ『スポンジ・ボブ』で主人公と仲間たちが暮らす架空の海底都市「ビキニタウン」のアラビア語名である。
発想は、ばかばかしいほど単純で、それゆえに見事だった。エジプト人たちは、「もしビキニタウンがエジプトの町だったら」という設定で遊び始めたのである。当然のことながら、数日もしないうちに、その町には現実のエジプト社会でおなじみの問題が次々と持ち込まれた。
物価への不満。仕事の悩み。学校への苦情。大家とのトラブル。近所付き合い。
商店も開業し、架空の役人も登場した。官僚的なお知らせも次々と投稿された。
人々は人工知能(AI)を使って、エジプトの日常生活を海底世界に再現した。
どうやら海の底に逃げても、役所の書類仕事からは逃れられないらしい。
ところが、その単なるジョークを巨大な社会現象に変えることが起きた。人々が押し寄せたのである。
それも、驚くほど大量に。
グループは2週間足らずで約180万人のメンバーを集め、投稿は数万件に達した。
著名人や公人も次々と参加し、この架空の海底都市の「住民」を演じ始めた。8月23日には、グループは59日間の一時停止措置となり、再開予定日は10月22日と表示された。そして、この時点でスポンジ・ボブは思いがけず、エジプト政治の世界へ迷い込むことになった。
政治運動ではない、それでも180万人が集まった
このグループ自体が政治的だったわけではない。デモを呼びかけていたわけでもない。革命のマニフェストもない。政治組織でもない。
誰もパトリックをタハリール広場へ向かうデモの先頭に立たせようとしていたわけではない。それでも、200万人近い人々が一つの場所に自発的に集まった。
省庁が招集したわけではない。政党が組織したわけでもない。政府主催の青年会議がバスや弁当を用意したわけでもない。
そして、そもそも誰が率いているのかさえ、はっきりしなかった。
誰が何を組織しているのかを常に把握することに慣れた政治体制にとって、そこに不安の種が生まれる。現地報道では、治安当局がグループ管理者の経歴や思想的傾向を調べていると伝えられた。その後、論争が広がるなかで、管理者側は活動を停止した。
ただし、エジプト当局が閉鎖を命じたという公式な確認はない。それを事実として断定するのは適切ではない。しかし、公式な説明が何であったか以上に興味深いことがある。
エジプト人が、治安当局がスポンジ・ボブのジョークを投稿するFacebookグループを調べているかもしれないと聞いても、さほど驚かなかったことである。
そこに、この話の本質がある。
「自分の影」にさえ怯える権力
アブデル・ファッターフ・エルシーシ大統領の下で12年。現在のエジプトは、近代史上でも極めて中央集権的な政治体制を築いている。
大統領権限は強大だ。治安機構も強大である。組織的な反対勢力は分裂している。街頭デモはまれだ。かつて大規模な動員力を持っていたムスリム同胞団も、国内政治勢力としては事実上解体された。
政権が今にも崩壊しそうで、必死に権力にしがみついているという状況ではない。それでも時折、体制は、あまりに神経質になって「自分の影にさえ怯える」人を表す昔ながらのエジプトの表現そのもののように振る舞う。
12年がたち、今度はどうやら海の底まで調べなければならなくなったらしい。しかし、カーア・アル=ハムールに注目すべき、さらに重要な理由がある。この現象が、私が昨年指摘した新世代の行動様式にほぼ完全に当てはまっているからだ。
新しい世代は、上から下ではなく、横につながる。明確に「組織する」ことなく、組織化されていく。ユーモアを、誰もが理解できる共通言語へ変える。そして、官僚機構が追いつけない速度で動く。
私は以前、この新しい異議申し立ての「基本ソフト」を、「分散化」「ミーム化」「スピード」という3つの特徴で説明した。カーア・アル=ハムールは、抗議運動になることなく、その3つすべてを実演してみせた。
だからこそ興味深いのである。
「指導者は誰だ」「本部はどこだ」
呼び出すべき指導者はいない。組織図もない。分析すべきイデオロギーもない。明確な政治的アジェンダもない。ただ何百万人もの人々が、同じデジタルジョークを共有しているだけである。
治安当局の分析報告書を想像してみよう。「指導者は誰か?」誰にも分からない。「本部はどこか?」ビキニタウン。「イカルドの資金源は?」調査中。
「カーニさんは外国から資金提供を受けているのか?」まあ、彼の商売のやり方を考えれば、調べる価値はあるかもしれない。
「パトリックに政治的所属はあるのか?」不明。
もっとも、彼の知的能力なら、いくつかの上級職に就く資格は十分ありそうだ。風刺は勝手に出来上がる。
しかし、そこから浮かび上がる政治的な教訓は笑い話では済まない。
政治的な意味は別の場所へ移っていく
