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「混迷する世界」で民主主義を守るために

【バンコクIPS=ゾフィーン・エブラヒム】 いま、世界は暗い時代を迎えている。市民社会の活動家たちは、暗殺、投獄、でっち上げの罪状、そして資金削減と闘いながら、格差、気候の混乱、権威主義の台頭に覆われた世界の中で民主主義を守ろうとしている。しかし、バンコクのタマサート大学に満ちた空気は決して絶望的ではなかった。 1976年、民主化を求める学生たちが残虐に弾圧されたあの事件の舞台となったこの大学は、市民社会にとって「聖地」とも言える場所である。そこに再び、「混乱した世界(topsy-turvy world)」で民主主義を守ろうと呼びかける声が響いた。市民社会組織CIVICUSのマンディープ・ティワナ事務総長は、「権威主義が台頭するこの世界においても、市民空間を守る闘いは続いている」と語った。 アジア民主主義ネットワークのイチャル・スプリアディ事務総長は「この声を響かせよう。民主主義は共に守らねばならない」と訴え、「権威主義に立ち向かうのは、私たちの『連帯の力』だ」と強調した。 希望に満ちた会場の雰囲気の中でも、対話の多くは厳しい現実を見据えていた。アジア文化発展フォーラムおよび平和文化財団のゴトム・アリア博士は、「世界各地で市民の自由が制限されている」と警鐘を鳴らした。彼は軍事費の膨張を引き合いに出し、世界の優先順位がいかに歪んでいるかを指摘した。「米国の国防総省は、むしろ『戦争省』と呼ぶべきだ」と述べ、米国の軍事予算が9680億ドルに上る一方、中国は300億ドルにすぎないと比較した。さらに「ウクライナ戦争への支出はわずか3年で10倍に増えた」と指摘し、「平和と戦争の現状はこの数字が物語っている」と沈痛な面持ちで語った。 別のセッションでは、世界の権力構造への批判が展開された。フィリピンの元上院議員で平和活動家のウォルデン・ベロー氏は、トランプ政権下の米国が「自由市場」の仮面を完全に捨て、「あからさまな独占的覇権」に転じたと断じた。「アメリカの帝国主義は、もはや偽装をやめ、世界に自国の意のままに従うよう公然と要求している」と彼は述べた。 パキスタンの物理学者で作家のペルヴェズ・フッドボーイ博士も、自国政府への怒りを隠さなかった。パキスタンが「精神異常者で、虚言癖があり、好戦的な人物」をノーベル平和賞に推薦したことを痛烈に批判し、「国民の同意もなく、米国の独裁者に鉱物資源を売り渡す権利など政府にはない」と糾弾した。 また彼は、核保有国であるインドとパキスタンが再び衝突の縁に立たされているとして、国際社会に和平交渉の再開を呼びかけた。 アリア博士は議論を人道危機に戻した。ガザでの民間人の犠牲、スーダンでの戦闘による飢餓の拡大、そして気候行動の遅れがもたらす格差の悪化—。「10年前に大国がパリ協定の履行を拒んだために、いま世界はその代償を払っている」と彼は警告した。 その現実をさらに痛切に訴えたのが、パレスチナの医師で政治家のムスタファ・バルグーティ博士だった。彼は、米国製の兵器を使ったイスラエルの攻撃により、ガザの人口の推定12%が殺され、すべての病院と大学が破壊され、約1万人の遺体が瓦礫の下に埋もれていると語った。 それでも、会議が示したのは市民社会の底力だった。渡航禁止やビザの壁を越え、75以上の団体から約1000人がタマサート大学に集い、120以上のセッションで戦略と希望を共有した。その中には、アフガニスタンから唯一参加したとみられる団体「ハムラー」の代表もいた。 「世界がアフガニスタンから目を背けている今こそ、私たちが存在し続けていることを示すことが重要だ」と、ハムラー・イニシアチブ共同設立者でプログラム・ディレクターのティモール・シャラン氏はIPSの取材に対して語った。