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|視点|戦争と温暖化 (クンダ・ディキシットNepali Times社主)

核の冬と気候温暖化、どちらが地球にとって大きな脅威なのか、不気味な選択である。 【イスタンブールNepali Times=クンダ・ディキシット】 ここトルコの黒海沿岸からわずか200km離れた北の地(=ウクライナ)で過去2年間で20万人が死亡した全面戦争が起こっているのを想像するのは難しい。 そしてここから南に目を向けると、パレスチナ人の民間人に対する容赦ない暴力によるガザ地区の完全破壊が、イランとイスラエルの直接対決へとエスカレートしている。 どちらの戦争でも、当事国が核兵器を保有しているか、開発に近づいている。ロシアはウクライナで戦術核兵器を使用すると脅し、イスラエルとイランは今週のドローンやミサイル攻撃で、互いの核施設を標的にしている。 イランとイスラエルは自制しているようだが、僅かな誤算でサウジアラビアとアラブ首長国連邦を巻き込んで地域が大混乱に陥る可能性がある。そうなれば、米国も巻き込まれる可能性がある。 ウクライナに650億ドル相当の軍事支援を提供する米議会の超党派投票は、戦争を長引かせるだろう。ロシアのテレビ番組では、ウクライナだけでなくロンドンやパリも核攻撃すると公然と脅している。 米国の科学誌『原子科学者紀要』(Bulletin of the Atomic Scientists)は、「不吉なトレンドが世界を世界的な破局へと導き続けている」として、「世界終末時計」の針を真夜中の90秒前まで進めた。これは、これまでで核のハルマゲドン(世界の破滅)に最も近づいた。 ロシアとウクライナ、イランとイスラエルの緊張に加え、核保有国も増殖している。米国、ロシア、英国、フランス以外に、イスラエルは90発、インドとパキスタンはそれぞれ約170発、中国は400発以上、北朝鮮は30発の核弾頭とそれを太平洋に運ぶ弾道ミサイルを保有している。 1990年のソ連崩壊後、核弾頭の総保有量は減少したが、現在では米露中の三極冷戦が新たに始まり、核兵器保有国の数は増加している。 核紛争の脅威は、ニューヨーク・タイムズ紙が新たな核軍拡競争と「世界をより安全にするために何ができるか」を考察するシリーズ(タイトル:At the Brink)を立ち上げるほど現実のものとなっている。 地球温暖化によって破壊される地球と、核の冬につながる全面戦争によって荒廃する地球と、今後数年間の地球にとってどちらが大きな脅威であるかという不気味な選択である。ロバート・フロストの詩『炎と氷』が思い浮かぶ: 世界は火の中で終わるという人がいる 氷の中で終わるという人もいる。 これまで味わった欲望の旨味からすると 私は火が好きな人たちの肩をもちたい。 でも世界が二度滅びなくてはいけないのなら、 私の憎しみについての知識から言えるが 破壊のためには氷もまた最適だし 十分役割を果たすだろう。 このままでは世界は『二度滅びる』かもしれない。この2つの危機はリンクしており、どちらも貪欲、野心、超国家主義に端を発している。それは部族主義と、正義、公正、共存に取り組むために必要な多国間アプローチの衰退の結果である。 キューバ危機の際、終末時計の針は真夜中の7分前に移動した。当時、全面的な核戦争は想像を絶するものであったため、ほとんどの人はそれを頭から消し去っていた。それは今日核戦争や温暖化に対する人々の認識と同じである。 ここネパールでは、日々を生きるのに必死な人々にとって、世界情勢は遠いことのように思える。ウクライナや中東で起きている戦争のニュースが携帯端末で人々の目に触れるとき、それはまるで別の惑星で起きていることのように思える。 しかし、ネパールに住む私たちも影響を受けるだろう。ウクライナ戦争は世界的な燃料・食料価格の高騰を招き、ネパール経済はいまだにその影響を引きずっている。数百人のネパール人がロシア軍で戦い、少なくとも33人が戦死し、数十人が連絡が取れなくなっている。 イスラエルでは10人のネパール人学生がハマスに殺害され、1人はいまだ行方不明である。西アジアにおけるより広範な戦争は、世界経済への影響はさておき、サウジアラビア、カタール、アラブ首長国連邦、オマーン、クウェート、イスラエル、レバノンで働く推定200万人のネパール人に直接影響を与えるだろう。ネパールは、こうした海外に出稼ぎに出会た同胞の突然の大量帰還に備える準備ができていないのだ。 イスラエルとイランの核戦争は、考えられないことではない。イスラエルの強硬派は、イラン政府が自前の核爆弾を開発する前に、イランの核研究施設への核攻撃を呼びかけている。 風向きによっては、たとえ戦術的核攻撃であっても、放射性降下物がパキスタンやインド、ネパール上空に飛散するだろう。 私たちは今、地球村に住んでいる。どこで戦争が起きても、ネパール人はどこにいても影響を受けることになる。(原文へ) INPS Japan クンダ・ディキシットはNepali...

