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イランの核開発:中東が「核武装したテヘラン」を恐れる理由

【エルサレムINPS Japan=ロマン・ヤヌシェフスキー】 イラン、米国、イスラエルの対立が激化する中、多くの分析家は、イランが新たな政治段階に入ったとみている。強硬派の治安関係者、軍と結びついたテクノクラート、革命防衛隊の司令官らが、1980年代以降で最も大きな実権を握る局面である。|RUSSIAN|ENGLISH| イランの公式な国家機構はなお維持されている。しかし、欧米やイスラエルの複数の情報評価は、現在の指導部をめぐる環境について、実質的には治安機構を中心とする「戦時下の権力集中」と表現している。 この変化は重要である。なぜなら、現在イランの戦略政策を形づくっている多くの人物は、過去のイラン交渉担当者の世代に比べ、西側との妥協に明らかに関心が薄いように見えるからだ。 長年にわたる外交の崩壊、制裁の再発動、イラン核施設に対する破壊工作、そして軍事行動の威嚇が繰り返された結果、テヘラン内部では「イスラム共和国の存続を保証できるのは核抑止力だけだ」とする主張が力を増している。 数十年にわたり、イラン当局者は自国の核計画について、発電、科学研究、医療用同位体の生産といった民生目的のためのものだと公に主張してきた。しかし同時に、イランは通常の民生用原子力発電に必要な水準をはるかに超えてウラン濃縮を拡大してきた。 国際原子力機関(IAEA)によれば、イランは現在、兵器級に近い純度まで濃縮されたウランを保有しており、さらに濃縮すれば、理論上は複数の核装置を支え得る量の核分裂性物質を有している。 イラン側の見方 テヘランを突き動かしている論理は、イラン側の視点に立てば理解しにくいものではない。イランの戦略家たちはしばしば、核兵器を保有したことで外国主導の体制転換を免れた国々を引き合いに出す。 地域の議論で最も頻繁に挙げられるのは北朝鮮である。極度の国際的孤立と制裁にもかかわらず、平壌の核戦力は、米国による直接的な軍事侵攻の可能性を事実上排除した。 これに対し、サダム・フセイン政権下のイラクやムアンマル・カダフィ政権下のリビアのように、核抑止力を持たなかった体制は、兵器計画を放棄した、あるいは完成させられなかった後に、最終的に打倒された。 テヘランから見れば、こうした先例は明確なメッセージを発している。すなわち、核能力こそが外部からの介入に対する唯一の信頼できる「保険」なのかもしれない、ということである。 イラン当局者はまた、自国が極めて敵対的な安全保障環境に置かれているとも主張している。イランは米軍基地、敵対する湾岸君主国、そして核武装しているとみられるイスラエルに囲まれている。イランの強硬派は、核能力を単なる兵器ではなく、戦略的対等性と国家存続の象徴として位置づける傾向を強めている。 米国側の見方 一方、米国にとって、イランによる核兵器取得の阻止は、中東安全保障政策の中心的柱の一つとなっている。 ワシントンの懸念は、短期的なものと長期的なものの双方に及ぶ。共和、民主両党の歴代政権は、核武装したイランが地域を根本的に不安定化させ、核軍拡競争を誘発し、イスラエルや米国の同盟国を巻き込む戦争の危険を劇的に高める可能性があると主張してきた。 米情報当局者が懸念しているのは、「核の盾」の可能性でもある。このシナリオでは、イランは核抑止力による保護を背景に、ヒズボラ、イラクの民兵組織、イエメンのフーシ派といった地域の代理勢力を通じて、より攻撃的に行動する。敵対国は、核能力を持つ国家への直接報復をためらうだろうと見込むためである。 地域から見た脅威 イスラエルは、この脅威をさらに実存的なものとして捉えている。イスラエルの指導者たちは、政治的立場を問わず、イランに核兵器能力を持たせることは認めないと繰り返し表明してきた。 その理由は、戦略的なものでもあり、歴史的なものでもある。イラン当局者や革命防衛隊司令官は長年にわたり、イスラエルの破壊を求める言辞を用いる一方、地域全体で反イスラエル武装組織に資金と武器を提供してきた。 多くのイスラエル人にとって、イデオロギー上の敵意、弾道ミサイル開発、そして核能力が組み合わさることは、受け入れがたいリスクである。