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これらの太古の海洋生物は気候変動を生き延びられるのか?

【インド・ブバネシュワル IPS=マニパドマ・ジェナ】 11月になると、東インドのオディシャ州沿岸のわずか5キロメートルの浅瀬に、数万匹のオリーブリドリウミガメ(Lepidochelys olivacea)の雄が集まり始める。雌の到着を待つためだ。 この太古の海洋生物の生存は、適切なつがい形成と交尾に大きく依存してきた。しかし、世界中の研究結果は、長期的には交尾場で雄の数が減少し、雌が圧倒的多数になる可能性があることを示唆している。 いくつかの研究では、気候変動による砂温度の上昇により、孵化する子ガメの性比が雌に偏っていることが明らかになっている。 妊娠したリドリウミガメは、深さ約18インチのフラスコ型の巣穴を掘り、120〜150個の卵を産む。産卵後、後肢で砂をかけて巣を覆い、45〜55日間砂の中で自然孵化させる。小さな子ガメは夜間、表面の砂が冷えるのを待って自力で地上に出て、月光や星明かりが水面に反射する明るい地平線を頼りに海へと走る。 ウミガメは温度依存性の性決定を持つため、産卵地での孵化温度の上昇は、個体群の「極端な雌化」を引き起こす可能性があると科学者たちは警鐘を鳴らしている。 孵化性比、雌に大きく偏る? オディシャ州ルシクリヤ海岸で15年間行われた研究では、孵化するオリーブリドリウミガメの性比は平均71%が雌で、年によっては90%以上に達することもあった。 オディシャ州のガヒルマタとルシクリヤは、オリーブリドリウミガメの世界最大級の産卵地であり、同規模の産卵地はメキシコとコスタリカにも存在する。 「2009年から20年の11年間、大半の年で雌に偏った性比が確認され、2011年と20年に最も高かった」と、インド科学研究所(IISc)生態科学センターのカルティク・シャンカー教授は、ダクシン財団による研究成果についてIPSに語った。 ウミガメの卵は、摂氏25〜35度という狭い温度範囲内でのみ正常に孵化できる。この範囲を超える高温では、孵化率が低下し、形態異常の増加が確認されている。 孵化温度の「ピボタル(分岐)温度」は約29度で、この温度では性比が1対1に近づく。それより高温では雌が多く、低温では雄が多くなる。 たとえば孵化温度が平均30度から31度に1度上がっただけで、孵化成功率が最大25%低下する可能性があるという研究もある。 国際自然保護連合(IUCN)は、一部の産卵地では緑ウミガメの孵化性比が雌99%という極端な例も報告している。 WWFインドの海洋種リーダーであるムラリダラン・マノハラクルシュナン氏はIPSに対し、「通常は50:50の性比が理想とされますが、熱帯や温帯など地理的な違いにより、60:40や70:30も許容範囲です。しかし、極端な雌偏りが5〜10回続く場合は警戒が必要で、緩和措置が求められます」と語った。 暑すぎる気候=異常な孵化 近年の気候変動は、性比の偏りだけでなく、さらに深刻な影響をもたらす恐れがある。長期的には、繁殖頻度の低下、卵の受精率低下による孵化成功率の低下が懸念されている。 さらに高温は胚の発育を早め、孵化期間が短縮されることで、より小型で運動能力の低い、エネルギー蓄積能力の低い子ガメが生まれ、生存率が低下する。 すでに脅かされてきたウミガメたち 温暖化は新たな脅威だが、ウミガメたちはこれまでも様々な人為的な圧力にさらされてきた。主なものは、漁業用の網(特に底引き網)による混獲、港湾や観光施設の建設、海岸浸食や砂の採取による産卵地の減少などである。 卵や肉の密猟は地元住民の意識向上で大幅に減少したが、人工照明による光害は増加している。これにより、孵化した子ガメが海とは逆方向に向かい、多くが命を落とす。 実際、オリーブリドリウミガメの子ガメが成体になる確率は、海に入った1,000匹のうちわずか1匹とされている。 最も豊富なオリーブリドリ、だが今後は? オリーブリドリウミガメは世界で最も個体数が多い海洋ウミガメとされているが、2008年にIUCNは過去の推定で世界的な個体数が約30%減少したことから「危急種(Vulnerable)」に指定した。 ただし、IIScのシャンカー教授ら一部の科学者は「現在のインド沿岸のオリーブリドリは好調」とみている。 これまで温暖化の影響研究は北西大西洋や地中海で主に行われてきたが、今回のダクシン財団の研究はオリーブリドリに特化したものとして貴重だ。 オリーブリドリは全長60〜70センチ、体重35〜50キロの中型種。スペイン語で「到来」を意味するアリバダ(arribada)という集団産卵行動で知られ、これはユニークである反面、人為的な環境変化や温暖化の影響を受けやすい。 コミュニティの力がカメを守る 今年2月、ルシクリヤ海岸では過去最多の80万個の巣が確認された。ボランティアたちは「海岸はウミガメで埋め尽くされ、歩く場所もないほどだった」と話す。こうした成果は、地域住民主体の保護活動の賜物だ。 政府は産卵期の4か月間、禁漁区域を設定し、漁師に補償金を支払っている。国際的にもウミガメ製品の取引は禁止されている。だが最大の成果は、NGO、政府、沿岸警備隊、地元の漁師を含むボランティアの一体的な取り組みにある。 若い子どもたちまでが進んで保護活動に参加している。地元ボランティアは孵化した子ガメを安全に海へ送り出し、巣の監視やフェンス設置、夜間の見回りも行う。かつて盛んだった卵の密猟は減ったが、犬や鳥による捕食リスクは残っている。 長期的な追跡調査が鍵 シャンカー教授によると、「私たちはまだオディシャ州でのみ研究しており、長期的な人口動態を把握するには何十年もの追跡調査が必要です。ウミガメは長寿で成熟も遅いため、変化は数年単位で現れます」と述べている。 将来的には、より正確な性比データを得るため、胚成長モデルの活用などさらなる研究が計画されている。(原文へ) INPS Japan/IPS UN Bureau 関連記事: 水中の生命:アフリカにおける海洋生態系の保護と持続可能な漁業の推進

名前に込められた意味とは? 「ボブ神父」から「教皇レオ14世」へ

新たに選出されたレオ14世教皇は、自身の名の由来となった偉大な先人から力を得て、祖国の人々に対峙できるだろうか? 【Religion News Service=ヴィクター・ガエタン】 米国のカトリック信徒からは「ボブ神父」、ペルーのカトリック信徒からは「パドレ・ロベルト」と呼ばれて親しまれてきたロバート・プレヴォスト枢機卿は、「レオ14世」という名を選ぶことで、近代カトリックの礎を築いたレオ13世教皇(在位:1878~1903年)の系譜に自らを結びつけた。 レオ13世は、カトリック社会教説の父として知られており、1891年に発表された回勅『レールム・ノヴァールム(資本と労働について)』は、労働者の権利と公正な賃金、労働組合の正当性を擁護しつつ、私有財産の重要性も説いた。 また、身長約158cmと小柄ながらも精力的な教皇であり、神学者、霊的指導者、外交官としても数々の貢献を果たした。特に当時の米国によるい勢力拡大に警戒感を抱いていたことでも知られる。 1878年に即位した当時、バチカンはイタリア政府との間で緊張状態にあり、1871年にイタリア軍がローマを占領し教皇領を奪取、ローマをイタリア王国の首都と定めた直後だった。前任者ピウス9世と同様、レオ13世も使徒宮殿に閉じこもり、「自ら望んだ囚人」と称し、バチカンの主権回復を静かに待ち続けた。 行政的負担から解放された教皇は、祈りと執筆に専念できるようになり、25年の治世で実に85本もの回勅を発表。1879年の回勅『アエテルニ・パトリス(キリスト教哲学の復興について)』では、聖トマス・アクィナスの神学と哲学を再評価し、以後トマス主義が現代カトリック思想の中核をなすこととなった。 また、1888年にはブラジル司教団宛に『イン・プリュリミス』を発表し、奴隷制度の全面廃止を強く訴えた。これは教会が公に奴隷制廃止を支持した初の文書であり、同年ブラジルで奴隷制が正式に廃止される契機ともなった。 『レールム・ノヴァールム』は、貧困層への深い共感を示しながらも、社会主義や自由放任資本主義のいずれにも偏らず、正義を求めるカトリック信徒の社会参加を促す内容となっている。これは現在でもラテンアメリカを中心に多くの司教たちによって実践されており、かつてペルーで長年活動したプレヴォスト新教皇の歩みとも重なる。 プレヴォスト神父は1985年から1998年にかけてペルーで宣教活動を行い、経済危機と政治的不安(テロを含む)に直面。2018年に司教として帰任した際には経済は改善していたものの、格差問題は依然深刻だった。 外交面でもレオ13世は注目される。ヴァチカンの外交官養成学校(1701年設立)で訓練を受け、1843~1846年にベルギー公使(教皇大使)を務めた経験がある。領土を失ったバチカンにとって中立性は交渉力の源となり、1885年にはドイツとスペイン間のカロリン諸島領有問題で、オットー・フォン・ビスマルク宰相の要請により仲裁を行った。 1886年には中国(清朝)の光緒帝がバチカンとの直接外交を望んだが、フランスの干渉により実現しなかった。それでも当時の中国の新聞には「教皇は軍も領土も持たない、ダライ・ラマのような存在であり、政治的な罠の恐れなく開かれた外交が可能だ。」との評価が掲載された。 また、1898年のハーグ平和会議にあたっては、ロシア皇帝ニコライ2世もバチカンの仲介を求めた。 米国についてもレオ13世は深く注目していた。米国は1898年の米西戦争により、スペインの植民地支配を打ち破り、カリブ海のプエルトリコ及び太平洋のグアム、フィリピンを獲得し、キューバを保護国とした。この米国の軍事力を背景とした勢力拡大の動きは、カトリック諸国における教会施設や教育機関への直接的圧力となるとともに、反カトリック的性質も帯びていた。 バチカンを訪れた当時のフィリピン民生長官ウィリアム・ハワード・タフト(後の米大統領)との会談で、教皇は修道会の土地を米国に売却するという要求を拒否した。 レオ13世の時代に始まった米国の軍事的覇権に対する警戒心は、今日の教皇にも受け継がれる可能性がある。新教皇レオ14世は、同様の挑戦にどのように向き合うだろうか? 彼は自国アメリカの力に立ち向かう強さと独立心を示せるだろうか? 前任者の足跡を辿るなら、彼には模範がある。 レオ13世はあるミサの最中に衝撃的な幻視を体験し、これに衝き動かされて「聖ミカエルの祈り」を作り、1884年頃から世界中のミサ後に唱えるよう司祭に求めた。この祈りは今でも悪に立ち向かう者たちに推奨されており、世界中で復活の動きを見せている。 聖ミカエルの祈り: 大天使聖ミカエル、戦いにおいて我らを護り、悪魔の凶悪なるはかりごとに勝たしめ給え。天主の彼治め給わんことを伏して願い奉る。ああ天軍の総帥、霊魂をそこなわんとてこの世を徘徊するサタンおよびその他の悪魔を、天主の御力によりて地獄に閉込め給え。アーメン 新教皇レオ14世の選出が発表された5月8日は、聖ミカエルの出現の祝日でもある。 彼は最初の演説でこう語った。「神は私たちを愛しておられる。神はすべての人を愛しておられる。そして悪は決して勝利しない!」 ビクトル・ガエタンは、国際問題を専門とするナショナル・カトリック・レジスターの上級特派員であり、バチカン通信、フォーリン・アフェアーズ誌、アメリカン・スペクテーター誌、ワシントン・エグザミナー誌にも執筆している。北米カトリック・プレス協会は、過去5年間で彼の記事に個人優秀賞を含む4つの最優秀賞を授与している。ガエタン氏はパリのソルボンヌ大学でオスマントルコ帝国とビザンチン帝国研究の学士号を取得し、フレッチャー・スクール・オブ・ロー・アンド・ディプロマシーで修士号を取得、タフツ大学で文学におけるイデオロギーの博士号を取得している。彼の著書『神の外交官:教皇フランシスコ、バチカン外交、そしてアメリカのハルマゲドン』は2021年7月にロウマン&リトルフィールド社から出版された。この記事の内容はRNSの公式見解を反映するものではない。 Original URL: What’s in a name? Father Bob becomes Pope Leo XIV Religion News Service 関連記事: |核兵器なき世界| 仏教徒とカトリック教徒の自然な同盟(ヴィクトル・ガエタン ナショナル・カトリック・レジスター紙シニア国際特派員) 外交官としてのフランシスコ教皇──その個人的な出会いは世界へと広がった 歴史的殉教地ナガサキ:隠れキリシタンから原爆投下まで

