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国連未来サミットは壊れたシステムを修復する貴重な機会: 市民社会の参加を

【ニューヨークIPS=マンディープ・S・ティワナ】 今日、中東では大規模な地域紛争、さらには核兵器による大惨事の可能性が大きく影を落としている。アントニオ・グテーレス国連事務総長が厳しい警告を発しているにもかかわらず、多国間システムは、紛争、貧困、抑圧といった、まさに国連が対処すべき課題の解決に苦慮している。深く分断された世界において、今年9月の「国連未来サミット」は、国際協力のあり方を修正し、グローバル・ガバナンスの格差を是正する貴重な機会を提供するものである。 問題は、国連関係者以外の人々や市民社会組織の間で、このサミットが開催されることを知っている人々はかなり限られているということだ。これは、幅広い協議が行われていないためである。昨年12月、21世紀の国際協力の青写真となるはずの「未来のための協定」のゼロ・ドラフトに、市民社会がインプットを提供する時間や機会が限られていたことから、立ち上げから事態はお粗末な展開となった。 2024年1月に発表されたゼロ・ドラフトは、目前の難題に取り組むという野心に欠けていた。基本的な自由に対する制限が増大し、持続可能な開発目標(SDGs)の実現に必要な透明性、アカウンタビリティ、そして参加を著しく妨げているにもかかわらず、この草案には市民社会の役割についての言及が一つあるだけで、市民的空間については何も書かれていない。 はっきり言って、サミットの共同ファシリテーターであるドイツとナミビアは、このプロセスが純粋に政府間のものであることを望む国々と、市民社会の関与に価値を見出す他の国々の要求のバランスを取らなければならないという、困難な立場にある。2月には、ベラルーシを筆頭とする一握りの国々が、国連憲章特別委員会に書簡を送り、市民社会組織の正当性に疑問を呈した。もしこれらの国々の要求が受け入れられるようなことになれば、国連は、市民社会の参加によってもたらされる革新性と広がりとを失ってしまいかねない。 国連は今年5月にはナイロビで大規模な市民社会会議を主催するが、その目的は、市民社会が 「国連未来サミット」にアイデアを提供するためのプラットフォームを提供することである。しかし、応募者の選考から会議開催まであと1カ月しかなく、どれだけの市民社会代表、 とりわけグローバル・サウスの小規模な組織の代表が参加できるかは未知数である。 国連には、市民社会特使の任命を求める『Unmute Civil Society(無言の市民社会)』 の提言を受け入れる必要性が残っている。そのような特使は、国連がそのハブを越えて市民社会への働きかけを推進することができる。多くの人々が国連を遠い存在だと感じている中、市民社会特使は、国連の広大な機関やオフィス全体にわたって、人々や市民社会のより良い、そしてより一貫した参加を擁護することができるだろう。これまでのところ、市民社会と国連との関わりは不均等なままであり、様々な国連部局やフォーラムの文化やリーダーシップに依存している。 https://www.youtube.com/watch?v=KIXUqlmPsrE 特に、イスラエルのガザ地区、ミャンマー、スーダン、ウクライナなど、世界各地で多くの紛争が勃発している中、国連未来サミットがその目的を達成するためには、市民社会の関与が不可欠である。市民社会による改革案の多くは、サミットで審議される国連事務総長の「平和のための新アジェンダ」に盛り込まれており、その中には核軍縮、予防外交の強化、平和活動への女性の参加の優先などが含まれている。 また、多くのグローバル・サウス諸国が直面している、公共支出を必要不可欠なサービスや社会保護から債務返済に振り向けるような、高騰する債務レベルへの対処も急務である。