地域アフリカ|ケニア|取り残された大地と虐殺事件の余波

|ケニア|取り残された大地と虐殺事件の余波

【ナイロビIPS=ダレン・テイラー】

彼は自分を、世間知らず(特に「女性と神のなせる業」について無知な)老人だという。しかし、このしわくちゃのボラナ族長老フカ・カンチョロは、ケニア北部マルサビット(Marsabit)地域では有力者である。何故かといえば、彼は、日照りと飢饉が続く過酷な砂漠地帯にある唯一の水源を中心とする直径60kmに及ぶ地域を支配しているからである。

老人は、昔を懐かしむように、「何年も前に、この両手でこれ(=水源)を掘ったんだ」と語る。この井戸は、サク山(緑の山の意:IPSJ)にあり、最近まで、同地域に住むレンディレ、ボラナ、ガブラ、トゥルカナ族といった様々な部族の集会地となっていた。

Huka Kanchoro, at his waterhole in Marsabit district. Credit: Darren Taylor
Huka Kanchoro, at his waterhole in Marsabit district. Credit: Darren Taylor

しかし、状況は変わった。

カンチョロ老人は、「皆に水を分けてやれるのは嬉しい。しかし、今ここにいるのはボラナ族だけになってしまった。他の者、特に我々の兄弟であるガブラ族はいなくなってしまった。トゥルビ村虐殺事件のせいで、ここに住む者は皆怯えている」と言う。

7月12日、約100人のガブラ族(殆どが女性と子供であった)が、マルサビットのトゥルビ居住区でボラナ族により殺害されるという事件が起こった。同事件は、ケニアが英国から独立した1963年以来最悪の部族間抗争といわれている。しかし、カンチョロ老人は、過去にも数百人の人々があたかもヤギを屠殺するかのごとく惨たらしく殺された事件を数多く憶えている。

トゥルビ事件の生存者は、「カラシニコフ銃、手榴弾、斧、槍などで武装したボラナ族の数百人の男たちが、ガブラ族の村人をできるだけ多く虐殺する意図を持って村に侵入し、手当たり次第に村人を殺害していった」と語っている。

トゥルビ村の生存者であるジロ.マモは、「村を襲ったボラナ族の男たちは互いに『ガブラの犬畜生を殺せ』と口々に叫んでいるのを聞いた」と証言している。もう一人の生存者フセイン・オダアは、どもりながら「ボラナ族は、我々の牧草地と僅かな水場を奪おうと襲撃したのだ。この土地が彼らの土地よりも肥沃だから、我々を追い出そうとしたのだ」と説明した。

皮肉なことに、ガブラ族とボラナ族は、当地の乏しい資源を巡る他部族との闘争で、昔からしばしば同盟関係を結んできた仲である。また両部族は、同じ文化(エチオピア国境に住むオロモ族の文化)を共有し、同じ言語を話している。

モハメッド・アブディは、マルサビットの近くの萎びた野原で草を食む自慢の牛の群れの中に立ち、「ボラナ族とガブラ族の唯一の違いといえば、ボラナ族が家畜を好むのに対し、ガブラ族がラクダを好むといった点くらいである」と言う。しかし、トゥルビ村の虐殺事件は、このような両部族の長年にわたる信頼関係に深刻な亀裂を生んだ。

今日、サク山の井戸(カンチョロ老人のボラナ族の村)では、村人は明らかに(ガブラ族の報復を恐れて)怯えて暮らしている。女性達は小グループを作り、見知らぬ者が近づくと、警戒の目を走らせる。皆、小声で話し合い村人の表情から笑顔は消えうせている。

村人のアダン・フリは、「ここはボラナ族の村ですから、ガブラ族がこころ標的にして復讐するのではないか心配です。我々ここの村人は、ガブラ族の人々に対しては、トゥルビ村でおこったことについて心から同情しています。その虐殺事件が本当にボラナ族の者たちによってなされたものであるとしたら本当に恥ずべきことだと思います。しかし我々は、ボラナ族全員が、あの様な恐ろしいことをしたのではないということをガブラ族の人々には知って欲しいのです」と語った。

このようなサク山住人の心配には根拠がある。トゥルビ村の虐殺に関するニュースが広まるにつれ、激怒したガブラ族の一部暴徒達が、カソリック神父が運転する車からボラナ族10人を引きずり降し、斧でめった切りにするという事件が実際に起こっているからである。

トゥルビ村虐殺事件の真相については、同村を含む地区選出の国会議員であるボヤナ・ゴダナ氏の様に、事件はエチオピアから侵入したオロモ解放戦線(Oromo Liberation Front:OLF)の仕業という者もいる。

ゴダナ氏は、その点に関して「トゥルビ村の襲撃には高度な武器が使用され、あたかも軍事作戦かのような緻密な計画に基づき組織的に実行されたふしがある。とても放牧に勤しむ少数の(一般のボラナ族の)者達にできる仕業とは思えない。しかもOLFが、ガブラ族が彼らの戦いに参加する意思がないと怒っていたのは、周知のことだ」と語った。

OLFは1993年、エチオピア南部に住むオロモ族の自治独立を目指し、エチオピア政府に対するゲリラ戦を開始した。ガブラ、ボラナ族の一部も、ケニア北部国境を越え、同戦いに参加している。

