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米国の核実験再開は他の核保有国にも連鎖的脅威を誘発しかねない
【国連IPS=タリフ・ディーン】
ドナルド・トランプ米大統領が核実験の再開を表明したことは、軍人と民間人が甚大な放射能被曝に晒された過去の悪夢を呼び起こすものである。1945年から包括的核実験禁止条約(CTBT)が署名開放された1996年までの約半世紀に、世界では計2,000回以上の核実験が実施された。米国は1945年から1992年の間に1,032回の核実験を行った。
公開資料と調査によれば、米国の核実験には主として軍人が動員された。当初、米政府は放射線の影響に関する情報を秘匿し、多くの退役軍人が深刻な健康被害に苦しむ結果となった。
核放射線機密協定法が撤廃されたのは1996年であり、それにより退役軍人は国家反逆罪を恐れずに被曝体験を語ることが可能となった。1998年に補償法案は否決されたものの、その後、米政府は生存者と遺族に謝罪している。
また、トリニティ実験(ニューメキシコ州)を含む初期の核実験では民間人も放射能に曝され、退役軍人同様、長期的健康被害に苦しんだことが報告されている。
英コロンビア大学シモンズ平和・人間安全保障講座教授のM・V・ラマナ博士はIPSの取材に対して、米国がどのような核実験を想定しているかは明らかではないと指摘した。
米国はCTBTを未批准である一方、1963年には「大気圏、宇宙空間、水中における核実験禁止条約(部分的核実験禁止条約)」に署名・批准している。これ以降の核実験はすべて地下で実施されてきた。
しかし地下核実験には二重の環境リスクが存在する。
1)爆発時または実験後の管理作業により放射性物質が大気中へ漏出2)地下に残された放射能が長期にわたり地下水や地表に到達
「ネバダ実験場で行われた核実験の半数以上が放射性物質を大気中に放出した。」とラマナ博士は語った。1999年には、1968年の核実験地点から1.3キロ離れた場所でプルトニウムが検出された。
さらに重大なのは、米国が核実験を再開した場合、他国も追随する可能性だという。
「すでにインドの強硬派から『実験再開に備えよ』との声が上がっている。」とラマナ博士は警告する。
そして、米国がビキニ環礁で核実験を計画した際、国際女性平和自由連盟(WILPF)が発した言葉を引用した。
「爆破されるべきは旧式戦艦ではなく、原爆製造というプロセスそのものである」
「この言葉は今も変わらず示唆的である。核兵器の能力を高めるのではなく、その存在と使用の前提を終わらせるべきだ」とラマナ博士は述べた。
核実験回数(1945〜1996)
国名実験回数米国1,032回ソ連715回英国45回フランス210回中国45回インド1回(1974年)
アクロニム研究所国連代表ナタリー・ゴールドリング氏はIPSの取材に対して、次のように厳しく批判した。
「トランプ大統領の核実験再開方針は、彼の衝動的で無謀な行動の中でも際立って短絡的で危険だ。」
大統領は自らの発言に他国が反応し、連鎖的核実験競争を引き起こす可能性を軽視していると同氏は指摘する。
米国の核兵器信頼性確保プログラムはすでに強固であるにもかかわらず、核実験再開は「武力誇示」ではなく他国の実験再開の口実になるという。
「米国が再開すれば、他国も追随する口実を与えることになりかねない。」
ゴールドリング氏は、核実験には軍事的側面だけでなく、人間、経済、環境への甚大な負荷が伴うと強調した。
兵士や民間人の被曝被害は深刻であるにもかかわらず、補償や除染は極めて不十分なままである。
「再開に費やす資金は、むしろ過去の汚染地域の回復や被害者支援に充てられるべきだ」
また、米露間で最後の核軍縮枠組みである新START条約は来年初めに失効予定だが、両国はなお上限遵守を宣言できるはずだと語った。