アフガニスタンの平和と安全保障に関するオリエンタリズム的ナラティブの出現を暴く 

この記事は、戸田記念国際平和研究所が配信したもので、同研究所の許可を得て転載しています。 イスラエル人とパレスチナ人は、何とかして過去に終止符を打たなければならない。さもなければ、混乱の未来に直面するだろう。 【Global Outlook=バシール・モバシャー/ザキーラ・ラスーリ】 2023年7月、英国の国会議員で元国防省閣僚のトバイアス・エルウッドは、タリバン支配下で「安全保障は大幅に改善した」と自ら述べる動画を公表した。タリバン称賛に近い彼の発言に愕然とし、彼をタリバンの「役に立つ馬鹿」と呼ぶ者もいた。反発を受けてエルウッドは動画を削除したが、タリバン支配下の「安全」で「平和」なアフガニスタンというナラティブを語るのが彼1人でないことは確かである。西側では、ますます多くの自称アフガニスタン観測者がこの考え方を広めようとしている。(日・英) タリバンとのドーハ合意をお膳立てしたザルメイ・ハリルザドは、タリバン支配下でアフガニスタンがより安全になったと主張した。米国の学者であり小説家であり、ザルメイ・ハリルザドの配偶者であるシェリル・バーナードはある論評で、タリバンはアフガニスタンに平和と安全保障をもたらしたと書いた。これは、国民に対するタリバンの暴力やこの国の悲惨な人道状況を記録した、世界的に有名な人権団体の信頼できる報告を全て無視するものだ。その代わりにバーナードは、「タリバンのファンではない」と評する国際危機グループ(ICG)の報告を用いた。ICGは以前より、アフガニスタンはこれまでより「はるかに平和」であると推定しており、タリバンが暴力と安全欠如の大部分の原因であったし、現在もそうであるという事実を無視している。ICGが以前からタリバン寄りの報告や分析を行っていることは、アフガニスタンの政治について知識がある多くの人に知られている。これらの主張を分析すると、三つの本質的かつ相互に関連する疑問が浮かび上がる。(1)平和と安全保障は何を意味するか? (2)それは、アフガニスタンの状況においてどのように定義され、適用されるか? (3)同じ平和と安全保障の基準が西洋社会にも当てはまるか? 平和とは何か、それをアフガニスタンに当てはめたときに何を意味するか? 平和構築の分野では、平和という言葉が単なる物理的暴力の不在よりはるかに大きな意味を持つということは、ずっと以前から定説となっている。意味のある持続可能な平和を実現するためには、さまざまなコミュニティーの福利を体系的に弱体化させ、排除、侮辱、貧困を永続化させ、権利と自由の行使を制約する不公平と不正義に根差した、構造的な暴力に取り組む必要がある。著名な学者らが、平和とは、経済的安全や心理的安全、人間の尊厳と権利の保護、差別や迫害からの自由といった人間の基本的ニーズに基づくものだと論じている。これらが一緒になって、人は自分の最大の可能性を発揮することができるのである。その延長線上で考えると、平和構築とは、個人とコミュニティーの政治的、経済的、社会的なレジリエンスと福利を確立し、促進することによって、暴力的紛争を変容させ、発生を防ぐことを目的としているといえる。人間の安全保障にかかわるこれら全ての側面に取り組まない限り、持続可能で意味のある平和を実現できる見込みは薄く、紛争の変容も解決もできないままとなる。 