最近の報告書によれば、アジアでは毎年およそ100件の自然災害が発生し、8000万人が影響を受けている。統計の背後には、暮らしの寸断、損壊した家屋、そして地域社会の力を奪う復旧の繰り返しがある。
【スリナガル/ニューデリー発 IPS=ウマル・マンゾール・シャー】
カシミールの州都スリナガルで雨が降り始めるとき、グラーム・ナビ・バットは、もはや雲を安堵の気持ちで見上げない。代わりに、見積もるように空を見つめる。側溝はどこまで耐えられるのか。川の水位はどれほどの速さで上がるのか。家のどの隅から雨漏りが始まるのか。床が湿ってきたら、子どもたちはどこで寝かせればいいのか。
「以前は雨が降ると、ほっとした。」と、バットは語る。水路沿いの低地に暮らす住民だ。「いまは、警告のように感じる。」
多くの日に、雨は洪水にならなくても生活を変える。数時間で道路は冠水し、店は早じまいし、スクールバスは引き返す。やがて親族同士で電話をかけ合い、同じ問いが繰り返される。「そっちは大丈夫か?」
インド、そして「新興アジア」(中国、インド、インドネシア、マレーシア、フィリピン、タイ、ベトナムなど、急速に発展する国々)に暮らす何百万人もの人々にとって、これが「新しい日常」になった。災害はもはや、世代に一度の稀な破局として訪れるのではない。繰り返し襲い、そのたびに修繕費や失われた賃金を生み、「回復が恒常的な営みになった」という感覚を残していく。

OECD開発センターの最近の分析によれば、新興アジアはこの10年間、年平均で約100件の災害に直面し、毎年およそ8000万人が影響を受けてきた。増加の主因は洪水、暴風雨、干ばつだ。同報告は、自然災害が1990年から2024年にかけて、インドに毎年平均でGDPの0・4%に相当する損失をもたらしたと推計している。
しかし、国の数字の背後には、より静かで切実な現実がある。繰り返される気候や天候の衝撃が、統計ではなく家計に吸収されていく過程だ。娘の教育のために積み立てた貯蓄。掛けで仕入れた商品の在庫。前の収穫から残しておいた農家の種銭。そうしたものが少しずつ削られていく。
洪水常襲地帯として知られる北インド・ビハール州で、3人の子どもを育てるスニタ・デヴィは、床に大切なものを置くのをやめたという。衣類は高い棚へ。穀物の入れ物は安全な隅へ。家族の書類はビニールに包んで保管する。
「水が来たら、子どもを連れて走るだけ」と彼女は言う。「あとは運に任せるしかない。壁は建て直せても、失った日々は戻らない」

彼女の村は何十年も洪水と共に生きてきた。だが変わったのは、発生頻度と不確実性、そして負担の大きさだという。見出しになる大河川の洪水だけではない。突然の冠水、損傷した道路、決壊した堤防、水が引いた後に広がる感染症―そうした小さな衝撃の積み重ねが、暮らしを揺さぶる。
「以前は予測できた。いまはできない。水が急に来るときもあれば、長引くときもある。一度引いたと思ったら、また来ることもある」とデヴィはIPSに語った。
国連大学の「水・環境・保健研究所(UNU-INWEH)」所長、カヴェ・マダニ教授はIPSに対し、アジアの「水の破綻(water bankruptcy)」は部門別の課題ではなく、国家安全保障の問題として扱うべきだと述べた。
「優先順位は、危機対応から“破綻管理”へ移りつつある。実態に即した把握、実効性のある上限設定、自然資本の保護、そして農家や脆弱なコミュニティを守る公正な移行が必要だ。」とマダニは言う。
OECD開発センターの報告は、新興アジアで2000年代初頭以降、洪水が最も顕著な増加傾向の一つになっていると指摘する。要因は地域によって異なるが、結果はどこも似通う。暮らしの混乱、損壊した家屋、そして地域社会を疲弊させる復旧の繰り返しである。
スリナガルで小さな店を営むバシール・アフマドは、入口近くに古い木製の棚を置いている。陳列用ではない。緊急時のためだ。雨脚が強まると、箱詰めの商品を床から素早く移す。
「店は小さい。利幅はもっと小さい。たった1日水が入るだけで、多くが台無しになる。客は来ない。配送も止まる。成り行きを見るしかない。」とアフマドは言う。
彼にとって最大の損失は、傷んだ商品だけではない。働けない日々そのものだ。日々や週ごとに家計をやりくりする家庭では、短い休業が長い危機に変わる。家賃は止まらない。学費も止まらない。ローンも止まらない。
OECDの分析は、コミュニティがすでに知っている厳しい現実を裏づける。災害の経済的な余波は、テレビカメラが去った後も続く。毎年のように損失が繰り返されれば、成長は削られ、家計の選択も変わる。家族はより頑丈な家づくりを先延ばしにし、小商いへの投資を避け、前に進むより立て直しに時間を奪われる。
