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ホルムズ海峡からバグラムまで―米中対立は新たな戦略的前線へ

【イスラマバードLondon Post=ムハンマド・ラシッド】 米国と中国の戦略的競争は、台湾海峡や南シナ海にとどまらず、中東と中央アジアにも新たな前線を広げつつある。イランの原油輸出拠点カーグ島をめぐる緊張、ホルムズ海峡の海上交通、さらにアフガニスタン・バグラム空軍基地をめぐる思惑は、エネルギー安全保障と軍事的優位を軸に、米中対立がより多層的な局面に入ったことを示している。 冷戦後、中国は、かつてソ連、そしてその後のロシアが占めていた地政学的な位置に代わる形で、米国にとって最大の戦略的競争相手として台頭してきた。米国がなお軍事同盟や軍事介入に大きく依存して自国の利益を守ろうとしているのに対し、中国は主として経済的影響力の拡大に力を注ぎ、直接的な軍事衝突を避けてきた。 この対立の複雑さを改めて浮き彫りにしているのが、中東における最近の情勢である。米国、イスラエル、イランを巻き込む現在の紛争は、2026年初頭にイラン国内の複数の軍事施設が空爆を受けたことで激化した。国際社会の関心は、その直接的な被害だけでなく、世界のエネルギー市場や大国間競争に及ぼす影響にも向けられている。 焦点の一つとなっているのが、イラン南岸沖にある同国最大の原油輸出拠点、カーグ島である。同島は、イランの原油輸出の約9割を担う要衝だ。 トランプ大統領や米軍当局者の説明によれば、最近の攻撃は島内の軍事施設を標的としたが、主要な石油インフラは意図的に回避された。攻撃後も、カーグ島はおおむね稼働を維持している。ただ、米国は、イランが戦略的要衝であるホルムズ海峡の海上交通を妨害すれば、さらなる軍事行動に踏み切る可能性があると警告している。ここにエネルギー安全保障が重なり、事態の意味合いはいっそう大きくなっている。 中国は近年、イラン産原油の最大級の輸入国の一つであり、石油輸入全体の推定25~30%をイランに依存してきた。ロシアからの輸入拡大や戦略備蓄の積み増しによって調達先の多様化を図ってはいるものの、イラン産原油はなお中国のエネルギー供給における重要な柱である。今回の紛争を受けて、中国は供給混乱に備えるため、輸入の前倒しと備蓄の拡大を進めている。 一部のアナリストは、この地域における米国の行動、なかでもイラン攻撃へのイスラエルの関与には、中国のエネルギーアクセスを抑え込む狙いも含まれている可能性があるとみている。とりわけ、カーグ島を経由するイランの原油輸出に圧力をかけることで、中国のエネルギー安全保障を揺さぶろうとしている、という見方である。 こうした手法について批判的な論者は、中国の台頭を鈍らせることを狙った危うい戦略的賭けだと指摘する。しかも、米中の競争は中東だけにとどまらない。南アジアと中央アジアでも、そのせめぎ合いは新たな局面に入っている。 トランプ大統領は最近、アフガニスタンのバグラム空軍基地に米国の拠点を再構築することへの関心を示した。同氏はこの基地について、とりわけ新疆など中国西部における核・軍事動向を監視するうえで戦略的に重要だと述べている。バグラムは中国の主要な核施設から1200マイル以上離れているものの、支持者は、情報収集・監視・偵察能力の強化につながる可能性があると主張する。これに対し、タリバン政権は外国軍のアフガン再展開を認めるいかなる提案も断固として拒否している。 一方、中国は慎重で計算された外交路線を崩していない。米国やその同盟国が関与する軍事紛争に直接踏み込むのではなく、北京は経済拡大と外交的関与を優先してきた。過去20年で中国は世界第2の経済大国へと成長し、「一帯一路」構想をはじめとする大規模インフラ計画や貿易連携を通じて、国際的な影響力を着実に広げてきた。 東アジアでは、南シナ海や台湾をめぐる緊張が依然として高い。米国は、中国の台頭に対抗するため、この地域での軍事展開と同盟強化を進めてきた。