【オスロIDN=テメスゲン・カサイ】
私たちはこの戦争(連邦軍が北部ティグレ州に武力侵攻したエチオピア内戦)は一般のティグレ人を対象にしたものではないと聞かされていたが、実際には多数の一般民衆が苦しめられており、同胞たちは沈黙を守っている。
私は1980年代に(当時エチオピア領で現在はエリトリアの首都)アスマラで子供時代を過ごした。両親は「大きくなったら何になりたい」とよく聞いてきたものだ。私の答えはいつも決まっていて、戦闘機のパイロットか陸軍の将軍になりたいと答えた。理由は単純で、父が当時エチオピアを支配していたメンギスツ政権下で軍人だったことから、自分も将来兵士になって国家の「敵」をやっつけたいと思っていた。
戦時下に育った私にとって、ミサイルや弾丸が飛び交う音は日常の一部で、国の支配下にあるメディアは政権にとって都合のいい世界観を国民に垂れ流していた。例えば、当時の内戦については、正義のエチオピア人愛国者と憎むべき反乱軍の間の戦いという対立構図でみるように教えられた。
当時の私は軍歌を暗記し、戦争の英雄を礼賛する詩を書く軍国少年だった。残酷なメンギスツ政権の末期には、緑と黄と赤色のエチオピア国旗を掲げて叫んでいたのを今でも鮮明に覚えている。
当時私が知らなかったのは、父が戦っていた「敵」には、彼の従妹や隣人の子供たちも含まれていたという事実だ。内戦は、エチオピアを構成していた多くの異民族間の社会的文化的絆に深い亀裂をいれることになった。北部ティグレ地域出身の父は、当時反乱軍であったティグレ人民解放戦線(TPLF)やエリトリア解放戦線人民解放軍(EPLF)に参画していた同民族出身の兵士らと戦っていた。
当時は私の家族のようなティグレ系エチオピア人にとって危険な時代だった。メンギスツ政権の支持者の間では、私たちは信用ならない存在でTPLFのスパイではないかという疑いがかけられていた。一方、ティグレ人の間では、私たちは中央政府側についた民族の裏切者とみられていた。他の何千もの家族同様、私たち一家は(ティグレ人としての)民族的なアイデンティティーとエチオピア人としてのアイデンティティーの間で折り合いをつけようともがく中で、双方から虐げられた。
1991年、抑圧的なメンギスツ政権が崩壊し、ティグレ人民解放戦線(TPLF)がエチオピアの政権の座に就いた。一方、エリトリア解放戦線人民解放軍(EPLF)はエリトリア州を掌握してエチオピアから独立した。その結果、私の家族は(エリトリアの首都となった)アスマラからアジスアベバに移り、そこの難民キャンプで10年間を過ごした。ティグレ人主導の新政府は、かつて自分たちと戦った兵士の家族を急いで救済しようとはしなかった。
この政変でエチオピアでは全て変わってしまったが、私たちの帰属の問題はますます複雑なものとなった。まず故郷のエリトリア州が独立したため私たちは外国からの難民とみなされた。同時に、ティグレ人としては、同胞が多数派を占める新政府から恩恵を受けていると見られた。
それから27年間に亘り、ティグレ人民解放戦線(TPLF)が率いる与党連合がエチオピアを支配した。新政権は統治形態として多民族による連邦制を敷いたため、各グループ毎の民族意識が助長された一方でエチオピア人としての共通のアイデンティティーは薄れていった。しかし時間が経つにつれ、ティグレ人主導の非民主的な統治に対する諸民族の抵抗が次第に盛んとなり、各地で大規模な抗議活動が行われる中で求心力を失っていった。
2018年、与党連立政府は、希望、平和、統一を公約に掲げたオロミア州出身のアビー・アハメド氏を新たな指導者を選んだ。しかし連立与党間の協力関係は長くは続かず、それまで権勢をふるっていたTPLFとの関係が破綻、TPLFは本拠地の北部ティグレ州に引き上げていった。そして2020年11月4日、アビー首相はティグレ州に対して宣戦を布告した。
現在の内戦により、ティグレ人たちは再びエチオピア政局の中で翻弄されることとなった。今次の内戦は、TPLFを最大の敵に据えた汎エチオピア主義の復興という文脈の中で進行している。アビー政権は、(ティグレ州に侵攻した)エチオピア連邦軍の行動について、一般のティグレ人を対象としたものではなく、あくまでのTPLFに対する「法執行作戦」であると説明している。しかし、多くのティグレ人が被害に苦しんでいるのが現実だ。
アビー政権が違法とみなしている昨年9月に実施されたティグレ州の地方選挙でみられたように、多くのティグレ人が同州を率いてきたTPLFを支持している。さらに、TPLF指導部を捕獲するために開始された「法執行作戦」の下で、何千人ものティグレ人住民が連邦軍に殺害され家を追われている。一方で、エチオピアのティグレ人以外の諸民族の多くは、連邦軍によるティグレ州の首都メックエル占領を祝い、政府が同胞であるはずのティグレ州の一般住民に援助物資が届かないように妨害しても沈黙を守っている。また、エチオピア各地で、人種に基づく選別とティグレ人を標的にした嫌がらせが増えてきている。
この内戦により無数の家庭に計り知れない破壊と苦難がもたらされているにも関わらず、長年の友人や家族の中にも、この戦争を支持すると表明するものが出てきている。私の社会的な絆は希薄になっていく一方だ。一般のティグレ人が人道危機に直面しているにも関わらず、政府が意図的に援助物資の搬入を拒否し、そうした政府の所業を大半のエチオピア人が暗黙のうちに認めているという現実に、私がかつて持っていたエチオピア人としての帰属意識は次第に遠のいていった。
中でも最も悲しいのは、常にエチオピア人であることを誇りにしてきた父が、人生の28年間を犠牲にして尽くしてきた国によって、再び差別され孤独に苦しんでいる現状だ。私自身は、今のエチオピアの状況下で、ティグレ人とエチオピア人の双方でいられるのは不可能だと思っている。今回の戦争とティグレ人の苦難に対する多くの同胞の反応を目の当たりにして、かつて私が抱いていたエチオピアとの絆は、もはや修復できないほど壊れてしまったと感じている。(原文へ)
INPS Japan
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