Error 404 - not found
We couldn't find what you're looking for. Browse our latest stories or try searching using the form below:
Browse our exclusive articles!
|ウズベキスタン|ナウルズに響く文化のモザイクと若者たちの旋律
【タシケントINS Japan/London Post=グルミラ・シュクロワ】
きょう、ウズベキスタン・ジャーナリズム・マスコミュニケーション大学に春が訪れ、私の心もまた春の息吹に包まれた。キャンパスでは、「ナウルズの精神とアミール・ティムール帝国の文化」をテーマに、華やかな祝祭が繰り広げられた。しかし、それは単なる催しではなかった。祖国と伝統、春とそれを慈しむ大地、そして訪れるすべての人々とウズベク文化の時を超えた美しさとの間に生まれた、愛に満ちた出会いであった。
そこで展開されたのは、単なる集会ではなく、誇りに胸を震わせる、生きた伝統の織物であった。教員と学生たちは大学を壮大な文化の祭典へと変え、20を超えるパビリオンがそれぞれ異なる民族の文化を紹介した。きらめく絹の民族衣装から、伝統料理の素朴で芳醇な香りに至るまで、キャンパスのあらゆる場所が物語を語っていた。情熱と誇りをまとった学生たちは、古来の風習、貴重な工芸品、春の空気に響き渡る民俗芸能を来場者に紹介する、いきいきとした語り部となった。糸の一本、香辛料の一粒、旋律の一つひとつが故郷をささやくようで、私はこの国への愛に胸を締めつけられる思いがした。
祭典には、外国大使、国際的な来賓、ウズベキスタン高等教育・科学・イノベーション相、政府関係者、メディア関係者、そして大勢の意欲あふれる学生たちが集った。参加者は、演劇的な寸劇、手仕事による装飾、歴史のページから立ち上がってくるような旋律で彩られた、多彩な展示の間を巡った。なかでも私の心を最も動かしたのは、若者から年配者まで、私たちの人々が自らのルーツをこれほど誇らかに受け止めている姿であった。ほほ笑みの一つひとつ、刺繍の施された袖の一枚一枚、古くから伝わる歌の一節一節に、心を奪われずにはいられなかった。
大学そのものが春への詩となり、私はその空気にさえ恋をしている自分に気づいた。創造的な活気は人々に伝わり、キャンパスはまさに文化のモザイクとなった。それは多様性の祝祭であると同時に、調和の祝祭でもあった。穏やかなナウルーズの陽光の下で、民族間の結束、寛容、共有された価値は、単なるスローガンではなく、人々が実際に生きる現実としてそこにあった。この大地に生まれた者として、私は涙が込み上げるほどの祖国への誇りを感じた。これがウズベキスタンである。多くの心が一つに鼓動し、あらゆる文化が大切な客人として迎えられ、春が単なる季節ではなく、帰郷のように訪れる国なのである。
この集いは、祝日の楽しいひとときにとどまらず、人々に愛される伝統へと育ってきた。共同体の絆を強め、春の真の魔法は再生と連帯にあることを、すべての人に思い起こさせるものである。深紅のベルベットのドレスをまとった若いウズベクの少女が、外国からの来賓に優雅に茶を差し出す姿を見たとき、私の胸は温かな愛おしさで満たされた。学生たちが伝統的な帽子を年配の教授の頭にそっと載せると、教授が涙をぬぐう姿もあった。合唱団が5つの言語でナウルーズの歌を歌うのを聞きながら、私は祖国を愛するとは何かを理解した。それは旗や演説ではない。こうして静かに、喜びとともに、自らの文化遺産を分かち合うことなのだ。
古代の旋律の胸に迫る響きから、料理を囲む人々の笑い声まで、この催しは幾世紀もの時をつないだ。ナウルーズの華やぎとアミール・ティムール帝国の不屈の精神は、現代と見事に溶け合い、すべての来場者に忘れがたい記憶を残した。そして、喜びをもって祝われる文化こそが、平和の最も真実な言語であるという静かな理解をもたらした。