│ベトナム│戦争と平和のテーマを融合し傷を癒す映画

【ホーチミンシティIPS=トラン・ディン・タン・ラム】 30年以上にわたって米国とベトナムとの間に横たわる傷をどう癒すか―あるベトナム人監督がこうしたテーマに挑んだ映画を完成させた。監督・脚本はダン・ナット・ミン氏で、映画の題名は「焼くことなかれ(Don’t Burn)=邦題:きのう、平和の夢を見た」。この映画は、米国によるベトナム軍事介入が加速した1970年代初頭に米軍兵士によって射殺された当時27才の女医ダン・トゥイー・チャム(Dang Thuy Tram)が残した日記を映画化したものである。  1970年6月、米軍情報担当士官フレデリック(フレッド)・ホワイトハーストは、中部クアンガイ省ドゥクフォー県で掃討作戦後のベトコン基地に入った。そこは小さな病院だった。フレッドはそこで1冊の日記を発見し、南ベトナム軍の通訳(軍曹)に見せた。軍曹は、日記を手に取ると数ページ読み、「この日記は焼いてはなりません。なぜならすでにこの中に火が宿っているのですから。」と語ったという。(両氏は現場で集めた大量の文書から重要なものをより分け、残りを火に投じていた。)それはこの病院の若い女医トゥイ・チャムの日記だった。日記の中にはこういう一節がある。「昨晩、私は平和の夢を見ました。故郷に立ち戻って、懐かしい人々の姿を見ました。ああ、平和と独立の夢は、3000万のベトナム人同胞の心の中で燃えている。」彼女が夢見た「平和」が、この映画のメインテーマとなっており、ミン監督はこの映画の脚本も手掛けた。また、「きのう、平和の夢を見た」という一節は、日記の英語タイトルとなり、2007年には米国で英語版が出版された。フレッドは、米国での日記出版から1年遡る2006年にトゥイ・チャムの家族を訪ね、35年間手元においていた日記を遺族に返還した。その後日記は各国語に翻訳された。ベトナム国内では、革命の大儀に殉じた若人の物語として政府やメディアが取り上げ、大いに評価された。しかしベトナムでは、先の戦争をテーマとした映画が既に多く制作されており、ミン監督は、この映画をそうした部類の戦争映画にして、トゥイ・チャムの日記をプロパガンダの手段としてしまうことだけは是が非でも避けたいと固く心に誓った。「この映画のテーマは戦争についてではありません。それよりもむしろトゥイ・チャムという一人の女性の美しさと人間性を描いたものなのです。」と、同じくベトナム戦争を描いた名作「10月が来たら」でも広く知られるミン監督は語った。ミン監督は、「かつての敵国同士が和解することを願って、この映画を作りました。」と語った。米国-ベトナム間には、米軍が戦時中に使用したエージェントオレンジを始めとする枯葉剤の後遺症の問題や米軍の行方不明兵士の問題等が残されているものの、この数十年の間に両国間の外交、経済、政治の分野における和解は進展してきた。  ベトナム戦争(1959年~75)は、米軍が同盟国と共に支援していた南ベトナム政府を北ベトナム共産党政権による国土統一から守るため軍事介入したことから引き起こされた戦争である。ベトナムでは「アメリカの戦争」と呼ばれており、300~400万人の南北ベトナム人と58,000人の米兵が犠牲となった。そして1975年4月、北ベトナム軍がホーチミン市(当時南ベトナムの首都サイゴン市)を陥落させ、1976年にベトナムの統一がなされた。フレッドはトゥイー・チャムの日記を届けた後も数度に亘って遺族(トゥイー・チャムの母と姉妹)を訪問し、その中で両者の間に友情が育まれた。映画ではこうした側面が直接的に描かれてはいないが、両国の民衆の間の和解が根付いてきていることを示唆する内容となっている。「フレッドやロバート・ホワイトハースト(同じく従軍経験者で南ベトナムの風土に惹かれ、ベトナム人を妻にした米国人)のようにベトナム戦争の記憶を共有してくれた元米兵の協力なくしてこの映画は完成しなかったと思います。この映画の中にも7名のアメリカ人俳優が米兵の役で登場しています。」と、ミン監督は語った。以下に紹介するいくつかの反響がこの映画が米国の観客にどのように受け止められたのかを物語っている。新聞報道によると、多くの在米ベトナム人や大学講師、生徒がいくつかの大学で行われた映画「焼くことなかれ」の上映会に続く討論会に参加した。ニューヨークのカントールフィルムセンターでは、同市に拠点を置く「和解と開発財団」のジョン・カコーティフ専務理事が、ミン監督に対して「憎しみではなく、全編に亘って愛と平和への夢、兵士たちの絆について描いた素晴らしい作品を有難うございます。」と感謝の言葉を述べた。こうして映画「焼くことなかれ」が、多くの感動した観客が上映後涙目で映画館を後にするなど米国人観客の間で概ね歓迎されている一方、在米ベトナム人コミュニティーの間ではやや懐疑的な見方も存在する。たとえば、「この作品は感情には訴えるものの、もっと本質的な問題-米国によるベトナム介入の正当性そのものや、過去の政治的な歩みの違いから依然として分断されているベトナム南北の問題-まで内容が掘り下げられていない」とする見方だ。 映画を見たベトナム系アメリカ人の学生の中には、「この映画は、ベトナム戦争の性格、すなわち解放戦争だったのか内戦だったのかといった点や、1975年の米軍撤退後に南ベトナム軍兵士や一般民衆が直面した苦境については描いていない。」とコメントする者もいた。「この映画が、古くから敵対関係にある者同士の和解を目指したものというのは理解に苦しみます。殆どのアメリカ人にとってベトナム戦争は既に過去の出来事なのです。アメリカ人との和解というのは、あたかも大きく開かれているドアをノックするようなものです。和解をすべきはむしろ南ベトナムの人々とではないのでしょうか。」と、カリフォルニア大学ロサンゼルス校の学生トラン・タンは語った。それに対してミン監督は、「観客にはそれぞれの考え方があり、私はそうした異なる様々な考え方を尊重します。」と語った。この作品は2009年には福岡国際映画祭に招待され「観客賞」を受賞している。またミン監督は、「南ベトナムの問題を扱っていないわけではありません。なぜなら、日記を焼かずに守った南ベトナム軍通訳の軍曹の所在についても触れているのですから。」と反論している。 しかし映画は、その軍曹の名前についても、その後どうなったのかについても触れていない。いくつかのベトナムメディアはその元通訳の兵士の名を「フアン(Huan)」と報じている。「トゥイー・チャムの日記は、南ベトナム軍軍曹の理性的で人間味あふれる姿勢がなければ今日まで存在することはなかった。しかし彼の存在は、映画の最後に流れるクレジットに形式的に触れられただけに過ぎなかった。」とベトナムで最も権威ある独立系ウェブサイトタラワス(Talawas)は辛辣なコメントを掲載した。(原文へ)翻訳=IPS Japan浅霧勝浩 関連記事:過去の残虐行為の歴史を政治利用してはならない(トーマス・ハマーベリ) 米国のモン(Hmong)族の若者が直面する暗い歴史|ベトナム|人権|枯れ葉剤被害者救済の道は断たれたか

名前に込められた意味とは? 「ボブ神父」から「教皇レオ14世」へ

新たに選出されたレオ14世教皇は、自身の名の由来となった偉大な先人から力を得て、祖国の人々に対峙できるだろうか? 【Religion News Service=ヴィクター・ガエタン】 米国のカトリック信徒からは「ボブ神父」、ペルーのカトリック信徒からは「パドレ・ロベルト」と呼ばれて親しまれてきたロバート・プレヴォスト枢機卿は、「レオ14世」という名を選ぶことで、近代カトリックの礎を築いたレオ13世教皇(在位:1878~1903年)の系譜に自らを結びつけた。 レオ13世は、カトリック社会教説の父として知られており、1891年に発表された回勅『レールム・ノヴァールム(資本と労働について)』は、労働者の権利と公正な賃金、労働組合の正当性を擁護しつつ、私有財産の重要性も説いた。 また、身長約158cmと小柄ながらも精力的な教皇であり、神学者、霊的指導者、外交官としても数々の貢献を果たした。特に当時の米国によるい勢力拡大に警戒感を抱いていたことでも知られる。 1878年に即位した当時、バチカンはイタリア政府との間で緊張状態にあり、1871年にイタリア軍がローマを占領し教皇領を奪取、ローマをイタリア王国の首都と定めた直後だった。前任者ピウス9世と同様、レオ13世も使徒宮殿に閉じこもり、「自ら望んだ囚人」と称し、バチカンの主権回復を静かに待ち続けた。 行政的負担から解放された教皇は、祈りと執筆に専念できるようになり、25年の治世で実に85本もの回勅を発表。1879年の回勅『アエテルニ・パトリス(キリスト教哲学の復興について)』では、聖トマス・アクィナスの神学と哲学を再評価し、以後トマス主義が現代カトリック思想の中核をなすこととなった。 また、1888年にはブラジル司教団宛に『イン・プリュリミス』を発表し、奴隷制度の全面廃止を強く訴えた。これは教会が公に奴隷制廃止を支持した初の文書であり、同年ブラジルで奴隷制が正式に廃止される契機ともなった。 『レールム・ノヴァールム』は、貧困層への深い共感を示しながらも、社会主義や自由放任資本主義のいずれにも偏らず、正義を求めるカトリック信徒の社会参加を促す内容となっている。これは現在でもラテンアメリカを中心に多くの司教たちによって実践されており、かつてペルーで長年活動したプレヴォスト新教皇の歩みとも重なる。 プレヴォスト神父は1985年から1998年にかけてペルーで宣教活動を行い、経済危機と政治的不安(テロを含む)に直面。2018年に司教として帰任した際には経済は改善していたものの、格差問題は依然深刻だった。 外交面でもレオ13世は注目される。ヴァチカンの外交官養成学校(1701年設立)で訓練を受け、1843~1846年にベルギー公使(教皇大使)を務めた経験がある。領土を失ったバチカンにとって中立性は交渉力の源となり、1885年にはドイツとスペイン間のカロリン諸島領有問題で、オットー・フォン・ビスマルク宰相の要請により仲裁を行った。 1886年には中国(清朝)の光緒帝がバチカンとの直接外交を望んだが、フランスの干渉により実現しなかった。それでも当時の中国の新聞には「教皇は軍も領土も持たない、ダライ・ラマのような存在であり、政治的な罠の恐れなく開かれた外交が可能だ。」との評価が掲載された。 また、1898年のハーグ平和会議にあたっては、ロシア皇帝ニコライ2世もバチカンの仲介を求めた。 米国についてもレオ13世は深く注目していた。米国は1898年の米西戦争により、スペインの植民地支配を打ち破り、カリブ海のプエルトリコ及び太平洋のグアム、フィリピンを獲得し、キューバを保護国とした。この米国の軍事力を背景とした勢力拡大の動きは、カトリック諸国における教会施設や教育機関への直接的圧力となるとともに、反カトリック的性質も帯びていた。 バチカンを訪れた当時のフィリピン民生長官ウィリアム・ハワード・タフト(後の米大統領)との会談で、教皇は修道会の土地を米国に売却するという要求を拒否した。 レオ13世の時代に始まった米国の軍事的覇権に対する警戒心は、今日の教皇にも受け継がれる可能性がある。新教皇レオ14世は、同様の挑戦にどのように向き合うだろうか? 彼は自国アメリカの力に立ち向かう強さと独立心を示せるだろうか? 前任者の足跡を辿るなら、彼には模範がある。 レオ13世はあるミサの最中に衝撃的な幻視を体験し、これに衝き動かされて「聖ミカエルの祈り」を作り、1884年頃から世界中のミサ後に唱えるよう司祭に求めた。この祈りは今でも悪に立ち向かう者たちに推奨されており、世界中で復活の動きを見せている。 聖ミカエルの祈り: 大天使聖ミカエル、戦いにおいて我らを護り、悪魔の凶悪なるはかりごとに勝たしめ給え。天主の彼治め給わんことを伏して願い奉る。ああ天軍の総帥、霊魂をそこなわんとてこの世を徘徊するサタンおよびその他の悪魔を、天主の御力によりて地獄に閉込め給え。アーメン 新教皇レオ14世の選出が発表された5月8日は、聖ミカエルの出現の祝日でもある。 彼は最初の演説でこう語った。「神は私たちを愛しておられる。神はすべての人を愛しておられる。そして悪は決して勝利しない!」 ビクトル・ガエタンは、国際問題を専門とするナショナル・カトリック・レジスターの上級特派員であり、バチカン通信、フォーリン・アフェアーズ誌、アメリカン・スペクテーター誌、ワシントン・エグザミナー誌にも執筆している。北米カトリック・プレス協会は、過去5年間で彼の記事に個人優秀賞を含む4つの最優秀賞を授与している。ガエタン氏はパリのソルボンヌ大学でオスマントルコ帝国とビザンチン帝国研究の学士号を取得し、フレッチャー・スクール・オブ・ロー・アンド・ディプロマシーで修士号を取得、タフツ大学で文学におけるイデオロギーの博士号を取得している。彼の著書『神の外交官:教皇フランシスコ、バチカン外交、そしてアメリカのハルマゲドン』は2021年7月にロウマン&リトルフィールド社から出版された。この記事の内容はRNSの公式見解を反映するものではない。 Original URL: What’s in a name? Father Bob becomes Pope Leo XIV Religion News Service 関連記事: |核兵器なき世界| 仏教徒とカトリック教徒の自然な同盟(ヴィクトル・ガエタン ナショナル・カトリック・レジスター紙シニア国際特派員) 外交官としてのフランシスコ教皇──その個人的な出会いは世界へと広がった 歴史的殉教地ナガサキ:隠れキリシタンから原爆投下まで

