Breaking
米・イスラエルの対イラン戦争、阻止を掲げる核拡散を逆に助長する恐れ(H・M・G・S・パリハッカラ元スリランカ駐国連大使・元国連事務総長軍縮諮問委員会議長)
【コロンボIPS=H・M・G・S・パリハッカラ】
国連安全保障理事会の常任理事国5カ国を含む191カ国の代表が4月下旬、核兵器不拡散条約(NPT)再検討会議に出席するため、1カ月にわたる外交協議の場となるニューヨークの国連本部に集まった。そこで問われているものは、これ以上ないほど重大である。
各国代表は、米国とイスラエルがイランに対して仕掛けた「自ら選んだ戦争」の影の下で会合に臨んでいる。その名目は核拡散の阻止である。しかしこの戦争は、悲劇に満ち、同時に痛烈な皮肉を帯びている。人的被害と世界経済への代償の大きさは、もはや多言を要しない。|英語版|
その皮肉は、いっそう鮮明である。
NPTの寄託国の一つである米国は、イランが非核兵器国であることを検証するため、自ら主導して成立させた国連承認の合意、すなわち包括的共同行動計画(JCPOA)を一方的に崩壊させた。そのうえで米国は、NPTに加盟していないイスラエルとともに、それまでNPTを遵守していたイランを爆撃し、同じ目的、すなわち「非核のイラン」を実現しようとしている。
この矛盾に満ちた皮肉こそ、米国による「自ら選んだ戦争」の核心にある。核不拡散の名の下に遂行されるこの戦争は、阻止しようとしているはずの結果を、むしろ加速させかねない。核兵器を保有していない国でさえ、国連の承認を得ない一方的な武力行使の対象になり得ることを示すことで、ワシントンは極めて厳しいメッセージを発している。すなわち、生存を左右するのは自制や外交ではなく、核兵器を持つことなのかもしれない、という冷厳なメッセージである。
この逆説は、世界の核秩序が長年抱えてきた脆弱性を露呈している。NPTと国際原子力機関(IAEA)の保障措置体制を中心に築かれたこの秩序は、基本的な取引の上に成り立っている。すなわち、非核兵器国は核兵器を放棄する。その見返りとして、安全保障上の保証、平和的核技術へのアクセス、そして軍縮に向けた誠実な努力が約束される、という取引である。
この体制は差別的でありながらも、機能してきた。ただし、それが信頼に足るものと見なされている限りにおいてである。条約を遵守している非核兵器国が、核開発への疑念を理由に軍事行動の標的となるなら、その信頼性は根底から揺らぐ。
この信頼の揺らぎの中心にあるのが、核抑止論である。今回の紛争以前、イランの姿勢は広く「ヘッジング」と理解されていた。すなわち、兵器化の一線を越えることなく、核関連の技術的能力を高める戦略である。
この姿勢により、テヘランは兵器化に伴う全面的なコストを避けながら、交渉上の影響力を維持することができた。しかしヘッジングは、ある共通理解に依存している。しかしヘッジングは、曖昧さは許容され、少なくとも違法な武力行使によって罰せられることはない、という共通理解に支えられている。
戦争は、その前提を打ち砕いた。そこから導かれる教訓は明白である。核潜在能力は攻撃を抑止しないが、核兵器の保有は抑止し得る。北朝鮮との比較は示唆的である。北朝鮮の公然たる核戦力は、ワシントンとの数十年にわたる敵対関係にもかかわらず、同国を大規模な介入からおおむね守ってきた。
テヘラン、そして他国の政策決定者にとって、この含意を無視することは難しい。曖昧さが脆弱性を招くのであれば、抑止力という形で明確さを持つことが合理的に映る可能性がある。核兵器は、政治的負債から戦略的必需品へ再定義される危険がある。
その影響はイランにとどまらない。核不拡散体制は長らく、条約を遵守しても罰せられることはないという信頼に支えられてきた。しかし近年の歴史は、すでにその前提を揺るがしている。ウクライナは1990年代、安全保障上の保証と引き換えに、当時世界第3位の核兵器を放棄した。しかし数十年後、ロシアの侵攻に直面した。
リビアも自国の核計画を放棄したが、その後まもなく、米国主導の外部介入を経て体制崩壊を経験した。こうした前例は、核不拡散体制への信頼を少しずつ損なってきた。
こうした背景の下、イランとの戦争は憂慮すべき構図をいっそう強めている。核兵器を持たない国は脆弱に見え、核兵器を持つ国は安全に見える。これは、核不拡散体制が本来支えるべき理念とは正反対である。