さらに、真に平和仲介者を名乗るのであれば、米国は核兵器禁止条約(TPNW)に加盟すべきだと提言した。
ゴールドリング氏は、核兵器全廃に向けて前進する道はすでに提示されていると述べ、次の言葉で締めくくった。
「原子力が解き放たれた力はすべてを変えたが、人間の思考様式だけは変わっていない」(アルバート・アインシュタイン、1946年)
TPNWはその出口となりうる。核実験は人間、環境、経済などあらゆるコストを増幅させるだけである。(原文へ)
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|ブルキナファソ|3年の破られた約束
【モンテビデオ/ウルグアイIPS=イネス・M・ポウサデラ】
3年前、イブラヒム・トラオレ大尉は二つの約束を掲げて権力を掌握した。深刻化する治安危機への対応と、民政復帰である。しかし、この二つはいずれも空約束に終わった。トラオレ政権は選挙を2029年まで延期し、独立選挙管理委員会を解散、さらには西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)と国際刑事裁判所(ICC)からの離脱を決めた。ブルキナファソは今や完全な軍事独裁国家となった。
その道のりは2022年1月に始まった。文民政府がジハード主義者の暴力に対処できないことへの抗議が高まり、ポール=アンリ・サンダオゴ・ダミバ中佐によるクーデターの口実となった。移行政権はECOWASと合意した2年以内の民政移管を約束したが、8カ月後にはトラオレが2度目のクーデターを主導し、ダミバが反乱勢力の鎮圧に失敗したと非難した。
そして、トラオレが約束した2024年6月の選挙期限が近づくと、軍事政権は「国民対話」を開催したが、多くの政党はこれをボイコットした。結果として採択された憲章は、トラオレの任期を2029年まで延長し、次期選挙への出馬も認めた。移行期間だったはずの体制は、個人的権力の恒久化へと姿を変えた。さらに、2024年12月にはアポリネール・ジョアシャン・キレム・デ・タンベラ首相を解任し内閣を総辞職させ、民間人参加の体裁も完全に放棄した。
軍が権力を固定化する中で、市民的自由は急速に失われた。CIVICUSモニターは2024年12月、ブルキナファソの市民空間を「抑圧」と格下げし、恣意的拘束やとりわけ恐るべき手法――批判者の強制徴兵――による沈黙化を指摘した。2024年6〜7月に拉致された4人のジャーナリストは、軍の中に「消え」、当局は彼らを「入隊させた」と発表した。2025年3月には、言論弾圧に抗議していた3人の著名ジャーナリストが10日間にわたり強制失踪し、再び姿を見せたときには軍服を着せられていた。職業的独立性は銃口の前で消し去られた。
市民社会活動家も同様の運命を辿った。Sensという政治運動の5人のメンバーは、民間人殺害を非難する声明を発表した直後に拉致された。同団体のコーディネーターである人権派弁護士ガイ・エルヴェ・カムは、軍批判を理由に繰り返し拘束されている。2024年8月には、政権支持者を捜査していた7人の判事・検察官が徴兵された。6人は軍基地に連行され、それ以降消息不明のままである。徴兵を武器化することで、市民の意思表示が「国家防衛」の名の下に犯罪化されている。
一方、クーデターの大義名分とされた治安情勢は、むしろ劇的に悪化した。イスラム主義過激派による暴力の死者数はトラオレ政権下で3倍に増え、軍に対する最悪の攻撃10件のうち8件が彼の統治中に起きている。軍が実効支配し自由に行動できる地域は、国土の約3割にまで縮小した。
軍と同盟民兵組織は大規模な残虐行為を犯しており、2024年前半だけで民間人の犠牲者は1,000人を超えた。2024年2月には、イスラミストによる攻撃への報復として、少なくとも223人――そのうち56人は子ども――が軍により銃殺されたとされる。
