がん経験者と医療者がネパールを横断し、治療費支援の募金を呼びかけ
【カトマンズNepali Times=スディクシャ・トゥラダル】
ハルカ・ラマは2020年、膀胱がんと診断されたとき、「人生が終わってしまう。」と感じたという。治療は辛いもので、手術を2度受け、化学療法は計27回に及んだ。寛解したのは2022年である。一方でラマ自身は、治療費の工面に大きく苦しまずに済んだ。海外にいる人々を含む友人や支援者が、資金面で支えてくれたからだ。|英語版|インドネシア語|タイ語|

しかし治療の過程で、経済的理由から入院や治療そのものを受けられない患者が少なくない現実も目の当たりにした。「私は友人に助けてもらえました。だが、入院して治療を受ける費用すら工面できない患者を大勢見ました。」とラマは言う。「何か行動しなければならないと思いました。」
熱心なサイクリストでもあるラマは2017年、高所マウンテンバイクレース「ヤク・アタック(Yak Attack)」に参加した際、救護担当として会場にいたドゥリケル病院(Dhulikhel Hospital)の整形外科医、ビカシュ・パラジュリと出会った。ラマががんと診断されたとき、パラジュリはドゥリケル病院で治療を受けるよう勧めたという。
治療を必要とする患者のために資金を集める方法を考える中で、ラマは「ヤク・アタック」に着想を得た。ネパールを自転車で横断しながら寄付を募るというアイデアである。ラマはドゥリケル病院と、サイクリストのグループ「サイクル・カルチャー・コミュニティ(Cycle Culture Community=CCC)」と協力し、ネパールの丘陵地帯を東から西へ走って募金を集める計画を立てた。
それから5年後の今月、東部パンチタル郡のチワバンジャン(Chiwabanjyang)から西部バイタディ郡のジュラガート(Jhulaghat)まで、サイクリストたちが募金ツアーを開始した。1月1日から27日まで、ネパールを横断する約1,800kmの行程である。
ラマとパラジュリに加え、カビタ・チトラカル、バイラジャ・マハルジャン、ケシャヴ・KCの5人が全行程を走破した。途中区間のみ参加した人も50人以上いたという。
先頭を走ったカビタ・チトラカルは、乳がんの治療中である。診断は4年前で、彼女はすでに母と姉(妹)を同じ病で亡くしていた。

自転車が救いに
「ふたりを失った直後に、今度は自分が病と闘うことになりました。ひとりで抱えるには二重の苦しさでした。」とチトラカルは語った。放射線治療を受けている最中、がんが肺に転移していることが分かり、医師から余命6か月と告げられたという。「抑うつ状態に陥りました。食事も取れず、眠れませんでした。」
そんな彼女を支えたのが、自転車だった。友人や家族が気持ちを保つためにサイクリングを勧め、甥が座りやすいよう座面を改造した自転車を用意してくれた。やがて、趣味として始めたサイクリングは、彼女の情熱へと変わっていった。
「山や森の中を走るうちにサイクリングが楽しくなり、心が軽くなっていきました。もう悲しみに沈まなくなりました。自転車は人生の見方を変えてくれた。」と、彼女はカトマンズで取材に語った。これまでに化学療法を8回受け、彼女の姿に励まされたという女性たちの声も届いているという。
「治療中、家族は私の支えでした。病に立ち向かい、人生を精一杯生きるよう背中を押してくれました。」とチトラカルは言う。「同じ状況にいる女性たちにも、勇気を届けたいのです。」

今回の旅で、チームは募金だけでなく啓発活動も行った。山道を上り下りしながら、11郡の14校を訪問し、がんに関する啓発プログラムを実施。地域の母親グループとも連携した。
同行した産婦人科医スーマン・ラージ・タムラカルは、「若い女性や少女に、乳がんと子宮頸がんのリスクを知ってもらい、検診やマンモグラフィー検査を受けるよう呼びかけました。旅の間に1,700人以上の少女や女性と対話しました。」と語った。
このツアーで集まった寄付は230万ルピーに達した。寄付金はドゥリケル病院に引き渡され、同病院は同額を上乗せして、治療費の支援を必要とする患者の費用に充てると約束している。
ラマは、「この旅を走り切れたこと自体が本当にうれしい。だが、それ以上に、目的のためにこれだけの資金を集められたことをうれしく思います。」と語った。
This article is brought to you by Nepali Times, in collaboration with INPS Japan and Soka Gakkai International, in consultative status with UN ECOSOC.

INPS Japan
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