IAEA当局者は、こうした力学が「ドミノ効果」を引き起こし、複数の国が自国の選択肢を再検討する事態につながりかねないと警告してきた。中東全域、そしてその外側でも、各国政府は自国の前提を静かに見直している。
軍事的侵略はまた、核不拡散をいっそう困難にする形で国内政治を変化させる。外部からの圧力は強硬派を勢いづかせ、対話を重視する勢力を周縁に追いやる。これは意図せざる結果ではなく、予測可能な帰結である。強硬派は妥協に応じにくく、核兵器を生存に不可欠なものと見なしやすい。
核武装への誘惑が強まるにつれ、外交の余地は狭まる。言い換えれば、戦争は能力だけでなく、国家の選好そのものを変えてしまうのである。
軍事的解決には、現実的な限界もある。空爆によって施設を損傷させ、あるいは「壊滅」させることはできるかもしれない。しかし、知識そのものを消し去ることはできない。科学的専門性を爆撃で消滅させることは不可能である。実際、介入は、止めようとしているプロセスを地下に押し込み、むしろ加速させる可能性がある。かつて査察官の目に見えていた計画が、より秘密化し、監視はいっそう困難になるかもしれない。
地域への影響も同様に深刻である。中東はすでに、対立と脆弱な安全保障体制に特徴づけられている。イランが核兵器取得へと傾けば、とりわけそれが紛争によって加速される場合、周辺国の対抗措置を誘発する可能性が高い。
サウジアラビアとトルコはいずれも、静観することはないと示唆してきた。その結果、連鎖的な軍拡競争が起こり、すでに不安定な地域が、多極的な核環境へと変わる恐れがある。
これは典型的な安全保障のジレンマである。ある国が自国の安全を高めようとする行動は、他国に不安を抱かせ、相互の対抗措置を招き、結果としてすべての国をより悪い状況に置く。国連の承認を得ない一方的な武力行使によって潜在的脅威を排除しようとすることで、米国はむしろそうした脅威を増やす可能性がある。その結果、この地域は、イラン一国だけでなく、複数の国が核兵器開発の一歩手前に立つ事態に直面しかねない。
こうした力学は、より深い欠陥を浮き彫りにしている。すなわち、軍事力によって核拡散を解決できるという思い込みである。核開発への志向は、単なる技術的問題ではない。それは不安に対する政治的反応である。爆撃は症状に対処するだけで、原因には向き合わない。
国家を核能力の獲得へと向かわせる安全保障上の懸念に取り組まない限り、強制だけで持続的な成果を生むことはできない。NPTからJCPOAに至るまで、核不拡散上の成果はいずれも、軍事的手段ではなく、緻密な外交交渉によって達成されてきた。
過去の経験もそれを裏づけている。不完全ではあっても、外交合意は核計画を制約してきた。JCPOAの崩壊は、イランの活動を制限していた仕組みを取り除いた。信頼に足る外交的代替策がない中で、軍事行動は遅延策にすぎない。短期的な時間を稼ぐ代わりに、長期的には核兵器追求への誘因を強めるのである。
この戦争はまた、国際法が権力政治に従属しているとの認識を強める危険がある。強大な国々がルールを迂回できるのであれば、弱い国々は国際法に信頼を置かなくなるだろう。代わりに、容易には無力化されない軍事能力に頼ろうとする可能性がある。核兵器は抑止の道具であるだけでなく、主権と生存の象徴にもなる。
おそらく最も長く残る影響は、心理的なものだろう。国家は前例から学ぶ。イラク、リビア、ウクライナ、そして今やイランに至るまで、一つのパターンが浮かび上がっている。脆弱性は介入を招き、核能力はそれを抑止する。この結論は不快かもしれないが、国際政治の冷徹な論理を反映している。いったんこうした認識が定着すれば、それを覆すことは難しい。
その意味で、この戦争はイランだけでなく、世界の核不拡散体制にとっても分水嶺となる可能性がある。戦争はリスクと安全保障に関する認識を変え、抑制よりも拡散を促す方向に作用する。現時点で核兵器を追求する意図を持たない国々でさえ、国際的な保証の信頼性が揺らぐ将来に備え、ヘッジングに踏み出すかもしれない。
悲劇は、拡散を防ぐはずの政策が、むしろ拡散を加速させかねない点にある。信頼を損ない、強硬派を勢いづかせ、抑止の論理を強化することで、米国は自ら掲げる目的とは逆の結果を招く危険を冒している。たとえ軍事行動が短期的にイランの計画を後退させたとしても、長期的な帰結ははるかに深刻なものになり得る。