しかし中国は、軍事的エスカレーションを最後の手段と位置づけ、直接対決を避ける姿勢を維持している。 この慎重さには、ロシアのウクライナ侵攻から得た教訓もあるとみられる。プーチン大統領の下でロシアは大国としての地位を再主張しようとしたが、結果として長期化する戦争に深く絡め取られた。この紛争がロシアを戦略的に弱体化させたとみる向きは少なくなく、中国は同じ轍を踏むことを避けようとしているように見える。 地域外交の面でも、中国は存在感を強めている。現在、中国はパキスタンとアフガニスタンの緊張緩和を仲介している。国境を越える安全保障上の懸念に加え、とりわけパキスタン・タリバン運動(TTP)をめぐる武装勢力の活動によって、2026年初頭には衝突が激化しているためだ。中国の特使はパキスタンとアフガニスタンの間を行き来し、地域安定の維持に向けて対話と停戦を呼びかけている。 こうした仲介努力の背景には、この地域における中国の経済的利益がある。とりわけ、「一帯一路」構想の重要な柱である中国・パキスタン経済回廊(CPEC)の安定は北京にとって死活的に重要である。パキスタンが対テロ作戦で強硬姿勢を崩さない一方、中国はどちらか一方に露骨に肩入れすることを避けつつ、緊張緩和を促している。 中東、東欧、アジアで地政学的な火種が相次ぐなか、中国の長期戦略は一段と鮮明になっている。経済成長の勢いを維持し、利益にかなう場面では外交的関与を進める一方で、対米競争というより大きな国家戦略を損ないかねない戦争への深入りは避ける―それが中国の基本姿勢だと言える。(原文へ) INPS Japan 関連記事: 米国/イスラエルによる対イラン爆撃―国際法軽視のケーススタディ いま、中国に目を向けよ 米国がベネズエラを攻撃、国連が警鐘 世界は賛否分かれる

世界大戦はすでに始まっているのか

【ウクライナ・キーウIPS=ニコライ・カピトネンコ】 近年、世界で深まる緊張と暴力、不確実性を直視せずにいることは、ますます難しくなっている。戦争の数は増え、軍事支出も拡大し、大国の発言は一段と強硬さを増している。中東における最近の緊張激化は、第3次世界大戦の始まりをめぐる議論を再び呼び起こした。イスラエルと米国によるイラン攻撃の影響は、少なくとも原油価格を注視する人々にとって、この地域をはるかに超えて波及している。 多くの大国の利害が交錯するなか、第三国も次の一手を見極めようとしながら、相次いで立場を表明している。核兵器がある以上、第3次世界大戦は起こり得ないという見方から、すでに始まっているという認識まで、意見は大きく割れている。では、実際に何が起きているのか。 ジャーナリズムと学術のあいだにある概念 歴史家が「世界大戦」と語るとき、それは過去の二つの特異な戦争を指す。規模の大きさ、多数の国家を巻き込んだ点、戦闘の激烈さ、そしてその後に及ぼした影響の性質が、これらを他のあらゆる戦争とは一線を画すものにしている。 こうした戦争が他とどう異なるのかを理解するには、20世紀の各武力紛争における人的被害、防衛支出、あるいは破壊の規模を示す図表に目を通せば十分である。 もっとも、歴史家の見方は一様ではない。政治家としての方が知られるウィンストン・チャーチルはかつて、七年戦争を世界大戦と表現した。この18世紀の長期戦は、当時の主要列強の大半を直接戦闘に巻き込み、戦場はヨーロッパ、北米、大西洋、インド洋にまたがり、深刻な地政学的帰結をもたらした。これを世界大戦と呼んでも不思議ではない、という発想である。 これに対し、より保守的な歴史家であれば、こう反論するかもしれない。それは工業化国家同士による総力戦ではなく、戦闘の規模も、動員された軍隊の数も比較的限られていた。結果は重大だったとしても、体制そのものを組み替えるような性質のものではなかった、と。 過去数年、世界の武力紛争の数は増加を続けており、2024年は第2次世界大戦後で最も多い年となった。 「世界大戦」という言葉は、ジャーナリズム上の概念であると同時に、学術的概念でもある。効果を高め、注目を集め、あるいは比喩的な類推を行うために、第1次・第2次世界大戦以外の出来事にも用いられることがある。