仮にイランが実際に核兵器を使用しなかったとしても――そもそも現時点でイランは核兵器を保有していない――そのリスクは消えない。イスラエルの防衛計画担当者は、イランの核爆弾が存在するだけで、イスラエルの行動の自由は大きく制約され、恒常的な戦略的脆弱性が生まれると主張している。 湾岸諸国もまた、深い警戒感を抱いている。これらの国のいくつかはテヘランと慎重な外交関係を維持しているものの、その懸念は小さくない。 サウジアラビアやアラブ首長国連邦(UAE)などは、イランの「核の傘」が、テヘランによるペルシャ湾での政治的・軍事的優位を可能にすることを恐れている。これらの政府が特に懸念しているのは、イランのミサイル戦力、代理勢力ネットワーク、そして地域各地のシーア派運動に対する影響力である。 そのため、多くの分析家は、核武装したイランが地域的な核拡散の連鎖を引き起こす可能性があるとみている。サウジアラビアは、イランが核の敷居を越えれば自国も核の選択肢を追求すると、繰り返し示唆してきた。トルコやエジプトも、いずれ自国の戦略態勢の見直しを迫られる可能性がある。 脅威は現実なのか それでも一部の専門家は、差し迫った「イラン発の核の破局」への恐怖は誇張されることがあると指摘している。 仮にイランが核爆弾を製造したとしても、テヘランの指導部は一般に、情報機関からは自殺的というより合理的で体制存続を重視する存在とみなされている。歴史的に見れば、多くの核保有国は核兵器取得後、直接戦争のコストが飛躍的に高まったため、より慎重になったのであって、より無謀になったわけではない。この見方を支持する人々は、イランを敵対的ではあるが抑止可能な他の核保有国になぞらえている。 これに対する批判者は、中東の複雑性、代理戦争の役割、そして誤算の可能性を踏まえれば、イランは異なると反論する。また、リスクは意図的な核攻撃に限られないとも警告している。ミサイル、民兵組織、海上での偶発的衝突をめぐる地域危機が、核兵器の存在によって予測不能な形でエスカレートする可能性があるためである。 技術的に見れば、イランは過去のどの時点よりも核兵器能力に近づいているように見える。 科学国際安全保障研究所(ISIS)やIAEAの複数の評価によれば、イランは高濃縮ウランを十分に保有しており、兵器化されれば、数カ月以内に複数の核装置に必要な物質を生産できる可能性がある。 ただし、核分裂性物質の生産は課題の一部にすぎない。イランはなお、以下の段階を経る必要がある。 機能する核弾頭を製造すること、それを小型化すること、ミサイルシステムと統合すること、そして信頼性のある実験またはシミュレーションを実施すること、である。 西側の情報機関の間では、これがどれほど速く実現し得るかについて見方が分かれている。一部の推計は、イランが政治的決断を下せば、比較的短期間で粗製の核装置を生産できる可能性があるとしている。しかし、信頼性のある実戦配備可能な核戦力を構築するには、相当長い時間を要する可能性が高い。 イランは理論上、何発の核爆弾を製造し得るのか。それは濃縮度、兵器設計の効率性、そしてテヘランがどれだけのウランを備蓄として保持するかによって異なる。最近の一部推計では、イランの現在の濃縮ウラン備蓄は、完全に兵器化された場合、おおむね5発から10発の単純な核装置に必要な物質を支え得るとされている。 これは、イランが現在核爆弾を保有していることを意味しない。テヘランが作戦運用可能な核兵器を組み立てたことを示す公的証拠は、なお存在しない。しかし、「核爆弾を持っていること」と「短期間で核爆弾を製造できること」との違いは、ますます狭まっている。 まさにこの点こそが、この問題をこれほど危険なものにしている。 イラン指導部にとって、核能力は体制存続を保証する究極の手段に見えつつある。一方、米国、イスラエル、そして複数のアラブ諸国にとって、同じ能力は、はるかに不安定な中東の始まりに見える。そこでは、抑止、代理戦争、核をめぐる瀬戸際政策が、これまで地域が経験したことのない形で併存する可能性がある。 This article is brought to you by INPS Japan in...