より秘密裏に進められ、より強固な決意を伴い、より広く模倣される核兵器追求は、核不拡散の勝利ではない。それは、核不拡散体制が徐々にほどけていくことを意味する。地政学的に言えば、「オウンゴール」である。
核不拡散の目的が核兵器の役割を低減することにあるなら、この紛争はその反対方向を示している。条約や規範だけでは安全を確実に保証できず、不確実な世界における究極の保険は依然として核兵器である、というメッセージを発している。
そのメッセージは、イランをはるかに越えて響くだろう。その帰結は、今後数十年にわたり、各国の核をめぐる選択を形づくる可能性がある。
イラン戦争が世界に突きつけている問いは、論争的なものではなく、極めて明白である。すなわち、NPTの寄託国である米国と、同条約に加盟していない事実上の核保有国であるイスラエルが、外交を退け、爆撃によって核不拡散を実現しようとすることが、新たな常態となるのか、という問いである。
ニューヨークで開かれている今回のNPT再検討会議が、過去の会議と同様に、条約の三本柱――核不拡散、主権平等に基づく平和的核協力、そして軍縮――の今後の道筋について合意に至ることができなければ、それはこの問いに肯定で答えるに等しい。その場合、NPTが最終的な衰退局面に入る兆候となるかもしれない。
H・M・G・S・パリハッカラ氏は、スリランカの元外務次官、元駐国連大使・国連常駐代表。国連事務総長の軍縮諮問委員会の議長・委員を務めたほか、国連軍縮会議、NPT再検討・延長会議、核兵器に関する国連政府間パネルなど、軍縮・不拡散分野で長年にわたり活動してきた。
INPS Japan/IPS UN Bureau Report
関連記事:
核兵器の遺産は世代を超えてなされてきた不正義の問題である(メリッサ・パークICAN事務局長インタビュー)
カザフスタン、非核化の成功例を国連で示す―なお難題として残る中東
NPTの信頼性が重大な試練に
欧州兵器生産のグリーンウォッシング
この記事は、戸田記念国際平和研究所が配信したもので、同研究所の許可を得て転載しています。
【Global Outlook=ハルバート・ウルフ】
欧欧州の兵器産業の株価が高騰している。かつて産業界の「厄介者」として公然と敬遠されていた兵器メーカーは、ロシアによるウクライナ侵攻を機に、投資家が最も注目する業種の一つとなった。いまや ESG(環境・社会・ガバナンス)投資までもが軍需産業へと流れ込んでいる。|ENGLISH|
SIPRI(ストックホルム国際平和研究所)が4月下旬、2025年の世界の軍事支出が2兆8870億ドルに達し、過去最高を記録したと発表すると、世界各地のメディアがこれを報じた。軍事支出は過去11年にわたり、毎年増加している。注目すべきは、昨年最大の伸びを示したのが欧州で、その増加率が14%に達したことである。
2022年2月に始まったロシアによるウクライナへの全面侵攻は、ロシアとウクライナだけでなく、欧州全域で前例のない再軍備の波を引き起こした。
一方、防衛産業の受注は積み上がっている。上場している兵器企業の株価は、かつてない高値に達した。金融メディアは株価の大幅な上昇を報じ、主要兵器メーカーを「トップパフォーマー」と評している。欧州の防衛企業大手10社のうち9社が上場企業であり、その株価動向はこの評価を裏付ける。イランでの戦争勃発後、株価は最近やや下落したものの、ロールス・ロイス(英国)とラインメタル(ドイツ)は、2022年以降、株価上昇率が1000%を超え、他社を大きく引き離している。これら10社のうち8社は、ユーロ圏の主要株価指数である EURO STOXX 50 を大幅に上回って推移している。
グリーンウォッシング
近年、兵器産業に対するいわゆる「持続可能な投資」は大幅に増加している。Voxeurop の調査によれば、ジョルジョ・ミカロプロスとステファノ・ヴァレンティーノの両氏は、2025年にはその規模が500億ユーロを超えると推計している。
金融商品にも用いられる「持続可能」という言葉は、財務指標だけでなく、環境責任、社会的公正、良好な企業統治に関わる要素も含む概念である。そのため、これまで持続可能な投資とされる金融商品では、兵器や石炭などへの投資は除外されてきた。
しかし、欧州の兵器産業をめぐっては、こうした投資基準がいま緩められつつある。この動きを主導しているのは、防衛産業とその業界団体、欧州委員会、そして金融部門の3者である。
兵器産業は、ロシアによる侵攻以前から ESG...
