【ベルリンIPS=フランチェスカ・ジアデク】
近年、「ベルリナーレ」として知られるベルリン国際映画祭が、さまざまな場を横断して先住民族の声を発信する欧州のハブ機能を果たしつつある。さまざまな場とは例えば、「NATIVe:先住民族映画への旅」シリーズや、先住民族のアーティストが語りをし、次に参加者からの発言を求める「語りのスラム」などである。
ラテンアメリカを特集した今年のベルリナーレでは、グアラニー、ウィチョル、シャヴァンテ、ウィチ、クイクロ、マプチェ、ツォツィル、ケチュアなどの先住民族からのさまざまな声や観点を盛り込んで、ベルリンが1年で最も曇りがちなこの時期を先住民族の天賦の才で彩った。
そして、グアテマラの先住民族のストーリーである『イクスカヌル火山』(監督:ジャイロ・ブスタマンテ[37]、パカヤ火山地帯におけるマヤの社会を描く)が、「映画芸術に新たな境地を開いた」映画として今年のベルリナーレの銀熊アルフレッド・バウアー賞を獲得した。
『イクスカヌル火山』は、グアテマラのイクスカヌル活火山の山麓でコーヒー豆を栽培して暮らすマヤ族の女性マリア(17)の物語である。彼女は、外の世界を見たいと思っていたが、しきたりに従い、間もなく両親が決めた地元の名士との結婚をしなければならなかった。そんなある日、火山地帯を出て北に向かい新しい生活を送ろうと夢を語って彼女を誘う地元の若者ペペに出会い苦悩する。
マリアは、ペペとの駆け落ちに失敗した後、10代で望まない妊娠をした過酷な現実に直面する。マリアと(マヤ社会の演劇俳優で活動家でもあるマリア・テロンさん演じる)彼女の母親は、まもなくドラマチックな状況の中で崖っぷちに立たされる…。
実話を基にした『イクスカヌル火山』は、ブスタマンテ監督が地元の女性を討論グループとマヤ地域の12の言語のひとつであるカクチケル語で脚本を書くワークショップに参加させるなど、地域コミュニティーとメディアによる物語プロジェクトの中から生まれたものである。従って、物語は必然的に、マヤ族の人々がこれまで直面してきた、人権侵害と貧困、無力感との間にある明白なつながりに焦点をあてるものとなった。
「私は、人々が置かれている無力な状況、何の権限も認められていない先住民の女性が直面している現実の状況を、彼女たち自身の観点で、そして自らの言葉で語ってもらいたいと考えたのです。」と、自身もマヤ社会で育ち、カクチケル語を話すブスタマンテ監督は語った。
医療関係者と国家当局を巻き込んだ児童の人身売買をめぐる悲劇について最初にブスタマンテ監督に教えてくれたのは、地域医療に従事していた彼の母親であった。この事件はグアテマラ内戦期(1960~96)の最も暗い一面であった。
国連は、毎年400人もマヤ先住民の子どもや幼児が拉致されていたと報告している。グアテマラ軍事政権の下で罰せられることなく実行された人権侵害スキャンダルであった。
「最貧困層の人々を救うふりをしながら束縛し騙す、狡猾な社会的・法的枠組みが存在します。これが人々を無力で従順な状態に追いやっているのです。もっとも(このような状況下に直面すれば)他に選択肢がないのが現実ですが…。」とブスタマンテ監督は語った。
しかし、ベルリンでは、マリア・テロンさんと、主演のマリアを演じたメルセデス・コロイさんが、「物語を気に入って」くれたこと、耳を傾け賞賛してくれたことへの感謝の意を述べた。またテロンさんは、「先住民の女性や社会にとってこのような賞賛を受けることはめったにありません。」と語った。
グアテマラ内戦では、多数のマヤ先住民が虐殺され、その被害はこの内戦による犠牲者全体の85%を占めている。こうした残虐行為が引き起こした恐怖と人権侵害の実態については、フンボルト大学(ベルリン)の教授(公共国際法)でドイツの法律家クリスチャン・トムシャット氏ら3人の報告者が起草し、グアテマラの「歴史の真実究明委員会」がまとめた『沈黙の記憶』と題した報告書に詳述されている。
記憶は、水に関する先住民族の観点をつなぐ糸であった。水は地球において生命を維持するかけがえのない要素であり、ベルリナーレの銀熊賞(脚本賞)を獲得したチリの映画監督パトリシオ・グスマン氏のドキュメンタリー『真珠貝のボタン』の主題であった。
過去を否定する国は集団的健忘症に囚われているのであり、「ドキュメンタリー映画を持たない国は家族写真のない家族のようなもの」と語るグスマン監督は、こうした信念を、自国の植民地時代の歴史と先住民を絶滅に追いやった事実を否定するチリに適用したのであった。
