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退任インタビュー:D.C.での10年を終え、「宣教者」教皇大使が去る

「私たちは誰とでも話します。たとえ戦争省であっても」――ワシントンにおける「教皇の代理人」としての任期について、クリストフ・ピエール枢機卿が独占インタビューで語った。 【ワシントンDC INPS Japan/National Catholic Register=ヴィクトル・ガエタン】 バチカン外交官として50年近くにわたり、クリストフ・ピエール枢機卿は6大陸で数百回に及ぶ会合に臨んできた。そのため、80歳の誕生日を8日後に控えた1月下旬、米国の「戦争省」で政府高官と面会したことも、本人にとっては多忙な国際外交官の日常の一コマにすぎなかった。|ENGLISH| 「それが私たちの仕事です。私たちは誰とでも話します。たとえ戦争省であってもです!」フランス生まれのピエール枢機卿は、ローマへの転居準備を進めるなか、Registerの取材にそう語った。聖座の大使館である教皇庁大使館は、1937年に建てられた専用の邸宅で、J・D・バンス副大統領公邸の向かいに立つ。 ピエール枢機卿は、この出来事が過度に大きく取り上げられていると考えており、詳しく語ることにはあまり関心を示さなかった。ただ、国防次官(政策担当)のエルブリッジ・コルビー氏との「率直な」協議を通じて、現政権の世界観と聖座の立場との間に明確な隔たりがあることが浮き彫りになったと認めた。また同枢機卿は、外交案件は本来、国務省が扱うものであり、「戦争省」が扱うものではないという従来の米国外交のあり方からの逸脱も示されたと見ている。 最前線での半世紀 対話は国家から歴代教皇にまで及び、最初の赴任地ニュージーランドは教皇パウロ6世の時代だった。しばしば笑みを浮かべながら語るピエール枢機卿は、教会に仕える司祭外交官たちの並外れた献身を体現している。彼が赴任した国々を列挙するだけでも、その経験の広さがうかがえる。モザンビーク、ジンバブエ、キューバ、ブラジル、スイス、ハイチ、ウガンダ、メキシコ、そして最後に米国である。 ワシントンD.C.の教皇庁大使館には、米国人肖像画家イゴール・V・ババイロフによるクリストフ・ピエール枢機卿の肖像画が飾られている。 彼が担った職務は多岐にわたった。ウガンダでは、エイズ対策としてコンドーム使用のみを推進する副大統領の方針に対し、禁欲教育を訴えた。ブルンジでは教皇大使が殺害された後、大使館を引き継いだ。ハイチでは、カトリック司祭の身分のまま大統領に選出されたジャン=ベルトラン・アリスティド氏の聖職離脱をめぐる対応を担った。メキシコでは、信教の自由を憲法に盛り込む交渉を成功させた。そして米国では、前任者のカルロ・マリア・ヴィガノ大司教が教皇フランシスコの辞任を公然と要求した、前例のない危機にも対応した。。 2016年にワシントンに着任して以来、ピエール大司教は、全米の司教たちと同時に向き合ってきた。各教区の司教個人として、また米国カトリック司教協議会(USCCB)を通じてである。さらに、カトリック系大学をはじめとする幅広いカトリック機関、そして米国政府に対する教皇の主要な対話窓口としても務めた。これは非常に大きな役割である。とりわけピエール枢機卿は、米国の教会の実情を自らの目で確かめるため、全米をくまなく巡るべきだと判断した。教皇大使の最も重要な職務の一つは、新しい司教を選ぶ際に教皇を補佐することであり、そのためには現場で司教たちが直面している課題を理解する必要がある。 「9年間、教皇大使を務めたメキシコから大使館に着任した翌日には、カリフォルニア州オレンジ郡へ飛び、司教総会に初めて出席しました。ですから、私は典型的なワシントン観光客ではまったくありませんでした。」と彼は語った。「D.C.は旅と旅の間に戻る場所でした。D.C.に戻るとすぐ、次の出張の予定を立てていたのです。」 退任した教皇大使は今後、ローマに居を移し、教皇から特別な外交任務を託されれば引き続きそれに応じる予定である。米国での日々を振り返って何を最も懐かしく思うかと尋ねると、ピエール枢機卿はすぐにこう答えた。「何よりも人々です。人々のもてなしと寛大さを心から楽しみました。教皇の代理人として、私は多くのカトリック信者と接しました。人口の20%ですからね。ほとんどの教区を訪ねました。アラスカには4、5回行きました。ハワイにも行きました。雪も楽しみました。カリフォルニアも、フロリダも楽しみました。フェニックスにも行きました。」 「美しさです。」と彼は熱を込めて続けた。「この国の多様性です。」 枢機卿が教皇庁大使館で気に入っていたのは、静けさと黙想にふさわしい雰囲気だった。木々に囲まれた裏庭には、シカやアライグマが姿を見せる。ワシントン市内の美術館や博物館も気に入っていた。しかし何よりも、ピエール枢機卿が力を注いだのは、自身の中心的な使命だった。それは任期の大半を通じて、「教皇フランシスコを米国に伝え、米国を教皇フランシスコに伝えること」だった。 アパレシーダと「希望の大陸」を読み解く ピエール枢機卿は着任当初、米国の教会指導層が、2007年にラテンアメリカの司教たちによってまとめられた「アパレシーダ最終文書」をよく知らないことに驚いた。同文書は、世界を福音化することに献身する、より宣教志向の教会を求めている。教皇フランシスコは、その主要な編集責任者だった。フランシスコの最初の使徒的勧告『福音の喜び』に見られる多くのテーマは、アパレシーダにさかのぼることができる。 ピエール枢機卿によれば、アパレシーダの重要性を理解するには、それを第2バチカン公会議の文脈の中で捉えなければならない。「教会の歴史は、およそ20の偉大な公会議によって形づくられてきました。そして前世紀における偉大な出来事、聖霊の出来事こそ、第2バチカン公会議でした」と彼は説明した。 「1960年代初頭以来、南米の司教たちは――教皇パウロ6世が南米を『希望の大陸』と呼んだことを思い出してください――5回の大規模な会議を開催することによって、第2バチカン公会議を実践に移しました。アパレシーダはその5回目でした。それはベルリンの壁崩壊後、そしてマルクス主義という奇妙で恐るべきイデオロギーの押しつけが終わった後に行われたのです。」 