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米国/イスラエルによる対イラン爆撃―国際法軽視のケーススタディ

【米カリフォルニア州オークランドIPS=ジャクリーン・カバッソ、ジョン・バローズ】 「『エピック・フューリー』作戦は、トランプ大統領の“壮大な癇癪”とも言うべき衝動が、取り巻きによって増幅され、現実の武力行使として実行に移されたものだ。影響は地域にとどまらず、世界の平和と安全保障、国際経済、そして第二次世界大戦後の国際法秩序を揺るがしかねない。」 米国/イスラエルによるイラン爆撃は、国際法の基本規則を明白に踏みにじっている。国連憲章第2条4項が禁じる「いかなる国の領土保全又は政治的独立に対する武力による威嚇又は武力の行使」に反し、イランの主権を侵害するものである。 米国とイスラエルが、差し迫った武力攻撃に対する自衛権の行使として行動しているとする説明には、説得力がない。まして体制転換(レジーム・チェンジ)は武力行使の正当化になり得ない。国家の政治的独立を尊重するという原則に、真正面から反するからである。 国連のアントニオ・グテーレス事務総長は、安全保障理事会の外で記者団に対し、米国によるイラン爆撃を「危険なエスカレーション」と表現した。「私は本日、米国がイランに対して武力を行使したことに深い懸念を抱いている。すでに瀬戸際にある地域での危険なエスカレーションであり、国際の平和と安全に対する直接の脅威である。」と事務総長は述べ、軍事的解決はないとの立場を改めて強調した。 とりわけ目立つのは、トランプ政権が多国間メカニズムを活用したり、国際法を根拠としたりするための真剣な努力をほとんど示していない点である。政権は、その行動と国際法への軽視によって、冷戦終結後ほぼ30年にわたり進んできた武力行使をめぐる基本規範の侵食を、さらに加速させている。 武力行使を形式的に制限してきた法的枠組みの弱体化は、長期にわたって進行してきた。21世紀に入ってからは、とりわけ大国が国際法や国際機関をいっそう軽視し、大規模な戦争に踏み切る事例が、衝撃的なかたちで繰り返されてきた。 最初の大きな例が、2003年の米国によるイラク侵攻である。90年代にイラク周辺で続いた長期かつ大規模な米軍展開、そして2001年のアフガニスタン侵攻・占領が、その下地となった。トランプ政権とは異なり、ジョージ・W・ブッシュ政権は少なくとも国際法上の根拠を示そうとはした。だが、戦争の正当化は虚偽に基づいていた。 次いで、ロシアによる2014年のクリミア併合、そして2022年のウクライナ全面侵攻が起きた。いずれも国際法上の正当化を欠いていた。今世紀にはほかにも、たとえば最近、米国がベネズエラに侵攻し大統領を拉致するために行動したように、侵略とみなし得る事例がある。だが、イラクをめぐる米国の行動、ウクライナにおけるロシアの行動、そして米国/イスラエルの対イラン爆撃は、武力行使をめぐる規範の侵食という観点で、とりわけ重大な転換点である。 イランの核開発をめぐって言えば、爆撃前には、自衛権を主張し得るような状況は存在しなかった。一般に、イランが長年にわたりウラン濃縮能力を維持してきたのは、将来のどこかで核兵器取得という「選択肢」を温存する意図もあったとみられる。だが、実際に取得へ踏み切った形跡はなかった。 しかも、2015年に苦心の交渉で成立した「包括的共同行動計画(JCPOA)」―イランの核計画に実効的かつ検証可能な制約を課した国際合意――から、一方的に離脱したのは、第一次トランプ政権下の米国である。 イランの核計画を論じる際、イスラエルが強固な核兵器庫を有している事実は、しばしば正面から扱われない。長期的にみれば、一部の国家には核兵器の保有を認め、他の国家にはそれを否定するという状態を維持することは現実的ではない。北朝鮮のように核拡散が現実化したケースであれ、イランのように潜在的拡散が懸念されるケースであれ、最も根本的な対処は、核兵器の世界的廃絶に向けて迅速に歩を進めることである。 もう一つの、少なくとも部分的な対応策は、新たな非核兵器地帯を地域に構築することである。