弁護士から活動家へ──児童婚根絶の運動を率いたブワン・リブー氏が表彰される

【ニューデリーIPS=ステラ・ポール】 ブワン・リブー氏は、もともと子どもの権利活動家になるつもりはなかった。しかし、インドで数多くの子どもたちが人身売買され、虐待され、児童婚を強いられている現実を目の当たりにし、沈黙を選ぶことはできなかった。 「すべては“失敗”から始まりました。」とリブー氏は語る。「助けようとはしていましたが、問題を止めることはできなかった。そのとき気づいたのです──この問題は社会正義ではなく、刑事司法の問題なのだと。そして、解決には包括的で大規模なアプローチが必要だと。」 現在、リブー氏は世界最大級の子どもの権利保護ネットワーク「ジャスト・ライツ・フォー・チルドレン(Just Rights for Children)」を率いている。児童婚や人身売買と闘い続けてきた功績により、同氏はこのたび世界法曹協会(World Jurist Association)から名誉勲章を授与された。授与式は、ドミニカ共和国で開催された世界法律会議(World Law Congress)にて行われた。 しかし、リブー氏にとってこの賞は「栄誉」ではなく「責任の証」だ。「この賞は、世界が注目していること、そして子どもたちが私たちに希望を託しているということの証なのです」と、授賞後初のインタビューでIPSにの取材に対して語った。 原点─1つの会議が人生を変えた 弁護士としての訓練を受けたリブー氏の道のりは、長く困難ながらも輝かしいものだった。そのきっかけは、インド東部ジャールカンド州で開かれた小規模なNGOの会合だった。ある参加者が発言した──「私の村の少女たちがカシミールへ連れて行かれ、結婚相手として売られています。」 その一言が、リブー氏の心を強く打った。 「そのとき気づいたのです──州境を越える問題を、1人や1団体で解決するのは不可能だと。」そこで全国的なネットワークづくりを始めた。 こうして「児童婚のないインド(Child Marriage-Free India/CMFI)」キャンペーンが誕生。数十の団体が次々に加わり、その数はやがて262団体に拡大した。 これまでに2億6千万人以上がこのキャンペーンに参加。インド政府も「バル・ビバフ・ムクト・バラト(Bal Vivah Mukt Bharat/児童婚ゼロのインド)」という国家ミッションを立ち上げた。 現在、村や町、都市の至る所で「児童婚ゼロのインド」に向けた声が上がっている。 「かつては不可能と思われていたことが、今や手の届くところまで来ています」とリブー氏は語る。 法廷での戦い 弁護士であるリブー氏にとって、法律は強力な武器である。 2005年以降、彼はインドの裁判所で多数の重要な訴訟を提起し、勝訴してきた。これにより、児童人身売買の法的定義が明確化され、行方不明児童の届け出に対する警察の義務化、児童労働の刑事罰化、被害者支援制度の整備、有害な児童性的コンテンツのネット上からの削除など、数々の改革が実現した。 特に大きな転換点となったのは、「行方不明の子どもは、人身売買の可能性があるとみなすべきだ」と裁判所が認めたこと。この判断により、行方不明の児童数は11万7480人から6万7638人へと大幅に減少した。 「これこそが“行動する正義”の姿です」とリブー氏は語る。 宗教指導者の協力を得る CMFIの最も画期的な取り組みのひとつは、宗教指導者への働きかけだった。 「なぜなら、どの宗教であれ、結婚を執り行うのは宗教指導者だからです。彼らが児童婚を拒否すれば、習慣そのものが止まるのです。」 キャンペーンのメンバーは全国の村々を訪れ、ヒンドゥー教の僧侶、イスラム教のウラマー、キリスト教の神父や牧師などに「児童婚は行わず、見かけたら通報する」という誓約を促した。 その効果は絶大だった。例えば結婚が多く行われる吉日「アクシャヤ・トリティヤ(Akshaya Tritiya)」でも、寺院が児童婚を拒否するようになった。 「信仰は、正義のための大きな力になり得るのです。宗教の教義も、子どもたちの教育と保護を支持しています」とリブー氏は話す。 世界へ広がる運動 このキャンペーンはもはやインド国内にとどまらない。2025年1月にはネパールがこの動きに触発され、「児童婚ゼロ・ネパール」イニシアチブをカドガ・プラサド・シャルマ・オリ首相の支持のもと開始。全7州が参加し、児童婚撲滅に取り組んでいる。 さらに、この運動はケニアやコンゴ民主共和国など39カ国へと広がっており、国境を越えた子ども保護のための法的ネットワーク創設への機運が高まっている。 「法制度は国や地域によって異なっていても、“正義”の理念は同じでなければなりません」と語るリブー氏は、2冊の著書『Just Rights』『When Children Have Children』の中で、PICKETと呼ばれる法的・制度的・倫理的枠組みを提唱している。「叫ぶだけではなく、子どもたちを日々守るためのシステムを築くことが必要なのです。」 犠牲と希望 リブー氏は、将来有望だった弁護士としてのキャリアを捨てた。当初は理解されなかったという。 「周囲から“時間の無駄だ”と言われました。でもある日、息子がこう言ったんです──“たったひとりでも救えたら、それで十分じゃない?” それが私にとってすべてでした。」 彼は“ガンディー的信託主義”──つまり、自分の才能や特権を、最も支援を必要とする人のために使うべきだという考えを信じている。 「私がイラクやコンゴで児童婚と闘うことはできないかもしれません。でも、必ず誰かが立ち上がります。そして私たちは、その人のそばに立ちます。」 勲章は“より大きな使命”への扉 世界法曹協会の勲章は単なる栄誉ではない。リブー氏にとってそれは“舞台”である。 「この賞が伝えているのは、『変化は可能だ』『すでに変化は始まっている』というメッセージです。共に歩もう、という呼びかけなのです。」 この受賞をきっかけに、新たなパートナーとの協力が広がり、活動地域もさらに拡大できることを期待しているという。 「2024年だけで2.6万件以上の児童婚が阻止され、5万6千人を超える子どもたちが人身売買や搾取から救出されました。これが、夢物語ではない“現実の変化”なのです。」 2030年までに、インドにおける児童婚の割合を5%未満に抑えることが目標だ。 しかし、世界にはまだ多くの課題が残っている。イラクでは10歳の少女が結婚できる法制度があり、米国でも35州で一定の条件下における児童婚が合法である。 「正義は“一時的”ではいけない。世界のどこであっても、“日常の一部”でなければならないのです。“正義”がただの言葉で終わらないように──それが私たちの使命です。」(原文へ) INPS Japan/IPS UN Bureau Report 関連記事: 国連、北朝鮮で横行している脱北女性達に対する人権侵害を告発 コロナ禍、気候変動、不処罰と人身売買を悪化させる紛争 |ネパール・インド|「性産業」犠牲者の声なき声:売春宿から1人でも多くの犠牲者を救いたい

核兵器不拡散条約再検討会議に向けた軍縮対話の促進

【国連IPS=ナウリーン・ホセイン】 第二次世界大戦終結以来、核軍縮の重要性がこれほどまでに問われたことはなかったかもしれない。核兵器を保有する国(核兵器保有国)同士、また核兵器保有国と非保有国との間に広がる溝が深まる現在において、軍縮の必要性は一層切実なものとなっている。 2026年に開催されるNPT再検討会議に向けた準備委員会(4月28日~5月9日)のサイドイベントとして、専門家によるパネル討論が国連本部近くのチャーチセンターで行われた。このイベントは、創価学会インタナショナル(SGI)とカザフスタンの国連常駐代表部の共催によるもの。 新たな紛争が発生し、既存の紛争が長期化・激化するなか、核兵器の位置づけを含む安全保障の在り方について、国際社会が合意形成を目指す必要性は増している。ジェームズ・マーティン不拡散研究センター所長のウィリアム・ポッター氏は、核兵器をめぐる規範の「浸食」について懸念を表明。「世界は混乱状態にあります。従来の同盟国と敵対国の境界も曖昧になっています。」と語った。 ポッター氏は、核兵器保有国と非保有国の間で核軍縮に対する緊急性の認識に大きな隔たりがあると指摘した。 SGIの砂田智映平和・人権部長は、「本当の敵は核兵器そのものではなく、それを正当化し、使用を合理化する思考そのもの」と語る。「他者を脅威や障害とみなして排除しようとする思考、人間の生命の尊厳を軽視する考え方こそが危険なのであり、私たちはそのような思考に立ち向かわなければなりません。」と訴えた。 世界の一部の大国が核兵器の配備制限の緩和を検討するなかでも、核兵器禁止に向けた外交的手段は有効に機能している。その一例が、地域ごとの条約で定められた非核兵器地帯(NWFZ)の設立である。 アフリカ、中南米、太平洋、中東、中央アジア、東南アジアでは、各国が核兵器の保有や実験を行わないことに合意している。こうした非核兵器地帯は、核を保有しない国々が自らの地域安全保障の枠組みを主体的に定める手段にもなっていると、VCDNP(核軍縮・不拡散に関するウィーンセンター)の「核兵器のない世界」実現に向けた日本政府支援プログラム議長を務めるガウハル・ムハジャノヴァ氏は語った。 このサイドイベントでは、「核兵器の先制不使用(NFU)」政策にさらなる重みを持たせることの重要性も議論された。NFUとは、核保有国が他の核保有国との戦争で先に核兵器を使用しないという誓約である。 現時点でNFUを明確に掲げているのは中国のみであり、他のP5構成国(米、英、仏、露)、ならびにパキスタンや北朝鮮は、核兵器の先制使用を排除していない。インドもNFU政策を取っているが、生物・化学兵器攻撃への報復は例外とする条項がある。 このような先制不使用の誓約をより広く支持することで、誤解や誤算による壊滅的事態を防げる可能性がある。核関連の条約交渉においては、国連軍縮局(UNODA)副代表であるアデデジ・エボ氏が言及する「信頼醸成の対話」が不可欠だ。これは報告や透明性の強化を通じて実現される。 今年のNPT準備委員会(PrepComm)は、この問題に関する議論から始まった。オーストリア外務省軍縮・軍備管理・不拡散局のアレクサンダー・クメント局長は、NPTに関する協議の中で、核保有国は核兵器の保有によって安全保障が確保されていると感じているため、現状維持を優先する傾向が強く、政治的にも優位に立っていると指摘した。これは明らかなパワーバランスの不均衡を示している。 今年のNPT準備委員会や核兵器禁止条約(TPNW)締約国会合のような会議は、各国代表団やその他の関係者が十分な知識を持ち、自信をもって発言できる環境を整えることが求められている。 エボ氏は、「核軍縮を実質的に前進させるためには、非核保有国の存在が不可欠です。」と強調した。 また、核の傘の下にある国々(核保有国との間で核による安全保障の取り決めを結んでいる国々)は、自らの立場を活かし、非核保有国の非拡散方針を支援すべきだと述べた。   また、核をめぐる議論を「専門的な領域に閉じ込めず、誰もが関われるようにする」必要性についても述べた。外交官をはじめとした核問題に関与する人々には、正確な知識が求められる。同時に、エボ氏は、一般市民や草の根運動によって、選挙で選ばれた指導者に核軍縮の責任を問い、行動を促すことができる可能性にも言及した。この問題を政治家の関心事項に押し上げることで、「無視するのが難しくなる」と語った。 彼は最後に、「核の問題は、国家だけに任せておくには重要すぎます。」と語った。 SGIのようなNGOや市民社会団体を通じた軍縮・非拡散教育も進められている。1957年以降、核軍縮はSGIが推進する「平和の文化」の広範な取り組みの一環として位置づけられてきた。砂田氏は、教育が「力強く、国境を越えた連帯意識」を育む上で重要な役割を果たすと語った。 そのためにSGIは、広島・長崎の原爆被害を体験した被爆者による証言を国内外で共有する講演や、年間1万人以上に届けられるワークショップなどを実施している。 パネルでは、国際的な外交努力と草の根運動の両面から核軍縮の取り組みを評価した。核関連の条約が尊重され、順守されるためには、根本において「核兵器に対するタブーとは何か」についての共通認識(例えば、先制不使用や完全禁止など)が必要である。 ムハジャノヴァ氏は、政策決定者、外交官、研究者、そして一般市民の間でも、この「核兵器に関する理解」が異なっている点を指摘し、2026年のNPT再検討会議(2026年4月27日~5月22日)に向けて共通の基盤を探る議論の必要性を訴えた。(原文へ) This article is brought to you by IPS Noram in collaboration with INPS Japan and Soka Gakkai International in consultative status with ECOSOC. INPS Japan/IPS UN Bureau Report 関連記事: |NPT再検討会議|サイドイベントで核兵器先制不使用を要求 カザフスタンの不朽の遺産: 核実験場から軍縮のリーダーへ ドキュメンタリー映画『私は生きぬく(I Want to...

