SDGsGoal16(平和と公正を全ての人に)希望の継承: サハラウィ難民の故郷を取り戻す闘い

希望の継承: サハラウィ難民の故郷を取り戻す闘い

【サハラウィ難民キャンプ(アルジェリア)Lodon Post=アリ・アウイエチェ】

アルジェリア南西部に位置するサハラウィ難民キャンプ。砂漠の砂が果てしなく広がり、灼熱の太陽が照りつけるこの地に、西サハラ出身の若い女性サルカさんが家族と共に暮らしている。彼女が幼い頃、戦争のために故郷を追われ、避難したこのキャンプが、長い年月を経て第二の故郷となった。

Sahrawi Arab Democratic Republic in Africa (claimed), Wikimedia Commons.
Sahrawi Arab Democratic Republic in Africa (claimed), Wikimedia Commons.

サルカさんは、人間らしい生活に必要な多くのものを欠いたキャンプで育った。しかし、過酷な環境にもかかわらず、彼女の決意は揺るがなかった。単なる人道支援に頼る難民のままでいることを、彼女は受け入れることができなかった。彼女の心には、シンプルだが壮大な夢が宿っている。それは、いつの日か故郷に帰り、自由な国を目にし、テントと砂から離れた尊厳ある生活を送ることだ。

サルカさんは農業を始め、ヤギを飼うことを決意した。与えられた土地は広くはなかったが、自分と家族を養うためにいくつかの作物を育てるには十分だった。時には生活費を補うために収入を得ることもあった。トマト、ピーマン、ジャガイモなどの簡単な野菜を育て始めた彼女は、不毛の地に種を蒔くたびに、それが故郷へ戻るための一歩だと信じていた。

しかし、キャンプでの生活は容易ではなかった。熱風が土地を乾かし、水の確保も度々困難だった。それでも、サルカさんは夜遅くまで起きて、より良い季節を願い、計画を立てた。土地に種を蒔き、一生懸命働き続けた彼女は、この過酷な地において土地が唯一の希望だと確信していた。

農業は単なる生存手段ではなく、抵抗の一形態だと彼女は考えている。彼女は希望を心に蒔き、農民とは土地を耕すだけでなく、価値や理念を全てに植え付ける人だと学んだ。毎日、彼女は故郷に帰る夢を育み続けたが、その帰還は物理的なものだけでなく、キャンプでの生活を通じて彼女が成し遂げた成長や発展も必要だと知っていた。

Image Credit:Ali Aouyeche
Image Credit:Ali Aouyeche

サハラで再燃する戦争がもたらす悲劇

年月が経ち、西サハラでの戦争が2020年に再開されると、サルカさんと家族にとってキャンプでの状況はさらに厳しいものとなった。時折届く故郷からのニュースは、彼女たちが後にした土地や砂と共に埋もれた夢を思い出させた。サルカさんはその出来事を注視しながらも、深い悲しみを抱きつつ、農作業を続けた。作物を植えるごとに希望をも同時に蒔いていると信じていたからだ。

西サハラでの戦争の再開は、帰還の未来をさらに複雑なものにした。モロッコ軍とポリサリオ戦線の戦闘が激化し、安全壁の東側にある解放地域から避難してきた難民が増加し、キャンプの状況はさらに厳しさを増した。それでも、サルカさんは抵抗とは武器だけではなく、一粒の種を土地に植えることや、心に抱いた決意を育てることも含まれると信じていた。

ある日、ポリサリオ戦線の代表団が彼女を訪れ、精神的な支援を提供してくれた。解放運動の一環として西サハラの独立を目指す彼らは、彼女にとってよく知られた存在だった。代表団の一人のリーダーが、サルカさん等に悲しげな微笑みを浮かべながらこう語った。「君は土地に希望を植え、私たちは闘争に希望を植えている。しかし、闘いはまだ長く、帰還にはさらなる犠牲が必要だ。我々は君たちのために、決して屈しない人々のためにここにいるのだ。」

Image Credit:Ali Aouyeche
Image Credit:Ali Aouyeche

この言葉は、サルカさんに希望と悲しみが入り混じった感情をもたらした。自由への道はまだ遠く、戦争は一夜にして終わらない。しかし、彼女は土地に蒔いた希望こそが、自分を生かし続け、他の難民たちの心にも抵抗の精神を宿すものだと確信している。

続く戦争の中で、サルカさんはキャンプで得た農業の知識を他の人々に役立てる方法を考え始めた。厳しい条件と資源の不足が続く中でも、農業が難民の生活改善に役立つ部分的な解決策となり得ると彼女は考えた。彼女は簡単な農業技術を教える小さなワークショップを組織し、不毛の地でも応用可能な方法を伝授した。キャンプでの農業は、生活条件を改善する一助となる可能性を秘めていた。

子どもたちへの戦争の心理的影響

数か月が過ぎ、サルカさんは農業を教えた子どもたちの目に、戦争の影響が刻まれているのを見た。ほぼ毎日のように死傷者のニュースを耳にし、そのたびにサハラウィの人々の目に宿る悲しみに心を打たれた。彼女は希望は戦争や戦いにあるのではなく、困難な状況にあっても揺るがぬ信念、努力、そして人間の変革能力にあると確信している。

SDGs Goal No. 16
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そして、サルカが恐れていた日が訪れた。地元ラジオがスピーカーで、彼女の父親が解放地域でラクダの世話をしている最中に、モロッコ軍のドローンによって車を攻撃され、命を落としたと伝えた。このニュースはキャンプ中に瞬く間に広まり、戦争とその破壊的な影響について皆が語った。父を失った悲しみに暮れる中で、サルカはこの危機の終焉と新たな始まりが訪れることを信じていた。彼女は、帰還の夢が以前よりも近づいたと感じ、自分がこの偉大な変化の一部になることを確信した。

サルカさんの畑は、サハラウィの人々にとって、どんな状況下でも生き続ける希望と、故郷に戻る夢の象徴となった。毎朝、サルカさんは自分の畑を見てこう繰り返す。「ここに木を植えるように、私たちは自由を故郷に植える。そして、いつの日か私たちは帰るのだ。」(原文へ

西サハラ紛争とは:北西アフリカの西サハラ地域を巡るモロッコとポリサリオ戦線(西サハラ独立を目指すサハラウィ民族解放運動)との間の対立である。1975年にスペインが植民地支配を放棄した後、モロッコとモーリタニアが領有を主張したが、サハラウィの人々は独立を目指して抵抗した。1976年、ポリサリオ戦線が「サハラ・アラブ民主共和国」を樹立し、紛争は激化。1991年に国連の停戦合意が成立し、西サハラの住民投票が提案されたが、実施されないまま現在も膠着状態が続いている。この紛争により、多くのサハラウィ人が難民となり、アルジェリアの難民キャンプで過酷な生活を余儀なくされている。

INPS Japan/ London Post

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