中東でも、実際にその試みが進められてきた。核不拡散条約(NPT)の枠内でも国連においても、中東非核兵器地帯の交渉開始に向けた真剣な努力が続けられてきた。イランはその交渉への参加に前向きだった。 しかし、イスラエルと米国はこれらの取り組みをボイコットしてきた。これは、彼らが「脅威となるイランの核開発を止めるために行動している」と主張する際、その正当性を大きく損なう。 では、この状況にどう対応すべきか。 第一に、イラン侵攻は違法な侵略として非難されるべきであり、国連憲章が定める基本規範は、少なくとも将来のために守られなければならない。 第二に、世界はいま大きな変化の只中にあることを認識すべきである。その特徴は、権威主義的ナショナリズムの再興にある。権威主義的な民族ナショナリズム勢力が、核保有国を含む多くの国で政権を握るか、あるいは有力な政治勢力となっている。 課題の性質を直視する現実的な視点が必要であり、より公正で民主的かつ平和的なポスト・ナショナリズムの世界に向けて、新たな発想と革新的なアドボカシーと政治の形が求められている。(原文へ) ジャクリーン・カバッソは米カリフォルニア州オークランドの西部諸州法律財団事務局長(Western States Legal Foundation)事務局長。ジョン・バローズは同財団理事。 IPS UN Bureau 関連記事: 核廃絶を求める私たちこそがグローバル・マジョリティーだ。(ジャクリーン・カバッソ西部諸州法律財団事務局長) 安全保障理事会に亀裂、地域は緊張状態:イスラエルとイランの衝突で外交力が試される 「ならず者国家」が憲章を無視し、戦争犯罪をエスカレートさせる中、国連は麻痺状態が続く

国連が直面しているのは予算危機か―それとも指導力の危機か―あるいは両方か

【ニューヨークIPS=アンワルル・K・チョウドリー】 2025年2月、今から1年前のことだ。国連のアントニオ・グテーレス事務総長は報道陣へのブリーフィングの冒頭で、「まず、過去48時間に国連機関や多くの人道・開発NGOに届いた情報について、深い懸念を表明したい。米国が資金拠出を大幅に削減するという内容だ。」と述べ、警鐘を鳴らした。事務総長は続けて、「その影響は、世界中の脆弱な人々にとって特に壊滅的なものとなるだろう。」と語った。 UN80イニシアチブ――改革か圧力か その予算危機は、国連創設80周年を口実に掲げた「UN80イニシアチブ」という改革アジェンダによって、当面は先送りされようとした。資金繰りの逼迫に追い立てられて打ち出された、いわば体裁づくろいの改革である。 国連システムの構造改革とプログラム改革は、少なくとも過去4人の事務総長の時代から長年の課題とされてきた。だが、頭字語の変更、マンデートの拡張、組織の微調整、そして近年では職員の移転といった措置を除けば、目立った成果はほとんど見られない。 財政破綻への警鐘 今年1月末、事務総長は全加盟国宛ての書簡で、国連の通常予算の手元資金が7月までに底を突く可能性があると指摘し、業務運営に重大な支障が生じ得ると警告した。さらに、「差し迫った財政破綻」を回避するため、同様の事態を防ぐ国連の財政ルールを抜本的に見直すよう加盟国に求めた。 なぜ今になって、加盟国に具体的な行動を迫るのか。2025年2月に自ら危機を訴えた時点で、なぜ同じだけ踏み込んだ要請をしなかったのか。 これは、オオカミが来たと叫び続けた少年の寓話を思い起こさせる。 権限の限界を嘆く―権力も資金もない グテーレス事務総長は過去に報道陣に対し、次のように語っている。「国連事務総長の権限が非常に限られているのは事実であり、財源を動員する能力もきわめて乏しい。つまり、権力もなく、資金もない」。 これは、すべての事務総長が直面し、十分承知してきた現実である。国連を継続的に追い、その複雑な機能を理解する人々にとっても周知の事実だ。 それでもなお、なぜこの現実は、国連指導部が与えられた責務を果たせない局面に限って、改めて公の場に持ち出されるのか。 私は、事務総長の「非常に限られた権限」は、国連とその最高指導部に過度の期待が寄せられないよう、繰り返し明示されるべきだと考える。