INPS Japan/ IPS UN Bureau Report悲しみから行動へ―バルカン半島における民主主義刷新への要求

悲しみから行動へ―バルカン半島における民主主義刷新への要求

【モンテビデオIPS=イネス・M・ポウサデラ】

バルカン半島で起きた3つの壊滅的な出来事が、体制改革を求める力強い運動を生み出した。ギリシャで57人が死亡した列車衝突事故、北マケドニアで若者59人が命を落としたナイトクラブ火災、そしてセルビアで15人の命を奪った鉄道駅屋根の崩落―これらの悲劇は、単なる偶発的な事故ではなく、放置された安全規制、違法に発行された許認可、そして監視の形骸化といった「構造的失敗」の帰結であり、共通の要因は“腐敗”であった。

こうした運動の先頭に立っているのは、若者、特に学生たちである。そして被害者の家族も、変革を求める強力な声となっている。ギリシャでは「テンピ事故の遺族協会」が、説明責任を求める正統な声として台頭した。北マケドニアでは、抗議運動が経済的・政治的分断を超えて市民を結びつけ、若者の将来への希望のなさと蔓延する腐敗に対する広範な幻滅感が集約された。セルビアの運動は、約400の都市や町に広がり、犠牲者への黙祷後に「30分間の騒音」を鳴らすなど、革新的な抗議手法を生み出している。

3か国はいずれも、国民の記憶に新しい時期に民主化を果たしている。ギリシャは約50年前に軍事政権が崩壊し、北マケドニアとセルビアは1990年のユーゴスラビア解体を経て共産主義から脱した。だが現在、これらの社会には深い幻滅が広がっている。縁故主義、腐敗、パトロネージ(政治的見返り)は蔓延し、国家機能は国民のためではなく、エリートの利益のためにあるかのようだ。特にセルビアでは、北マケドニアほどではないにせよ、政府が権威主義的な方向に傾いている。最も大きな失望を抱いているのは、民主化後に育ち「もっと良い社会」を期待してきた若者たちだ。

2023年2月にギリシャで起きた鉄道事故は、慢性的な投資不足と維持管理の欠如により崩壊した鉄道システムの姿を露呈した。これは腐敗した契約慣行と密接に関係している。政府の否定や無反応に対し、遺族が雇った民間調査員は、衝突直後に多くの乗客がまだ生存していたものの、その後の火災――おそらくは申告されていなかった可燃性化学物質の積載によって引き起こされた火災――によって死亡したことを突き止めた。

北マケドニアでは、3月に火災が発生した「パルス」ナイトクラブがまさに“事故を待つ時限爆弾”だった。工場跡地を改装した建物で、実質的に出口は1つのみ。非常口は施錠され、可燃性素材が多用され、消防設備は皆無。しかも、営業許可証は違法に発行されていた。

セルビア・ノヴィサドの鉄道駅で2024年11月に起きた屋根崩落事故も同様だ。同駅は中国企業との秘密契約で改修されたばかりだったが、安全よりも利益が優先されていたことが悲劇を招いた。

3か国に共通しているのは、過剰な民間資本の影響力が行政を支配し、安全性が私益の犠牲になったことだ。市民社会団体、ジャーナリスト、野党政治家らが警鐘を鳴らし続けていたにもかかわらず、警告は無視されてきた。北マケドニアの抗議スローガン「私たちは事故で死んでいるのではない、腐敗で死んでいる」には、その怒りが凝縮されている。ギリシャでは「彼らの政策が人命を奪った」、セルビアでは「お前たちの手は血で汚れている」と政府に訴える声が上がった。セルビアの「私たちは皆、あの屋根の下にいる」というスローガンには、腐敗が生み出す構造的脆弱性への共通の恐怖が表現されている。

3か国の抗議者は、共通する要求を掲げている。直接的な加害者だけでなく、安全規則違反を可能にした行政官への責任追及、政治的干渉のない透明な調査、そして腐敗の根本的原因に対処する制度改革だ。彼らは、選挙だけでなく、制度化された監視機構と公共の関与による説明責任の確保が、民主主義に不可欠であると理解している。

政府の対応は、予測可能なパターンを辿っている。小さな譲歩を見せたあと、怒りの本質的な解決ではなく、事態の“管理”に動くのである。

北マケドニアでは、内務大臣がナイトクラブの営業許可が違法であったことをすぐに認め、クラブ経営者や公務員など20人の身柄を拘束した。しかし抗議者たちはこれを“スケープゴート探し”であり、制度的改革ではないと捉えている。ギリシャでは列車事故の原因を「悲劇的な人的ミス」として片付けた後に運輸大臣が辞任したが、調査は遅々として進まず、証拠隠蔽や政治的責任回避が指摘されている。セルビア政府は一時的に一部の機密文書を公開し、要求に応える姿勢を見せたが、抗議が継続するとヴチッチ大統領は一転し、抗議者を「西側諸国の諜報機関の傀儡」と非難し始めた。

象徴的なジェスチャーのあとに本質的改革への抵抗が続き、時に抗議の弾圧まで伴うこの対応は、政府と市民の間に深い「信頼の欠如」があることを示している。改革の実行が、そもそも腐敗した機関に依存している限り、改革を信じることはできない―それが、なぜ市民たちが国際基準と市民社会による監視の導入を重視しているかの理由である。

これらの悲劇による感情的な衝撃は、通常なら政治に関心を持たない市民をも動員し、改革への圧力を高める「政策の窓」を生み出した。だがその窓が、目に見える変化のないまま閉じてしまうのか、それとも持続的な圧力が意味ある制度改革を導くのかは、今後にかかっている。

これらの運動が直面する課題は多い。感情的な高まりが落ち着いた後も動員を維持できるか、政府の表層的な改革アピールに取り込まれずに済むか、そして明白な過失への批判から、実現可能かつ変革的な制度提案へと舵を切れるかどうか――である。歴史が示すように、真の改革は稀であり、政府が行動しなければ、怒れる民意はポピュリスト政治家に取り込まれ、逆に反動的な目的に利用される危険性もある。

それでも希望はある。今回の抗議運動には、既存の政治的分断を越えて広範な市民連携が見られる。要求は抽象的ではなく、具体的で文書化された行政の失敗に基づいており、的を絞った制度改革の提案に繋がっている。犠牲者の記憶を尊重するという倫理的重みは、運動のエネルギーを持続させる資源となる。そしてこの運動は、経済的苦境のなかですでに正統性を問われていた腐敗エリート層の統治に追い打ちをかけている。

バルカン半島各地の広場に集まり続ける抗議者たちは、「市民のための民主主義」という力強いビジョンを体現している。繰り返し裏切られてきた民主主義の約束を取り戻そうとするその姿は、「本来、民主主義における権力とは、全ての人のために存在するべきものだ」と私たちに改めて気づかせてくれる。(原文へ

イネス・M・ポウサデラは、市民社会国際連合(CIVICUS)の上級研究員であり、「CIVICUS」の共同ディレクター及びライター、「世界市民社会レポート」の共同著者。

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