「アパレシーダで司教たちは、信仰と価値の継承の断絶、社会の分断、近代主義、ポストモダンなどを見つめました。これらは多くの哲学者や観察者によって分析されてきた現象です。そこで司教たちは、今こそ再び始めなければならない、当然ながらキリストから再出発し、この新しい世界を福音化しなければならない、と語ったのです」 枢機卿は、この出来事を「今世紀の転換点」と呼ぶ。 ピエール枢機卿は、ブラジルのアパレシーダにある大陸随一の巡礼地、アパレシーダの聖母国立大聖堂に集まった南米の司教たちが、聖霊に促されていたと考えている。教皇フランシスコの選出により、アパレシーダで示された洞察は、とりわけ『福音の喜び』という文書を通じて普遍教会へと広がった。そして同枢機卿の見方では、その聖霊の働きは今日も続いている。 「だからこそ、個人的には」と彼は要約する。「私が米国で果たすべき使命の一つとして、教皇フランシスコとアパレシーダについて私が見て取ったことを、米国の司教たちと分かち合うことを掲げたのです」 2007年、ピエール枢機卿はメキシコの教皇大使としての任期を始めたばかりだった。当時、ホルヘ・ベルゴリオはブエノスアイレス大司教だった。「教皇フランシスコは預言者でした。変化する時代、時代の転換期に教会であるとはどういうことかを語っていました。彼は診断を示し、今日どのように福音化するのかに焦点を当てたのです。私にとって、これは非常に魅力的なことでした」 枢機卿は、教皇レオ14世が2007年に示された精神を引き継いでいると見る。「聖父の言葉を読み、聞くと、彼はフランシスコが始めたことと完全に連続しています。毎週、第2バチカン公会議について語っていますし、次の枢機卿会議では『福音の喜び』が議論されます。お分かりでしょう」 「教皇レオは、何よりもまずラテンアメリカの司教です」とピエールは笑った。「米国で生まれた司教ですが、ラテンアメリカの司教なのです。そう言えば、教皇レオについてすべてを語ることになります。同時に、米国についてもすべてを語ることになります。時に人々はそれを認めたがりません」 ピエール枢機卿は、フランシスコとレオの双方を預言者だと表現する。なぜか。「預言者とは、福音について語る人です。教皇レオは政治家になろうとしているのではありません。彼自身が明確にそう述べています。預言者とは、今日の世界にあって、福音の良き知らせを告げ知らせる人なのです」と彼は説明した。 「預言者には優れた洞察が必要です。勇気も必要です。そして今日の世界と対話する力も必要です。キリストの現存と福音の価値を今日の世界に示すこと――教皇レオが行っているのはまさにそれです。しかも非常に的確に、親切に、説得力をもって行っています」 ピエール枢機卿は、発表から20年近くたったアパレシーダ文書の価値を、米国の司教たちが今では理解していると考えているのだろうか。 「この世界に完全なものはありません。しかし、そうだと言えるでしょう」と彼は厳粛に答えた。「私は一つの文書だけの擁護者になりたいのではありません。重要なのは、私の兄弟である司教たちが、貧しい人々を守り、移民を守り、人間の命を守り、死刑に反対して立ち上がる声を聞く時、私はうれしく思うということです。司教たちはイエスに従っていると信じるからです。そして、そのことを神に感謝しています」 米国教会におけるイデオロギーと現実 ピエール枢機卿は、米国の司教たちに対して常に称賛ばかりを述べてきたわけではない。約10年前には、米国カトリック教会に過度なイデオロギー性があると批判することで知られていた。2016年当時、それが教会指導部に対する彼の診断だったのかと尋ねると、枢機卿はまず、なぜイデオロギーが問題なのかを理解しなければならないと説明した。 「イデオロギーの危険は、それが非常に分断的であることです。人は一つの考えの所有者となり、それを押しつけようとし、現実のいくつかの側面を忘れてしまうからです。」と彼は語った。 現実は考えよりも重要である、と彼は強調する。「イデオロギーを扱うほうがはるかに簡単です。なぜなら人はそのイデオロギーの所有者となり、自分に同意しない人々は忘れ去られるべき、無視されるべき、あるいは打ち負かされるべきだと考えるからです。これは世界中で起きていることですが、教会の内部にも存在する危険です。」 彼は続けた。「ある意味で、米国のカトリックは価値を守る一種の政党のようになっていました。彼らは価値を守り、それをよく行っていました。しかし、それは一種の政治闘争になっていったのです。カトリックであることは、価値を守ることを意味するようになりました。教皇フランシスコはこの状況を見て、『注意しなさい。教会としての私たちは、たとえそれが良い価値であっても、価値を守っているだけではないのです。』と言ったのです」 この評価によれば、米国のカトリック指導層は、プロライフ運動を一つのイデオロギーとして自らと同一視するようになり、その結果、他の優先課題が忘れられていった。この焦点化は、文化戦争に寄与する危険をはらんでいる。 ピエール枢機卿はこう要約した。「長年にわたり、この文化戦争が支配的となり、分断を生み出しました。必然的に、『私と共にいないなら、あなたは私に反対している』という姿勢が広がっていくのです」 では現在はどうか。「司教たちは今日、より一致しています。現実の多くの側面に目を向けています。イデオロギーの中で機能すると、人は分裂します。」と彼は述べた。 米国教会について敬服するようになった点を尋ねると、ピエール枢機卿は、米国の教会がいかに多くのものを築き、惜しみなく社会に貢献してきたかを強調した。「カトリック信者が築いてきたものを見れば、驚くべき聖堂、活気ある小教区、大学、病院があります。実に見事です。200年以上にわたる米国カトリックの美しさは、この寛大さにあります。教会の良い影響は至るところに見られます。」 「カトリック信者の国への貢献がこれほど劇的な国を、私は他に知りません。そして、その勇気です。考えてみてください。米国人は移民です。どこか別の場所から来た人々です。彼らは自らの努力によって自分たちの国を変えることができました。そして今もそうし続けています」と彼は語った。 ピエール枢機卿は、カトリックが教育に重点を置いてきたことを特に挙げた。「私はノートルダム大学で名誉博士号を授与されました。