ミナブ空爆疑惑が問う欧州の偽善と国際法の二重基準
【London Post=シャブナム・デルファニ博士]
イラン・ミナブで子どもたちの虐殺が報じられた事案(2026年ミナブ学校空爆)に対して、世界的な憤りが起こらないのであれば、私たちは不都合な真実に向き合わなければならない。
アムネスティ・インターナショナルが示した調査結果や懸念に加え、ロイターを含む国際メディアの報道によれば、イラン・ミナブの学校が空爆を受け、児童168人と教員14人が死亡したとされる。これは単なる数字ではない。教室が集団墓地と化したのである。
ジュネーブ諸条約の下で、これは曖昧な問題ではない。法は明確である。民間人は保護される。学校は保護される。子どもたちは保護される。戦時下においても、越えてはならない一線がある。
このような事案は、明らかに戦争犯罪に該当し得る。いま問われるべきは、なぜ責任追及を求める即時かつ一致した国際的対応が見られないのか、という点である。
国連の明確な道義的姿勢はどこにあるのか。まさにこうした状況において子どもの命を守ることを使命とするユニセフの緊急対応はどこにあるのか。
このような疑惑を前にした沈黙は、中立ではない。それは加担である。
さらに、ミナブへの攻撃に使用された兵器をめぐる疑問にも、厳しい視線が向けられている。
バイライン・タイムズによれば、現場で発見された破片はトマホーク巡航ミサイル・システムとの関連が指摘されており、公式説明に疑問を投げかけるとともに、こうした兵器をめぐる複雑な供給網を浮き彫りにしている。
複数の報道で引用された映像、衛星画像、残骸の独立分析は、使用された兵器がこの種のミサイルと一致する可能性を示している。同システムは、主に米国および一部の同盟国軍によって運用されている。しかし、これらの分析は、その兵器が英国スコットランドに由来する可能性を指摘している。
仮にこれが確認されれば、その意味は極めて重大である。直接的な責任の所在をめぐる追及が一段と強まるだけでなく、現代戦を支える防衛産業と国際的パートナーシップの広範なネットワークにも光が当たることになる。英国に大きな拠点を持つ企業との関連が報じられていることは、事態をさらに複雑にし、責任の問題が戦場の外にまで及ぶことを示している。
ただし、進行中の紛争地域における帰属の特定は、しばしば激しく争われ、技術的にも複雑である。この件についても、透明性のある独立調査が行われて初めて、確定的な結論を導くことができる。しかし、そうした調査はまだ実施されていない。
そして、問題は西側諸国にも及ぶ。
西側諸国は何十年にもわたり、自らを「ルールに基づく国際秩序」の守護者と位置づけてきた。他の紛争における民間人への攻撃については、国際法を力強く、確信をもって訴え、正当に非難してきた。だが、疑惑が政治的に不都合な方向を指し示すと、その道義的な明快さは失われる。
これは外交ではない。偽善である。
国際法が敵対者に対してのみ持ち出され、同盟国が関与している場合には弱められたり無視されたりするのであれば、それはもはや法ではない。権力の道具となり、選択的に適用され、戦略的に運用され、根本的に不公正なものとなる。
イランでの軍事作戦の過程で、数十の病院、赤十字関連施設、住宅、学校が攻撃されたとの報道は、この危機をさらに深刻にしている。国際人道法の下で、医療・教育インフラへの攻撃は最も重大な違反の一つである。それは単なる付随的被害ではない。厳格かつ限定的な条件が満たされない限り、禁じられている行為である。こうした事案が繰り返されていることが確認されれば、それは過失ではなく、一貫した傾向を示していることになる。