最近の西側の文献において規定されるいかなる基準によっても、アフガニスタンに平和と安全保障が存在すると信じるなど、現地の国内事情に極めて無知でなければありえないことだ。アムネスティ・インターナショナル、ヒューマン・ライツ・ウォッチ、国境なき記者団のような世界的に信頼できる情報源の報告により、超法規的処刑、恣意的逮捕、拷問、迫害、集団立ち退き、強制移転など、タリバンによる世界最悪の人権侵害状況が継続的かつ定期的に暴露されており、それらはいずれも罪を問われることなく実行されている。アフガニスタンのメディアは、重大な結果をもたらす恐れがあるため、公平にニュースを報道することに懸念を抱いている。その結果、報復を恐れて自己検閲に走ることが多く、アフガニスタンのメディアは人権侵害に関する報道ができなくなっている。 人口の3分の2という膨大な数のアフガニスタン人が、生き延びるためだけでも緊急人道援助を切実に必要としている。憂慮すべきことに、2023年には1,700万人が深刻な飢えに直面し、600万人が飢餓の瀬戸際にある。女性たちは、家から出るだけでも暴力や制裁を受けることを恐れながら暮らしている。タリバンの政策は、女性の権利と自由を大幅に奪い、アフガニスタン社会の政治的・社会的側面から彼女たちを体系的に排除している。彼らは、女性の教育、就労、スポーツ、娯楽、さらには個人の衛生や自己管理の基本的権利すら禁止することによって、事実上、ジェンダー・アパルトヘイトを制度化している。タリバンはまた、民族的少数派や宗教的少数派を、統治や公共サービスだけでなく人道援助や人道サービスの配布からも排除し、迫害している。少数派の強制的な集団立退きや移転は、多くの監視機関によれば、「人道に対する犯罪」の域に達している。アフガニスタンの平和というタリバンのうわべを美化する人々でさえ、同じような状況で生活するのを心地良いとは思わないだろう。では、どういう意味で彼らは、タリバンがアフガニスタンに平和と安全保障をもたらしたと言っているのだろうか? エドワード・サイードは、オリエンタリズムの定義を、「知識」(およびそれ以上)としての「東洋」に関する一連のイメージであり、東洋という「他者」の本質的な真実を反映するのではなく、オリエンタリストがそれを構築したものを反映しているとしている。アフガニスタンの社会を「原始的」、「野蛮」、「未発達」、「未開」な「他者」と描写するオリエンタリストたちが考えるアフガニスタンの平和とは、ホッブズ主義的なそれである。イングランド内戦(1642~1651年)の際に暴力的な無政府状態よりも絶対君主制をよしとしたトマス・ホッブズは、平和と安全保障について、人々が互いに絶えず暴力をふるい合うのを阻止するという極めて狭義の概念を信奉していた。一方、君主は、市民に対して暴力を行使し、市民の権利に対するいかなる種類の制裁をも課す絶対的権限を有していた。彼は、イングランドにとって絶対君主制を敷くのが最も良いと結論付け、それを現実主義と呼んだ。英国の国民は、祖先がホッブズの「現実主義」を信じ込まなかったことに今感謝しなければならない。しかし、ホッブズの「現実主義」は今なお健在である。ただし、それは、オリエンタリズムのせいで「発展途上国」(植民地主義から復興しつつある国々)に向けられたものだ。例えばシェリル・バーナードは、アフガニスタン人が孤立、過酷な環境、欠乏に慣れていると主張することにより、タリバンの粗削りな平和という自身のナラティブを正当化した。彼女はその記事に“The Impossible Truth About...