なんと素晴らしいキャンパスでしょう。私たちには200近いカトリック大学があります。これは驚くべきことです。」 彼はこう観察した。「米国文化は夢の文化になりました。そしてここに来た人々は、自らを自由にするために来ました。アメリカン・ドリームは、プロテスタンティズムに深く刻まれた、ほとんど一つの宗教です。カトリック信者は、とりわけ教育に投資しました。信仰に深く根ざしたまま、アメリカン・ドリームの一部となるためです。」 分裂の謎と平和への呼びかけ 誠実なインタビューであるなら、痛みを伴うテーマを避けることはできない。教皇大使にとって、任期中で最も困難だった時期は、前任者ヴィガノ大司教が2018年に教皇の辞任を求めたことで引き起こされたスキャンダルだった。 ヴィガノ氏がなぜ分裂へと進み、2024年の破門につながったのかという問いに対し、枢機卿はこう答えた。「このことについて私はあまり話してきませんでした。なぜなら、私はいまだにこの兄弟の態度に困惑しているからです。彼はいまも私の兄弟、司教としての兄弟です。私は彼を長く知っています。彼を尊重しています。しかし困惑しています。理解できないのです。」 「ご存じの通り、これは人生における謎です。80歳になり、人生の終わりに近づく今、私は多くの種類の謎に直面してきました。しかし最大の謎は人間に関わるものです。もちろん、完全な人間などいません。しかし、この兄弟の立場を私は理解できませんでした。ですから、これ以上詳しく述べるつもりはありません。ただ、私にとって確かに心を痛めることでした。」 ピエール枢機卿は、自身の故郷ノルマンディー地方の聖人、リジューの聖テレーズと同じように、教会を自分の家と考えていると付け加えた。「彼女はよく『私の母なる教会』と言っていました。私も同じように言います。私は生涯で5人の教皇に仕えてきました。私は常に、教会の中に神の働きを見てきました」 ピエール枢機卿は、ピエルバッティスタ・ピッツァバッラ大司教、ロバート・プレヴォスト大司教と同じ時期に赤い帽子、すなわち枢機卿位を受けた。歴史的に見れば、教皇大使が枢機卿に任命されることは多くなかった。しかしフランシスコは、特に危険または困難な状況で宣教者として奉仕した教皇大使たちを、枢機卿として顕彰した。私は枢機卿に、フランシスコは彼を米国という宣教地で奉仕する司教と見なしていたのかと尋ねた。 「なぜ私が枢機卿に任命されたのかは分かりません」と彼は答えた。「それは例外的なことでした。私は教皇フランシスコと良い関係にありました。この教皇の重要性を強く信じてきました。彼は確かに米国に多くの注意を向けていました。一般に、南米の人々、特にエリート層は、北米で何が起きているかに大きな関心を払います。しかし、その逆はそうではありません。北米は南米で何が起きているかに、もっと注意を払うべきです。私はその両方の場所で生きる特権に恵まれました。私にとって、教皇レオは米国人というより、よりラテン的な方です」 米国の外交政策 現在の情勢に話を戻し、私は教皇大使に対し、1月22日に戦争省当局者が彼を呼び出した理由を尋ねた。「それは明らかに、教皇レオが外交団に向けた演説で、『戦争が再び流行し、戦争への熱狂が広がっている』と述べたことに関係していました」 ピエール枢機卿はこう付け加えた。「教皇レオの最も重要な強調点は平和です。選出後、バルコニーから発した最初の言葉は『平和』でした。彼は一貫してそのテーマを語り続けています。」 教皇大使によれば、聖座は、トランプ政権の外交政策が、第2次世界大戦後に支持されてきた政策―国連の創設を助けた政策―から離れていることを非常に懸念している。「昨年末に発表された米国の国家安全保障戦略には、いくつか憂慮すべき点がありました。」とピエール枢機卿は述べた。「それは法の力ではなく、力の法を称揚しています。建設的な多国間主義の余地をほとんど残していません。一方で教皇は、外交の古典的な考え方を継続しています」 彼は感情を込めて続けた。「米国の本当の歴史とは、対話のための制度を築いてきた歴史です。ところが今、対話にノーと言うのですか。人々を破壊しておいて、その後に対話に応じると言うのですか。それは決して実現しません。トランプは米国を孤立させ、他者に対抗して米国を偉大にしようとしています。以前の米国は、他者と共に偉大になったのです。米国が偉大になったのは、他者と共にあったからです。」 ピエール枢機卿は、教皇が「正戦」についての議論を始めたのではなく、むしろ他の人々がこのカトリックの概念を持ち出したのだと指摘した。レオが述べたのは、ただ「戦争にノー」ということだった。 「現在のイランでの戦争は、正戦とは見なせません」と枢機卿は説明した。「それは防衛戦争ではないからです。交渉するために戦争に行くのではありません。戦争を避けるために交渉に行くのです。」 「最近起きていること、すなわち大統領がほぼ毎日のように教皇に言及していることは、人々が教皇を前向きな形で発見しつつあることを示しています。なぜなら、教皇の言うことは理にかなっているからです」 彼は最後にこう結んだ。「皮肉なことに、大統領の攻撃は、教皇レオとカトリック教会の肯定的なイメージを高めているのです。」 ビクトル・ガエタンは、国際問題を専門とするナショナル・カトリック・レジスターの上級特派員であり、バチカン通信、フォーリン・アフェアーズ誌、アメリカン・スペクテーター誌、ワシントン・エグザミナー誌にも執筆している。北米カトリック・プレス協会は、過去5年間で彼の記事に個人優秀賞を含む4つの最優秀賞を授与している。ガエタン氏はパリのソルボンヌ大学でオスマントルコ帝国とビザンチン帝国研究の学士号を取得し、フレッチャー・スクール・オブ・ロー・アンド・ディプロマシーで修士号を取得、タフツ大学で文学におけるイデオロギーの博士号を取得している。彼の著書『神の外交官:教皇フランシスコ、バチカン外交、そしてアメリカのハルマゲドン』は2021年7月にロウマン&リトルフィールド社から出版された。2024年4月、研究のためガエタン氏が初来日した際にINPS Japanの浅霧理事長が東京、長崎、京都に同行。INPS Japanではナショナル・カトリック・レジスター紙の許可を得て日本語版の配信を担当した(With permission from...