「アフガンの市民社会は消えていない。闘い続け、最前線を守っているのだ。」 彼によれば、同団体は秘密またはオンラインで学校を運営し、虐待を記録し、タリバン支配下で声を奪われた人々の発信を続けているという。「私たちの参加は、レジリエンス(回復力)の証であり、連帯への呼びかけでもある」と語った。 インドネシア出身でLGBTQ+の権利擁護者、リスカ・カロリナ氏(ASEAN SOGIE コーカス所属)はこう指摘した。「『見えること』が大切。でも、もっと強いのは『共に見えること』です。」「この会議は、ダリット(被差別民)、先住民族、フェミニスト、障害者、クィアといった、普段は交わることの少ない運動を一堂に集め、交差的な民主主義(intersectional democracy)の形をつくる特別な場でした」と語った。 彼女の活動は、東南アジアの政治・人権枠組み、とりわけ性的多様性の承認に慎重なASEAN制度内で、LGBTQIA+の権利を推進することに焦点を当てている。 「SOGIESC(性的指向、性自認・表現、身体的性の特徴)を“特殊な問題”ではなく、民主主義、統治、人権の中核として位置づけることが重要です。そのために政府、市民社会、地域機構のすべてと関わり、クィアの人々の参加、安全、尊厳を民主主義の尺度に含める必要があるのです。」 彼女はさらに、「ICSW(国際市民社会ウィーク)は、市民空間、民主主義、クィア解放が不可分であることを可視化する場となった」と述べ、「民主主義とは選挙のことだけではなく、誰が自由に生き、誰が法や偏見によって沈黙させられているか、ということでもある」と強調した。 一方、会場の外では、市民社会のリーダーたちが率直な対話の場を設け、縮小する行動空間の中で自らの役割を省みた。「対話の中では、厳しくも必要な問いが投げかけられた」とある参加者は言う。 「私たちは直面する課題の深刻さを本当に理解しているか? 対応は十分か? 反権利勢力が私たちの価値観を尊重することを期待していないか? 受け身になっていないか? 正義のために命を懸ける人々の“同盟者”なのか、“共犯者”なのか?」 しかし、一つだけ全員が共有した確信があった。―それは、市民社会は分断されず、団結して民主主義を守らなければならない、ということである。(原文へ) INPS Japan/IPS UN Bureau Report 関連記事: 外国エージェント法―市民社会を抑圧する新たな権威主義の武器 2025年の市民社会の潮流:9つの世界的課題と1つの希望の光 国連の未来サミットに向けて変革を求める青年達が結集

世界の核保有国による核実験の後遺症は、膨大な数に及ぶ被害者に壊滅的な影響を与え続けている。

【国連IPS=タリフ・ディーン】 国連によれば、核実験の歴史は1945年7月16日、米国がニューメキシコ州アラモゴード砂漠の試験場で初の原子爆弾を爆発させたことに始まる。 その後、1945年から包括的核実験禁止条約(CTBT)が署名開放された1996年までの半世紀の間に、世界各地で2000回以上の核実験が行われた。 米国:1945~1992年に1032回 ソ連:1949~1990年に715回 英国:1952~1991年に45回 フランス:1960~1996年に210回 中国:1964~1996年に45回 インド:1974年に1回 1996年9月のCTBT署名開放以降にも10回の核実験が実施された。 インド:1998年に2回 パキスタン:1998年に2回 北朝鮮:2006年、2009年、2013年、2016年、2017年に各1回(ただし2006年は2回) そして10月30日、ドナルド・トランプ大統領は中国の習近平国家主席との会談を前に、ソーシャルメディア上で「30年以上ぶりに核兵器実験を再開する」と表明した。