原爆を作った男が原爆を落とした男に出会ったとき

【国連IPS=タリフ・ディーン】 本年のアカデミー賞7部門で受賞した映画「オッペンハイマー」は、1945年8月に14万人~22万6000人の命を奪い広島と長崎の2つの日本の都市に壊滅的な打撃を与えた原子爆弾の開発に貢献したJ・ロバート・オッペンハイマー博士の人生を描いている。 原爆投下という悲劇は、聖書的規模の人道的大惨事と呼ぶにふさわしいものだが、この映画は核兵器の使用が引き起こした惨事ではなくその製造に焦点を当てたものだった。 2月の『タイム』誌でジェフリー・クルーガー氏は、ホワイトハウスでのハリー・S・トルーマン大統領とオッペンハイマー博士の面会について振り返り、「原爆を作った男と原爆を落とした男」と的確に表現している。 許されざる罪悪感に苛まれていたオッペンハイマー博士は、「大統領、自分の手は血で汚れているように感じる。」と、トルーマン大統領に言ったと伝えられている。 しかし、歴史の次の展開は異なったものだったと『タイム』誌のこの記事は伝えている。 トルーマン大統領は恬として、「気にしなくていい。すべて洗い流される。」と言ったとされる。また別の説では、トルーマン大統領は悪びれもしない調子でハンカチを振りながら「ここで手でも洗うかね?」と言ったとされる。 映画では、トルーマン大統領は単にハンカチを振っただけだった。 試写会で映画を観た平岡敬・元広島市長は、映画が描かなかった(=広島・長崎への原爆投下や、被爆地で何が起きたかを直接描写しなかった)ことに対してより批判的な目を向けている。 平岡氏は、「広島の立場からすれば、核兵器の恐怖が十分に描かれていません。映画は米国人の命を救うために(原爆が)使われた、という結論に持っていきかねない筋立てになっています。」と語ったという。 核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)は、映画「オッペンハイマー」の公開とそれを取り巻くメディアの注目は、核兵器のリスクについて一般の人々の関心を喚起し、核兵器廃絶運動への参加を新たな聴衆に呼びかける機会を生み出すことになったと述べた。 「核のリスクについて人々を啓発し、必要とされている希望と抵抗のメッセージを共有することができる。この映画は核兵器がいかにして始まったのかについてのものであり、核兵器禁止条約はそれをいかにして終わらせるのかについてのものだ。」とICANは指摘した。 ニューヨーク大学グローバル問題センターのアロン・ベン=メア元教授(国際関係学)は、「歴史的な観点から言えば、オッペンハイマー博士が核兵器開発の陣頭指揮を執った『マンハッタン計画』は、第二次世界大戦が勃発し、ナチスドイツが欧州の周辺諸国を次々と征服しながら進軍している中で始まった。」とIPSの取材に対して語った。 しかし、核兵器の開発が完了するころまでにはドイツはすでに降伏しており、日本だけが戦い続けていた。史料によれば、日本軍は、あらゆる前線で最後の一兵まで戦う覚悟であり、彼らの辞書に「降伏」という文字はなかったとベン=メア元教授は語った。 ジョージ・マーシャル米陸軍参謀総長は、もし戦争がさらにあと1、2年続くようなことがあれば、数十万人の米国人兵士とおそらく100万人以上の日本人が犠牲になるだろうとトルーマン大統領に助言した。 トルーマン大統領が「それでは何を提案するか」と問うたところ、マーシャル参謀総長らは、日本の1カ所か2カ所に核爆弾を投下すれば、戦争を速やかに終結させ、米日双方で数百万人の命が救われると示唆したという。 20年にわたって国際交渉と中東問題について講義してきたベン=メア元教授は、「トルーマン大統領は、日本が徹底抗戦の決意を固めていたことを考えれば、これが唯一の解決策かもしれないと最終的に説得された。」と語った。 しかしオッペンハイマー博士は、ひとたび原爆が投下されると、広島・長崎で起こった損害と死の状況を認識し、原爆の壊滅的な影響に個人的に責任があると感じるようになり、トルーマン大統領に面会した際に『自分の手は血で汚れているように感じる。』