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英軍と闘ったゲリラ・元マウマウ団兵士 「あの当時の正義が、 今になったからといって正義そのものが否定されるわけではない」

1963年のケニア独立前に、中央ケニアの森林アジトから出て英植民地軍と戦った元ゲリラの兵士が、戦争について語る。

【ケニアIPS=ダレン・テイラー】

ケニア中部ニエリの丘は、一面がエメラルド・グリーンのコーヒー畑である。朝の太陽が緑の林に黄金の光を注ぐと、老人は孫にコーヒー栽培の極意を教える。

「頼むよ」、老人は厳しく命じた。そして、枯れた木を指差して「今日は、遊ばない。お前はこれを抜かなければならない」と言った。干からびた老人は、孫がしかめ面をすると振り返って、「収穫は、駄目だな。私のコーヒーはうまく行かない」とため息をついた。

デイビッド・ギシェル(74歳)は、1963年の独立前に、中央ケニアの森林アジトから出て英植民地軍と戦った元ゲリラである。

彼は、不作の予感と同様、英国との戦い、そして国を植民地主義から解放した人々に対するその後のケニア政府の扱いにまつわる思い出に苦しめられている。しかし、レジスタンス兵士、独立戦争生存者の功績を見直す動きが始まった。

ギシェル老人が言うところの「白人侵入者」に対する組織的抗戦は、1952年に開始された。彼同様、ケニア最大の部族キクユ族出身の数百人の若者が、植民地主義者を国から追放しようと誓い、マウマウ団を結成したのである。

ギシェル老人は思い出すかの様に、「我々は林に隠れた。そして、英国および国防義勇軍(ケニア人の英国協力者)への攻撃を開始する計画だった」と語った。

彼は、「我々にはナイフと斧しかなかった。古いライフルを持っている者もいた。多くが白人に撃たれた。私の体にはその時の弾が今も残っている。恐ろしかったが、独立のために戦わなければならなかった」と語る。

ハーバード大学の歴史学者で、ケニアの自由闘争に関する著書「英国のグーラーク(Britain’s Gulag)」でも知られるキャロリン・エルキンズ氏は、英国軍は1950年代に10万人強のケニア人を殺害したと推測している。その多くは、マウマウ団への支援阻止を目的にキクユ族を収容するため建てられた強制収容所で死亡した。

アン・ワホメ(69歳)は、反乱軍に食物を提供したとの容疑で国防義勇軍に逮捕され、強制収容所に入れられた。元反乱軍の兵士であった彼女の夫は、ケニアの首都ナイロビで数年前に死亡した。

彼女は、「ムワンギ・ガチョカ:元マウマウ兵士。ケニアの自由のために戦う、と新聞に掲載したが、誰も来てくれなかった。誰も関心を払わなかった」と語っている。

また、「キバキが大統領に選出され、政府援助への期待が高まったが、我々は、英国が去った時と同様、何も手にしてない」と語っている。(ムワイ・キバキと同氏のNational Rainbow Coalitionは、2002年末に政権就任)

ケニアの初代大統領ジョモ・ケニヤッタは、10年に亘る反乱の間拘束されていたため、マウマウ団と直接係っていない。彼はまた、独立への道を開いた1960年のロンドン・ランカスターハウス協議にも参加していない。

1963年の大統領就任以降、ケニヤッタは側近政治を開始。元ゲリラを農夫として出身地に追い返したのである。ケニヤッタおよび後継者のモイ大統領は共に、マウマウ団を非合法とする植民地時代の決定を覆すことを拒否してきた。

ワホメは、「彼らは我々のこと、私の夫が何のために戦ったかも完全に忘れてしまった。彼らは、盗み取るだけで、我々には何も与えなかった」と苦々しく語る。

ロンドン、ナイロビにある有能な弁護士チームが、マウマウ団の功績に対する賠償を獲得するため活動を開始した。彼らは、植民地主義的残虐行為から生き延びた人々に支払う多額の賠償金(具体的金額は明らかにされていない)を求めて英国政府を相手取り訴訟を起こす計画である。

弁護士チームの一人マーティン・デイ氏は、IPSの質問に応じ「情報も十分であり、訴訟の準備はできている。残るは、ケニアチームによる訴訟費用捻出である。近い将来、ロンドンで裁判を起こすことが可能と信じている」と語った。

デイ氏は、ケニア北部サンブル地方の放牧民を弁護し、英国に勝訴したことで知られる。

2003年、示談が成立。ケニアで演習を行っていた英国兵が放置した武器の爆発により怪我をした牧夫および死亡した牧夫の遺族に対し約700万ドルが支払われた。

ケニア人権委員会(Kenya Human Rights Commission:KHRC)も英国政府に照準を合わせている。

KHRCのワンジク・ミアノ委員長は、「元マウマウ団兵士500人強を代表し英国で賠償訴訟を起こす準備を進めている。恐らく年末になるだろう」と語っている。

マウマウ訴訟弁護団は、「英国軍がケニアで行った残虐行為は、戦争に関するあらゆる国際協定に違反する非人道的犯罪である」との論を展開する予定である。

マウマウ退役兵協会(Mau Mau Veterans Association)のマカリア・ワンイェキ氏は、「我々は、時間をかけて証拠集めを行ってきた。英国の残虐行為を記録した文書を調べ、多くの調査も行った。
ロンドンで、我々の要求の正当性が明らかになるだろう。我々は、公正な償いを要求しているだけだ」と述べている。

エルキンズ氏によると、マウマウ団を、夜中に眠っている白人を殺害し婦女子を強姦する「野蛮人」とする誹謗キャンペーンを開始したのは英国政府という。しかし、記録によれば、ゲリラが殺害した白人は少数で、入植者32名、植民地軍兵士50人という。

しかし、ギシェル老人は、「マウマウ団が、英国に協力したキユクの仲間に残虐行為を行ったのは事実」と語っている。

彼は、「それについては、話したくない。戦争だったのだ」と呟いた。

しかし、裁判は容易ではない。KHRCは、訴訟提出に必要な8万ドルの獲得に躍起となっている。
(デイ氏は、総費用を200万ドルと見積もっている。)