私の知る限り、歴代の事務総長は、選出に向けた過程や就任時に、こうした制約を正面から語ってこなかった。 グテーレス事務総長も例外ではない。2017年の就任時点で、指導力の「限界」としてではなく、むしろ職務遂行上の「障害」として、これらの制約を事実として示していれば、より現実的で誠実だったはずだ。にもかかわらず、在任9年近くを経た2026年になって初めて、この点が強調されている。世界の「最重要外交官」が抱える構造的弱点―行動を縛る制度的制約―は、以前から変わらず存在してきたのである。 統制か撤退か 米国が、財政的影響力を梃子に国連の機能不全を脅しとして用いているのではないか、と見る向きもある。 米国は拒否権という強大な権限を持ち、国連システムの運営予算への拠出でも約4分の1を担ってきた。国連憲章を改正し、真に民主的な組織へ作り替えない限り、この構造は直視せざるを得ない。国連指導部も加盟国も、この現実を前提に対応すべきである。 米国は長年、法的に支払うべき拠出金を分割で納める方式をとってきた。事務総長もその事情を理解し、事実上受け入れてきた。狙いは、分割払いの局面ごとに見返りを引き出しつつ、拠出金未納による投票権停止を回避することにある。 私は、米国は国連から「撤退」するのではなく、「統制」を通じて国連を自国流に使おうとしているのだと考える。 国連のトップに女性を こうした文脈において、私は改めて強調したい。国連は創設から80年を経たにもかかわらず、世界の最高外交官として9人続けて男性を選んできた。2026年に現職の後継者を選出するにあたり、次期事務総長は女性であるべきだ。いま国連に求められているのは、そのための判断力と見識である。 いま必要なのは、創造的で官僚主義に縛られず、主体的かつ先見性を備えた指導力である。そうした真の変化がなければ、「オオカミ少年」症候群が国連の活動を揺るがし続け、人類全体の利益のために存在する最も普遍的な多国間機関としての使命が損なわれかねない。 アンワルル・K・チョウドリー氏は、元国連事務次長。バングラデシュの元国連常駐代表を務め、国連総会第5委員会(行政・予算委員会)委員長(1997~1998年)、国連安全保障理事会議長(2000年、2001年)、国連総会議長上級特別顧問(2011~2012年)などを歴任した。さらに、国連計画・調整委員会の副委員長も2期務めている。(原文へ) INPS Japan/IPS UN Bureau Report 関連記事: 米国の国際機関離脱、世界に警鐘 初の女性国連事務総長をどう選出するか:国連が直面する困難な課題 国連再編で事務局職員2600人超削減、予算15%削減の可能性

ホルムズ海峡危機で進む静かな同盟シフト―トランプ政権の論理に近づく日本と欧州

【ニューヨークATN=アハメド・ファティ】 ホルムズ海峡をめぐる同盟の変容は、同海峡への艦隊派遣によって始まったのではない。発端となったのは、一つの首脳会談である。ドナルド・トランプ米大統領が日本の高市早苗首相をホワイトハウスに迎えた際、焦点は、同盟国が海峡の安全確保に踏み込むのかどうかにあった。だが実際に浮かび上がったのは、より重大な変化だった。日本と欧州の主要国が、戦争そのものへの全面的な政治的責任を引き受けることなく、ホルムズ海峡をめぐる米国の戦略的論理へと静かに、しかし確実に歩み寄ったのである。重要なのは、まさにその点である。 トランプ氏のメッセージは明快だった。ホルムズ海峡に依存してエネルギーを輸入する国々は、その安全確保に応分の役割を果たすべきだ、というものだ。日本がその圧力の対象となるのは避けられなかった。欧州諸国も同様である。もっとも、両者にはそれに慎重にならざるを得ない理由があった。日本はなお、海外での武力行使に法的制約を抱えている。欧州にも、拡大しつつある米・イスラエルの軍事行動に巻き込まれることへの強い警戒感があった。首脳会談前、日本政府の立場は、慎重姿勢、法的自制、そして護衛任務への不参加というものだった。しかしワシントンは、その前提そのものを揺さぶった。 日本は海上自衛隊の派遣を発表したわけではない。米国主導の護衛艦隊に参加したわけでもない。法的な慎重姿勢を捨てたわけでもない。