【ミャンマー・ヤンゴン/バンコクIPS=ガイ・ディンモア】
内戦が数年にわたり続き、民間人の死者は数千人に上る。政治犯もなお2万2000人以上が収監されたままだ。こうした状況下で、ミャンマーが2021年のクーデター後に初めて実施した、しかし厳しく管理された選挙の早期開票結果が、軍の「代理政党」の勝利を示していても、驚く者はいなかった。

「民間人を爆撃しながら、同時に選挙を行うことなどできるのか。」国外で情勢を監視する人権活動家キン・オーマーは、抵抗勢力と影の政府(国民統一政府=NUG)が「茶番(sham)」として拒否する今回の投票を念頭に、そう問いかけた。
軍政はすでに、自らが掲げる「真に規律ある複数政党制民主主義」へ向けた地ならしを進めていた。選挙を不当として登録を拒んだ約40政党を解散させ、指導者や支持者の多くはいまも獄中にある。
解散対象には、国民民主連盟(NLD)と党首アウン・サン・スー・チーも含まれる。NLDは2020年総選挙で圧勝し、2期目の続投を決めたが、クーデターを主導し、自ら大統領代行を名乗るミン・アウン・フライン上級大将が結果を無効化した。2021年初頭の大規模な街頭抗議は弾圧され、内戦は全土に拡大した。
ヤンゴンのベテラン分析者は「潮目は軍に有利に変わった」と述べ、中国とロシアの影響を指摘した。国境を接する少数民族武装勢力を中国が抑え込み、ミン・アウン・フラインを全面的に受け入れたうえ、ロシアとともに、抵抗勢力を押し返すために必要な武器、技術、訓練を供給したという。

軍政は、航空戦力と新たに獲得したドローンを容赦なく投入してきた。攻撃は、抵抗勢力が草の根の支持を持つ比較的遠隔地で行われることが多く、民間人がしばしば標的となっている。選挙が近づくにつれ、空爆は激しさを増した。ヤンゴンのような大都市は比較的落ち着いていたものの、社会全体には重苦しい空気が漂っていた。
AFPによると、12月5日にはサガイン地方タバイン郡区への爆撃で18人が死亡し、混雑する茶屋にいた人々も犠牲となった。12月10日には、ラカイン州の古都ミャウ・ウーで病院が空爆され、入院患者10人を含む23人が死亡した。軍政側は、アラカン軍や人民防衛隊(PDF)が病院を拠点として使用していたと主張している。

国連のアントニオ・グテーレス事務総長は、投票を前に地域を訪問した際、「自由で公正な選挙になると信じている者は誰もいない。」と語った。さらに、軍政に対し「嘆かわしい」暴力を終わらせ、市民統治への「信頼できる道筋」を示すよう求めた。
一方、トランプ政権は11月、軍政が進める選挙計画を「自由で公正なもの」と位置づけ、米国内にいるミャンマー難民に対する一時的保護資格(TPS)を終了させた。政権は、ミャンマーに帰還しても安全だと判断した。
「投票しなければ投獄されるかもしれない。」投票前日、ヤンゴンでタクシーを運転するミンは、半ば冗談めかしてそう語った。「どうせ何も変わらない。この国を動かしているのは、ミン・アウン・フラインではなく、中国と習近平だ。」

投票は3段階で実施される。第1回は12月28日に102郡区で行われ、残りは1月11日と1月25日に続く。対象は、二院制の国民議会と、14の管区・州の議会で、計330郡区のうち265郡区で投票が予定されている。
残る65郡区では、選挙管理当局が治安上の理由で投票を実施しない。
第1回投票が行われたヤンゴン(都市部と周辺の半農村地帯が広がり、人口約700万人)では、静かな日曜日、投票は落ち着いた雰囲気のまま、ゆっくりと進んだ。軍政は投票率の引き上げに強い圧力をかけ、脅しがあったとの指摘もあるが、現場は大きな混乱が見られなかった。
2015年と2020年には、ミャンマーは地域で最も開かれ公正な選挙を実施したとも評された。ミャンマー国軍の代理政党である連邦団結発展党(USDP)は大敗し、人々は投票の証しとして、消えないインクで染まった小指の写真をソーシャルメディアに競うように投稿した。数週間にわたる大規模集会と活気ある選挙戦が続いた。
だが今回は違う。ソーシャルメディアには体制への罵倒があふれ、滑稽で下品な投稿も少なくない。抵抗勢力が呼びかけたボイコットを支持したい一方、報復を恐れる人々は、有権者名簿から自分の名前が「誤って」漏れているのを見つけると安堵した。初めて導入された電子投票機では、候補者欄を空欄のまま提出することもできなかった。