たとえば17世紀の三十年戦争、19世紀のナポレオン戦争、さらには冷戦さえも、世界大戦と呼ばれる場合がある。 その論理に従えば、今日ですら世界大戦の一部の要素を見ることはできる。ここ数年、武力紛争の件数は増え続けており、2024年は第2次世界大戦後で最悪の年となった。ある推計によれば、この年には36カ国で61件の武力紛争が記録され、過去30年の平均を大きく上回った。 世界の軍事支出も増加している。現在、その規模は世界経済の2.5%に達し、2011年以降で最高水準となり、2021年以降は上昇傾向が続いている。もっとも、これは依然として冷戦期の水準、すなわち通常3~6%だった時代に比べればかなり低い。こうした数字を見れば、近年、世界の安全保障環境が悪化していることは明らかである。だが、それはどれほど深刻なのか。 より学術的な立場からいえば、世界大戦とは、主要大国の大半が関与し、地球規模の広がりと総力戦としての性格を持ち、莫大な損失と破壊を生み、その終結によって世界そのものを大きく変えてしまう戦争である。そこでは、大国同士の直接的かつ大規模な武力衝突が不可欠の条件となる。 そして、これこそが「第3次世界大戦はすでに始まっている」という見方に対する最大の反論である。現代世界の不安定化がどれほど進もうと、大規模な地域紛争がどれほど激化しようと、国家がどれほど軍備に資金を投じようと、それだけでは世界大戦とはならない。必要なのは、大国が関与する大規模な軍事作戦である。 それは杞憂にすぎないのか そうした事態は、長く起きていない。第2次世界大戦後から今日までの期間は、第1次世界大戦と第2次世界大戦の間隔をはるかに上回っている。その背景で中心的な役割を果たしてきたのが核兵器である。核兵器は戦争の代償をあまりにも高く引き上げたため、大国はあらゆる手段でそれを回避するようになった。この抑止の仕組みは80年以上にわたり機能しており、今後もしばらく続くとみられる。 平和、より正確に言えば、大国間戦争の不在は、現在の国際秩序を支える中心的要素の一つであり続けている。国際機関や制度が崩壊したり弱体化したり、地域戦争が勃発したりすることはあっても、大国間戦争の可能性は依然としてきわめて低い。 第3次世界大戦説の支持者たちはしばしば、大国間の全面戦争がなくとも、別の形の対立はすでに進行していると指摘する。たとえばハイブリッド戦争、サイバー攻撃、代理戦争などである。たしかにそれは事実である。だが、こうした衝突はいずれも、破壊力という点では世界大戦より何段階も下にあり、総力戦としての性格も持たない。 歴史を通じて国家は、代理勢力を使って戦ったり、情報戦や通商戦、宗教戦争を繰り広げたりしてきた。だが、そうした戦争を、象徴的な意味を別にすれば、私たちは世界大戦とは呼ばない。 体制転換をもたらす戦争は、必ずしも世界大戦ではない 2003年のイラク戦争と異なり、今回のイラン攻撃が行われているのは、米国の覇権の下ではなく、少なくとも二つの力の中心が複雑に競い合う世界である。このことが新たな含意を生み、他国にも直接・間接に対応を迫っている。たとえば武器や情報の提供、どちらか一方への支持表明などである。 しかし、それによってこの戦争が世界規模のものになるわけではない。武器供与は地域紛争の大半で見られる常態的な慣行であり、同盟国やパートナーによる外交的・財政的支援も珍しくない。たとえ米軍が、ウクライナ製ドローンに見られるように、パートナーの技術や専門知識を利用したとしても、それはウクライナがこの戦争に引き込まれていることを意味しない。ロシア・ウクライナ戦争における米国の対ウクライナ武器供与が、米国自身の参戦を意味しなかったのと同じである。 世界大戦と呼ぶには、なお一つ決定的な要素が欠けている。すなわち、大国間の直接対決である。だが、世界大戦以外にも「システム戦争」と呼びうるものがある。そこでは重要なのは規模そのものよりも、その戦争がもたらす国際秩序の変容である。 