Error 404 - not found
We couldn't find what you're looking for. Browse our latest stories or try searching using the form below:
Browse our exclusive articles!
ESDが変える学び―サブサハラ・アフリカのSDG4への挑戦
【ナイロビLondon Post=ウィニー・カマウ】
サブサハラ・アフリカ(サハラ砂漠以南のアフリカ)は、世界でも特に人口が若く、増加ペースも最速級の地域である。その一方で、急速な人口構成の変化(子どもや若者の急増)や経済的な圧力、深刻化する気候変動の影響(干ばつや洪水など)を背景に、教育が大きな課題となっている。持続可能な開発目標(SDGs)の目標4(SDG4)は、2030年までに「すべての人に包摂的かつ公平で質の高い教育を提供し、生涯学習の機会を促進する」ことを掲げる。だが2025年末時点でも、達成に向けた進み具合には地域や国によって大きな差がある。就学率は長年にわたり拡大してきたものの、教育の質や「学んだことが力になる」実効性、そして公平性が追いつかず、貧困や脆弱性の連鎖を断ち切れていない。|ヒンディー語版|英語|
SDG4のターゲット4・7に位置づけられる「持続可能な開発のための教育(ESD)」は、学習者が持続可能性に関わる課題――環境を守ること、経済のしくみ、社会の公正さ――に向き合うための知識や技能だけでなく、価値観や態度も身につけることを目指す枠組みである。サブサハラ・アフリカでは、気候変動や食料不安、格差といった問題が日々の暮らしに直結し、教育現場にも影響する。ESDは、暗記中心になりがちな学びを、困難を乗り越える力や、自ら考えて選び行動する力を育てる学びへと転換する手がかりとなり得る。
もっとも、同地域の教育には大きな格差がある。近年のユネスコや国連の報告によれば、アフリカ全体で学校に通えていない子どもや思春期世代、若者は約1億1800万人に上り、その過半がサブサハラ・アフリカに集中しているとされる。就学前教育(幼児教育)への参加率は約48・6%にとどまり、世界平均を大きく下回る。学びの土台となる幼児期の基礎が十分に築けないまま、初等教育に入っている現状がうかがえる。初等教育の適齢期での修了率はおおむね62~65%で、中等教育ではさらに低下する。
学力面の遅れも深刻である。多くの国で、初等教育を終えるまでに、読み書きや算数・数学で最低限の水準(基礎的な到達度)に達する子どもは、10~58%にとどまる。教員不足も極めて深刻で、サブサハラ・アフリカでは2030年までに推計で約1500万人の新規教員が必要とされる。さらに初等教育教員の約40%は国内の資格基準を満たしておらず、訓練を受けた教員の割合も世界で最も低い水準(約65%)にある。
ジェンダー格差は初等段階では縮小する一方で、中等・高等段階、とりわけ理工系分野で再び拡大する傾向がある。背景には、貧困、児童労働、早婚、紛争に加え、文化的規範が女子に過大な負担を課している現実がある。
学校インフラも十分とは言いがたい。飲料水や衛生設備などは、地域によっては2016年以降に改善が進んだが、多くの学校で基礎的なサービスはなお不足している。
こうした課題に対し、ESDは教育を「社会や暮らしを変える力につながる学び」へと方向づけ、批判的思考(うのみにせず考える力)、問題解決、協働、そして持続可能性に向けた行動を促す。ユネスコの「ESD for 2030」(2030年に向けた国際枠組み)によれば、ESDはより公正な社会に向け、情報に基づいて判断し、意思決定する力を育むことを目指す。
サブサハラ・アフリカでは、気候変動の影響が就学そのものを直撃している。2024年には異常気象の影響で、数百万人規模で登校できない日が生じたとも報告されている。ESDは、干ばつに強い農業や生物多様性の保全、地域の防災力といった課題を授業に取り込み、教室の学びを現実の問題とつなぐ役割を果たし得る。
ESDを教育の中に広げる(主流化する)動きも進んでいる。2025年には、西・中部アフリカを対象にセネガルで実施された地域ワークショップなど、教育部門に限らず関係機関が連携してESDを拡大する取り組みが進展した。ボツワナ、南アフリカ、サヘル地域のプログラムでは、持続可能性を授業に取り込むための教員研修が進められ、教室の学びを、環境に配慮した農業や持続可能な産業づくりといった実社会の課題につなげる試みも広がっている。ESDは、気候変動対策(目標13)、ジェンダー平等(目標5)、不平等の是正(目標10)など、相互に結びつくSDGsの前進を後押しする。