しかも今回は「ロシアと中国と対等な立場で」と語った。 米国の核実験場とその被害 主な米国の核実験場は、ネバダ核実験場(現ネバダ国家安全保障サイト)、マーシャル諸島およびキリスィマスィ島(クリスマス島)周辺の太平洋実験場であった。そのほか、ニューメキシコ、コロラド、アラスカ、ミシシッピ各州でも実験が行われた。中でもネバダ核実験場は最も活発で、1951年から1992年までに1000回以上の実験が実施された。 9月26日の「核兵器の全面的廃絶のための国際デー」における会合で、アントニオ・グテーレス国連事務総長は次のように警告した。「核実験の脅威が再び現れ、核の威嚇は過去数十年で最も激しくなっている。」 中国・ロプノール実験場とウイグル人の被害 10月29日付のニューヨーク・タイムズ紙は「中国、原子力開発で世界の先頭に立とうと競争」と題した記事を掲載し、1964~1996年にかけて中国が実施した45回の核実験を振り返った。 報告によれば、中国の核実験被害者、特に新疆ウイグル自治区のウイグル人は、放射線被曝による健康被害をほとんど認知されず、政府によって声を封じられている。「中国政府は、核実験計画が地元住民にもたらした壊滅的影響に関する情報を意図的に抑圧している。」と報告は指摘している。 人工知能による分析結果によれば、中国の核実験には大気圏内と地下の両方が含まれ、そのうち22回が大気圏内で行われ、地域住民は深刻な放射能汚染にさらされた。政府は「不毛で無人の地域」と説明したが、実際にはウイグル人の遊牧民や農民が何世紀にもわたって暮らしていた。独立研究者や証言によると、新疆では中国全土と比べ、がん、白血病、奇形、退行性疾患の発生率が異常に高いことが確認されている。 「被曝者」の連帯と国際的責任 NGO「World BEYOND War」および「Global Network Against Weapons and Nuclear Power...

ローマのコロッセオで宗教指導者が平和を訴える―戦争に引き裂かれた世界に向けた連帯の祈り

【ローマ/東京IPS=浅霧勝浩】 かつて帝国の暴力の象徴であった古代ローマのコロッセオ。その荘厳な遺跡の下で、世界各地の宗教指導者が一堂に会し、戦争と分断が続く現代に「平和を取り戻す」ための共同の祈りを捧げた。 「平和への果敢な挑戦(Dare Peace)」と題されたこの国際会議は、聖エジディオ共同体が主催する年次フォーラム「平和のための宗教と文化の対話」。3日間にわたり、キリスト教、イスラム教、仏教、ユダヤ教、ヒンドゥー教など多様な信仰の代表が、対話と祈りを通して平和の道を探った。 10月28日の閉会式で演説した教皇レオ十四世は、古代の石壁に響く声でこう訴えた。 「戦争は決して聖なるものではありません。聖なるのは平和です。それは神が望まれる道なのです。」 道徳的勇気への呼びかけ コンスタンティヌスの凱旋門の下で、教皇レオ十四世は「権力の傲慢」と呼んだものに立ち向かうよう、各国政府と信徒の双方に呼びかけた。 「世界は平和を渇望しています。人々が戦争を人類史の“常態”とみなすようになってはなりません。もう十分です―これは貧しい人々と大地の叫びなのです。」 数千人規模の群衆の中には、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、仏教、ヒンドゥー教の代表者が含まれていた。その中には、長年にわたり平和運動を続けてきた仏教団体、創価学会の寺崎広嗣副会長の姿もあった。 古代の円形闘技場の周囲に蝋燭の火が灯される中、彼らは静かに並んで立ち尽くした。