しかし、私にとって、それはさらに深い意味を持っていた。人々の中に立ちながら、私はそれを愛の宣言として受け止めた。春への愛、伝統への愛、きらめく衣装をまとう少女たちへの愛、ドゥタールを奏でる少年たちへの愛。そして何より、ウズベキスタンへの愛である。この国は、美と愛国心が別々のものではなく、同じ一つの鼓動であることを私に教えてくれた。
太陽が屋根の向こうへ沈み、最後のパビリオンが敷物をたたむ頃、私は満ち足りた心でその場を後にした。そして、この愛をいつまでも抱き続けようと、静かに心に誓った。なぜなら、この祭典は単なる一日ではなかったからである。それは、ウズベク人であるということは、春に、人々に、そして魂を躍らせるほど豊かな文化に恋をして生きることなのだと、改めて思い出させてくれる一日であった。(原文へ)
INPS Japan
関連記事:
アスタナのナウルズ舞踏会、外交・伝統・再生を鮮やかに体現
闇に対する光の勝利を祝う
タジキスタン探訪:未踏の自然美と文化遺産を解き明かす旅
NPTの信頼性が重大な試練に
中満氏、核リスク高まる中で警告
【国連本部INPS Japan/ATN=アハメド・ファティ】
世界の核秩序を支えてきた基本的な取引が、強い圧力にさらされる中、再び外交の場で問われようとしている。今回は、NPT体制を維持するだけでは十分ではないかもしれない。国連軍縮担当上級代表の中満泉氏は各国に対し、来る第11回核兵器不拡散条約(NPT)運用検討会議を真剣かつ慎重に受け止めるよう促し、核の危険がいっそう現実味を帯びる中で、NPTは国際安全保障にとって極めて重要であると警告した。|英文版|
同会議は4月27日から5月22日まで、ニューヨークの国連本部で開かれる予定である。締約国は、半世紀以上にわたり核秩序を形づくってきた同条約の運用状況を検討する。国連事務次長で軍縮担当上級代表の中満氏は、NPTを「国際的な軍縮・不拡散体制の礎」であり、「国際平和と安全の重要な柱」だと述べた。
こうした表現は、国連の軍縮外交の場ではおなじみのものだ。問題は、条約を取り巻く世界が、もはやかつての姿ではないことにある。
前回のNPT運用検討会議では、コンセンサスによる最終文書の採択に失敗した。それ以降、世界の安全保障環境はさらに厳しさを増している。戦争は脅威認識を塗り替え、核をめぐる言説が公の場で再び目立つようになり、軍備管理の枠組みは弱体化しつつある。核兵器国が核戦力の近代化を続ける一方で、多くの非核兵器国は、NPTの基本的取引を成す軍縮の約束が本当に守られているのか、疑問を強めている。
中満氏は締約国に対し、「集団的責任を極めて真剣に受け止める」こと、そして「誠意をもって協議に臨む」ことを求めた。そのうえで、同条約は核兵器国と非核兵器国の双方に「かけがえのない利益」をもたらしていると強調した。
中満氏の訴えは、単なる手続き上の呼びかけにとどまらない。そこには明確な政治的意味が込められていた。
NPTは三つの柱の上に成り立っている。核兵器の拡散を防ぐこと、核軍縮を進めること、そして保障措置の下で、原子力を平和的に利用する権利を守ることである。この均衡は、常に信頼を必要としてきた。非核兵器国は、保有・取得できるものについて制限を受け入れる。核兵器国は、軍縮を追求することを約束する。そしてすべての締約国は、原子力技術の平和利用による恩恵を共有することになっている。
しかし、この均衡はいま、目に見える形で緊張にさらされている。