エジプト当局は長年、オンライン上の表現のかなりの部分を、治安や法律の問題として扱ってきた。
ヒューマン・ライツ・ウォッチによれば、2025年の取り締まりでは、少なくとも29人のオンライン・コンテンツ制作者が逮捕または起訴された。
その中には、「公序良俗」や「家族の価値」といった幅広く解釈可能な容疑が適用されたケースも含まれている。
こうした環境では、人々はすぐに一つのことを学ぶ。
真剣な政治的発言が危険になれば、その政治的意味は別の場所へと移っていくのである。
歌へ。サッカーの応援歌へ。TikTok動画へ。ミームへ。皮肉へ。そして時には、もともと政治とは何の関係もなかった空間にまで流れ込んでいく。
だからといって、カーア・アル=ハムールを抵抗運動と見なすべきではない。
あらゆるバイラルなジョークを「アラブの春」の続編として解釈する誘惑には抗う必要がある。
大半の人々が参加した理由は、単純に面白かったからだ。
エジプト社会における「笑い」の力
しかしエジプトで、ユーモアは決して単なる娯楽ではなかった。それは社会の圧力を逃がす弁であり、非公式の新聞であり、ときには国民的な心の防衛手段でもある。エジプト人は、泣き続けていたのでは時間がかかりすぎるようなことを、笑い飛ばす。
そしてZ世代は、その本能をいわば「産業化」した。印刷機はいらない。必ずしも政党も必要ない。必要なのはスマートフォンとアルゴリズム、そして皆が加工し、共有したくなるほど突拍子もない何かだけである。
これは、政治的な組織化を従来型の組織構造で理解してきた政府にとって厄介な問題を生む。事務所なら閉鎖できる。議長なら逮捕できる。デモなら禁止できる。しかし、ミームとはどう交渉すればいいのか。
皮肉をどう尋問するのか。そして「反対勢力」がスポンジ・ボブだった場合、いったい誰が降伏文書に署名するのか。
「誰が背後にいるのか」
だが、さらに興味深い問いは、これほど強固な権力基盤を持つ政府が、なぜそこまで気にするのかということだ。政治体制の自信は、選挙結果や警察力、制度への支配だけで測られるものではない。時には、「放っておけること」こそが自信の表れになる。
200万人近い国民が、ばかばかしいジョークをめぐって集まっているのを見て、「まあ、単に楽しんでいるだけなのだろう」と判断できることだ。
すべての群衆が陰謀なのではない。すべての管理者が活動家なのでもない。すべての冗談の裏に革命が隠れているわけでもない。そして、あらゆるデジタル現象について、エジプト政治で何度となく繰り返されてきた問いを発する必要もない。
「背後にいるのは誰だ?」時には、本当に誰もいない。
そして、それこそが新しいデジタル時代を、旧来型の政治システムにとってこれほど理解しにくいものにしているのかもしれない。
私は昨年、Z世代は革命を起こしているというより、既存システムを「デバッグ」しているのだと書いた。だがカーア・アル=ハムールは、それとは少し違う可能性を示している。時には彼らは、何かをデバッグしようとすらしていない。ただ笑っているだけなのだ。
しかし、管理されていない人々の集まりすべてに政治的な意味を探すことに慣れた国家にとっては、笑い声さえ疑わしく聞こえ始める。
そして政権発足から12年が過ぎた今、問うべき居心地の悪い問題は、エジプト人が海の底で何をしているのかではないのかもしれない。
むしろ問われるべきなのは、上から見張っている側が、海の底から何かが浮上してくることを、なぜいまだにこれほど恐れているのかということである。
INPS Japan
関連記事:
デジタル時代に抗議を再定義するZ世代(アハメド・ファティATN国連特派員・編集長)
「アラブの春」はフェイスブック革命ではない(エマド・ミケイ:スタンフォード大学フェロー)
|国際報道の自由デー|政府に狙われるジャーナリストとネチズン
キルギスの発電所停止で4カ国が停電に
8月14日の大規模停電が浮き彫りにした中央アジア共通電力網の脆弱性
【The Astana Times=ソビル・クルバノフ、アメル・メトヤヒッチ】
8月14日午後2時37分ごろ、アルマトイの地下鉄が停止し、信号機の明かりが消えた。引き金となったのは、キルギスのトクトグル水力発電所で発生した2基の発電ユニットの停止だった。年間でも電力需要が最も高まる時期に、中央アジアの電力網から約600メガワットの供給力が失われたのである。|英語版|
その数分後には、カザフスタン、キルギス、ウズベキスタン、タジキスタンの各地で消費者が停電に見舞われた。
ロイター通信は同日午後、地域全体で同時多発的な停電が発生したと報じた。その後の調査で、トクトグル水力発電所の300メガワット級ユニット2基の停止が発端だったことが判明した。