同氏は、「KHRCのロンドンにおける訴訟が成功しなければ、ハーグの国際司法裁判所(ICC)に訴える」としている(ICC関連記事)。

提案されたケニア新憲法(案)には、ケニア独立の犠牲となった人々を称え、10月20日のケニアッタ・デーをマシュジャ・デー(英雄記念日)とすることが盛り込まれている。キバキ大統領はまた、ケニア歴史博物館の建設を約束している。

しかし、連邦議員Gachara Muchiri氏は、これは誤った施策と主張する。同氏は、「元マウマウ兵の殆どは、貧しい人々である。自由の戦士(freedom fighters)を支援するのに金が必要な時に、何故数百万シリング(ケニアの通貨単位)を博物館建設に費やすのか」と語っている。

|UAE|世界記録への飽くなき挑戦は続く

【ドバイIPS=特派員】

世界で最も高い巨大ホテル、最大の発掘用乾ドック、巨大パスタ皿、巨大ステンドグラスの壁画など、UAE(アラブ首長国連邦)の保持するギネス記録の登録数は数え切れないほど多い。

9月、『Guinness Book of Records』の打ち上げパーティで、UAEは並外れたギネスブック登録数を持つことでその功績が称えられた。ドバイの広報役員Sana Raouf氏は「多くのギネス記録がUAEにより塗り替えられていることは驚くべきことだ。特にドバイは中東の中でも世界記録保持に関して最も積極的な国と言える。UAEが保持する記録のうち(チョコバーを詰めた世界最大のチョコレートボックスから、モハマドの名前を持つ人が最も多く暮らす街など)35の記録はドバイで達成されたものだ」と述べた。

 世界最大の水中ホテル、世界最長の建造物、世界最大級のショッピングモールのように、ギネス認定への飽くなき挑戦は、UAEの開発計画につながる可能性がある。従って、このような計画はUAE(とりわけドバイ)の石油部門以外の産業を発展させるための計画の一部となり、企業や観光客、海外の投資家たちを魅了し続けている。

人口500万人以下のUAEは、その過半数が国外居住者である。経済成長率は04年に17%にのぼり、GDPは3788億ディルハム(約1038億ドル)。UAE全体のGDPに占める石油部門の比率は32.5%に達する。一方ドバイのGDPは1107億ディルハム(約307億ドル)に達する。
 
 04年のドバイ・ショッピング・フェスティバル(DSF)では、『Babies of the UAE』というイベントが開催された。これはギネスブック記録を目指した世界最多数の赤ちゃんの写真を展示する試みだったが、それ以上に人間の感情や家族の価値観を盛り込んだ立派な取り組みとして評価を受けた。

UAEの様々な世界記録は同国の文化や技術を代表するものであるため、この小さな砂漠の国が社会、文化、商業、知的活動などあらゆる分野に進出していることを世界にアピールすることができる。

ギネス記録を次々に生み出すことで(石油以外の)製造業や建設、不動産などといった部門でも発展を遂げるUAEの取り組みについて報告する。


翻訳=IPS Japan

アジアの鳥インフルエンザ問題の解決にはジェネリック薬しかない

【キャンベラIPS=ボブ・バートン】

11月初頭に、鳥インフルエンザ問題を話し合うアジア太平洋経済協力会議(APEC)が開かれる予定であるが、ジェネリック薬の製造を推進する必要性について討議がなされる見通しはない。

そんな中、ブディーマ・ロクージ博士らが、鳥インフルエンザ用の医薬品製造の特許を持っているロシュ社が米国において生産量を拡大させているものの、多くの国にとってそれは不十分であると主張する論文を『オーストラリア医療ジャーナル』に掲載した。とくに、ラオス・ベトナム・カンボジアなどのような被害が拡大する可能性が高い国にかぎって、医薬品を購入する資金が不足していると指摘されている。

 現在のところ、鳥インフルエンザ用の薬のわずか1%がアジア諸国向けに販売されているに過ぎない。ロクージ博士らによれば、現在の価格のまま十分な量の薬を確保しようとすると、オーストラリア・カナダ・米国のような先進国においては、医療予算のわずか1%を必要とするだけである。しかし、途上国に目をやると、中国の医療予算の28%、カンボジアは54%、インドネシアは67%、ベトナムは75%、ラオスにいたっては173%が必要となる。

オーストラリアのハワード首相は、10月26日、パプア・ニューギニアにおいて開かれた太平洋諸島フォーラムの場で、今後4年間にわたって太平洋諸国に対して行なう鳥インフルエンザ対策支援を発表したが、わずか150万ドルが準備されたに過ぎなかった。これに対してオーストラリア緑の党のボブ・ブラウン上院議員は、ハワード政権は「テロとの闘い」にばかり執着して、流行病の発生予防に力を尽くすことを怠っていると批判している。

オーストラリアより、鳥インフルエンザ対策用のジェネリック薬をめぐる攻防を報告する。(原文へ

翻訳/サマリー=IPS Japan

セネガル大統領、チャド独裁者の引渡しを迫られる

【米国IPS=ジム・ローブ】

人権擁護団体は11月25日、セネガルのアブドゥライ・ワッド大統領に対し、「アフリカのピノチェト」と呼ばれるチャド前大統領イサン・ハブレを直ちにベルギーへ引き渡すよう要求した。ハブレは1980年代、8年間に亘り政権を維持。その間の残虐行為によりベルギーで裁きを受けることになっている。 

ニューヨークを本拠とする人権擁護団体ヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)とチャド政治弾圧・犯罪犠牲者の会(Chadian Association of Victims of Political Repression and Crimes)は、セネガル控訴裁判所が今週、同裁判所にはベルギーの引渡し要求を審査する権限はないとの判断を下したことから、この要求を行ったもの(ベルギーは、4年前に起訴手続きを開始)。

 裁判傍聴のためダカールに来ていたHRW国際司法担当ディレクター、リード・ブロディー氏は「全ては、ベルギー司法当局とワッド大統領の決定に委ねられた。15年に亘り正義を要求してきたハブレの犠牲者は、ここで諦めはしない」と語った。 