それでも、従来の選挙と同様に、軍とその強大な経済利権ネットワークに近い人々からなる「中核層」は、連邦団結発展党(USDP)に投票するため投票所に足を運んだ。
「私たちは自分たちの政府を選んでいる」。ヤンゴン中心部の投票所から家族とともに出てきた男性は、そう宣言した。男性はUSDP支持者とみられ、同行者の1人は、消えないインクに浸した小指を誇らしげに掲げた。
第1回投票の投票率について、軍政当局は52%と発表した。過去2回の選挙での約70%と比べ、低下している。中国は、特使を「公式オブザーバー」として派遣し、ロシア、ベラルーシ、ベトナム、カンボジアなどの代表団とともに選挙を評価した。
1月2日、選挙管理委員会は予告なく部分開票結果を公表した。開票が終わった下院40議席のうち、退役将軍が率いるUSDPが38議席を獲得したという。誰も驚かなかった。
USDPの選挙メッセージは、主に2点に集約されていた。家族そろって投票に行くこと、そして「安定と前進」を取り戻すためUSDP政権を支持すること、である。
その底流にあるのは、過去の「実績」への想起だった。NLDなどが不在だった2010年総選挙で大勝した後、テイン・セイン大統領(当時)が、社会経済・政治改革と、少数民族武装勢力との停戦交渉を導入したことを強調する構図である。

スー・チーは当時、自宅軟禁下にあったが、2010年選挙直後に解放され、2012年の補欠選挙で当選した。さらに2015年にはNLDが圧勝し、政権を奪取する。だがスー・チーは、その後5年間、軍との難しい権力分有の下で統治を行い、クーデターで再び投獄された。
現時点で、ミャンマー人口の多くは軍政支配地域に暮らす。14の管区・州の首都はすべて軍政の管理下にあり、紛争から逃れた人々の流入で膨張している。軍はまた、主要港湾と空港を押さえ、中国およびタイとの主要な国境検問所も、程度の差はあれ掌握している。
しかし領域で見れば、ミャンマーの半分以上は、分散した少数民族武装勢力や抵抗勢力の手にある。連携は流動的で、交渉可能なものだ。
影の国民統一政府(NUG)は、解放地域で独自の統治権限を確立しようとしている。軍の干渉を排し、民主的で連邦制のミャンマーを築くという理念の下で合意形成を固める狙いだ。だが、それは英国植民地支配から独立した1948年以来、この国が達成できずにきた課題でもある。
前線は揺れ動いている。軍は、かつて自らの牙城とみなしてきた中部のバマー(ビルマ)中核地帯の掌握回復を図る一方、クーデター後に国境地帯の広大な領域を失い、他地域でも戦線を引き伸ばされている。国外へ逃れた人々、あるいは国内避難を余儀なくされた人々は、数百万人に達した。
一方で、今回の選挙が「円滑に」進み、4月に連邦団結発展党(USDP)政権が発足すれば、軍は自信を誇示するかたちで、強制徴兵の停止や一部政治犯の釈放といった措置を打ち出すのではないか、との見方もある。まず力を誇示し、次に正統性を回収する―そうした構図である。
「政治犯は餌として使われている。」
バンコクを拠点とする人権活動家キン・オーマーは、そう語った。軍政が選挙後に政治犯の一部釈放などの“譲歩”を示せば、弾圧の構造が変わらなくても、国際社会はそれを「前進」と受け取り、一定の評価を示さざるを得なくなるという。
「世界は、少なくとも拍手を送らざるを得なくなる」と、彼女は皮肉を込めて付け加えた。(原文へ)
INPS Japan/ IPS UN Bureau Report
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