【東京IDN=ラメシュ・ジャウラ/浅霧勝浩】
鈴木健一氏は、今年5月に開催されたG7伊勢志摩サミットに際して日本の安倍晋三首相がカナダ、フランス、ドイツ、イタリア、英国、米国、欧州連合の首脳を出迎えた伊勢神宮がある伊勢市の市長である。伊勢神宮は日本で最も神聖な神社のひとつであり、天照大神を祀っている。
東京から約460キロ西に位置する伊勢市はまた、かつて衆議院議員を63年(1890年~1953年)務め、「憲政の神様」「日本の議会制民主主義の父」として今日なお尊敬を集めている故尾崎行雄(雅号〈ペンネーム〉は咢堂)氏の選挙区でもあった場所である。
尾崎咢堂記念館は、尾崎が逝去してから5年後の1959年に彼の政治家としての偉業を顕彰する施設として旧尾崎邸の土地と建物を伊勢市が譲り受けて開設したものだが、現在の建物は施設の老朽化に伴い2002年に全面改装したものである。
1930年代から40年代の前半にかけて、相次ぐクーデターと戦争を背景に政党政治の灯がかき消されようとしていたなか、尾崎は独立系無所属議員として、政治介入を強める軍部を痛烈に批判した。こうした自らの信念に基づき議会制民主主義の原理原則を貫き通そうとする尾崎の政治姿勢は、第二次世界大戦中に当局から危険視され、投獄されることもあった。しかし、戦後は一転して、反軍国主義・反ファシズムの姿勢を貫いた「議会政治の父」として時代の脚光を浴び、民主主義、軍縮、人権に対する尾崎の信念は幅広く評価されるようになった。
尾崎の民主主義的価値観に対する確固たる信念は、見解を異にする他者に対する寛容な態度に見出すことができる。1924年のある日、尾崎を暗殺しようとした青年の父親が尾崎に近づき、息子の行動について謝罪をしようとしたところ、尾崎は「国のため 命惜しまぬ 誠あらば 我を刺すてふ 人も貴し(もしその青年を私の暗殺へと駆り立てたものが愛国心に拠るものならば、それは称賛に値するものです。)」という短歌を詠んで応えている。
今回の取材に際して、鈴木市長は、NPO法人咢堂香風の土井孝子理事長とともに、まさにこの尾崎咢堂記念館の入口で出迎えてくれた。尾崎咢堂を顕彰するNPO法人咢堂香風(2006年設立)は、2010年より尾崎咢堂記念館の管理運営を委託されているほか、幅広い教育関連活動を展開している。
鈴木市長は、「今回G7サミットが伊勢志摩地域(伊勢市、鳥羽市、志摩市、南伊勢町の一部を含む伊勢志摩国立公園とその周辺を構成する志摩半島)で開催されたことについては、重要な歴史的な側面があります。それは、日本が次回ホストするまで向こう7年間はG7サミットが日本で開催されないというだけではなく、この伊勢の地が故尾崎咢堂の選挙区であったという歴史的な背景です。」と語った。
G7サミット開催地の首長として、来日した6か国の首脳を歓迎した鈴木市長は、そのことを誇らしげに思う十分な理由があるが、記者の質問に対して、市長は終始謙虚な面持ちで「政治活動においても企業活動においても、根っ子の部分は人の役に立つかどうかという点にあります。」と語った。
鈴木市長はまた、伊勢市が、通称「伊勢神宮」としても知られる「神宮」を擁することから「神都」の異名を持つ門前町であることを指摘したうえで、「私は伊勢市長として、何をする場合でも、『神宮』が体現している価値観に寄与すること、そして、世界平和の実現と人権の確立に生涯をかけて取り組んだ尾崎行雄の精神を生き続けさせていくことを、常に念頭に置くことにしています。」と語った。
鈴木市長のこうした信念は、移民問題にも向けられた。市長によれば、世界人権宣言や1951年の難民の地位に関する条約、1967年の難民の地位に関する選択議定書といった法的合意が結ばれているだけでは十分ではなく、国際合意に謳われている原理原則が実際に順守され人権が侵害されていないことが極めて重要だという。
「人が生きている限り、人権概念の根底にある精神が理解されており、世代を超えて継承されていくよう、不断の努力をしていかなければなりません。」と、鈴木市長は語った。
