【東京IDN=石田尊昭】
「国の存続繁栄と国民の幸福」――。明治・大正・昭和の三代にわたり国会議員を務めた尾崎行雄の取り組みは、常にそれを目指したものでした。
武力を否定せず強硬論を唱えた頃の尾崎も。逆に、国際協調と軍縮を唱えた頃の尾崎も。また、個人の生命・財産・自由その他権利の重要性を説きつつも、普通選挙は時期尚早だとして選挙権拡大に消極的だった頃の尾崎も。そして、民主主義・立憲主義の重要性を説くと同時に、大日本帝国憲法という欽定憲法の下で立憲政治を実現しようとした頃の尾崎も。
一見、変節に見えたり、相対立する思想が混在し矛盾した行動に見えたりもしますが、いずれも、内外情勢の現実を冷静に見極めながら、国の存続繁栄と国民の幸福のために、その時々で最適な手段を考え抜いた結果といえます。
自分のためでも政党のためでもなく、国家国民のために、今の政治が議論・決断すべきことは何か。
以下は、第二次大戦終結後、危機に直面する日本において、党利党略で動く政治と、付和雷同する国民に対し、尾崎が投げかけた厳しい言葉です。
70年を経た今の政治はどうでしょうか。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「党略政争を排す」
今日各政党がやっていることは政策の争いではなく、党略本位の政争である。これほど悪いことはないのだが、国民は案外平気で眺めている。敗戦で国が生きるか死ぬかの瀬戸際に立っている時だから、くだらぬ政争はやめて生産高を増すことに総がかりで努力すべきだ。現在のように消費的な喧嘩ばかりしていては問題にならない。野党の側でも内閣を倒すことだけは知り、後継内閣を作ることは知らない。
先頃も幣原内閣を倒しはしたが作ることはできず、倒した内閣の外務大臣を迎えてようやくこれを組織し、そのうえ自由・進歩の両大政党は彼らが打撃し打倒した内閣の首相と外相を迎えて総裁とした。これでは政変の意味は全然ないのだが、国民も政党も平気である。あたかも古家を無理に壊し、古材木を集めて前より悪い家を作ったようなものだ。馬鹿馬鹿しい限りである。
今は政争を中止して挙国一致救国政権を確立し、兎に角危機を突破すべきである。政争に没頭し、ストライキ騒ぎをやっているのは自滅の手伝いをやっているものといってよい。それには純真な青年が奮然躍起して、国を救う以外方法はなかろうと思われる。老人は昔の習慣や癖がぬけず、政党の争いをすぐ感情でやる。青年の純情と熱意だけが頼みである。
しかるに地方によっては唯一の頼みである青少年までもがゼネストに参加したり、内閣打倒運動に協力したりしている。しかもろくにその理由も理解せず、漫然とやっている者が多いようだ。
政治家は国家の存亡をよそに党争をやっている。資本家と労働者は喧嘩をする。都市と農村は軋轢している。今度の選挙は日本が更生復興するか否かを決する意味もあるので、どうか立派な選挙を行なってもらいたい。特に青年諸君に躍起してもらいたく熱願する次第である。
1947年(昭和22年)『咢堂清談』より
関連記事: