【ルンドIDN=ジョナサン・パワー】
冷戦時代には、核抑止という一か八かのギャンブルを、安全をもたらす政治的生き方として信じる人たちをはねつけるために「死ぬよりは赤(=共産主義者)でいるほうがまし」という言葉があった。ロシアのウラジーミル・プーチン大統領がウクライナで核戦争を始めるかもしれないと怯える私たちは、今、新しい言葉を作らなければならないだろう。それでは、「プーチンと一緒に墓に入るより、生きている方がましだ」というのはどうだろう。
確かに、これでは語呂が悪いが、私の言いたいことは分かるだろう。
国連でドナルド・トランプ大統領(通称「炎と怒り」)は、米国が自国と在韓米軍の防衛を余儀なくされた場合、北朝鮮を「完全に」破壊すると脅したことがある。
それに対して、米国上院の外交委員会の元委員長で、一時はトランプ候補の重要な後ろ盾であったボブ・コーカー上院議員は、トランプは国を「第3次世界大戦への道」に導く可能性があると非難した。
もしドナルド・トランプが核兵器を無制限に使えると考えていたとすれば、このタブーを超えられると考えた大統領は彼が初めてではなかった。ハリー・トルーマン大統領が広島と長崎への原爆投下を正当化するために公言した議論と同じようなものだからだ。
当時トルーマンは、「日本の南から東京に向かって戦っていた何十万人もの米兵の命を守るためには、原爆を使わなければならない。」主張していた。しかし今では、高名な歴史家たちによって、これがトルーマンに原爆投下の命令を出させた最も重要な論拠ではなかったことが知られている。それは、もし米国が早急に日本を降伏させなければ、当時の同盟国であるソ連が北から日本に侵攻してきて、先に東京に到達してしまうという恐れであった。
1945年8月当時、85%のアメリカ人が、トルーマンの原爆投下の決断を支持すると世論調査に答えている。その後原爆投下への支持は年々低下し、2015年の世論調査では、正当だと思う人は46%にとどまったというが、それだって多い方だ。それゆえ、アメリカ人は核兵器のさらなる使用をタブー視しているという誤った考えがある。
何百万部も売れた米誌ニューヨーカー誌に掲載されたジョン・ハーシー氏の「ヒロシマ」(1946年8月31日発行)は、タブー意識を醸成するのに大いに貢献したが、時間が経つにつれ、それだけでは足りなくなった。すべてのアメリカ人が、核兵器の将来の使用に対して予防接種を受けているわけではない。
1953年から55年にかけての朝鮮戦争の際、トルーマン大統領は、中国が共産主義の北朝鮮を助けに来るのを食い止めるために再び核兵器を使用しかけたが、英国のウィンストン・チャーチル首相が思いとどまらせることができた。
ジョン・F・ケネディ大統領の顧問であったロバート・マクナマラ国防長官(後に平和主義に傾倒)らは、1962年のキューバ危機の際にソ連に対する核兵器使用を検討し、極限状態での使用を精神的に覚悟していた。
ベトナム戦争では、リチャード・ニクソン大統領とヘンリー・キッシンジャー国務長官が、北ベトナムに対して核兵器を使用することを真剣に考えた。ソ連のレオニード・ブレジネフ書記長の顧問だったゲオルギー・アルバトフ氏は、将軍たちがブレジネフに、対米先制攻撃に核兵器を使うことを検討すべきだと主張したことが2、3度あったと私に打ち明けてくれた。
2015年にYouGovが行った世論調査では、イランが核計画を放棄する見返りに国際社会による制裁を大幅に緩和するという合意に違反していることが発覚した場合、米国がどのような反応を示すかを調査している。
YouGovは調査対象者に、イランがペルシャ湾で空母を攻撃して2000人以上の軍人を殺害し、その後アメリカが空爆と地上侵攻で報復した場合、どう思うかを尋ねた。その結果、56%の人が、イランが降伏しないなら核攻撃は許されると答えた。女性の調査対象者の回答にも違いが見られなかった。