ブロディー氏によれば、ワッド大統領は2001年以降、少なくとも2度に亘り、1990年の国外追放後セネガルに住んでいるハブレの引渡しを認める方向にあると語ったというが、同大統領は先週、アフリカ諸国リーダーに相談した上で決定すると発言している。 

セネガルでのハブレ裁判を要求し続けてきたアフリカ人権防衛会議(African Assembly for the Defense of Human Rights:本拠ダカール)のAlioune Tine氏、チャド政府弾圧・犯罪犠牲者の会のイスマエル・ハキム会長およびハブレ政権によるある拷問被害者も、ブロディー氏の引渡し要求に参加した。 

Tine氏は「イサン・ハブレをベルギーに送り公正な裁判が行えるかどうかは、ワッド大統領の約束履行、送還命令署名にかかっている」と語っている。 

その人道的犯罪によりチリの元独裁者アウグスト・ピノチェトと比較されるハブレは、1998年11月、スペインの逮捕礼状によりピノチェトが英国で逮捕された時から、チャドおよび国際人権団体の標的となった。 

ピノチェト(現在90歳)は送還を逃れたものの、チリ帰国後、一連の裁判にかけられている。偶然にも今週、海外個人口座に関わる脱税・旅券詐欺および1975年に行われた119人の拉致・殺人で起訴が確定し、ピノチェトはサンチャゴで拘束された(1973年、ピノチェトが指揮する軍事クーデターにより、国民選出によるアジェンデ大統領は殺害された)。 

ハブレ(63)も、1982年にクーデターで政権を奪取し、一党独裁の下Hadjerai、Zaghawaを始めとする少数民族の大規模弾圧および政治粛清を行ってきた。 

ピノチェト同様ハブレも、「リビアの南部進出を阻止するための防波堤になる」と考えた米国から大々的な支援を受けた。フランスもまた、重要な支援国であった。 

レーガン政権時代、米国は、当時国務長官であったアレクサンダー・ヘイグ氏によれば、「カダフィの鼻を明かすため、CIAの隠密軍事要員を派遣してハブレによる政権転覆を助けた」という。米政府はその後も、ハブレに対し年間数千万ドルの資金および軍事訓練・諜報支援を提供し続けた。 

その後ハブレは、イドリス・デビ現大統領により失脚させられた。デビ大統領も人道的犯罪で批判されたが、その規模はハブレの比ではない。 

HRWは、犠牲者の数は明らかでないとしているが、デビ大統領が設立した「司法省真実調査委員会」(Ministry of Justice truth commission)は、1992年発表の報告書で、4万人の政治粛清、20万件の拷問が確認されたと述べている。 

その多くは、秘密警察National Security Service(その数8,000人)によるものという。HRWは、秘密警察の活動を「消えることのない恐怖」と称している。 

ハブレ追放の直前、大統領護衛部隊は、首都ヌジャメの本部に拘留されていた政治犯300人強を殺害したという。 

残虐行為の犠牲者および活動グループは、政府の支援を受けることなく、1990年以降秘密裏に証拠・証言収集を行ってきた。2000年のピノチェト逮捕を期に、ハブレが住んでいたセネガルの法定に裁判開始を要請したが、最高裁は翌年、国内犯罪でないためセネガルでの裁判は不可能との判定を下した。 

犠牲者21人は、その時既に、重大な残虐行為に対しては犯罪が行われた場所に関係なく裁判を行うとする「国際犯罪法」を施行するベルギーで訴訟を起こしていたため、犠牲者グループは、ハブレのベルギー引渡しを要求していくこととした。 

ベルギー議会は、ブッシュ政権の圧力により2003年に同法を廃止したが、ハブレの裁判は、既に調査が開始されていたこと、犠牲者(原告)3人がベルギー国籍を有していることから継続が可能となった。 

調査判事は2002年にチャドに行き、証言聞き取り、刑務所/合同埋葬所の調査およびHRWが発見した秘密警察ファイルのコピーを行った。2002年11月には、裁判に消極的であったチャド政府も正式にハブレの免責要請を却下した。ベルギー法廷は、今年9月19日、遂にハブレの逮捕命令を発した。 

人権擁護団体の他にも、コフィ・アナン国連総長、ルイーズ・アルブール国連人権高等弁務官、アフリカ連合のアルファ・オウマー・コナレ委員長、マンフレッド・ノバク国連拷問特別調査官といった国際機関代表もハブレ引渡しを支持している。 

控訴裁判所決定により、ワッド大統領の出方に関心が高まっている。HRWは、ワッド大統領は、2001年および2003年に「外国における裁判が公平なものであれば、引渡し要求を前向きに検討する」と発言したと述べている。 

HRWはまた、地元人権団体の支援を得て、ハブレ時代に拷問・弾圧に積極的に関った政府要人41人の解任をデビ大統領に要求する運動を行っている。チャド政府は今夏、同グループ宛ての書簡の中で、解任に必要な法の改正、拷問犠牲者への賠償、記念施設の建造を行う旨約束した。(原文へ) 

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩 

関連記事: 
|アフリカ|政治|権力の座にしがみつくアフリカ諸国の大統領

鳥インフルエンザの欧州襲来で明らかになった、欧米のダブル・スタンダード

【バンコクIPS=マルワーン・マカン・マルカール

西洋諸国の指導層は、「南」の人々よりも先進国の人々の命の方が重要だと言外に述べているようである。

米国のチャック・シューマー上院議員は、スイスの巨大製薬企業ロシュ社に対して、鳥インフルエンザのウィルス「H5N1」に効く唯一の既存の薬である「タミフルー(Tamiflu)」の特許権を放棄するよう圧力をかけた。この結果、ロシュ社は特許を放棄し、米国の4つのジェネリック薬(他の製薬メーカーが、特許期間が切れた後で製造する、同じ成分・同じ効果の薬のこと:IPSJ)製造企業に権利を譲り渡すことで10月20日までに合意した。

しかし、こうした事態は、東南アジアを鳥インフルエンザが襲っていた昨年はじめには現れず、欧州への拡散が深刻に懸念されるようになってから初めて起こったことであった。アジアでは、例えばタイで13名、ベトナムで43名がこの病気のために亡くなっている。