中央アジア、環境悪化を乗り越えるため「水と土地の新たな協定」に期待

【サマルカンド(ウズベキスタン)IPS=キジト・マコエ】 ウズベキスタンのサマルカンド・コングレスセンターで、閣僚、外交官、開発関係者らが記念撮影のために集まった時、その場には通常とは異なる象徴的な意味合いが漂っていた。笑顔と儀礼的な雰囲気の背後には、より厳しい現実に直面する地域の姿があった。川の水量は減り、土壌は疲弊し、気温は上昇している。土地と水を管理してきた従来の方法は、もはや通用しなくなりつつある。|英語版| 中央アジア諸国は数十年にわたり、それぞれ別々に環境問題に取り組んできた。水資源を担当する省庁は灌漑に目を向け、農業省は生産目標の達成を追い、自然保護機関は分断された生態系の保全に努めてきた。しかし気候変動は、そうした行政上の縦割りの境界を溶かしつつある。 2026年5月30日から6月6日までウズベキスタンで開催された地球環境ファシリティ(GEF)第8回総会で、中央アジア5カ国は「中央アジア水・土地ネクサス・プログラム(CAWLN)」の実施開始を正式に発表した。これはGEFが3000万ドルを拠出し、国連食糧農業機関(FAO)が実施する取り組みで、水、土地、生物多様性、食料システムを相互に結びついた一つの体系として管理することを目指している。 支持者らは、この取り組みが国境を越えた気候適応の実験として、世界で最も注目される事例の一つになる可能性があるとみている。 カザフスタンのエコロジー・天然資源相イェルラン・ニサンバエフ氏は、ハイレベル円卓会合で、「中央アジアが土地の劣化、水不足、生物多様性の喪失、気候変動に伴う環境負荷の増大に直面していることは、広く認識されている。」と述べた。「しかし、こうした課題に対応するため、各国は環境問題に共同で取り組む姿勢で一致した。」 カザフスタンの草原からタジキスタンの山岳地帯、ウズベキスタンの灌漑平野に至るまで、中央アジアは共有河川システムと脆弱な生態系に依存している。それらは6000万人以上の人々の暮らしを支えている。しかし同地域は世界平均を上回る速度で温暖化が進み、氷河は後退し、干ばつの周期は激化し、水をめぐる競争は強まっている。 水需要は、この地域を特徴づける最大の脆弱性の一つとなっている。 中央アジアではすでにほぼ半分の地域で土地劣化が進み、年間60億ドルに上る経済損失を生んでいる。同時に、人口増加と消費パターンの変化が、限られた自然資源にさらなる圧力をかけ続けている。 このプロジェクトは、関係者が繰り返し「ネクサス・アプローチ」と呼んだ方法を通じて、こうした圧力に立ち向かおうとしている。 同プログラムの強力な支持国の一つであるスイスにとって、この取り組みは長年にわたる地域的関与が、より大きな構想として結実したものだ。 スイス連邦環境庁長官兼国務長官のカトリーナ・シュネーベルガー氏は、閣僚や代表団を前に、このプログラムを、温暖化する世界でますます必要とされる環境協力のモデルだと位置づけた。 「このプログラムは支援を必要とする国々に焦点を当て、環境分野を横断する統合を促し、国境を越えた協力を支援するものだ」と同氏は述べた。 シュネーベルガー氏は、環境政策があまりにも長い間、生態系を切り離された要素として扱ってきたと指摘した。 「砂漠化や水といった環境課題は、長きにわたり別々に取り組まれてきた。しかし結局のところ、水と土地の問題は結びついている」とシュネーベルガー氏は語った。 その説明は簡潔でありながら、説得力を持っていた。 「適切に管理された土地は、より少ない水で済む。そして適切に管理された淡水資源は、持続可能で生産的な農業を可能にする。」 スイスは、中央アジアにおける統合的環境プログラムを数十年にわたり支援してきた。その中には、「ブルー・ピース中央アジア」の枠組みに基づく国境を越えた取り組みや、過去の地域的土地管理プログラムも含まれる。 しかし関係者らは、新プログラムが規模と野心の面で新たな段階を示すものだと述べている。 CAWLNの中核にあるのは、個別部門の管理から、景観全体と河川システム全体の管理へと移行することである。 FAOのゴドフリー・マグウェンジ事務局次長は、この課題を地球規模の問題として位置づけた。 「気候変動、生物多様性の喪失、水ストレス、土地劣化、食料安全保障は、中央アジアの景観、河川流域、経済を横断して相互に結びついている」と同氏は代表団に語った。 「国境を越えたリスクに対処し、各国が脆弱性の要因に共同で取り組み、持続可能な開発のための2030アジェンダに向けた進展を加速するには、統合と協力が重要である。」 マグウェンジ氏によると、FAOは2009年以来、中央アジア諸国がGEFから約7700万ドルの資金を動員するのを支援してきた。 過去の地域的イニシアチブの一つでは、干ばつに弱く塩害を受けた280万ヘクタールの景観において統合的管理を回復し、約900万トンの排出を回避するとともに、数百万人の農民の強靱性を高めた。 新たな取り組みは、三つの主要な柱で構成されている。 第一に、政策調整と知識共有の仕組みをつくることで、国境を越えたガバナンスを強化すること。第二に、農地、森林、河川流域に至るまで、景観の現場で統合的な行動を支援すること。第三に、衛星監視、地理情報システム、統合データ・プラットフォームを活用し、証拠に基づく意思決定を向上させることである。 