しかし、前進を阻む構造的な壁は大きい。最大の要因は資金不足で、サブサハラ・アフリカはSDG4達成に必要とされる世界全体の年間資金不足(約970億~1000億ドル)の相当部分を占めるとされる。債務負担が重い国々では、教育よりも債務返済に支出を回さざるを得ない。教育予算も、多くの国で「GDP比4~6%」という目安に届いていない。
制度面の制約も大きい。過密なカリキュラムや試験偏重の仕組み、教員養成の不足は、ESDを後回しにしがちである。紛争や避難、洪水や干ばつなどの気候災害は学習を中断させ、結果として数百万人規模で通学を断念せざるを得ない状況を生む。デジタル環境の格差や教材・設備の不足も、誰一人取り残さない学びや新しい教育手法の導入を妨げている。さらに文化的な障壁に対応するには、地域に受け継がれてきた知恵や実践を生かし、ESDを現実に合う形に組み直すことが欠かせない。
アフリカの教育関係者は、現地の文脈に即した解決策の重要性を強調する。ジュリアス・アトゥフーラ博士は、就学の「量」を増やす段階から、「量に加えて質」を重視する段階へ軸足を移すべきだと指摘する。そのうえで、同じ制約の中でも例外的に成果を上げている教員の実践を分析し、他地域にも広げられる工夫を見いだす必要があるという。
ジュード・チカディビア・オンウニリマドゥ教授は、大学を教員養成の中核に据え、教育学研究と地域の識字向上を牽引すべきだと訴える。アミナ・K・ムテシ博士は、ESDを持続可能な農業や水資源管理など地域の暮らしの仕組みに根ざしたものにし、学びの「関連性」(学ぶ意味)を高める必要があると強調する。タボ・ンドロヴ教授は、知識の暗記ではなく、考え方や行動の変化につながる教え方を重視し、教員が革新と適応を促せるよう支えるべきだと述べる。
前進には大胆な行動が求められる。例えば、債務負担を軽くする代わりに教育など特定分野への投資を確保する仕組み(債務スワップ)といった新しい資金手法や、途上国の教育を支える国際的な資金・協力の枠組みを通じて、重点分野に資金が回る仕組みを強化すべきだ。カリキュラムも、知識量だけでなく「考える力」や協働、問題解決を重視し、教科横断でESDを組み込む方向へ改める必要がある。
教員については、大規模採用に加え、継続的な研修と待遇改善を通じて、現場が能力を発揮できる環境を整えることが欠かせない。奨学金や学校給食、安全な校舎、衛生設備の整備などにより、女子や農村部の子ども、紛争や災害などの危機の影響を受ける子どもたちを支える政策を強化し、格差に対応する必要がある。
地域協力も重要だ。アフリカ連合の長期ビジョン「アジェンダ2063」やサヘル地域の教員育成の取り組み、教育資源を共有するプラットフォームなどを通じて、教材やノウハウを共有し、各国が互いの経験を学び合えるようにする。あわせて、学習状況のデータを的確に把握し、成果を継続的に検証する仕組みも強化したい。デジタルツールは格差を広げないよう配慮しつつ活用することが求められる。さらに、洪水や猛暑といった気候災害に強い学校づくりや、地域に根ざした学びの場を整えることも欠かせない。
技術は新たな機会ももたらす。携帯端末を使った学習やラジオ教育は、遠隔地を含め学びの機会を広げる可能性がある。ただし、端末や通信、電力、費用といった利用環境の差がそのまま教育格差にならないよう、公平な導入が鍵となる。ESDは、技術が「人を中心にした持続可能な学び」を支える方向へ向かうよう、指針を与える。
2025年末時点で、サブサハラ・アフリカは2030年まで残り5年という岐路に立っている。ESDは、単なる就学者数の拡大にとどまらず、実社会の課題に対応できる学びへと教育を結び付ける。若者が気候危機を乗り越え、グリーン経済を担い、公正な社会を築く力を身につけるうえでも重要である。地域の現実に根ざし、教員が主導し、制度として支えられるなら、ESDはSDG4の達成を現実に近づけ、アフリカの次世代と地球の双方にとって、しなやかで持続可能な未来を育むだろう。(原文へ)
This article is brought to you...
