地域アジア・太平洋|視点|カンボジア、国連戦争犯罪裁判の教訓

|視点|カンボジア、国連戦争犯罪裁判の教訓

【ルンドIDN=ジョナサン・パワー】

カンボジアのクメール・ルージュ指導者たちの15年の長きにわたる裁判がようやく結審した。

ニューヨークタイムズ紙は9月22日、「カンボジア特別法廷(クメール・ルージュ政権の犯罪を起訴する責任を負う、国連が支援する法廷)が最終審理を行った。」と報じた。狂信的な共産主義運動の最後の生き残りの指導者である91歳のキュー・サムファンの控訴を棄却し、大量虐殺の罪で有罪判決を下し、終身刑が確定した。」

ヌオン・チアとともに、彼は5年前に有罪判決を受けていた。控訴には信じられないほどの時間がかかった。彼らの最初の裁判は10年近くかかった。

Collage of the mass grave at the Killing Field of Choeung Ek with the leader of the Killing Fields on the left. Source: Wikimedia.
Collage of the mass grave at the Killing Field of Choeung Ek with the leader of the Killing Fields on the left. Source: Wikimedia.

裁判にかけられた他の3人のうち、1人は元外務大臣のイエン・サリで2013年に死亡、1人はイエン・サリの妻イエン・シリトでアルツハイマーのため出廷できず、1人はカン・ケク・イウ(以下ドッチ)で8年前に任意で自白し35年の禁固刑に服している。クメール・ルージュの悪名高き指導者ポル・ポトは、この法廷ができた時には既に亡くなっていた。

20世紀には、アドルフ・ヒトラーによるユダヤ人、ポーランド人、同性愛者、ジプシーなどの絶滅政策に次ぐものとして、2つの大量虐殺が挙げられる。一つはカンボジア、もう一つはルワンダである。しかし、ポル・ポトとクメール・ルージュ政権によって、100万から200万人の死者と約50万人の処刑が行われたカンボジアが、おそらくこの醜い争いを制したのだろう。

1975年、クメール・ルージュは政権を握った1週間後に、首都プノンペンに住む200万人もの人々を強制的に退去させ、農村部での労働を強制した。その過程で、何千人もの人々がこの避難生活で命を落とした。強制移住は急速かつ冷酷無比な方法で行われ、住民はすべての財産を置き去りにすることを強いられた。子供たちは親から引き離され、妊婦は専門家の助けなしに出産を余儀なくされた。医者や教師の大半は殺害された。このポグロムは「キリング・フィールド」と呼ばれ、映画の題名にもなっている。

クメール・ルージュは、これが国を農村の階級なき社会に変える平定作業であると考えていた。彼らは、貨幣、自由市場、普通の学校教育、外国の服装、宗教的習慣、伝統文化などを廃止した。公立学校、仏教の仏塔、モスク、教会、大学、商店、政府の建物などは閉鎖されるか、刑務所、厩舎、再教育キャンプ、穀物庫に変えられた。

公共交通機関も民間交通機関も、私有財産も、非革命的な娯楽も禁止された。人々は黒い衣装を身につけ、1日12時間以上働き、党が選んだ相手と集団結婚式を挙げなければならなかった。家族への愛情表現も禁じられた。知識人は粛清の対象とされ、メガネをかけているだけで処刑された。3人以上の人が集まって会話をすると、敵として告発され処刑されることもあった。

Choeung Ek commemorative stupa filled with skulls, Public Domain
Choeung Ek commemorative stupa filled with skulls, Public Domain

クメール・ルージュは1979年までカンボジアを支配したが、隣国のベトナムに打倒された。その後、クメール・ルージュは西に逃亡し、難民を装ってタイ領内に勢力を再建した。そこでユニセフなどの援助団体に引き取られ、食事を与えられ、彼らは次の戦いに挑むことができた。

当時北ベトナムに敗れた米国は、「敵の敵は味方」という格言のとおりに行動した。1979年、ジミー・カーター大統領のもと、ベトナムを懲らしめたい米国は、国連を説得し、カンボジアにクメール・ルージュの議席を与えることに成功した。皮肉なことに、1977年に大統領に就任したカーター氏は、「人権を外交政策の中心に据える」と発言していた。

1979年から90年まで、米国はクメール・ルージュをカンボジアの唯一の合法的代表として承認している。スウェーデンを除くすべての西側諸国は、米国と同じように投票した。ソ連圏は反対票を投じた。(1980年代に米国がアンゴラを外交的に承認しなかったように、ある国が承認されないケースもある。しかし、西側諸国はその選択肢を考えようともしなかった。)