すべての人に教育を、教育にすべての力を

教育の構造改革は、場当たり的な決定だけでは実現しない 【カトマンズNepali Times=スディクシャ・トゥラダール】 バレンドラ・シャハ首相率いる政府は、学校教育の改善に向けた一連の施策を発表し、発足直後から矢継ぎ早に動き出した。しかし、その1か月後にあたる今週、政府はブルドーザーを投入し、少なくとも4校の地域運営の学校を含む河岸沿いの集落を一帯ごと取り壊した。|ENGLISH| マノハラ川とバグマティ川の河岸沿いの一画は、まるで戦場のような惨状を呈していた。学校の建物は瓦礫と化し、床は異様な角度に傾いていた。ある学校では、地元の区役所が2015年の地震時に国際赤十字委員会(ICRC)から提供されたテントを使い、運び出した机や椅子を並べて授業を続けていた。 1年生から8年生までの児童・生徒たちは深いショックを受け、自分たちの学校がなぜ取り壊されたのか理解できずにいた。教師たちにも答えはなかった。政府は、住まいを失った人々を移住させると説明し、住む場所を追われた子どもたちを受け入れるよう私立学校に求めた。 一方、河岸沿いの集落の取り壊しとは別に、全国の学校現場でも混乱が広がっている。先月就任したサスミット・ポカレル教育相が、就任直後から相次いで新たな方針を打ち出したためだ。 ポカレル教育相は、中等教育修了試験(SEE)後の進学準備講座を禁止した。続いて、5年生以下の児童については、上級学年に進むための年次試験を不要とする方針を示した。さらに、児童・生徒が教室で過ごす時間を減らし、屋外活動により多くの時間を充てるよう指示した。 「教科書を使わない金曜日」 ポカレル教育相は、バレンドラ・シャハ氏がカトマンズ市長だった当時の顧問であり、児童・生徒に実践的な技能や、芸術、音楽、農業などの創造的活動を学ばせる「教科書なしの金曜日」構想を主導した人物である。 もちろん、彼の決定には一定の合理性がある。大学進学のための「橋渡し」講座は過度に商業化され、生徒たちは入試準備のために高額な受講料を支払わざるを得なかった。保護者からは、小学生の子どもたちが年次試験にストレスを感じているとの声も上がっていた。また、屋外活動を義務づけることは、丸暗記中心の学習に代わる選択肢として位置づけられている。 大学における政党系の教職員組合や学生組織をすべて解体する計画も、広く歓迎された。これらの組織は政党の出先機関と見なされ、大学の日程を乱してきたと批判されていたためだ。 教育省がSEEの結果発表を従来の3か月後から1か月以内に短縮したこと、学士課程までの入学に市民権証明を必須とする規定を撤廃したこと、私立学校に10%の奨学枠を義務づけたことも、高く評価されている。 しかし、RSP政権の報道官も務めるポカレル教育相は、その後、一部の決定を撤回、または部分的に取り消した。そのため、教育現場には戸惑いが広がっている。さらに、旧政党が支配する自治体議会は、地元の学校は自分たちの管轄だとして、連邦教育省の新たな指示に従うことを拒んでいる。 「善意に基づくものであっても、決定は場当たり的で、断片的で、実行が難しい」と、ティーチ・フォー・ネパールの元代表キラン・ネパール氏は語る。「試験をなくすのであれば、子どもたちを評価する基準や仕組みは何になるのか。」 新政府の命令はあまりに拙速で、詰めが甘いとの指摘もある。試験なしに子どもを評価したり、教室の外で学ばせたりするには、教師に対するより充実した研修が必要である。 ポカレル教育相による進学準備講座の禁止には、強い反発も起きた。公立学校だけでは、生徒が自力で大学入学に備えるには十分ではないからだ。実際、全国のSEE合格率は2024年の48%から2025年には62%へ改善したが、その進展は全国の学校に均等に行き渡っているわけではない。 専門家は、政府がまず優先すべきだったのは、各地で非営利団体が進めている教員研修の充実や、公立学校の教員の意欲向上を後押しすることだったと指摘する。 