ベネディクト16世の死去から3年。いま改めて、ほとんど語られてこなかった外交手腕を検証する。(ヴィクトル・ガエタン ナショナル・カトリック・レジスター紙シニア国際特派員)
【National Catholic Register/INPS JapanワシントンDC=ヴィクトル・ガエタン】
教皇ベネディクト16世の偉大さは疑いようがない。学識、謙虚さ、そして伝統的な典礼形式を高く位置づけて新しい世代の信徒にも語りかけたことなど、司牧上の的確な判断によって、彼は広く称賛されてきた。教皇在位中には、イエス・キリストの生涯と宣教を扱ったベストセラー三部作『ナザレのイエス』を刊行し、「知の巨人」としての評価を世界的に確立した。
だが、外交面での功績が語られることは多くない。
ベネディクト16世の「世俗的」な成果を正当に位置づけ直すことは、バチカンが長年にわたって続けてきた、目立たない国際活動の連続性を示すうえでも重要である。とりわけ価値が大きい領域は三つある。①キリスト教の諸教派の和解と協力を進める取り組み(エキュメニズム)の推進、②イランのシーア派指導者との関係強化、③ベトナムおよび中国との二国間関係の改善である。
キリスト教の諸教派の和解と協力を進める取り組み
ベネディクト教皇の下で、キリスト教の教派を超えた対話と協力(教派間対話)は着実に前進した。とくにギリシャ正教会、ロシア正教会(ROC)との関係改善は顕著である。在位8年の間に、他のキリスト教諸派との歴史的な溝を埋めようとする取り組みは、これまでになく進んだ。
こうした関係がいっそう重要になった背景には、三つの世界的潮流があった。第一に、とりわけ西側で進むキリスト教の周縁化。第二に、とりわけ中東で深刻化する教会と信徒への暴力。第三に、旧共産圏のロシアにおけるカトリックと正教会の緊張である。
2006年、ベネディクトはトルコのイスタンブールで全地総主教バルトロマイ1世と会談した。イスタンブールは、かつてコンスタンティノープル総主教座が置かれた正教会の歴史的中心地だが、現在では信徒数は数千人規模にまで減っている。教皇(正教会世界では「同輩中の第一」と位置づけられる)と全地総主教は、両教会がともに崇敬する元主教、聖ヨハネス・クリュソストモスと聖グレゴリオス・ナジアンゼンの聖遺物の前で祈りを捧げた。
滞在中、ベネディクトとバルトロメオ1世は共同声明に署名し、ヨハネ・パウロ2世の時代に中断していた「カトリック—正教会神学委員会」(双方の専門家による協議体)を再始動させた。両者はその後も、教派を超えた対話を継続した。
さらに大きな転機となったのは、ロシア正教会で新たな指導者が選出されたことである。スモレンスク・カリーニングラード府主教キリル(のちの総主教)の登場が、関係改善の流れを強めた。
ローマとモスクワ
ロシア正教会は、世界最大の正教会共同体である。カトリック教会とロシア正教会(ROC)—後者はクレムリンに近いとされる—の関係は、2002年に深刻な低迷を迎えた。ロシア当局が、シベリアで世界最大級の教区を率いていたポーランド人カトリック司教の再入国を拒否したためである。
この冷え込んだ関係を立て直す転機となったのが、ベネディクト16世の即位と、2009年のキリル総主教の選出だった。キリルは20年間、ROCで「外相」に当たる対外部門を率いており、ベネディクトは以前から面識があった。両者は、西側社会の不安定化をめぐる危機感を共有していた。全体主義や権威主義の抑圧を身をもって経験した彼らにとって、行き過ぎた世俗化は社会の揺らぎの兆しであり、新たな抑圧を招きかねないものに映った。さらに、急進的なイスラム主義が少数派キリスト教徒に及ぼす脅威にも警戒感を抱いていた。