紛争により数百万人が国内避難民となり、独立推計ではその数は300万〜500万人に達し、政府が2023年3月に公表した約200万人という公式数字を大きく上回る。国境を越えて逃れる人もいる。2025年4月から9月の間だけで、約51,000人の難民がマリのコロ・セルク地区に流入し、脆弱な公的サービスに頼る現地コミュニティを圧倒している。さらに、肝炎E、麻疹、ポリオ、黄熱など複数の疫病が同時に発生し、ブルキナファソの人道危機に拍車をかけている。
こうした失敗への説明責任を回避するため、軍政は国際的監視から撤退しつつある。ECOWASの「外国の影響」を批判し、テロ対策への支援が不足したと主張しながら、2024年1月にマリ、ニジェールと共にECOWASを脱退。9月にはICCからの脱退を表明し、人権侵害者を裁く国際機関を「新植民地主義の道具」と歪曲した。これにより、超法規的殺害、拷問、戦争犯罪の被害者が正義を求める現実的な道は閉ざされた。
その一方で、政権のオンライン・プロパガンダは驚くほど効果的である。トラオレは「西洋帝国主義と闘う若き汎アフリカの英雄」というイメージを巧みに築いてきた。一部のアフリカの若者やディアスポラにとって、彼は腐敗した政治や旧宗主国との関係を断ち切るために必要なカリスマ的指導者として映る。しかし、この名声は、成果を誇張し、人権侵害を過小評価し、国際機関からの離脱を“抵抗”として演出する広範な偽情報の上に成り立っている。
軍政の反帝国主義的レトリックは、単純な現実を覆い隠している。フランス軍を追放した後、ブルキナファソは代わりにロシアへと傾いた。ロシアの民間軍事会社は国軍と広範に行動を共にしているが、人権尊重を促すことはなく、ウクライナ戦争で批判されるウラジーミル・プーチンへの盾として機能している。最近では、ロシア政府系企業とされる団体に金採掘の権益も付与した。
それでも民主主義の理想は生き残っている。市民社会の指導者は声を上げ続け、ジャーナリストは報道を続け、野党勢力は組織化を進めている。大きな危険を承知のうえでの行動である。その勇気には、単なる懸念表明以上の支援が必要だ。
トランプ政権がUSAIDプログラムを突然打ち切った今、他の国際ドナーは一歩踏み出し、強い制約下でも活動を続ける市民社会団体や独立メディアを支える緊急資金メカニズムを構築しなければならない。地域機関は人権侵害に責任を負う当局者への標的制裁を科し、民政復帰への圧力を維持すべきだ。国際社会がブルキナファソの民主勢力と連帯し続けなければ、この国は「軍事統治がいかに不可逆的か」を示すもう一つの警鐘となりかねない。(原文へ)
イネス・M・ポウサデラ:CIVICUSリサーチ・分析部門責任者、『CIVICUS Lens』共同ディレクター・ライター、『市民社会の現状報告書』共著者、ウルグアイORT大学 比較政治学教授。
INPS Japan/IPS UN Nureau Report
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宗教的・倫理的論争:核兵器開発はイスラームにおいてハラール(許容)か
【ロンドンLondon Post=ラザ・サイード、ロリサナム・ウルゴヴァ】
核兵器の開発・保有・使用がイスラーム法に照らしてハラール(許容)なのか、あるいはハラーム(禁忌)なのか――この問いは、古来の教義が究極的破壊力をもつ現代技術と交差する倫理的試金石である。それは単なる法解釈の問題ではなく、ムスリム多数国の政策判断、さらには世界のウンマ(共同体)の良心に向けられた根源的な問いでもある。
ここに横たわるのは明白な緊張である。慈悲、節度、生命の不可侵を中核とするイスラーム倫理は、核抑止という破局的な安全保障論理を受容し得るのか。法学的見解は二層に分かれつつも、結論はほぼ収斂している。すなわち、抑止を目的とした限定的保有に一定の余地を認める議論は存在するものの、核兵器の使用はいかなる状況でも許されないという点で、学説的合意は圧倒的である。
