SDGsGoal11(住み続けられる街づくりを)フィジー政府の無関心でレブカの世界遺産が危機に

フィジー政府の無関心でレブカの世界遺産が危機に

【レブカ(フィジー)IDN=カリンガ・セレヴィラトネ】

緑に覆われ、起伏の激しいこのオバラウ島は、南北わずか13キロ、東西10キロであり、フィジー最大のビティレブ島の東海岸側に位置している。島内唯一の港町であるレブカは人口1500人で、フィジー唯一の世界遺産の地でもある。しかし、地域の名士たちは、もしフィジー政府が世界遺産としての価値に十分関心を払わないならば、レブカが遺産のリストから外される可能性もあると話す。

元教師でレブカ町議会の元議長でもあるスリアナ・サンディーズ氏は、レブカの文化遺産と文化観光の発展に十分な優先順位を与えていないと批判している。

Luveka's exceptional architecture | Credit: Kalinga Seneviratne
Luveka’s exceptional architecture | Credit: Kalinga Seneviratne 

「今の政府は、文化遺産を重要視していません。面と向かってそう言われたこともあるし、自治体のやり方を見ていればそれは明らかです。」とサンディーズ氏は述べ、この地に建設中の新しい市場が、地元の建築物の要素をまったく取り入れていない点を指摘した。「政府は、もし空き地があり、ビジネスマンがお金を持っているなら、なぜそれを開発しないのかと言うのです。」

数年前、スバのビジネスマンが古い建物を壊して派手なナイトクラブを建てようとしたとき、彼の計画は地元の遺産協会に猛反対され、町議会でも却下されたことがある。しかし、サンディーズ氏は、「悪徳業者を呼び込むような観光はいらない」としているだけで、観光そのものに反対しているわけではないという。

レブカの天然の港と停泊所は、1830年代初頭にフィジーに初めて到着したヨーロッパの船乗りたちを魅了した。1874年に現地の酋長が英国に土地を割譲するまではここがフィジーの最初の首都であった。港に隣接する砂浜沿いに、店舗や家屋、サロン、バー、教会が立ち並ぶフィジー最初の都市が形成された。

19世紀の捕鯨、1860年代の綿ブームの時代が過ぎ、1950年代にコプラ貿易が終わりを告げて、この地区は海洋貿易の中心地ではなくなった。バーやサロンは今日姿を消している。

今日、フィジー政府が現在は保有する元々は日本が建設した水産加工場が、地元の人々、特に若い女性の雇用の大半を担っている。

Fiji on the globe/By TUBS - This vector image includes elements that have been taken or adapted from this file:, CC BY-SA 3.0
Fiji on the globe/By TUBS – This vector image includes elements that have been taken or adapted from this file:, CC BY-SA 3.0

島には崖が多く、町は砂浜沿いから外に向かっては発展できない。こうして、フィジーの首都はビティレブ島のスバに1881年に移転した。当時の商店街や教会、木造の窓が上に開く木造家屋が残っている。地元の人々は誇りをもってこれらを保存し、町の歴史的価値を守ってきた。

レブカの歴史的港町は2013年に国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産に認定され、「2013年フィジー世界遺産法令」に基づいて保護されている。登録は、国内外の様々な関係者による少なくとも36年にわたる努力の結晶だった。今日に至るまでフィジーで唯一の世界遺産であり、ユネスコは「先住民コミュニティの影響を受けて発展した19世紀後半の植民地時代の港町の珍しい例」と表現している。

遺産保護そのものの価値に並んで、観光が盛んになるというのが世界遺産登録の主要な動機の一つであった。現在も発刊されている『フィジー・タイムズ』がこの町で創刊されたのは1869年のことである。この町には、フィジーで初めての銀行・郵便局・学校・役場もできた。

サンディーズ氏は、コロナ禍以前、日本の財団の協力を得て、地域社会とのワークショップを開催し、島の遺産や文化観光の計画を策定したと説明した。

「あらゆる村から人々がワークショップにやってきました。自分の体験を語り、観光客に何を見てもらいたいかを語りました。自らの歴史を語り、観光を促進するために、村の地元の人たちと一緒にリーフレットを作り、村の歴史などを伝えました。ツアーガイドを養成し、それぞれの村に人々を案内するようにしました。山に登り、地元の人たちの話を聞くためのコースも計画しました。しかし、文化財保護局は、それを棚上げにしたのです。彼らは観光振興を望んでいなかったのです。」

