【チュニスIPS=ルイス・シャーウッド】
チュニジアの人々は、2011年1月のジャスミン革命で長年同国に君臨してきた独裁者ザイン・アル=アービディーン・ベン・アリーを追放し、やっとの思いで新たな自由を勝ち取った。しかし、革命後の社会は、伝統的な世俗主義と新たに台頭してきた政治的イスラム主義がせめぎ合う緊張を孕んだ過渡期にあり、このことは自由に関する女性の認識の違いにも現れている。つまり、イスラム教の慣習を実践できる「自由」を喜ぶ女性たちがいる一方で、女性の権利が制限されるのではないかと危惧を深める女性たちもいるのである。
「私たちは、チュニジアのアラブ系イスラム教徒の女性として、前の2つの政権のもとで多くの利点を享受してきました。しかし革命以来、私たち女性の権利がどうなるのか心配しています。事態は流動的ですが、私たちはこれまでに勝ち取ってきた権利を諦めるつもりはありません。」とシンダ・ガージズさん(22歳)は語った。
チュニジアでは、他の中東・北アフリカ諸国と比べて、女性の権利が遥かに保障されている。この背景には、革命前の政権が、教育や政策において男女平等を積極的に推し進めたことと、活発な女性解放運動が1930年代から展開されてきたという事情がある。
2010年下旬にチュニジアで「アラブの春」の端緒となったジャスミン革命が起こったとき、女性たちも男性同様に抗議活動に参加した。しかし、2011年10月の選挙で穏健派イスラム主義政党「アンナハダ(「再生」の意)」が政権の座につき、サラフィストのような急進派イスラム主義勢力が活動を活発化させる中、政治的には左派に属する多くのフェミニストたちは、今後社会のイスラム化が進むのではないかと危惧している。
「私は、宗教そのものやイスラム教の教えを実践している人々に問題を感じているわけではありません。問題視しているのは、政治と宗教をリンクし、精神的な領域のものと政治的な領域のものを融合させようとする動きです。チュニジア国民の大部分はイスラム教徒ですが、この国に宗教政党を認めるべきではありません。」と弁護士・女性人権活動家で、2月に暗殺された野党指導者ショクリ・ベライド氏の未亡人ベスマ・カルファウィさんは語った。
しかし、こうした懸念は政治レベルを超えて、社会領域に広がっている。「チュニジアにおけるイスラム運動について私たちが懸念しているのは、彼らが人々の考え方を変えようとしていることです。彼らはチュニスの(他の地区より失業率が高く、教育が普及していない)貧しい地区に赴き、モスクで男性たちに家庭における夫婦の行動規範について説いているのです。このような動きは政治より危険で、時が経つほど対応が難しくなるでしょう。」とガージズさんは語った。
こうした懸念を背景に、女性活動家らは、向こう数か月以内に取りまとめられる予定のチュニジア新憲法草案の内容を注意深く監視している。昨年8月には、新政権が作成中の憲法草案の中で女性の位置を「家庭における男性の補佐」と明記されていることに彼女たちが激しく抗議したため、のちに当該部分は「男性と対等」に訂正されている。
「私たちは女性として、新憲法の内容が、チュニジア個人身分法(Personal Statue code)の規定のとおり私たちの権利を守るものであること、さらに、国際法を順守し、女性にも個人としての諸権利を認めるものであることを確認したいのです。これまでに、変更を加えさせることに成功しており、この運動を心強く思っています。しかし、引き続き監視の目を光らせていかなければなりません。」と、チュニジア女性同盟のラドヒア・ジェルビア代表は語った。
与党アンナハダ党は、女性の権利を奪おうとしているとする主張を強く否定しており、政策の柔軟性と反対意見にも積極的に耳を傾ける姿勢を示すことが今後の重要な課題としている。「中には自身の権利が失われるのではないかと危惧する人々がいるようです。しかしわが党は、自由を保障する憲法の制定を目指しているのです。つまり、今日のチュニジア社会をそのまま維持したいと考えています。」と、憲法制定議会議員で与党アンナハダ党のアッシア・ナファティさん(27歳)は語った。
アンナハダ党は、メーレジア・ラビディ・マイザ女史を憲法制定議会(定数217人)の副議長に任命した。同議会定数の半分は、女性の参画と貢献を確保するため、新たな暫定政府発足に向けた合意に基づき、女性に振り分けられることとされている。
一方、革命後のチュニジアでは、敬虔なイスラム教徒の女性が、以前よりも宗教上の教えを実践する自由を謳歌しているのも事実である。チュニジア独立後最初に大統領になったハビーブ・ブルキーバは、チュニジア個人身分法の制定を通じて女性に数々の権利を認めたが、とりわけイスラム教徒の女性が被るヘッドスカーフには批判的で「醜悪なボロ布」と呼んだことが知られている。
ブルキーバの後を継いだベン・アリーも、イスラム系反対勢力の存在を恐れ、信仰の自由に様々な制限を設けた。そして女性たちは、ヒジャーブ(髪を覆うヘッドスカーフ)やニカブ(目の部分を除いてすべてを覆い隠すヴェール)を着用しないよう奨励された。しかし、ベン・アリー政権崩壊後、ニカブやヒジャーブを被った女性の数が増加している。
主婦で2人の子供の母であるサルワ・ホスニさん(34歳)は、ジャスミン革命以前からニカブを着用している。「ベン・アリー政権時代、私は多くの問題に直面しました。警察は私がニカブを着けているのを見つけると、早速呼び止め、警察署に連行し、二度とニカブを身に着けないという誓約書に署名を強要したものです。しかし、コーランには、頭は覆うべきと説かれています。(革命後の)今日、ニカブを自由に纏えるようになったことを大変嬉しく思っています。今私は自由を謳歌しています。」
主婦で3人の子供の母であるモニア・モフリさん(44歳)も、ホスニさんと同じ意見である。「ベン・アリー政権期、ヒジャーブの着用について当局とトラブルになった経験があったので、3年間着用をやめた時期があります。しかし、ヒジャーブなしで外出すると、胸が締め付けられる感覚を覚えたものです。今は、外出時はいつもビジャーブを身に着けることができるので、快適ですし、大変嬉しく思っています。」
しかし、ヘッドスカーフの着用を巡る緊張は依然として続いている。左派系の学府として知られるマノウバ大学では、ニカブを着用した生徒が登校して試験を受けることを認めるか否かの議論が進行している。先月も、ニカブを着用して登校した2人の女子学生を叱責したとの容疑をかけられた教授に無罪が言い渡されたばかりである。
人々が憲法草案の完成と年末か来年初頭に予定されている総選挙を待ちわびるなか、チュニジアの女性の未来が今後どのようになるかは、依然として不透明である。しかし一つ明らかなことは、チュニジア女性たちは、政治観や宗教観が何であれ、明確な意見を持っており、自身の権利を守るためには喜んで戦うであろうということだ。(原文へ)
翻訳=IPS Japan
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