【エルサレムIPS=ピエール・クロシェンドラー】
イランと「P5+1」(国連安保理常任理事国にドイツを加えた6カ国)の協議が、1月末にトルコのイスタンブールで開催されることが予定されているが、これがイランのウラン濃縮計画に関する妥協を巡るリトマス試験紙の役割を果たす機会となるかもしれない。ところが奇妙なことに、現在イスラエルでは、イランの核開発問題は、議論の俎上にのぼらなくなっている。
イランの核開発を巡って、イランと「P5+1」との間の協議が前回行われたのは、昨年6月モスクワにおいてであった。
次回の協議では、双方の妥協がどのような形をとるにせよ、イランに対する制裁を段階的に解除することと引き換えに、イランの主張するウラン濃縮の権利を認め、高濃縮ウランを製造しないとイランが誓約し、中部コム近郊フォルドゥの地下核施設のような閉鎖された施設への国際原子力機関(IAEA)の立ち入りを認める、といった内容が中心になるだろう。
その一方で、米国の「科学国際安全保障研究所(ISIS)」は1月14日、イランは2014年半ばまでに少なくとも核爆弾1発分の物質を製造できるとの見解を明らかにした。
さらに1月16日には、IAEAが、核兵器関連の実験を秘匿したと疑われているパルチン軍事基地への立ち入りと、核開発計画に関与したイラン政府当局関係者に対する聞き取りについて、イラン当局と会合を行った。
しかしイスラエルでは、1月22日に行われる大統領総選挙に先立つ選挙戦でこの問題はほとんど取り上げられなかった。
ベンヤミン・ネタニヤフ首相(イスラエル国民は彼のことを「ビビ」と呼んでいる)は、自身の任期中の最大の成果として、イランに対して妥協しない姿勢を貫いたことを誇りとしている。さらに自身の対イラン外交について、(イランに対する)開戦の脅しをかけたことでむしろ戦争が回避され、さらに国際社会がイランに対して圧力をかける動きにもつながった、とみている。
一方ネタニヤフ氏に批判的な人々は、彼は、本当はイランの核施設を攻撃する意図などない「はったり屋」に過ぎないとみている。しかし、「はったり」も、選挙戦における正当な戦術なのである。
ネタニヤフ氏が昨年9月の国連年次総会で行った、イラン核問題について「レッドライン(越えてはならない一線)」を設定すべきだと訴えた演説は、彼の首相としての任期のグランド・フィナーレを飾るものだった。
ネタニヤフ氏は、イランのウラン濃縮のレベルを示した「ルーニー・チューンズ」の導火線付きの球体の爆弾を描いた漫画フリップを示しながら、「(イランは)来春か、遅くとも来夏までには必要なウラン濃縮を終え、数週間もあれば最初の核爆弾を完成できる段階に達する」と警告した。しかしその一方で、イスラエル自身の「レッドライン(=核兵器の有無)」や、レッドラインをイランが守らなかった場合にイスラエルが単独攻撃するか否かについては明言を避けた。
ネタニヤフ氏は、この国連演説のあとにイスラエル本国における人気が急上昇したことを受けて、翌年10月までに予定されていた総選挙の前倒しに打って出た。これにはイランとの対決が予想される二期目を、自ら決める政治日程で再選をめざすというネタニヤフ氏の目論見があった。
1月上旬、イスラエルのチャンネル2は、大統領選挙の政見放送開始にあたって、現職首相(ネタニヤフ氏)に関する1時間の紹介番組を放送した。しかし、非常に奇妙なことに、ネタニヤフ氏はこの際の談話の中で、イランについては僅かに1回、しかも遠まわしにしか言及しなかった。
その該当箇所は、ユバル・ディスキン元イスラエル総保安庁長官が、イランに関するハイレベル会合について、煙草やアルコール、高級料理でもてなしての「退廃」だと『イエディオス・アハロノス』紙に述べたのしい批判に対して、ネタニヤフ氏が、「私は真剣な会合を重ねてきたつもりだ。」と言葉少なに反論した場面である。
選挙を前にイラン問題に一旦終止符を打つ
さらにネタニヤフ氏の大統領選挙における宣伝広告を見ると、国連演説の再現さながらに、(爆弾を描いた漫画に代わって)中東の地図を描いたフリップを手にし、「私は当面イランの核開発を防ぐことに成功した。」と落ち着き払って述べるネタニヤフ氏の姿が描かれている。
それでは、ネタニヤフ氏自身が「(イスラエルのみならず世界全体にとっての)最大の生存上の脅威」とまで主張していたイランの核脅威論が、あたかも元から存在しなかったかのように、突如として公の議論から消えてしまったのはなぜなのだろうか。
