【ベオグラードIPS=ヴェスナ・ペリッチ・ジモニッチ】
セルビア南部サンザックに住む少数派ボスニア人イスラム教徒は、長年にわたるセルビア人政府当局との交渉の末、先月やっとボスニア語で教育を受ける権利を勝ち取ったと述べた。
「言語はすなわち国民のアイデンティティですから、私たちにとって重要な問題なのです」とサンザックボスニア語全国協議会のザケリヤ・ドゥゴポリャッチ氏はIPSに語った。サンザックはボスニアと国境を接するセルビア南部の地域である。しかしここに在住する約30万人に及ぶスラブ系イスラム教徒の大半は、自らをボスニア人と考えている。
しかし、この「新言語(=ボスニア語)」は、旧ユーゴスラビアにおいて何百万人ものセルビア人、クロアチア人、ボスニア人が話していた「旧言語」とほとんど変わりはない。それでも、ドゥゴポリャッチ氏や地元のイスラム系政治家は、敢えてボスニア語を公用語として導入したことを妥当と考えている。「つまり、少数民族の権利に関わる問題なんですよ」とドゥゴポリャッチ氏は言う。
ボスニア語は、1991年の旧ユーゴスラビア崩壊後に導入された「新言語」の1つである。旧ユーゴスラビアでは、連邦崩壊に伴って6つの旧連邦構成国の間で血みどろの内戦が繰り広げられた。その結果、今ではイスラム系ボスニア人は「ボスニア語」、カトリック系クロアチア人は「クロアチア語」、ギリシャ正教徒のセルビア人及びモンテネグロ人は「セルビア語」を話すようになった。
この奇妙な言語区分は、国連がハーグに設置した旧ユーゴスラビア国際犯罪法廷においても採用されており、同法廷の全ての書類にはボスニア語、クロアチア語、セルビア語をそれぞれ意味する“B/C/S”のマークが付けられている。これらの言語は実質的には同じものであるにもかかわらずだ。
この現象について、ランコ・ブガルスキ教授は、有名な著書『平和の言語から戦争の言語へ』の中で次のように述べている。「連邦崩壊に伴う内戦の結果、それまでの言語は地域に帰属するものではなく、新たに国家に帰属するものであるとする考えが台頭してきた」。そして「戦争当事者間には歴史も言語も何一つ共通点はないという考えに基づいて、言語は他民族に対する『武器』として使われるようになった」
旧言語は19世紀に共通語として確立され、セルビア-クロアチア語と呼ばれていた。違いといえば多少のアクセントと地域的な表現程度で、旧ユーゴスラビアではどこでも容易に通じる言語であった。比較して例えるならば、イギリス英語とアメリカ英語の違いといったところだ。
旧ユーゴスラビアにおいては、地域的な違いは「方言」として認識され、様々な民族的背景を持つ人々が、各々民族特有の言語ではなく、その地域の方言を同じように話していた。一方、今日の言語区分の動きは、一部で滑稽な事態も引き起こしている。
クロアチアの映画配給会社は、今やハリウッドやフランス映画と同様、セルビア映画に対しても字幕を付けるようになっている。ザグレブ(クロアチアの首都)の映画館では、「こんにちは」といった表現に対してさえ字幕が付けられる始末で、このような字幕がスクリーンに映し出される度に、観客の失笑を買っている。
今日、クロアチアの言語学者は、クロアチア語の独自性を出すために新たな単語の導入を試みているが、ほとんどのクロアチア人に理解されていないのが現状だ。例えば、FAXは新表現では“dalekoumnozitelj(長距離コピー用機械)”となる。
このことに関して、ザグレブの銀行家ミリアナ・トンチッチ氏(36歳)は、「公的なコミュニケーションでFAXという単語を使えないとは信じられない状況です」「新しい単語を使うことにはなっているけどどうやって発音していいかさえ分からないのよ」とIPSに語った。
他にも、ヘリコプターは今では“zrakomlat (空を切る機械)”、ハードディスクは“kruzno velepamtilo (大きな記憶容量を持った円形機械)”といった具合だ。
しかし政界のエリート達は、それでも異なる民族がそれぞれの言語を持っていくべきだと主張している。
クロアチアの国営テレビは、最近スティーブン・スピルバーグ監督作品『シンドラーのリスト』の放映に際して同作品に収録されていた「セルビア語」のまま放映したことを謝罪するという出来事があった。その際、同テレビ局は、米国の映画配給会社が何年も前に(セルビア語での)翻訳を要求し、その後変更を全く認めなかった、と本件の経緯を説明した。
最近ザグレブで、著名な外交官ネヴェン・スチマッチ氏がコメントの中で「クロアチアとセルビアが欧州連合に加盟した際には、行政上の問題を緩和するため『クロアチア-セルビア語』を再導入するという示唆がブリュッセル(=EU本部)にある」と語ったことから、政治的な抗議運動へと発展した騒ぎがあった。両国の欧州連合加盟はまだまだ先の話であるが、そのような可能性が語られるだけでクロアチア民族主義者の間で公然と抗議の声が上がるのが現状だ。
一方、多くの一般市民にとって、言語の分裂も新国家も永遠に続く障壁を意味するものではない。共通言語とケーブルテレビの存在は、すなわち何百万人もの人々が、ボスニアテレビであれクロアチアテレビであれ、セルビアテレビであれ、同じ番組を見られることを意味する。
最も人気があるドラマの1つにクロアチアの『ヴィラ・マリア』という番組があるが、その内の多くのエピソードはベオグラードの有名な作家スタンコ・クルノブリニャ氏の手によるものである。クルノブリニャ氏は言う「これはやり易い仕事ですよ。なぜならザグレブの古い友人でプロデューサーのゼリコ・サブリッチ氏が私に監督をしないかと声をかけてくれて引受けた仕事だからだ。私たちは今でもお互いを完全に理解しあえる間柄だ」(原文へ)
翻訳=IPS Japan浅霧勝浩