石壁に揺れる小さな光は、和解への共通の祈りを象徴していた。 信仰と責任 教皇の演説は、信仰と政治的責任の間に明確な一線を引くものだった。 「平和はあらゆる政治において最優先でなければなりません。平和を求めず、緊張や紛争をあおった者たちは、その日々と年月を神の前で問われるでしょう。」 その言葉は、ウクライナとガザで戦闘が続く中で発せられ、意図的な緊張感を帯びていた。教皇レオ十四世のもとでのバチカンは、世界的な危機における政治的停滞に対する道徳的な対抗軸としての立場を一層明確にしており、平和を抽象的な理想ではなく人類の義務として語っている。 「アッシジの精神」を継ぐ対話 今年の会議は、教皇ヨハネ・パウロ二世が1986年にアッシジで初めて宗教間の平和集会を開いてから、ほぼ40年という節目を迎えた。それ以来、聖エジディオ共同体は「信仰間の対話こそ、政治的分断を和らげる力となり得る」との信念を持ち続けてきた。 同共同体のマルコ・インパリアッツォ代表は 「戦争の言葉が支配する世界で、私たちはあえて平和を語る勇気を持ちました」と、語った。「対話の道を閉ざすことは狂気です。教皇フランシスコも言われたように、世界は対話なしでは窒息してしまうのです。」 閉会式では、宗教指導者たちが「平和の燭台」に火をともした後、イタリアのトランペット奏者パオロ・フレズが静寂の中に哀切な旋律を響かせた。 生命の尊厳を問う分科会 同日午前、創価学会はローマ市内のオーストリア文化フォーラムで、分科会22「正義は人を殺さない―死刑制度の廃止に向けて」に参加した。 ピサ大学のエンツァ・ペッレッキア教授は、創価学会を代表して登壇し、この運動による死刑廃止への取り組みについて、創立者である池田大作会長が英国の歴史家アーノルド・トインビー博士との対談で語った言葉を通して、次のように語った。 生命の尊さは罪や功績によって評価されるものではなく、平等である。故に、正義の名のもとであっても生命を奪う権利は誰にもない。死刑を容認するのは、生命の価値に差をつける制度化された暴力の一形態であり、池田会長がそれを「現代における生命軽視の風潮」の現れであると述べている―と。 池田会長の人間主義的思想は、教皇レオ十四世の「死刑や暴力を容認しながら“プロライフ”を名乗ることはできない。」という最近の発言と深く通じ合うものであり、両者はいずれも「一部の命は犠牲にしてもよい」とする同じ道徳的誤りに立ち向かっているのだと語った。 沈黙を拒む宗教 何十年にもわたり、コロッセオは平和を象徴する集いの場として使われてきた。しかし、参加者たちは今年の式典にはこれまでになく切迫した緊張感があったと語る。欧州と中東で続く戦争、数百万人に及ぶ人々の避難、そして高まる権威主義―そうした現実が、「道徳」という言葉に新たな重みを与えていた。 「平和は人間の心の変革から始まります。」と寺崎副会長は語った。「宗教間の協力は象徴ではなく、歴史を動かす方法なのです。」 次世代へ託された平和のアピール 夜の帳が下りるころ、トランペット奏者のパオロ・フレズが哀切な独奏を奏でた。そのあと、子どもたちが壇上に進み出て、外交官や政府関係者に「平和のアピール」を手渡した。―それは、次の世代が、いま大人たちが下す選択を受け継ぐことになるという事実を静かに思い起こさせる場面だった。 教皇の最後の言葉は短く、低く穏やかだった。 「神は戦争のない世界を望んでおられます。神はこの悪から私たちを解き放ってくださるでしょう。」 群衆が去った後も、蝋燭の光はローマ帝国の遺跡を照らし続けた。古代の石壁を背景に揺れる小さな灯が、なお戦争を続ける世界への静かな抵抗と希望の象徴となった。(原文へ) This article is brought to you by IPS Noram,...