バンコクに拠点を置くNGO「フォーカス・オン・ザ・グローバル・サウス」のニコラ・ビュラード氏は、こうした欧米の反応は、単なるダブル・スタンダードだというのみならず、実にばかげていると憤る。

途上国においては、いかに健康問題が深刻であろうとも、寛大な措置が取られることはない。エイズでは年間300万人、結核で200万人、マラリアで100万人が亡くなっているが、ほとんどの人々は薬を買うことができない。例えば、世界貿易機関(WTO)に昨年加入したカンボジアは、自国の製薬企業を保護しようとする欧米のプレッシャーにより、エイズ用の安いジェネリック薬を利用する権利を奪われようとしている。

また、欧米諸国はかつて、「強制実施権(compulsory licensing)」と呼ばれる権利を頻繁に発動していた。これは、不測の事態が起こったときに、政府がある医薬品の特許を破棄して、地元企業にジェネリック薬を作らせることができる権利である。しかし、途上国はこうした特権を持ってはいない。

医薬品の製造をめぐる、世界のダブル・スタンダードについて報告する。(原文へ

翻訳/サマリー=IPS Japan

若い命を救うために性教育を

【バンコクIPS=マルワーン・マカンマーカー】

イスラム教が支配的なマレーシアで、性に関する話は気の弱い人にはできない。それも公衆の面前で、毎週テレビでとなるとなおさらだ。

それを敢えて実行しているのが、マレーシア人女性ラフィダ・アブドラとカルチニ・アリフィンである。これは抵抗であると同時に、教育であり、若者の命をHIVから守る計画でもある。5年間に亘り週1回の娯楽報道番組に出演する2人は、若者にとって重要な問題を提起し、意識を高める活動を行う20代の女性チームの一員である。

話題の中心は安全な性行為、致死的性病であるHIV/エイズの予防法である。

 「若者は大人から説教されるより、同年代(Peer)の意見を聞くもの。安全な性行為、HIVについても同じ」と番組進行役のラフィダは言う。彼女が最初にエイズの大流行を学んだのは、クアラルンプールの学校展示だった。それは11歳のときだったが、その後エイズは80年代を通じて東南アジアに蔓延した。タイでは死亡者数が数千人に達し、もはや無菌状態の中学校の展示ホールにとどまる話ではなくなった。

この女性たちの活動は、世界でもっとも猛威をふるう殺人ウイルスとの闘いの焦点を示唆している。それは、エイズウイルスが餌食とする若者である。

UNICEF(国連児童基金)のアジア太平洋事務所長アヌパマ・ラオ・シン氏は「東アジア、太平洋地域ではHIV/エイズの主役は若者になりつつある。子どもが亡くなっているというだけでなく、子どもの生活に無数の影響が出ている」と言う。同氏は「子どもはエイズ被害の矢面に立つにもかかわらず、無視されつづけてきた」と訴え、UNICEFと国連合同エイズ計画(UNAIDS)は「子どもをエイズ対策の中心に据える」新しい世界キャンペーンを立ち上げた。

このような懸念の原因となっているのは、タイの現状である。タイはつい最近まで、広範に及ぶ先駆的な公衆衛生活動でエイズの封じ込めに成功した手本として称えられていた。90年代よりエイズ撲滅に携わってきたジョン・アンファコーン上院議員は「最近、幼い子どもの間にHIV/エイズ感染が増加している。タイは自己満足に陥っていた」と言う。

同議員は、弱い立場の子どもを救うために必要な対策は「倫理教育ではなく、質のよい性教育」であり、さらに予防、治療、支援を提供する政策だと考えている。「子ども達に優先順位を与えることはこれまで一度もなかった」と言う。

UNICEFとUNAIDSが10月25日に発表した『東アジア:子どもとHIV/エイズ』によると、タイで麻薬を注射する若者の多くは、いまだにエイズ感染を防ぐことができず、性交渉で常にコンドームを使用する若者は2割から3割に過ぎない。タイでは毎年2万8,000人が新しくエイズに感染し、その5割から6割を24歳以下の若者と子どもが占める。また、若年感染者の7割が15歳から24歳の少女と女性である。

2004年の成人、子どもを含むエイズウイルス感染者は820万人、そのうちアジア太平洋地域の子どもの感染者は12万700人であった。両機関が危惧するのは、この3分の1に当たる4万6,900人が2004年に新しく感染したことだ。

15歳以下の年間死亡者数も懸念材料である。世界中で同年にエイズで亡くなった子どもは51万人だが、東アジア、太平洋地域では9,100人、南アジアでは3万0,300人だった。『子ども-忘れられたエイズの主役』と題する国連報告書は、「南アジア、東アジア地域の15歳以下の患者数、死亡者数は、サハラ以南のアフリカ地域に次いで多い」と伝えている。

東アジアでは、タイに加えて中国、マレーシア、インドネシア、ベトナム、フィリピン、カンボジア、ラオスで子どもの感染が増えている。UNICEFは、これらの国の子どもはエイズウイルスの感染経路、予防法をほとんど知らず、「中国の地方の学生を調査したところ、半数が運動をすることでHIVを予防できると信じている」と報告する。

危険な性行為は子どものエイズ感染経路であるが、それ以前にも殺人ウイルスは子どもの生活を2つの方法で根本から蝕む。1つはエイズ孤児の問題、もう1つは出産、新生児期の母子感染の問題である。両国連機関はアジア、太平洋地域でエイズにより両親を亡くした孤児は150万人。母子感染により抗エイズ薬が必要な感染児童は3万4,500人と報告している。これ以上死者を増やさないためには、この地域の子どもを蚊帳の外におかず、「必要な情報とスキルを提供」する啓蒙が必要である。

UNICEFのシン氏自身、若者を今回の生存をかけた戦いの中心に据えるには、ラフィダのような若者が築いた活動の他にはないと考えている。(原文へ

翻訳=IPS Japan

ベネズエラ、米国の福音派を追放

【カラカスIPS=ウンベルト・マルケス】

ベネズエラのウゴ・チャベス大統領は12日、米国の福音派団体「ニュー・トライブス・ミッション(New Tribes Mission)」を国外退去させると発表した。同団体は1946年以来、コロンビアおよびブラジルと接する南部国境地帯で、先住民コミュニティに入り活動してきた。