ケニアの部族を研究している民俗学者P.ゴールドスミス氏は、ゴダナ氏の主張を裏付ける確たる証拠はないが、あながち否定もできないとしている。同氏は、「事件に先立ち、ケニア国内のガブラ族は、エチオピア政府を支持しているとの批判があった。これが、OLF親派のボラナ族によるガブラ居住区襲撃を引き起こし、ガブラ族はそれに同様の報復で応じた。そしてそれがトゥルビ村の虐殺へと繋がっていった」と語っている。
 
 ケニア北部のOLF支援者と名乗るディマ・グヨは、「OLFに加入しているボラナ族は少なくない。ここはケニア領だが彼らは自分たちをケニア人と思っていない。なぜならボラナ族は血縁的にオモロ族と関係があるため、ここの人々は、ナイロビで何が起こっているかより、(オモロ族の自治・独立を目指す)OLFにより関心がある」と語った。

しかしケニア政府スポークスマンのアルフレッド・ムトゥア氏は、この考えを否定している。「これはケニア国内の問題であり、責任の所在を他所(=隣国エチオピア国内)に求めるべきではない」と語っている。

また、フィド・エッバOLF代表も、トゥルビ村虐殺にOLFが関与したとする説を否定している。同氏は、IPSのインタービューに応じ、「OLFはトゥルビ村虐殺事件には一切関係ない。我々の戦いは、残忍なゼナウィ政権(エチオピアのマンレス・ゼナウィ首相:IPSJ)と彼の秘密警察に対するもので、ガブラ族であろうとなかろうと、ケニア国内の如何なる部族も攻撃対象にしていない」と語った。

同氏はまた、OLFがケニア国内で兵士を募っている事実はないとして、「OLFの戦いは、エチオピア国内の戦いである。ケニア国内のオモロ族は我々の兄弟ではあるが、我々はケニアの統治権を尊重し、ケニアを我々の戦いに引きずり込む考えはない」と語った。

これらとは別に、トゥルビ村虐殺事件の真の原因は、ケニア北部の開発の遅れにあるとの見方もある。独立後、ケニア政府は、植民地支配の影響から脱する努力を行ってきたが、北部は完全に無視してきた。

マルサビットの病院は、数十万の患者に医師一人という状態である。電話も電気も殆どなく、道路はそれらしきものがあるところでもひどい状態である。その結果、住民は、他の地方と隔絶されている感じている。地元住民は、この北部地域を訪れる者に対し、「ケニアはどうですか?」とよく質問するが、これ自体、(ケニア政府が重視してきた)中央・南部地域と(取り残された北部の間)の溝を表す際立った表れである。

マルサビットのペンテコスタ派牧師アビヅバ・アレロ氏は、「我々は、自国にいながら亡命者のように感じている」と語った。

グヨ氏(前述のケニア北部のOLF支援者)も、「政府は、この地域の生産性はゼロと考えている。従って、『国に貢献していない者達に、どうして政府が面倒をみないといけないのか』というのがケニア政府の言い分だ」と語った。

この北部地域の開発が無視されてきたように、民族間の緊張もケニア政府に無視されてきた。トゥルビ村虐殺事件を受けて、政府軍も遅ればせながら、装甲車や重装備の兵士によるパトロールを行っているが、(これは一時的なもので)彼らは常駐しはしない。

ケニア政府は、紛争地域に治安部隊を常駐させる代わりに、「ホーム・ガード」と呼ばれる地元民を警戒に当たらせているが、彼らには、原始的ともいえる武器しか与えられていないのが現状である。

ホーム・ガードのバラロ・ボイは、「我々には単発式のライフルしか支給されていない。これでカラシニコフ(AK-47s)を持った襲撃者とどの様に戦えというのか」と語った。

トゥルビ村虐殺事件の3週間前、ケニア北部地域の牧師及び議員が、ケニア政府に対し、民族間の緊張が高まっていると警告していた。しかし、その際もケニア政府は彼らの警告を無視した。

アレロ牧師は、「この無関心は、政府役人の同地域に対する無関心を表すもの。彼らは、キクユ族といった他部族出身者で、我々の生活習慣を理解できないのだ」と語っている。

2002年末に、モイ長期政権を倒し大統領に就任したM.キバキ氏は、今年初め、北部ケニアを訪問し、政策変更を約束した。ムバキ政権の道路・公共事業・住宅担当R. オディンガ大臣も、北部住人が最も必要としている国内他地域との連結を可能とするケニア中央のイシオロからエチオピア国境のモヤレまで500kmの道路をタール舗装する旨明らかにした。

しかし、キバキ大統領、オディンガ大臣の公約を信じる者は殆どいないのが現状である。ライサミス交易所のある村人は、「どうやって信じろというのだ。オディンガ大臣は飛行機に乗ってやって来た。たとえ短い距離でも、車で来たなら、我々の苦労がわかった筈だ。彼は話をしに来ただけで、帰った後何も起こってはいない、何もだ!」と語った。

砂地に積み重ねた木材を売っている別の商人は、「いいや、変わった物もあるよ。道路だよ。道路の状態は以前よりさらに悪くなった」と語った。(原文へ
 
翻訳=IPS Japan

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