聖典が示す枠組:越境の禁止と生命保護
この難題に対し、学者たちはコーランとスンナ(預言者ムハンマドの言行)という基本法源に立ち返る。これらは、戦闘に関する区別・比例・必要性の三原則を明確に定め、武力行使を厳しく限定し、苦痛の最小化を求めている。
コーランはこう命じている。「あなたがたを攻撃する者と戦え。ただし越境してはならない。神は越境する者を愛さない」(2章190節)
ここでいう越境(ラ・タʾタドゥ)とは、侵略の開始、非戦闘員の殺害、過剰あるいは無差別な武力行使を禁じる包括的な規範を指す。預言者ムハンマドも軍勢に対し、「老人や幼児、子ども、女性を殺してはならない」と明確に禁じた。
さらに「ひとりの無辜の生命を奪うことは、全人類を殺したも同然である」(5章32節)と記されるように、生命の不可侵は普遍的原理として確立されている。
初代カリフのアブー・バクルも兵士に命じた。女性、子ども、老人、聖職者、家畜や果樹に害を加えてはならない。戦闘はあくまで軍事的必要性に限定され、破壊そのものが目的となってはならない。
この倫理的基盤は、核兵器の性質――熱、爆風、放射線、そして世代的な環境汚染(ファサード・フィル・アルド)――が区別原則に反し、無差別殺傷と環境破壊を避け得ないという点で、イスラーム倫理と核兵器のあいだに本質的な緊張関係をもたらす。
抑止論:限定的保有の論理
核戦力の保有を擁護する論者が拠り所とするのが、次の一節である。「あなたがたは力の限りを尽くして備えよ…敵を畏怖させるために」(8章60節)
ここから導かれるのが、抑止(ラドʿ)の概念である。すなわち、十分な軍備を保持することで攻撃を抑え、共同体を保護するという論理である。これは、公共善(マスラハ)および緊急必要(ダルーラ)の原理に基づく防衛権として解釈される。
しかし、この許容範囲はきわめて狭い。学者の大半は、抑止の枠を超えて核兵器を現実に使用することは、いかなる状況においても容認されないと結論づけている。
「核兵器の使用は絶対的にハラームであり、いかなる抑止論もその境界を越え得ない」
すなわち、許容の余地は保有に限られ、核兵器の使用はイスラーム法上、絶対的禁忌(ハラーム)とされる。
禁止論:倫理的障壁
支配的な立場は、核兵器を意図ではなく、その兵器特性そのものにおいて非合法・非倫理的なものとみなす。すなわち、核兵器は区別原則に反し、比例性を欠き、放射線被害と環境破壊(ファサード)を世代にわたって残す。
主要な宗教機関――OIC傘下の国際イスラーム法学アカデミーやアル=アズハル――は、大量破壊兵器を「それ自体が悪」「人類に対する罪」と明確に断じている。これは、シャリーアの究極目的(マカースィド)である生命・信仰・知性の保全と根本的に矛盾する。
矛盾の事例:ファトワと「イスラーム核」
イラン:禁忌ファトワと戦略的曖昧性
最高指導者ハーメネイー師は、核兵器をハラーム(禁忌)とするファトワを繰り返し表明してきた。ただしその文言は、核使用を罪とする一方で、製造や保有能力に関する閾値を明確にせず、解釈上の余地を残している。2021年、アラヴィー情報相が「追い詰められた猫は違う振る舞いをすることもある」と発言したのは、この曖昧性を暗に認めたものと受け止められた。こうした禁忌は倫理原則であると同時に、国家的抑止の柔軟性を支える政治的装置としても機能している。
パキスタン:「イスラーム抑止」
唯一のムスリム核保有国であるパキスタンは、核抑止をイスラームに基づく防衛の正当性として位置づけてきた。8章60節とダルーラ(緊急必要)の原理に依拠し、核戦力を一貫して「防衛的抑止」として正当化する立場である。しかし、その破壊力と無差別性は、国内外のイスラーム法学者に重大な神学的・倫理的懸念を生じさせている。
結論:倫理的指導性と核軍縮の要請