市民社会は、返済危機に直面している国々に対し、債務再編や債務帳消しに関する富裕国からのコミットメントを確保するためのブリッジタウン・イニシアティブのような取り組みを支持している。なぜなら、もし開発資金調達の交渉に市民スペースと市民社会参加の保証が含まれなければ、公共資金を必要としている人々の利益になることを保証する方法がないからである。それどころか、独裁的な政権は、抑圧的な国家組織や汚職と庇護のネットワークを強化するために、それらを利用する可能性がある。 市民社会はさらに、国際金融アーキテクチャーにおける改革を求めている。その中には、強大な経済力を持つG20グループによる決定を国連のアカウンタビリティの枠組みの範囲に入れることや、現在少数の先進国によって支配されている国際通貨基金と世界銀行のシェアと意思決定を公平に配分することなどの要求が含まれている。 しかし、グローバル・ガバナンス改革に向けた市民社会の変革提案のうち、どれだけのものが国連未来サミットの最終的な成果として結実するかは不透明である。これまでのところ、市民社会が「未来のための協定」プロセスに400以上の文書提出を行ない、そのコミットメントを示したにもかかわらず、国連加盟国の交渉、記録、そして取りまとめ文書に関する透明性は限定的なものにとどまっている。 問題なのは、国連未来サミットに向けた各々の政府の立場について、国内の市民社会グループと全国的な協議を行った政府がほとんどない点である。こうした傾向が続けば、国際社会は将来の世代の生活をより良いものにするための重要なチャンスを逃すことになる。このプロセスに人々や市民社会を積極的に参加させることは、今からでも遅くはない。サミットの目的はあまりにも重要なのだ。(原文へ) マンディープ・S・ティワナ氏は CIVICUS エビデンス・エンゲージメント担当最高責任者、ニューヨーク国連代表。 INPS Japan/...

核の安全を導く:印パミサイル誤射事件の教訓

【ロンドンポスト=マジッド・カーン】 2022年3月9日、インドからパキスタン領内に誤ってミサイルが発射される事件が発生したことで、歴史的に対立してきたこの両国間の核を巡る安全と外交の不安定な状況に国際的な懸念が高まった。この事件では死傷者は出なかったものの、核保有国間の破滅的な誤算の可能性を浮き彫りにした。南アジアにおける安定が壊れやすい状況にあること、こうした過誤が全面紛争へエスカレートするのを予防するためには警戒と意思疎通を怠らず行うことが必要であることを、今回の事件は警告している。 印パ関係の背景 インド・パキスタン関係は、後者が前者より分離独立した1947年以来、根深い緊張と紛争に特徴づけられてきた。対立の起源は、領土紛争や宗教的な差異、政治的角逐にあり、その後の数十年で数回の戦争につながってきた。 核兵器の存在は、印パ関係に複雑な抑止的構造を植え付けてきた。「相互確証破壊」は理論的には、他方に対し先制核攻撃をした場合、被攻撃国の破壊を免れた残存核戦力によって確実に報復できる能力を保証することで直接的な紛争を防ごうとする態勢である。しかし、これは軍拡競争と双方の軍国主義化にもつながっており、両国は定期的に弾道ミサイルの実験を行い、軍事演習を実施して軍事力と決意を誇示している。 和平協議や条約交渉など、関係正常化に向けた外交的な試みが何度か行われたにもかかわらず、1999年のカーギル戦争や2008年のムンバイ同時多発テロなど、両国はしばしば軍事的エスカレーションの瀬戸際に立たされてきた。 2022年ミサイル誤射事件の詳細 インドは2022年3月9日、ブラモス巡行ミサイル(インドとロシアが共同開発)をハリヤーナー州シルサから誤射し、パキスタン領内パンジャブ州カネワルのミアン・チャヌに着弾した。ミサイルには弾頭は搭載されていなかったが、定期メンテナンスの際の技術的不具合によって誤射されたとされている。 