という発言につながったのだった。 「トルーマン大統領はオッペンハイマー博士に対して、『君は核兵器開発を担ったかもしれないが、使用の決断を下したのはこの私だ、君にはその責任はない。』と述べ、自分のハンカチを取り出し、『これで手を拭きたまえ。』と言ったという。オッペンハイマー博士はすっかり意気消沈してトルーマン大統領の執務室を後にした。」とベン=メア博士は語った。 「仮に戦争が続いていたとして、トルーマン大統領が日本人の損害について懸念したとは日本人は信じないだろう。大統領が気にしていたのは米国人の被害の方だ。残念ながらこれは依然として論争の種になっているのだが、その後米日間で結ばれることになる強固な同盟関係のために、こうした問題は大部分乗り越えられることになった。」 「もちろん、起こったことに対するオッペンハイマー博士の深い悔悟をより複雑にしたのは、彼がその後共産党の党員だと疑われて、機密保持情報アクセス権は取り消されことにある。これによって彼は米国政府の仕事はできなくなった(死後に彼の名誉回復が図られた)」とベン=メア博士は語った。 しかし、全米公共ラジオ(NPR)の放送によると、日本の視聴者の多くは、映画「オッペンハイマー」のストーリー展開に不快感を示し、事態を不完全にしか描けていないと感じているという。 「映画は原爆を投下した側の視点からのものに過ぎません。落とされた側の視点があればよかったのにと思います。」と長崎の市民、ツヨコ・イワナイさんはNPRに語った。 「核兵器なき世界」の達成に向けて国連を中心に活動している「UNFOLD ZERO」によれば、オッペンハイマー博士は、初の核実験成功を自らの目で確かめた後、ヒンズー教の聖典バガヴァッド・ギーターから「我は死なり 世界の破壊者なり」という一節を口にしたとされる。 「実際、オッペンハイマー博士は世界を破壊する核爆弾の可能性に衝撃を受け、第二次世界大戦終結後は、国際的な核兵器管理や、平和、世界統治の促進に深く関与することになる。」 戦争が激化し、核保有国間の緊張が高まり、核戦争の脅威がかつてないほど高まっている今日、この映画は、こうした考え方がいかに重要で適切なものであるかを思い起こさせてくれるはずだ。」と「UNFOLD ZERO」は語った。 「これらに問題に関わるオッペンハイマー博士の思想や情熱、関与は映画ではほとんど描かれていない。しかし、核抑止の本質やナショナリズムの危険性、法の支配を強化することの重要性、核戦争の防止、グローバル・ガバナンスを通じた平和の実現といったことへの理解をあらためて深めるには、今日でもオッペンハイマー博士のこうした考え方は重要だ。」 国連のアントニオ・グテーレス事務総長は3月18日、国連安全保障理事会で演説し、3月10日に開催されたアカデミー賞授賞式で作品賞・監督賞・主演男優賞・助演男優賞など7部門で受賞したこの映画について言及した。 人類が自滅にどれほど近づいているかを象徴する「世界終末時計」が「あらゆる人々に聞こえるほど大きな音を立てて進んでいる。一方で、学界から市民社会に至るまで核の狂気を終わらせる呼びかけが続いている。」とグテーレス事務総長は語った。 「ローマ教皇フランシスは、核兵器の保有は『不道徳』だと述べた。自らの将来について懸念する世界中の若者たちは、変革を要求している。広島・長崎の勇敢な生存者である被爆者は、真実を語りそれを力に変えるこの地球上で最大の模範として、平和のメッセージをたゆみなく送り続けている。」 グテーレス事務総長は、映画『オッペンハイマー』は「核による終末の過酷な現実を、世界中の何百万もの人々にまざまざと見せつけた。」と述べ、「その続編を、人類は生き残ることはできない」と警告した。(原文へ) INPS Japan/IPS UN Bureau *タリフ・ディーンはInter Press Service北米(IPS NORAM)顧問。 This...