両者の下で協力は拡大した。バチカンは「ロシア文化・霊性の日」を後援し、ROC側はベネディクトに献呈するローマでのコンサートを企画した。そして2009年、ベネディクトはロシア(国家)との外交関係を樹立した。
こうした意思疎通の改善は、ポーランドのカトリック教会とロシア正教会の関係にも影響を及ぼした。2012年、ベネディクトの勧めを受けて、ポーランドのローマ・カトリック司教団とロシア正教会総主教(4日間ポーランドを訪問)は共同声明に署名し、第二次世界大戦の惨禍を踏まえつつ、両国民に「相互の偏見」を乗り越えた和解を呼びかけた。この声明は、1965年の「ポーランド—ドイツ和解」の象徴的交換に着想を得たとされる。
ベネディクトがこの合意を重視したのは、教会が和解のモデルを示し得ることを示す事例になると考えたからだった。もっとも、2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻は、バチカンとモスクワの関係を冷却させた。それでも教皇フランシスコは、ヨハネ・パウロ2世以来積み上げてきた相互尊重の進展を守るため、ROCを一方的に悪者扱いすることは避けようとした。
ベネディクトとイランのシーア派指導部
聖座(教皇庁)とイランの外交関係は、1954年から続いている。
2006年12月27日、ベネディクト16世はマヌーチェル・モッタキ外相を含むイラン高官代表団と非公開で会談した。モッタキはアフマディネジャド大統領の書簡を教皇に手渡した。バチカンは内容を明らかにしなかったが、当時は国連が「ウラン濃縮停止に応じない」として対イラン制裁を科しており、核問題と結びついたやり取りだった可能性がある。ウィキリークスで公開されたバチカン市国発の米国務省公電は、この問題をめぐるバチカンの動きを米政府が注意深く追っていたことをうかがわせる。
神学者でもあったベネディクト16世は、シーア派イスラムが(教義は別として)実践面ではスンニ派よりキリスト教に近い、という見方があることも念頭に置いていた。モッタキとの会談から5か月を待たずに、教皇は元イラン大統領ともバチカンで会談する。名目は「文明間対話」だったが、教皇は原子力にも触れ、平和目的での原子力利用には権利があるとの趣旨を述べた。また、イランにおける宗教の自由にも言及した。
こうした「対話を重ねる姿勢」は、カトリック教会にとっては新しいものではない。源流は、第2バチカン公会議(教会が現代社会との関係を見直した世界会議)にある。のちにベネディクト16世となるラッツィンガー神父は当時、神学顧問として議論に関わった。公会議では、キリスト教徒とイスラム教徒が、ともにアブラハムの信仰に連なり、唯一で慈しみ深い神を礼拝し、終末の日の審判を信じるという共通点が確認された。さらに1965年の宣言『ノストラ・エターテ』(他宗教との関係を示した文書)は、過去の偏見を離れ、相互理解を進めるよう信徒に促した。こうした流れの延長線上で、2012年にはカトリックの聖職者とシーア派学者が、イランの聖地コムやナジャフで会談するなど、対話は具体的な形でも続いている。
西側諸国がイラン指導部を強く批判していた時期にも、ベネディクト16世がシーア派を含む他宗教共同体との関係を重視したことは、後にフランシスコ教皇が、とりわけイスラム世界の宗教指導者との対話に力点を置く外交を進めるうえでの土台にもなった。
ベトナムと中国
2008年、各国の聖座(教皇庁)駐在大使らとの年次会合で、ベネディクト16世は外交を「希望の技芸」と呼んだ。成果がすぐに見えなくても、何十年単位で粘り強く関係を築く。教会外交の特徴は、この言葉に象徴されている。