多くの非核兵器国にとって、不満は明白である。非核兵器国には厳格な不拡散義務の履行が求められる一方、核兵器国は核戦力の近代化計画を正当化し、軍縮については、進展があるとしても極めて慎重で、ほとんど動きが見られない。これに対し、核兵器国とその同盟国は、今日の安全保障環境では急速な軍縮は現実的ではなく、抑止、安定、リスク低減を重視せざるを得ないと主張する。
中満氏は、核兵器国には特別な責任があると認める一方で、非核兵器国の安全保障上の懸念を軽視することはできないとも述べた。「核兵器をめぐって問われているのは、核兵器国の安全保障だけではなく、国際社会全体の安全保障である」と中満氏は語った。
この問題は、2026年の会議における中心的な論点となる。
もはや焦点は、外交官たちが再び各国の立場に配慮した文書をまとめられるかどうかではない。真の試練は、核兵器が再び国際政治の中心に戻りつつあると見る国々の間で、NPTが政治的信頼性を維持できるかどうかである。
中東は、この議論の中で最も敏感な争点の一つとなる。イランの核計画をめぐる緊張は未解決のままであり、中東に核兵器その他の大量破壊兵器のない地帯を設置するという長年停滞してきた目標は、地域安全保障、不拡散、そして二重基準への批判が絡み合う問題であり続けている。
中満氏は、イランは引き続き運用検討会議に参加する意向を示していると述べた。イラン政府の高官が代表団の一員として登録されていることにも言及した。「イラン政府から、これに反する連絡は受けていない」と中満氏は述べ、週末には、最終的に誰がニューヨークでテヘランを代表するのかが明らかになるとの見通しを示した。
イランの出席は重要である。同時に、他の国々が中東をめぐるより広範な問題をどのように位置づけるかも重要となる。長年にわたり、アラブ諸国や非同盟運動の加盟国は、中東に核兵器その他の大量破壊兵器のない地帯を設置するという目標の前進を求めてきた。この問題は、イランだけでなく、イスラエルの未申告の核保有状況や地域全体の安全保障上の不均衡とも関わっており、NPT外交を繰り返し複雑にしてきた。
したがって、2026年の運用検討会議は、複数の面で信頼性を問われながら幕を開けることになる。NPTは今なお不可欠な枠組みとして広く擁護されている。しかし、それを支えてきた政治的条件は揺らぎつつある。
中満氏は記者会見で、NPTが「空洞化」することを許してはならないと警告した。そのうえで、同条約の権威は、条約上の義務と政治的信頼性の双方を維持できるかどうかにかかっていると述べた。運用検討会議は、ウクライナでの戦争、イラン核計画をめぐる緊張、米ロ間に残る最後の主要な核軍備管理枠組みである新戦略兵器削減条約(新START)の将来をめぐる不確実性を背景に始まる。中満氏は、再び成果文書を採択できない事態を避けるには、各国が柔軟性と真摯さを示す必要があると指摘した。
これが、27日の開幕に影を落としている現実である。
国連にとって、NPT運用検討会議は単なる外交会合ではない。不信が国際政治の常態となった時代に、各国がなお共通の核秩序を守ることができるのかを問う試金石である。
核兵器国には、軍縮義務がなお信頼に足るものであると示せるかどうかが問われる。非核兵器国には、自らが受け入れた取り決めが、なお公平性、安全保障、抑制をもたらすものなのかが問われる。中東には、長年の約束が新たな危機を乗り越えられるかどうかが問われる。
NPTは崩壊しているわけではない。しかし、いま厳しい試練にさらされている。
27日にはじまるニューヨークで成功の尺度となるのは、代表団が体面を保てるかどうかではない。問われるのは、核リスクが再び国際政治の現実として語られる世界において、同条約が核の危険を低減するに足る政治的重みをなお備えていると証明できるかどうかである。
This article is brought to you with permission...