|視点|グワダルにおける米国の戦略転換(ドスト・バレシュバロチスタン大学教授)

【ケッタ(パキスタン)London Post=ドスト・バレシュ】 ティム・マーシャルは著書『Prisoners of Geography』の中で、「バロチスタンなくしてパキスタンはない」と主張している。また、パキスタンのカマル・ジャベド・バジュワ元陸軍参謀総長も、「パキスタンはバロチスタンなしでは不完全だ」と述べている。インド洋に近いという理由で、バロチスタンの重要性は21世紀にさらに高まるだろう。第一次世界大戦と第二次世界大戦は大西洋と太平洋に端を発している。21世紀はインド洋の世紀であり、インド洋を支配する国がアジアを支配する。中国や米国といった大国は、表向きはバロチスタンに執着している。 こうした中、ドナルド・ブローム米国大使が「港湾運営と開発計画、地域の物流ハブとしての港町グワダルの可能性、パキスタン最大の輸出市場である米国との接続方法について学ぶため」として2023年9月12日にグワダルを訪れた。パキスタン海軍西軍司令部との会談で、ブローム大使は地域問題について話し合い、今後数年間におけるパートナーシップの継続を強調した。 ブローム大使のグワダル訪問は興味深い議論を引き起こした。専門家の中には、今回の訪問はパキスタンにとって、この地域の地政学的状況をポジティブな方向に進めるうえで前向きな動きだと主張する者もいる。一方で、中国・パキスタン経済回廊(CPEC)(=一帯一路構想で計画される6つの経済回廊の一つ。 中国の新疆ウイグル自治区のカシュガルから中パ国境の標高4693mのフンジュラーブ峠を通り、パキスタンのアラビア海沿岸にあるグワダル港を結ぶパキスタンを北から南まで縦断する全長約2000キロの巨大経済インフラプロジェクト)との関連から中国を苛立たせることになると考える者もいる。今回の訪問には利点も欠点もあるようだ。グワダルが経済ベンチャーであることは間違いない。パキスタンが先進国に投資を呼びかければ呼びかけるほど、国は最大の利益を得ることになる。CPECとグワダルの専門家であるマクブール・アフリディ大佐は、米国はグワダルに投資すべきだと述べている。米中二国間の貿易額は年間7100億ドルを超えている。米中双方がビジネス活動に携わっているのであれば、(パキスタンが)米国にグワダルへの投資を呼びかけることに何の問題もないというわけだ。 「グワダル国際都市を宣言したパキスタンは、先進国に投資を呼びかける必要がある。米国にとってのビジネスチャンスを制限することは、パキスタン経済に損害をもたらすことになる。米中の対立によってパキスタンが苦しむことがあってはならない。米中両国から利益を得ることが国益にかなうのだ。米国のグワダルへの投資は、欧州連合(EU)、日本、韓国、カナダ、オーストラリアからの投資への道を開くだろう。」とアフリディ大佐は付け加えた。パキスタンは、地理的位置、グワダルの潜在力、人的資源、天然資源を含む4つの重要な潜在力に恵まれている。こうした要因が、米中両政府によるパキスタン政府との友好関係構築を促す背景にある。 一方、米国は中国による開発を監視しながら、グワダルでの影響力を加速させようとしている。おそらく米国の要請を受けたサウジアラビアは、グワダルに製油所を設置しようとしたのだろう。米国政府はNGOの協力を得て、同市の教育・社会部門で活動を開始した。グワダル大学では、米国大使館が研究プロジェクトを立ち上げた。NGOと協力して、米国は社会的・教育的活動を実施している。これはグワダルで初めての新しい試みである。 