大統領は「彼らはベネズエラを去る」と述べ、「帝国主義による浸透の工作員だ。機微な戦略情報を集め、先住民を搾取している。だから追放する。この決定が国際的にどんな結果を招こうと、意に介さない」と語った。

ニュー・トライブスは、米国に拠点を置く言語研究団体「サマー・インスティテュート・オブ・リンギスティクス(SIL、Summer Institute of Linguistics)」と長年近い関係にある福音派組織で、アジアおよび中南米の複数国で活動している。ベネズエラでは、南部地域のヤノマミ、イェクアナ、パナレなどの先住民族、ならびにその他の民族集団への働きかけを中心としてきた。

SILは1934年に設立され、先住民言語への聖書翻訳を目的として掲げている。

チャベス大統領が全国中継の演説でこの発表を行ったのは、同氏が12日を「先住民抵抗の日」と定めた日に、南部の平原地帯で先住民コミュニティに対し、共同の土地権原証書の交付、ボート用モーターや車両の提供、融資の付与などを行っていた最中であった。

大統領は「ニュー・トライブスの活動に関する報告や映像を見た。われわれは彼らを望まない。われわれは皆、古い一つの部族の一員なのだから」と述べ、皮肉を交えた。

ニュー・トライブスは1970年代以降、左派政治勢力、環境保護派、先住民団体、研究者、カトリック教会指導者、さらには軍関係者を含む多方面から強い批判を受けてきた。同団体は、多国籍企業に代わって戦略鉱物を探査していること、先住民の強制的な同化や改宗を促していることなどを理由に非難されてきた。

アマゾン密林における同団体の活動について、約20年前に報告書を公表した社会学者で環境活動家のアレクサンダー・ルサルドは、チャベス大統領の決定を歓迎した。

ルサルドはIPSに対し、今回の決定は「先住民の自己決定権、ならびに信仰・価値観・慣習の尊重を定めた1999年憲法の規定に合致する」と語った。さらに、同団体の活動に警鐘を鳴らしてきた政府および議会の複数の報告書が示した勧告とも整合すると述べた。

ルサルドは「ニュー・トライブスは、福音を教えるという装いの下で羞恥心と罪悪感を植え付け、先住民を強制的に西洋化してきた」と主張する。その例として、「彼らはパナレの人々に、サタンがパナレの先住民に変身し、あなたたちはイエス・キリストの磔刑に責任があるのだ、と教え込んだ」と語った。

一方、ニュー・トライブスの宣教師リチャード・ブルースは、4年前に地元紙の取材に対し、「先住民の生活様式や慣習を尊重したいのであって、一夜にして変えようとしているのではない。ここは米国の片隅ではない」と述べていた。

ルサルドによれば、ニュー・トライブスの活動が最も活発だったのはおおむね20年前で、当時、米国からの宣教師は約200人に上った。主な拠点は、南端アマソナス州の中心部で複数の河川が合流するタマ=タマ(Tama-Tama)に集中していた。

同地域はウランなどの鉱物資源が豊富だとみられている。ニュー・トライブスは長年にわたり滑走路や近代的施設を整備してきたが、それは宣教対象となった先住民コミュニティの素朴な建造物と際立った対照を成していた。

1980年代に文化団体、環境団体、先住民団体などが参加した(現在は消滅した)「国民同一性運動(National Identity Movement)」は、ニュー・トライブスが地質・鉱物資源の探査を隠れ蓑にしていると主張し、その背後に、SILに資金を提供していた企業の利害があると指摘していた。同運動は、資金提供企業として、防衛産業の請負企業ゼネラル・ダイナミクスやフォードなどの名を挙げていた。

しかし当時、ニュー・トライブスの追放を求める声は次第に沈静化し、同団体の活動をめぐる世論の関心も薄れていった。ルサルドは、同団体が近年、内部の分裂も経験していると述べた。

こうした状況が再び注目を集めたのが、今回のチャベス大統領の発表であった。大統領は、「先住民が極めて困難な条件で暮らす一方で、ニュー・トライブスは発電設備や無線システムを持ち、トラクターや草刈り機で手入れされた滑走路まで維持している。そこへ海外からの飛行機が、いかなる通関検査も受けずに飛来している」と述べた。

大統領が「国際的な影響を意に介さない」と言及した背景には、ニュー・トライブスが「ベネズエラ福音派評議会(Evangelical Council of Venezuela)」に加盟しており、政府による宗教迫害だと非難する可能性があることがあるとみられる。

もっとも同団体は米国に本拠を置く組織でもあり、ベネズエラと米国の両政府はこの2年、政治・外交上の対立を激化させてきた。加えて8月には、米国のテレビ伝道師パット・ロバートソンがチャベス大統領の暗殺を公然と呼びかけ、先週日曜には、チャベス大統領がアルカイダ指導者オサマ・ビンラディンに資金提供していると非難した。

チャベス大統領は「誰かを踏みにじるつもりはない。ニュー・トライブスには荷物をまとめ、出ていくための時間を与える」と強調した。

ルサルドは今回の措置を前向きに評価しつつも、「ちょうど今日、新たな先住民の抗議が起きた。チャベスが(北西部で)先住民の土地を石炭採掘に開放しているからだ。そこに入ってくるのは別の『新たな部族』で、今度はブラジルから来る」と付け加えた。これは、ベネズエラ企業とブラジル企業が組成した合弁事業を指し、採掘活動は来年にも開始される予定だという。(原文へ

翻訳=IPS Japan

カトリーナ後のヒスパニック系:雇われたり、追放されたり?

