SDGsGoal3(全ての人に健康と福祉を)広範耐性結核(DR-TB)薬物治験参加者、成功を祝福し続ける

広範耐性結核(DR-TB)薬物治験参加者、成功を祝福し続ける

【ブラチスラバIPS=エド・ホルト】

ツォロフェロ・ムシマンゴさんが10年前、新しい結核(TB)治療薬の治験に参加したとき、彼女はその薬が本当に効くかどうかを知る由もなかった。

しかし、当時すでに最も致死性の高い広範耐性結核(DR-TB)を発症し、6か月の入院治療を経ても回復の兆しが見えなかった彼女にとって、もはや失うものはなかった。当時、DR-TB患者の4分の3は診断を受ける前に死亡し、治療を受けた患者でも3人に1人しか生き延びられないと考えられていた。

「正直言って、効果があるかどうか半信半疑でした。」「でも、あのとき私が考えていたのは、これで良くなるかもしれない、退院して家に帰れるかもしれないということだけでした。挑戦する価値があると思いました。今では本当にあの治験が命を救ってくれたと確信しています。」と、ムシマンゴさんはIPSの取材に対して語った。

当時21歳だった南アフリカ・ブラクパン出身のムシマンゴさんは、2015~2017年に国内3カ所で実施された新薬治療B-Pal療法(プレトマニド、ベダキリン、リネゾリドの3剤併用)の治験「Nix-TB試験」の109人の参加者の一人であった。

それ以前の重度耐性結核治療では、患者は時に数十錠に及ぶ強力な薬剤を毎日服用し、2年間にもわたって注射を受けることもあった。副作用は耳の聴力喪失、腎不全、精神障害など深刻で、途中離脱率も高く、それが病状悪化や感染拡大を招いていた。

Nix-TB試験では、すべて経口薬による6か月治療が試された。その結果、治癒率は90%に達し、世界最悪の感染症との闘いにおける画期的成果として専門家に歓迎された。

ムシマンゴさんは試験に参加するまで「大量の錠剤と注射」を受けていたが、それらはもはや効かなくなっていたという。治験に入って間もなく、彼女は体重が増え始めた。「体重が増え始めたとき、治療が効いていると感じました。毎週の検診で体重が増えるのを見て、治っていると確信しました。」

半年後、検査結果は陰性となり、結核は消失していた。

「薬をやめられること、そして健康を取り戻し、普通の生活に戻れることが本当にうれしかった。でも何よりうれしかったのは、1年ぶりに退院できることでした。治験前にすでに7か月入院していたので、家族から離れて暮らすのがつらかった。病院は自宅から遠く、母もなかなか来られませんでした」と語る。

JTsholofelo Msimango and her son at her home in Brakpan, near Johannesburg. Credit: TB Alliance/Jonathan Torgovnik

現在、ムシマンゴは健康を取り戻したものの、結核は彼女の人生に今も影響を与えている。彼女はTB患者支援活動に携わり、治験参加者の募集などに協力している。
「もし治験に参加できる機会があるなら、ぜひ挑戦してみてほしい」と彼女は言う。

今では幼い息子の母でもあるムシマンゴは、自身の経験を息子に話している。
「息子には、なぜ私が入院していたのか、なぜ今TBの仕事をしているのかを話します。息子やその友達には、せきをするときは口を覆うなど、感染を防ぐ方法も教えています。自分の話をするのは、誰かの助けになればと思うからです」。

同じく治験に参加したボンギスワ・ムダカも語る。
「私は結核の経験についてオープンに話します。2週間以上せき込んでいる人を見かけたら、すぐに検査と治療を勧めます」と彼女はIPSに語った。

ムダカは当時27歳で、南アフリカ・ハウテン州ヴェレニヒン在住だった。
「治験は命の恩人でした。私の人生を変えただけでなく、救ってくれました。あれがなければ今は生きていなかったでしょう。10年前、XDR-TB患者の見通しは最悪でした。最初は多剤耐性(MDR)TBと診断されましたが、症状が悪化して入院したところ、XDR-TBだと告げられました。まるで死刑宣告のようでした。だから治験の話を聞いたとき、神様の恵みのように思えました。今は健康で家族もいて、普通の生活を送っています。本当に幸せです」。

Nix-TB試験に関わった専門家らに話を聞くと、この試験が後のTB治療を根本的に変える第一歩になるとは当初誰も予想していなかったことがわかる。

ジョハネスブルクのシズウェ熱帯病院で患者を担当したポーリーン・ハウエル医師はこう語る。
「Nix試験以前の治療は長すぎて毒性が強く、半数以上の患者に効果がありませんでした。XDR-TB患者の5年生存率は20%にすぎませんでした。2015年当時、私はまだ臨床試験の経験が浅く、注射薬を含む延長治療を3剤のみに置き換えることに不安もありました」。

Tsholofelo Msimango’s late mother, Zeldah Nkosi. She says her mother was a “pillar of support” during her time when she had TB. Credit: TB Alliance

しかし、患者の変化はすぐに現れたという。
「入院中の患者たちが、新規患者を連れて『この治験を受けた方がいい』と言い出したとき、その効果の確かさを実感しました。2年以上も治療して効果のなかった人が回復し始めたのです。東ケープからわざわざ移住してまで治験を受けに来る患者もいました。そのとき、私たちは『自分や家族にもこの治療を受けさせたい』と思いました」。

「この治療がなければ助からなかった患者もいますが、大多数はより早く社会復帰でき、感染拡大を抑え、孤独や経済的打撃も軽減できました」とハウエルは続けた。

治験結果はただちに影響を及ぼしただけでなく、その後のTB治療を一変させた。
「この試験が世界の薬剤耐性TB治療を変える第一歩になるとは、当時想像もしていませんでした」と彼女は言う。

「結核は致死的ですが、治せる病気です。BPaL/M療法の副作用はある程度予測でき、管理も可能です。10年前、患者たちは家の賃貸契約を解約し、仕事を辞め、家族に別れを告げ、葬儀保険に入るしかありませんでした。いまでは、患者が『もう2週間も入院しています、早く帰りたい』と言う時代です。この変化の大部分はNix試験のおかげです」と語った。

世界保健機関(WHO)は2022年にBPaL療法、またはモキシフロキサシンを加えたBPaL(M)療法を正式承認し、現在では耐性結核治療の第一選択となっている。

開発主体である非営利団体TBアライアンスのデータによれば、これらの療法は現在、世界の薬剤耐性TB治療の約75%を占めており、まもなく90%に達する見込みだ。すでに1万1000人以上の命を救い、医療費約1億ドルを節約したとされ、2034年までにさらに19万2000人の命と13億ドル近い医療費を救うと予測されている。

特に高負担国では状況を一変させている。
「南アフリカでは、2023年9月にBPaL/Mガイドラインを採用して以来、治療離脱率が初めて1桁台にまで下がりました」とハウエルは語る。

ただし、この成果は脆弱でもある。富裕国による援助削減が進み、貧困国の医療プログラム資金を圧迫しているためだ。
「結核は常に貧困やアクセス不足と結びついています。政治的意思や資金が欠ければ、結核は社会の影に生き続けます」とハウエルは警鐘を鳴らす。

ムシマンゴさんも、「資金削減のせいで、薬を手にできない人がいます。それは人の命を奪っています。」と訴えた。(原文へ

This article is brought to you by IPS Noram in collaboration with INPS Japan and Soka Gakkai International in consultative status with ECOSOC.

INPS Japan/IPS UN Bureau Report

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