実効支配線(LAC)として知られるインド・中国間の未確定国境における両国の活動は、1962年の記憶を呼び起こすかもしれない。この年に起こったアジアの2つの巨人の間の国境紛争は、いまだにインド人の心理の中に傷跡を残している。そしてこの心理は、チェタン・アナンドが脚本・監督を務めた1964年の映画『ハキーカット』(Haqeeqat)によって掻き立てられている。他方中国では、この同じ紛争が教科書で言及されることはない。
【シンガポールIDN=クーノール・クリパラニ】
インド映画は、インドの中国との微妙な関係について追求し続けている。友人あるいは敵として描くこともあれば、最近では、両国の長年の友好関係の歴史を基礎にした関係強化の可能性を示唆するものものある。
1962年の国境紛争以前、中印関係は敵対的なものではなかった。両国は、貿易や思想という紐帯によって結び付けられて、長年にわたってヒマラヤ山脈の両側で平和に栄えてきた。両国をつなぐ思想は、最初は仏教の哲学であり、20世紀初頭までには、反帝国主義・反植民地闘争であった。
1938年、あるひとりのインド人青年医師が、医療活動のために中国に向かった。27才だった。中国の抗日を支援せよとのインド民族主義指導者からの呼びかけに促されるように、ドワルカナート・コトニスは、中国での傷病人治療に馳せ参じ、最終的には毛沢東率いる八路軍の兵士になった。彼はここで将来の妻となる女性と出会い、32才の若さで病没した。中国革命の英雄として顕彰されたコトニスの像が、河北省石家荘に建てられている。革命殉教者墓地にある彼の墓は、カナダ共産党の党員・医師であり、八路軍に加わって途上の1939年に亡くなったノーマン・ベシューンの墓に向かい合っている。
この話は、V・シャンタラム監督の1946年の映画『不滅のコトニス博士』を基にしている。この映画は、広がっていた民族主義的感情だけではなく、世界全体での共産主義的な革命闘争を反映したものだ。映画では、中国共産党がジャワハルラル・ネルーとインド国民会議に対して発した、抗日闘争支援の呼びかけについても触れられている。
コトニスはこの呼びかけに応えた。そして大長征でも八路軍と行動を共にし、医師として献身的に赤軍傷病兵の治療にあたった。彼が将来の妻であるQing Lanに言い寄るシーンからは、当時の中印関係の微妙なニュアンスが伝わってくる。彼は、中国茶に「チニ」(ヒンディー語で「砂糖」の意)は要らない、と彼女に語る。この中国人の体は甘さで満たされているということを暗示したのだ。彼らの婚姻について、村人たちには、中印両国の緊密さを象徴するものだと説明された。司令官の聶栄臻(じょう・えいしん)将軍は、インドと中国からそれぞれとって、息子に「イン・フア」(Yin Hua)という名を与えた。
インドと中国が帝国主義のくびきから解き放たれた主権を獲得しようとしていたこの時期は、相互に共感と友情にあふれていた時代であった。国際的な共産主義組織「コミンテルン」が宣伝した価値観が世界中で共有され、中国共産党とインドの民族主義闘争の指導者の間には響きあうものがあった。共通の民衆による闘争が観念され、互いに力を与え合っていた。
しかし、1950年代末までにはインドと中国の間に政治的な対立が持ち上がる。主に、国境紛争とチベット問題をめぐるものだった。中国との友好は難しいものになり、映画の世界も大きく変わった。1950年代末の映画では、密輸者や悪党(『ハウラー橋』1958年)、スパイ(『愛の崇拝者』1970年)として中国人は描かれた。また、中国は国家安全保障上のリスクとみなされ、『青い空の下で』(1959年)に見られるように、民衆間の交流をポジティブなものとして描くことは一時的に禁止された。
『ハキーカット』
1962年の国境戦争の後、レトリックはより厳しいものになった。1964年の『ハキーカット』(「現実」の意)は、ネルーにこの作品を捧げるという宣言から始まる。1962年の人民解放軍による侵攻に際してラダックで国境防衛に従事し、命を捧げた兵士たちの姿を描いている。パノラマ的な場面はラダックの風景の美しさを捉え、インド東北部の荘厳さを映し出している。
