SDGsGoal10(人や国の不平等をなくそう)|韓国|カトリック教会は仏教の遺産を正しく伝えていない

|韓国|カトリック教会は仏教の遺産を正しく伝えていない

【ソウルIDN=エミ・ハヤカワ】

学僧たちへの言及も、また「反政府思想の違法拠点」とみなされて焼失した仏教寺院群への記述も見当たらない。さらに、天眞庵の本来の漢字表記である「庵」さえ、「祠」を意味する「菴」と誤記されている。古刹・天眞庵と舟魚寺は、いまや朝鮮王朝中期の史料や古地図の中にのみ、その痕跡をとどめている。仏教は4世紀、中国から朝鮮半島にもたらされ、20世紀後半に至るまで、この地の主要な宗教として根づいてきた。

朝鮮王朝期にまかれた韓国カトリックの種

朝鮮王朝初期から末期にかけて、カトリックが朝鮮に伝来するはるか以前から、王朝は「崇儒抑佛」、すなわち儒教を尊び仏教を抑える政策を採っていた。朝鮮王朝を築いた性理学者たちは、先行する高麗王朝の衰退の一因を仏教勢力の過度な拡大に求め、仏教教団に強い圧力を加えた。その結果、僧侶や寺院の数を制限する政策が進められた。

カトリックが初めて朝鮮にもたらされたのは17世紀で、当時は「西学」と呼ばれていた。しかし、それが若く進歩的な知識人たちに大きな影響を与えるようになったのは、18世紀後半に入ってからである。

朝鮮の知識人や学者たちは、カトリック教義を論じ合い、「講学会」と呼ばれる研究集会を通じてその教えを広めていった。彼らは官憲の監視を避けながら密かに集まり、その主要な舞台となったのが天眞庵と舟魚寺であった。

韓国カトリックの萌芽を育んだ韓国仏教の土壌

天眞庵と舟魚寺の僧侶たちは、仏法の精神に基づき、自らの修行の場を講学会に提供した。自らの生命や寺そのものを危険にさらす重大なリスクを承知のうえで、僧侶たちは心を開き、信仰に身を捧げる西学の知識人たちを受け入れたのである。

朝鮮後期を代表する知識人の一人、茶山・丁若鏞(1762―1836)も、1779年に天眞庵で開かれた講学会に参加していた。彼は自身や兄弟たちが天眞庵にたびたび通ったことを詠んだ詩を複数残しており、そこにはこの地の濃厚な仏教的雰囲気が映し出されている。

これらの詩は、「天眞庵は1779年当時すでに廃墟であった」とする近年のカトリック側の主張への反証となるだけでなく、茶山と天眞庵の僧侶たちとの交流を裏づける史料でもある。

天眞庵と舟魚寺は、仏教僧とカトリック知識人の双方にとって、瞑想し、議論し、真理を探究する場となった。

そこには、異なる二つの信仰が一つの場所で共に実践されるという、明確な歴史的結びつきがあった。それは、信仰を守ろうとしたカトリック側の切実な思いと、利他の智慧、すなわち大乗仏教の核心概念である菩提心に基づいて彼らを受け入れた仏教側の慈悲とが交わる、宗教間連帯の実例であった。

カトリック迫害とともに弾圧された仏教寺院

1801年、朝鮮王朝第23代国王・純祖は、カトリックを「邪学」と位置づけ、その信仰実践を禁じた。政府は全国規模でカトリック弾圧を進め、茶山を含む多くの知識人が辺境の地へ流罪となった。

こうした迫害の中で、カトリックの学者たちをかくまい守った天眞庵と舟魚寺の僧侶たちは、国家反逆の罪で拘束され、おそらく捕らえられたカトリック信徒たちとともに処刑されたとみられる。天眞庵と舟魚寺もまた、放火によって焼失した。

辛酉迫害は、単にカトリックに対する迫害にとどまらなかった。それは同時に、カトリック共同体を守った天眞庵と舟魚寺への迫害でもあった。

忘れ去られた韓国カトリックの仏教的ルーツ

菩提心の精神が実践された天眞庵と舟魚寺の仏教寺院群は、灰となって消え去り、時の流れの中でほぼ完全に忘れられた。そして現代の韓国において、この仏教遺産の存在そのものと、カトリック知識人を守った僧侶たちの犠牲は、彼らを守ったはずのカトリック共同体によって、無視され、歪曲され、覆い隠されつつある。

僧侶たちや遺跡に関する記録の大半は歴史の中から消えかけている。だが、幸いにも、茶山・丁若鏞の『茶山文集』、朝鮮王朝の記録である『承政院日記』、さらに中期朝鮮の古地図などに、その痕跡がわずかに残されている。

1818年、茶山は18年に及ぶ流罪生活を終えて故郷・広州に戻った。1827年、66歳となった彼は天眞庵についての詩を詠み、30年ぶりに再訪したその地が、すでに焼け落ち、荒廃していたことを描いている。

その詩には、自分たちをかくまってくれた天眞庵と舟魚寺の僧侶たちへの深い感謝がにじむ。この重要な記述は、すべての人々にとって生きやすい社会を求めて真理を探究した若きカトリック知識人たちの純粋な志と、韓国仏教の慈悲と利他の精神を今に伝えている。

顧みられない宗教共生の現場

2021年8月、京畿道広州市は水原カトリック教区と協定を結び、天眞庵から南漢山城に至るカトリック巡礼路の造成を進めることを決めた。この事業は、韓国カトリック発祥の地という地域的特性とともに、韓国のカトリック殉教者を顕彰することを目的としていた。

しかし、そこには天眞庵の仏教僧たちの犠牲への言及がなかった。加えて、僧兵によって築かれ守られた南漢山城という、仏教の護国精神を象徴する歴史的価値も十分に考慮されなかった。

さらに、水原カトリック教区は、韓国カトリックを象徴する新たな大聖堂を天眞庵跡地に建設し、韓国カトリック300周年に当たる2079年までの完成を目指す構想も打ち出した。つい最近まで舟魚寺跡に残されていた仏塔さえ、韓国カトリック共同体が管理する切頭山殉教聖地へ移された。

こうした動きに対し、韓国仏教界は強く反発した。その後、韓国カトリック側は正式に謝罪し、計画の再検討を表明している。

韓国のカトリックが韓国仏教と真に共存していくためには、韓国でカトリック信仰が受け継がれることを可能にした僧侶たちの犠牲を認め、顕彰しなければならない。そのためには、天眞庵と舟魚寺を本来の姿に即して復元・保存する取り組みを支える必要がある。

そして天眞庵が、韓国仏教と韓国カトリックの宗教的調和を象徴する礎であることを、世界に向けて明確に示していく必要がある。(原文へ

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