地域アジア・太平洋2025年を振り返って

2025年を振り返って

「エベレストの国」として知られるネパールは、2025年、若者主導の政権転覆と結び付けて語られるようになった。

【カトマンズNepali Times=ソニア・アワレ】

年初は大きな出来事もなく始まったが、年末は騒乱と先行きの不確実性の中で幕を閉じた。ただし緊張は、年初から水面下でくすぶっていた。

Nepali Times
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2月、ネパールはマネーロンダリング対策の不備を理由に、金融活動作業部会(FATF)の「グレーリスト」に入った。米国国際開発庁(USAID)の停止で、保健、気候、栄養分野の多くの事業が止まった。混乱のさなか、5月にはインドとパキスタンが戦争に突入した。全面的な核戦争には至らなかったものの、この衝突を経てドナルド・トランプ大統領とナレンドラ・モディ首相の関係は決定的に悪化した。

3月28日、カトマンズでは、債務不履行で知られるドゥルガ・プラサイが率いた親王政集会が開かれ、機動隊によって解散させられた。支持者が放火と略奪に走り、テレビ記者を含む2人が死亡した。年後半の混乱を予告する出来事だった。

モンスーンは例年通りの被害をもたらした。今回はボテ・コシ川で国境を越える氷河湖決壊洪水が発生し、中国との主要貿易ルートが押し流された。気候リスクを改めて突きつける出来事となった。

8月、カトマンズの政界・メディア関係者の間では、K・P・オリ首相がインド政府から公式招待を得られるかどうかが取り沙汰されていた。招待が実現しないと、オリは9月3日、北京で開かれた戦勝記念パレードに出席するという物議を醸す訪中を強行した。第二次世界大戦における日本の敗戦80周年を掲げる式典である。

会場にはウラジーミル・プーチン大統領、習近平主席、金正恩第総書記が居並んだ。だがオリは帰国から6日後、首相の座を追われた。抗議者が首相公邸に火を放つ直前、オリはネパール軍のヘリコプターで救出された。

Representative image. Photo: Bill Kerr/Flickr, CC BY-SA 2.
Representative image. Photo: Bill Kerr/Flickr, CC BY-SA 2.

この年を通じ、UML(ネパール共産党・統一マルクス・レーニン主義)とNC(ネパール会議派)の連立は、言論の自由を狭める法案を相次いで準備していた。印刷・出版法の改正、ソーシャルメディア法案、対諜報法案、さらに社会福祉評議会(Social Welfare Council)の改組である。導火線に火をつけたのは、9月5日に26のソーシャルメディア・プラットフォームを禁止した措置だった。

インドネシアで起きた若者主導の反汚職抗議に触発され、ネパールのGenZ(Z世代)が動いた。社会政治の空気は乾き切っており、殺害事件への怒りが抗議の拡大を促した。

GenZが9月8日、汚職と悪政に抗議する集会を呼びかけたとき、事態が制御不能に陥るとは(若い抗議者自身も含め)誰も想像していなかった。8日、武装警察部隊(APF)の発砲により、デモ参加者19人が死亡した。

流血はソーシャルメディアで無検閲のまま拡散された。翌日、衝撃が癒えぬ若者たちのさなかで、さまざまな不満を抱えた人々が放火と略奪に走り、標的は住宅、官公庁、学校、事業所に及んだ。9日午後10時にネパール軍が外出禁止令を出すころには、多くが焼け落ちていた。

Kathmandu’s Singha Durbar in flames
Kathmandu’s Singha Durbar in flames

その後、GenZはスシラ・カルキを首相に選出したが、彼女に不満を抱く強硬な一派もいる。混乱に拍車をかけているのが、打倒されたUMLとNCの指導者たちである。彼らは失脚を受け入れられず、下院(代議院)の復活を狙う。オリはUMLの党首に再選され、退く気配はない。かつての連立相手であるシェール・バハドゥル・デウバにも踏みとどまるよう働きかけている。

People take part in an anti-corruption protest in Kathmandu, Nepal on 8 September 2025. Credit: Navesh Chitrakar/Reuters via Gallo Images
People take part in an anti-corruption protest in Kathmandu, Nepal on 8 September 2025. Credit: Navesh Chitrakar/Reuters via Gallo Images

ただ、両党には選挙に踏み切る以外の選択肢がない。にもかかわらず、長年の失政に対する民衆の怒りに向き合うための党改革は十分に進んでいない。

3月の選挙実施は不透明とみられていたが、ラーム・チャンドラ・パウデル大統領が今週、UML、NC、NCPの各党を招集し、カルキとの初会合を開いたことで情勢が動いた。RSPもカトマンズ市長バレン・シャーとの協議に乗り出し、総選挙はにわかに現実味を帯びてきた。結果がどうであれ、2026年は既成政党の優位が新たな勢力に挑まれ、ネパール政治の進路を変える年となるだろう。

それが透明性、民主主義、説明責任という新たな政治文化につながるのか。あるいは大衆迎合と権威主義へ傾斜するのか。その兆しが見え始めるのが2026年である。(原文へ

ソニア・アワレ(ネパリ・タイムズ編集者/保健・科学・環境担当):気候危機、防災、開発、公衆衛生を長年取材し、それらの政治・経済的な相互連関を追ってきた。公衆衛生を学び、香港大学でジャーナリズムの修士号を取得。

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