【ルワンワンジャ難民キャンプ(ウガンダ)IPS=アミ・ファロン】
もしあなたが、生き延びるために突然家から逃れなければならないとしたら、何を持っていきますか?あるいは、何を持ち出すことができるでしょうか?ジャン・クロード・ンドンジマナさん(20歳)の場合、コンゴ民主共和国東部の自宅から逃げたときに手にしていたものはミルクの売上金を入れた黒い袋と僅かな衣服のみだった。
ンドンジマナさんは、2か月前にツチ族系反政府武装組織「3月23日運動(通称:M23)」の兵士が村を襲撃し、彼を兵士に徴用しようとしたため、逃げ出した。そして彷徨の末、隣国ウガンダ南西部カムウェンゲ県のルワンワンジャ難民キャンプにたどり着いた。同難民キャンプでは、現在40,000人を超えるコンゴ難民が収容されている。
彼は、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が開催している新たな写真展示会に登場する9人の難民のうちの一人である。これらの写真には、難民と彼らが自宅を後にした際に持ち出した所持品が写っている。
ンドンジマナさんの写真は、芝生に座り黒い袋を頭の上に載せている彼の姿を捉えている。もう一つの写真には、フローレンス・ムケシマナさん(30歳)が5人の子供と古い片手鍋とともに写っている。片手鍋は、夫が地雷で死亡し、とっさに子供たちを引き連れて家から逃れる際に手に取ったものだった。「夫が亡くなったと知った時、私の目の前から望みが消え伏せました。そして祖国を(コンゴ民主共和国)を後にすることにしたのです。」とムケシマナさんは語った。
この展示会はカンパラ市内のミシュ・マシュレストラン/アートギャラリーで7月2日から3週間に亘って開催される予定で、UNHCRは、戦争や迫害から逃れるために世界各地で毎日数千人もの人々が難民になっている現実に注目を集めたいとしている。
ンドンジマナさんは、青色のレインコート、ぶかぶかの茶色のズボン、足底がぼろぼろの運動靴という、2か月前に故郷を後にした際のいでたちで取材に応じた。「僕はサッカーが大好きなんです。」と言う彼が被っているお気に入りの白黒チェックの帽子には、FAプレミアリーグ・アーセナルFC所属のバカリ・サニャ選手のシールが貼られていた。そのシールは、ンドンジマナさんがウガンダに越境してまもなくして入手したチューインガムのパッケージに入っていたオマケとのことだった。
コンゴ民主共和国では、内戦や和平合意が繰り返されてきたが、2012年4月に東部の北キヴ州で起こった(「M23」、国軍、FDLR、マイマイ等の武装集団間の)新たな武力抗争を受けて、膨大な数の地域住民が難民になることを余儀なくされている。UNHCRによると、約220万人が国内避難民となり、約700,000人が近隣のウガンダとルワンダに逃れている。こうした中、ウガンダ政府は新規難民を収容するためルワンワンジャ難民キャンプを再開した。
5月には、数百人におよぶコンゴ難民がM23による軍への強制徴用から逃れるべく、国境を越えてウガンダに流入した。ンドンジマナさんの場合、難民キャンプにたどり着くまでに3週間を要した。
ンドンジマナさんは当時を振り返って、「私たちは、時には土砂降りの雨の中を、ひたすら逃げては見知らぬ場所で眠り、また目が覚めては逃げるという日々を過ごしました。そうした中で、服はぼろぼろになりました。」と語った。
ンドンジマナさんは、故郷の両親と兄弟の身に最悪の事態が起こっているのではないかと心配しているが、コンゴに平和が回復するまでは、このままウガンダに残りたいと語った。
先月、南アフリカ政府はコンゴ民主共和国東部北キヴ州ゴマにおいて、南ア軍の部隊の展開を開始した。これらの兵士は、既に現地に展開しているタンザニア軍部隊、マラウィ軍部隊とともに、新設の国連攻撃軍(U.N. Intervention Brigade)の一部を構成するものである。3月28日、国連安全保障理事会はPKOの中立の原則から踏み出し、武装勢力への攻撃を任務とする部隊の創設を全会一致で認めた。3,000人規模この新設部隊は、7月中旬までには、部隊の展開を完了する予定である。
「国連攻撃軍の活動が本格化すれば、確かに状況は変わるでしょう。」「国連攻撃軍がM23を攻撃した場合、(北キヴ州)マシリとルツル地区の治安状況が悪化し、同地からウガンダに逃れる難民の数がさらに増えることが予想されます。」とUNHCRゴマ事務所のクアシ・ラザール・エティエン所長はIPSの取材に対して語った。
6月20日、ルワンワンジャ難民キャンプで国連が定めた「世界難民の日」の記念行事が行われる中、コンゴ民主共和国政府は数百名規模の国軍兵士と戦車部隊をM23との勢力境界線に沿って展開し、反乱軍に対する攻勢を伺う構えを見せた。
コンゴ政府と反政府勢力間の和平交渉は、大湖地域国際会議(ICGLR)議長のヨウェリ・カグタ・ムセベニ(ウガンダ)大統領の仲介で、カンパラにおいて行われてきたが、合意には至っていない。
「もし和平交渉が頓挫し、国連攻撃軍が武装勢力、とりわけM23に対して攻撃を加えるような事態になれば、ウガンダに向けて大量の難民を生み出すことになるでしょう。」とエティエン所長は語った。
オックスファム・インターナショナルのDRC人道プログラムコーディネーターのタリク・リーブル氏は、IPSの取材に対して、「北キヴ州各地で発生している戦闘で、家を追われる人々が後を絶たず、また、戦闘に巻き込まれる懸念があることから、人道援助団体も支援を必要としている人々のところまで援助の手が届かないのが現状です。」と語った。
またリーブル氏は、「この20年間、コンゴ東部は絶えず戦火に巻き込まれ、住民は先が見えない苦境に喘いできました。現在北キヴ州には900,000人以上が国内難民として各地の難民キャンプに身を寄せていますが、彼らのニーズを満たせるだけの資金が不足しているのが現状です。」と指摘したうえで、「難民の人々は、安全と保護、そして清潔な水、保健サービス、避難施設、食料を含むベーシックニーズへのアクセスを緊急に必要としています。」と語った。
ガブリエル・セルトックさん(75歳:上のカウボーイハットを被った写真の人物)は、コンゴ民主共和国で、伝統舞踊の踊り手として生計をたてていたが、ある日、兵士が彼の家に乱入し発砲したことから、家を飛び出し、裸足で3日間彷徨した末にウガンダの難民キャンプにたどり着いた。彼の写真もUNHCR主催の写真展の一部を構成している。
セルトックさんは当初妻と2人の子どもを連れて逃避行をはじめたが、途中ではぐれてしまい、今では難民キャンプで一人暮らしをしている。彼は、大切にしている7年物のカウボーイハットとネービージャケット、ベージュ色のTシャツ、そして4年前に市場で買った茶色のズボンといういでたちで、住み慣れた家を後にした。
「ある日、私がこの服を着ているとき、戦争が勃発しました。」「兵士たちは私の財産をすべて奪っていきました、服も、牛も、そして家もです。今は何もありません。私は故郷へは帰れません。どうしてかって?それは生活を立て直すにもそこにはもはや何もないからです。帰ったってしょうがないではありませんか。」とセルトックは語った。
翻訳=INPS Japan
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