そして、そうした傾向には責任追及が不可欠である。
国際刑事裁判所は、まさにこのような時のために存在している。その任務は明確である。国籍や政治的立場にかかわらず、国際法上最も重大な犯罪に責任を負う者を捜査し、訴追することである。しかし、同裁判所の実効性は常に政治的意思に左右されてきた。そして、その政治的意思は、最も必要とされる局面であまりにも頻繁に欠如してきた。
ミナブは、事実の検証にとどまる問題ではない。これは誠実さの試金石である。
国際社会は法を一貫して適用するのか。それとも、制度はすでに壊れており、守られる命と、切り捨てられる命があることを認めるのか。
ミナブの犠牲者に必要なのは、慎重な声明や手続き上の遅延ではない。必要なのは、何が起きたのかを明らかにする独立調査と透明性、そして責任を負うべき者の責任追及である。その人物や組織がどれほど強大であっても、例外であってはならない。
なぜなら、学校で子どもたちが殺害されたことが、そうした対応を引き起こさないのであれば、いわゆる戦時のルールは、もはやルールではないからである。(原文へ)
シャブナム・デルファニ博士は、気候変動モデリング、地球規模の持続可能性、女性のリーダーシップを専門とする、国際的に認知された研究者、環境科学者、外交官である。2026年現在、複数の主要な国際諮問機関で要職を務めており、環境管理と平和提唱に関する研究で広く引用されている。同氏は、英国プリマス大学で環境管理・気候変動モデリングの博士号を取得している。
INPS Japan
関連記事:
「力こそ正義」の新世界秩序
国際法は民族紛争を減らす強力なツール
米国/イスラエルによる対イラン爆撃―国際法軽視のケーススタディ
私の名はダッカ
【ダッカIPS=モハンマド・ラキブル・ハサン】
「私の名はダッカ」 は、400年を超える歴史を持つダッカを、生きて呼吸する都市として描いた1分間の実験映画である。思索的な語りを通じて、都市の変貌や危機、そしてしなやかな強さを映し出す。汚染と祝祭、苦難と希望が交錯するなか、気候変動、移住、人々の生き抜く営みによって形づくられてきた巨大都市ダッカの実像を浮かび上がらせている。
私の名はダッカ。私は400年以上の歴史を生きてきた。ムガル帝国の栄華から植民地支配、独立、そして現在に至るまで、幾多の帝国の興亡を見つめてきた。いま、私はおよそ3600万人を抱える巨大都市となった。
同時に私は、世界有数の気候危機の最前線にある都市でもある。川はたびたび増水し、暑熱は強まり、空気は年々いっそう重くなる。私はしばしば、世界で最も大気汚染が深刻な都市の一つに数えられる。
私は、新型コロナウイルスのパンデミックのなかで、通りから突然人影が消えたあの静寂を覚えている。2013年から2014年にかけての政治不安の中で起きたバス爆破事件の恐怖と混乱も覚えている。そして2024年、ファシズム的な体制が崩壊した瞬間も記憶している。
https://www.youtube.com/watch?v=HR2jS89v3Co
だが、私は危機だけの都市ではない。私は対照に満ちた都市でもある。児童労働や深刻な社会的不正義の現実を抱え、多くの人々が生き抜くためだけに日々もがいている。その一方で、私は生を祝う都市でもある。ホーリー祭の季節には通りが鮮やかな色彩に包まれ、人々は苦境のただ中にあっても喜びを見いだす。(原文へ)
INPS Japan
関連記事:
暫定政権がバングラデシュにもたらしたもの
|バングラデシュ|「壊滅的」被害をもたらす可能性のある気候変動の緩和に向けて行動
なぜアイ・ケアが重要なのか―バングラデシュなど多くの国々のために