米国は文化的・教育的イニシアティブに投資し、識字率を高め、バローチ語や様々な現地語の教材を作ろうとしている。また、中国がバロチスタンで安全保障上の課題や好ましくないイメージに苦しんでいる時期を利用して、積極的に自らのイメージを高める戦略を展開している。米国は、中国を権威主義政権と呼び、一帯一路(BRI)の下で債務の罠政策を推進し、新疆ウイグル自治区で人権侵害を引き起こしているとして、いたずらに中国に対するイデオロギー戦争を始めている。米国は、バローチ人が中国に対して良いイメージを持っていないという事実を十分に認識しており、中国に対する否定的な世論を広めようとしている。現地の人々は今、米国が中断を伴いながら様々な支援プロジェクトに関与しているのを見て困惑している。ブローム大使の訪問後、地元の民衆は、グワダル市が米中間の新たな対立の舞台になるのではと感じている。 米国は依然としてCPECに懐疑的で、グワダル港を海軍基地にすることで、中国が軍事利用するかもしれないと考えている。多くの専門家によれば、米国はグワダル港に進出することで、ホルムズ海峡での支配力を強化し、この地域におけるイランの影響力を牽制したいのだという。現在の国際政治では、インド、サウジアラビア、ブラジルといった中堅国が、米中の大国間競争から最大の利益を得ている。これらの当事者は大国間競争を利用し、米国にも中国にも全面的に依存することを避ける傾向にある。パキスタンは、米国大使をグワダルに招くことで、米中の綱引きから最大限の影響力を得ようとする中堅国の道を歩む可能性が極めて高い。 パキスタンはその歴史を通じて、国内の経済発展に取り組むことに失敗してきた。戦争経済の状態が今日も続いている。大国間の対立があるたびに、パキスタンは経済と安全保障の恩恵を受けるためにブロック政治の一部となってきた。安全保障と経済という2つの課題を平行して進めなければならないこの国が、予見可能な課題に対処するのは大変なことだ。パキスタンは従来のアプローチを採用すべきではない。時代は変わり、知識経済、産業化、地域連携の時代となった。政府は、グワダルを含む国内への投資を米国と中国双方に呼びかけ、これらのプロジェクトの発展を支援する計画を立てるべきだ。逆説的だが、もしパキスタン政府が中国の政策に同調すれば、米国はIMF(国際通貨基金)を通じて圧力をかけるだろう。米国政府はIMFを政治的手段として利用している。そのため、パキスタンはア米国の重要性を過小評価することはできない。 現実的に言えば、世界は変貌を遂げ、アジアの世紀となり、パワーバランスはイデオロギー的にも物質的にも、西洋から東洋へと移行しつつある。中国の台頭は驚くべき現象であり、弾丸を発射することなく大国の地位を獲得した唯一の新興大国である。中国政府は援助の代わりに投資を提供し、対立よりも平和を促進しようとしている。最終的な分析によれば、南アジアは、冷戦と、米国に支えられた対テロ戦争に引き起こされた未曾有の荒廃を目の当たりにしてきた。グローバリゼーションの時代に冷戦的な思考を捨て去ることは、世界平和の必須条件である。現在の大国間競争において中立を保つことは、パキスタンにとって唯一かつ最適な選択であり、中国よりも米国を優先することは逆効果である。(原文へ) *著者のドスト・バレシュ博士は、バロチスタン大学クエッタ校で国際関係を教えている。 INPS Japan 関連記事: アフガン・パラドックス:カブール陥落後の 中国、インド、そしてユーラシアの未来 サイクロンとモンスーンの季節に直面するパキスタンで食糧不安の恐れ |パキスタン|「天国」に拾われるのは貧しい若者だけ

去るも残るも苦渋