【アンカラIPS=ジャック・コバス】
「内なる平和を、そして世界に平和を」は、トルコ共和国建国の父であるムスタファ・ケマル・アタトゥルク初代大統領が1931年に打ち出した国是である。これは、因果関係について述べたものであるが、5月末のイスタンブールでの事件を発端にトルコ全土に広がった抗議活動の波は、この因果関係が逆方向でも作用することを示している。
抗議活動が発生して約1週間が経過したが、トルコはそれまで、2011年から中東全域に飛び火した「アラブの春」や欧州南部を席巻した深刻な社会経済不安の影響を免れていた。
今でもなお、経済状況は2000年代ほど好景気ではないものの、依然として好調である。つまり深刻な経済危機に直面している地中海両岸の国々(=北アフリカと南欧諸国)と同じような状況がトルコに持ち上がった主な原因は、政治的リーダーシップの問題である。
与党公正発展党は、好調なエーゲ海沿岸及びイスタンブールの高級不動産に対する外国直接投資と大規模な国営企業の民営化政策により財政改革に成功し、国民の圧倒的な支持を得た。しかしそれと同時に、与党の間ではライバル不在の奢り高ぶる感情が醸成されていった。
この感情は2011年の総選挙で大勝して以来、与党の主要な政治家が政策に関する透明性と説明責任を次第に曖昧にし始めたことに現れている。与党党首で首相のレジェップ・タイイップ・エルドアン氏と側近らは、「一般のトルコ国民の懸念について考え、前回与党を支持しなかった国民の約半数を取り込む努力をすべき」とする信頼できる顧問らの提言に、謙虚に耳を傾けようとはしなかった。
政治プロセスは南欧諸国にみられたような不透明なものとなり、国民の基本的自由に対する政府の態度も、中東諸国のような傲慢なものとなった。「もうたくさんだ」というトルコ国民の突然湧きあがったかのような感情の発露の背景には、こうした与党による政治運営の実態があった。抗議運動がはじまって最初の6日間で、3人の死者と1000人を超える負傷者、そして1700人の逮捕者がでている。
観測筋の中には、今回の危機は「キス」とともに始まったと指摘するものもいる。これは恋人たちが公共の場において愛情表現をすることを禁じた今年5月の政府決定を指している。一方、トルコ国民による不満の兆候はもっと早い時期に遡ると指摘する専門家もいる。
従来から女性は少なくとも3人の子どもを出産すべきと度々表明してきたエルドアン首相は、2012年5月と同年秋に、女性の人工妊娠中絶と出産のために帝王切開を受ける権利を制限する法案を審議しようとしたため、反発した女性団体が抗議デモを行った。
より最近では、トルコ議会(与党が550議席のうち、326議席を占める)が、アルコール飲料の販促と消費を厳しく取り締まる法案を通過させ、エルドアン首相もアルコール飲料に高率の税金をかけると公約する一幕もあった。
こうした中、従来与党の経済政策に対する評価から与党を支持してきた世俗派の有権者からは、国民のライフスタイルにまで干渉するエルドアン首相のやり方は受け入れられないとする不満の声が上がり始めていた。
トルコ国民は同時に、資本家階級と労働者階級の間の所得格差を拡大させた与党による行き過ぎた新自由主義経済政策に嫌気がさしている。
ゲジ公園(イスタンブール中心部のタクシムに唯一残った緑地)を再開発してショッピングモールと高級共同住宅にする決定は、今回同地を発火点に全国に広がった反政府抗議運動の原因というよりは、むしろ引き金だったと考えるべきだろう。
既に公園に隣接するジュムフリイェット通り周辺は、商業施設や高級住宅地、ショッピングモールを建設する敷地を確保するために取り壊し作業が進んでいる。またイスタンブールの記念碑的な場所であるタクシム広場(1920年のトルコ革命と世俗的な共和制国家の誕生を記念する碑が建つ場。国の近代化を推進した初代大統領アタチュルクの銅像もある:IPSJ)には、大きなモスクが建設される予定である。
非政府系の独立調査機関が2012年に発表した報告書によると、人口7500万人のトルコには、85,000のモスクが存在し、そのうち17,000は過去10年(=エルドアン政権が発足して以来)に建てられたものである。