キルギス・エネルギー省は8月17日、技術的な不具合があったことを認めた一方で、その後に近隣諸国で発生した事態については責任を否定した。しかしその時点で、より広範な崩壊を防ぐため、緊急保護装置がカザフスタン南部地域を中央アジア統一電力システムから切り離していた。その代償として、地域最大級の都市を含む広い範囲で停電が発生した。
個別のインフラ障害そのものより重要なのは、それが明らかにした構造的な問題である。一国の一つの発電所で起きた停止が、4カ国の数百万人の消費者に影響を及ぼした。その影響を運んだのは、老朽化し、気候ストレス、急増する電力需要、そして脆弱な地域調整によってすでに圧力を受けていた電力システムだった。
しかも中央アジアは現在、ハイパースケールの人工知能(AI)データセンターを含むデジタルインフラの誘致先として自らを位置づけようとしている。こうした施設は、都市一つ分の需要に匹敵する数百メガワット規模の電力を、継続的に消費する。
「昨日の送電網」で動く今日の中央アジア
中央アジアは、異なる時代のために設計された相互接続型の電力網を受け継いだ。ソ連時代、中央アジアの5共和国は独立した国家電力網としてではなく、一つの統合電力システムとして運用されるよう設計されていた。その仕組みは、季節ごとの精密な電力交換に依存していた。
夏には、キルギスとタジキスタンが雪解け水や貯水池の放流を利用して水力発電を行い、電力を輸出した。冬には、カザフスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタンが石炭火力やガス火力による電力を供給し、上流国が水を温存できるようにした。
しかし1991年のソ連崩壊後、商業上の対立、投資不足、そして2003年にトルクメニスタンが地域電力網から離脱し、イランと同期運用することを決めたことにより、地域協調は弱まった。
その影響は、2007年から2008年にかけての冬に表面化した。極寒、低水位、近隣諸国からの供給停止が重なり、タジキスタンは氷点下の気温のなかで深刻な電力危機に陥った。その後、ウズベキスタンは2009年12月に地域システムから完全に離脱し、国境を越える緊急事態に対処するための計画が欠如していることが露呈した。
その後、ウズベキスタンは電力網に復帰し、協力も大幅に改善した。しかし、基盤となるインフラの多くは更新されないままだ。
氷河の融解や河川流量の変動は水力発電の利用可能性を低下させているが、今年の問題は水不足ではなかった。キルギス・エネルギー省は、トクトグル貯水池には秋から冬にかけてタービンを通常運転するのに十分な水量があると推定していた。
今回の不具合はむしろ、このシステムが設計された時代の気候条件を超える高温ストレスによって発生した。極端な夏の暑さにより、複数の国で同時に季節的な電力需要のピークに近づき、変圧器の冷却効率が低下した。機器の温度が安全限界に近づくと、損傷を防ぐために保護システムが発電機を切り離した。
高温と高い電力使用量が重なったことで、高圧送電線は熱膨張してたわみ、送電線事故のリスクも高まった。トクトグルで突然600メガワットの供給が失われると、その不足分は電力網全体に波及し、他の部分に過負荷を生じさせた。
何に投資すべきか
キルギスの水力発電でカザフスタンの明かりを灯すことを可能にしている同じシステムが、キルギスで起きた障害によってその明かりを消すことも可能にしている。
カザフスタンは需要ピーク時にロシアからの電力輸入に依存しており、2027年までに自国の発電能力を拡大し、そうした輸入を終える計画を立てている。しかし、それだけではインフラ問題の解決にはならない。
地域の発電所や送電インフラの大部分は数十年前に建設されたもので、有効寿命の終わりに近づいている。必要なのは、設備更新、制御システム、予備供給力への投資である。
基本的な設備更新には、老朽化した火力・水力発電所の改修、過負荷状態にある変圧器や変電所の交換、そしてそれらをつなぐ高圧送電線の近代化が含まれる。
幸い、中央アジア電力網の運用上の中枢であるタシケントの調整給電センター「エネルギヤ」では、世界銀行の支援を受けて制御システムの近代化が進められている。
現代の給電運用には、不安定化が停電へと発展する前にそれを検知するため、リアルタイム監視、予測分析、自動化された非常時解析が不可欠である。しかし、既存の地域システムでは、こうした機能の多くがまだ限定的である。
8月14日のような事態の再発を防ぐには、大型発電ユニットの喪失を吸収できる地域全体の予備供給力を拡大することが極めて重要である。
「2026〜2032年の需給見通し」は、2032年までに発電量が消費量を上回ることを示す資料としてよく引用される。しかし、これは年間を通じたエネルギー量の比較であり、ピーク負荷の時間帯における供給力を示すものではない。その観点では、約3ギガワットの不足は解消されないままである。