同時に、欧米の多くの左翼知識人、活動家もクメール・ルージュを支持した。彼らはクメール・ルージュを、古い秩序を一掃するクリーンな共産主義者と見たのである。

元国連大使のサマンサ・パワーは、著書「集団人間破壊の時代 平和維持活動の現実と市民の役割(A problem from hell)」の中で、カンボジアの出来事が国連のジェノサイド条約に合致しているかどうか、読んだ覚えのある米国政府高官は一人もいなかったと述べている。

ブッシュ大統領の国務長官だったジェームズ・ベーカー氏が方針転換を表明したのは、1990年6月のことだった。その後、安全保障理事会の5大国が、カンボジアを国連の保護領にすることを発表した。そして、国連は交渉の末、カンボジア人裁判官と国際裁判官から構成されるハイブリッド・コート(裁判所)を設置し、クメール・ルージュの指導者を裁判にかけることを決定した。

ナチスの指導者を裁いたニュルンベルク裁判が1年で結審したのに、なぜカンボジア特別法廷の審理は15年もかかり、費用も3億ドルに及んだのか、疑問の余地がある。2014年に私が裁判所を訪れた際、引き延ばしていたのは弁護団だったが、裁判官はそれを許していた。

Photos in genocide museum of war crimes committed by the Khmer Rouge. Wikimedia Commons.

現在でも、裁判所が言うところの「レガシー期間」が3年間設けられ、裁判とその理由についての一般教育が行われることになっている。首都プノンペンを歩けばわかるように、ある世代は事実上、地上から消し去られたのである。

生き残ったのは、今は中年となった若者たちだけである。裁判の間、私が目撃したように、学校の子供たちが毎日バスでやってきて、裁判の様子を見たり、背景を説明するフィルムを見たりしていた。国連は、若者たちに何が起こったのかを理解させ、将来の大規模な暴力に対してこの国を予防したいと考えている。この活動は継続すべきだ。

殺人犯の大多数が訴追を免れているとはいえ、遅ればせながら一種の正義が行われた。幸いなことに、国際刑事裁判所(ICC)が2002年に設立され人道に対する罪を裁くシステムが出来ている。しかし、まだ十分とは言えない。

先月30日、オランダのハーグで、ルワンダ人のフェリシアン・カブガ氏の裁判が始まった。フツ族によるツチ族の虐殺の後に設置されたルワンダの国連特別法廷が、おそらく最後の大きな裁判となるだろう。これまで80件近くの裁判を行い、大きなものでは、上級指導者に有罪判決を下している。ルワンダの裁判所や北米や欧州の国内裁判所でも、何千人もの下っ端の殺人犯が裁かれてきた。

カブガは20年間、逮捕を免れてきたが、英国、フランス、ベルギーの警察によって、フランスにいるカブガを訪れた家族がかけた電話の場所を追跡され、ついに逮捕された。現在彼は、1994年の大量虐殺を主導したグループの資金提供者であり後方支援者であると告発されている。彼は、フツ族にツチ族と穏健派フツ族の殺害を扇動する人気ラジオ局を設立し、指揮していたのである。

ICC
ICC

国際司法の歯車はゆっくり回っている。これらの裁判所は抑止力として機能しているのだろうか?それを正しく測定する方法はない。それは国内の犯罪も同じだ。常識的に考えて、本当に罰せられる可能性がなければ、犯罪者や犯罪行為が増えるだろう。

ミャンマー軍事政権の将軍たち、エチオピアのアビイ・アハメド首相、シリアのバシャール・アサド大統領は、明らかに抑止されていない。イスラエルも、ISISも、タリバンも、ウラジーミル・プーチン大統領もそうだ。

一方、軍がかつて抑圧していた人々と再び関係を築いてきたスーダンでは効果があったのかもしれない。また、ウガンダがコンゴに展開するいわゆる「平和維持軍」に過去のような非人道的な振る舞いをさせたり、ブルンジとコンゴ東部のフツ族がルワンダのツチ族政権に復讐し始めたりすることは抑止できているのかもしれない。(現在、小競り合いはあるが、それほど深刻な事態にはなっていない。)

裁判所の権威は、旧ユーゴスラビア国民の静まらない情念にも働きかけるのかもしれない。オブザーバーによると、セルビアとコソボでは最近また衝突が起きているし、ボスニアでは10月2日の選挙で新たな暴力が懸念されている。ICCが抑止効果の一端を担っているかどうかは断言できないが、これらの国々で何らかの抑制力が働いていることは明らかである。

カンボジア人が行っているように、各国も国際刑事裁判所とその前身である旧ユーゴスラビア、ルワンダ、シエラレオネなどの裁判について国民を教育する必要がある。メディアにおける記事や番組、学校や大学での教育がもっと必要だ。戦争犯罪や人権侵害は、義務教育の公民の授業や講義の一部であるべきだ。

国際法の適用はこの30年間で目覚しく進歩した。しかし、その歩みはあまりにも遅い。スピードアップが必要だ。とはいえ、今のままでも世界はずっと良くなっている。(原文へ

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