パキスタンは事件に関する説明を繰り返し求めたが、インドが回答するまでに2日かかった。その間インドは、両国合同の調査ではなく、インド単独での内部調査を行うことを選択した。インド国防相は事件を「誤射」と呼び、インド空軍少将率いる調査の結果、空軍大尉が誤射の責任を問われた。 直後の状況 この2022年の誤射に対する国際的な反応は素早く、主要な大国や国際機関が懸念を表明し、包括的な調査と、両国による軍事作戦の透明性向上を求めた。この事故は、核保有国の軍事兵器に関わる不始末や事故の危険性について、国際社会に警鐘を鳴らすものとなった。 印パ両国間関係は事件によって一時的に緊張が走った。事件後、活発化した外交チャンネルは、危機の際にオープンで信頼できるコミュニケーションラインを維持することの重要性を浮き彫りにした。 意思疎通戦略の分析 2022年のミサイル誤射事故は、核保有国間の危機管理におけるコミュニケーション戦略の重要性を浮き彫りにした。いかなる状況下でも効果的に機能する強固でフェイルセーフな意思疎通メカニズムの必要性が明白となった。効果的な意思疎通は、危機管理に役立つだけではなく、長期的な信頼醸成にも意味を持つ。 戦略的教訓 ミサイル誤射事件は、インドやパキスタン、国際社会にいくつかの戦略的教訓をもたらした。第一に、このようなミスを予防するために各国軍隊内での厳格なチェック・アンド・バランスが必要であることが浮き彫りになった。 第二に、紛争へのエスカレーションを抑制する危機管理手続きの重要性があらためて明白になった。これらの手続きは、技術的な進化や政治状況の進展に応じて常に再考される必要がある。 最後に、今回の事故は国際的な核不拡散と安全基準にも影響を与える。核武装した隣国同士が歴史的に対立関係にある地域では、国際的な監視と協力的な安全対策が有益であることを再認識させるものである。 今後の政策に向けて この2022年の事件は、インドとパキスタン両国の今後の政策の方向性に重要な示唆を与えている。国内的には、両国とも軍に対する監視を強化し、戦力を管理する安全技術への投資を進めねばならないだろう。国際的には、こうした事件が国際危機へとエスカレートしていかないように、核安全手続きに関して協力を強化する必要がある。 ベストプラクティスを共有し、共同訓練を実施し、危機発生時にリアルタイムで意思疎通を図るためのフォーラムとして機能する二国間核リスク削減センターを設立することにも一考の余地がある。さらに、定期的な二国間または多国間協議(場合によっては国連のような国際機関の後援を受ける)を行うことで、状況の誤認や偶発的なエスカレーションのリスクを低減する対話と関与の枠組みを確立することができる。 さらに、これらの政策を核保安や危機管理に関する国際協定によって下支えすることも可能だろう。この協定には、透明性の確保、定期的な査察、リスク管理に関する共同訓練などの条項を盛り込むことができる。このようなイニシアチブは、地域の安全保障を強化するだけでなく、核保有国が事故を防止し、潜在的な危機を効果的に管理するための強固なメカニズムを確保することで、世界の安定にも貢献するだろう。 結論 2022年のミサイル誤射事故は、核武装した状況で平和と安全を維持するために必要な絶妙なバランスを痛切に思い起こさせるものだった。この事件は、危機管理における短期的な教訓と、長期的な安全・安定措置に対する戦略的洞察の両方をもたらした。この事件に学ぶことで、印パ両国は、その軍事力をよりよく管理し将来的な危機を予防するための政策と手続きを強化することができる。(原文へ) ※著者のマジッド・カーンはメディア学の博士で、ジャーナリスト、学者、作家である。プロパガンダ戦略、情報戦争、イメージ構築の分析を専門とする。 INPS Japan/London Post This article is brought to you by...