「災害は、例外的な出来事ではなくなった。繰り返し襲う経済ショックになっている。問題は目先の被害だけではない。“反復”だ。反復は家計の回復力を削っていく」と、デリーを拠点とする気候リスク研究者リトゥ・シャルマ博士は言う。
シャルマは、インドの災害損失を見出しに出る割合だけで捉えるべきではないと強調する。日常生活に蓄積する圧力として見るべきだという。
「洪水は橋を壊すだけではない。受診を遅らせ、予防接種を中断させ、食料や医薬品の供給網を断ち、脆弱な家庭を債務の罠に追い込みかねない。気候の出来事が、社会の出来事になり、健康の出来事になり、教育の出来事になる。」
報告の地域比較では、負担は一様ではない。サイクロンや洪水にさらされる国ほど、GDPに対する平均年間損失が大きい傾向がある。インドは国の規模が大きいため、統計上は衝撃を吸収できるように見える。だがその規模は同時に、より多くの人々がリスクにさらされ続けることも意味する。地すべりの危険があるヒマラヤの斜面、サイクロンに備える沿岸部、洪水と熱波に悩む平野部―リスクは地理にも生業にも広く分散している。
気候影響を研究する経済学者ナサル・アリ教授は、実際の被害は非公式(インフォーマル)経済の領域に埋もれがちだと指摘する。
「フォーマル部門の企業は保険請求ができ、有利な条件で借り入れ、早く立ち直れる。だが野菜の露天商にはそれができない。小さな食料品店にもできない。日雇いの稼ぎ手が1人しかいない家庭にはなおさらだ。損失は即座に個々の家庭にのしかかり、回復にも最も時間がかかる。」とアリは語った。
彼は、災害の影響は不平等も深めると考える。貧しい世帯ほど、取り戻せないものを失うからである。
「裕福な家庭にとって屋根の損傷は改修の問題だ。だが貧しい家庭にとっては、湿った部屋で何週間も眠ることになり、感染症や欠勤、子どもの一時的な中退につながりかねない。」
報告は、アジア各地で切迫している政策課題にも目を向ける。災害に備える財源をどう確保し、開発資金を毎回、災害対応に振り向けざるを得ない状況をどう避けるのか、である。
分析が強調するのは「災害リスク・ファイナンス」だ。事後の救援に頼るのではなく、政府が事前に資金を準備しておく仕組みである。専用の災害基金や保険メカニズム、災害後に迅速に発動できる緊急融資などが含まれる。
コミュニティにとって、この議論は遠い話に聞こえるかもしれない。だが、その結果は回復の速さや支援のあり方に表れる。
「災害が起きたら、支援は早く届くべきだ。」と語るのは、ジャンムーのRSプラ地区で小さな食料品店を営み、豪雨時の冠水を繰り返し経験してきたミーナ・デヴィである。「店を閉めれば牛乳は傷む。客も買い物ができない。それから再開のために借金をする。支援が遅ければ、私たちはさらに苦しくなる。」
彼女の最大の恐怖は、単発の災害ではない。「次がいつも近い」と感じ続けることだという。「一度なら耐えられる。でも何度も何度も起きると、心の奥から疲れていく。」
シャルマにとって、備えは防災訓練以上のものだ。そもそもリスクへのさらされやすさを減らす計画が必要だという。
「避けられないリスクもあるが、多くは“どこに、どう建てるか”で増幅される。排水能力のないまま都市が拡大し、建設が氾濫原に広がれば、災害は予測可能になる。それは自然だけの問題ではない。政策の問題だ。」
スリナガルのバットは、住民が毎年同じ闘いを繰り返していると感じると言う。排水溝を掃除し、土のうを積み、家財を高い場所へ移し、親族に電話し、川の水位更新を見守る。一つ一つは小さな作業でも、終わりがないため消耗していく。
彼は壁に残る水位の跡を指さした。「いつも思うんだ。今年こそは少しは良くなるかもしれないって。でも雨が降ってくると、心臓の鼓動が速くなる。」
何があれば安全だと感じるか、と尋ねると、彼は大きな約束を語らなかった。語ったのは、ごく基本的なことだった。機能する排水路。崩れない道路。早い警報。間に合う支援。
ビハールのスニタ・デヴィにとって、望みはさらに単純だ。恐れずに計画できる季節である。「普通の人みたいに暮らしたい。水が壊したものを直すためにお金を使うんじゃなく、貯めたい。」(原文へ)
INPS Japan/IPS UN Bureau Report
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