【ニューヨークIDN/GIN=リサ・ヴィヴェス】
国際的な人権擁護団体アムネスティーインターナショナルは、37頁に及ぶ最新レポートの中で、西アフリカのカメルーンで反体制色が強い2州(英語圏の北西州と南西州。分離独立派は2017年10月1日に同地域をアンバゾニアの国名で独立宣言を行っている:INPS)において、対立する英語系とフランス語系カメルーン人の間で、権力闘争に関連した「不法な殺害、個人財産の破壊、恣意的な逮捕や拷問が横行している。」と報告している。
アムネスティ・レポート「事態は悪化の方向へ:カメルーン英語圏における暴力と人権侵害」には、悲惨な暴行の被害に遭った住民の証言や、武装した英語系分離独立派による学校や教師を標的にした襲撃、さらには、政府軍当局が模擬電気処刑や拷問を行った疑惑が記録されている。
「この危機は解決からは程遠く、政府当局と治安部隊が(英語系住民による)いかなる異議も取締りの対象とし、苛烈な弾圧を加えてきた結果、かえって分離独立と武装闘争に重点を置く、より急進的で暴力的な組織が動きを活発化してきているようだ。」と報告書は述べている。
カメルーンの政情不安については、2016年11月に英語圏2州の教師と弁護士らが、中央政府に対して改革の実施と自治権の拡大を求めて抗議活動を始めた際に、国際的な注目を浴びた。彼らは、カメルーンが英語とフランス語を公用語としているにもかかわらず、政府が高圧的にフランス語の影響力を英語圏2州(=英語系住民による呼称は「アンバゾニア」)にも拡大させようとしているとして、デモ行進を行った。
2018年5月、軍事裁判所は、拘留していた7名の英語系住民に対して、社会混乱を引き起こしたとして、10年から15年の禁固刑を言い渡した。その中には、ラジオ番組の司会者で、貧困層への環境整備を訴え棺桶を担いで抗議活動を行っていた、いわゆる「棺桶革命」のリーダー、マンチョ・ビビクシィー氏も含まれていた。
様々なニュースが、「分離派」や「英語系住民」に言及しているが、「分離派」とアンバゾニアの歴史的な関係を論じているものは少ない。アンバゾニアの語源はカメルーン南西部のアンバス湾で、1958年に英国人宣教師が解放奴隷のための入植地をこの地に建設した。その後この地域は英国の保護領とされたが、1887年にドイツに割譲された。しかし第一次世界大戦でドイツが海外領土を失うと、この地は再び英国による委任統治領(東隣の他のカメルーン地域はフランスの委任統治領)となった。現在の北西州と南西州は、1961年に英国から西カメルーンとして独立し、その後、東隣のカメルーン(1960年にフランスから独立)と統合した経緯がある。
アンバゾニア問題を扱っているニュースに米国を拠点とした「非暴力闘争の遂行」(Waging Nonviolence)がある。カメルーン南部の悪化する状況を報じた今月発行の記事によると:
「政府による弾圧が激化する中、アンバゾニアの人々の忍耐は、この数カ月で限界に達しつつある。英語系住民の大半は、非暴力による抵抗を支持しているが、過激な分離派の一部が武装し、ゲリラ戦術を用いてビヤ政権側の人物を誘拐したり殺害したりしている。」
「ポール・ビヤ大統領は、これを口実にアンバゾニアの軍事占領を、テロとの戦いと称して正当化している。その結果、2017年下旬以来、焦土戦術が使われる頻度が高まっている。」(原文へ)
INPS Japan
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