【ヨハネスブルクIPS=ジョン・フレイザー】
南アフリカ共和国(南ア)のアパルトヘイト体制については、あまりいい話はでてこない。国民の多くに厳しい抑圧を加えた、人種差別的で暴力的な体制であり、世界中で蔑まれていた。
しかし、南ア政府は、アパルトヘイトが間もなく終わるころ、同国自身とアフリカ大陸にとって大きな意味合いを持つ措置を取った。つまり、核兵器計画を放棄したのである。
アフリカ諸国政府に対する顧問として活動する研究機関である「ブレントハースト財団」(本拠:ヨハネスブルク)のグレッグ・ミルズ代表は、「第一段階は、南アの6つの完成した(および、1つの部分的に組み立てられた)核装置を解体することでした。」と語った。
「この決定はフレデリック・W・デクラーク大統領(当時)によって、1990年2月になされました。それは、ネルソン・マンデラ氏が刑務所から釈放され、アフリカ国民会議(ANC)、汎アフリカ会議、南アフリカ共産党が合法化された直後のことでした。」
南アは、1991年7月10日、核不拡散条約(NPT)に加盟した。その7週間後にあたる9月16日、同国は国際原子力機関(IAEA)と包括的保障措置協定を結び、同国内の施設をIAEAが査察することを認めた。
またミルズ氏は、「南ア政府は、検証プロセスを通じてIAEAに完全に協力し、当時のIAEA事務局長であるハンス・ブリクス博士が1992年に語ったところによると、保障措置協定に定められた範囲を超えて、査察官に施設への立ち入りを認め、データを提供した。」と付け加えた。
「第二段階は、1992年に開始された南アの弾道ミサイル計画の廃棄で、これには18か月を要しました。」
「このプロセスは結局、最後のミサイルエンジンの破壊が確認されたのち、1995年9月のミサイル技術管理レジーム(MTCR)加盟につながりました。」
「第三段階は、南アの生物・化学戦争計画を廃棄することでした。」
ミルズ氏は、南アは「こうして、核能力を自発的に解体した初めての国になったという点で、世界で独自の地位を占めているのです。」とまとめた。
「(南アの)経験は、各国が安心して武装解除し、それを継続できるような適切な環境を作り上げることの重要性を指し示しています。」
このように南アのアパルトヘイト期の指導者の行動は、たしかに賞賛すべきものではあった。しかし、その動機については疑う声もある。
彼らは、アフリカ大陸を非核の地にするという信念から、核兵器を放棄したのだろうか。
あるいは、彼らの動機はもっと打算的なものだったのだろうか。黒人による権力奪取が避けられないとみた彼らは、ネルソン・マンデラ氏や同氏が率いるANC政権の手から核兵器を遠ざけるためにそれを廃棄したのだろうか。
ミルズ氏の同僚であるテレンス・マクナミー氏(ブレントハースト財団副会長)は、『ヨハネスブルク・スター』紙に、核兵器を解体した南アとは「(現在のジェイコブ・)ズマ大統領の南アではなく、当時は国際的に孤立し、現在はなくなってしまった別の国であった。」と書いている。
「ズマ大統領は、民主化への移行期に活躍した同僚の多くと同じように、南アの核戦力を作り上げた人びと、つまりアパルトヘイト体制は、ANCに核に触れてほしくないがゆえに核を破壊したのだと、確信している。」
マクナミー氏は、デクラーク大統領は南アの核兵器解体について1993年3月になって初めて世界に知らせた。そしてその時まで、「誰も、ネルソン・マンデラ氏すらも、核計画が廃棄されたことはおろか、それがかつて存在したことすら知らされていなかった。」と書いている。
南アから、あるいはアフリカ大陸から核兵器は消え去ったが、大陸におけるエネルギー・ミックスの拡大を支えるために原子力が必要だとの認識が高まっている。