【ニューヨークIPS=キャサリン・スタップ】
 
米国土安全保障省は、ハリケーン「カトリーナ」によって家を追われた移民が政府の支援を受けようとする場合に、国外追放に処されることはないとの確証を与えることを拒否した。一方で同省は、不法滞在者を就労させたメキシコ湾岸地域の雇用主に対する制裁を一時的に停止するとの方針を打ち出している。

巨大な再開発計画がメキシコ湾岸の米南部諸州で動き始めているが、建設会社は、市街の洗浄作業と建築のために大量の労働者を雇っているといわれている。そして彼らの多くは、住民票を持たない日雇い労働者である。

 しかし、不法滞在中の被災者は、そうした恩恵に浴することができない。当局はすでに、テキサス州のエルパソにある避難所に向かっていた3人の移民を逮捕し、湾岸地域からヴァージニア州にバスで避難途中の2人も逮捕された。
 
 ワシントンにあるヒスパニック/ラテン系の権利向上団体、「全米ヒスパニック系人種評議会(National Council of La Raza、以下NCR)」のジャネット・マーグイア会長は、声明の中で、「ホワイトハウスは人々に表に出てくるよう促しているが、国土安全保障省(DHS)は[不法滞在者の]逮捕方針を崩していない。われわれはこの状況を懸念している」と述べた。「このために、カトリーナによってすでに生じている公衆衛生や安全上の大きな危機がさらに悪化することも考えられる」とマーグイア氏は言う。

DHSは、英語とスペイン語の両方で今月初めに発表された声明の中で、不法滞在の移民も含め、ハリケーン「カトリーナ」の全ての被災者に対して、援助を受けるよう促している。メキシコのヴィセンテ・フォックス大統領も、テレビ中継を通じて、「不法滞在者であっても何らの圧力をかけられることもないし、起訴されることもない」との米当局からの約束があったと述べた。

しかしながら、関係者がIPSに語ったところによると、「不法滞在の避難民に対して米市民と同じ処遇をするよう政府に求めたNCRやその他の団体による公開アピール文の発表から1週間以上たっても、DHSは、移民に関する情報を法執行機関が開示することはないとの公的な確約を与えることを拒絶し続けている」という。

逮捕された3人(そのうち誰にも前科はない)は、エルパソの集会場に身を寄せようとしているところであった。彼らは、2人はグァテマラ出身、1人はフィリピン出身。裁判所に出頭することを条件に釈放された。そこで国外追放処分に処されるかどうか裁判官が判断を下すことになる。

18名の下院議員に加え、各関係団体は、政府に対して、被災した不法滞在移民に「一時的な保護地位」を与えるよう求めている。合計数は把握されていないが、約30万人のヒスパニック系がメキシコ湾岸地域に住んでいたと見られている。

NCRのセシリア・ミュノス副会長(政策担当)は、「DHSは、市民情報の保護を一貫して拒んできた。だから、危険は現実のものであり続けると思う」とIPSの取材に応じて語った。「支援を拡大しようとするに際して、本当のジレンマに直面することになる」「民間の支援団体の中には、どうすればよいかわからず混乱が広がっているところもあるし(合法的な移民かどうかを[当局に]報告したり、移民自身にそれを尋ねたりすることに関して)、多くの支援者は2ヶ国語を話すことができない」とミュノス氏は言う。

NCRおよびその他の団体は、9月21日付でDHSのマイケル・チャートフ長官に書簡を送付した。その中で、DHSの現在の措置は、援助が行なわれている最中には法執行を一時停止するという過去の政策からは「著しく離脱している」と指摘されている。過去の事例には、昨年フロリダを襲ったいくつかのハリケーンや、2001年9月11日のニューヨーク、ワシントンDCにおけるテロなどが含まれている。

ミュノス氏はさらに言う。「こういう逮捕には間違いなく萎縮効果がある」「被害を受けた地域で活動しているグループからは、人々がなかなか表に出てこないとの報告を受けている。ある避難所にいたある男性は、もし表に出てきたら[強制送還のため]飛行機に乗せられると聞いた、と言っている」。

不法滞在者は、自分の家に残されたものや自分の持ち物を回収することもできずにいると言われている。というのも、合法的な居住者であると証明できた者のみ、被災地域の所有地への立ち入りが許されているからだ。

テキサス州・ヒューストンの「メキシコ系アメリカ人権利向上協会」でアデランテ・プログラムのリーダーを務めるフアン・エスキヴェルは言う。「私たちは、家を追われた人々の居場所を把握しようと努力してきた」「見つかった人たちもいる。しかし隠れようとしている人たちもいる。人々は、送還されることを恐れており、政府の支援を求めるのではなく、他の地域に住む親戚縁者の下に身を寄せようとして必死だ」「彼らは、例えば、配布されている2000ドル相当のデビットカードのような支援策の多くを利用していない。ほとんどのヒスパニックはこのカードを請求していないだろう」。

ホンジュラス大使館では、ホンジュラスからの4万人にも及ぶ移民がカトリーナのために家を追われたのではないかと推測している。メキシコ当局でもほぼ同じ数のメキシコ人がルイジアナに住んでいたと考えている。そしてそのほとんどが、カトリーナによって最も甚大な被害を受けたニューオーリンズに住んでいた。

一方、報道によれば、滞在許可証を持たないメキシコ・中米の労働者が、被害地域再建のためにルイジアナ南東部にすでに到着している。

米下院は、支援策の一部として620億ドルを拠出することをいち早く決定している。また、ルイジアナ州当局は、復興のための連邦支援として2500億ドルが必要だと主張している。

これは、建設業界にとっては大きな追い風となる。そしてこの業界こそが、ラテン・アメリカからの移民を大量に雇っている主要な雇用主の一つなのである。米国における滞在許可証を持たないラテン系の推定1200万人のうち、少なくとも17%が建設業に従事しており、その多くが米南部にいる。

ジョージ・ブッシュ大統領は、カトリーナ襲来のほぼ直後に、ルイジアナ・ミシシッピーの一部・アラバマ・フロリダにおいて、「相場賃金(prevailing wages)」の支払いを公共事業の請負業者に義務付ける連邦法を一時停止すると発表した(「相場賃金」とは、連邦や州の行なう公共事業に関して、その事業の行なわれる地域における一般的・平均的な賃金を下回らないレベルで設定されたの賃金のこと:IPSJ)。また、DHSは、正式な労働許可証を持たない労働者を雇用した業者に対する制裁を免除することを決めた。