|視点|戦争と温暖化 (クンダ・ディキシットNepali Times社主)

核の冬と気候温暖化、どちらが地球にとって大きな脅威なのか、不気味な選択である。 【イスタンブールNepali Times=クンダ・ディキシット】 ここトルコの黒海沿岸からわずか200km離れた北の地(=ウクライナ)で過去2年間で20万人が死亡した全面戦争が起こっているのを想像するのは難しい。 そしてここから南に目を向けると、パレスチナ人の民間人に対する容赦ない暴力によるガザ地区の完全破壊が、イランとイスラエルの直接対決へとエスカレートしている。 どちらの戦争でも、当事国が核兵器を保有しているか、開発に近づいている。ロシアはウクライナで戦術核兵器を使用すると脅し、イスラエルとイランは今週のドローンやミサイル攻撃で、互いの核施設を標的にしている。 イランとイスラエルは自制しているようだが、僅かな誤算でサウジアラビアとアラブ首長国連邦を巻き込んで地域が大混乱に陥る可能性がある。そうなれば、米国も巻き込まれる可能性がある。 ウクライナに650億ドル相当の軍事支援を提供する米議会の超党派投票は、戦争を長引かせるだろう。ロシアのテレビ番組では、ウクライナだけでなくロンドンやパリも核攻撃すると公然と脅している。 米国の科学誌『原子科学者紀要』(Bulletin of the Atomic Scientists)は、「不吉なトレンドが世界を世界的な破局へと導き続けている」として、「世界終末時計」の針を真夜中の90秒前まで進めた。これは、これまでで核のハルマゲドン(世界の破滅)に最も近づいた。 ロシアとウクライナ、イランとイスラエルの緊張に加え、核保有国も増殖している。米国、ロシア、英国、フランス以外に、イスラエルは90発、インドとパキスタンはそれぞれ約170発、中国は400発以上、北朝鮮は30発の核弾頭とそれを太平洋に運ぶ弾道ミサイルを保有している。 1990年のソ連崩壊後、核弾頭の総保有量は減少したが、現在では米露中の三極冷戦が新たに始まり、核兵器保有国の数は増加している。 核紛争の脅威は、ニューヨーク・タイムズ紙が新たな核軍拡競争と「世界をより安全にするために何ができるか」を考察するシリーズ(タイトル:At the Brink)を立ち上げるほど現実のものとなっている。 地球温暖化によって破壊される地球と、核の冬につながる全面戦争によって荒廃する地球と、今後数年間の地球にとってどちらが大きな脅威であるかという不気味な選択である。ロバート・フロストの詩『炎と氷』が思い浮かぶ: 世界は火の中で終わるという人がいる 氷の中で終わるという人もいる。 これまで味わった欲望の旨味からすると 私は火が好きな人たちの肩をもちたい。 でも世界が二度滅びなくてはいけないのなら、 私の憎しみについての知識から言えるが 破壊のためには氷もまた最適だし 十分役割を果たすだろう。 このままでは世界は『二度滅びる』かもしれない。この2つの危機はリンクしており、どちらも貪欲、野心、超国家主義に端を発している。それは部族主義と、正義、公正、共存に取り組むために必要な多国間アプローチの衰退の結果である。 キューバ危機の際、終末時計の針は真夜中の7分前に移動した。当時、全面的な核戦争は想像を絶するものであったため、ほとんどの人はそれを頭から消し去っていた。それは今日核戦争や温暖化に対する人々の認識と同じである。 ここネパールでは、日々を生きるのに必死な人々にとって、世界情勢は遠いことのように思える。ウクライナや中東で起きている戦争のニュースが携帯端末で人々の目に触れるとき、それはまるで別の惑星で起きていることのように思える。 しかし、ネパールに住む私たちも影響を受けるだろう。ウクライナ戦争は世界的な燃料・食料価格の高騰を招き、ネパール経済はいまだにその影響を引きずっている。数百人のネパール人がロシア軍で戦い、少なくとも33人が戦死し、数十人が連絡が取れなくなっている。 イスラエルでは10人のネパール人学生がハマスに殺害され、1人はいまだ行方不明である。西アジアにおけるより広範な戦争は、世界経済への影響はさておき、サウジアラビア、カタール、アラブ首長国連邦、オマーン、クウェート、イスラエル、レバノンで働く推定200万人のネパール人に直接影響を与えるだろう。ネパールは、こうした海外に出稼ぎに出会た同胞の突然の大量帰還に備える準備ができていないのだ。 イスラエルとイランの核戦争は、考えられないことではない。イスラエルの強硬派は、イラン政府が自前の核爆弾を開発する前に、イランの核研究施設への核攻撃を呼びかけている。 風向きによっては、たとえ戦術的核攻撃であっても、放射性降下物がパキスタンやインド、ネパール上空に飛散するだろう。 私たちは今、地球村に住んでいる。どこで戦争が起きても、ネパール人はどこにいても影響を受けることになる。(原文へ) INPS Japan クンダ・ディキシットはNepali...