エジプトとシリアにおけるイスラム主義者の脅威に関するネタニヤフ氏の選挙戦での発言は、今後に向けて何ら新しい戦略的なビジョンを示しているわけではない。しかし、容易に掻き立てられたイスラエル国民の懸念要素は、選挙に際しては、伝統的にイスラエル右派政党に有利に作用してきた。
つまり、「アラブの春」を背景に「ジャングルの中の村(イスラエルを周囲の野蛮な国家に取り囲まれた民主主義の砦に例えたエフード・バラク首相による比喩表現)」に住まねばならないという、「漠然とした不安」や、「パレスチナ人によるテロ」に対する恐怖といった懸念材料がイスラエル有権者の間に十分広まっていたのである。
このようにネタニヤフ氏の再選が既定路線として十分予想された状況下においては、(イラン核問題に関連した)放射性物質の降下や核のリスクといった、さらなる懸念材料をあえて持ち出して、熱気に欠けた選挙戦をことさら盛り上げる必要はなかったのである。
ネタニヤフ氏は、外交のボールが自分の側に投げられると、それを避けてしまうことで知られている。ネタニヤフ政権第一期と同じように、第二期においても、リスクのある和平構想や危険な軍事的企図を引き延ばしたりつぶしたりするものと見られている。この点は、多くのイスラエル国民にとってはむしろ安心材料ではある。
さらにネタニヤフ氏は、イスラエルがガザ地区のパレスチナ人イスラム原理主義勢力ハマスに対して攻撃を仕掛けた昨年11月に、ハマスがイスラエルの都市や村々に対して行ったロケット攻撃の恐怖を、イスラエル国民に改めて思い出させる必要がなかった。
そこでネタニヤフ陣営は、今回の選挙戦に際しては、迎撃ミサイル防衛システム「アイアンドーム」などの防衛手段でイスラエルの防衛能力を強化してきたこと、エジプト国境に沿って建設してきた壁がほぼ完成に近づいていること、さらに、イスラエル軍が占領しているシリアのゴラン高原における防衛線を強化していることなど、イスラエル市民の懸念材料として大きな幅を占めている身近な国境防衛に対する成果に焦点をあてた。
従って、今回の選挙では、戦争と平和をめぐる中核的な課題、とりわけイラン脅威論のような政治スローガンや見せかけの討論は、ネタニヤフ陣営にとって何の意味も持たなかったのである。
それでもなお、イスラエルの選挙戦は、各候補者の政治意図をめぐる煽情的な宣言の応酬で彩られることが少なくない。
それ故、昨年11月にパレスチナの国連における地位を非加盟のオブザーバー扱いに格上げしたことに対して、ネタニヤフ氏がすぐに「懲罰的措置」―激しく物議を醸し出しているヨルダン川西岸「E1」地区のユダヤ人入植地を拡大する計画の復活―を口にしたことは、十分に挑発的なものだと考えられる。
しかし、慎重なネタニヤフ氏が、さらにあえて危険を犯して、イランに対する単独軍事攻撃の脅しまでかけることは、現時点ではありえない。
その理由として第一に考えられることは、再選を果たしたバラク・オバマ大統領の2期目が、予想されるネタニヤフ氏再選の前夜にスタートするという国際政治状況である。ネタニヤフ氏としては、お互いの勝利と第二期の開始という絶好の機会を無駄にしたくはないだろう。
オバマ大統領が(イランやハマスとの直接対話を提唱してきた)チャック・ヘーゲル元上院議員(共和党中道穏健派)を新たな国防長官に選んだことは、(一期目にイランに対する対応を巡って)悪化した[ネタニヤフ氏と]オバマ氏との関係に新しいページを切り開くためには、あまり幸先の良い出来事ではない。しかし、ネタニヤフ氏は、米国大統領の専権事項である国防長官指名人事について敢えて公然と異議を唱えることはしないだろう。
またネタニヤフ氏は、自身の再選後、膨張した米国防予算の再構築に取り組むヘーゲル国防長官が、イスラエルへの軍事援助を削減しないよう要望することになる。
従ってネタニヤフ氏としては、「P5+1」とIAEAによるダブルトラックの対イラン協議の行方を、交渉が妥結しないことを切望しつつ、見守っていかざるを得ない立場にある。しかし、両交渉においてイランとの外交的妥結が失敗に終わった際には、イスラエル単独による戦略策定という事態を回避するためにも、来春を前に、オバマ大統領との間で、対イラン協調戦略について合意することを望んでいる。
またネタニヤフ氏は、彼のイランに対する強硬姿勢の真相が、はたして「はったり」なのか否かという疑問については、彼の功績を著した歴史書の中のオープンクエスチョン(答えのない問い)のままにしておきたいと望んでいる。
翻訳=IPS Japan