骨折も出血もなければ犯罪ではない
タリバン新刑法が女性への暴力をどう扱うか
筆者は、タリバン復権前にフィンランドの支援を受けて研修を受けた、アフガニスタン在住の女性ジャーナリストである。安全上の理由から氏名は伏せられている。
【カブール IPS=匿名】
タリバンは、女性と子どもに対する家庭内暴力を事実上合法化する新たな法律を発表した。アフガニスタンの最高指導者ムッラー・ヒバトゥラー・アクンザダは1月、新たな刑法を導入する布告に署名した。この刑法は3部、10章、119条で構成され、暴力を合法化し、社会的不平等を制度化するとともに、奴隷制への回帰として広く非難される懲罰的措置を盛り込んでいる。
「これらの法律は、女性に対するさらなる攻撃であり、人権を露骨に侵害するものです」と、アフガニスタン国内で活動する女性の権利活動家ミトラさん(プライバシー保護のため仮名)は語る。
この法律は、複数の団体やメディアによって外部に漏れ、公にされた。人びと、とりわけ女性たちは衝撃を受けている。しかし、行動を起こすことも、声を上げることもできない。新刑法の下では、タリバン支配に反対したり、否定的に語ったりすること自体が犯罪とみなされ、刑事罰の対象となり得るからだ。
タリバン刑法第32条によれば、夫には妻や子どもを身体的に「しつける」権利が認められている。骨折がなく、目に見える出血もなければ、男性の行為は犯罪とはみなされず、刑事罰も科されない。
たとえ女性への暴力によって目に見える傷や骨折が生じたことが法廷で証明されたとしても、男性に科される刑罰は最長15日の禁錮にとどまる。
このタリバンの法律は、家庭内暴力を事実上合法化し、女性が司法に訴える道を閉ざすものとなっている。
また、同刑法第34条によれば、女性が夫の許可なく繰り返し父親の家や親族を訪ね、夫の家に戻らない場合、その女性と家族の双方が犯罪を犯したとみなされる。刑罰は最長3カ月の禁錮である。
新法の下では、妻が夫に従わない場合、夫には暴力によって妻を罰する権利が認められている。
このタリバンの布告は、脅迫や家庭内暴力に直面している場合であっても、女性にあらゆる状況で家にとどまることを強いるものだ。女性はもはや、自分の実家に身を寄せ、保護や避難を求めることさえできない。
人権団体ラワダリの文書によれば、タリバン刑法は2026年1月7日、ムッラー・ヒバトゥラー・アクンザダによって署名され、その後、施行のため各州の司法機関に配布された。
タリバンが出す布告は通常、司法機関の内部で秘密裏に保持され、一般市民にはモスクや地域の長老を通じて伝えられる。市民がその内容を知るのは、メディアや人権団体が文書を入手し、公表した場合に限られる。
タリバン支配の下で、アフガニスタン社会は事実上4つの階層に分けられている。犯罪に対する処罰は、犯罪そのものの性質ではなく、加害者の社会的地位によって左右される。
最上位に置かれるのは宗教学者であり、彼らには刑事罰ではなく、助言や注意が与えられるにとどまる。
次に位置づけられるのは、支配層に属する有力者たちである。村の長老や裕福な商人などがこれに含まれる。彼らには軽い処罰基準が適用され、通常は禁錮刑を免れる。
中間層にはより厳しい処罰が科される。そして最下層に置かれる人びとには、公開むち打ちや過酷な禁錮刑が科される可能性がある。
新法はまた、「自由人」と区別する形で、奴隷を指す用語も用いている。アフガニスタンでは1923年に奴隷制が公式に廃止された。しかし新刑法の下では、人を奴隷のように扱う考え方が再び通常の慣行として位置づけられている。
たとえば、主人には従属する者をしつける法的権利があり、夫には妻をしつける権利があるとされる。これは、法の下の平等という原則を事実上解体するものだ。
ミトラさんは、これらのタリバン法は女性に対する明白な攻撃であり、あらゆる人権を侵害していると指摘する。こうした規則の施行によって、タリバンは女性を家の中に閉じ込め、どのような虐待にも沈黙して耐えることを強いているという。