先に挙げた三十年戦争、ナポレオン戦争、第1次・第2次世界大戦はいずれもシステム戦争だった。これらの戦争の後には、国際政治のルールが書き換えられ、講和会議や国際会議を通じて新たな秩序が打ち立てられた。システム戦争は、必ずしも世界大戦である必要はない。 覇権の危機、そして覇権をめぐる争いの始まりは、常に新たな戦争、軍拡競争、緊張激化の危険を伴う。 現在の不安定化と多様なリスクの増大は、主として将来の国際秩序をめぐる争いと結びついている。米国と中国は、ほとんど「トゥキュディデスの罠」に近づいている。これは、紀元前5世紀のペロポネソス戦争を引き起こしたのと似た戦略的論理である。当時、覇権国と挑戦国との力の差が縮まったことが、スパルタを予防戦争へと踏み切らせた。 今日では、米国覇権の衰退、中国の台頭、そして二極世界への接近が、超大国間の直接的な武力衝突の可能性を大きく高めるのではないかという、十分に根拠のある懸念が存在する。 控えめに言っても断固たる米政権の行動は、ワシントンがなお優位を保っているうちに、中国の地位を戦略的に弱めようとする予防的措置とみることもできる。こうした覇権危機の時期と覇権争いの始まりは、常に新たな戦争、軍拡競争、緊張激化の危険をはらんでいる。 私たちは、まさにそのような危機のただ中にいる。それは、世界各地の地域紛争が単に増えているというだけではなく、地球規模で影響力と権力が再配分されていることの表れであるという意味で、システム的危機である。この再配分は国際秩序の変化を伴わざるを得ない。なぜなら、ゲームのルールは力の均衡と結びついているからである。 もしある時点で、主要国の指導者たちが、戦争のリスクを取り、その代償を払うに値すると判断すれば、このシステム的危機は世界大戦へと転じるだろう。だが、スパルタ人自身の言葉を借りれば、それはあくまで「もし。」の話である。 ニコライ・カピトネンコ氏は、キーウ国立タラス・シェフチェンコ大学国際関係研究所の准教授であり、国際関係研究センター所長。 INPS Japan / IPS UN Bureau Report 関連記事: ロシアによるベラルーシ核配備が第三次世界大戦の警告を引き起こす |ウクライナ|ロシアの攻撃と致命的な寒波で「生き延びるだけの生活」 家族を追い詰める |視点|「平和の回復へ歴史創造力の結集を」―ウクライナ危機と核問題に関する緊急提言(池田大作創価学会インタナショナル会長)

共生社会を育てる「Hand in Hand」―イスラエルで広がるユダヤ系・アラブ系統合教育

【エルサレムINPS Japan=ロマン・ヤヌシェフスキー】 ユダヤ系市民とアラブ系市民の分断が深まるイスラエルで、教育を通じて共生社会の土台を築こうとする試みが続いている。ヘブライ語で「Yad be-Yad」、アラビア語で「Yadn be-Yadn」と呼ばれる教育ネットワーク「Hand in Hand」は、ユダヤ系とアラブ系の子どもたちが対等な立場で共に学ぶ、バイリンガルかつ統合型の教育を実践している。|英語版|ロシア語| Hand in Hand(イスラエル・ユダヤ・アラブ教育センター)は、ユダヤ系市民とアラブ系市民が共に生きる社会の実現を目指して設立された、イスラエルでも特異な教育ネットワークである。 同組織は1997年から1998年にかけて、イスラエル系アラブ人教師アミン・ハラフ氏と、イスラエル系米国人教師リー・ゴードン氏の2人の教育者によって創設された。当初はエルサレムとガリラヤの2校で、約50人の子どもたちが学ぶ小規模な出発だった。 現在では、同ネットワークはイスラエル国内6地域―エルサレム、ガリラヤ、ワディ・アラ、テルアビブ・ヤッファ、ハイファ、クファル・サバ―で教育活動を展開している。6つの小学校、5つの就学前施設、2つの中学校、1つの高校を擁し、3歳から18歳までの2000人超の子どもたちが学んでいる。 各校は単なる教育機関にとどまらない。対話を促し、共に生きる市民社会の基盤を育む地域の拠点としても機能している。 創設者たちは、「Hand in...