だが、日本政府は政治的には米国にとってより重要な一歩を踏み出した。危機に対する米国の捉え方を、従来以上に受け入れたのである。日本は事実上、「これは日本の戦争ではない」と距離を置く段階から、「これは航行の自由とエネルギー安全保障に対する重大な脅威であり、米国と緊密に連携すべき問題だ」と位置づける段階へ移った。同盟政治において、これは単なる表現の違いではない。立場の変化そのものである。 日本の報道からも明らかなように、高市首相はきわめて難しい舵取りを迫られていた。米国との決裂は避けなければならない一方で、国内の法的・政治的制約を超えることもできない。同時に、日本政府が見据えていたのはホルムズ海峡だけではなかった。より深い懸念は、米軍の関心と戦力が中東に振り向けられることで、対中抑止が弱まることにあった。つまり、これは単なる湾岸問題ではない。湾岸問題の形を取ったインド太平洋の問題だったのである。 欧州もまた、同様の方向に動いた。ただし、いつものように、実際以上に結束しているように装いながらである。欧州各国の当初の反応は、慎重というより抵抗に近かった。ブリュッセルでは、EUの海上安全保障態勢を調整すべきかどうかが検討されたものの、戦争に直接関与することへの意欲は乏しかった。欧州の当局者たちは、海上安全保障が進行中の空爆作戦と結びつけば、護衛任務が驚くほど容易に戦闘任務へと転化しかねないことを理解していた。 その後に出されたのが、あの声明である。 英国、フランス、ドイツ、オランダ、日本などは、「ホルムズ海峡の安全保障を改善するための適切な努力」に貢献する用意があると表明した。この「適切な努力」という表現が、すべてを支えていた。ワシントンを安心させるには十分に幅広く、各国政府が踏み込みすぎたと受け取られないようにするには十分に曖昧だったからである。その中身には、計画立案、監視、兵站、情報協力、制裁履行、エネルギー調整、さらには後になって、より都合のよい政治的隠れみのの下での海上展開まで含まれ得る。意図された曖昧さであり、この場合、曖昧さそのものが政策だった。 その中でも英国は、欧州大陸諸国より一歩先へ進んだ。ロンドンは、航行を脅かすイランのミサイル拠点への攻撃にあたり、米国による英軍基地の使用を認めた。これは単なる政治的支持ではなく、作戦上の支援である。一方、フランスは最も明確な慎重派として踏みとどまった。ホルムズ海峡の重要性は認めつつも、欧州の軍事力が米国とイスラエルによって形作られた戦闘環境に組み込まれるべきだという前提には抵抗した。この英仏政府の温度差こそ、欧州の実像をよく示している。統一でもなければ反乱でもない。そこにあるのは、複層的なためらいである。 では、ワシントンで何が起きたのか。 それは屈服ではなかった。反抗でもなかった。もっと捉えにくく、しかもより重要な変化だった。トランプ氏が得られなかったのは、テレビ映えする勝利である。艦隊派遣の発表もなければ、大々的な同盟国の誓約もなく、整然と従う同盟国の姿を示す写真もなかった。だが実際に得たのは、より現実的な成果だった。すなわち、徐々に進む接近である。日本は調整した。欧州も調整した。英国はより速く動いた。フランスは軍事的な帰結には抵抗しつつも、危機認識そのものは否定しなかった。同盟が実際に変化するとき、それはファンファーレとともに訪れるのではない。誰もが一時的措置だと言い張る半歩ずつの前進として進むのである。 より深い問題は、トランプ氏が、より苛烈な同盟政治のモデルを試している点にある。従来の構図では、米国が主導し、同盟国が支持を表明し、そして誰もが負担は共有されているかのように装っていた。だが新たな構図は、はるかに取引的で、礼儀も薄い。ワシントンがまず攻撃し、その後で、その余波に最もさらされる同盟国に対し、安定化のコストをより多く負担するよう求めるのである。日本はこの論理にとりわけ脆弱である。中東のエネルギーに大きく依存し、同時に米国の安全保障の傘にも深く依存しているからだ。 最もあり得る帰結は、同盟国の完全な足並みの一致を伴わない、選択的な負担分担である。日本は今後も、政治的には支持を示しつつ、軍事的には慎重姿勢を維持する可能性が高い。