「タリバンが第32条と第34条に記した内容は、身の毛がよだつものです。タリバンは女性を性的対象としてしか見ていません。これらの法律は、女性に対するあらゆる形の暴力を正当化するものです。女性は正義を求めることも、父親や兄弟の家に避難することもできません。実質的には、家庭内暴力の重圧の下で、女性を公式に監禁するものです」と、ミトラさんは語る。
これらの規定は、十分な議論もなく起草され、社会的な議論も国民の関与もほとんどないまま施行された。その存在が明らかになったのは、人権団体ラワダリが法律文書を入手し、パシュトー語のウェブサイトで公表したためである。署名後まもなく、同法はタリバンが運営する裁判所で処理されるよう、各州に送付された。
バダフシャン州ラーグ地区の住民マリヤムさんは、タリバンの法律が地元のムッラーによってモスクで告知されると、直ちに地区や村で施行され、すべての事件がその規則に基づいて裁かれると指摘する。
「私たちの村では、ほとんどの人が読み書きできません。教育を受けている人や女性の権利について知っている人でさえ、恐ろしくて何も言えません。たった一言でも口にすれば、地元の人びとがその人に敵対し、問題が起きます。女性たちはほかに選択肢がないため、夫の言うことを何でも受け入れざるを得ません」と、マリヤムさんは語る。
タリバンがアフガニスタンを掌握して以来、同勢力は人権を一貫して侵害する布告や法律を出し続け、女性を家の中に閉じ込めてきた。だが今回はさらに踏み込み、女性に対するあらゆる暴力に法的正当性を与えたのである。
ミトラさんは、すべての人権団体と国際社会に対し、タリバンのこうした行為に立ち向かい、女性たちが前時代的な奴隷制同然の制度に引き戻されることを許してはならないと訴えている。そして、世界がアフガニスタンの女性たちと連帯しなければ、彼女たちは取り返しのつかない状況に追い込まれ、深刻な人道危機に直面することになると警告している。(原文へ)
INPS Japan/IPS UN Bureau Report
関連記事:
沈黙か抵抗か―タリバン下で闘う若きアフガン女性テコンドー指導者
才能の浪費:タリバンの制約下で「適応」を迫られるアフガンの高学歴女性たち
国連に必要なのは「無難な人選」ではなく、勇気ある事務総長である
【ジュネーブIPS=ナイマ・アブデラウイ】
国際連合は、安逸のための組織としてつくられたのではない。必要不可欠な存在として創設されたのである。(第二次世界大戦という)破局的な惨禍の後に生まれた国連の使命は明確だった。国際の平和と安全を維持し、国際法を擁護し、人権を守り、人間の尊厳と発展を促進することである。
事務総長職もまた、単なる行政管理のために設けられたものではない。本来それは、道義的責任を担い、政治的決断を下し、必要なときには勇気を示す役職として構想されていた。
加盟国が次期事務総長の選出に臨む今、問われているのは国連の将来だけではない。国連という制度そのものの信頼性である。今日の世界に欠けているのは、制度の数ではなく、それを支える信頼である。
だからこそ、次の事務総長は慎重な官僚機構の管理者にとどまってはならない。いま世界に必要なのは、ビジョンと独立性、そして誠実さを備えた指導者である。たとえそれが有力加盟国の不興を買うことになっても、国連憲章を守り抜く意思を持つ人物でなければならない。
しかし現実には、誰にとっても受け入れやすいという理由で、誰にも本格的な異議を唱えそうにない候補が選ばれがちである。政治的には都合がよいかもしれない。だが、それは戦略的には近視眼的である。過度に慎重な事務総長は、短期的な外交上の安定を保つ一方で、長期的な制度の衰退を招きかねない。
国連に必要なのは、安全保障理事会における力関係を映す人物ではない。憲章の原則を体現する人物である。
加盟国が次期事務総長の選出に臨む今、問われているのは国連の将来だけではない。国連という制度そのものの信頼性である。今日の世界に欠けているのは、制度の数ではなく、それを支える信頼である。
だからこそ、次の事務総長は慎重な官僚機構の管理者にとどまってはならない。いま世界に必要なのは、ビジョンと独立性、そして誠実さを備えた指導者である。たとえそれが有力加盟国の不興を買うことになっても、国連憲章を守り抜く意思を持つ人物でなければならない。