「雨が降ると、心臓の鼓動が速くなる」

最近の報告書によれば、アジアでは毎年およそ100件の自然災害が発生し、8000万人が影響を受けている。統計の背後には、暮らしの寸断、損壊した家屋、そして地域社会の力を奪う復旧の繰り返しがある。 【スリナガル/ニューデリー発 IPS=ウマル・マンゾール・シャー】 カシミールの州都スリナガルで雨が降り始めるとき、グラーム・ナビ・バットは、もはや雲を安堵の気持ちで見上げない。代わりに、見積もるように空を見つめる。側溝はどこまで耐えられるのか。川の水位はどれほどの速さで上がるのか。家のどの隅から雨漏りが始まるのか。床が湿ってきたら、子どもたちはどこで寝かせればいいのか。 「以前は雨が降ると、ほっとした。」と、バットは語る。水路沿いの低地に暮らす住民だ。「いまは、警告のように感じる。」 多くの日に、雨は洪水にならなくても生活を変える。数時間で道路は冠水し、店は早じまいし、スクールバスは引き返す。やがて親族同士で電話をかけ合い、同じ問いが繰り返される。「そっちは大丈夫か?」 インド、そして「新興アジア」(中国、インド、インドネシア、マレーシア、フィリピン、タイ、ベトナムなど、急速に発展する国々)に暮らす何百万人もの人々にとって、これが「新しい日常」になった。災害はもはや、世代に一度の稀な破局として訪れるのではない。繰り返し襲い、そのたびに修繕費や失われた賃金を生み、「回復が恒常的な営みになった」という感覚を残していく。 OECD開発センターの最近の分析によれば、新興アジアはこの10年間、年平均で約100件の災害に直面し、毎年およそ8000万人が影響を受けてきた。増加の主因は洪水、暴風雨、干ばつだ。同報告は、自然災害が1990年から2024年にかけて、インドに毎年平均でGDPの0・4%に相当する損失をもたらしたと推計している。 しかし、国の数字の背後には、より静かで切実な現実がある。繰り返される気候や天候の衝撃が、統計ではなく家計に吸収されていく過程だ。娘の教育のために積み立てた貯蓄。掛けで仕入れた商品の在庫。前の収穫から残しておいた農家の種銭。そうしたものが少しずつ削られていく。 洪水常襲地帯として知られる北インド・ビハール州で、3人の子どもを育てるスニタ・デヴィは、床に大切なものを置くのをやめたという。衣類は高い棚へ。穀物の入れ物は安全な隅へ。家族の書類はビニールに包んで保管する。 「水が来たら、子どもを連れて走るだけ」と彼女は言う。「あとは運に任せるしかない。壁は建て直せても、失った日々は戻らない」 彼女の村は何十年も洪水と共に生きてきた。だが変わったのは、発生頻度と不確実性、そして負担の大きさだという。見出しになる大河川の洪水だけではない。突然の冠水、損傷した道路、決壊した堤防、水が引いた後に広がる感染症―そうした小さな衝撃の積み重ねが、暮らしを揺さぶる。 「以前は予測できた。いまはできない。水が急に来るときもあれば、長引くときもある。一度引いたと思ったら、また来ることもある」とデヴィはIPSに語った。 国連大学の「水・環境・保健研究所(UNU-INWEH)」所長、カヴェ・マダニ教授はIPSに対し、アジアの「水の破綻(water bankruptcy)」は部門別の課題ではなく、国家安全保障の問題として扱うべきだと述べた。 「優先順位は、危機対応から“破綻管理”へ移りつつある。実態に即した把握、実効性のある上限設定、自然資本の保護、そして農家や脆弱なコミュニティを守る公正な移行が必要だ。」とマダニは言う。 OECD開発センターの報告は、新興アジアで2000年代初頭以降、洪水が最も顕著な増加傾向の一つになっていると指摘する。要因は地域によって異なるが、結果はどこも似通う。暮らしの混乱、損壊した家屋、そして地域社会を疲弊させる復旧の繰り返しである。 スリナガルで小さな店を営むバシール・アフマドは、入口近くに古い木製の棚を置いている。陳列用ではない。緊急時のためだ。雨脚が強まると、箱詰めの商品を床から素早く移す。 「店は小さい。利幅はもっと小さい。たった1日水が入るだけで、多くが台無しになる。客は来ない。配送も止まる。成り行きを見るしかない。」とアフマドは言う。 彼にとって最大の損失は、傷んだ商品だけではない。働けない日々そのものだ。日々や週ごとに家計をやりくりする家庭では、短い休業が長い危機に変わる。家賃は止まらない。学費も止まらない。ローンも止まらない。 OECDの分析は、コミュニティがすでに知っている厳しい現実を裏づける。災害の経済的な余波は、テレビカメラが去った後も続く。