AIによる「情報汚染」から選挙を守れという呼びかけ

【国連IPS=ナウリーン・ホセイン】 人工知能(AI)の普及は、情報の流れやアクセスのあり方を変化させており、表現の自由にどのような影響が及ぶかという点で、広範な影響をもたらしている。国家レベルおよび地方レベルの選挙では、AIが有権者や選挙キャンペーンに与える影響の大きさと、悪用される脆弱性が顕在化しやすい。人々が制度や情報に対して懐疑的になる中、政府やテック企業は、選挙期間中における表現の自由を守る責任を果たす必要がある。 今年(2025年)の「世界報道自由デー」(5月3日)は、AIが報道の自由、情報の自由な流通、そして情報と基本的自由へのアクセスに与える影響に焦点を当てた。AIは誤情報・偽情報の拡散や、オンライン上のヘイトスピーチの助長といったリスクを伴い、選挙の文脈では、言論の自由やプライバシーの権利を侵害しかねない。 同時に開催された世界報道自由グローバル会議2025の関連イベントでは、国連教育科学文化機関(UNESCO)と国連開発計画(UNDP)が共同で発表したブリーフィングペーパーが紹介され、AIの影響と、選挙における表現の自由を巡るリスクと可能性について論じられた。 UNDP人間開発報告室のペドロ・コンセイソン所長は、情報アクセスに影響を与える「レコメンド・アルゴリズム」の役割について、「その仕組みは極めて複雑で、かつ新しいものであり、さまざまな利害関係者の視点を集める必要がある」と述べた。 選挙が信頼性と透明性を持って実施されるには、表現の自由の保障が不可欠である。この自由と情報アクセスがあることで、市民の関与や討論が可能になる。各国は国際法上、表現の自由を尊重し保護する義務を負っているが、選挙期間中にはその責務の実行が困難になる場合もある。AIへの投資が拡大する中で、選挙に関わるさまざまな主体がAI技術を利用している。 選挙管理機関は、有権者に投票方法などを伝える責任があり、SNSなどを通じて情報を迅速に届けるためにAIを活用することがある。また、AIは広報戦略や意識啓発、オンライン分析・リサーチの分野でも用いられている。 ソーシャルメディアやデジタルプラットフォームでは、親会社が生成AIの統合を進めており、コンテンツモデレーションにもAIが使われている。しかし、利用者の滞在時間やエンゲージメントを優先するあまり、情報の健全性が損なわれているリスクもある。BBC Media Actionのシニア・リサーチマネージャーであるクーパー・ゲートウッド氏は、「特に若者はソーシャルメディアを主な情報源としている」と述べた。 ゲートウッド氏が紹介したインドネシア、チュニジア、リビアでの調査では、偽情報・誤情報に日常的に触れていると答えた人はそれぞれ83%、39%、35%にのぼった。一方で、「拡散のスピードが真偽より重要」と考える傾向もチュニジアやネパールで見られたという。 「こうした調査結果は、選挙や人道危機、情報の入手が困難な状況下において、AI生成の偽情報が迅速に拡散されることで、深刻な被害をもたらす可能性があることを示しています」とゲートウッド氏は警鐘を鳴らした。 AIは選挙の健全性に複数のリスクをもたらす。まず、技術基盤が国によって大きく異なること。特に開発途上国では、AIの活用も、その規制や対応にも限界がある。UNESCOの『デジタル・プラットフォームのガバナンスに関するガイドライン』(2023年)や『AI倫理に関する勧告』(2021年)は、人権と尊厳の保護を軸とした政策的指針を提供している。 UNESCO報道の自由・ジャーナリストの安全担当の選挙プロジェクトオフィサー、アルベルティナ・ピテルバーグ氏は、「デジタル情報を白黒つけるように単純化して語るのはますます難しくなっている」と語り、「マルチステークホルダー・アプローチの重要性」に言及した。政府、テック企業、投資家、学術機関、メディア、市民社会などが協力し、キャパシティビルディング(能力構築)を通じて共通認識を築く必要があるという。 「私たちはこの課題に、人権尊重に基づき、平等な方法で取り組む必要があります。どの選挙もどの民主主義も重要です。商業的な利益やその他の私的利益よりも、それを優先すべきです」とピテルバーグ氏は語った。 チリ選挙管理委員会のパメラ・フィゲロア委員長は、AIによる「情報汚染」が政治参加における非対称性を生み出し、制度や選挙プロセス全体への信頼を損なうリスクを指摘した。 情報の複雑さはAIによってさらに増しており、「ディープフェイク」をはじめとするAI生成コンテンツが、候補者の信用失墜や政治的混乱に使われている。こうした技術は一般市民にも容易にアクセス可能となっており、その悪用が懸念される。 AIモデル自体が人間の偏見や差別を反映することもある。特に女性政治家は、性的に描写されたディープフェイクなどの嫌がらせやサイバーストーキングの被害を受けやすく、それが政治参加を阻む要因にもなっている。 とはいえ、AIは表現の自由を促進する機会も提供している。ブリーフでは、情報の健全性を保つための多様な利害関係者の関与と、戦略的コミュニケーションの必要性が指摘された。信頼できる選挙のためには、メディア、市民社会、テック企業が連携し、メディア・リテラシーの強化に取り組むことが求められている。 デジタルプラットフォームにも、選挙文脈でAIに対する保護措置を講じる責任がある。たとえば、選挙期間に適したコンテンツ監視への投資、選挙関連情報の推薦アルゴリズムの公共的利益の優先、リスク評価の公開、正確な情報の推進、選挙管理機関や市民団体との協議などが挙げられる。 AI、表現の自由、選挙の相互作用には、複数の立場からの連携と理解が不可欠であることが今回明らかになった。選挙に限らず、AIを人類のために活用するための方策として、今後の指針となる可能性がある。 UNDPで技術と選挙を専門とするアジャイ・パテル氏は、「AIツールはすでにすべての人のスマホに入り、ある意味で“無料”です。では、それがどこへ向かうのか?何が起こるのか?善にも悪にも、どんな革新が生まれるのか?」と問いかけた。(原文へ) INPS Japan/IPS UN Bureau Report 関連記事: 国連、新型コロナ関連の情報汚染と闘うためのグローバルイニシアチブを始動 国連事務総長、誤った議論や嘘を正すべきと熱心に訴える

弁護士から活動家へ──児童婚根絶の運動を率いたブワン・リブー氏が表彰される

【ニューデリーIPS=ステラ・ポール】 ブワン・リブー氏は、もともと子どもの権利活動家になるつもりはなかった。しかし、インドで数多くの子どもたちが人身売買され、虐待され、児童婚を強いられている現実を目の当たりにし、沈黙を選ぶことはできなかった。 「すべては“失敗”から始まりました。」とリブー氏は語る。「助けようとはしていましたが、問題を止めることはできなかった。そのとき気づいたのです──この問題は社会正義ではなく、刑事司法の問題なのだと。そして、解決には包括的で大規模なアプローチが必要だと。」 現在、リブー氏は世界最大級の子どもの権利保護ネットワーク「ジャスト・ライツ・フォー・チルドレン(Just Rights for Children)」を率いている。児童婚や人身売買と闘い続けてきた功績により、同氏はこのたび世界法曹協会(World Jurist Association)から名誉勲章を授与された。授与式は、ドミニカ共和国で開催された世界法律会議(World Law Congress)にて行われた。 しかし、リブー氏にとってこの賞は「栄誉」ではなく「責任の証」だ。「この賞は、世界が注目していること、そして子どもたちが私たちに希望を託しているということの証なのです」と、授賞後初のインタビューでIPSにの取材に対して語った。 原点─1つの会議が人生を変えた 弁護士としての訓練を受けたリブー氏の道のりは、長く困難ながらも輝かしいものだった。そのきっかけは、インド東部ジャールカンド州で開かれた小規模なNGOの会合だった。ある参加者が発言した──「私の村の少女たちがカシミールへ連れて行かれ、結婚相手として売られています。」 その一言が、リブー氏の心を強く打った。 「そのとき気づいたのです──州境を越える問題を、1人や1団体で解決するのは不可能だと。」そこで全国的なネットワークづくりを始めた。 こうして「児童婚のないインド(Child Marriage-Free India/CMFI)」キャンペーンが誕生。数十の団体が次々に加わり、その数はやがて262団体に拡大した。 これまでに2億6千万人以上がこのキャンペーンに参加。インド政府も「バル・ビバフ・ムクト・バラト(Bal Vivah Mukt Bharat/児童婚ゼロのインド)」という国家ミッションを立ち上げた。 現在、村や町、都市の至る所で「児童婚ゼロのインド」に向けた声が上がっている。 「かつては不可能と思われていたことが、今や手の届くところまで来ています」とリブー氏は語る。 法廷での戦い 弁護士であるリブー氏にとって、法律は強力な武器である。 2005年以降、彼はインドの裁判所で多数の重要な訴訟を提起し、勝訴してきた。これにより、児童人身売買の法的定義が明確化され、行方不明児童の届け出に対する警察の義務化、児童労働の刑事罰化、被害者支援制度の整備、有害な児童性的コンテンツのネット上からの削除など、数々の改革が実現した。 特に大きな転換点となったのは、「行方不明の子どもは、人身売買の可能性があるとみなすべきだ」と裁判所が認めたこと。この判断により、行方不明の児童数は11万7480人から6万7638人へと大幅に減少した。 「これこそが“行動する正義”の姿です」とリブー氏は語る。 宗教指導者の協力を得る CMFIの最も画期的な取り組みのひとつは、宗教指導者への働きかけだった。 「なぜなら、どの宗教であれ、結婚を執り行うのは宗教指導者だからです。彼らが児童婚を拒否すれば、習慣そのものが止まるのです。」 キャンペーンのメンバーは全国の村々を訪れ、ヒンドゥー教の僧侶、イスラム教のウラマー、キリスト教の神父や牧師などに「児童婚は行わず、見かけたら通報する」という誓約を促した。 その効果は絶大だった。例えば結婚が多く行われる吉日「アクシャヤ・トリティヤ(Akshaya Tritiya)」でも、寺院が児童婚を拒否するようになった。 「信仰は、正義のための大きな力になり得るのです。宗教の教義も、子どもたちの教育と保護を支持しています」とリブー氏は話す。 世界へ広がる運動 このキャンペーンはもはやインド国内にとどまらない。2025年1月にはネパールがこの動きに触発され、「児童婚ゼロ・ネパール」イニシアチブをカドガ・プラサド・シャルマ・オリ首相の支持のもと開始。全7州が参加し、児童婚撲滅に取り組んでいる。 さらに、この運動はケニアやコンゴ民主共和国など39カ国へと広がっており、国境を越えた子ども保護のための法的ネットワーク創設への機運が高まっている。 「法制度は国や地域によって異なっていても、“正義”の理念は同じでなければなりません」と語るリブー氏は、2冊の著書『Just Rights』『When Children Have Children』の中で、PICKETと呼ばれる法的・制度的・倫理的枠組みを提唱している。「叫ぶだけではなく、子どもたちを日々守るためのシステムを築くことが必要なのです。」 犠牲と希望 リブー氏は、将来有望だった弁護士としてのキャリアを捨てた。当初は理解されなかったという。 「周囲から“時間の無駄だ”と言われました。でもある日、息子がこう言ったんです──“たったひとりでも救えたら、それで十分じゃない?” それが私にとってすべてでした。」 彼は“ガンディー的信託主義”──つまり、自分の才能や特権を、最も支援を必要とする人のために使うべきだという考えを信じている。 「私がイラクやコンゴで児童婚と闘うことはできないかもしれません。でも、必ず誰かが立ち上がります。そして私たちは、その人のそばに立ちます。」 勲章は“より大きな使命”への扉 世界法曹協会の勲章は単なる栄誉ではない。リブー氏にとってそれは“舞台”である。 「この賞が伝えているのは、『変化は可能だ』『すでに変化は始まっている』というメッセージです。共に歩もう、という呼びかけなのです。」 この受賞をきっかけに、新たなパートナーとの協力が広がり、活動地域もさらに拡大できることを期待しているという。 「2024年だけで2.6万件以上の児童婚が阻止され、5万6千人を超える子どもたちが人身売買や搾取から救出されました。これが、夢物語ではない“現実の変化”なのです。」 2030年までに、インドにおける児童婚の割合を5%未満に抑えることが目標だ。 しかし、世界にはまだ多くの課題が残っている。イラクでは10歳の少女が結婚できる法制度があり、米国でも35州で一定の条件下における児童婚が合法である。 「正義は“一時的”ではいけない。世界のどこであっても、“日常の一部”でなければならないのです。“正義”がただの言葉で終わらないように──それが私たちの使命です。」(原文へ) INPS Japan/IPS UN Bureau Report 関連記事: 国連、北朝鮮で横行している脱北女性達に対する人権侵害を告発 コロナ禍、気候変動、不処罰と人身売買を悪化させる紛争 |ネパール・インド|「性産業」犠牲者の声なき声:売春宿から1人でも多くの犠牲者を救いたい