それとは対照的に、トルコには学校が67,000校、病院が1,220棟、医療施設が6300件、公営図書館が1435件しかない。トルコ文化観光省の年間予算は、スンニ派を代表する(国民の80%がスンニ派)宗教局の予算の半分にも満たない。
一方、2002年以来、カタールとサウジアラビアからの資本と米国及びオランダの年金基金が大半を占める直接投資は、集中的に投機的な高級不動産プロジェクトに向けられてきた。その結果、国際コンサルティング会社CBREによると、トルコでは2000年から2012年の間に、ショッピングモールが46件から300件と急拡大し、イスタンブールだけでも、現在2百万平方メートルの敷地がショッピングモール用地として建設中である。
さらに今年になって一連の民営化計画(鉄道、国営航空、国営エネルギー企業、高速道路、橋梁ネットワーク等)が発表され、巨額の外資を導入した巨大な建設プロジェクト(ボスポラス海峡に架ける3本目の橋、イスタンブールに3つ目となる空港、イスタンブールに中東最大規模となるモスク、そしてさらに多くの高級不動産開発へとつながる人工の第二ポスポラス海峡建設計画等)が進行する予定である。
5月27日に始まった(ゲジ公園の再開発計画に対する)抗議活動は、超然とした政府の行政運営に対する一般市民の不満を反映したものであり、概して自然発生的で平和的なものだった。しかし、全く容赦のない警察当局による弾圧と、エルドアン首相の扇動的な発言にが引き金となって、思わぬ政治危機へと発展してしまった。その結果、今後のトルコの民主主義の行方さえ不透明な状況に陥っている。
IPSでは、トルコの政界関係者と著名なジャーナリストへの取材を行ったが、新たに進行中の事態という事もあり、概して時局を論じることに慎重な姿勢を示した。
トルコ人イスラム神学者で穏健なイスラム教義と宗教間対話を説いてきたフェトフッラー・ギュレン師の個人秘書は、IPSの取材に対して、ギュレン師は今週末にも声明を発表する予定です、と語った。現在ギュレン師は自らの意思で、米国ペンシルベニア州で亡命生活を送っているが、彼の信奉者は世界で数100万人に及んでいる。
5日になっても抗議の勢いが収まるどころか、労働組合に続いて6日には新たに学生組織も抗議行動に参加するとの発表がなされるなど、騒ぎが長期化しかねない事態に及んで、穏健派で政治的にも賢明な采配で評判の高いアブドゥラー・ギュル大統領とビュレント・アルンチ副首相が、警察による過度の暴力を謝罪するなど、事態の収拾に乗り出した。
今後抗議活動が沈静するか否かは、北アフリカに外遊中のエルドアン首相の帰国後の発言内容にかかっている。しかし、デモの参加者を「暴徒」と呼び、「ゲジ公園の再開発計画は予定通り進めるつもりだ。ショッピングモールがいやならモスクを建てるまでだ。」とした外遊前の発言に近いものが繰り返された場合、事態が収拾する可能性は遠のいてしまうだろう(7日に帰国したエルドアン首相は、反政府デモを「破壊行為に走った」と非難し、即時中止を訴えるなど、対決姿勢を明確にした:IPSJ)。
トルコ政治に精通している人々にとって、現在進行している社会不安の状況は、1950年代に覇権主義的な政治を押し進めた中道右派の民主党政権下の状況を彷彿とさせるものがある。
ベテラン議員で社会民主党(SODEP)のフセイン・エルグン党首は、「1957年当時、アドナン・メンデレス首相とマフムト・ジェラール・バヤル大統領は、総選挙で47%もの得票率を獲得していたことから自信に満ち溢れていました。」と指摘したうえで、「そして彼らは野党や野党所属の国会議員に対する締め付けを始めたのです。また、国会内に野党勢力を標的とした調査委員会を設けたほか、イスタンブール市内の歴史的建造物を破壊したのです。こうした強権政治がどのような結末を迎えたかはご存じでしょう。」と語った。
事実、独裁色を強めた当時の民主党政権は1960年に軍事クーデターにより崩壊した。トルコの人々は、生存中に再びそのような事態が繰り返されるようなことがないことを願っている。(原文へ)
翻訳=IPS Japan
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