映画では、準備を周到に整えた大規模な中国軍に、何の準備も戦略もないインド軍が装備も不十分なまま圧倒される様を対比的に描いている。そしてラダックの人々は、中国軍と戦うインド兵をもてなし、支援している様子が描かれている。ヒマラヤの不安定な高地にある山岳地点に到達したインド兵たちは、中国兵が拡声器で流す、「ヒンディ・チニ・バイ・バイ」(Hindi-Chini Bhai-Bhai)つまり、インド人と中国人は兄弟であるという古いスローガンをひっきりなしに聞かされることになる。
しかし、スローガンは空しく響き、撤退かそれとも「羊やヤギのように……虐殺されるのか」と問う中国兵の姿が次に映しだされる。インド軍は、戦闘の準備をしながらも、先に攻撃してはならないという命令に従う。
映画では、金の飾り物を戦争のために供出する女性の姿、共和国記念日にインド軍を観閲するネルー首相のニュース映像が挟み込まれる。『ハキーカット』は軍服に身を包む男たちを持ち上げる一方で、中国人を無慈悲で友/敵両方の顔を持った存在と描くことで、インド人の連帯感を強め、さまざまな政治的立場の人々に対して、インド存続の危機を訴えている。
『ハキーカット』は中国のプロパガンダにも焦点を当て、中国の意図は拡張主義とアジアの不安定化にあると示唆している。ラダックに終結する中国軍を見つめるインド兵は、敵方の目的は、彼らの祖先(モンゴル人と中国人の混同:IPSJ)であるチンギス・ハーンの精神を実現すること、すなわち、彼らが歩き回ったすべての土地を中国領として奪取することにあるのだろうと冗談を交わす。
あれから約40年、ボリウッド(インドの映画業界)のあるコメディー映画が中国に対する21世紀の見方を表している。中国武術の高揚した雰囲気の中における、ドジで俗物的なインドの英雄についてのコメディーである。2009年の映画『チャンドニー・チョウクから中国へ』(From Chandni Chowk to China、CC2Cと略される)は、はじめて中国ロケを行ったボリウッド映画だ。映画は万里の長城の引きの映像から始まり、中国の伝統的な剣術へとズームしていく。最初に、チンギス・ハーンは中国のもっとも成功した兵士として崇められているという説明が入る。
中国の悪党たちは、残虐で無慈悲だが、きわめて賢い。両者に人種的なステレオタイプがあるものの、映画の中のキャラクターは、人種的あるいは政治的な偏見を互いに持っていない。両者は、怪しげで、けっして高貴とは言えないキャラクターだが、過去のインド映画とは違う描き方になっている。
1962年の中国の裏切りの傷は残っているが、国家の心理は、中国人を完全な形で描くことができるまでには回復している。つまり、今日インド映画に登場する中国人は、悪い人あり、良い人あり、そしてまた、日々の生活にやっとの普通の人々ありと様々である。先述の映画のインドの英雄は、賢い中国の悪人に対して、下卑た人物として描かれているが、最終的には誠実なものが勝つという物語の構成になっている。映画は同時に、洗練された中国武術や中国伝統医療、両国の民衆の間の友情にも価値を認めている。インド人の母と中国人の父との間に生まれた双子サキとスージーがこれを体現するものだ。スクリーン上で中国文化の美しい側面を映し出すボリウッドの能力は、21世紀国家としてのインドの自信のほどを表している。
駐印中国大使が2012年初めに語ったように、ボリウッドのソフト・パワーが今後も続くなら、そして、CC2Cで描かれたような態度が今後も支配的ならば、最近の紛争も、敵意ではなく、友好と相互尊重の精神でもって解決することが可能であろう。(原文へ)
翻訳=IPS Japan
This article was produced as a part of the joint media project between The Non-profit International Press Syndicate Group and Soka Gakkai International in Consultative Status with ECOSOC.
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