ラテン系の人々が大災害からの復興において大きな役割を果たしたのは今回が初めてではない。9・11テロ後にペンタゴンを再建した労働者の約4割はラテン系であった。また、数百名のラテン系労働者(そのほとんどが労働許可証を持たない)が、ニューヨークのツイン・タワー倒壊後、ロウワー・マンハッタンの瓦礫除去作業を行なったのである。

しかし、ほとんどの労働者が、アスベスト、重金属、ガレキを覆う毒性・可燃性のある副産物から身を守るための防護用装備を与えられていなかった。ニューオーリンズでは、汚染された油や化学物質、その他の汚染物質が洪水と共に流れ込んでおり、市街の洗浄・再建作業に従事する労働者は、同様に毒まみれになる可能性がある。

エスキヴァル氏は、IPSの取材に応じてこう語った。「これまでにも増して私たちが懸念しているのは、街の再建が始まった今、建設業者が、滞在許可証を持っている人も持っていない人も含めて多くのヒスパニック系を雇うだろうということであり、彼らが望ましくない労働条件で働かされるだろうということだ」「私たちは、この状況をしっかりとチェックして、彼らの人権が守られるようにしなくてはならない。」(原文へ

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複数政党制選挙に少なくとも一歩前進

【カイロIPS=アダム・モロー】

複数候補者による初のエジプト大統領選挙から2週間、人々は選挙が長期的な政治情勢に及ぼす影響を理解しようと躍起になっている。

予想通り、現職のムバラク大統領が圧勝を収めた。ムバラク大統領の当選が疑われたことはないと大半の識者が強調する一方で、例外があちこちに見られたものの、与党国民民主党(NDP)有利に不正操作が行われてきたこれまでの選挙に比べ、遥かに公正な形で選挙が実施された事実も指摘されている。

ニューヨークに本部を置く政治コンサルタント会社ユーラシア・グループの中東アナリスト、サイモン・キッチン氏は「とりわけ今後も選挙の透明性拡大に向けた動向が続けば、今回の選挙は前進の一歩」と評価している。

 NDPのムバラク大統領は、得票率88.5%の圧倒的多数で勝利した。

対立候補は計9名で、ムバラク大統領に次ぐ得票率は、注目のアルガド(明日)党のアイマン・ヌール党首が7.3%で、伝統ある政党、新ワフド党のヌーマン・グムア党首は、党の名声にも関わらず、3%弱に終わった。

複数候補による直接選挙は、今年初めの憲法改正によって実現されたものである。これまでの選挙は、議会が選出した単独候補に国民投票で賛否を問う形で行われていた。

評論家は、改正は充分ではないとし、合法政党しか候補者を擁立できず、最低250人の署名を取り付けなくてはならないという厳しい立候補者要件を批判している。

こうした手続きは、少なくとも有力政党2党を締め出すに充分であった。野党のナセリスト党と左派タガンム党が抗議して、候補者擁立を拒否したのである。

また、エジプト最大のイスラム政治組織であるムスリム同胞団は、非合法化されたまま候補者を擁立できず、エジプトのもっとも手強い野党陣営も無力化されてしまった。

投票率は、政府が9月7日の投票日最後まで国民に投票を呼びかけたにもかかわらず、わずか23%にとどまった。これは期待を大きく下回るものであった 
が、それでも、通常15%にも達していなかった過去の国民投票より高い数字であった。

ヌール、グムア両者は、選挙後、不正行為の申し立てを行った。「結果は現実とまったくかけ離れたものである」と、英字週刊誌『カイロ』は、ヌール候補の言として報じた。

だが、明らかな候補者に対する制約や不正行為の申し立てがあったとはいえ、選挙制度は過去に比べれば遥かに公正になった、というのが多くのエジプト人の見方である。エジプト人権機構(EOHR)は、ムバラク大統領が得た単発的な不正による得票は選挙結果に影響を与えるほど多くはなかった、との報告を明らかにしている。

「これまでよりは遥かに公正な選挙が行われたことは断言できる。以前のような組織立った脅迫もなかった。透明性に関して言えば、成績は『優』とは言えないまでも『良』」と、EPHRのハフェズ・アブ・サーダ会長はIPSの取材に応えて語った。

他方エジプト国民は、現職以外の候補者に勝ち目はないと、冷めた見方が大勢を占めた。候補者側も国民に自らの考えを訴えるのに3週間しか与えられなかった。

地元の法律事務所のシニアパートナー、アムル・アブデル・モタール氏は投票に行かなかった。「あのような必要条件が課せられれば、唯一当選可能なのはムバラクしかいない。他の候補に当選の可能性はまったくない」と述べた。

多くの人が、複数候補による選挙という概念が浸透するまでに5年ある2011年の次期大統領選を見据えている。

しかし、完全に公正かつ透明な選挙が実現されるまでには、大規模な改革が必要だ。

「NDPは依然として構造的に俄然優位な立場にある」と、キッチン氏は、与党の豊富な選挙資金源、広範に及ぶ党支部網、そして司法制度や報道機関への影響力を列挙して指摘する。「こうした優位が最終的に解消されないかぎり、信頼できる野党候補の擁立は不可能なままに終わるだろう」。

 アブ・サーダEOHR会長も、2011年に完全に公正な選挙を実現するためには、憲法のさらなる修正が必要と、同意見である。「第76条(複数政党制選挙の規則を定める憲法条項)にまだ重大な問題がある」と述べ、真の競争を阻害する現行の規定として、250人の署名要件と、合法政党の党員しか立候補できない規定を例に挙げた。

アブデル・モタール氏は、「2011年はまだまだ先の話。まったく仮想の質問をするというのも難しい」とし、今後5年間、地域や国際的な外圧が現在の改革に向けた政治動向をおそらく左右することになるだろうと語った。(原文へ


 
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村民、政府の平和合意を待望

【タンセンIPS=マーティ・ローガン】
 
パルパ西部の村民は、毛沢東派共産ゲリラが9月3日に発した停戦宣言以来、同共産反乱軍と政府軍の銃撃、深夜に一軒、一軒民家のドアを叩いて行われる反乱軍による徴兵、旅行者に対する資金の強要はなくなり、生活は以前より改善されたと言う。