欧州は分裂したままだろう。英国は作戦上の支援役を果たし続けるかもしれない。フランスは、航行の安全保障を際限のない戦争と安易に結びつけることに引き続き抵抗するだろう。 しかし、より大きな変化はすでに見えている。日本はワシントンで屈服したわけではなく、欧州も足並みをそろえたわけではない。それでも両者は、自らが公に認める以上に、トランプ氏の戦略的論理へと近づいた。そこにこそ、この問題の本質がある。ホルムズ海峡を行き交う艦船は表層にすぎない。より深い現実は、湾岸の石油航路を舞台に、同盟そのものがいま再交渉されているという点にある。(原文へ) Original URL: https://www.amerinews.tv/posts/strait-of-hormuz-alliance-shift-what-changed-after-the-trump-takaichi-meeting INPS Japan 高市首相訪米へ イラン戦争の余波の中で問われる日米同盟の代償 中央アジア・日本首脳会合、トランス・カスピ回廊を後押し トカエフ大統領は核リスク再上昇に警鐘 世界的な水の破綻とイランの危機

「断絶」を修復するのに、貿易だけでは足りない

【カトマンズIPS=シモーネ・ガリンベルティ】 いま世界を覆う混乱と無秩序―覇権国同士の対立が深める亀裂―を乗り越えるのに、貿易だけで十分なのだろうか。地政学と国際関係は大きな転換点にある。カナダのマーク・カーニー首相が最近、「ルールに基づく多国間秩序」に生じた「断絶(rupture)」と呼んだような状況の中で、貿易はほとんど万能薬のように語られている。 だが本当に、欧州連合(EU)がメルコスールやインドと結んだような、新たな代替的通商パートナーシップだけが、予測不能さを増す米国政権と、自信過剰で野心を強める中国に対処する唯一の道なのだろうか。 カーニー首相は数週間前、ダボスで開かれた世界経済フォーラム(WEF)で演説し、カナダのような「ミドルパワー」が巨大な覇権国への依存を減らすための指針を示した。国境の南にいる横柄で予測不能、しかも権威主義化を強める大統領にどう向き合うか―そうした含意をにじませながら、天然資源を梃子にし、代替市場との貿易に大きく賭けることで、国家は選択肢を広げられるとの基本戦略を提示した。 貿易が、成熟経済だけでなくインドのような新興経済にも新たな選択肢を開くことは疑いようがない。EUも同様の方向へ舵を切り、新たな通商協定を、成長を促しつつ自らの強靱性を高める手段として用いている。もっとも、米国との良好な関係を維持せざるを得ないという現実は変わらない。だが、貿易に全面的に依存する「処方箋」も、いずれ壁に突き当たる。 短期的には、米国や中国の拡張的な動きをかわす―少なくとも回避を試みる―うえで、貿易は有効かもしれない。だが貿易にも限界がある。この新しい難局への包括的で長期的な対応には、政治的な手当てが不可欠だ。 貿易は、より広い政策ツールキットの一部として位置づけるべきである。各国は、近隣国との地域協力プロジェクトへの投資を拡大することを政策の中心に据える必要がある。強化された経済連携を通じて近隣国同士の政治的結び付きを深めることは、新しい国際地域主義への出発点となり得る。 しかし、二国間関係の経済的側面を活用するだけでは足りない。そこには、より大胆で、より包括的で、何より人々を鼓舞する構想が必要だ。経済の枠を超えた取り組みがあってこそ、既存の覇権国から尊重され、場合によっては競合し得る新たな政治的枠組みを構想する余地が生まれる。 第二次世界大戦後の欧州を思い浮かべればよい。貿易と経済が、地域協力のプロジェクトを下支えし、加速させた。やがて、当初は単なる経済的結社に過ぎなかった「対等な協力の成功例」―欧州経済共同体(EEC)は、より先見的で大胆な地域統合の構想へと変貌した。 だが、近年の米欧対立の局面で欧州が貶められた出来事が示すように、このプロジェクトはまだ完成していない。グローバル・サウスもグローバル・ノースも含め、各国が理解すべき点は明確だ。