【ニューヨークIDN=リサ・ヴィヴェス】
世界各地のメディアは、イスラエルとモロッコ間の外交関係樹立をトランプ政権の外交努力による「歴史的な快挙」として喧伝しているが、両国は数十年に亘って密接な関係を築いており、協力分野は、諜報・軍事分野から野党指導者の暗殺まで含むものだった。
ニューヨークタイムズ紙の最近の報道によると、モロッコは少なくとも過去60年間に亘ってイスラエルから高性能兵器や諜報活動機器の提供及び使用訓練を受けてきた。モロッコはそれと引き換えに、1967年の6日戦争(第3次中東戦争)ではイスラエルの勝利に貢献したとされている。また、アメリカ同時多発テロ前の時点で、失敗に終わったものの、イスラエルの諜報機関(モサド)によるオサマ・ビンラディン暗殺の試みを支援したと報じられている。
イスラエルで最大の発行部数を持つ日刊紙「イェディオト・アハロノト」のルポライターであるローネン・ベーグマン氏は、このようにイスラエルが共通の利益や敵が存在する場合にアラブの政権とも秘密裏の繋がりを構築する協力関係を「周辺戦略(periphery strategy)」と説明している。
1961年にハッサン2世がモロッコ国王に即位するとイスラエルとの2国間関係はまもなく好転した。国王は国内ユダヤ人のイスラエル移住を禁じた従来の政策を転換。イスラエルはその見返りに、諜報員を通じて野党党首メフディー・ベン・バルカ氏による国王追放の陰謀を伝えた。ベン・バルカ氏はフランスでモサド工作員により殺害されたとみられているが、遺体が発見されることはなかった。
1965年、ハッサン国王は、モサドが来訪中のアラブ指導者との会議や宿泊先に盗聴することを許可した。これにより、イスラエル政府は極めて重要な情報を入手することが可能となり、2年後に6日戦争が勃発した際には、こうした情報がアラブ軍の侵攻を回避し撃破するうえで役立ったとされている。
イスラエルとモロッコは長年に亘って同盟関係を維持してきたが、1999年に即位したムハンマド6世は、未解決の西サハラ問題(1975年に旧宗主国のスペインが去ったあと、モロッコが軍事侵攻して西3分の2を実効支配中。東部の砂漠地帯に追われた地元住民は亡命政権サハラ・アラブ民主共和国を樹立して抵抗中。亡命政権は国連には加盟してはいないが、アフリカ・中南米諸国を中心に承認されており、アフリカ連合にも加盟してる。一方、欧米や日本などの先進諸国は、モロッコとの関係上からサハラ・アラブ民主共和国を国家としては承認していない。)に不満を露わにしていた。国王は国際社会の反対を押し切って領地奪回を決意し、今年11月にモロッコと亡命政権による実効支配地の中間に国連が設けた緩衝地帯に軍を侵攻させた。これにより停戦の終了が宣言される局面もあったが、現在のところ本格的な戦争には至っていない。
(上記地図:青色:サハラ・アラブ民主共和国の実効支配地域。緑色:サハラ・アラブ民主共和国を承認している国。赤色:承認を撤回した、もしくは凍結している国。灰色:未承認の国。)
国連決議が、西サハラ人民の「民族自決権」を認め、モロッコによる占領状態に「深い懸念」を表明しているにもかかわらず、トランプ政権は12月10日、モロッコ政府がイスラエルを「承認」することと引き換えに、西サハラにおけるモロッコの領有権と認める宣言に署名した。退任直前になされたトランプ大統領のこの「業績」は、物議を醸している。
戦略国際問題研究所アフリカ所長のジャッド・デヴァーモント氏は、トランプ大統領が発表したいわゆる「歴史的な快挙」に異議を唱えている。「米国はイスラエル政策で短期的な勝利を優先するあまり、アフリカ諸国に対して公正さを欠く外交を進めている。今回の決定は、早速多くのアフリカ諸国に問題をもたらすことになるだろう。」とデヴァーモント所長は語った。(原文へ)
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