こうした観点から、鈴木市長は、アンゲラ・メルケル首相が、シリアや中東諸国における内戦から逃れて欧州に流入してきている多数の難民に対して「歓迎」の姿勢を示してきたことに対して、感銘を受けるとともに、その気持ちをメルケル首相に伝えた。
鈴木市長はまた、米国のバラク・オバマ大統領についても、感銘を受けていた。鈴木市長は「大統領就任直後(そしてまもなくノーベル平和賞を受賞した)オバマ大統領と、2期目最後の年にある現在のオバマ大統領を比較せざるを得ません。」と指摘したうえで、「この8年間、オバマ大統領は大変ご苦労されたということを見てて感じました。」と語った。
鈴木市長は、オバマ大統領が(米国による広島と長崎に対する原爆投下から71年を経て)広島を訪問する決定をしたことについて、高く評価している一方で、このことやオバマ政権に関する米国発の様々なニュース記事を読む限り、オバマ大統領は恐らく厳しい政治環境の中で慎重に行動せざるを得ないのではないかという印象を持っていた。
にもかかわらず、鈴木市長は5月27日のオバマ大統領による広島演説は、日米の歴史にとって新たな時代の幕開けにつながったと確信している。従来日本では、被爆者が存命中に米国の現職大統領による広島訪問が実現されるかどうか懸念する声が根強くあった。
「被爆者の平均年齢を考えると、被爆者自身が原爆の実体験を直接語ることができる状況はまもなく厳しくなってくることが予想されます。その観点から、オバマ大統領の広島訪問は、これによって日米関係の新たな時代へと前に進むことができるという意味で、大変素晴らしい出来事だったと思います。」と語った。
しかし鈴木市長は、被爆者より若い世代の一日本国民として、広島と長崎への原爆投下がもたらした惨状について、戦争を終わらせるために必要であり後悔する必要はないとの意見が海外において依然としてあることについて、どのように考えているのだろうか?
「まったくもってそのような考え方は理解できません。戦争を境に、それまで人を殺してはいけない、人を傷つけてはいけないという一線が、ある瞬間に敵を殺したことが勲章や称賛に変わる瞬間があります。」
「しかし、戦争中であっても、兵士が戦場で敵の兵士と戦い殺されるのと、生まれたばかりの赤ちゃんを含む民間人が原爆やその他の手段で無差別に殺されるのとでは、違いがあります。同じく、テロリストが民間人の間に潜り込んで、無辜の子供たちを殺戮することは、許されないことです。従って、私には民間人に対して原爆を投下する判断を支持すると主張する人々がいることが、理解できないのです。」と鈴木市長は語った。
オバマ大統領は広島訪問に際して謝罪すべきと考えているかとの私たちの質問に対して、鈴木市長は、「この質問に答えるのは容易ではありません。日本国民は恐らくオバマ大統領から謝罪の言葉を聞きたいと考えていると想像しますが、一方でオバマ氏は米国の大統領として同国の国益を代表する立場にあることも理解しています。このことを考えれば、日本の人々の感情はそれとして、まずは米国の現役大統領が広島訪問を決断したことを評価すべきだと思っています。」と語った。
「それでは、オバマ大統領が(原爆投下について)遺憾の意の表明や謝罪はしなかったが、広島を訪問し被爆者と面会したことは、よかったと考えておられますか。」と鈴木市長に尋ねたところ、「オバマ大統領の広島訪問は、米国内で様々な議論を呼び起こすことになったと理解しています。また、今回の訪問は日本にも大きなインパクトを残しました。私は、日本と米国双方において人々が賛否両論で議論したこと、その事実を最重要視したいと考えています。なぜなら、こうした議論が次のステージへとつながっていくと思うからです。」と鈴木市長は語った。
今回のインタビューは、2009年11月から現職の40歳の市長との印象的な出会いとなった。鈴木市長は、記者らの質問に対して、政治用語や外交用語に訴えるのではなく、尾崎行雄と2000年の伝統に裏打ちされた「神宮」が象徴する精神を踏まえて、率直にご自身の見解を語ってくれた。(原文へ)
翻訳=INPS Japan
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