しかし、彼らは、「政府も停戦に合意すれば、なお良くなるだろう」と付け加えるのを忘れない。このネパール西部の丘陵地帯の晩夏は、たとえ北のアンナプルナ山脈が遅いモンスーンの雲で霞んでいても、息を呑む程に美しい。エメラルド・グリーンの水田は、小さな谷に輝き、雲が切れると、灼熱の太陽が現れる。

ブディコット村に続く轍が刻まれたゴツゴツした道に、傘をさしてヤギや牛を追う村人を多く見かける。地元の学校では、校長のJagarnath Sharma氏が、大きく枝を張ったインド・イチジクの木陰に敷かれたゴザに座っている。

 校長は、「この地域は、反乱軍の主要ルートから外れているため、10年に亘る紛争に巻き込まれることはなかった。しかし、数ヶ月前、毛沢東派共産ゲリラに変装した5~6人の政府軍兵士が村に入ってきた時、ちょうど反対側から反乱兵2人が自転車に乗ってやってきた。銃撃戦の結果、反乱兵の1人が死亡し、もう1人は怪我をして逃げていった」と説明した。

また、「停戦宣言の後、この様なことは起こっていない。そうでなければ、大きな戦闘となっていただろう。皆、双方が武器を捨て、平和になることを願っている」と語った。

これまでにも、ホリデー・シーズン前になると停戦を要求する声が上がっていたため、停戦(宣言)は予想されないことではなかった。しかし、関係者は、今回の特徴は、反乱軍がギャネンドゥラ国王の国連総会出席の数日前に発表を行った点にあると指摘している。

2月1日の無血クーデターにより政権を獲得した国王は、世界のリーダーを前に、ネパールのテロ戦争に対する継続的支援を要請すると見られていた。そのため、反乱軍は、政府が信頼できないとして受入を拒否した和平を宣言したのである。

それ以来、首都カトマンズでは連日政治デモが繰り広げられ、機動隊による厳しい鎮圧が行われた。催涙ガスは小学校に流れ込み、女性活動家は逮捕の際に屈辱を、学生リーダーは拷問を受けたという。

9月23日には、禁止区域でデモを行った80人のジャーナリストが逮捕された。また9月22日には、87人の学者、290人の活動家が、数時間後には釈放されたものの、収監されている。
 
 先週同国を訪れた国連専門家は、「ネパール刑務所では、組織的拷問が行われている」との報告を行っている。国連の拷問特別調査官マシュー・ノバック氏は、「警察、軍担当者は、拷問は、特定の場合には認められるもので、実際、組織的に行われていると語った」と語った。

同氏は、記者会見において、「政治犯は、柱に逆さに括り付けられ、竹竿で叩かれる、長時間目隠しされ手錠をかけられるなどされてきた。毛沢東主義者(反乱軍)もお金を強要するため、また協力を拒む者に対し拷問を行ってきた」と語った。

パルパと観光地ポカラの間の鬱蒼たる林をくねくねと走る細い高速道路で、ジープの運転手をしているTシャツ姿の若いドライバーは、毛沢東主義者や警察、兵士が旅客車輌に停止命令を出している」と語った。

また、「一般に、反乱軍は、任務についている時は礼儀正しく、料金は払うし、特別な扱いは要求しない。兵士については、自分は脅かされたことはないが、運転手の中には毛沢東主義者を乗せたといって、殴られた者もいる。停戦宣言後も、反乱兵士は、ジープやバスの運転手に“献金”を要求しているが、自分は払ったことはない」と語っている。

市民団体代表は、一方的な停戦宣言の違反を追跡するため、監視委員会を設立した。既に地元メディアは、9月3日以来の事件を報道。「遠隔地では、反乱軍の行動に何の変化もない」としている。

パルパの村々で活動しているNGOは、女性、Dalitと呼ばれる所謂被差別階層、原住民に対し公正な扱いをする社会を設立するために戦っているのだと主張する反乱軍に監視されている。

市民を中心とする約13,000人が、激しさを増す国内紛争で死亡。インドと中国にはさまれたこの小国の3/4で市民生活は混乱に曝されている。

ブディコットから、林を迂回する細い道を下り小さなとうもろこし畑を越えて20分の所にあるChandraban Ratmata村のある家に数人が集まっていた。あるNGOメンバーは、「以前は、問題が多かったが、今は何処へでも行けるから安心だ。」と語った。

彼女は、今年初め、訓練集会に参加するため東パルパに行った。同じ学校で開かれた別の集会に、約5,000人の毛沢東主義者が集まっており、NGOの集会について、何故それをするのか、何の利益があるのか、誰が資金を提供しているのかとうるさく質問され、やっと会場に行くことを許されたという。

パルパの首都タンセンにある地元赤十字のBaburam Karki氏は、IPSの質問に答え、「人々は皆満足している。安全に場所の移動ができると感じている。停戦前は、生活が悪くなるばかりだった。市民全体の生活に悪影響を及ぼしていた」と語った。

しかし、Yog Prasad Bhattarai氏は、反乱軍の銃撃が一時的に収まっても、明るい未来が来るとは信じていない。乾物屋を営む同氏は、高速道路から数メートル離れた店の丸イスに腰掛け、「停戦発表後も仕事はさっぱりだ。電話も通じない」と語った。(政府軍が、国王の政権奪回を優位に運ぼうと、2月1日に全国の電話線を切ってしまったのだ。)

彼と近所の人々は、地区代表として、地方政府、軍など多くの機関に掛け合いに行ったが、皆口を揃えて4~5日で開通すると答えたものの、何の変化もない」と言う。

地元銀行は、村を去ってしまい、警察も移動してしまった。Bhattarai氏は、「平和が回復されなければ、次は自分が去る番だ」と言う。しかし、28年間店を経営していた彼は、何処へ行けば良いのか。農業をしに畑へ帰るのか。彼は“何処か別の所”というように肩をすくめた。(原文へ

翻訳=IPS Japan