ミルズ氏は、「スペインの20倍の人口を持ちながら同国と同じぐらいのエネルギーしか産出できないアフリカ大陸では、急拡大するエネルギー需要に原子力で対応することができるかもしれません。」「しかし、アフリカにおいて原子力を利用することへの懸念は、そもそもなぜエネルギー不足が生じているのか-つまり、ガバナンスの問題と関係しているのです。」と語った。
イメージに関する専門家であるジェレミー・サンプソン氏(イメージに関するコンサルタント会社「インターブランド・サンプソン」[本拠:ヨハネスブルク]の代表)は、イメージの問題で言えば、核計画を放棄するとの南ア政府の決定は、不拡散問題に関する同国の道義的権威を高めることとなった、と指摘した。
「この20~30年の間に、イメージと評判の問題の重要性が非常に高まってきています。そしてそれは、単に企業や製品、サービスのみに当てはまるというのではなく、今日、人間や国ですらもその対象となっているのです。」とサンプソン氏はIPSの取材に対して語った。
また、南アの核計画放棄の真の理由について疑念を抱いているサンプソン氏は、南ア政府は、この決定によってなんらかの見返りを得ており、そのことが未だに明るみに出ていないのではないか、と推測している。
「南ア政府は本当に核兵器を開発したのだろうか、誰がいったい南アを支援したのだろうか、南大西洋の奥深くで予行演習があったのだろうか、そして彼らはそれをどうやって使用したのだろうか。」と、サンプソン氏は疑問を呈した。
さらにサンプソン氏は、南アが自発的に核オプションを放棄したという点にも多くの疑問が付きまとうとして、「はたして、当時アパルトヘイト体制は本当に必死だったのだろうか?制裁は効果をあげていたのだろうか?何が引き換えにされ、どんな保証が与えられたのだろうか?第二次世界大戦末期のドイツで起こったように、体制の主要人物を逃がすための秘密資金が世界中で準備されたのだろうか?」そして、「やろうとすれば長い時間と膨大な費用がかかる核オプション放棄を、自発的に行った国が他にあるのだろうか?」と語った。
またサンプソン氏は、もし[核オプション放棄への]何らかの見返りがあったとすれば、それは「極めて大きなもの」だったに違いないと指摘した上で、「アンゴラでの軍事活動や、(同国の反体制指導者)ジョナス・サビンビ氏の強化が、リストの上位にあったに違いない。」と語った。
同じくヨハネスブルクにあるシンクタンク「南アフリカ人種関係研究所」のフランス・クロンイェ副所長は、当時アパルトヘイト体制は、核計画を放棄するように、西側社会から、そしておそらくはロシアからも、強いプレッシャーを受けていただろう、とみている。
「事のすべてが、核のアフリカからの名誉ある撤退という描かれ方をしているのです。」また、「西側諸国のみならずロシアも、アフリカの独立国が核兵器を持つことへの懸念を持っていたきらいがあります。」とクロンイェ氏はIPSの取材に対して語った。
またクロンイェ氏は、南アは、もし核戦力を維持し続けていたならば、今日の国際社会でより強い発言力を持ったであろうと考えている。
「アフリカの核兵器国の言うことなら真剣に受け取られ、より強力なリーダーシップをとることができたでしょう。核兵器を保有すれば、人びとに耳を傾けさせることができるのです。」と、クロンイェ氏は語った。
「リーダーシップの観点から言えば、核兵器の放棄は逆の結果を生みます。つまり、核を放棄することによって、外交政策と国際政治への影響力は低下してしまうのです。」
「もし核兵器を放棄することで影響力を増すことがあるとすれば、他国もまた核戦力の放棄へと雪崩を打つことでしょう。」
結局のところ、真相が明らかになることはないかもしれないが、南アは、核兵器を放棄したことで、今日まで続く道義的な利得を得たのは確かである。
核放棄によって、南ア政府は、核不拡散問題に関する世界的な発言力を確保し、昨今のイランのように世界からの疑念を招くことなく、原子力発電産業を育成する道義的権威を獲得した。(原文へ)
翻訳=IPS Japan