関係者らは、技術が実施の中核になると述べている。 地球観測システムは、水利用、土地劣化、生態系の健全性を追跡する。意思決定支援ツールは、各国政府が環境データを実践的な行動へと転換する助けとなる。 こうしたツールは極めて重要になる可能性がある。 この地域の将来は、アムダリヤ川とシルダリヤ川という二つの河川と密接に結びついている。 中央アジアの山岳地帯からアラル海流域へと流れるこれらの河川は、国々、経済、そして何百万もの人々の暮らしを結びつけている。 同プログラムは、四つの国家プロジェクトと、流域全体に及ぶ介入、地域調整メカニズムを組み合わせている。 国家プロジェクトでは、カザフスタンにおける生物多様性保全と牧草地管理、キルギスにおける農林地の再生、トルクメニスタンにおける気候強靱型農業、ウズベキスタンにおける生態系回復など、各国の優先課題に取り組む。 地域的構成要素では、アムダリヤ川、ザラフシャン川、パンジ川、シルダリヤ川、ナリン川の各流域における統合的水管理に焦点を当てる。 支持者らは、これらの投資によって100万ヘクタール以上の土地が回復し、数百万トンの炭素排出が回避され、約50万人の生計が改善されることを期待している。 UNECE水条約の下で国境を越えた協力を担当するフランチェスカ・カラビーニ氏は、中央アジアにおけるネクサス・ガバナンスの実験が、すでに世界的な実践の形成に影響を与えていると参加者に指摘した。 水・エネルギー・生態系ネクサスの枠組みで評価された最初期の河川流域の一つが、シルダリヤ川だった。 別の記者会見で、FAOの気候・環境部門責任者カヴェ・ザヘディ氏は、環境劣化の原因として非難されることの多い農業こそ、解決策の一部にならなければならないと主張した。 「私たちが食料を生産し、農民を支える方法は、気候の健全性と直接結びついている」と同氏は述べた。 「それは土壌や土地の健全性と直接結びついている。そして水や生態系とも直接結びついている。」 ザヘディ氏は、世界的に憂慮すべき傾向を挙げた。 2024年だけで、9600万人以上が、気候変動によって激化した気象災害などに関連する急性食料不安に直面した。一方で、7億人以上が今も飢餓に苦しんでいる。 しかし農業には機会もある。 「適切に行えば、食料と農業は、必要とされる排出削減量の最大3分の1を実現し得る。同時に自然を守ることもできる。」 生物多様性と経済的必要性のバランスについてIPSの質問に答えたザヘディ氏は、環境保護と生計が競合しなければならないという考えを否定した。 「持続可能な農業を含め、生物多様性の持続可能な利用こそが中核にある」と同氏は述べた。 「重要なのは、生物多様性の保護だけではない。保全、再生、そして生物多様性の持続可能な利用である。」 同氏はさらに、「健全な土壌がどれほど重要かを、農民に改めて説明する必要はない」と語った。 アグロフォレストリーや景観回復のようなプロジェクトは、所得を守りながら強靱性を高めると同氏は強調した。 総会の閉会式で、GEF暫定CEOのクロード・ガスコン氏は、この会合で最も明確な政治的メッセージを示した。 「本日は、中央アジアにとっても地球環境にとっても重要な節目である。私たちは2030年に向けた最終局面に入っている」と同氏は述べた。 「この地域の5カ国は、再び環境分野で力を合わせた。」 ガスコン氏は、このプログラムについて、各国が「水と土地の問題は相互に結びついており、別々にではなく一体として取り組むことが最善である」と認識しつつある証拠だと述べた。 同氏は、環境行動の次の段階には「政府全体、社会全体によるアプローチ」への移行が不可欠だと強調した。 会場の外では、サマルカンドの夏の暑さが、何が問われているのかを静かに物語っていた。 ザラフシャン川沿いに位置するこの都市は、中央アジアの歴史的な生命線の一つであり、水、農業、生存をめぐる問いが何世紀にもわたって文明を形づくってきた場所である。 今日、気候変動はそれらの問いを再び中心課題へと押し戻している。 中央アジア水・土地ネクサス・プログラムが成功するかどうかは、資金や政策だけにかかっているのではない。会議の横断幕が撤去された後も、各国が国境を越えた協力を持続できるかどうかにかかっている。 注:本特集記事はGEFの支援を受けて掲載された。編集内容についてはIPSが単独で責任を負うものであり、必ずしもGEFの見解を反映するものではない。 INPS Japan/ IPS UN Bureau Report 関連記事: 中央アジアの水資源問題と解決策 アラル海は不死鳥の如く「灰」のなかから蘇りつつある 中央アジア、新たな環境協力の段階へ

アフガニスタンの女性たち、医学課程を修了しても医師になれず

