SDGsGoal10(人や国の不平等をなくそう)米国によるマーシャル諸島での核実験の遺産―正義と責任を求めて

米国によるマーシャル諸島での核実験の遺産―正義と責任を求めて

【メルボルンLondon Times=マジド・カーン / ウザイル・アフマド・タヒール】

物理学者オッペンハイマーを描いたハリウッド映画『オッペンハイマー』は、米国による核実験の遺産、特に米国本土およびその海外領土に暮らす先住民コミュニティに与えた壊滅的な影響について、世界的な議論を巻き起こしている。多くの人々にとって、この映画は長らく忘れられていた歴史を再び照らし出し、マーシャル諸島の人々にとっては、彼らの土地、身体、未来を長年にわたって傷つけてきた核実験の痛ましい記憶を呼び起こす契機となった。

Oppenheimer poster/The Nepali Times
Oppenheimer poster/The Nepali Times

マーシャル諸島は、小さな環礁と島々から成る太平洋の国であり、1946年から58年にかけて、米国が23回の核および熱核実験を行った地である。これらの実験の中には、米国がこれまでに行った中で最も強力なものも含まれており、マーシャル諸島の人々に消えることのない傷跡を残した。特に1954年の「キャッスル・ブラボー」水爆実験は、この痛ましい歴史を象徴する出来事である。3月1日に行われたこの実験は、予想を大きく上回る巨大な爆発を引き起こし、キノコ雲は上空40キロメートルまで達した。近隣のロンゲラップ環礁に暮らしていた人々にとって、これは放射線障害による長年の苦しみの始まりであった。

マーシャル諸島の人々の苦難は、1946年に米国が同地で核実験を始めた時点に遡る。ビキニ環礁の住民たちは、実験のために強制移住させられた。米国政府は「たとえ砂州に取り残されたとしても、米国本土の子どものように大切にする」と約束したが、この約束は守られなかった。ビキニ環礁の人々は故郷に戻ることは許されず、他の島に移された人々もまた、想定されていなかった放射線にさらされた。

なかでも悪名高いキャッスル・ブラボー実験は、米国の核兵器開発において飛躍的な進展を目指して行われたものであった。しかしその規模は想定を大きく超え、放射性降下物は危険と見なされていなかった島々にも及んだ。爆心地から160キロ以上離れたロンゲラップ環礁の住民たちも深刻な影響を受け、多くの人が火傷、吐き気、嘔吐などの放射線障害の症状を訴えた。これらの症状は、マーシャル諸島における長期的な健康被害の始まりに過ぎなかった。

放射線被曝は「静かな殺し屋」である。甲状腺がんや白血病といった病気は、放射線との直接的な因果関係が指摘されている。健康被害に加えて、環境への影響も深刻だった。爆発による直接的な被害のみならず、放射性降下物は長年にわたり土地や海、食料供給を汚染し続けている。かつては豊かな植生と動物に恵まれていた地域も、今では荒廃し、人が住むには安全ではなくなった。土地と海と深く結びついて生きてきた人々にとって、この環境破壊は特に痛ましいものである。

Image: The United States conducted the first in a series of high-yield thermonuclear weapon design tests, the Castle Bravo test, at Bikini Atoll, Marshall Islands, as part of Operation Castle on 1 March 1954. Credit: U.S. Department of Energy. Credit: U.S. Department of Energy
Image: The United States conducted the first in a series of high-yield thermonuclear weapon design tests, the Castle Bravo test, at Bikini Atoll, Marshall Islands, as part of Operation Castle on 1 March 1954. Credit: U.S. Department of Energy. Credit: U.S. Department of Energy

米国政府は、健康と環境への被害だけではなく、非倫理的な科学実験によってもマーシャル諸島の人々を傷つけた。1950年代から始まった「プロジェクト4.1」と呼ばれる秘密の医療プログラムでは、被曝した人々を対象に放射線の影響を研究した。長年にわたり、マーシャル諸島の人々には研究の真実は明かされず、必要な保護や医療支援も提供されなかった。1994年にこのプログラムの詳細が機密解除されたことで、マーシャル諸島の人々が「実験台」として扱われていたことが明らかとなり、米国政府への不信はさらに深まった。

米国政府の対応は極めて不十分である。明らかな被害があったにもかかわらず、政府は正式な謝罪を一度も行っていない。1994年、米国とマーシャル諸島は「自由連合盟約(COFA)」を結び、一定の補償はなされたが、これは概ね不十分と見なされている。健康や環境に関する支援も約束通りには行われておらず、米国の誠意を欠いた対応に、マーシャル諸島の人々は見捨てられ、裏切られたと感じている。

キャッスル・ブラボー実験から70周年を迎える今、私たちはこれらの行為の継続的な影響について考え直すべきである。米国政府は対応してきたと主張するかもしれないが、マーシャル諸島の人々にとって、がん、避難、環境破壊といった核実験の影響はいまだに現在進行形である。米国はその加害の責任を果たし、正当な補償を行うべきである。

マーシャル諸島は地政学的に重要な拠点であり、米国軍は太平洋地域での作戦のために同国に基地を置いている。しかし、この戦略的関係には、長年にわたる搾取と裏切りの歴史が横たわっている。マーシャル諸島の人々は、地政学の駒ではない。彼らは正義と承認、そして放射能の影から抜け出して生き直す機会を与えられるべき存在である。

Flag of Marshall Islands
Flag of Marshall Islands

マーシャル諸島が米国に求めることは明確だ―さらなる核補償、そして何よりも正式な謝罪である。これは決して過剰な要求ではなく、一国の超大国が他国の国民に与えた甚大な被害に対する当然の対処である。これらの問題が解決されない限り、米国による核実験の遺産は、マーシャル諸島に米国自身にも深い傷跡として残り続けるだろう。

結論として、マーシャル諸島における核実験の遺産とは、搾取、苦しみ、そして破られた約束の歴史である。マーシャル諸島の人々は、米国の核開発という無謀な追求の犠牲となり、長年にわたり健康被害、環境破壊、避難生活を強いられてきた。米国はこの加害の責任を認め、謝罪し、マーシャル諸島の人々が生活を再建するために必要な補償を提供すべきである。核の正義は、マーシャル諸島のためだけでなく、米国が果たすべき道義的責務として実現されなければならない。(原文へ

INPS Japan/London Post

関連記事:

核兵器に対峙するマーシャル諸島を支援する市民社会

南太平洋諸国で核実験が世代を超えてもたらした影響

マーシャル諸島の市民が核実験で直面した状況に関する警告:UN専門家が「持続可能な解決策」の必要性を訴える(アーカイブ)

最新情報

中央アジア地域会議(カザフスタン)

アジア太平洋女性連盟(FAWA)日本大会

2026年NPT運用検討会議第1回準備委員会 

パートナー

client-image
client-image
client-image
client-image
Toda Peace Institute
IPS Logo
The Nepali Times
London Post News
ATN

書籍紹介

client-image
client-image
seijikanojoken