アフガニスタンの平和と安全保障に関するオリエンタリズム的ナラティブの出現を暴く 

この記事は、戸田記念国際平和研究所が配信したもので、同研究所の許可を得て転載しています。 イスラエル人とパレスチナ人は、何とかして過去に終止符を打たなければならない。さもなければ、混乱の未来に直面するだろう。 【Global Outlook=バシール・モバシャー/ザキーラ・ラスーリ】 2023年7月、英国の国会議員で元国防省閣僚のトバイアス・エルウッドは、タリバン支配下で「安全保障は大幅に改善した」と自ら述べる動画を公表した。タリバン称賛に近い彼の発言に愕然とし、彼をタリバンの「役に立つ馬鹿」と呼ぶ者もいた。反発を受けてエルウッドは動画を削除したが、タリバン支配下の「安全」で「平和」なアフガニスタンというナラティブを語るのが彼1人でないことは確かである。西側では、ますます多くの自称アフガニスタン観測者がこの考え方を広めようとしている。(日・英) タリバンとのドーハ合意をお膳立てしたザルメイ・ハリルザドは、タリバン支配下でアフガニスタンがより安全になったと主張した。米国の学者であり小説家であり、ザルメイ・ハリルザドの配偶者であるシェリル・バーナードはある論評で、タリバンはアフガニスタンに平和と安全保障をもたらしたと書いた。これは、国民に対するタリバンの暴力やこの国の悲惨な人道状況を記録した、世界的に有名な人権団体の信頼できる報告を全て無視するものだ。その代わりにバーナードは、「タリバンのファンではない」と評する国際危機グループ(ICG)の報告を用いた。ICGは以前より、アフガニスタンはこれまでより「はるかに平和」であると推定しており、タリバンが暴力と安全欠如の大部分の原因であったし、現在もそうであるという事実を無視している。ICGが以前からタリバン寄りの報告や分析を行っていることは、アフガニスタンの政治について知識がある多くの人に知られている。これらの主張を分析すると、三つの本質的かつ相互に関連する疑問が浮かび上がる。(1)平和と安全保障は何を意味するか? (2)それは、アフガニスタンの状況においてどのように定義され、適用されるか? (3)同じ平和と安全保障の基準が西洋社会にも当てはまるか? 平和とは何か、それをアフガニスタンに当てはめたときに何を意味するか? 平和構築の分野では、平和という言葉が単なる物理的暴力の不在よりはるかに大きな意味を持つということは、ずっと以前から定説となっている。意味のある持続可能な平和を実現するためには、さまざまなコミュニティーの福利を体系的に弱体化させ、排除、侮辱、貧困を永続化させ、権利と自由の行使を制約する不公平と不正義に根差した、構造的な暴力に取り組む必要がある。著名な学者らが、平和とは、経済的安全や心理的安全、人間の尊厳と権利の保護、差別や迫害からの自由といった人間の基本的ニーズに基づくものだと論じている。これらが一緒になって、人は自分の最大の可能性を発揮することができるのである。その延長線上で考えると、平和構築とは、個人とコミュニティーの政治的、経済的、社会的なレジリエンスと福利を確立し、促進することによって、暴力的紛争を変容させ、発生を防ぐことを目的としているといえる。人間の安全保障にかかわるこれら全ての側面に取り組まない限り、持続可能で意味のある平和を実現できる見込みは薄く、紛争の変容も解決もできないままとなる。 