統合を経済に限定せず、政治・安全保障・技術・社会まで射程に入れた「より大きなビジョン」を掲げてこそ、外部に振り回されない自律を確保できる。 東南アジア諸国連合(ASEAN)や南部アフリカ開発共同体(SADC)のような地域協力枠組みを築くことは、加盟国が国内で市民からの正統性を保つうえでも、国際関係の領域で影響力を固めるうえでも、道を開き得る。だが、欧州の教訓は明確である。経済協力や、経済を基盤とした統合にも限界がある。 中国、ロシア、そして第2次トランプ政権下の米国―制約の少ない覇権国に対抗し得る梃子を国家に与えるのは、より大胆な統合プロジェクトへの明確な支持だけである。困難で気の遠くなる課題ではあるが、地域統合だけが、各国に一定の「集団的な力」を与え、相応の敬意を引き出し得る。ところが残念なことに、地域協力そのものが崩れている。 南米南部共同市場(メルコスール)は、EUとの貿易協定の署名で注目を集めた。だが、その協定はEUの「準立法機関」である欧州議会が採決によって事実上「凍結」し、適法性の判断を欧州司法裁判所(ECJ)に委ねる形となった。そもそもメルコスールは、政治的に統合された共同体には程遠い。南米諸国連合(UNASUR)の存在を覚えている者がどれほどいるだろうか。地域協力の模範と見なされてきたASEANですら、「中心性」が揺らぎ、信認を失いかねない状況にある。 アフリカでは、SADCの潜在力はしぼみ、最も有望で大胆な政治統合の試みとされた東アフリカ共同体(EAC)も、真の連邦―東アフリカ連邦―へと移行する構想が大きく失速した。 トランプ氏の自我と、それが生むドラマのせいで、EUはいま、自らの統合の軌道を再考せざるを得なくなっている。このままの速度と方向では、EUは足場を固められず、世界支配を競う覇権国が投げかける露骨な脅しや、見えにくい圧力、恐喝に対して、団結と結束を保ったまま対処することはできない。 EUは経済領域を超えて力を投射できなければならない。マリオ・ドラギ前イタリア首相(前欧州中央銀行総裁)は最近、ベルギーのルーヴェン・カトリック大学(KU Leuven)での講演で、同趣旨を語った。「力は、欧州が連合体(confederation)から連邦(federation)へ移行することを求める。」現状のままでは、欧州は生き残ることさえ想像できない、というのである。さらにドラギは、「これは、欧州が従属し、分断され、同時に脱工業化する危険を伴う未来だ。自らの利益を守れない欧州は、価値も長くは守れない」と警告した。 ダボスで遠慮なく語ったカーニー首相は評価されてよい。だが、多国間秩序に生じた断絶は、絆創膏のような対症療法では修復できない。貿易が重要であることに変わりはないとしても、それだけで断絶を縫い合わせ、つぎはぎできると信じるのは幻想である。貿易は強力だが不完全な解でしかない。 必要なのは、設計の段階から政治的プロジェクトを構築できる取り組みである。国民国家を中心に据えつつ、遠くない将来に、より大胆な政治的構想を展望できるような取り組みだ。EUの事実上の首都であるブリュッセルは、欧州政治プロジェクトを新たな段階へ跳躍させる青写真を、再び示し得る。より深い統合、そして不可避に連邦主義を含む形での結束を追求する段階である。 結局のところ、国家の地位を守る最善の方法は、新しい形の「共有主権」へ投資することだ。これはカナダのようなミドルパワーやEU加盟国だけの課題ではない。開発途上国も、この新秩序と向き合い、自国の存続が、限界を設けないほど野心的な地域協力の取り組みによってのみ保証されることを理解しなければならない。 とはいえ、カーニー首相とカナダにとって、地理は容赦がない。カナダが欧州、あるいはメキシコやカリブ海諸国と、いまは想像できないような恒久的な結び付きで結ばれる―そんな「想像できない関係」を構想することもできるのだろうか。(原文へ) シモーネ・ガリンベルティは、SDGs、若者中心の政策形成、より強くより良い国連について執筆している。 INPS Japan/IPS UN Bureau Report 関連記事: 緊迫感をもって国連の開発目標達成に努力すべき |ダボス会議|経済を凌駕する『力の政治』 NATO危機、EU停滞―いまこそ欧州は自立を