世論調査の証拠はないが、世界の圧倒的多数が、ロシアや米国による核兵器の使用をいかなる状況でも受け入れないだろうと私は推測している。欧州では、核兵器の使用を許容する人口が5%を超えることはないだろう。
しかし、米国では別問題である。ハーバード大学が米国で実施し詳細に分析した調査「国際安全保障」によれば、米国の成人の約50%が、北朝鮮に対する核兵器の使用は正当化されると考えており、特に2万人の米兵の命を救うことができるのであれば、正当化されると考えていた。(これは現在韓国に駐留している3万人の米軍兵士よりも少ない)。
ハーバード大学のスティーブン・ピンカー教授はこれに反対している。彼は、大多数のアメリカ人が核攻撃を容認することに同意していないと述べている。ピンカー教授は著書『The Better Angels of Our Nature』の中で、アメリカ人にとって「唯一受け入れられる戦争は、遠隔操作技術で達成される外科手術的なものに限る。」と指摘しており、その背景として、近年アメリカ人の間で、「慎重さ、理性、公平さ、自制心、タブー、人権の概念が拡大した」と説明している。
現在のNATOの活動(ロシアの侵略に対抗するためにウクライナに高性能で非常に効果的な対戦車兵器やその他の弾薬を提供している)に対するロシアの核攻撃の可能性に関して、米国の態度を調査した詳細な世論調査はない。プーチンは西側諸国に、もしロシア自身が脅威を感じる状況下では核兵器の使用を命令すると警告している。
もしロシアの核攻撃があるとすれば、それはまず、戦場での小型核兵器の使用だろう。広島の2割程度の大きさで、1万人程度の殺傷能力が推定される。それでも、米国が同規模の兵器でロシアによるさらなる核兵器の使用を抑止しようとして報復でる可能性は十分にある(米国は欧州の土地にこれらを大量に貯蔵している)。
核戦略家は、核兵器の使用について警告を重ねてきたしてきた。一歩一歩、漸進的にエスカレートしていき、ある時点で「核兵器を使うか、戦争に負けるか」という分岐点に到達する。米軍の前首席司令官コリン・パウエル将軍を含む高位の軍人たちは、いったん核兵器が使用されると、最も強力な核弾頭ロケットの使用で終わりかねないエスカレーションを止めることは、非常に困難であると指摘している。ロシアの軍部や政治上層部にも、同様の慎重論者がいるに違いない。ソ連大統領時代のミハイル・ゴルバチョフも、核兵器の使用を否定していた。
しかし、トルーマンやトランプが示したように、核兵器の使用を信じ、必要ならボタンを押せるという自信を持つ政治家もいるのだ。
プーチンの心中を推し量ることはできない。それとも、キューバ危機の際に核ミサイルの使用を脅したソ連のニキータ・フルシチョフ元首相のように、道徳的な疑念を抱き、可能な限り最後の瞬間に引き下がるつもりなのだろうか。フルシチョフは米国と一種のロシアンルーレットをしたようなもので、これが後にポリトビューローが彼を退陣させた大きな理由の1つであった。フルシチョフは文明社会が焼け野原になるのを見たくなかったのだろう。
教会の常連であるジョー・バイデンが、カトリック教会の教えに反して「核兵器」を使うとは思えない。彼が尊敬するローマ法王が、ウクライナ戦争での暴力行使にも、核兵器にも反対を表明していることを知っているからだ。バイデンは、もし核兵器のオプションを考えたら、神が自分を地獄で焙り焼きにするかどうか疑問に思うだろう。もちろん、現代のキリスト教徒は地獄の炎をあまり信じていないかもしれないが、真相はわからないものだ。私は、バイデンがそのような決断に直面することがないよう祈り、信頼している。(原文へ)
INPS Japan
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