Z世代抗議の余波で問われる「誰がネパール人なのか」

【カトマンズINPS Japan/ Nepali TImes=シュリスティ・カルキ】 先月のZ世代による抗議デモの後、新首相スシラ・カルキが最初の閣僚を選出した際、若者団体は女性、若者、そして多様な民族・社会文化的背景を持つ人々を含め、国の多様性を反映するよう求めた。 カルキが次の閣僚候補を指名するまでにはさらに数週間を要した。そこで保健相として選ばれたのが官僚であり公衆衛生の専門家でもあるサンギータ・ミシュラだった。だが発表直後、ミシュラが自身を「ネパール人だがインド出身」と語った過去の映像が拡散された。 彼女の言葉は事実を述べたものだった。ミシュラは帰化ネパール市民である。しかし、超国家主義的なネット空間では激しい非難が巻き起こった。政府は汚職防止委員会(CIAA)による調査を理由に、彼女の閣僚名簿からの削除を発表した。 就任から1か月が経っても内閣が完成しない中、カルキ首相は若者世代の登用を検討していた。メディアのリークによって候補者の名前が浮上したが、その中の一人がフムラ県リミ渓谷出身の気候活動家で映画監督のタシ・ラゾムだった。 するとたちまち、彼女に対して差別的で排外主義的、さらには女性蔑視的な投稿がソーシャルメディア上に溢れた。「分離主義運動を支持している」「外国勢力のエージェントだ」「市民権が疑わしい」「ネパール人らしく見えない、話し方が違う」——そんな根拠のない中傷が飛び交った。 ヒンドゥー王政の復活を主張する政治家ギャネンドラ・シャヒも、彼女の出自に関して偏見に満ちた発言を行い、炎上に拍車をかけた。 一方、国家人権委員会の元委員モフナ・アンサリはSNSで次のように訴えた。「タシ・ラゾムさんは私たちと同じネパール人だ。自国民のアイデンティティを疑うことこそが、私たち社会の最も醜い側面であり最大の欠点だ。真の愛国心とは多様性を受け入れること。偽りのナショナリズムは終わらなければならない。」 イスラム教徒の人権活動家でもあるアンサリ自身も、ネット上でイスラモフォビア的な誹謗中傷を繰り返し受けてきた人物だ。 これに対し、「先住民Z世代コレクティブ」はラゾムのネパール市民権証明書を公開し、SNSや一部メディアで拡散された虚偽情報を打ち消した。 「ネパール人」とは誰か ネパール人とは何を意味するのか。どのように見え、どのように話す人を「ネパール人」と呼ぶのか。 ラゾムは『カンティプル』紙のインタビューでこう語った。「私の名前がタシ・パウデルやタシ・タパ、バッタライ、ギミレだったら、こんなことは起きなかったでしょう。彼らは私を“ネパール人らしく見えない”“カースのように話さない”と言いました。なぜならネパール語は私の母語ではないからです。」 これは、ネパール社会が抱える根深い差別意識の象徴である。先住民族であるネパール人たちが、見た目や言葉、出身地や信仰が「標準的なネパール像」と違うというだけで、市民である証明を求められる現実があるのだ。 私たちは、アメリカなどで公職に就いているネパール生まれの帰化市民の成功を誇らしげに称賛する一方で、ネパールに帰化した外国出身者や、国内の少数・被排除集団出身者に対しては、同じ敬意を示そうとしない。彼らが国家のために働くことを当然と考えず、特に女性に対しては二重の偏見が向けられる。 デマと排外主義の連鎖 さらに、黒いTシャツに「TOB」と印字されたバイク集団の映像が拡散し、それが「Tibetan Original Blood(チベット純血)」を意味し、フリーチベット運動と関係しているとする憶測が飛び交った。 その後、こうした噂はデマと憎悪を伴って拡大し、チベット系ネパール人やチベット共同体への排外主義的発言や暴力の呼びかけにまで発展した。 多文化国家の岐路に立つネパール 9月の抗議デモ後、多くの国民は政治と官僚機構から旧来型の政治家が一掃されることを期待していた。だが、その前に私たちはまず、自らの社会に根づく偏見と差別を直視しなければならない。 さもなければ、ネパールの多文化主義は憲法上の理念にすぎず、政治的なポーズにとどまってしまう。 現政権も将来の政権も、完全に「中立」であることなどありえない。誰もが主観や信念、何らかの運動・思想への関与を持っている。だが、その批判が特定の社会的マイノリティや活動家に偏って向けられることは不当である。 政治に関わるには「無色」でなければならないという考えは幻想だ。これからのネパール社会を再構築するためには、民族的・文化的多様性だけでなく、思想や信条の多様性も受け入れ、祝福する必要がある。 同胞に対して陰謀論や差別的な言葉を用い、民族中心主義や排外主義に走ることは、ネパールという国家そのものへの裏切りである。 ネパールの強さは、その多様性にこそある。(原文へ) INPS Japan/ Nepali Times 関連記事: デジタル時代に抗議を再定義するZ世代(アハメド・ファティATN国連特派員・編集長) 南アジアにおける若者主導の革命は懸念すべきか? ネパールの宗教指導者たちが調和を促す

女神のように舞う