都市の住宅危機が深刻化する中、アフリカの若者が都市生活から締め出される

【アブジャIPS=プロミス・エゼ】 2019年に大学を卒業したジェレマイア・アチムグは、より良い機会を求めてナイジェリア北西部のソコト州から首都アブジャへと移り住んだ。しかし、都市での生活は予想外の困難に満ちていた。中でも住宅費の高さは大きな障壁だった。 アチムグは当初、叔父の家に身を寄せ、月給12万ナイラ(約73米ドル)のマーケターとして働き始めた。しかし、この収入では生活費すら賄えなかった。 「ナイジェリアの急速に発展する首都の生活費が、すぐに私の給料を食いつぶしました」と彼は語る。「月末にはいつも金欠でした。交通費、食費、その他の支出があまりに多かったのです。」 独り暮らしを始めようと部屋探しを始めたが、提示された家賃に衝撃を受けた。辺鄙な場所の狭いワンルームですら、年間約50万ナイラ(約307米ドル)だった。 「その程度の部屋に、そんな金額を払うなんて無理でした」と彼は振り返る。 数か月後、アチムグは仕事を辞めて故郷ソコトに戻った。都市で人生を築くという夢は、高すぎる生活費によって断ち切られたのだった。 「ナイジェリアの都市部では、若者にとって生活費や家賃があまりに高い」と彼は嘆く。「それでも、こうした都市こそが仕事のチャンスにあふれている場所です。都市に出てくる若者を狙って、家主たちが家賃をつり上げているのです。」 アフリカ全土に広がる家賃危機 アチムグの経験は、ナイジェリア中の若者が直面するより広範な問題を反映している。ナイジェリアの人口の約63%は24歳以下であり、都市部の人口は急増している。国連は、ナイジェリアの都市人口の増加スピードが全国平均の約2倍であると警告している。しかし、住宅供給はこの成長に追いついておらず、わずかに存在する住宅は法外な価格に高騰している。世界銀行によると、ナイジェリアは1700万戸以上の住宅不足に直面している。 ラゴス、アブジャ、ポートハーコートといった主要都市では、立地や部屋の種類によって年間家賃は40万ナイラ(約246米ドル)から2500万ナイラ(約16000米ドル)にも及ぶ。 最低月給は7万ナイラ(約43米ドル)だが、支払いが遅れる、あるいはまったく支払われないことも多く、失業率も高いため、多くの若者にとってまともな住宅を借りることは不可能に近い。これは、定住や社会的つながりの構築、経済的安定を妨げている。 こうした傾向はナイジェリアに限らない。アフリカ各国の都市部でも、若者が家賃の高騰によって締め出されている。急速な都市化、人口増加、経済的困難が、手頃な住宅の供給を脅かしている。IPSがガーナ、ケニア、南アフリカ、ナイジェリアの若者にインタビューしたところ、どの国でも同様の課題が報告された。 フォーマルな住宅はアフリカの大多数の人々にとって手が届かず、わずか5〜10%の富裕層だけがアクセス可能だ。残された多くの人々は、電気や清潔な水、適切な衛生設備すらないインフォーマルな居住地で暮らすしかない。専門家は、手頃な住宅への投資を増やさない限り、若者の住居確保はますます困難になると警鐘を鳴らしている。 若者の夢を閉ざす家賃の壁 ガーナ・クマシのクワンタミ・クワメ氏は、都市部の家賃高騰を「資本主義と不動産業者の貪欲さ」によるものと指摘する。 「数週間前、アクラでワンルームを探していたが、2年分の前払いとして38275ガーナ・セディ(約2500米ドル)を要求された。その部屋は基準以下で、水道、電気、ごみ処理費も別途必要だった。とても不公平だ」と彼は語る。 月額最低賃金が539.19ガーナ・セディ(約45米ドル)に過ぎないガーナでは、都市に集まる若者のために政府が手頃な住宅を確保する仕組みが必要だと訴える。 政府による家賃規制を求めるクワメ氏に対し、ナイジェリア・ラゴスの不動産専門家オライタン・オラオエ氏は、「土地の不足と建築資材の価格上昇が主因であり、単純な価格統制では解決しない」と反論する。 「例えば、ナイジェリアでは燃料補助金の撤廃によって物価が急騰し、それが建設コストにも波及した。政府がその状況で家主に家賃を下げろと言うのは筋が通らない」と語る。 オラオエ氏も、一部の家主の強欲を否定しないが、今後は家を借りるどころか「持ち家を持つ夢すら非現実的になる」と懸念する。 社会住宅制度の不備 ケニア・ナイロビのフィービー・オティエノ・オチェン氏は、教育職に就いて首都に移住したが、月給18000ケニア・シリング(約140米ドル)では賃貸物件は到底無理だった。 「学校から提供された小さな部屋に住むしかなかった。ナイロビではワンルームですら月120000ケニア・シリング。生活は成り立たない」と彼女は語る。 ケニア政府は低・中所得層向けの「手頃な住宅プログラム」を打ち出しているが、実際には高額であり、住宅税の義務化にも国民の反発が強まっている。 ナイジェリアでも、住宅供給を目指した国家プログラムが幾度となく立ち上げられてきたが、資金不足、腐敗、ずさんな実施により多くが頓挫している。 南アフリカでは、急速な都市化と経済危機、アパルトヘイトの遺産が住宅危機を深刻化させている。かつて黒人が強制的に押し込められたタウンシップは今も十分なインフラを持たず、多くの若者が都市に移っても家賃が高すぎて生活基盤を築けない。 「夢を捨てるしかない若者たち」 南ア・ケープタウンのレセプショニスト、ンタンド・ムジ氏は「賃貸契約の際には3か月分の前払いを求められ、収入も厳しく審査される」と訴える。 「住宅開発を担っているのは商業目的の企業ばかり。だから家賃が高い。」と話すのはブフラ・マジョラ氏。学生エリアの安アパートに入居できるまでに1年かかったという。 「高すぎる家賃は若い専門職の可能性を奪っている。働ける場所の近くに住む選択肢すらなくなっている」と彼は警告する。 ナイジェリア南西部イバダンのピース・アビオラ氏も、貯金600000ナイラ(約369米ドル)を全て使って部屋を借りたが、収入が不安定なため更新できず、実家に戻ることを検討している。 「家賃高騰を抑える法律をしっかり施行することが一つの解決策だと思う」と語る彼女は、政府の対応を求めてデモに参加する市民の一人だ。 「政府はテナント保護の方針を何度も掲げてきたが、実現されたことは一度もない。私たちは毎日、生き延びることばかりを考えている。これが人生のあるべき姿ではない」と、アビオラ氏は語った。(原文へ) ※本記事は、ECOSOC協が議資格を持つ創価学会インタナショナル(SGI)およびINPS Japanとの協力により、IPS NORAM提供しています。 INPS Japapn 関連記事: 誰が絶滅の危機に瀕するナイジェリアの沿岸都市を救うのか? 裏庭耕作に目を向けるアフリカ南部の都市住民

悲しみから行動へ―バルカン半島における民主主義刷新への要求

【モンテビデオIPS=イネス・M・ポウサデラ】 バルカン半島で起きた3つの壊滅的な出来事が、体制改革を求める力強い運動を生み出した。ギリシャで57人が死亡した列車衝突事故、北マケドニアで若者59人が命を落としたナイトクラブ火災、そしてセルビアで15人の命を奪った鉄道駅屋根の崩落―これらの悲劇は、単なる偶発的な事故ではなく、放置された安全規制、違法に発行された許認可、そして監視の形骸化といった「構造的失敗」の帰結であり、共通の要因は“腐敗”であった。 こうした運動の先頭に立っているのは、若者、特に学生たちである。そして被害者の家族も、変革を求める強力な声となっている。ギリシャでは「テンピ事故の遺族協会」が、説明責任を求める正統な声として台頭した。北マケドニアでは、抗議運動が経済的・政治的分断を超えて市民を結びつけ、若者の将来への希望のなさと蔓延する腐敗に対する広範な幻滅感が集約された。セルビアの運動は、約400の都市や町に広がり、犠牲者への黙祷後に「30分間の騒音」を鳴らすなど、革新的な抗議手法を生み出している。 3か国はいずれも、国民の記憶に新しい時期に民主化を果たしている。ギリシャは約50年前に軍事政権が崩壊し、北マケドニアとセルビアは1990年のユーゴスラビア解体を経て共産主義から脱した。だが現在、これらの社会には深い幻滅が広がっている。縁故主義、腐敗、パトロネージ(政治的見返り)は蔓延し、国家機能は国民のためではなく、エリートの利益のためにあるかのようだ。特にセルビアでは、北マケドニアほどではないにせよ、政府が権威主義的な方向に傾いている。最も大きな失望を抱いているのは、民主化後に育ち「もっと良い社会」を期待してきた若者たちだ。 2023年2月にギリシャで起きた鉄道事故は、慢性的な投資不足と維持管理の欠如により崩壊した鉄道システムの姿を露呈した。これは腐敗した契約慣行と密接に関係している。政府の否定や無反応に対し、遺族が雇った民間調査員は、衝突直後に多くの乗客がまだ生存していたものの、その後の火災――おそらくは申告されていなかった可燃性化学物質の積載によって引き起こされた火災――によって死亡したことを突き止めた。 北マケドニアでは、3月に火災が発生した「パルス」ナイトクラブがまさに“事故を待つ時限爆弾”だった。工場跡地を改装した建物で、実質的に出口は1つのみ。非常口は施錠され、可燃性素材が多用され、消防設備は皆無。しかも、営業許可証は違法に発行されていた。 セルビア・ノヴィサドの鉄道駅で2024年11月に起きた屋根崩落事故も同様だ。同駅は中国企業との秘密契約で改修されたばかりだったが、安全よりも利益が優先されていたことが悲劇を招いた。 3か国に共通しているのは、過剰な民間資本の影響力が行政を支配し、安全性が私益の犠牲になったことだ。市民社会団体、ジャーナリスト、野党政治家らが警鐘を鳴らし続けていたにもかかわらず、警告は無視されてきた。北マケドニアの抗議スローガン「私たちは事故で死んでいるのではない、腐敗で死んでいる」には、その怒りが凝縮されている。ギリシャでは「彼らの政策が人命を奪った」、セルビアでは「お前たちの手は血で汚れている」と政府に訴える声が上がった。セルビアの「私たちは皆、あの屋根の下にいる」というスローガンには、腐敗が生み出す構造的脆弱性への共通の恐怖が表現されている。 3か国の抗議者は、共通する要求を掲げている。直接的な加害者だけでなく、安全規則違反を可能にした行政官への責任追及、政治的干渉のない透明な調査、そして腐敗の根本的原因に対処する制度改革だ。彼らは、選挙だけでなく、制度化された監視機構と公共の関与による説明責任の確保が、民主主義に不可欠であると理解している。 政府の対応は、予測可能なパターンを辿っている。小さな譲歩を見せたあと、怒りの本質的な解決ではなく、事態の“管理”に動くのである。 北マケドニアでは、内務大臣がナイトクラブの営業許可が違法であったことをすぐに認め、クラブ経営者や公務員など20人の身柄を拘束した。しかし抗議者たちはこれを“スケープゴート探し”であり、制度的改革ではないと捉えている。ギリシャでは列車事故の原因を「悲劇的な人的ミス」として片付けた後に運輸大臣が辞任したが、調査は遅々として進まず、証拠隠蔽や政治的責任回避が指摘されている。セルビア政府は一時的に一部の機密文書を公開し、要求に応える姿勢を見せたが、抗議が継続するとヴチッチ大統領は一転し、抗議者を「西側諸国の諜報機関の傀儡」と非難し始めた。 象徴的なジェスチャーのあとに本質的改革への抵抗が続き、時に抗議の弾圧まで伴うこの対応は、政府と市民の間に深い「信頼の欠如」があることを示している。改革の実行が、そもそも腐敗した機関に依存している限り、改革を信じることはできない―それが、なぜ市民たちが国際基準と市民社会による監視の導入を重視しているかの理由である。 これらの悲劇による感情的な衝撃は、通常なら政治に関心を持たない市民をも動員し、改革への圧力を高める「政策の窓」を生み出した。だがその窓が、目に見える変化のないまま閉じてしまうのか、それとも持続的な圧力が意味ある制度改革を導くのかは、今後にかかっている。 これらの運動が直面する課題は多い。感情的な高まりが落ち着いた後も動員を維持できるか、政府の表層的な改革アピールに取り込まれずに済むか、そして明白な過失への批判から、実現可能かつ変革的な制度提案へと舵を切れるかどうか――である。歴史が示すように、真の改革は稀であり、政府が行動しなければ、怒れる民意はポピュリスト政治家に取り込まれ、逆に反動的な目的に利用される危険性もある。 それでも希望はある。今回の抗議運動には、既存の政治的分断を越えて広範な市民連携が見られる。要求は抽象的ではなく、具体的で文書化された行政の失敗に基づいており、的を絞った制度改革の提案に繋がっている。犠牲者の記憶を尊重するという倫理的重みは、運動のエネルギーを持続させる資源となる。そしてこの運動は、経済的苦境のなかですでに正統性を問われていた腐敗エリート層の統治に追い打ちをかけている。 バルカン半島各地の広場に集まり続ける抗議者たちは、「市民のための民主主義」という力強いビジョンを体現している。繰り返し裏切られてきた民主主義の約束を取り戻そうとするその姿は、「本来、民主主義における権力とは、全ての人のために存在するべきものだ」と私たちに改めて気づかせてくれる。(原文へ) イネス・M・ポウサデラは、市民社会国際連合(CIVICUS)の上級研究員であり、「CIVICUS」の共同ディレクター及びライター、「世界市民社会レポート」の共同著者。 INPS Japan 関連記事: 米国の次期大使候補、国連を「腐敗」と批判し、資金削減を示唆 2025年の市民社会の潮流:9つの世界的課題と1つの希望の光

これらの太古の海洋生物は気候変動を生き延びられるのか?