「公立学校の教員の多くは正規の研修を受けているが、その技能を時代に即した効果的なものに保つには、定期的な再研修が必要である。」と、トリブバン大学の元副学長ケダル・マテマ氏は語る。 ネパールの子どもの約75%は公立学校に通っている。しかし、公立学校は資金も人員も不足しがちで、教師は暗記中心の教育に頼っている。公立学校の施設や教育の質が十分な水準に達していないため、多くの保護者は、より費用のかかる私立学校を選んでいる。一方、公立学校の質が高い地域では、私立学校への入学者は少ない。 「公立学校は、結束と寛容を備えた社会を築くうえで重要な役割を果たしている」とマテマ氏は付け加える。「公立学校は、経済的背景、民族、カーストの異なる子どもたちを一つの場に集め、共に学ぶ場である」 ネパールの農村部では、多くの生徒が教育を修了することに困難を抱えている。女子生徒の中退率は、児童婚や月経をめぐるタブーのため、依然として高い。娘を公立学校に、息子を私立学校に通わせる家庭も少なくない。 同時に、より良い学校を求めて都市部に子どもを送る家庭が増え、農村部の学校では児童・生徒数が減少している。専門家の推計によれば、ネパールの家庭は月々の支出の6.8%を学費に充てている。先進国ではこの割合は1.3%にとどまる。 「わが国では、多くの家庭が質の高い教育を求め、かなりの経済的負担を抱えながらも子どもを私立学校に通わせざるを得ないと感じている」とマテマ氏は言う。「公立学校の質を高めれば、この負担は軽減される。家庭は授業料を徴収する私立学校への依存を減らし、所得の相当部分を節約できるようになる」 実施を阻むギャップ ネパールの識字率は80%に上昇し、多くの郡では、ほぼすべての子どもが就学するようになった。しかし、教育の質はそれに追いついていない。過去50年に誕生した歴代政権は、カリキュラムの改善や教員研修を通じて教育の質を高め、平等を確保するため、善意に基づく計画を打ち出してきた。だが、それらは途中で放棄されるか、適切に実施されなかった。 歴代政権は教育分野の問題を把握し、改革のための予算項目まで設けてきたように見える。しかし、どこかの段階で実施が行き詰まってきたのである。 課題は、政治的な不備、計画を最後まで遂行しない体質、何が機能し、何が機能しなかったのかを検証する監視・評価の不足にある。過去には、政治的不安定と頻繁な政権交代が学校教育に影響を及ぼしてきた。 「政府と学校の間にある隔たりが、あらゆる決定の実施にも隔たりを生んでいる」とキラン・ネパール氏は語る。 期待されているのは、RSPが3分の2の多数を占めることで、政策の実行力が高まることだ。ポカレル教育相はまた、学校を週休2日とする方針を発表し、所定の履修内容を終えられるよう、冬休みやその他の祝日を削減することも決めた。これは妥当な判断だったが、教育関係者は、年間の学校暦がすでに公表された後に決定が出されたと指摘している。 先週、シャハ首相の政令により、政府内の政治任用職1,500人が解任された。その中には、大学や教育関連機関の教員、理事会メンバーも含まれている。 今後の大きな課題は、空席を適格な人材で埋めること、そして前政権が任命した役職者を、単にRSP系の人物に置き換えるだけに終わらせないことである。 新政府はデジタル化を強く推進しており、テクノロジーを活用して、教室での授業の質を飛躍的に高めることもできるはずだ。また、教育の質向上に実績を持つ国内外のパートナーとも連携すべきである。 初等教育を無償化した「学校セクター改革計画」と「学校セクター開発計画」は、改革の出発点となり得る。ただし、その際には外国援助への過度な依存を減らす必要がある。 マテマ氏はこう語る。「最優先すべきは、公立学校の質を高めるための投資である。同時に、新政府が地方自治体の能力を強化し、その管轄下にある学校を効果的に管理・監督できるようにすることも、同じく重要である。」 This article is brought to you by Nepali Times,...

