この記事は、戸田記念国際平和研究所が配信したもので、同研究所の許可を得て転載しています。
【Global Outlook=ジョルダン・ライアン】
今年の会議に先立って公表された「ミュンヘン安全保障報告書2026」は、ルールに基づく国際秩序の現状に対し、深刻な分析を提示する。題名の「Under Destruction(破壊の途上)」は文字通りである。報告書は、段階的改革より制度の解体を優先する政治勢力が西側民主主義諸国で広がる現象を、「wrecking-ball politics(解体政治)」として位置づけている。
このパターンで最も目立つ行為主体は、現在の米政権である。トランプ大統領は2026年1月、気候変動枠組条約(UNFCCC)、世界保健機関(WHO)、パリ協定を含む66の国際機関・枠組みからの離脱を表明した。これは通常の政策調整ではない。撤退と資金拠出停止を通じて、機関の機能不全や崩壊を招くか、急進的な再編を強いる戦略である。累積的な効果として、1945年以降に築かれてきた多国間アーキテクチャの中核が危機にさらされる。
この潮流を最も顕著に体現しているのは、現政権である。トランプ大統領は2026年1月、気候変動枠組条約(UNFCCC)、世界保健機関(WHO)、パリ協定を含む66の国際機関や国際枠組みからの離脱を表明した。これは通常の政策調整ではない。離脱と資金拠出の打ち切りを通じて、機関の機能不全や崩壊を招くか、急進的な再編を迫る戦略である。その帰結として、1945年以降に構築されてきた多国間アーキテクチャの中核が危機にさらされる。
侵食は資金面にとどまらない。報告書は、戦後の基本規範―領土保全、国際法の遵守、多国間ルールは国家を力づけると同時に拘束するという前提―が、土台としてではなく取引の対象として扱われつつあると警告する。原則に基づく協調が、取引型の合意へ。公共利益が私益へ。普遍規範が地域覇権へ―そうした世界が、すでに現実に近づいているという。これは憶測ではない。特使を軸にした個人主導のディール、WTO規律を迂回する二国間の関税交渉、対外援助を政策への同調と明示的に結び付ける動きなどに、兆候はすでに表れている。
この報告書に説得力があるのは、事態を一時的な逸脱として片付けない点にある。報告書は、生活費危機、格差の拡大、実質生活水準の停滞、上向きの社会移動の衰退といった構造的要因を挙げる。多くの西側社会で進むこうした変化のなかで、停滞の象徴と見なされた制度は―それが妥当であれ不当であれ―組織化された不満の標的になりやすい。報告書によれば、「着実な進歩」というグランド・ナラティブは説得力を失い、代わって破壊が「再生」として語られるようになった。
報告書が投げかける戦略的問いはきわめて厳しい。ルールに基づく秩序を支えようとする主体は、「ブルドーザー政治の傍観者」となり、瓦礫と化した規則と制度の前で大国政治に翻弄されるのか。あるいは、不可欠な構造を強化し、単一国家の影響力に左右されにくい枠組みを設計し、報告書の言葉でいえば自ら「より大胆な建設者(bolder builders)」となるのか。
適応の動きも見られる。欧州の防衛協力は加速している。気候、デジタル・ガバナンス、貿易をめぐる中堅国の連合は、大国が離脱しても機能する枠組みを模索している。ウクライナを支える「有志連合」は、可変的な参加形態による統治の一例である。参加意思のある主体の協力を維持しつつ、不可欠な機能を一方的離脱の影響から守ろうとする試みだ。普遍的合意がもはや得られない可能性を前提に、それでも機能的協力を継続しなければならない――そうした認識の広がりを示している。
ただし報告書は、厳しい制約も指摘する。問われるのは実質的な能力である。中堅国は、レトリックだけで多国間機能を支え続けることはできない。米国の支援が保証されない状況でも侵略を抑止し得る防衛支出、強制的な関税措置に耐え得る経済的強靭性、敵対的勢力が支配するシステムへの依存を減らす技術的能力が必要となる。資源をより緊密な協力のもとでプールすることは、もはや選択ではない。相互依存が武器化される世界で主体性を維持するための不可避のコストである。
平和構築や予防に携わる主体にとって、その示唆は重大である。多国間の仕組みはもはや、大国間の合意を当然の前提とはできない。分断と戦略的競争の下でも機能するよう設計し直す必要があり、そのためには政治的意思だけでなく、制度設計そのものの見直しが求められる。
求められるのは二重の課題である。中堅国は能力を強化すると同時に、改革された制度が安全と繁栄を実際にもたらし得ることを示さなければならない。多国間枠組みが目に見える成果を出せなければ、世論は「破壊の擁護者が正しかった」と結論づけるだろう。ミュンヘン安全保障指数のデータは、信頼回復の猶予が縮小していることを示唆する。宣言では信頼は戻らない。成果―実績―によってのみ戻る。
重要な示唆は三点ある。
第一に、危機は循環的ではなく構造的である。それは一時的な政策の相違ではなく、経済・政治・制度の各領域にまたがる正統性の摩耗である。たとえ経済が改善しても、遠く反応が鈍いと受け止められてきた制度への信頼が自動的に回復するわけではない。
第二に、中堅国は「能力」か「周縁化」かの選択を迫られている。大国が離脱しても多国間機能を維持できるだけの防衛、経済、技術能力に投資し、その負担を引き受けるのか。あるいは傍観者となり、勢力圏と取引型の二国間主義に支配される世界を受け入れるのか。物的投資を伴わずに既存制度が設計通りに機能し続けると期待する第三の道はない。
第三に、既存制度を守るだけでは足りない。報告書は明言する。ルールに基づく秩序を支えようとする主体は、より大胆な建設者にならなければならない。すなわち、破壊要求を生む正統性の欠如に対処できる統治枠組みを設計することだ。可変幾何学的な連合、資金メカニズムの改革、加盟国だけでなく影響を受ける人々への説明責任――これらは付加的な改善ではない。制度が生き残る条件である。
ミュンヘン安全保障報告書2026は、世界が制度を打ち壊す「解体政治(鉄球政治)」の時代に入りつつある現実を描き出した。戦後秩序の構築が始まってから80年以上を経たいま、米主導の戦後秩序は継続的な揺さぶりにさらされている。報告書は、破壊がより公正な枠組みを築き直す契機となるのか、それとも既に強い者の優位を固定化するのかを予断しない。しかし、受動は中立ではないことを明確にする。
問われているのは、戦後秩序が現在の形で生き残るかどうかではない。置き換わるものが、改革と刷新が可能な共同統治によって形作られるのか、それとも制約のない大国競争と取引型支配に席巻されるのかである。結末を左右するのは修辞ではない。投資し、改革し、築く意思を、国家と制度がどれだけ持つかである。選択のために残された時間は、確実に狭まっている。(原文へ)
ジョルダン・ライアンは、戸田平和研究所の戸田国際研究諮問評議会(TIRAC)メンバーであり、フォルケ・ベルナドッテ・アカデミーのシニア・コンサルタントを務める。国連では事務次長補を歴任し、国際的な平和構築、人権、開発政策の分野で豊富な実務経験を持つ。民主的制度の強化と、平和・安全保障に向けた国際協力の推進を主たる関心領域とし、アフリカ、アジア、中東で市民社会組織を支援し、持続可能な開発を促進する数多くの取り組みを主導してきた。危機予防と民主的ガバナンスをめぐって、国際機関や各国政府への助言も継続的に行っている。
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