筆者はアフガニスタン在住の女性ジャーナリスト。タリバン政権復帰前にフィンランドの支援を受けて研修を受けた。安全上の理由から氏名は公表していない。 【カブールIPS=匿名】 アフガニスタンでは深刻な女性医師不足が続いているが、イスラム主義政権であるタリバンは女性医学生の卒業資格取得に制限を課し、その状況をさらに悪化させている。女性の医学部卒業生は、医師として正式に診療を行うために必要な最終試験の受験を認められていない。|英語版| アフガニスタンのパルワン州にあるアル・ビルーニ大学医学部を3年前に卒業したニラブ(仮名)は、タリバンによって最終試験の受験を禁じられたため、医師として働くことができない。 最終試験は、医学部卒業生の能力を評価するための試験であり、7年間の課程修了後に実施される。この試験に合格すると医師免許が付与され、卒業生は正式に医療行為を行うことができる。また、免許取得者は教育病院での専門研修にも応募できる。 「医師が最終試験に合格しなければ、高校を卒業したばかりの学生と同じ扱いになります。医療機関に就職を申し込むと、最初に『最終試験を受けましたか』と尋ねられます。受験していなければ、どの病院でも働くことはできず、看護師としてさえ採用されません。」とニラブは語った。 「私は19年間学び続けました。そのうち7年間は家族と離れ、別の州の学生寮で暮らしました。本当に大変な日々でした。ところが最後の段階で、たった一つの試験――最終試験――によって、これまでの努力のすべてが止められてしまいました。今では私の未来そのものが奪われています。」 女性向けの最終試験が最後に実施されたのは2021年である。それ以降、受験を許可されているのは男性だけだ。この状況は、もともと深刻だったアフガニスタンの女性医師不足をさらに悪化させている。 ニラブはカブールで母親と暮らしている。家族は7人きょうだいで、姉妹4人、兄弟3人だ。 姉妹2人と兄弟2人は大学を卒業しているが、その将来は不透明である。 妹の一人は全国大学入学試験で上位の成績を収め、医学部への進学を果たした。しかし学業を続けることはできなかった。また兄の一人はロシア文学を専攻して卒業したものの、職を得られていない。 一家の収入源は母親と姉妹の一人であるハリダ(仮名)だけである。2人は公立小学校で女子児童を教える教師として働いており、そのわずかな給与で家族全体を支えている。 ニラブ自身も別の方法で生計を立てようとしてきた。最近まで、女性は大学以外の医療教育機関で学ぶことが認められていた。 「困難の中でも、私は2年制の医療学校で教員として働いていました。しかし2025年1月、タリバンが医療学校を閉鎖したことで、その仕事も失いました。」とニラブは語った。 長年にわたる学びが無駄になったことで、彼女は深刻な精神的負担やストレス、不安を抱えるようになった。 「近年、多くの若い女性が自ら命を絶ったのを私たちは見てきました。若い女性たちの政府や司法、人権に対する信頼は完全に失われています。女性の声が封じられ、その思いが心の中に閉じ込められたままになると、耐え難い苦しみになります。その苦しみは私たちを蝕み、癒えることのない傷となるのです。」 タリバンの決定は、2022年以降に学業を修了したすべての女性医学生に影響を及ぼしている。その結果、内科、歯科、外科、循環器科、さらには産婦人科においても女性医師が不足している。 ハリダは2022年にカブールの私立医科大学を卒業した。 「最終試験を受けられないことで、私たちの人生は完全に壊されてしまいました。かつて思い描いていた未来は失われました。その未来のために、12年間の学校教育、大学入試の準備に1年、そして大学での7年間を費やして努力してきました。しかし、そのすべてが今では無駄になってしまったのです。」 卒業後、ハリダは経験を積むために複数の私立病院で無給で働いた。同時に超音波検査の専門研修も受けていた。しかし、最終試験も専門資格取得に必要な試験も実施されず、最終的には自宅に留まらざるを得なくなった。 女性医師の中には、専門性とは無関係で、しかも極めて低賃金の仕事に就かざるを得ない人もいる。 「私も一時期、病院で栄養失調患者向けの栄養補助食品を配布する仕事をしていました。しかし、これは高校卒業者でもできる仕事です。私たちは7年間医学を学んだ医師です。本来なら専門知識を生かして女性患者に医療を提供すべきなのです。」 現在ハリダは大学外で英語を学びながら、国の英語能力試験に合格し、奨学金を得て海外で学び続けることを目指している。 彼女は、アフガニスタンでの19年間の学びにもかかわらず、他者の苦しみも自らの苦しみも和らげることができていないと語る。いまなお家族の経済的支援に頼らざるを得ず、その支えがなければ、自宅の四方の壁の中に閉じこもるしかなくなることを恐れている。 タリバンによる数々の女性規制の結果、多くの女性が人生への希望を失っている。結婚への期待を失った女性もいれば、望まない結婚を強いられた女性もいる。 「私は未婚ですが、現在のアフガニスタンで結婚したいとは思いません。私たち以上に不幸な世代を新たにこの社会に生み出したくないからです。」とハリダは語った。 国連の専門家らは、アフガニスタンにおける女性の教育や就労への制限が、同国の医療危機を一層深刻化させていると警告している。特に、女性患者を診療できる女性医師や女性医療従事者の減少が大きな問題となっている。 「私たち女性医師は、長年学んできたにもかかわらず、社会の女性たちに医療を提供することができません。その代わりに家族の負担になってしまっています。教育を受けた女性にとって、これほどつらいことはありません。私たちはただ女性であり、タリバン統治下に生きているという理由だけで苦しんでいるのです。」とハリダは語った。 INPS Japan/IPS UN Bureau Report 関連記事: |オーストラリア|医療格差縮小に取り組む先住民族の医師たち イランにおける女性の生活と自由: 1年後の成果、損失、教訓 被抑圧者から社会意識の高い億万長者に上り詰めたインド女性

ロシア・アフリカ関係発展の基盤としてのメディア