ベネディクト16世はアジアを歴訪しなかった(例外は大陸間国家のトルコ)。それでも、ベトナムや中国との関係では、重要な前進の糸口をつくった。
2005年7月、ベトナムの公式代表団がバチカンを訪問した。同じ週、サンピエトロ大聖堂でのミサでは、ハノイ大司教を含む32人の大司教が教会の手続きにより任命される場面もあった。さらに4か月後には、教皇庁で宣教を担当する部門の責任者級の枢機卿がハノイを訪れ、新たに57人の司祭を任命した。
ベトナムには約700万人のカトリック信徒がいる。この厚い信仰共同体が、共産主義体制の下でも信仰が途絶えなかった背景にある、とされる。
2007年1月には、グエン・タン・ズン首相が代表団を率いてローマを訪れ、教皇と会談した。社会主義共和国ベトナムの成立後、政府首脳が教皇と会うのは初めてだった。バチカンはこの会談を「新たで重要な一歩」と表現した。さらに10か月後には、ベトナム国家主席も初めてバチカンを訪問した。
1989年から2011年にかけて、聖座は17回にわたり代表団を派遣し、ベトナム国内の教区を訪れるなど、対話と現地交流を積み重ねた。その結果、ベトナムにおける教会活動の環境も徐々に広がった。節目となったのが、2011年1月の「非駐在の教皇代表」の任命である。常駐ではないが、教皇側の公式窓口を置くことで、政府との連絡を継続的に保てる。ベネディクト16世が築いた土台は、その後、フランシスコ教皇がハノイに常駐の教皇使節を置く流れへとつながった。
中国での和解
中国に関して、ベネディクト16世はバチカンの対中外交を大きく方向転換することはなかった。ただ一方で、中国政府や、いわゆる「愛国教会」に対して、対話を促す配慮ある働きかけを認め、関係者をローマに招くなどの対応も進めた。
2006年6月には、バチカン代表団が北京を訪れ、実務レベルの協議を行った。国際メディアが注目したのは、バチカンと北京の交渉の動きが、約5年ぶりに「表に見える形」で確認できたためである。協議はまず、連絡ルートを開くための慎重な試みだった。同じ頃、中国政府は国内最大の神学校を開設するなど、神学校整備を含む教会の基盤づくりも進めていた。
2007年1月、バチカンは内部会合を開き、中国の教会関係者を枢機卿から宣教師までローマに集めた。参加者には、ベネディクト16世が中国のカトリック信徒に宛てる書簡の草案をまとめた資料が配布された。
この書簡は、聖霊降臨祭(ペンテコステ)に「中華人民共和国のカトリック教会の司教、司祭、修道者など奉献生活者、ならびに信徒各位への 教皇ベネディクト16世の書簡」として公表された。そこでは、信者が一致に向けて歩むことが大きな目標として示された。
これは、ベネディクト16世の対中姿勢の中でも、外交的にも霊的にも最も重い「意思表示」だったと言える。書簡は緻密で明晰であり、寛大な精神に貫かれている。一方で脚注では、「愛国教会」は「カトリック教義と両立しない」と率直に退けてもいる。
書簡の公表から数か月後、関係改善をうかがわせる動きが見られた。北京の大司教が党幹部向けの病院で死去した後、中国政府はその要職に当局寄りの人物を据えるのではなく、ローマの事前承認を得ていた教区司祭ヨセフ・リー・シャン神父を任命した。北京出身で代々カトリックの家系に連なるリー神父は、海外経験はなく、国家管理下の愛国教会に対して時に異議を唱えることもあったため、信徒の間で支持を集めていた。