【インド・ブバネシュワル IPS=マニパドマ・ジェナ】 11月になると、東インドのオディシャ州沿岸のわずか5キロメートルの浅瀬に、数万匹のオリーブリドリウミガメ(Lepidochelys olivacea)の雄が集まり始める。雌の到着を待つためだ。 この太古の海洋生物の生存は、適切なつがい形成と交尾に大きく依存してきた。しかし、世界中の研究結果は、長期的には交尾場で雄の数が減少し、雌が圧倒的多数になる可能性があることを示唆している。 いくつかの研究では、気候変動による砂温度の上昇により、孵化する子ガメの性比が雌に偏っていることが明らかになっている。 妊娠したリドリウミガメは、深さ約18インチのフラスコ型の巣穴を掘り、120〜150個の卵を産む。産卵後、後肢で砂をかけて巣を覆い、45〜55日間砂の中で自然孵化させる。小さな子ガメは夜間、表面の砂が冷えるのを待って自力で地上に出て、月光や星明かりが水面に反射する明るい地平線を頼りに海へと走る。 ウミガメは温度依存性の性決定を持つため、産卵地での孵化温度の上昇は、個体群の「極端な雌化」を引き起こす可能性があると科学者たちは警鐘を鳴らしている。 孵化性比、雌に大きく偏る? オディシャ州ルシクリヤ海岸で15年間行われた研究では、孵化するオリーブリドリウミガメの性比は平均71%が雌で、年によっては90%以上に達することもあった。 オディシャ州のガヒルマタとルシクリヤは、オリーブリドリウミガメの世界最大級の産卵地であり、同規模の産卵地はメキシコとコスタリカにも存在する。 「2009年から20年の11年間、大半の年で雌に偏った性比が確認され、2011年と20年に最も高かった」と、インド科学研究所(IISc)生態科学センターのカルティク・シャンカー教授は、ダクシン財団による研究成果についてIPSに語った。 ウミガメの卵は、摂氏25〜35度という狭い温度範囲内でのみ正常に孵化できる。この範囲を超える高温では、孵化率が低下し、形態異常の増加が確認されている。 孵化温度の「ピボタル(分岐)温度」は約29度で、この温度では性比が1対1に近づく。それより高温では雌が多く、低温では雄が多くなる。 たとえば孵化温度が平均30度から31度に1度上がっただけで、孵化成功率が最大25%低下する可能性があるという研究もある。 国際自然保護連合(IUCN)は、一部の産卵地では緑ウミガメの孵化性比が雌99%という極端な例も報告している。 WWFインドの海洋種リーダーであるムラリダラン・マノハラクルシュナン氏はIPSに対し、「通常は50:50の性比が理想とされますが、熱帯や温帯など地理的な違いにより、60:40や70:30も許容範囲です。しかし、極端な雌偏りが5〜10回続く場合は警戒が必要で、緩和措置が求められます」と語った。 暑すぎる気候=異常な孵化 近年の気候変動は、性比の偏りだけでなく、さらに深刻な影響をもたらす恐れがある。長期的には、繁殖頻度の低下、卵の受精率低下による孵化成功率の低下が懸念されている。 さらに高温は胚の発育を早め、孵化期間が短縮されることで、より小型で運動能力の低い、エネルギー蓄積能力の低い子ガメが生まれ、生存率が低下する。 すでに脅かされてきたウミガメたち 温暖化は新たな脅威だが、ウミガメたちはこれまでも様々な人為的な圧力にさらされてきた。主なものは、漁業用の網(特に底引き網)による混獲、港湾や観光施設の建設、海岸浸食や砂の採取による産卵地の減少などである。 卵や肉の密猟は地元住民の意識向上で大幅に減少したが、人工照明による光害は増加している。これにより、孵化した子ガメが海とは逆方向に向かい、多くが命を落とす。 実際、オリーブリドリウミガメの子ガメが成体になる確率は、海に入った1,000匹のうちわずか1匹とされている。 最も豊富なオリーブリドリ、だが今後は? オリーブリドリウミガメは世界で最も個体数が多い海洋ウミガメとされているが、2008年にIUCNは過去の推定で世界的な個体数が約30%減少したことから「危急種(Vulnerable)」に指定した。 ただし、IIScのシャンカー教授ら一部の科学者は「現在のインド沿岸のオリーブリドリは好調」とみている。 これまで温暖化の影響研究は北西大西洋や地中海で主に行われてきたが、今回のダクシン財団の研究はオリーブリドリに特化したものとして貴重だ。 オリーブリドリは全長60〜70センチ、体重35〜50キロの中型種。スペイン語で「到来」を意味するアリバダ(arribada)という集団産卵行動で知られ、これはユニークである反面、人為的な環境変化や温暖化の影響を受けやすい。 コミュニティの力がカメを守る 今年2月、ルシクリヤ海岸では過去最多の80万個の巣が確認された。ボランティアたちは「海岸はウミガメで埋め尽くされ、歩く場所もないほどだった」と話す。こうした成果は、地域住民主体の保護活動の賜物だ。 政府は産卵期の4か月間、禁漁区域を設定し、漁師に補償金を支払っている。国際的にもウミガメ製品の取引は禁止されている。だが最大の成果は、NGO、政府、沿岸警備隊、地元の漁師を含むボランティアの一体的な取り組みにある。 若い子どもたちまでが進んで保護活動に参加している。地元ボランティアは孵化した子ガメを安全に海へ送り出し、巣の監視やフェンス設置、夜間の見回りも行う。かつて盛んだった卵の密猟は減ったが、犬や鳥による捕食リスクは残っている。 長期的な追跡調査が鍵 シャンカー教授によると、「私たちはまだオディシャ州でのみ研究しており、長期的な人口動態を把握するには何十年もの追跡調査が必要です。ウミガメは長寿で成熟も遅いため、変化は数年単位で現れます」と述べている。 将来的には、より正確な性比データを得るため、胚成長モデルの活用などさらなる研究が計画されている。(原文へ) INPS Japan/IPS UN Bureau 関連記事: 水中の生命:アフリカにおける海洋生態系の保護と持続可能な漁業の推進

小規模農家は「受益者」ではなくより良い未来を創るパートナーだ

【ナイロビIPS=ナウリーン・ホセイン】 エリウド・ルグットさんは何世代にもわたる農家の家系に生まれたが、家族は彼が家を出て別の職業に就くことを期待していた。彼は経済学を学び、ビジネスやマーケティングの仕事に就いたが、COVID-19パンデミックで職を失い、実家に戻ることになった。そして彼は、家族の農場の生産性を立て直したいと考えた。 粟、ソルガム、トウモロコシなどを育てていた農場は、長年で生産量が60%も減少していた。これは家族にとって深刻な打撃であり、その原因の一部は気候変動による土壌劣化や害虫被害にあった。また、両親が同じ種と農法を何年も変えずに使い続けていたことも一因だった。 「母は新しいアイデアに前向きでした」とルグットさんは語る。母の後押しで、父から1エーカーの土地を借りることができた。父は当初、収入源が減ることを理由に強く反対したが、最終的には認めた。ケニアのルグットさんの地域のように、男性が土地の所有や使用において大きな権限を持つ社会では異例のことだった。 この1エーカーの土地で、ルグットさんは温室を建て、自身の農法や技術、新しい種を導入した。ピーマン、在来野菜、果物など、家族が育てていた穀物とは異なる季節に育つ作物を栽培したところ、大きな成果を上げ、収益も大幅に増加した。父は最初その結果が信じられず、夜中に何度も温室の周りを歩いて確認したという。 また、ルグットさんは父のためにYouTubeの農業動画を見せ、他の農家の事例を共有することで父の意識も徐々に変わっていった。 ルグットさんはこうした経験を活かし、現在は小規模農家向けにスマート技術を搭載したサイロを製造・販売する「Silo Africa」の共同創業者として活躍している。これは家族の農場で害虫やコクゾウムシによる被害を防ぐための工夫が原点となっている。現在はケニア国内だけでなく、アフリカ全土への展開を目指している。 2022年、ルグットさんは潘基文世界市民センター(BKMC)の「ユース・アグリ・チャンピオンズ・プログラム」に参加し、それが人生の転機となったという。食と農業に関する気候対策やインパクトの拡大について学ぶ中で、仲間たちと土地所有の問題や農業実践について共通の課題を共有し、ベストプラクティスを分かち合った。 最も重要だったのは、BKMCが「自分たちの声を届ける場を与えてくれたこと」だとルグットさんは語る。「私たち若者には、声を上げる機会がこれまでなかったのです」と。 彼はCOP28などの国際会議にも参加し、世界の指導者や学者、政策立案者たちと同じ舞台で意見を述べることができた。初めは緊張したが、若い農業者も「自分たちの課題を伝えることができる」と知った。そして、その視点には重みがあると確信した。 小規模農家についての誤解を払拭できたことも嬉しかったという。農家は「学ぶ意欲がある」。気候変動の影響を受けながらも、既に適応の努力を重ねている。ただし、必要なのは「情報へのアクセス」であり、研究者たちにはその情報を現場に届く形で「翻訳」してほしいと訴える。 毎年、ユース・アグリ・チャンピオンズは国連気候変動会議で「要求文書(デマンドペーパー)」を提出し、気候資金の増加、能力開発、気候スマート技術へのアクセス拡大を求めている。「この文書が、そして私たちの代弁者が、私たちの声となってくれている。」とルグットさんは語った。 ただし、国連気候変動会議や国際農業研究機関(CGIAR)の科学週間などの場でも、農業の研究や支援を行う団体の関与はあるものの、当事者である農家──「受益者」と呼ばれる人々の参加はまだ少ない。発表される研究や解決策は、技術的な専門用語で語られ、一般の農家には届きにくいとルグットさんは指摘する。 「研究者、科学者、ドナーにしかわからない言葉で語られている。」と彼は言う。「だが、技術を必要とする当事者──“受益者”と呼ばれている人々──は、その場にいない。十分とは言えないが、これが私たちの出発点だ。」 「若者として、小規模農家として、私たちは『受益者』として見られがちです。しかし、私たちは単なる受益者ではなく、『より良い未来を創るパートナー(共に変革を担うパートナー)』です。私たちは非常に革新的であり、この業界のさまざまな関係者と対等な立場で協力し、農業をより良くしたいと考えています。」 農家を「解決策を待つ存在」と見なすのは危険だ。なぜなら、実際には現場の農家こそが日々革新し、貢献しているからだ。厳しい環境下で食料不安と向き合う彼らは、課題に最前線で取り組んでいる。 ルグットさんは、若い農家たちは食料安全保障をめぐる進歩と革新の担い手だと強調する。そのためには、政府、金融機関、農業関連のNGOなどのさらなる支援が必要だと語る。「大きなオフィスで働いている人たちは、毎日3食食べている。その3食を保証しているのは私たちだ。―それでも私たちは“受益者”なのだろうか? それとも変革の“担い手”なのか?」(原文へ) INPS Japan/ IPS UN BUREAU REPORT 関連記事: 国連の未来サミットに向けて変革を求める青年達が結集 プラスチックを舗装材に変えるタンザニアの環境活動家 |ジンバブエ|ペットボトルでレタス栽培

|視点|イランと核不拡散体制の未来(ラザ・サイード、フェレイドン)

