【エルサレムIPS=ファウジア・シーク】
テロリストからイスラエルを守る目的で立てられた分断壁が、北エルサレムのアナタ中学校の校庭を横切っている。しかし今、壁はまた違った姿になっている。
長い間、この灰色のコンクリート壁の表面には、血の涙を流した2つの瞳がアラビア語とともに落書きしてあった。いまそこには、新しい絵が描かれている。武器を捨てる一方でお互いの方に腕を伸ばしている2人の人間の姿だ。
この新しい絵を描いたのは、「平和を目指す戦闘員の会」(Combatants for Peace)というNGOだ。同団体は、長年にわたる暴力の連鎖に懸念を持つ120名の元イスラエル軍兵士、元パレスチナ人戦士から成り立っている。
同会は、4月10日、アナタ中学校の校庭で初めてその存在を公にした。かつての敵同士が、イスラエルによるヨルダン川西岸のパレスチナ人地区占領を止める平和的手段を用いようとしている。西岸地区は、イスラエルとシリア・ヨルダン・エジプト間で起こったいわゆる「6日間戦争」(1967年)においてイスラエルに併合された。
「平和を目指す戦闘員の会」は、1年間にわたって密かに会合を続けながら、いかにして過去の対立を乗り越え、平和に向かって活動していくのかを話し合ってきた。イスラエルの元エリート兵士および元パレスチナ囚人から主に成り立っている同会が担おうとしているのは壮大な任務だ。
同会は、ハマスがパレスチナ政権を掌握するという事態の中で活動することになる。ハマスは、一般にテロ集団と見られており、イスラエルを国家として承認していない。
イスラエルに対して第3次インティファーダあるいは暴力蜂起が今年中にも起こされるのではないかとの観測が流されてきた。第1次インティファーダは1987年から93年、第2次インティファーダは2000年から05年にそれぞれ起こった。
昨年イスラエル政府がパレスチナに返還したガザ地区からロケット弾が発射され、近隣のユダヤ人入植地域をしばしば襲っているが、これに対してイスラエル軍が激しい報復行動に出た結果、パレスチナ側に死者が出るに至っている。
分断壁はそうした攻撃を止める目的で建設された。壁は、コンクリートと金網で作られ、圧倒的にパレスチナ人の多い西岸地区からエルサレムを分離している。壁はもう間もなく完成する。
しかし、暴力と絶望が渦巻く中、「戦闘員の会」の決意は固い。元イスラエル軍兵士アヴィチャイ・シャロンさん(24)はIPSにこう語った。「私たちはここにいる。この壁は私たちを止めることができない」「これは単に出発点に過ぎない」と語った。
アナタ中学校の外でパレスチナ人とイスラエル人が開いている、スピーチと平和の歌で彩られた集会を横目で見つつ、シャロンさんはいった。ハマスが1月の選挙で勝ったとき、「むしろ私たちの士気は上がった」。「この非暴力闘争がこの時期にあっていかに大事かということを[ハマスの勝利は]示している。それは全く新しいやり方だ」。
紛争当事者の双方を代表するグループは過去にも存在した。しかし、紛争の渦中にいる人たちがそのメンバーであったことはない、とシャロンさんはいう。
「戦闘員の会」は、パレスチナ側に和平のパートナーはいないという神話を打ち崩したいと考えている。「あなた方の暴力ゲームはもう終わりだ」、これがイスラエル・パレスチナ両政府に対するシャロンさんのメッセージだ。
彼にはR年間の従軍体験がある。パレスチナ人の家屋に踏み込んだ夜も幾度となくあった。しかし彼は、除隊の時期が近づくにつれ、占領の無意味さを感じるようになっていたという。
シャロンさんは国のために戦っていた。一方、元パレスチナ人兵士リヤド・ハレーズさん(26)は、イスラエルの行いによってパレスチナの人々の怒りと不満がかき立てられる様子を見てきた。
戦う決意を固めた決定的な瞬間は、彼の住んでいた都市、彼の住んでいた村、彼の住んでいた家で初めてイスラエル兵士を見たときだ、ハレーズさんはいう。
ユダヤ人植民とパレスチナ住民がしばしばぶつかり合い爆発寸前のヨルダン川西岸の都市ヘブロンで育った10歳の自分は、街に侵入しようとするイスラエル軍の車両に石を投げつけていた、とハレーズさんは回顧する。
あるときには、イスラエル軍兵士が彼の父親と兄弟を拘束し、家に踏み込む際に家具をめちゃめちゃに壊していったこともあった。
第1次インティファーダの時には火炎瓶がハレーズさんの武器だった。しかし、攻撃すれば必ず報復された。彼は4年前に右足を撃たれ、深い穴ぼこのような傷跡が残った。そして歩行が困難になった。
しかし、パレスチナ占領地域において従軍することを拒否したイスラエル軍兵士のニュースをテレビで1年前に見たことが転換点となった。彼は、イスラエル人の中にも平和的な人間がいることを知ったのである。「暴力よりもよい方法があるのです」、そう彼は言った。
ハレーズさんは、第2次インティファーダのときにファタハの政治運動に加わった。彼は、大学生に向かって1993年のオスロ和平協定について教えた。この協定により、パレスチナ解放機構(PLO)はパレスチナの人々の正統な代表として承認され、イスラエル側にはその存続権が認められた。そしてまたテロを終わらせる必要性が認識された。ハレーズさんはいま新しい挑戦に立ち向かいつつある。
「戦闘員の会」が直面している大きな障害物は、「両方の社会で、(個人・政治の両面において)互いを敵だとみなしている人たちが多いということ」だとクリスチャーヌ・ゲルシュテッターさんはいう。彼女は、パレスチナ及びイスラエルにおいて、「異宗教間の付き添いプログラム」というドイツの団体のための活動を行なっている。同団体は、世界協会評議会の加盟団体だ。
イスラエル・パレスチナ両政府が「互いに戦うか、さもなくば、互いに交渉しないか」式の態度をとっているため、ゲルシュテッターさんらの計画もなかなかうまくいかないという。
「平和を目指す戦闘員の会」は、両政府に自らの存在を認識させ、大学生を初めとしてその他の耳を貸してくれる人々の信用を勝ち取りたいと考えている。しかし、非暴力のメッセージを伝えることの難しさが、同グループの集会のあとで証明されることになった。
集会への参加者たちが校庭から離れようとするとき、イスラエルの軍警察はそれを遠巻きに眺めているだけだった。左翼の集会ではよくある風景だ。しかし、会合には出ていなかったパレスチナ人たちが投石を始めたのである。イスラエル警察側は催涙ガスで応戦しようとの構えを見せた。
平和への動きそれ自身が、暴力の影に脅えているのである。(原文へ)
翻訳=IPS Japan浅霧勝浩
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