【モスクワIPS=ケスター・ケン・クロメガー】 ロモノーソフ・モスクワ国立大学ジャーナリズム学部の後援のもと、ロシア・アフリカ・クラブは4月下旬、ロシアとアフリカのジャーナリストによる第4回国際フォーラムを開催した。同フォーラムは、両地域のメディア協力における新たな歴史的節目となった。|ENGLISH| 毎年の恒例に従い、討議ではメディアのあり方、構造、現在の活動状況、情報発信の内容、課題、そして将来展望に焦点が当てられた。 また、アフリカとロシア連邦の双方におけるメディアが、二国間関係の強化にどのような役割を果たしてきたのか、さらに第1回および第2回ロシア・アフリカ首脳会議で掲げられた重要目標の推進に寄与してきたのかを、批判的に検証することも共通の目的であった。 なぜメディアなのか 予想された通り、会合では踏み込んだ議論が行われた。同時に、「ロシアとアフリカのマスメディア:世界の諸民族の友好と連帯を強化する役割」というフォーラムのテーマをめぐり、著名な専門家らがメディア活動の現状に関する見解や批判を提示し、議論は白熱した。 モスクワ国立大学ジャーナリズム学部長のエレナ・ヴァルタノワ氏は、メディアはロシアとアフリカの多様なパートナーシップ構築に貢献すべきだと指摘した。また、現代世界が複雑な変容を遂げるなか、統一的な情報空間を創出するうえで、異文化間対話が重要であると強調した。 MGIMO国際ジャーナリズム学部長のヤロスラフ・スクヴォルツォフ氏は、最近行った南アフリカへの特別な訪問について語り、南アフリカ、そしてアフリカ大陸全体は、ロシアのメディアにとって依然として「報道の空白地帯」であると述べた。同時に、アフリカの読者や視聴者に向けたロシア報道も極めて限られていると指摘した。 同氏は、この分野において、真摯で思慮深く、掘り下げた報道活動が必要だと強調した。また、強固な関係を築き、地政学的展開への理解を深め、アフリカ大陸の市民社会との対話を促進するため、より多くの機会を探る必要があると訴えた。 背景にある理由 ロシアとアフリカの間に存在するメディア活動の格差は、欧米メディアの圧倒的な影響力、ロシアにおけるアフリカ発の直接報道の少なさ、すなわち認定を受けたアフリカ人ジャーナリストの不足、そして制度的投資の限界に起因している。 こうした要因は、アフリカ研究を専門とするジャーナリストでITAR-TASS分析センターのコラムニストであるオレグ・オシポフ氏、ロシア・ジャーナリスト連盟書記で同連盟国際部長を務めるティムール・シャフィール氏、モスクワ国立大学ロシア・アフリカ・クラブのアフリカ系ディアスポラ・メディア関係委員会委員長で、アフリカ・ビジネス・クラブ会長でもあるルイス・ゴウェンド氏らによって、討議の中で指摘された。 オレグ・オシポフ氏は、ロシアとアフリカのジャーナリズムにおける情報不足に率直な懸念を示した。そのうえで、アフリカ大陸全域にロシアの特派員拠点網を拡大するとともに、経験豊かなアフリカ人メディア関係者をロシアに招くことが急務だと強調した。世界的に地政学的緊張が高まる今日、この課題はとりわけ重要である。 同氏は、現在の世界的潮流を踏まえれば、ロシアはあらゆる分野で存在感を拡大する必要があり、メディア空間はその過程における重要な構成要素であると述べた。 一方、ティムール・シャフィール氏は、メディアを通じてロシアとアフリカの人々や文化が相互にどのように認識されているのかを見つめ、共通の基盤を見いだすことが、今こそ特に重要であると述べた。 さらに同氏は、現在のメディア環境が大きな変革期にあり、技術、受け手、コミュニケーション手段が変化していると指摘した。そのため、ジャーナリズムは特別な責任と職業的誠実さを求められる分野であり、ロシアとアフリカのジャーナリストによる直接対話は、これまで以上に重要になっていると強調した。 新たなアプローチの模索 第4回ロシア・アフリカ・ジャーナリスト国際フォーラムは、新たな夜明けであり、両地域のメディア活動を改善するための新たな章を開くものと受け止められた。参加者はこの見解に大きな拍手を送った。登壇者らは、同フォーラムが多くの新たな共同イニシアチブの出発点になるとの確信を表明した。 ルイス・ゴウェンド氏によれば、たとえば、モスクワ国立大学ロシア・アフリカ・クラブが2022年に創設した情報資源であるメディア・プラットフォーム「RusAfroMedia」は、協力強化を通じて抜本的に刷新され、ロシア・アフリカ協力のイメージ向上に貢献する必要がある。 このプラットフォームは、自由で率直な意見交換、有益で関連性の高い情報の共有、そしてロシアとアフリカのあらゆる協力分野におけるイニシアチブの推進に必要な条件を備えている。同氏は、RusAfroMedia上でロシア人ジャーナリストの活動がアフリカ側に比べて著しく低調であることに懸念を示し、出席者にこの資源をさらに積極的に活用するよう呼びかけた。 ロシア・アフリカ・クラブの事務局長アレクサンドル・ベルドニコフ氏は、世界で新たな発展傾向が広がるなか、ジャーナリズムとメディア分野全体は、情報戦や特殊作戦の「戦場」となりつつあると明確に述べた。 同氏は、2026年10月に予定されている第3回ロシア・アフリカ首脳会議を前に今回のフォーラムが開催されたことは、参加者がロシアとアフリカのジャーナリズム協力に関する解決策やイニシアチブを形成するうえで極めて重要であると指摘した。