【ロンドン/テヘランLondon Post=ラザ・サイード・フェレイドン】 2025年、核外交が一層複雑化する中、イランは依然として核不拡散条約(NPT)をめぐる国際的議論の中心にある。かつて多国間主義の勝利と称賛されたNPTは、現在、制度的不平等と地政学的なダブルスタンダードによって存続の危機に直面している。イランの核計画は、西側諸国の長年の監視対象であり、平和的な核エネルギーを求める国家と、核保有国に有利な体制との間の緊張を象徴している。本稿では、NPTを存続させるには、歴史的な不正義を是正し、イランの国際的な査察順守を正当に評価し、非同盟諸国に過度な負担を強いる体制の改革が必要である。 歴史的背景:NPT下でのイランの核の歩み イランが核技術に関与し始めたのは、1950年代の米国主導の「平和のための原子力」計画であった。これは、核拡散防止を条件に、民生用核技術の利用を促進するものであった。イランは1970年にNPTを批准し、国際原子力機関(IAEA)の査察を受け入れ、NPT第4条に基づき、平和的核利用の権利を主張し続けた。しかし、1979年のイスラム革命後、イランの核計画は国際的な対立の火種となった。 2002年にナタンツおよびフォルドウの未申告のウラン濃縮施設が明らかになり、イランが秘密裏に核兵器を開発しているとの疑惑が高まった。しかし、IAEAの査察でも決定的な証拠は得られず、2007年の米国家情報評価(NIE)は、イランが2003年に核兵器開発を中止していたと結論づけている。それにもかかわらず、制裁は強化され、イランの合法的な権利と国際的不信とのギャップが露呈した。 JCPOA:外交の成功とその破綻 2015年に成立した括的共同行動作業計画(JCPOA)は、歴史的な合意であった。イランはウラン濃縮を3.67%に制限し、在庫を98%削減、IAEAによる24時間監視を受け入れた見返りに、経済制裁解除を得た。2018年までに、IAEAは15回にわたってイランの順守を確認していた。 しかし、トランプ政権下で米国が一方的に離脱し、制裁を再開。これによりイランは2000億ドル以上の石油収入を失い、経済は大打撃を受けた。イランがその後、濃縮度60%への引き上げなどの対応を取ったことは挑発とみなされたが、イラン側はNPT第10条に基づき「最高国益が危機にある場合」に合法であると主張している。 2025年:停滞する外交と高まる緊張 2023年、バイデン政権のJCPOA復活の試みは、米国内の反対と、イラン側の制裁解除保証の要求により失敗。2025年現在もイランの核計画はIAEAの査察下にあり、60%濃縮ウラン142kgは、核兵器1発分に必要な250kgには遠く及ばない。 「グランド・バーゲン」の偽善 NPTは、「非核兵器国が核兵器を放棄する代わりに、核兵器国が核軍縮を行う」という約束に基づいていたが、実態はそうなっていない。米・露・中・仏・英の5か国だけで1万2500発以上の核弾頭を保有し、近代化を進めている。一方でイランは、NPT第4条に適合した民生用計画で過剰な監視を受けている。 元イラン核交渉担当のセイエド・ホセイン・ムサヴィアン博士はこう語る:「NPTのダブルスタンダードは正当化できない。イランは合法的な濃縮を行っているのに罰せられ、核兵器国は軍縮義務を無視している。この偽善が不信を生んでいる。」 制裁という武器と人道的代償 米国およびEUの制裁は、核不拡散という名目から「集団的懲罰」に転じている。2025年、イランのインフレ率は約50%、失業率は30%に達し、金融封鎖による医薬品不足は多くの予防可能な死を招いている。このような圧力は、外交を主張するイラン国内の穏健派を弱体化させ、強硬派を利している。 地域の現実:核に囲まれたイラン イランの安全保障環境には、米軍基地、NATO加盟国トルコ、核保有国パキスタン、そして推定90発の核を保有するイスラエルがある。さらに2023年、サウジアラビアは「イランが核兵器を持つなら、我々も追随する」と発言。にもかかわらず、西側諸国はこうした文脈を無視し、イランのみを脅威として描いている。 専門家の見解 ナデル・エンタサール博士(南アラバマ大学)JCPOAは外交の成功例だったが、その崩壊は、より強力な検証制度と各国の誓約順守を保証する新たな枠組みの必要性を示している。 ロバート・リトワク(ウィルソン・センター)軍事的選択肢ではなく、封じ込めと外交による対応を提唱。 トリタ・パルシ博士(クインシー研究所)「JCPOAの崩壊はイランの失敗ではなく、米国のリーダーシップの欠如が原因。信頼回復には、合意の尊重とイランの正当な安全保障への配慮が不可欠。」 ナルゲス・バジョーリ博士(ジョンズ・ホプキンス大学)「制裁はイランの体制を強化し、外交無力論を助長している。NPTは、公平性を軸とした改革が必要だ。」 イランが求める公正な枠組み 1. 平和的核利用の権利60%の濃縮ウランは癌治療など医療用途に用いられる。NPT第4条に準拠しているにもかかわらず、イランは米国の同盟国とは異なる制約を受けている。 2. 安全保障の保証外国の介入やイスラエルの核への懸念を解消するためには、1975年のヘルシンキ合意のような地域安全保障協定が必要。 3. IAEAの脱政治化2020年、故天野之弥前事務局長は、米国の情報機関がイラン査察に強い影響を与えていたと認めた。中立性の回復が不可欠。 2025年に向けた道筋 JCPOAの復活と拘束力のある保証:国連安保理による批准、INSTEX(欧州の対イラン決済手段)を通じた制裁回避などが鍵。 中東非核兵器地帯(NWFZ)の設立:1974年以来の提案。イスラエルの核とアラブ諸国の不安に対応。2024年に国連主導で再活性化したが、米国とイスラエルの抵抗が課題。 核軍縮の世界的促進:TPNW(核兵器禁止条約)は70か国が批准したが、核保有国は参加を拒否。 経済的威圧の終焉:制裁緩和は査察順守とセットで行うべき。EUによる2024年の医薬品・食料人道回廊は重要な先例。 結論:より公平な核秩序へ NPTの未来は、理想と現実のギャップを埋める制度改革にかかっている。イランの経験は、懲罰的な対応、軍縮の偽善、地政学的偏見という制度的欠陥を浮き彫りにしている。トリタ・パルシ博士が述べるように: 「イランは問題そのものではない。NPT体制の欠陥を映す鏡である。」 NPTが存続するには、非核保有国の権利尊重、核軍縮の履行、外交重視の枠組みへの進化が求められる。そうでなければ、NPTは覇権の道具と見なされ、イランのみならず、国際的な核統治の崩壊を招く恐れがある。 参考文献 IAEA(2025)『イランにおける検証と監視報告』 米国家情報長官室(2007)『イラン:核の意図と能力』 セイエド・ホセイン・ムサヴィアン(2024)『NPTのダブルスタンダード』カーネギー財団 トリタ・パルシ(2023)『制裁の影の下での外交』クインシー研究所 ナルゲス・バジョーリ(2024)『核武装地域におけるイランの安全保障ジレンマ』ジョンズ・ホプキンス大学出版 アームズコントロール協会(2025)『世界の核兵器保有国レポート』 This article is produced to you by London Post, in collaboration with INPS Japan and Soka Gakkai International, in consultative status with UN ECOSOC. 関連記事: イラン核合意は「すでに死に体」か、それともまだ生きているのか? イランが中国・ロシア・EU・フランス・ドイツ・英国と共に核合意の有効性を再確認 米国のイラン核合意離脱に困惑する関係諸国

帰国した出稼ぎ労働者を襲う「静かな病」―腎不全という代償

【カトマンズNepali Times=ピンキ・スリス・ラナ・ダヌーサ】 ジャナクプルの南、インド国境近くにある村・フルガマでは、人口約4,500人のほとんどすべての世帯に、海外で働く息子がいる。 ネパールの20〜35歳の男性の約40%が、主にインド、湾岸諸国、マレーシアなどに出稼ぎに出ている。過去9カ月間だけで、741,297人が海外へと渡航しており、その多くがアラブ首長国連邦(UAE)、サウジアラビア、カタール、マレーシア、クウェートに向かった。この数字には学生ビザで出国した者やインドへの渡航者は含まれていない。 彼らの多くが就くのは、「3Kジョブ(汚い・危険・きつい仕事)=英語では3Dジョブ」であり、さらにもう一つのD、すなわち「脱水(dehydrating)」のリスクもある。 湾岸諸国の灼熱の砂漠やマレーシアの高温多湿な熱帯ジャングルでの屋外労働、粗末な食事、脱水、不健康な生活習慣は、ネパール人労働者に腎不全のリスクをもたらしている。特にダヌシャ郡は、インドや他国への出稼ぎ者の割合が極めて高い地域のひとつだ。 腎臓専門医は、腎臓病を「沈黙の殺し屋」と呼ぶ。症状が現れたときにはすでに手遅れであることが多く、出稼ぎ労働者は慢性腎臓病(CKD)や末期腎不全(ESRD)に特に罹りやすい。 安価な労働力への需要が高まり、出国前の健康教育が不十分なまま出稼ぎに出ることが、移住労働をより危険なものにしている。カトマンズとダヌシャの病院および透析センターの調査によれば、出稼ぎから戻った男性の腎不全リスクは、同年代の一般のネパール人男性よりも高い傾向にある。 「この病気は特定の原因によるものではない、つまり特発性(idiopathic)です」と、国立腎臓センターのリシ・カフレ医師は説明する。「ですが、湾岸諸国に向かう出稼ぎ労働者をスクリーニングし、その3~4年後に末期腎不全を発症している実例を見れば、出稼ぎ労働が腎臓病のリスクを高めることは明らかです」 カフレ医師はさらに言う。「彼らは収入を最大化しようとして、極度の暑さのなかで長時間働き脱水状態になります。水や野菜よりも、コカ・コーラや肉を選ぶ人が多いのも一因です」 腎不全のリスクは帰国した出稼ぎ労働者において高いが、生活習慣病、糖尿病、未診断の高血圧などにより、世界的にも患者数は増加している。 現在、ネパール政府の「貧困市民基金(Bipanna Nagarik Kosh)」に登録されている腎臓病患者は28,266人。そのうち男性は17,044人、女性は11,222人である。昨年だけで、新たに9,176人が登録された。入院している腎臓病患者の多くは15歳〜65歳の年齢層に属する。 https://www.youtube.com/watch?v=VyJ_138yX8g 健康な人間の腎臓は、血液中の毒素や老廃物を濾過するが、腎不全患者は血液を定期的に人工透析機に通す必要がある。透析には3〜4時間かかり、腕の血管が次第に腫れてくる。 ネパール国内で慢性腎臓病(CKD)を患っている人は推定200万人、つまり全人口の約8%に相当する。糖尿病と高血圧の増加がこの病気の広がりを後押ししている。出稼ぎ労働者から政治家まで、幅広い層が腎臓疾患を抱えており、オリ首相自身も2度の腎臓移植を受けている。 週2回の透析を受けていても、食事や飲み物によって吐き気やむくみが出ることがある。透析回数を増やすには費用がかさみ、生活費補助も不十分で遅配される。 海外で働いたすべての人が腎臓病を発症するわけではない。しかし、腎臓専門医サイレンドラ・シャルマが主導する未発表の研究によれば、ネパールの腎臓病患者の4人に1人が出稼ぎ帰国者であり、繰り返される熱ストレスが主なリスク要因とされている。 ジャナクプルのマデス保健科学研究所では、103人の定期透析患者が通院しており、そのうち30人がダヌシャ、サルラヒ、シラハ、マホタリ、シンドゥリ出身の出稼ぎ帰国者である。 「病気の性質ではなく、広がり方を見れば、これはもはや“流行病”と言えるでしょう」とカフレ医師は語る。 過酷な労働がもたらした代償 マレーシアで10年間働いたジャグディシュ・サーさん(35)は、妹の結婚費用を工面するために借金を背負い、それを返すべく出稼ぎに出た。家が土壁の粗末な造りであることから、結婚相手として女性に何度も断られたという。 「女性にも期待があります。裕福な家庭に嫁ぎたいと思うのは当然で、私たちのような土の家に住む家庭は敬遠されるのです」とサーさんは話す。 マレーシアの縫製工場で働くことになった彼は、24歳で渡航。毎月最高でも3万5千ルピーの収入を得るため、しばしば12時間の残業にも応じた。昼食休憩は30分のみで、トイレ休憩も限られていたため、休まず働き続けたという。 2017年、一時帰国した際に視界がぼやけ、倒れるようになった。高血圧かと思っていたが、28歳で両方の腎臓が機能不全になっていると診断された。 「息子がマレーシアで貯めたお金は、すべてカトマンズでの治療費に消えました。土地まで売ったんです。」と母マントリヤ・デビさんは振り返る。 現在、ジャグディシュさんは週2回バイクでジャナクプルのマデス保健科学研究所に通い、無料の透析治療を受けている。家族は「マレーシアに行ったときの彼」と「戻ってきた彼」はまるで別人だと語る。 「この病気で私の人生は終わったも同然です。誰かを巻き込みたくない。」と、結婚をあきらめた理由を語るサーさん。「透析がなければ、生きていられなかったでしょう。」 彼の両親は高齢で付き添うことができず、サーさんが働けないため、父のラム・デブさんが移動式屋台でポップコーンを売って家計を支えている。 ■ 腎臓病に倒れた若者たち ミトゥ・クマールさん(25)はサウジアラビアで電気技師として働いていたが、嘔吐が続き現地の病院で慢性腎臓病と診断され、帰国した。現在はジャナクプルの「セーブ・ライブス・ホスピタル」で透析を受けながら、「もう一度働ける健康を取り戻したい。」と話す。 ウメシュ・クマール・ヤダブさんもサウジでガードマンとして勤務し、腎臓病を患って帰国。だが村の他の出稼ぎ経験者には同じ症状がないという。「これは不運な人間がかかる病気だ。他の人がみな同じなら納得するが…」と語る。 アンバル・バハドゥル・サルキさん(46)は、マレーシアのパーム油農園で働いていた。極度の高温多湿な環境下で高血圧になり、その後、両腎臓が機能不全となった。今では週2回、シンドゥリからジャナクプルまで3時間かけて通院している。 ダヌシャ出身のラム・ウドガル・マンダルさんは、20代後半から17年間サウジアラビアで運転手として働いていたが、4年前に末期腎不全と診断された。今、彼の息子がマレーシアで家計を支えている。「息子も自分と同じ道をたどるのではと心配だが、選択肢がない」と語る。 ダヌシャ出身のラリト・バランパキさん(28)は、ドバイの製錬所で夜勤と極度の暑さのなかで働いていたが、栄養失調と睡眠不足で体を壊し、腎不全となった。兄の家族と共にカトマンズで暮らしており、「金は稼いだかもしれないが、病気をもらって帰ってきただけだ」と悔しさを滲ませる。 スラジュ・タパ・マガルさん(30)はクウェートでアルミ建材の取り付けをしていた。夏は50℃以上、冬は極寒という過酷な気候の中で10時間働き、ある夜、吐血した。26歳で腎不全と診断された。透析通院費は借金に頼り、生活補助金の5,000ルピーも遅延して届かず、政府病院の薬も在庫切れが常態化している。「病気のせいで誰も雇ってくれない」と語る。 ■ 公的支援と医療体制の限界 2016年、ネパール政府は貧困層向けに無料透析治療を開始。2018年には月5,000ルピーの生活補助も導入された。 理論上、国内107の病院で無料透析が受けられるはずだが、実際には腎臓専門医がいない施設も多い。政府が専門医の給与を支給しないため、透析機器のメンテナンスも行き届かない。 マデス州では、11の病院が無料透析を提供しているが、ジャナクプルの3つの病院を訪れたところ、いずれも専門医不在で、一般内科医や看護師が代わりに処置を行っていた。 「政府が適切な報酬を出さないので、腎臓専門医は私立病院にしかいません」とカフレ医師。 バグマティ州には無料透析病院が44カ所あり、8,000人以上の腎臓病患者を支えている。多くの患者が移住労働者であるため、結果として、豊かな国々の過酷な環境で腎臓を壊した人々の治療費を、ネパールの資源の乏しい医療制度が負担しているのが現状である。(原文へ) INPS Japan/Nepali Times 関連記事: FIFAワールドカップカタール大会に影を落とす欧米の偽善 労働移住と気候正義? 移住労働者に「グローバルな見方」を学ぶシンガポールの学生