毎年のように損失が繰り返されれば、成長は削られ、家計の選択も変わる。家族はより頑丈な家づくりを先延ばしにし、小商いへの投資を避け、前に進むより立て直しに時間を奪われる。 「災害は、例外的な出来事ではなくなった。繰り返し襲う経済ショックになっている。問題は目先の被害だけではない。“反復”だ。反復は家計の回復力を削っていく」と、デリーを拠点とする気候リスク研究者リトゥ・シャルマ博士は言う。 シャルマは、インドの災害損失を見出しに出る割合だけで捉えるべきではないと強調する。日常生活に蓄積する圧力として見るべきだという。 「洪水は橋を壊すだけではない。受診を遅らせ、予防接種を中断させ、食料や医薬品の供給網を断ち、脆弱な家庭を債務の罠に追い込みかねない。気候の出来事が、社会の出来事になり、健康の出来事になり、教育の出来事になる。」 報告の地域比較では、負担は一様ではない。サイクロンや洪水にさらされる国ほど、GDPに対する平均年間損失が大きい傾向がある。インドは国の規模が大きいため、統計上は衝撃を吸収できるように見える。だがその規模は同時に、より多くの人々がリスクにさらされ続けることも意味する。地すべりの危険があるヒマラヤの斜面、サイクロンに備える沿岸部、洪水と熱波に悩む平野部―リスクは地理にも生業にも広く分散している。 気候影響を研究する経済学者ナサル・アリ教授は、実際の被害は非公式(インフォーマル)経済の領域に埋もれがちだと指摘する。 「フォーマル部門の企業は保険請求ができ、有利な条件で借り入れ、早く立ち直れる。だが野菜の露天商にはそれができない。小さな食料品店にもできない。日雇いの稼ぎ手が1人しかいない家庭にはなおさらだ。損失は即座に個々の家庭にのしかかり、回復にも最も時間がかかる。」とアリは語った。 彼は、災害の影響は不平等も深めると考える。貧しい世帯ほど、取り戻せないものを失うからである。 「裕福な家庭にとって屋根の損傷は改修の問題だ。だが貧しい家庭にとっては、湿った部屋で何週間も眠ることになり、感染症や欠勤、子どもの一時的な中退につながりかねない。」 報告は、アジア各地で切迫している政策課題にも目を向ける。災害に備える財源をどう確保し、開発資金を毎回、災害対応に振り向けざるを得ない状況をどう避けるのか、である。 分析が強調するのは「災害リスク・ファイナンス」だ。事後の救援に頼るのではなく、政府が事前に資金を準備しておく仕組みである。専用の災害基金や保険メカニズム、災害後に迅速に発動できる緊急融資などが含まれる。 コミュニティにとって、この議論は遠い話に聞こえるかもしれない。だが、その結果は回復の速さや支援のあり方に表れる。 「災害が起きたら、支援は早く届くべきだ。」と語るのは、ジャンムーのRSプラ地区で小さな食料品店を営み、豪雨時の冠水を繰り返し経験してきたミーナ・デヴィである。「店を閉めれば牛乳は傷む。客も買い物ができない。それから再開のために借金をする。支援が遅ければ、私たちはさらに苦しくなる。」 彼女の最大の恐怖は、単発の災害ではない。「次がいつも近い」と感じ続けることだという。「一度なら耐えられる。でも何度も何度も起きると、心の奥から疲れていく。」 シャルマにとって、備えは防災訓練以上のものだ。そもそもリスクへのさらされやすさを減らす計画が必要だという。 「避けられないリスクもあるが、多くは“どこに、どう建てるか”で増幅される。排水能力のないまま都市が拡大し、建設が氾濫原に広がれば、災害は予測可能になる。それは自然だけの問題ではない。政策の問題だ。」 スリナガルのバットは、住民が毎年同じ闘いを繰り返していると感じると言う。排水溝を掃除し、土のうを積み、家財を高い場所へ移し、親族に電話し、川の水位更新を見守る。一つ一つは小さな作業でも、終わりがないため消耗していく。 彼は壁に残る水位の跡を指さした。「いつも思うんだ。今年こそは少しは良くなるかもしれないって。でも雨が降ってくると、心臓の鼓動が速くなる。」 何があれば安全だと感じるか、と尋ねると、彼は大きな約束を語らなかった。語ったのは、ごく基本的なことだった。機能する排水路。崩れない道路。早い警報。間に合う支援。 ビハールのスニタ・デヴィにとって、望みはさらに単純だ。恐れずに計画できる季節である。「普通の人みたいに暮らしたい。水が壊したものを直すためにお金を使うんじゃなく、貯めたい。」(原文へ) INPS Japan/IPS UN Bureau Report 関連記事: ここに太陽が:洪水で水力発電所が破壊され、太陽光発電に注目が集まる 宗教が防災と出会うとき 雨漏りする屋根: 「アジアの世紀」脅かすヒマラヤ融解