【プノンペンAPIC=浅霧勝浩、ロサリオ・リクイシア】
「プノンペン近郊のこの売春街(Svay Park)では、売春婦のほとんどが私も含めてヴェトナムからの貧しい移民とその子孫です。私は建設現場の季節労働者の父と専業主婦の母、そして兄弟姉妹6人の大家族の中で育ちました。その他、叔母が私たちと同居してましたが、実は私はその叔母に売春婦として売られました。
当時、私の家は多額の借金を抱えており、17歳になった私を売ることで借金を返済しようと勧める叔母に、両親は反対できなかったのです。私は叔母に売春宿へ連れていかれた日のことを今でもよく覚えています。売られていく先への道中、『これから自分がどんな目にあうのだろうか』という恐怖心で頭がいっぱいで体の震えがとまりませんでした。
売春宿に到着すると、そこには私よりさらに幼い14、15歳位の少女達がいるのを見て驚きました。尋ねてみると、私と同じ境遇で、借金のかたに売られてきたとのことでした。叔母は、私を売春宿に残して去るにあたって、『売春宿のオーナーのいうことに歯向かわず、おとなしく何でも言うことをよく聞くように』と諭していきました。私は到着した日に早速オーナーから接客を命じられましたが、それまで性経験がなかった私は、顧客にどのように接しればよいのかわかりませんでした。それが、私の売春婦としての新たな人生の始まりでした。
その後半年間、私はその売春宿で連日男性の相手をさせられました。しかし、ある日病に倒れ、とても接客ができる状態ではなくなってしまいました。すると売春宿のオーナーは、これでは借金が返済できないと言って私の実家に連絡をとり、叔母が私を引き取りにきました。
残りの多額の借金を返済する手段のない両親は、再び叔母の勧めで、今度は私に代わって16歳の妹が売春宿に差し出されることになりました。私は愛する妹に私と同じような地獄を経験させたくなかった。できればそのまま私が犠牲になれればと思ったけれど、自分の体がいうことをきかないし、他の多くの兄弟姉妹を食べさせていくためにはどうしようもない決断でした。
後で知ったことですが、私たちのような処女を売春宿に売ると、50ドルから100ドル程になるとのことです。叔母は多分、男性経験のない私たちを売って余計に稼いでいたのではないかと思います。その後、妹はずっと売春宿で働かされています。
一方、私は国境なき医師団(国際NGO)のピア教育者として働くことになり、他の売春婦たちの中に入って、STD/HIV/AIDSや健康に関する諸問題について彼女達に語りかけています。また、一時は売春婦としての生活から脱皮しようと、あるNGOが提供する職業訓練プログラム(裁縫)を受講しながら、プノンペン市内で民家の掃除婦としてがんばってみました。
しかし、市街まで毎日通うための交通費は大きな負担で、一方、ピア教育者活動と掃除婦としての収入では、私と家族を養うには到底足らないのが現実でした。結局、現実的な選択として、家に接客用の小部屋を設けてそこで売春(Indirect Commercial Sex)をして、家計の足しにしていくしか生きていく道はなかったのです。売春婦として家計を助けながらなんとか貯金して将来的には他の選択肢を持てるようになりたいです」
Svay Park:カンボディア市内から北へ車で20分程のところにあるヴェトナム人移民が居住する売春村で、100メートルほどの村のメインストリート沿いに「置屋」が林立し、その中から16歳から20歳までのヴェトナム人少女が道行く男性客に声をかけている。
カンボディアは今や世界的に有名なぺドファイル(子供性虐待者)のメッカと言われるほど、「性産業」によって年少者の性的搾取が盛んに行われている国であるが、ここSway Parkも例外ではない。「置屋」の向かいは全て簡素なバーとなっており、男性顧客はここでビールを飲みながら売春婦の「品定め」をできる仕組みになっており、幼い少年が「もっと若い娘がよければ案内する」と声をかけてくる。
取材班が潜入取材を実施した際には最低年齢の売春婦は9歳であった。料金は、14歳から20歳が5ドル、10歳までが30ドル、9歳未満はさらに年齢が下がるほど値段が高くなり、処女の少女には数百ドルの値段がつけられていた。
村の入口の看板には「コンドームをつけましょう」という日本語の表記があるのには驚いたが、この売春村を訪れる外国人顧客の主要な一角を日本人が占めている。日本では1999年に「児童買春・児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護に関する法律」が施行され、18歳未満の児童を買春した日本人が罰則の対象となったが、現地専門家、NGOによると、多くの欧米人犯罪者と同様、逮捕されても多額の賄賂を渡して国外逃亡してしまうケースが少なくなく、現地官憲の腐敗の問題を含めて、今後の再発を防止するための効果的な対策を検討していく必要がある。
(カンボジア取材班:財団法人国際協力推進協会浅霧勝浩、ロサリオ・リクイシア)