この映画の題名は、真珠貝のボタン1つ分の値段で1830年に英国の海軍人に売られたヤガン族の若者ジェミー・ボタンの伝説から採られたものである。
このドキュメンタリーは、かつてパタゴニアの入江を拠点にした「海の民」であり今はほぼ絶滅したヤガン先住民3人と、かつてこの水域を自由に行き交い何世紀にもわたって人間の生活を支えた彼らの祖先たちの智恵に哀悼を捧げた作品である。
ピノチェトによる悪名高い「拷問競技場」(1973年)で15日間の拘束を経験し、ドキュメンタリー三部作『チリの闘い』(1975~78)で国際的に有名なグスマン監督によるインタビューに登場する(絶滅寸前のカウェスカル語を話す)先住民のガブリエラ・パテリトさんは、12才の時に母親と一緒に水を求めて600マイルも旅をしたことを回想した。
スペイン語の単語を自分の母語であるカウェスカル語に翻訳するよう言われたパテリトさんは、「水」「太陽」「ボタン」など多くの単語を思い出した。さらに「警察」を意味する言葉について問われた彼女は、頷きながらこう答えた。「いいえ、そんな単語は必要ありません。」また、神に関する彼女の見解は毅然としたものだった。「いいえ、神などいません。」
そう答えたパテリトさんが属する先住民族がたどってきた運命は、チリの植民地時代に決定づけられたが、その歴史はほとんど顧みられることなく忘れ去られようとしている。事実は、この海域に長年暮らしていた5つの先住民族は、この地に進出してきたカトリック教会の宣教師とスペイン人征服者らによって絶滅に追いやられたのである。
ユネスコは、「土着の智恵とは、ある文化あるいは社会に特有の局所的な知識のことであり」、自然界の知識は長年にわたって自然界との相互作用において人間社会を維持してきた蓄積された知識であることから、科学に限定することはできない、との認識を示している。
『真珠のボタン』のもうひとりの主人公は、チリ政府が表向きは彼自身(=先住民)の「保護」を名目にして、いかにして自作のカヌーの使用を禁じたか、そしてその結果として、いかに彼らの伝統的な生活様式を禁じていったかについて語っている。…このドキュメンタリー作品は、土着の海の民を絶滅に追いやったことで、2670マイルにも及ぶ海岸線の持つ潜在力を自ら利用できなくした国の姿を浮き彫りにしている。
メキシコの映画配給会社「マンタラーヤ・ディストリビュシオン」のレオ・コルデロ氏は、「『イクスカヌル火山』は、ラテンアメリカ発の作品にとっては重要なステップです。上映作品の8割がアメリカ発の大ヒット映画であり、欧州発の作品や、ましてやラテンアメリカの作品にはごく僅かなニッチ(=隙間)しか残されていません。」と指摘したうえで、「逆説的ですが、映画が欧州や世界で受けて初めて、ここラテンアメリカで上映のチャンスが出てくるのです。」と語った。
グアテマラの和平プロセスとマヤ先住民の解放に強く関心を寄せた映画『イクスカヌル火山』は、地元民による歴史の語り直しと映画制作は「共有財」であるとする新たな理解によって先住民族のメディアが花開こうとする中で生み出された作品である。
ボリビアとエクアドルは、母なる地球への権利の法という聖なる概念を基盤とした先住民族の世界観への理解を示してきた。個人的な利得よりも集合的な善を優先した「パチャママ」という概念がそれである。
ベルリナーレのNATIVeや「語りのスラム」では、先住民族の観点が中心を占めた。ベネズエラの映像アーティストで、アマゾン流域の川を守る先住民族の運動についてのドキュメンタリー『水の所有者』のプロデューサーであるデイビッド・アルベルト・ヘルナンデス・パルマー氏は、「母なる大地は悲しんでいる」と語り、ペモン族の土地であるベネズエラのグラン・サバナ自然保護区に元々はあったクエカ・ストーンは、ベルリン中心部の広大な公園であるティーアガルテンから返還されるべきだと主張した。
ドイツ政府が先住民族の資産の返還に関与することになるかどうかはわからないが、先住民族の芸術やメディア、通信はますます(対話の)橋を架けつつある。
「映画という媒体は、理解に対する重要な道筋を提供することができます。なぜなら、(映画を通して)他者の観点に対して心を開くことが可能になるからです。」と、異なる文化や民族集団間の関係に対する関心を強調したブスタマンテ監督は語った。(原文へ)
翻訳=IPS Japan
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