年齢制限なき権利──高齢者の権利条約への期待

【ベルギー・ブリュッセル/ウルグアイ・モンテビデオIPS=サミュエル・キング & イネス・M・ポウサデラ】 世界の人口は高齢化している。世界の平均寿命は1995年の65歳未満から、現在は73.3歳へと大きく伸びた。60歳以上の人は現在11億人に達し、2030年までに14億人、2050年には21億人に達すると予測されている。 この人口動態の変化は、公衆衛生の進歩、医療の発展、栄養状態の改善を反映した「勝利」とも言える現象だ。しかし一方で、人権の観点から新たな課題を突きつけている。 エイジズム(年齢差別)は、高齢者を「負担」と見なす偏見を助長している。家族、地域社会、ボランティア活動などで多大な貢献をしているにもかかわらず、多くの高齢者は差別、経済的排除、サービスの拒否、不十分な社会保障、放置、暴力といった深刻な人権侵害に直面している。 このような状況は、他の理由でも差別を受ける高齢者にとってはさらに深刻だ。高齢女性、LGBTQI+の高齢者、障がいを持つ高齢者、その他社会的に排除された集団の高齢者は、複合的な脆弱性を抱えている。紛争や気候災害が起きた際には、高齢者は特に深刻な被害を受けるが、その実態はあまり注目されず、保護も不十分である。 こうした課題は、日本のような高齢化が進んだ先進国だけのものではない。グローバル・サウス諸国でも、過去の北半球よりもはるかに速いペースで高齢化が進行しており、支援のインフラや社会保障が不十分な社会で老後を迎えるという現実がある。 にもかかわらず、現時点で高齢者の人権を特に保護する国際条約は存在しない。現在の国際法体系は断片的であり、急速に変化する人口構成にはもはや適合していない。 国際的な最初の重要な進展は、2015年に米州機構(OAS)が採択した「高齢者の人権保護に関する米州条約」だった。この画期的な条約は、高齢者を権利の主体として明確に認め、差別、放置、搾取からの保護を規定している。ただし、加盟国間での実施にはばらつきがある。 一方、世界保健機関(WHO)が推進する「2021〜2030年 健康的な高齢化の10年」は、年齢にやさしい環境や医療体制の促進に向けた前進ではあるものの、法的拘束力のない自主的枠組みに過ぎない。真に人権を保障するには、拘束力のある条約が必要だ。 そうした中で、2025年4月3日、国連人権理事会が「高齢者の権利条約の起草に向けた政府間作業部会の設置」を決定したことは、実現への大きな希望となる。地政学的分断が深まる昨今において、全会一致での採択は特に意義深い。 この動きは、2010年に国連総会で設置された「高齢化に関する公開作業部会」による10年以上にわたる粘り強い取り組みの成果である。これまで14回の会合を重ね、各国政府、市民社会、国家人権機関などが議論を重ね、2024年8月には条約起草を求める勧告が出された。AGEプラットフォーム・ヨーロッパ、アムネスティ・インターナショナル、ヘルプエイジ・インターナショナルなど市民団体による国境を越えたキャンペーンや連携も、今回の前進に大きく貢献した。 今後は、原則を法的保護に変える重要な段階が始まる。人権理事会決議は、その具体的な手順を示しており、年内には作業部会の初会合が開かれる予定だ。条文が草案としてまとまれば、国連システムを通じて検討・採択へと進む。採択されれば、1989年の児童の権利条約、2006年の障害者権利条約に続く新たな保護枠組みとなる。 この条約は、高齢者が社会にどう評価されるかを再定義する稀有な機会でもある。宣言から実施までの道のりでは、市民社会による粘り強い監視と働きかけが不可欠となる。まずは、条文に実効性のある保護を盛り込むこと、次に採択後の履行で保護が骨抜きにならないようにすることが重要だ。 その努力が実を結べば、年齢を重ねることが人間の尊厳と権利を損なうのではなく、むしろ高める未来が実現するだろう。(原文へ) サミュエル・キング:EU資金による研究プロジェクト「ENSURED」の研究員。イネス・M・ポウサデラ:市民社会連合CIVICUSの上級研究員、CIVICUS Lensライター、『市民社会の現状レポート』共同執筆者。 INPS Japan/ IPS UN Bureau Report 関連記事: 韓国は高齢化を乗り越えられるか?IMFが描く回復の青写真 |フィジー|看護師が海外流出し、医療サービス継続の危機 世界の人口、2050年までに100億人に到達と予測:SDGsへのあらたな挑戦

関税と混乱――トランプ貿易戦争がもたらした持続的な世界的影響

【メルボルンLondon Post=マジッド・カーン】 2025年4月、ドナルド・トランプ米大統領は、代表的な保護主義的貿易政策を再燃させ、第一次政権時に始まった貿易戦争をさらに激化させた。中国、欧州連合(EU)、カナダやメキシコなどの主要経済圏からの輸入品に対し、広範な関税を課すことで、米国の経済的利益を優先した国際貿易の再構築を目指している。政権はこの政策を米国の製造業再生、貿易不均衡の是正、知的財産の窃取や技術移転の強要といった「不公正な慣行」への対抗と位置づけたが、経済的影響はより複雑かつ広範に及んでいる。 トランプの関税政策は、2017年~21年の第一次政権時に施行された貿易戦争政策の延長線上にある。2018年には国家安全保障を名目に鉄鋼に25%、アルミニウムに10%の関税を課す「セクション232」関税が導入された。また、貿易法301条に基づき、中国からの約3700億ドル相当の輸入品に懲罰的関税が課され、米中間の貿易緊張はかつてないほどに高まった。これらに加え、北米自由貿易協定(NAFTA)は再交渉され、より厳格な労働・自動車生産ルールを盛り込んだ「米国・メキシコ・カナダ協定(USMCA)」が締結された。 こうした政策は米国の産業保護を掲げたが、経済データはより複雑な現実を示している。ペン・ウォートン予算モデルによれば、これらの関税は米GDPを長期的に6%、賃金を5%減少させるとされており、中所得層の世帯では生涯収入で最大22000ドルの損失となる可能性がある。また、ワシントン D.C. に拠点を置く国際的な研究シンクタンクタックス・ファウンデーションの報告では、これらの関税は「隠れた税」として機能し、2025年には米世帯あたり平均1300ドルの追加支出を強いることになると予測している。 このコストはサプライチェーン全体に影響を与え、消費者物価を押し上げている。電子機器や車両、食料品に至るまで、物価上昇により米世帯は年平均3800ドルの支出増が見込まれている。関税実施前の駆け込み需要によって一時的に小売売上高が伸びたが、持続的なインフレ圧力の前には影響は限定的と見なされている。 米国の金融市場への影響も深刻である。S&P500はピークから10%以上下落し調整局面に入り、ナスダックも2022年以来最も弱いパフォーマンスを記録した。企業収益の低下、サプライチェーンの混乱、景気後退への懸念が投資家心理を冷え込ませている。『タイム』誌は、こうした市場の動揺が米国の経済リーダーシップへの信頼低下を映し出していると指摘している。 国際的な反発も激しく、欧州連合(EU)、カナダ、メキシコ、日本などは米国の一方的な措置を批判し、報復関税を実施または検討している。EUは米国産バイクやバーボンなどに32億ドル相当の関税を課し、カナダやメキシコも農業・工業製品を標的に対抗措置を取った。世界貿易機関(WTO)は、こうした報復の連鎖が世界貿易量を2025年に0.2%減少させると予測しており、自由貿易が維持されていれば見込まれた3%成長との差は明らかである。 とりわけ中国は今回の貿易戦争の中心にある。電子機器や鉄鋼、消費財に最大145%の関税が課されており、中国政府は対抗措置を宣言するとともに、EUやASEAN諸国との貿易関係強化に動いている。さらに、半導体やAI、再生可能エネルギーといった戦略分野で自立を目指す「双循環戦略」を推進中である。米中対立の激化により、アップルやサムスンなど多国籍企業が製造拠点をベトナムやインドに移転するなど、サプライチェーンの再編が加速している。 欧州もこの余波に巻き込まれ、米国との間で続くボーイング・エアバスの補助金問題など、長年の貿易紛争が再燃している。アジアの同盟国である日本と韓国も戦略の見直しを迫られており、日本の自動車メーカーは関税回避のため米国内での生産を拡大し、韓国は貿易協定の再交渉を進めた。 一方で、新興国の中には恩恵を受ける国もある。ベトナムは米国向け輸出を30%増加させ、2023年にはメキシコが中国を抜いてアメリカ最大の貿易相手国となった。これは製造業の回帰と、USMCAによる北米供給網の深化によるものである。 米国の農業分野への打撃も深刻である。中国による報復関税により特に大豆農家が大きな打撃を受けた。2018年には中国向け大豆輸出が75%減少し、77億ドルの損失が発生。これにより米政府は280億ドルの補助金を支給したが、その規模は政策の影響の大きさを物語っている。 バイデン政権下でもトランプ時代の関税の多くは継続されており、特に3000億ドル以上の中国製品への関税は維持されている。ただし、バイデン政権は「インド太平洋経済枠組み(IPEF)」などを通じて多国間協調に軸足を移し、CHIPS法などの国内産業育成策を進め、半導体などの戦略産業での自立を図っている。 今後を見据えると、こうした保護主義政策の長期的影響はますます明らかになりつつある。一部産業への一時的な保護効果はあるものの、消費者、企業、国際関係への負担は大きく、インフレ圧力や同盟関係の損傷、グローバル機関の弱体化といった深刻な副作用を伴っている。その一方で、中国やベトナム、メキシコなどの国々は変化に柔軟に対応し、新たな機会を捉えている。 政権を超えて続くこれらの政策は、経済ナショナリズムと戦略的競争がもはや党派を超えた米国の通商政策の柱であることを示している。今後の国際経済秩序の中で、米国が安定性を取り戻し、成長を促進し、世界貿易におけるリーダーシップを回復するには、国家利益と国際協調のバランスを取る巧みな外交が不可欠である。(原文へ) INPS Japan/London Times 関連記事: トランプ大統領の初月:情報洪水戦略 |視点|グワダルにおける米国の戦略転換(ドスト・バレシュバロチスタン大学教授) 中国とカザフスタン、永続する友情と独自のパートナーシップを強化

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