蓄電は、この不足の一部を埋めることができ、すでにその効果も試されている。ウズベキスタン・エネルギー省は、最近導入されたエネルギー貯蔵システムが8月14日の混乱による国内への影響を抑えたと説明している。カザフスタンも同じ方向へ進みつつある。法案では、開発事業者が保証された供給可能容量を入札する容量市場オークションの創設が盛り込まれている。
効率化は、大規模に実施できる最も安価な選択肢である。効率改善によって、本来であれば新設しなければならなかった供給力を解放でき、新たな発電能力から得られる効果も高まる。産業設備の近代化、古い建物の断熱改修、老朽化した暖房・冷房システムの更新は、季節的ピーク時の負荷を下げ、高額な新規供給力への投資を先送りすることを可能にする。
電力網に先行して到来するデータセンター
カザフスタンは、AI時代への世界的な移行を成長機会として取り込もうとしており、その投資 commitments は急速に拡大している。
2026年6月にカシムジョマルト・トカエフ大統領が承認した「デジタル・カザフスタン」戦略のもと、NVIDIAとFirebird.aiは、エキバストゥズの「データセンター・バレー」を拠点とする100億ドル規模の投資パッケージに署名した。また、英国を拠点とするコンソーシアムJMOT04は、200メガワット規模の施設と、それに電力を供給する250メガワットのガス火力発電所を建設する覚書に署名した。
すでに締結された合意だけで、新たな電力負荷は約650メガワットに達している。さらに、ナスダック上場企業SuperX AI Technologyとの間で進められている1ギガワット規模のプロジェクト協議がまとまれば、その規模は2倍以上に膨らむ。
問題は立地である。カザフスタンの「2026〜2032年需給見通し」に示された地域別表では、エキバストゥズを含む北部地域は公式には余剰地域とされている。一方、シムケントやアルマトイを含む南部地域は大幅な不足地域である。
北から南へ電力を送ることでこの不足を埋める場合、北部の公式な余剰は実質的な不足へと変わる。つまり、カザフスタンのデータセンター建設計画は、表面上は余剰電力があるように見える地域に立地しているにすぎない。
S&Pグローバルによれば、カザフスタンの電力網への投資不足は、収益性の問題である。長年にわたり、消費者価格を低く抑えることを重視した料金政策が続いたため、低い収益率と予測しにくい価格が民間投資の意欲をそいできた。
最近の法改正により、料金決定は、カザフスタン最大の発電事業者であるサムルク・エネルゴの所有者も参加する委員会を通じて行われることになった。これにより、料金決定が発電事業者の経済性により配慮したものになる可能性がある。
繰り返す価値があるのは、JMOT04型の仕組みである。新たな大規模データセンターには、既存の公共電力網に依存するのではなく、専用の発電設備、蓄電設備、変電所への投資を義務づけるべきである。
自ら電源を持つ施設であれば、南部がすでに当てにしている余剰電力を奪うことはない。その条件が満たされるなら、エキバストゥズは不適切な立地ではなく、むしろ適切な立地となる。そしてカザフスタンは、AIブームを利用して、いずれにせよ必要としている発電投資を呼び込むことができる。
運用協定の必要性
世界銀行の予測では、中央アジア全体の電力需要は、人口増加と急速な経済発展により、2050年までに3倍に増える可能性がある。
技術投資だけでリスクを取り除くことは難しい。地域には、通常時と緊急時の双方において相互接続システムをどのように運用するかについて、新たな政治的合意も必要である。
通常時の運用には、国境を越える電力潮流に関する透明な計画、共同の投資計画、そして調整された緊急時対応手順が含まれるべきである。
中央アジアの相互接続は、大きな強みでもある。それは国境を越えて多様なエネルギー資源を融通し合うことを可能にするからだ。今後10年の課題は、この電力網を地域全体で強化することである。
8月14日は、意図せざるストレステストとなった。電力は数時間以内に復旧した。しかし、一つの地域的な障害がなぜ4つの国境を越えて広がったのかという問いは、発電所そのものではなく、システム全体に向けられるべき未解決の問題である。
投資が1年遅れるごとに、次の局地的な障害が地域規模の障害へと拡大する可能性は高まる。
ソビル・クルバノフとアメル・メトヤヒッチは、Nightingale Int. networkの専門家・フェローである。
本記事で表明された見解および意見は筆者のものであり、必ずしもThe...