ベネディクト16世の書簡は、中国のカトリック信徒の一致という大目標に向けた重要な節目となった。そこでは、政府との協議を前提としつつも、最終的には教皇が司教を選び、その司教が教会を導くべきだという考え方が示されていた。
フランシスコ教皇は就任後まもなく、この流れを受けて取り組みを前に進めた。
十分に評価されてこなかったベネディクト16世の外交は、次の教皇職において、その成果が形となって表れていった。(原文へ)
INPS Japan
関連記事:
|バーレーン対話フォーラム|宗教指導者らが平和共存のための内省と行動を訴える
宗教指導者、アスタナ会議で対話と連帯を呼びかけ
ローマのコロッセオで宗教指導者が平和を訴える―戦争に引き裂かれた世界に向けた連帯の祈り
人々がいてこそ(クンダ・ディキシット ネパーリタイムズ社主)
チトワン国立公園の緩衝地帯の地域社会が、保全の要を担う
【チトワンNepali Times=クンダ・ディキシット】
チトワン国立公園を流れるナラヤニ川は標高わずか180メートルにある。だが先週、珍しく空気が澄んだ日には、来園者がネパールを横断して150キロ先にそびえる標高7,893メートルのヒマルチュリの頂を望むことができた。
上流ではトリスリ川、セティ川、カリ・ガンダキ川が合流し、ナラヤニ川となる。集水域はダウラギリからランタンに至る46,300平方キロに及び、ネパール国土の3分の1を覆う。山々の氷河に加え、チベット高原の一部からの水もナラヤニ川を支えている。雪と川を同時に望むとき、ヒマラヤは単なる山脈ではなく、複合的な「流域(ウォーターシェッド)」として捉えるべきだという事実が浮かび上がる。だが、山と平野の微妙な均衡は、気候危機によって揺らぎつつある。
「気候危機は水の問題である。問題はこの川だけではない。私たちが見ている山々と氷河の問題でもある。」先週チトワンを訪れた世界自然保護基金(WWF)インターナショナルのアディル・ナジャム総裁は、こう語った。「水はネパールだけでなく世界にとって、気候をめぐる最前線の争点になっていく。この危機は長期の話ではない。いま目の前の危機である。」
ナラヤニ川やラプティ川などの水系は、チトワン国立公園の保全の成功を支えてきた。だがネパール最古の自然保護区はいま、気候危機に伴う極端気象により、雨季の洪水と乾季の渇水という両極端に揺さぶられている。地下水が十分に涵養されないうえ、過剰な揚水も重なり、公園内の三日月湖(オックスボウ湖)や野生動物の水場が干上がる例も出ている。このため一部では、太陽光発電のポンプを設置して水場を補っている。
ネパールはこの14年間でトラの個体数を約400頭へと3倍近くに増やした。サイも752頭に回復し、過去10年にわたり密猟はほぼ確認されていない。ハゲワシ類も絶滅の瀬戸際から救い出された。こうした成果の大部分は、チトワンのような国立公園の緩衝地帯(バッファーゾーン)に暮らす地域社会の努力によるものだ。
公園に隣接するラトナナガル地区の選挙で選ばれた議員、ビレンドラ・マハトは、「緩衝地帯に暮らす人々、私たち先住コミュニティも含めた参画が、密猟の抑止や人と野生動物の衝突の軽減に役立ってきた。ここで生物多様性が守られてきたのは、保全が協働で進められてきたからである。」と語った。
かつて国立公園となる前、この地にはタルー、ボーテ、ムサハルなどの先住コミュニティが暮らしていた。彼らはトラやサイ、野生ゾウの行動を踏まえた暮らしの知恵を受け継ぎ、野生動物による死亡事故は少なかったとされる。
「人と野生動物が対立ではなく共存できるよう、先人から受け継いできた暮らしの知恵を取り戻さなければならない。」とマハトは付け加えた。