IDNは遺産・芸術省と接触して、レブカの遺産観光を支援しない理由について問いただそうとしたが、約束に相違して、回答を得ることができなかった。しかし、フィジー政府で海外観光客誘致を担当する部局のトップであるブレント・ヒル氏はIDNの取材に対して、文化観光の拠点としてレブカを振興することを政府も望んでおり、通商貿易観光省に問題を提起すると語った。

ヒル氏は、「現在、私たちはキャプテン・クック・クルーズ船の停泊地として、レブカ島への旅行をプロモーションしています。既にインフラやツアーが稼働している場所の方が、プロモーションしやすいのです。」また、「この歴史的で趣のある町に観光客を送るには、宿泊施設のような適切なサポートインフラが必要です。」と語った。

ここには3つの小さなホテルしかなく、太平洋地域で最も古くから営業しているホテルと言われるロイヤルホテルは、19世紀のインテリアがそのまま残り風情がある。ロイヤルホテルの共同経営者であるニコレット・ヨシタ氏は、IDNの取材に対して、「レブカは、その人々と歴史により、常に海外からの旅行者にとって特別な目的地となっています。レブカがコプラの取引を失ったとき、レブカを維持できたのはこのおかげです。団体観光客が訪れ始め、80、90年代には格安旅行を望む主にバックパッカーが来るようになりました。」と語った。.

ヨシタ氏は、「すべて込みのパッケージで、夜には地元のエンターテイメントを提供することもできます。レブカがコロナ下で閉鎖される前は、実際にそうしていたんですよ。ホテルや民家に宿泊しオブラウ・クラブで寛ぐ団体客が(旅行代理店を通じて)やってきました。このような団体客からの収入でレブカを存続させることができたのです。重要なのは、プロとして運営することであり、本来ならば、レブカにスタッフや事務所を持つ遺産・芸術省の出番であるべきなのです。」と語った。

レブカは、ユネスコの遺産登録もあり、本島からフェリーで1時間ということもあり、多くのフィジー人観光客も呼び込んできた。しかし、地元の店主によると、古い店舗を維持するには緊急の修理が必要だという。「英国式の建物を維持するのは困難で多額の費用がかります。なのに、遺産・芸術省からの支援はありません。」とある店主は語った。

地元のタクシー運転手ラジは、でこぼこ道を走って島中を案内してくれながら、「この場所には多くの水源があり、山からは5本の川が流れてきています。キャッサバ、ヤム、野菜、トウガラシ、カボチャ、パンノキ、ココナッツ、マンゴーなど多くの食べ物が育ちます。私たちはこうした地元の食材で生きていけます。」と話してくれた。

古い火山によって形成された谷にある内陸部の唯一の村であるロボニを訪問し、山々から流れてくる細い川の清冽な水を楽しむアクティビティも含めると、ツアーには4時間ほどかかる。「観光が発展するには地元の道路の修復が必要です。5年前のハリケーン『ウィンストン』によってひどく破損してしまいました。」とラジは言う。

Luveka's historic coast | Credit: Kalinga Seneviratne
Luveka’s historic coast | Credit: Kalinga Seneviratne

ラジは、英国がフィジーに連れてきたインド人労働者の末裔である。島の多くの村々は、住民の土地への権利を顧みることのなかった欧州人による植民地支配の興味深い歴史を有している。また、地域の生き残りをめぐる興味の尽きない多くの話題、彼らの文化的習俗、冒険を望む旅人たちが体験したいと思うかもしれない伝統に加え、山々、熱帯雨林、島を貫く原生の川のトレッキングなどもある。

SDGs Goal No. 11
SDGs Goal No. 11

サンディーズ氏は、政府が地元に適切な職員を送ってくれれば、持続可能な遺産観光ができるはずだと考えている。「この町を栄えさせてきたのは地元の観光です。みんなが一生懸命に維持してきた登録遺産の地位を失ってはなりません。一時的に来ては去っていく、文化遺産への情熱も何もない政府役人ではなく、文化遺産に関する知識を持った人たちを部局で雇ってもらいたい。」とサンディーズ氏は語った。

ヒル氏は、「フィジーの観光当局は、レブカへの海外観光客誘致の支援にやぶさかではない。」と指摘したうえで、「利害関係者や政府部局との対話をより緊密に進める必要があります。サンディーズ氏が観光当局とのタラノア(参加的な対話を意味する)望んでいるのなら、レブカ振興の支援のためのよりよい道を見つけるために協力できるだろう。」と語った。(原文へ

INPS Japan

This article was produced as a part of the joint media project between The Non-profit International Press Syndicate Group and Soka Gakkai International in Consultative Status with ECOSOC.

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