最近の西側の文献において規定されるいかなる基準によっても、アフガニスタンに平和と安全保障が存在すると信じるなど、現地の国内事情に極めて無知でなければありえないことだ。アムネスティ・インターナショナル、ヒューマン・ライツ・ウォッチ、国境なき記者団のような世界的に信頼できる情報源の報告により、超法規的処刑、恣意的逮捕、拷問、迫害、集団立ち退き、強制移転など、タリバンによる世界最悪の人権侵害状況が継続的かつ定期的に暴露されており、それらはいずれも罪を問われることなく実行されている。アフガニスタンのメディアは、重大な結果をもたらす恐れがあるため、公平にニュースを報道することに懸念を抱いている。その結果、報復を恐れて自己検閲に走ることが多く、アフガニスタンのメディアは人権侵害に関する報道ができなくなっている。 人口の3分の2という膨大な数のアフガニスタン人が、生き延びるためだけでも緊急人道援助を切実に必要としている。憂慮すべきことに、2023年には1,700万人が深刻な飢えに直面し、600万人が飢餓の瀬戸際にある。女性たちは、家から出るだけでも暴力や制裁を受けることを恐れながら暮らしている。タリバンの政策は、女性の権利と自由を大幅に奪い、アフガニスタン社会の政治的・社会的側面から彼女たちを体系的に排除している。彼らは、女性の教育、就労、スポーツ、娯楽、さらには個人の衛生や自己管理の基本的権利すら禁止することによって、事実上、ジェンダー・アパルトヘイトを制度化している。タリバンはまた、民族的少数派や宗教的少数派を、統治や公共サービスだけでなく人道援助や人道サービスの配布からも排除し、迫害している。少数派の強制的な集団立退きや移転は、多くの監視機関によれば、「人道に対する犯罪」の域に達している。アフガニスタンの平和というタリバンのうわべを美化する人々でさえ、同じような状況で生活するのを心地良いとは思わないだろう。では、どういう意味で彼らは、タリバンがアフガニスタンに平和と安全保障をもたらしたと言っているのだろうか? エドワード・サイードは、オリエンタリズムの定義を、「知識」(およびそれ以上)としての「東洋」に関する一連のイメージであり、東洋という「他者」の本質的な真実を反映するのではなく、オリエンタリストがそれを構築したものを反映しているとしている。アフガニスタンの社会を「原始的」、「野蛮」、「未発達」、「未開」な「他者」と描写するオリエンタリストたちが考えるアフガニスタンの平和とは、ホッブズ主義的なそれである。イングランド内戦(1642~1651年)の際に暴力的な無政府状態よりも絶対君主制をよしとしたトマス・ホッブズは、平和と安全保障について、人々が互いに絶えず暴力をふるい合うのを阻止するという極めて狭義の概念を信奉していた。一方、君主は、市民に対して暴力を行使し、市民の権利に対するいかなる種類の制裁をも課す絶対的権限を有していた。彼は、イングランドにとって絶対君主制を敷くのが最も良いと結論付け、それを現実主義と呼んだ。英国の国民は、祖先がホッブズの「現実主義」を信じ込まなかったことに今感謝しなければならない。しかし、ホッブズの「現実主義」は今なお健在である。ただし、それは、オリエンタリズムのせいで「発展途上国」(植民地主義から復興しつつある国々)に向けられたものだ。例えばシェリル・バーナードは、アフガニスタン人が孤立、過酷な環境、欠乏に慣れていると主張することにより、タリバンの粗削りな平和という自身のナラティブを正当化した。彼女はその記事に“The Impossible Truth About...