核兵器をめぐるイスラーム論争は、単純な二分法には収まらない。それは、抑止を目的とした限定的保有の可能性と、核兵器の使用を絶対的に禁ずる立場とのあいだにある緊張関係に根ざしている。
倫理的潮流は明確に禁忌化と軍縮へと傾いており、国際宗教対話や国連枠組みを通じて発せられる多宗教声明は、核抑止論が未来世代の保護という理念と両立し得ないという現実を浮き彫りにしている。
真の安全保障は核の均衡ではなく、勇気、信仰、平和と完全軍縮への共同努力に存する。
(原文へ)
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ロシアと核軍備管理の未来―抑止と軍縮のはざまで
【バイユーLondon Post=シュチタ・ジャー】
冷戦終結以来、世界の核秩序はかつてないほど脆弱な局面にある。新戦略兵器削減条約(新START)は2026年2月に失効を迎えるが、代替枠組みに向けた本格交渉は進展していない。こうした空白の中で、ロシアの核態勢は今後の戦略的安定を左右する決定的な要因となっている。ロシアは世界最大の核弾頭保有国であり、2024年9月時点で約5,580発を保有し、このうち1,588発が新STARTの計算方式に基づく戦略配備戦力に分類される。
ロシアは核三本柱(陸・海・空)を維持し、RS-28「サルマト」ICBM、ボレイA級潜水艦と「ブラヴァ」SLBM、Tu-160M2戦略爆撃機、さらに極超音速滑空体「アバンガルド」や原子力駆動無人魚雷「ポセイドン」など全階層の近代化を推し進めている。これには核戦力の生存性確保に加え、米国・NATOの技術的優位性を相殺する意図が含まれている。|トルコ語|
数十年をかけ構築された軍備管理の安定構造は、現在崩壊の瀬戸際にある。第一次戦略兵器制限交渉(SALTⅠ)から新STARTに至る条約群は半世紀以上にわたり戦略核戦力を制限・削減し、透明性と予測可能性を提供してきたが、その時代は終焉に向かっている。ロシアが2023年に新START履行を停止したことで検証機能は麻痺し、双方は不確実性の高い状況下で運用せざるを得なくなった。さらに2023年11月の包括的核実験禁止条約(CTBT)批准撤回は、ロシアが制約なき核開発環境を受容する姿勢を明確に示した。新STARTの上限が消失すれば、ロシアは既存システムへの弾頭追加によって戦略配備戦力を最大60%増強することが理論上可能となる。
ロシアは期限延長案を示しているものの、それは暫定措置に過ぎず、実質的解決策ではない。ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)など専門家は、米露間の核軍備管理は「ほぼ終焉段階」にあると指摘し、この空白は新たな複合型軍拡競争を誘発する恐れがある。
ロシアは、2022年のウクライナ侵攻以降、核戦力の運用や威嚇的な核言説を通じて、軍備管理体制と国際規範の双方を著しく損なってきた。
戦術核兵器のベラルーシ配備、欧州での限定的核使用を想定した演習、そして継続的な核威嚇は、抑止と強制外交の境界を曖昧にし、核タブーの弱体化を招いている。さらに、2020年および2024年のドクトリン改訂により、核使用の閾値は実質的に引き下げられ、ベラルーシへの攻撃、大規模な航空宇宙攻撃、主権の重大な侵害が核使用を正当化しうる事態として明記された。こうした核シグナリングは、NATOの関与抑制と政治的譲歩の強要を狙った意図的手段として位置づけられている。
こうした行動をめぐっては、専門家の見解が大きく分かれる。クライシス・グループのオルガ・オリカー博士は、ロシアはもはや米露二国間の法的拘束力ある軍備管理を志向しておらず、抑止安定の基盤を「数的均衡」ではなく二次報復能力に置いていると分析する。この見方によれば、条約停止は感情的反応ではなく、「制約なき核環境への適応」を示す政治的シグナルであり、ロシアは「軍備管理」から「リスク管理」へ軸足を移しつつある。2026年以降の後継枠組みをめぐっても、ロシアは欧州配備の中距離ミサイル、中国の核戦力、宇宙領域を交渉範囲に含めるよう主張しているが、米国はこれを受け入れていない。