緩衝地帯の住民が野生動物を守るには、保護の利益が地域に見える形で還元されることが欠かせない。共存を確かなものにする方法として効果が示されてきたのが、地域の生活水準を引き上げる、適切に管理された持続可能な観光である。
ナラヤニ川沿いのアマルタリ村には高級リゾートが複数あり、自然ガイドやホテルスタッフ、観光客向けの文化公演などで地域住民を雇用している。さらに、先住コミュニティの文化や食、暮らしを体験できる女性主導のホームステイが35軒ある。
「生活水準の向上こそが、自然保全を確かなものにする最も有効な方法である。そのためには、観光収入につながる本物の地域文化遺産を守る必要がある。」と、ナジャムはそう述べた(インタビューは後述)。
観光客はチトワン国立公園西端の緩衝地帯にあるアマルタリを訪れ、トラやサイの観察を目的としたサファリや、ハゲワシ保全サイトの見学、川下りでガビアル(細長い口を持つ希少なワニ)やワニ、渡り鳥を観察する。チトワン国立公園の来園者は昨年約30万人に達し、現在は外国人観光客をネパール人観光客が上回っている。
アマルタリでホームステイを営むギータ・マハトは、当初はサービス水準を整えるのが容易ではなく、パンデミック期とその後に事業も打撃を受けたと認める。それでも「いまは経験と自信がつき、収入も増えた。文化への誇りが戻り、自然を守ることにもつながっている。」「まるで夢のようだ。」と語った。
ジャターユ(ハゲワシ保全拠点)での給餌は、絶滅の危機にあった猛禽類の保全・回復を支える取り組みの一つである。
生活水準の改善は、社会の別の側面にも波及した。学校の整備が進み、子どもの栄養状態が改善し、児童婚も減少した。違法な引き込みによる電力盗用も見られなくなり、アマルタリでは美容院が3軒開業したという。
WWFネパールは、地域の「ハマル協同組合」の立ち上げ資金を支援した。同組合は観光収入を貯蓄制度に回し、組合員に融資している。返済の延滞は出ておらず、ムサハル、ボーテ、タルーの各世帯はいまや貯蓄を持つようになった。
自治体は野生動物から稲やマスタード畑を守るため電気柵を設置し、この地域ではトラによる死亡事故がなくなった。9月に野生動物密輸で知られる容疑者が脱獄したことを受け、地域の「密猟対策青年グループ」と公園を警備する軍が警戒を強化している。
チトワンを含むネパール各地の国立公園と緩衝地帯では今週、大規模なトラのセンサス(個体数調査)を実施している。
WWFネパールのガーナ・グルンは、「食物連鎖の頂点に立つ象徴種(フラッグシップ種)を守ることは、生物多様性と生態系全体を守ることにつながる。その最良の例がここにある。」と語った。
「水は気候の最前線の課題」
WWFインターナショナルのアディル・ナジャム総裁は先週チトワンを訪れ、WWFネパールのガーナ・グルンのインタビューに応じた。
グルン: チトワン国立公園を訪れて、どのような印象を持ちましたか。
ナジャム: ネパールが特別な国であり、WWFネパールの取り組みが特別であることは以前から知っていました。しかし、ここまでとは想像していませんでした。チトワンで、種の保全、密猟ゼロ、そして何より地域社会、とりわけ先住コミュニティと協働する実践を目の当たりにし、「自然か人か」という対立構図を、自然と人をつなぐ橋へと変えられることを確信しました。先住コミュニティの人々や保全当局者に会い、達成してきたことへの誇りに触れたことは、大きな励みになりました。
ネパールで皆さんが行っていることの多くは、国連のSDGsやWWF自身の「2030年ロードマップ」と深く結びついています。とりわけ私たちの中核である「種」の取り組みと直結しています。課題は大きい一方で、成果を十分に評価する時間が私たちには足りていません。目標地点にはまだ達していませんが、道のりは大きく前進しています。