そうした提案は、今後のアフリカ諸国首脳会議に向けた実践的勧告の基盤となるという。 伝統的取り組みの継続 TASS国際関係局の儀典・アフリカ部長リュボフ・サフノ氏は、ロシア最古の通信社を代表し、ITAR-TASSがアフリカのメディアに対して外国語ニュース配信を継続的に提供してきた取り組みについて説明した。ただし、ロシア・メディアの海外展開は限られた予算という制約に直面している。 同氏によると、アフリカでは400を超えるメディア機関がこれらの情報資源を利用している。また、同氏はロシア・アフリカ首脳会議に合わせて伝統的に開催される同社のメディア・フォーラムについても説明した。 国際通信社「ロシア・セゴドニャ」のメディア研究・分析局副局長セルゲイ・グラチェフ氏は、今日、ロシアが欧米メディアから前例のない圧力を受けているという点で、同僚らと見解を同じくした。アフリカのメディアは多くの場合、欧米の情報源に依存しており、ロシア当局者は、それが偏向的あるいは敵対的な情報で満たされる「空白」を生み出していると主張している。 それにもかかわらず、アフリカにおけるロシアのメディア・プロジェクトは発展を続けている。同氏は、33の外国語で発信するスプートニクのソーシャルメディア上での展開について、分析モデルを紹介した。 通信社「アフリカ・イニシアチブ」の編集長ブインタ・ベンベエワ氏は、近年、ロシアのニュースにおいてアフリカの存在感が明らかに高まっていると述べた。同氏は、アフリカにおける同社の経験について説明した。同社は、多くのアフリカ諸国で現地メディアとの協力協定を通じて存在感を示している。 また、同社はブロガーとも協力し、若いアフリカ人ジャーナリストを対象としたジャーナリズム学校も運営している。アフリカのメディア機関と現地で直接、緊密に協力することこそ、本格的なジャーナリズム活動を実現する鍵である。 ナイジェリアの研究者からの提言 カドゥナ州立大学のババトゥンデ・ジョセフ教授は、戦略的コミュニケーションを強化することで、パートナーシップを深め、アフリカ諸国の文化を結びつける必要性について語った。同教授は、アフリカにおけるロシア通信社の存在感と、ロシアにおけるアフリカ・メディアの存在感を拡大する必要があるという点で、ロシア側の同僚らに同意した。 同教授は、ナイジェリアだけでもハウサ語、ヨルバ語、イボ語、ピジン英語、そして平易な英語の5言語で放送を行う有名な英国のラジオ局を例に挙げた。「これは成功した戦略である」と、同教授は認めざるを得なかった。 ナイジェリア代表団を率いたカドゥナ州立大学のモハマド・バシル・アリ教授は、ロシアとアフリカの経済・起業協力を促進するうえでメディアが果たしてきた伝統的役割について、詳しく論じた。アフリカとロシアの双方が複雑な国際環境による多くの課題に直面しているにもかかわらず、この分野には巨大な可能性がある。同教授は、メディア分野における一層の連携強化が不可欠であると結論づけた。 同じくカドゥナ州立大学のユシャウ・イブラヒム・アンゴ教授とアヨデレ・ババトゥンデ教授は、「デジタル化の文脈におけるアフリカの創造産業とメディア・システム」と題する研究報告を行い、デジタルメディアがナイジェリア経済における起業活動に与える影響を分析した。 同報告は、デジタル・プラットフォームへの依存が、アルゴリズムの予測不能性を含む新たな脆弱性を経済にもたらしていると結論づけた。また、デジタル・プラットフォームを起業活動のインフラとして理論化することで、起業研究とメディア研究に貢献するものであり、政策、プラットフォーム・ガバナンス、そしてアフリカの文脈においてメディアが経済生活をどのように形づくるのかを理解するうえで示唆を与えるものとなった。 結び ロシア・アフリカ・クラブ青年プロジェクト委員会委員長のハフィズ・バシ氏は、閉会挨拶で、ソ連時代の政治的決まり文句によってロシアとアフリカを描く古い固定観念を改める時期に来ていると強く訴えた。 「私たちに必要なのは、人々をさらに隔てるジャーナリズムではなく、人々を結びつけるジャーナリズムである」とバシ氏は強調した。また、ロシアで認定を受けたアフリカ人ジャーナリストが不足していることは、依然として差し迫った課題であると指摘した。 一方、アフリカのメディアはロシアについて主に政治的な観点から報じており、ロシア文化の真の深みやロシアの人々の精神を十分に伝えられていない。バシ氏によれば、ロシア・アフリカ・ジャーナリスト・フォーラムは、ロシアとアフリカのメディア協力を強化するための最も差し迫った課題、展望、戦略を議論する場として、その重要性を改めて示した。 急速な地政学的変化の時代にあって、また欧米諸国とその同盟国による攻撃的な言説に対応するうえで、パブリック・ディプロマシー、ソフトパワー、平和構築に資するジャーナリズムは、ますます重要性を増している。ロシア・アフリカ対話の強固な基盤を築くためには、慎重な分析と有効な措置が求められる。 ケスター・ケン・クロメガは、アフリカにおける現在の地政学的変化、対外関係、そして外部諸国との経済開発に関する問題を専門としている。同氏の記事の多くは、信頼性の高い複数の海外メディアに転載されている。 INPS Japan 関連記事: ロシアが集めるアフリカの「捨て駒」 |ブルキナファソ|3年の破られた約束 アフリカのクーデターと資源の権利