世界的緊張の高まりで、若い世代の間に再び広がる核への不安

【INPS Japan/UN News=コナー・レノン】 冷戦期の緊張の時代を生きた多くの人々にとって、核戦争による終末的な破局の脅威は、常に頭から離れない不安であった。その脅威がいま、若い世代の間でも再び懸念として広がりつつある。 20世紀を生きた多くの人々にとって、ソ連と米国が文明を終わらせかねない核対決に突入する可能性は、最大の恐怖であった。 そうした破局が現実に起こり得る危険は、決して消え去ったわけではない。しかし、若い世代の意識の中では、気候危機や制御不能なAIツールといった、より差し迫って見える実存的脅威に取って代わられてきた。 しかし、核紛争の影が消えたわけではない。1945年に広島と長崎に原子爆弾が投下されて以来、核兵器が戦争で使用されてこなかった背景には、核不拡散条約(NPT)が56年にわたり果たしてきた役割もある。 核をめぐる言説の復活 近年、核をめぐる言説は再び勢いを増している。こうした中、国連は若い活動家たちに働きかけ、核兵器がなぜ戦場で二度と使用されてはならないのかを伝えようとしている。 「正直に言えば、核戦争は私にとって大きな関心事ではありませんでした」と、30歳のナタリー・チェンさんは語る。「私の周囲の同世代も同じです。ただ、ウクライナ戦争やガザ、イランをめぐる現在の紛争を考えると、軍縮は間違いなく重要な課題になっています」 香港出身で英国を拠点に活動するアートプロデューサーのチェンさんは、国連が運営する「核兵器のない世界のためのユース・リーダー基金(YLF)」に参加して以来、核軍縮の複雑さや基本原則、そして核兵器がなぜ世界平和にとって重大な脅威であり続けているのかについて学んできた。 チェンさんは4月30日、ニューヨークのポスター・ハウスで開かれたイベントに参加した。この催しは日本政府が主催し、国連軍縮部(UNODA)が支援したもので、YLF第2期生が制作した作品が紹介された。 このプログラムは、若者たちが軍縮や平和・安全保障の分野でより効果的に提言活動を行えるよう、必要な知識を提供することを目的としている。 「若者である私たちがその一部となることで、政治的プロセスは大きな力を発揮し得るのだと学びました」と、YLF参加者のアブドゥル・ムスタファザデさんは語る。ムスタファザデさんは、デジタルメディアを通じて地球規模の課題をより身近に伝えるアーティストである。 「軍縮をめぐる言葉は非常に専門的になりがちですが、私はアートを通じて、その内容を分かりやすく伝える方法を学びました。」 新たな世代が直面する脅威 国連軍縮部(UNODA)を率いる中満泉・国連事務次長兼軍縮担当上級代表は、若い世代に対し、なぜ核軍縮が重要な課題なのかを説明し、新たな専門家世代を育てることが急務だと指摘する。彼らは、NPTが創設された当時には存在しなかったAIやサイバー空間でのハッキングといった現代の脅威を身近なものとして育ってきた世代だからである。 「冷戦終結後の約30年間、私たちは幸いにも核兵器についてそれほど心配せずに済みました」と中満氏は語る。「しかし、地政学的な緊張は再び高まっています。軍縮コミュニティの問題の一つは、過去にどのように議論されていたかばかりを振り返りがちなことです。」 「しかし、核の指揮統制へのAIの統合など、議論するだけでも恐ろしい新たな課題が存在します。」 このイベントは、国連本部で5月22日まで開催されている2026年NPT再検討会議にあわせて開かれた。 中満氏は、専門用語には分かりにくい面があると認めつつも、半世紀以上の歴史を持つこの条約は、今なお極めて重要であると強調する。 