これに対し、元カーネギー・モスクワセンターのドミトリー・トレーニン教授は、ロシアは相互確証破壊(MAD)に依拠した抑止構造から、限定核使用を含むエスカレーション優位への意図的転換を進めていると指摘する。戦術核の域外配備や繰り返される演習は、単なる威嚇的抑止ではなく、強制外交(戦争を開始することなく相手の行動を変えさせるため、軍事力の示威や限定的圧力を用いて意思決定を強いる手法)の実効的手段として位置づけられつつある。その観点から、軍備管理体制はもはや有効な安全保障枠組みではなく、冷戦期の制度的遺産にすぎないと論じている。
その他の専門家も、この議論の分岐を補完している。イワノフ博士は、軍備管理を制約ではなく交渉レバレッジと捉え、違反行為を戦術的圧力として読み解く。一方、ペトロワ博士は、ドクトリンの曖昧化が誤算の誘発につながり、ポセイドンのような新型戦略兵器が安定性を損なうと警告する。モロゾフ博士がロシアを「多極秩序における規則更新の主体」と位置づけるのに対し、グラント教授は、ロシアを「核の脅しを交渉カードとして用い、相手に譲歩を迫る国家」と評価する。これらの分析は、抑止、条約、そして信頼という、核軍備管理が直面する三重の課題を浮き彫りにしている。
状況をさらに複雑化させているのが、多極化しつつある核秩序である。中国は2035年までに弾頭数を1,500発規模へ拡大する可能性があり、インド、パキスタン、北朝鮮も核戦力の増強を続けている。AI、サイバー、極超音速兵器、宇宙といった新興領域は、従来の兵器数管理型条約が抱える構造的限界を明らかにしている。世論調査では、抑止と軍縮は両立し得るとの認識が広がる一方、最も緊急の課題はリスク削減であることが示されている。
この岐路を脱するには、実務的な措置が不可欠である。条約が不在の状況でも、米露はデータ交換や軍事間通信を維持し、誤算の回避を確保する必要がある。発射即応態勢の解除(二次警戒化)、二重用途システムの明確化、核指揮統制系統へのサイバー干渉に関する規範策定といったリスク削減措置は、偶発的核使用の可能性を確実に低減する。将来的には、米露中の三者による凍結から着手し、他の核保有国を含む枠組へ拡張する道が開かれよう。検証制度も新技術へ適応し、国際機関は条約が停止している状況でも監視が可能な次世代検証ツールを整備する必要がある。
結論は厳しい。米露間で法的拘束力と検証性を備えた核軍備管理は、当面は停止し、場合によっては恒久的に失われる恐れすらある。ロシアの最終目的については、管理されたエスカレーションに備えるための措置とみる立場と、条約外に新たな安定化モデルを構築しようとする転換とみる立場とに分かれている。ウクライナ戦争および米露関係の構造的転換が生じない限り、新たな軍備管理枠組みが成立する展望も、デタントへの回帰も現実味を帯びない。世界はいま、弾頭数の上限管理ではなく、核の生残性(報復能力)、指導部の意思決定、そして越えるべきではない境界線(レッドライン)の運用によって抑止が維持される段階へと移行している。
ガードレールの再構築に失敗すれば、核瀬戸際政策は常態化し、核拡散は加速し、「核使用」という制御不能な局面が一層現実味を帯びてくる。選択肢はひとつである。協調的安全保障とリスク削減への再コミットメントによってのみ、破局への道筋から退避することができる。核兵器が存在する限り、歴史が示すとおり、それは誤算、事故、さらには意図によって使用され得る。抑止管理と破局的衝突との岐路は、まさに今この瞬間の判断に委ねられている。(原文へ)
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