【ベオグラードIPS=ヴェスナ・ペリッチ・ジモニッチ】
「産んだ時、私は娘の顔など見たくもなかった。……でも翌日、その子をこの胸に抱いた時、この世でただ一つ、かけがえのない美しい存在だと思えた。そして私は、その子を手放さず、自分の手元で育てることにした。」
サラエボ出身の若手映画監督ヤスミラ・ジュバニッチの作品『グラバビツァ』で、ボシュニャク人のウエートレス、エスマは、13歳になる反抗的な娘サラを育ててきた経緯をそう語る。この作品は、ベルリン国際映画祭で最優秀作品賞にあたる金熊賞を受賞した。
元医学生だったエスマは、1992年、ボスニア紛争下のサラエボで、グルバビツァ地区の自宅にいたところをセルビア人兵士に暴行され、妊娠した。だが彼女は、娘サラに対し、父親はボシュニャク人のイスラム教徒で、サラエボを守って命を落とした「シャヒード(殉教者)」だったと語ってきた。
恐るべき真実が明らかになるのは、サラが学校の遠足費用の免除を受けるため、父親の死亡証明書を必要とした時である。母娘は打ちのめされ、激しくぶつかり合う。しかし、深い苦悩のなかで、再び互いの絆を手繰り寄せていく。
だが、現実のボスニアに映画のような幸福な結末はない。ジュバニッチ監督は、ベルリンで金熊賞を受賞した際、観客に向かって「ボスニアのレイプ被害者たちの苦しみは、決して終わっていない」と語った。
集団レイプの被害者たちは、家族や友人からさえ疎まれがちである。多くは、被害の事実が知られると偏見の目で見られ、社会から孤立させられてしまう。
レイプによって生まれた子どもたちの多くは、ボスニアや隣国クロアチアの孤児院に送られ、まれに養子に出されることもある。だが、その多くは自らの親について何も知らないまま成長していく。ボスニアのトゥズラ、ゼニツァ、クロアチアのウラジーミル・ナゾル、ゴリャクの各孤児院でも、子どもたちの出自やその後の行方は追跡されていない。
ジュバニッチ監督は3月6日夜、セルビアの首都ベオグラードで開かれた地元映画祭での上映後、「今回のベオグラードでの上映が、この悪循環を断ち切る始まりになることを願っている。というのも、この物語の土台は、実質的にはこの地でつくられたものだからだ」と観客に語った。
ベオグラードの支援を受けたボスニアのセルビア人勢力は、3年に及ぶ戦争の中で、独立を目指したボスニア側、とりわけイスラム教徒女性に対して、組織的なレイプを行ったとして告発されてきた。だがセルビアでは、この問題はいまなおタブー視され、そうした出来事自体を否定する空気が根強い。
人権活動家ナターシャ・カンディッチ氏はIPSの取材に対し、「この問題は、ボスニア戦争の真実を知るためにも、率直かつ誠実に向き合わなければならない論争的な課題だ」と述べた。そのうえで、「数字を操作しても、真実の解明にはつながらない」と指摘した。
戦時下のボスニア政府が1993年にまとめた文書では、レイプ被害者の数は2万~5万人とされている。そこでは、レイプは「人間の尊厳を最も恥ずべき形で踏みにじる屈辱的な暴力であり、セルビア人の侵略政策そのもの」であると記されていた。
一方、欧州連合(EU)主導の委員会や国連(UN)の報告書など、国際機関による推計は大きく食い違っている。EUは1993年に被害者数を2万人としたのに対し、1994年の国連報告書は150人未満としている。この国連報告書の数字は、ボスニア紛争における残虐行為を否定するセルビア人民族主義者によって、しばしば引用されてきた。
旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所(ICTY)は、1992年にボスニア東部フォチャでイスラム教徒女性を収容した施設におけるレイプ犯罪について、ドラゴリュブ・クナラツ、ラドミル・コヴァチ、ゾラン・ヴコヴィチの3被告に対し、計60年の禁錮刑を言い渡している。
だが、年月がたつにつれ、この問題は脇へと追いやられていった。数字だけが都合よく引用され、被害者たちは忘れ去られてきたのである。
被害者たちの過酷な現実については、セアダ・ヴラニッチが著書『Breaking the Walls of Silence(沈黙の壁を破る)』で詳しく描いている。ヴラニッチは、その中で、報告されるレイプは10件に1件にすぎないとみている。
また、ボスニア中部のNGO「メディカ・ゼニツァ」は、1997年5月の調査で、レイプ被害者の1~4%が妊娠したと報告している。
サラエボの「危機にさらされた人々のための協会」の代表ファディラ・メミシェヴィッチ氏は地元メディアに対し、「女性たちは二度被害者になる。レイプされた時と、その後に忘れ去られた時だ」と語った。
ボシュニャク系メディアがこの問題を本格的に取り上げ始めたのも、『グラバビツァ』がベルリン映画祭で受賞して以降のことだった。メミシェヴィッチ氏はクロアチア紙『ヴェチェルニ・リスト』の取材に対し、「この問題は今後、一気に噴き出すだろう」と述べたうえで、「私は毎日のようにレイプ被害者やその子どもたちに会っているが、子どもに真実を打ち明けた母親は一人もいない。ここで社会が役割を果たすべきだが、ボスニア社会は明らかにその準備ができていない」と語っている。
さらに同氏は、母親たちにこの問題への向き合い方を助言できる心理学者のチームも存在しないと指摘する。
「労働・社会福祉省は、こうした出自を持つ子どもが何人いるのかさえ把握していない。しかも、母親も子どもも社会的ケアの対象とは見なしていない」とメミシェヴィッチ氏は語る。「昨年、そうした子どもたちの名簿を作ろうとしたが、結局断念せざるを得なかった。」
サラエボの信頼できる情報筋によれば、国連児童基金(ユニセフ)は昨年7月、ボスニアで戦時レイプによって生まれた子どもたちに関する報告書の作成を委託した。こうした子どもたちに焦点を当てた初めての試みだったが、その報告書は理由が明らかにされないまま公表されなかった。
結局のところ、戦時中の残虐行為が広く知られるようになった後も、性暴力の被害者たちの多くは、なお深い孤立の中に置かれている。国家に見捨てられた彼女たちは、心の深い傷だけでなく、貧困にも苦しんでいる。
社会から疎外され、夫に見捨てられることも多く、安定した仕事を得られる人も少ない。悪夢、身体的損傷、精神的不調といった苦しみが今なお続いているにもかかわらず、補償を受けた人はごくわずかにとどまる。
「現実の世界には、『グラバビツァ』のようなハッピーエンドはないのです」とメミシェヴィッチ氏は語った。(原文へ)
翻訳=IPS Japan 浅霧勝浩