「NPTが存在しない世界は、はるかに不安定なものになっていたでしょう。より多くの国が核兵器の取得を目指し、その結果、核兵器が使用される可能性も高まっていたはずです。条約が合意される前には、核兵器保有国は30から40カ国に増えると予測されていました。しかし、そうはなりませんでした。それはNPTがあったからです」 核兵器使用の常態化 ユース・リーダー基金は、若い核軍縮の提唱者たちが複雑な軍事ドクトリンを理解し、抑止論の立場に立つ人々とも説得力を持って緻密な議論を行えるよう支援する取り組みの一つである。 同時に、それは核兵器使用の常態化に歯止めをかけるための取り組みでもある。日本出身の中満氏は、この点に強い懸念を抱いている。 「小型の『低出力』核兵器なら実際に戦場で使用できるという、極めて危険な言説が生まれています。しかし、それは誤りです。広島と長崎で使用された爆弾は、今日であれば低出力核兵器に分類されるものです。」 「何が起きたのか、その記憶を風化させないことは絶対に不可欠です。日本が今後もその役割を果たし続けることを願っています。」と中満氏は語った。(原文へ) INPS Japan 関連記事: AIドローンが変える核兵器の未来 核の瀬戸際にある世界:拡散する現代戦とその代償 国連の未来サミットに向けて変革を求める青年達が結集

女性として世界で初めてエベレスト登頂を果たした田部井淳子、映画でよみがえる

カトマンズ国際山岳映画祭で伝記映画『Climbing for Life』上映へ 【カトマンズINPS Japan/Nepali Times=ミキ・ウプレティ】 田部井淳子(1939〜2016)は、1975年に女性として初めてエベレスト登頂を成し遂げた登山家としてだけでなく、生涯を通じてネパールに寄り添い続けた、かけがえのない友人として記憶されている。 1975年は「国際婦人年」であった。そして2026年は、日本とネパールの外交関係樹立70周年に当たる。こうした節目の年に、5月30日、カトマンズ国際山岳映画祭(KIMFF)で田部井の伝記映画『Climbing for Life』が特別上映されることになったのは、まさに絶妙なタイミングと言える。 私はネパールに36年間暮らす日本人であり、田部井と同じ山岳会に所属していた。彼女に刺激を受けた世代の一人でもある。 田部井はエベレスト登頂後、世界的な称賛を浴びた。そして晩年、末期の病を患ってからも活動を制限することはなかった。家族に愛され、人生を全力で楽しみ、登山を続け、さらに2011年の東日本大震災で心に傷を負った若者たちを励まそうと、日本最高峰の富士山登山へと誘った。 伝説的女優・吉永小百合が、本作で田部井淳子を演じる。吉永にとって本作は出演124作目となる。長年にわたり第一線のスターであり続け、身体も鍛え続けてきた彼女の歩みは、頂点を極めた田部井の人生とも重なる。 若き日の田部井を演じるのは俳優・アーティストとして幅広く活躍する「のん」。彼女が田部井特有の何気ない仕草まで見事に再現していることに驚かされた。 さらに、佐藤浩市や天海祐希といった実力派俳優が、田部井の夫と生涯の親友を演じる。木村文乃と若葉竜也は子ども役として出演し、有名人の母を持つ家族が直面する葛藤を丁寧に描いている。 監督の阪本順治は、1989年以来、多くの日本映画の名作を世に送り出してきた人物で、日本アカデミー賞最優秀監督賞など数々の賞を受賞している。阪本監督は、「山に詳しくない人でも楽しめる作品を目指した」と語っている。 