【ニューデリーIDN=シャストリ・ラマチャンダラン】
私がかつて北京にいたとき、インドに関するニュースを英字紙やテレビで見ることはほとんどなかった。二国間の会談や閣僚訪問ですら、インドにおける場合と同じ程度に報じられることはなかった。インドが中国のメディアで大きく取り上げられるのは、中国共産党や政府がなんらかのメッセージを国民に伝えたいときに限られていた。
他方で、インドのメディアの主要な関心は中国に向けられている。中国への強迫観念とすら言ってもよいかもしれない。インドのメディアが伝える中国イメージとは、中国がインドに対して日々あらゆる陰謀を巡らしており、いつの日か中国がインドに軍事的な攻撃を仕掛けてくるに違いない、というものである。
インド外務省は、こうしたメディアによる行き過ぎた危機イメージを打ち消そうと努力しているが、思うような成果はあがっていない。むしろネガティブ報道に圧倒されている状況である。こうした背景から、インド国防相自身による不適切な発言はないものの、中国との関係について、外務省と国防省の間に見解の相違があるのではないかとの見方も一時は浮上していた。
今では、そうした中国脅威論を振りまいているのは、インドの政治的指導層というよりも、強大な力を持つ国軍内の一部の勢力という見方が濃厚になっている。さらに今日では、多くの安全保障、戦略分析の専門家がこうした風潮をさらに後押しする動きを示すようになってきており、中には、中国によってインド領土の一部が奪われた1962年の武力紛争が再来するとの予測を打ち出すものも現れている。また、中国が紛争をしかける準備を着々と進めており、インドは不意をつかれないよう警戒すべきとの論文が数多く出回っている。その中でも最もまことしやかに議論されている主張は、「中国は、紛争を予期することが最も困難で、かつ、インドが最も有事に対する準備ができていないタイミング‐すなわちインドの軍備が十分整っていない今の段階(インドは核弾頭搭載の中距離弾道弾の国境地帯配備を2012年に完了予定:IPSJ)-で攻撃をしかけてくる可能性がある。」というものである。
ある紛争のシナリオ
1962年、インドに侵入した中国人民解放軍はインド軍を圧倒し、カシミール州のアクサイチン地区を奪取した後、一方的に停戦を宣言して紛争地から撤退した(だだしアクサイチン地区はその後中国が新疆の一部として実効支配している)。現在インドで取りざたされている中国侵攻のシナリオは、50年前と同様に中国がインド国境の領土、例えば(中国が領有権を主張している)アルナチャル・プラデシュ州のタワンを奪うのではないかという憶測である。
たしかに、こうしたシナリオを想起させる状況証拠には事欠かない。中国は、チベットのようなインドに接する辺境地域に空港や道路、鉄道ネットワークを着々と整備しつつあるのに対して、インドは50年前と同様に、現時点においては中国国境沿いに見るべきインフラや軍事施設を配置していない。
一方で、この段階でインドとことを構えるのは中国にとって得策ではないと主張する専門家もいる。その理由として第一に挙げられるのが、中国指導部が10年に一度の大きな交代時期(国家主席、国務院総理、さらに中国共産党の最高指導部である政治局常務委員9人のうち、5人が2012年に退任予定)を迎えており、新指導部は国内の足固め、さらに安定と継続性を最優先するだろうという分析である。そして2つ目が、経験豊かで強力なカリスマを備えた指導者が不在な過渡期に、対外的な紛争に臨むのは、結果的にリスクが大きすぎるだろうという分析である。
これに対して、好戦派の理論家たちは、インドに対して軍事的な圧力を加えるか否かの判断は、政治的な上部組織ではなく、人民解放軍が行うだろう。従って、軍事関連の深慮については、政治指導部の交代という要素は重要ではない、と述べている。
インドでは、こうした議論がこれから益々、活発になっていく勢いである。
過熱した報道合戦
中国メディアは、この狂騒を煽るかのように、あるいは自ら楽しむかのように、インド国内の中国脅威論を紹介している。中国の人民日報は、インドが中国国境地域において軍備増強を図っていることに言及して、「インドは中国を敵対国と考え始めたようだ。」と報じた。
11月10日、同紙は「インドが国境の兵力を増強しているのは、興隆する中国を狙ったものか?」というタイトルの記事を掲載し、その中で、インドと米国、日本、ベトナムといった国々との関係は、中国に対する恐怖と疑念に駆られたものだと考察をしている。しかし記事全体の基調は、両国の「友好関係」を強調するものであった。
この記事は、新華社通信が、インドは現在の東方政策を見直し、「東への歩み寄りを止めるべき」と「警告」した2日後に配信されたものである。新華社通信は、インドの動向や他国との関係について中国の視点から分析を加えたこの記事の後半部分において、「しかしながら、もしインドが、隣国を仮想敵国と見做し、その裏庭を侵害するような浅はかな行動に関与することで隣国を阻害し敵愾心を抱かせるようなことを意図しているとしたら、それは国家戦略を人質にインド自身の国益を損ないかねない選択だと言わざるを得ない。」とぶっきらぼうに指摘し、最後に「インド政府は、(東方政策という)外交政策の落とし穴について再考することが非常に望ましい。」と締めくくった。
しかし、こうした中国側の論調がまた、インドの安全保障専門家らを奮い立たせる結果になってしまっている。(原文へ)
翻訳=IPS Japan浅霧勝浩
*シャストリ・ラマチャンダラン氏は、ニューデリーを拠点にする政治・外交コメンテーター。ラマチャンダラン氏は2009年4月から2010年7月末まで北京を拠点に編集者・記者、論説員としてChina Dailyとthe Global Timesに寄稿した。
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