トラはほぼ3倍、サイは3倍以上に増え、密猟は長年ほぼゼロに抑えられてきました。しかも、草の根で地域社会と協働するアプローチでこれを実現している。常に容易ではありませんし、住民の懸念は現実のものです。それでも、パートナーとして共に取り組むことで、保全と人々は矛盾しないことが示されています。
グルン: 課題にも触れられました。今後、どのような困難が待ち受けていますか。
ナジャム: 大きな成果を上げた後に最も難しいのは、その水準を維持することです。残念ながら、気候変動や生物多様性の損失といった地球規模の課題は、いま極めて深刻で、取り組みの規模を何倍にも拡大しなければなりません。
同時に、ネパールがここで積み上げてきた経験を、世界と共有する必要もあります。互いに学び合わなければ、地球規模の危機は乗り越えられません。私は、若者がネパールの保全に深く関わっていることを見て、とても心強く感じました。ただ今後の課題は、若者が保全に関心を持ち続け、さらに踏み込んで行動したいという志を育めるよう、どう後押しするかです。
グルン: 私たちも若者との取り組みを強めています。今回の訪問で、ほかに印象に残った点はありますか。
ナジャム: 何より印象的だったのは、先住コミュニティが運営するホームステイの取り組みです。とりわけ女性が中心となり、起業家として新しい働き方を学び、自然と共に生きる新しい生計を設計している。自然を楽しむ旅行者を迎えることで、それを実現している点が素晴らしい。ネパールのホームステイ事業には当事者の所有感があり、自然と人を結びつけています。
グルン: ネパールは世界でも気候脆弱性が高い国の一つです。現地で気づいた影響はありましたか。
ナジャム:...
国連は「更新なし・任期7年」の事務総長制に備えがあるのか?
【国連IPS=タリフ・ディーン】
国連事務総長の任期を「更新なしの単一期・7年」とする案(1996年にさかのぼる長年の提案)が、潘基文(パン・ギムン)元国連事務総長によって再び持ち上がった。この原案は、ダグ・ハマーショルド財団とフォード財団が支援した研究の一部であった。同提案によれば、7年任期は「望ましくない圧力から自由な形で、事務総長が踏み込んだ計画に取り組む機会を与える。」
潘氏は、更新を認めない単一期の7年任期は、事務総長職の独立性を強化すると述べている。現行の「5年×2期」という慣行は、潘氏によれば、事務総長を「延長(再任)を得るために安保理常任理事国への依存を過度に強める」結果になりかねない。
エジプト出身のブトロス・ブトロス=ガリ元事務総長は、安保理で15票中14票の支持を得ていたにもかかわらず、米国が唯一の拒否権行使国となり、2期目(2度目の5年任期)を阻まれた。
研究は、「国連の最高の政策決定機関であり、最終的な任命機関でもある総会は、事務総長の任期を単一期7年とすること、および事務総長任命手続の改善に関わる主要要素を包括的に定める決議を採択すべきである」と提言した。
さらに同研究は、更新なしの7年任期という考え方を事務総長だけに限らず、UNDPやUNICEFなど国連の基金・計画、さらにはWHOをはじめとする専門機関を含む、国連システム各組織のトップにも広げるべきだと提言した。研究の題名は『指導力を必要とする世界:明日の国連――新たな評価(A World in Need of Leadership: Tomorrow’s United Nations....