事務総長職が、少数の有力国の意向に従って動いていると見なされれば、その役割は果たせない。この職において独立性は贅沢ではない。権威の源泉そのものである。
そして独立性には、誠実さが伴わなければならない。国連は、伝統的な意味での力をほとんど持たない。軍を指揮するわけでもなく、莫大な財政資源を掌握しているわけでもなく、国家に行動を強制することもできない。国連の最大の資産は正統性である。すなわち、個々の国家の利益を超えた価値を体現しているという信頼である。
その正統性は、事務総長個人の信頼性に大きく左右される。倫理的リーダーシップ、透明性、説明責任、一貫性―これらこそが、あらためてこの職を特徴づける資質でなければならない。
この点で想起すべきは、ダグ・ハマーショルドである。彼は、事務総長が各国政府の単なる秘書ではなく、国連憲章に仕え、ひいては世界の人々に奉仕する存在であることを理解していた。静かな外交と道義的勇気は相反するものではなく、むしろ両立することを彼は示した。
また、事務総長の権威は軍事力や経済力から生まれるのではなく、独立性、誠実さ、そして必要なときに行動する意思から生まれることも示した。
次期事務総長をめぐっては、国籍や地域、近年では性別にも関心が集まりがちである。こうした論点が政治的に理解できることは確かである。だが、最も重要なのはそこではない。決定的な問いは、その人物がどこから来たかではなく、何を体現するのかである。
国連はしばしば「国家の組織」として語られる。だが国家は、人々に奉仕するために存在するのであって、その逆ではない。この原則が国家レベルで成り立つのであれば、国際レベルでもまた成り立たなければならない。したがって国連は、最終的には政府のものではない。憲章がその名において書かれた「人々」のものである。加盟国は国連を所有しているのではなく、それを託された受託者なのである。そして受託者は、自らのためではなく、責任を負うべき人々のために行動すべき存在である。
この理解こそが、次期事務総長の選定を導かなければならない。この地位に求められるのは、職務が単なる行政管理ではなく、国連憲章と国際法、そして世界の人々が不完全ながらも国連に託している信頼を守る責務であることを理解する人物である。
もっとも、選考プロセスそのものも、最後に一つの重い問いを投げかける。事務総長はしばしば「世界最高位の外交官」と呼ばれるが、その人物を選ぶうえで、世界の人々には直接の発言権がないのである。
その決定は周知の通り、拒否権を持つ少数の国々に委ねられている。これは政治的現実としては理解できるかもしれない。だが、かつてなく教育水準が高く、相互につながり、情報に通じた現代の世界市民に対して、それを説明することはますます難しくなっている。
だからこそ、将来的には新たな試みを考えてもよいのかもしれない。世界規模の協議、あるいは国際的な投票によって、この唯一無二のグローバルな職に誰が就くべきかについて、人々が自らの意思を表明できる仕組みである。
いまの時点では、やや空想的に聞こえるかもしれない。だが、そこには重要な論点が含まれている。もし国連が真に「われら人民」という言葉から始まるのであれば、その指導者を選ぶ際にも、人々の声はもっと明確に反映されるべきである。
その日が来るまでは、責任は加盟国にある。選ぶべきなのは、最も無難な候補でも、最も都合のよい候補でも、強大な政府を最も怒らせにくい候補でもない。選ぶべきは、憲章を守り、独立した立場から発言し、勇気をもって行動し、この職に誠実さを取り戻し得る候補である。
世界に必要なのは、慎重な管理者ではない。
世界に必要なのは、勇気ある事務総長である。(原文へ)
ナイマ・アブデラウイは、国連ジュネーブ事務局(UNOG)のUNison職員代表。2004年から国際公務員を務める。
INPS Japan/IPS UN Bureau Report
関連記事:
|2026年国際女性デー|今年の国際女性デーは、次期国連事務総長に女性を選出するよう訴えている
国連事務総長の2025年世界行脚は「危機の時代」を映す
|視点|新国連事務総長を待ち受ける困難な課題(クル・C・ガウタム元国連事務次長、元ユニセフ副事務局長)