現代のヒマラヤ登山が商業化される以前、1975年の日本女子エベレスト隊は極めて特別な存在だった。本作は、黎明期の遠征登山が持っていた冒険精神を見事に映し出している。田部井家に残されていた登山道具から、若き日の淳子と後の夫が身につけていたシャツや登山靴、さらには家族の車に至るまで、細部が忠実に再現されている。 私が知る田部井家の姿も、映画では驚くほどリアルに描かれていた。衣服や装備は、まるで本物そのもののようだ。もちろん、田部井がやや理想化されていると感じる人もいるかもしれない。しかしこれはドキュメンタリーではなく劇映画であり、それは自然なことだ。それでも本作は、現実の田部井淳子を誠実にスクリーンへ映し出している。 KIMFFの上映会には、カトマンズ在住の日本人たちも集う予定であり、この上映は、日本・ネパール外交関係樹立70周年記念事業の一つとして正式に認定されている。 田部井淳子はネパールとその人々を深く愛していた。晩年になっても、夫の政伸氏とともに、あるいは息子や娘とともに、何度もネパールを訪れトレッキングを楽しんでいた。幼い頃はアウトドアにほとんど関心を示さなかった子どもたちも、後には彼女を支える最大の理解者となった。 2015年、エベレスト登頂40周年の年、ネパールは大地震に襲われ、全国で約9000人が命を落とした。さらに地震による雪崩で、エベレスト・ベースキャンプでも多数の犠牲者が出た。 混乱が落ち着いた後、田部井と家族はカトマンズで記念イベントを開催した。大規模な集まりを催し、現地で消費活動を行うことで、ネパール経済の回復に少しでも貢献したいという思いからだった。同時に、困難な状況に置かれたネパールの友人たちの心を支えようと、語り合い、笑い合う場を作ろうとしていた。 このネパールへの思いやりは、彼女自身の経験にも根ざしていた。4年前、彼女の故郷もまた、地震と津波によって大きな被害を受けていたのである。私が田部井に最後に会ったのも、この2015年のカトマンズでのイベントだった。 彼女は翌年、亡くなった。病状がそこまで進行していたことを、周囲にはまったく感じさせなかった。今でも私は彼女にこう言いたい。「淳子さん、もう少し周囲に弱音を見せてもよかったのに。最後まで私はあなたに頼りっぱなしだった。でも、ネパールで暮らす今の私を支えてくれた恩返しを、結局何一つできなかった。」と。 この映画をKIMFFに招く企画は、映画祭ディレクターのラミヤタ・リンブーとの何気ない会話から始まった。「ぜひカトマンズで上映したい」という漠然とした願いを、私たちは共有していたのである。田部井家、日本大使館、キノフィルムズ、田部井淳子基金、そして田部井の親友であり私の恩師でもある北村節子氏など、多くの人々の支援に感謝している。 もし田部井が今も生きていたなら、この映画は制作されなかったかもしれない。だからこそ、この作品は彼女の魂からのメッセージなのだろう。今回の上映は、私たちにとっても、大スクリーンで田部井淳子の人生を見つめ直し、彼女との記憶を振り返る特別な機会となる。 INPS Japan https://www.youtube.com/watch?v=QVuWtSQ7skw ミキ・ウプレティは、日本人作家、元登山家、トレイルランナー、開発援助活動家。1990年からネパール在住。本上映企画をKIMFFと共同で立ち上げた。 関連記事: |日本|拘束を解き放って核廃絶に向かう道とは |災害報道|なぜ「真実」がネパール地震報道で犠牲になったのか(Nepali Times社主) 日本生まれのネパール人の子どもたち、アイデンティティに揺れる 東京で味わう「古きネパール」

私の名はダッカ